猫を起こさないように
月: <span>2012年10月</span>
月: 2012年10月

メランコリア


メランコリア


やったよ、ぼくらのヒロイン、キルスティン・ダンストに最高の当たり役が来たよ! 君は顔面アファーマティブ・アクションで出演させてもらっている女優じゃなかったんだね! 言わば食べられる方のブタ、演技ができる方のブサイクだったんだ! それもこれもサム・ライミの野郎の、ラース・フォン・トリアーとは別の意味で気の狂った配役のせいで、ついうっかり世界的に有名なブサイク(見た瞬間に処女ではないとわかる圧倒的なツラがまえ!)になってしまったのが悪かったんだ! キルスティン、極東より心からのおめでとうを言わせてもらうよ! 第一部は盛大な手ぶれカメラからの徹底した欝展開で、本邦随一のファンを自認する小生を陶然とさせる完璧な上がりでした。しかしながら、監督が「日常では屑そのものだが、終末ならば泰然と迎えられる自分」を称揚するために作った第二部は完全な蛇足です。アンチ・クライストのときも少し思ったけど、ラース・フォン・トリアーにカネを与えてはいけません。このオッサン、余計なとこに使うから。極東のファンはあなたの無一文からのワシントンが見たいと願っています。あと、モノホンのキチガイがモノホンのビョーキから作り出した冒頭の十分間を見て、テレンス・マリック某は深く深く恥じ入るべきだと思った。

ドライヴ


ドライヴ


ネットでの高評価だけを鵜呑みにして、何の予備知識もなく視聴したら前半と後半の落差にのけぞった。北野武の初期作品とか、長渕剛の昔のドラマとか、レザボアドッグスとか、そういうのと同じ匂いがする。つまり、強烈な怒りによって世に出た者に共通した、突発的かつ執拗なまでに残忍な暴力描写だ。メカに強くて運転がうまくて、普段は穏やかで欲がないが、他人のために怒ると滅法強い。この主人公像は、ある種の人々とってものすごく願望充足的に機能するんだろう。エンディングに流れる主題歌(?)の曲調と歌詞がストーリーの内容と異様にミスマッチだと感じた私は、監督の想定するヒーロー像に感情移入できておらず、おそらく理想的な視聴者ではない。中二病のアッパーバージョンみたいなこの内容を激賞する方々とは、ちょっと友だちにはなりにくいなー、と思った。あと、ドライ“ヴ”という邦題の付け方がこの映画の本質をよく表しているなー、と思った。

ストリングス


ストリングス


インセプションの作劇をチームアメリカの文法で撮影するとこの映画になります。監督の意識はおそらくノーラン側ですが、観客たる私の意識は常にトレイ&マット側でした。ラストシーンで爆笑するか号泣するかで、その人の資質をはかることができます。婚約前の恋人と見ましょう。え、私ですか? んもおおおお! 「横断歩道の白いとこ踏み外したら死亡」みたいな設定で感動させられると思うなよおおおお! 小学生かよおおおお! んもおおおお!