猫を起こさないように
月: <span>2012年3月</span>
月: 2012年3月

あしたのジョー2


あしたのジョー2


「泪橋に来る前のことは、よく思い出せねえんだ」。ぼくは日々をからっぽに生きていて、昨日のことさえよくわからない。空費した時間は、どこにも刻まれないまま消えていく。日々を八分の力でやり過ごすうち、いつしか目減りした自分が本当の自分になってしまった。どうやってここまで生きてきたのか、よく思い出せない。

ブラック・ジャックFINAL


ブラック・ジャックFINAL


故人たちに最大級の敬意を払い、未完の仕事を残された人々で継ごうとする試み。それはたぶん、真摯な追悼に端を発していた。ときにある喪失は、この世界にとって決して取り返しがつかない。粗悪なレプリカを前に、ただ悲しみだけが深くなった。

ツリー・オブ・ライフ


ツリー・オブ・ライフ


「このクズを撮影したのは誰だぁっ!! 物語以前の空虚極まる台詞の断片を思わせぶりな映像と宗教音楽で二時間強に引き伸ばし、神が人に与え賜うた映画芸術を完膚なきまでに愚弄した上、神が観客に与え賜うた知性を根底から嘲弄したのはっ!!」「あなた、落ち着いて! 観客が自らの生活と神の恩寵を結びつけて感情移入できるように、そして人類誕生以降繰り返されてきた父と子の相克を普遍的に描くために、わざとドラマ性を抑えた表現にとどめているのかもしれないじゃない!」「ならば無名の俳優を使うべきだろうが!! ブラッド・ピットとショーン・ペンを主演にしている時点で、そんな言い訳は許されんわ!! しかも神がショーン・ペンに与え賜うた演技という恩寵へ一切の敬意を払わず、彼に演技をさせないまま幕を下ろすなどという冒涜、思い上がりを許すわけには……なに……テレンス……マリック……だと!?」「あなた、急にどうしたの?」「ええい、腹が立つ!! ワシとしたことが、事前のリサーチをぬかったわ!! シン・レッド・ラインの監督ではないかっ!!」「ええッ! 人並み以上に映画を見ているあなたが耐え切れず、生涯でただいちど上映途中に席を立ったという、あのシン・レッド・ラインの?」「そうだ!! 泥酔後のタルコフスキーにさえ眠ったことのないワシが上映中、何度も意識を失うという屈辱を味わわさせられた、あのテレンス・マリックだ!」「ただでさえ場末のインターネットで普段から繰り返し辛酸を舐めさせられているあなたに、そんなひどい仕打ちを……ゆるせない!」「その通りだ、ゆるせん!! しかし、何よりゆるせないのは、主よ、私自身です。なぜなら死者への黙祷を捧げるべきときに、私はこのクソ映画への怒りをただ身内へ充満させていたのですから……おお、罪深き私を、どうかゆるしたまえ」

猿の惑星 創世記


猿の惑星 創世記


私たちの誰もが一度、両親によって殺される。この低予算映画が多くの人の心を打ったのは、私たちの誰もが通る、養育者によって社会化されるときの、自我を殺されることに対する声なき抵抗を象徴的に描いているからだ。それを証拠に見よ、サイレントムービーと見まごうばかりの、なんという台詞の少なさか。

カンフーパンダ2


カンフーパンダ2


続編ゆえに許される冒頭からのハイテンポな展開へ、次々に畳み掛けるアクション、最後まで途切れないテンション。すべてに渡るあまりの流麗さが逆に高度な技術を高度に見せないのは、もはや達人の域だ。このレベルの作品がサラッと世に出て、続編ゆえの市場縮小からほとんど話題にも上らず忘れられていくことに、そら恐ろしさを禁じ得ない。エンターテイメントが水のように消費されていく。八千メートル級の山頂から徒歩で持ち帰った極上の雪解け水も、庭に置いた空き缶に溜まる泥混じりの雨水も、ただ同じ水として消費されていく。いや、現状を見渡せば泥混じりの方がフックがあって好まれる傾向にあるのかもしれない。私は昨今の「視聴を切った」みたいな言い方が反吐の出るほど嫌いだが、この表現へ何の臆面も無い、受け手優位の状況の中でモノを作らねばならない恐怖は、いかばかりかと思う。例えば、マウントポジションでボッコボコに殴られながら、「なんかおもしろいことしろよー、おもしろかったら殴るのやめてやるからよー」と言われて、半笑いで芸をする感じ。だいぶ話がそれまくったが、作り手の尊厳という意味合いから、カンフーパンダ2はスーパー・リコメンド、超オススメ、デース!

シュタインズゲート


シュタインズゲート


オフレポ後編作成のため、iPhone版を社畜仕事の合間合間でプレイ。ものすごく狭い客層めがけて、ものすごく賞味期限の短いボールを投げている感じ。しかもマウンドとベースの半ばの位置から、受け手がこれは野球だと気づかぬうちに放られるがゆえの、相対的な豪速球。実際、2012年3月現在、すでに少し古くなり始めているのが恐ろしい。文字通りの前世紀からネットに生息する私は大いに楽しんだが、例えば何の素養も無い家人がプレイした場合、意味のある物語として成立しているとさえ感じられないだろう。エニウェイ、世界広しと言えど、ジャパンのギークスにしかクリエイトし得ない、本番に至らぬ特濃カウパー、ディスコミュニケーションを超えたアンチコミュニケーションの精髄が凝固した作品と言えるデショウ(褒めてます)! でもでも、ネット上で絶賛の評ばかりなのは、ファイト・クラブと同じニオイがするニャン!