猫を起こさないように
月: <span>2010年10月</span>
月: 2010年10月

よい大人のツイッター講座

 (広いスタジオの中央に布のかかったキャンバス。背なしの椅子に浅く腰掛けた段ボール鼻の外人、カメラに向かってにこやかに)やあ、ぼくの名前はトゥレット。みんなをより良いツイートに導く、当ツイッター講座の伝道師だ。もしかして君は、こんなふうに考えてはいないかい? 「うかつなことをツイートして、炎上したらどうしよう?」「140文字なんて短い文章で、本当に思ったことが伝わるのかな?」「ぼくの面白くないツイートなんて、みんな無視するに違いないよ! 結局ハイスクールと同じさ!」ってね。大丈夫! ぼくといっしょに学べば、君のツイートは必ず良くなる! このメソッドは、米国でもワンハンドレッド・パーセントの成功が保証済みなんだ! それじゃ、いっしょに今日のテキストを見ていこうか(鼻段ボール、キャンバスにかけられた布を取る。現れる文字列)。

 『この筋立てを日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になり、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になる。諸君、これが文化の差というものだ。』

 (口笛を吹いて)ヒューッ! 悪くはないが、まずまずといったところだね。まずは着想からだ。このツイートの肝は青木雄二とユアン・マクレガーを併記することのギャップが醸しだす可笑しさにあるんだけど、どうやってこんなのを思いつくのか? 簡単さ! キーワードは類似点、それを探し出すんだ! 漢字とカタカナだからわかりにくいけど、両方カタカナにしてみたらどうだろう? ユウジ・アオキー、ユアン・マクレガー。ほら、簡単に類似点が見つかったろ? この方法さえ身につければ、考えつくツイートのネタなんて百や二百じゃきかないよ! とっても簡単なんだ! 
 次はツイートそのものの表記を見ていくよ。この冴えないツイートも、少し文章に気をつかってオシャレにしてやるだけで、リツイートの数は百や二百じゃきかなくなるよ! 大丈夫、誰にでもできる、簡単さ! まず、最初の助詞「を」だけど、助詞ってのは前後の連結を強くしすぎるんだ。「この筋立て」は「日本で作れば~」と「英国で作れば~」を共有するんだから、「を」じゃ「日本で作れば~」との連結を強くしすぎる。こいつは、読点に変えちまおう。

 『この筋立て、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になり、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になる。諸君、これが文化の差というものだ。』

 ほら、軽くなった。簡単だろ? 次に、二文目を見てみよう。「という」は名詞の持つ断定調を弱めるために便利な言葉だけど、書き手の自信の無さも同時に表してしまうんだ。ハイスクールでもそうだろ? 弱気を見せた瞬間、たちまちやつらに攻めこまれちまう! だから、これは「呼ばれる」に変えちまおう。受け身にすることで書き手の判断を世間に丸投げできるし、後になって炎上したときにも簡単に言い逃れできる。「おいおい、誰だよ、文化の差なんて呼んだのは? もちろん、俺じゃあないぜ!」ってね! 簡単さ!

 『この筋立て、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になり、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。』

 フーム、この冴えないツイートもだいぶ良くなってきたね。でも、まだ充分とは言えない。君のツイートをフォロワーは3秒で読んでしまうが、君はその1万倍は時間をかけなきゃいけない。君が始終もてあましてる時間をかけるだけでいいんだ、簡単だろ?
 「日本で作れば~」と「英国で作れば~」の順番が気にくわないな。一般的に言って、文章の後半に来るほうが本当に伝えたい内容、パンチラインになるんだ。「あなた、やさしいけどデブね」って言われたらムカつくけど、「あなた、デブだけどやさしいのね」って言われたら小鼻が膨らむだろ? ユアン・マクレガーの顔を想起させてから青木雄二の顔を想起させた方が断然、笑えるだろ? だから、このパートは前後を入れ替えちおう。

 『この筋立て、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になり、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。』

 ホラ、格段に笑えるようになった! な、簡単だろ? じゃあ早速、この傑作ツイートをツイーティングしよう……って、待ちなよ! 言ったろ、フォロワーは3秒で読んじまうけど、君は他に何も持ち物がないんだから、せめてその1万倍の時間をかけろってさ! もう忘れちまったのかい、このニワトリ頭め! 「日本で作れば~」と「英国で作れば~」は、「この筋立て」に共有されるパートだって、いちばんはじめに言ったろ? つまり、この二つの部分は文法的にも全く同じ構成をしてないと不充分ってことさ! 「ユアン・マクレガー主演の映画に」「青木雄二の絵柄で漫画に」……フーム、どっちに統一するかだけど、「青木雄二絵柄の漫画に」とすると漢字が連続するせいで読みにくいね。これは前半に統一しよう。簡単だろ? 「ユアン・マクレガーの主演で映画に」……うん、ぴったりだ! なに、「青木雄二制作の漫画に」にすればいいじゃないかだって? おいおい、青木雄二はもう他界してるだろ! 2007年制作の映画なんだから、2003年に他界した青木雄二が漫画にできるわけないだろ? しっかりしてくれよ! 本人じゃなくて青木雄二プロダクションが制作したと読ませなきゃダメだろ? ツイートに明らかな嘘は厳禁さ! 簡単なことだろ!
 じゃ、完成したツイートを見てみよう。こんな感じだ。

 『この筋立て、英国で作ればユアン・マクレガーの主演で映画になり、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。』

 フーム、いいね。100+のリツイートも夢じゃない。な、簡単だったろ? アメリカでもワンハンドレッド・パーセントの成功が保証されているメソッドだからさ、ただ手順に従うだけで、誰にでもステキなツイートができるようになるんだ! (腕時計を見て)おっと、もうお別れの時間が来てしまったようだ。それじゃ、来週のこの時間まで、シー・ユー・ネクストウィーク! バイバーイ!(にこやかに手を振る鼻段ボール。引いてゆくカメラ)

おわり(制作・著作 NWO)

夢と犯罪


夢と犯罪


この筋立て、英国で作ればユアン・マクレガーの主演で映画になり、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。

アイアンマン2


アイアンマン2


前作のキャラと伏線があって、どうしてここまでつまらなくできるのか、襟元つかんで大声で問いただしたくなる仕上がり。6months laterってさあ、正味、前作ではアイアンマンまったく世間的には活躍してないんだから、この6monthsをこそ、湯水の如くカネを使ってのお大尽悪党退治行として描写しなきゃダメじゃん。それを新聞記事のヘッドラインだけでサラッと流して、主人公が悩むダウナー話――ダウニーだけにな!――を延々とやられたって、少しも感情移入できないわけ。あと、前作は誕生秘話に時間が割かれてて尺そのものが短かったので気にならなかったけど、パワードスーツによる戦闘シーンの引き出しが異様に少ないと感じた。続編作る気マンマンの引きで終わったけど、誰か制作サイドに宇宙刑事シリーズとか送ってあげてください。あと、みんなミッキー・ロークにビビってない? 役としてじゃなく、共演者として。

アイアンマン


アイアンマン


ロバート・ダウニーJr.が見たくなったので視聴しました。シャーロック・ホームズで、メイドの性倫理についてジョークを飛ばしているところに「私の妻はメイドです」と返されたときの彼の表情と演技の間が忘れられなかったからです。文章では表現できねえなあ、と感じたのをいま思い出しました。nWoは皆の脳内にある映像プールを共有財産とし、より短い表現でのイメージ伝達を企図しておりますので、その敗北感はなおさらでしょう。映画の内容は例によってアメリカの贖罪がテーマですが、それを指摘したくないほど歯切れよく、スカッとしました。俳優の力ってすごいですね。でも、副社長は世界各地を瞬間移動しすぎだと思った。

新機能が追加されたよ!

 nWoにmixiチェックなる新機能が追加された。外部ページをmixi内で紹介しやすくするためのものらしい。
 更新をほのめかしながら一向に行わない、するする詐欺状態の当ホームページであるのに、過分な対応を欠かさぬ事務次官相当の裏方には全く頭が上がらない。感謝の気持ちがこうべを垂れさせているのはもちろんなのだが、twitterボタンと同様、ほとんど誰からも使用されぬまま棚晒しとなってゆく未来が、私にはほぼ確実な運命としてにすでに見えているということもある。事実、先日行った単発の更新についても、twitter方面を含めて反応はほぼ無かった。
 現在の心象風景を記述するなら、私は大邸宅で多くの執事やメイドにかしづかれる裸の乞食だ。朝の食事が饗される大広間の長テーブルへ次から次へと高価な贈り物が運び込まれ、執事は身に覚えのない祝電をいくつも読み上げる。胸元を強調したお仕着せの、若い肉感的なメイドが傍らにひざまずき、金のさじでキャビアを口元へ運んでくるが、ほとんど味はしない。なぜならその乞食は、勃起が収まらないことへの恥ずかしさでいっぱいだからだ。
 分不相応であることを知る惨めさと、あらかじめ失われることが決まっている幸福に対する萎縮を描写してみた。なに、陰茎は萎縮とは反対の状態じゃないですか、だって? ドヤ顔すんな!

零の軌跡


零の軌跡


おれ、最後にこのシリーズをプレイしたのって、ドラゴンスレイヤーって副題がついてた頃だから、熱心なファンとは言えないんだけど、すごい楽しんだなあ。プレイ時間の8割くらいはテキスト読んでる感じで、面白さの構成要素は大部分がゲームってより小説なんだけど、すごい楽しんだ。グラフィックはスーパーファミコンなんだよ、そのまま移植できんじゃねえかってくらいスーパーファミコン。でもさあ、場面場面の演出がドット絵独特の方法論でさあ、すごいグッとくるわけ。ドット絵の立ち姿が涙を流してるように見えるとかって、すごい日本人の心性に根ざしてるって感じがするなあ。エヴァ以降に能面キャラが流行ったけど、感情を見せないのに悲しかったり切なかったりするのは、日本庭園なんかがそうだけど、観測者の主観において無限の宇宙を形成できるっていう見立て文化の心性に依るところが大きいんじゃないかなあ。その意味で、欧米ではウケないってのはすごいわかる。受容器官がないんだもん、アイツら。話もどすけど、最近の本邦のゲームってさあ、その心性からどんどん離れていってるって感じるわけ。マシンの性能がすごい上がったおかげで、映画とかの映像技術が流入してきて、ドット絵の演出作法とかを根こそぎ駆逐してるの。いや、別に欧米の方はそれでいいんだよ。ゲームの機能は映画芸術が欠いていたインタラクティブ性の補完だって喝破されて、映画大なりの不等号が明確になって、そのうち完全に吸収されたってさ、別に構やしないの。でも、日本人にとってはさ、ゲームの、ドット絵の演出って、技術的障壁がもたらした単なる制限以上の意味合いがあったんじゃないかなあって思うわけ。CGの技術とか、まあもともとコンピューターが欧米発信だから、向こうに学ぶしかないってのはわかるけど、日本人の心性が省みられなくなるんじゃないかって、すごい気になる。技術だけ学べばっていってもさあ、あっちの技術だって表現への欲求が要請して出てきたものじゃん? 欧米の表現形式、さらに言えば心性に、使っていくうちに取り込まれちゃうんじゃないかなあ。市場規模がよく引き合いに出されるけど、いちユーザーにとっては全くもって知ったことじゃないし、世界の映画賞なんか見ててもやっぱ地域性みたいのが受賞の理由だったりするじゃん。ノーベル文学賞もそうだよね。欧米技術の取り込みがそういう部分とトレードオフになってんじゃねえのって、すごい疑問感じちゃうわけ。あと、映像表現の本質って、いかに現実の見え方をデフォルメするかってとこに尽きると思うけど、日本の場合、どれだけ情報を削ぎ落とせるか、どこまで削ぎ落として伝わるかって視点が入ってくると思うのね。おれ、エヴァ破がすごい好きなんだけど、この問いかけにちゃんと定観を持ってて、アニメって分野が本質的に解答を含んでたって側面もあると思うけど、ある程度までは答えを出してるってのが、好きな理由として大きいような気がする。おれ、ノンポリだけど文化的右翼だからさあ、こんなことばっか考えてんの。ダラダラ書いてきてさ、何が言いたいかってえと、零の軌跡、すごい楽しんだなあってことと、社名に日本がついていて海外展開しないうちは、おれ右翼なんで、この方向性を全力で応援するってことだよ、言わせんな恥ずかしい。

ハングオーバー


ハングオーバー


アメリカのコメディはちゃんと社会装置として機能してていいなあ。権威の可視化とそれの抑制が自分たちの役目だってわかってて、すごく意識的にやってんの。アメリカのコメディアンは政治家にならないもんなあ。それにひきかえ日本の芸人って、すごく世間の常識の枠組みを意識してるじゃん? なんでも米国に倣ってるくせに、コメディの作法だけは怖くて真似できないんだからさあ、腰抜けだよなあ。貴種や障害や不可触や大陸や半島、どれもこれも前人未到のネタ宝庫じゃん。例えば半島の言語に当てつけて、平仮名だけで論文書く大学教授とか登場させてさあ、言葉のせいで抽象思考ができないのを虚仮にしまくんの。でも、アジア人の英語を馬鹿にするネタだけはもうやめて下さい!! 泣いてる子もいるんですよ!

MMGF!!

 ――慣れし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり。(シューマン「流浪の民」)

 思えば、世界に倦んでいたのではなく、未知に倦んでいたのだろう。
 過去を語る老人は、未だ成さざる者にとって、白紙の課題と同義だった。
 達成される前には重荷で、達成されれば無と同じになる、人生という名の課題。
 はたして、この世界を美しいと思い、愛せる瞬間など本当に訪れるのだろうか。
 その人は、ぼくの諦念へやってきたのだ。
 端正な横顔は少年のようでもあり、少女のようでもある。
 黄金色のくせ毛は、陽光に輝く秋の麦畑のように豊かで、
 ほそく通った鼻筋は、冬に冠雪した尾根のように冷厳で、
 春の若芽のように柔らかな唇は、触れるものを溶かすほどに甘い。
 夏の陽射しを思わせて燃える瞳がうつす表情は、
 ときに賢者の白髪のように老獪で、
 赤子のうぶ毛のようにあどけなく、
 そして、あらゆる光を絶望させるほどに、その深淵には底が無い。
 憧憬を得た者だけが、我が苦しみを知る。
 ぼくの苦しみを、他のだれが理解しよう。
 未だ憧れの熱狂も醒めぬこの身で、かつて魂すら捧げた崇拝を砕かねばならぬ、我が苦しみを。耳朶に残る熱さは、あの人が触れたせいか、憧れが燃え残るせいか。
 鈴のような忍び笑い。虚ろな心に反響して、虜にする。

 では、こうしようか――
 時が経巡り、経巡った時が循環の果てにお前の掌へと還ったその日、
 もし世界が醜いままで、可愛いお前の憎悪にしか値しないとすれば、
 そのときは、乱暴な子どもへ与える玩具のように、この身をお前の恣にさせよう。
 時が経巡り、経巡った時が循環の果てにお前の掌へと還ったその日、
 もし世界が美しく優しさに満ち、お前の愛を捧げるに足るとすれば、
 そのときは、最良の主人を持つ奴隷の幸福の如く、お前の生命を私に捧げるのだ。

 では、手始めに――
 この世界すべての栄華と叡智を順に、お前の卓へ饗することにしよう。

 (巨大な空間を風が吹き抜けるような音。黒い画面へテロップ)MMGF!!

 (巨大な空間を風が吹き抜けるような音。黒い画面へテロップ)Coming (not) soon.