猫を起こさないように
日: <span>2010年1月3日</span>
日: 2010年1月3日

小鳥猊下年始のようす

 おとそ気分の諸氏が初詣へ浮かれ騒ぐ傍らでドカチンの俺様だが、黄色いメットと無精ヒゲとタンクトップとニッカボッカで逆さにしたツルハシの柄に体重を預けながら、あけましておめでとうございます。今年もきっと諸君は小指から人差し指のミリ単位での上下運動さえ愉快でためになるnWoの文章群へは与えないのだろうが、それでも律儀に、涙に潤む瞳を土に汚れた手ぬぐいにまぎらせ、鼻腔へ真下から掌底を当てる格好で鼻水をごまかしつつ、年始の挨拶をする可愛らしい少女の土木作業員の俺様なのだった。
 さて、昨年度末にうんこ忙しい合間を縫って二つばかり、パロディとパロディじゃない更新をした。無論、マンホールを開けて下水へ有り難い経を読んだり、粗大ゴミの引き出しに宝石を忍ばせたりする、努力が水泡と化すことで陰茎を屹立させるような幼少期のトラウマの持ち主ではないところの少女土木作業員なので、未だこのいじましい場末のテキストサイトへ澱のようにへばりつく諸君がいずれにより大きな反応を示すのか、今後の方向性をさぐるための試みであった。聡明な少女土木作業員である俺様は、その聡明すぎるスプレンディドな国勢調査に自意識の目眩を生ずるほどであった。
 もはや様式美とさえ言えるが、結果を公表するならば、双方ともにゼロであった。150アクセスper24時間のうち、おそらく99%は大手検索エンジンの自動巡回ロボットなのに違いあるまい。でなければ、全員の親族か恋人が愛は残酷に奪うa.k.a.俺様の手にかかっており、ゆえにかくも迂遠なやり方で復讐を果たそうとしているかだ。こちらの実感で言うならば、「ヘヘッ、テメエら、殺る気だけは充分じゃねえか」である。正直、mixiにするこの種のエントリーを閲覧する際に諸君へ湧き上がる感情は、人差し指を付け根まで鼻腔へ押し込んでの「また言ってるよ、コイツ」なのやもしれぬ。しかし、「更新したらそれで終わり」ではなく、毎回毎回、息を潜めていずれかの経路で感想がやってくるのを待つ当方の身にもなって欲しい。更新が無い期間は、諸君が感じるような放置期間ではなく、その裏で日々の雑務を縫ってnWoの閲覧を繰り返し、臆病な子猫ちゃんたちが踏み折った小枝の音で逃走してしまわぬよう、じっと身を隠しているのである。
 正月早々、猫の集会の中心で人語の演説をぶつような徒労感を味わわせてしまった少女土木作業員の俺様にだけ主に申し訳ないが、ブラウザの戻るボタンを断罪的にプッシュa.k.a.魂の劣化作業を日々繰り返すがゆえに短期記憶が3秒程度まで圧縮されてしまった諸君へ思い出させてやるならば、毎年恒例「慈愛のようす」が大閑散実施中である。明日いっぱいくらいまでこの社は開いている。気軽な年始の挨拶は元より、干支にちなんだ萌え画像を絵馬として奉納することも可能だ。もう二日ほども音信が途絶えているため、ついカッとなって長々と書いた。臆病な子猫ちゃんたちのために、再びトレンチコートを羽織って電信柱の背後へと戻ることにする。

バタフライ・エフェクト3


バタフライ・エフェクト3


「ジャンプによる過去の改変がどこまで状況と記憶を保持するのか?」が曖昧なため、筋立ては崩壊しており、そのシナリオ由来のダルさを解消しようとより過激な(エログロ方向の)映像を付け加えるという、ある意味では正統的とも言える続編ダメ映画転落の経路をたどっていることに、1作目のファンである小生は大いに脱力した。森よりも木が大切なパーツ偏愛狂である「ヤンデレ・妹萌え」の諸氏なら見る価値があるんじゃねえの、と小指の第二関節までを鼻腔へ挿入しながら小生は発言するのであった。あと、三回くらい体位を変えて延々と突きまくったあげくに恋人の写真を見て、「ごめん、できないよ」と発言し「あんたホモなの?」と返答する場面は本作の白眉だが、射精と着床までが正しいセックスですというキリスト教的性倫理を体現しているのではなく、脚本と撮影が乖離してしまっている現場の混乱を裏に読むのがツウの見方であろう。スリーだけどってやかましいわ。