猫を起こさないように
月: <span>2012年2月</span>
月: 2012年2月

碧の軌跡


碧の軌跡


発売から毎日少しずつ進めて、ようようクリアにたどりついた。途中からはFF13-2を同時並行でプレイしたため、ずいぶんと時間がかかってしまった。両者に共通したのは、クリアへの動機が最後には義務感のみとなったことだ。物語を楽しむという点で、JRPGは時間当たりのコストパフォーマンスが悪すぎる。ストーリーはいずれもJRPGの系譜を担うひどい厨二病だが、その内実は天と地ほども違った。厨二病とはヘルペスのようなもので、いったん罹患すれば完治は不可能である。一方をヘルペスが再発しないよう入念な体調管理をする健康マニアの中年マッチョと例えるならば、もう一方は爛れて赤く腫れ上がった口唇でライムをくちずさむ若者ラッパーだ。キャリアであることに自覚的かどうかが、両者の分水嶺となったのかもしれない。ともあれ、本邦で最もカネのかかっていない使い回しのシステムと、本邦で最もカネのかかった小学生の作文、この二作をプレイしさえすればJRPGの陥っている病理、進化の袋小路を君はあますところなく体験することができる。そして、いずれかがいずれかを買収すればJRPGの課題は一定の解決を見るような気もするが、我々の社会は使い回しのシステムに小学生の作文を搭載した凄まじい忌み子を中絶し損なうかもしれず、これは投資家の妄想に止めておくがよろしかろう。

A.I.


A.I.


人類の滅亡後、人間に最も近似値を取る存在が人間と再定義される。数あるスピルバーグ作品の中で、これほどエンターテイメントを忘れたプライベートフィルムは他に無いだろう。夢分析の例を出すまでもなく、現実から再構築された物語こそが精神の深奥へ迫り得る。この手法は虚構日記と同じものだ。作り手は深い感銘を受けるがゆえに沈黙し、受け手は筋立ての荒唐無稽さに首を傾げる。結果、酷評のみがネットへ残され、固定化した低い評価のうちに視聴すべき価値の無いものとして忘れられていく。この過程もnWoと同じものだ。

デッドマン・ウォーキング


デッドマン・ウォーキング


ミーのタイムラインにはソー・オーフン、頻繁にゾンビ・ムービーが登場しマス! 映画と言えばアートかポルノのミーはトピックに乗れず、イーチ・タイム、その度に悔しい思いをしてきマシタ! ハウエバー、ウォーキング・デッド! ソレ、知ってマス、知ってマース! ようやくミーの知っているゾンビ・ムービーがタイムライン上にアピアー、登場したのデース! これでミーもあの、なれあいメンバーズの一員デース!
 この映画はショーン・ペンにとって生涯最高のスター・ロール、当たり役だったと信じて疑いマセン! 特にスーザン・サランドン扮するナン、尼僧とのやりとりはミーにとってモラル、道徳のベースメントとなっていマス! 「なんでアンタを敬わなくちゃならねえんだ。アンタが尼さんだからか」「いいえ、私が人間だからよ」。そしてあの、映画史に残るクライマックス! 刑務官の「デッドマン・ウォーキング!」の掛け声とともに死刑台へと弱々しく曳かれていくショーン・ペンの演技は、バースト・イントゥ・ティアーズ、涙無しには見られマセン! 最後の最後に待ち構える衝撃のレイプ・シーンは、もしユーがメイル、男性ならばユア・ペニスをイメディエットリー、即座に切り落としたくなるほどの凄惨なものデス! ミーのインポテンツもこのシーンが原因デス! ワ、ワッツ? マイガッ、この映画、ゾンビ出てこナイ、最後までゾンビ出てこナイヨー! なのにミーのタイムライン上ではゾンビ・ムービーにカテゴライズされていマス! こいつはミステリー、不可思議ネー!