猫を起こさないように
月: <span>2008年1月</span>
月: 2008年1月

小鳥猊下乱心のようす

 全裸に襦袢だけをひっかけた遊女が、抜き身を片手に猛然とコミュニティ方面へ走っていく。
 「ご乱心、ご乱心ーッ!」
 「(男の声で)儂をこうしたのは誰じゃ、儂をこうしたのは誰じゃ」

リライト版少女保護特区(5)

*はじめに
 今回の更新は「五十六万ヒット御礼小鳥猊下基調講演」での声明を元に書かれた、「少女保護特区(5)」のリライトバージョンです。ご要望やご不快に思われる点がございましたら、ただちに改変いたしますので、遠慮なくおっしゃってください。
 最後に、これまでみなさまの味わわれた心痛に対して、nWoスタッフ一同、心から謝罪いたします。本当に、申し訳ありませんでした。
「あ……」
 さくら色のくちびるから吐息のような声をもらして、少女が目をあける。
 ほおにはひとすじ、涙のあと。
 どうやら、かなしい夢をみていたようだ。
 ぼくは親指でやさしくほおをぬぐってやる。マシュマロのようなやわらかさが、おしかえしてきた。
 さりげなく、はだけた両脚にスカートをおろしてやりながら、そっとたずねる。
「夢を見ていたの?」
 ぼんやりとみひらかれた少女の瞳に、焦点がもどってくる。
「こわい夢をみていたの」
 安堵の表情が、ふたつの泉に満たされてゆく。
「ヨくんがいなくなってしまう夢……あたし、ヨくんがいなくなったら、きっと胸がさけて死んでしまうわ」
 ぼくはほほえみながら、少女のひたいをかるくこづく。
「そんなこと、口にするもんじゃないよ」
「だって、ほんとうにそう思ったんですもの」
 少女は心外だ、とばかりに口をとがらせる。
「言葉にしたことは、本当になってしまうからね」
 感じやすい瞳が、みるみるうちにうるんでゆく。
「あたし、もうぜったい言わないわ。だってほんとうにこわかったんですもの……」
 しゅんとして、肩をおとす少女。
 お灸がききすぎたかな、とぼくはすこし後悔する。
「だいじょうぶだよ、ムンドゥングゥ。ぼくはずっときみのそばにいるから」
「ほんと? ぜったいぜったい、ほんとうに?」
 ムンドゥングゥが目をかがやかせる。
「ああ、ほんとうだよ。ぜったいぜったい、ほんとうだ」
 この先、どうなってしまうかなんて、だれにもわからないけど――
 いまの言葉だけは、ほんとうだ。
「ねえ、ヨくん」
 安心したのか、ムンドゥングゥがあまえた声をだす。
「ひとつおねがいがあるの」
 うわめづかいにみつめてくる少女に、ぼくはうろたえてしまう。
「ぎゅーってして、いい?」
 だきつきたいとき、いつもこうやってきいてくるのだ。
 なによりぼくの心臓のために、いつもははぐらかすんだけど――
「いいよ」
 罪ほろぼしをしたいような気持ちになって、うなずく。
 ムンドゥングゥはおそるおそる、といったようすでぼくの背中に両手をまわした。
 最初は、天使のようにかるく。
 それから、息がくるしくなるほどきつく。
「ち、ちょっと、苦しいよ、ムンドゥングゥ」
「だって、まだ夢がさめてなかったらどうしようと思って」
 ムンドゥングゥが、ぼくのシャツにうずめた顔をあげる。
 あんまりつよく顔をおしつけすぎたのか、ほおにボタンのあとがついている。
 ぼくは思わず苦笑してしまう。
 そこぬけの無邪気さに、なんだかまた、からかいたいような気持ちになる。
「もしかしたら、まだ夢の中にいるのかもしれないよ?」
「あら、それはないわ」
 ムンドゥングゥはうけあってみせた。
「だって、ヨくんのにおいがするもの。夢の中ではにおいなんてしないでしょう?」
 とつぜんのふいうちに、顔が熱くなっていくのがわかる。
「ムンドゥングゥ、ヨくん、晩ごはんができたわよ。冷めないうちに食べにいらっしゃい」
 リビングから救いの声がかかる。
 ぼくは顔を見られないように、たちあがった。
 ムンドゥングゥは、すっと、手のひらをぼくにすべりこませてくる。
 きっと愛らしいその顔には、いたずらな笑みが浮かんでいるのにちがいない。
 ぼくの名前は予沈菜(ヨ・チャンジャ)。大陸うまれの日本人だ。
 ワケあって、ムンドゥングゥの家にいそうろうをさせてもらっている。
 グウーッ。
 1ぱい目のごはんを食べたのにもかかわらず、ぼくのおなかが音をたてる。
 くすくすと笑いだすムンドゥングゥ。
「育ちざかりですものね。好きなだけ食べていいのよ」
 ためらうぼくの茶碗へ2はい目をよそってくれた美人は、ムンドゥングゥのお母さん。
 ほとんどムンドゥングゥとかわらない年にみえる……と言ったらいいすぎだけど、すごくわかくみえるのはほんとうだ。
「そのとおり! 私がきみくらいのときは、どんぶりでかるく4はいは食べたものさ」
 がっはっはっ、と豪快に笑いながらわりこんできたのが、ムンドゥングゥのお父さん。
 あさ黒い健康そうな肌は、テニスのインストラクターをしているからだ。現役時代は、ずいぶんとならしたらしい。
 ふたりともいそうろうのぼくに、ほんとうによくしてくれる。食卓ではなんとなくだまってしまうけど、それは気まずいってわけじゃない。幸せな家族の時間を、ぼくなんかが邪魔しちゃわるいような気になるからだ。
「む、どうした。すこしもごはんがへっていないじゃないか」
 娘の茶碗をみとがめて、お父さんが心配そうに顔をちかづける。濃い眉毛のかたちがムンドゥングゥとそっくりで、ふきだしてしまう。
「うん、なんだか胸がいっぱいで、のどをとおらなくって」
「むかしから、この子は食がほそかったから」
 手のひらをほおにあてるしぐさがかわいらしいお母さん。
「生まれたときもふつうよりちいさくって、小学校にあがるまでバナナをはんぶんしか食べられなかったのよ」
 ぼくを見ながら、苦笑する。
 たちまち、ムンドゥングゥがまっかになった。
「もう、お母さん! ヨくんの前でそんなこと言わないでよ!」
 お父さんとお母さんが、ほう、と声をあげた。そしてふたりで顔をみあわせて、意味深な目くばせをする。
「あー、母さん。ヨくんの茶碗がもうあいているじゃないか。山もりにしてあげなさい、山もりに」
「はいはい」
 お母さんがふくみ笑いを隠しながら、炊飯器をあける。
「あら、やだ」
 両手をほおにあてるしぐさが、妙にかわいらしい。
「白いごはんがもうないわ」
「なんだ、もっと炊いておかなかったのかい?」
「ほら、うちはムンドゥングゥひとりでしょう? 十代の男の子がどのくらい食べるのか見当がつかなくって」
「そいつは困ったな」
 心の底から困ったという表情で、腕組みをするお父さん。筋肉がもりあがっている。テニスのインストラクターというよりは、重量上げの選手みたいだ。
「いいわ、ヨくん、あたしのをあげる。だってきょうはもう食べられそうにないから」
 茶碗をさしだすムンドゥングゥ。
「あげるって……半分も食べてないじゃないか。もうすこし食べなよ。のこったときに、もらってあげるからさ」
 ぼくの言葉に、ふるふると首をふる。
「ううん、もうきょうはごはんがはいる場所がないの」
 手のひらで胸をおさえながら、ほほえんだ。
「だって、しあわせで胸がいっぱいなんですもの」
 なんのくもりもない、とびきりの笑顔。
 ぼくはまたしてもふいをつかれ、ごはんをうけとってしまう。
「なんだ、しあわせで食べられないなら、この家じゃ、飢え死にするしかないぞ」
 がっはっはっ、とお父さんが笑う。
「じゃあ、ムンドゥングゥがすこしでも食べてくれるように、おこづかいをへらしましょうか」
 おっとりと、お母さんが加勢する。
「もうっ、またふたりでからかってるでしょ!」
 にぎやかな家族のやりとりを聞きながら、ぼくはなんだかみちたりた気分でごはんを口にはこぶ。
 あ。
 これもやっぱり、間接キスになるのかな?
「ちょっと仕事をもちかえってるんだ。顧客のリストを明日までにしあげなくちゃならない。おそくなると思うから、母さんも先に寝てていいぞ」
 早々に食事をきりあげると、エクセルは苦手なんだよと頭をかきながら、お父さんは二階のじぶんの部屋へひきあげてしまった。
 テーブルにはムンドゥングゥの焼いたパウンドケーキが、半円だけのこっている。
 ずず、と日本茶をすする。濃いめに煎れるのが、この家の流儀みたいだ。
 どうやら、すこし食べすぎてしまったらしい。ときどきこみあげるおくびに、食べものがまじってる気がする。
 からだはすっかり重いが、気分は上々だ。ソファに身をあずけながら、やくたいもないテレビ番組をながめるのも、これはこれでわるくない。
 とくに、かわいい女の子といっしょならね。
 ムンドゥングゥがぼくのおなかを枕がわりにして、横になっている。クジラがぐるぐるまわる音がするよ、とつぶやきながら、目はとろんとしている。
 ときどき、かくっと首がおちて、いまにもねむりそうだ。ねむったムンドゥングゥをベッドにつれていくのが、最近ではぼくの日課のようになっている。
 いとしさにたまらなくなって、そっと、ちいさな頭に手をおこうとしたそのとき――
 ドーン。
 天井から大きな音がした。
 おどろいたムンドゥングゥが、猫のようにはねおきる。
 ドーン。またひとつ。
 そして、しずかになった。
 顔をみあわせるぼくとムンドゥングゥ。
 耳をすませると、ぎしぎしという音とともに、天井から細かなほこりが落ちてくるのがわかる。
「お父さんの部屋だわ」
 言うがはやいか、ムンドゥングゥはかけだしていた。
 お父さんのことが心配なんだろう。なんて親孝行な娘なんだ。
 思わず感動して、うんうんとうなずいてしまう。
 が。
 ぼくは事態を思いだすとはっとして、あわててあとを追った。
「お父さん、あたしよ、ここを開けて!」
 ちいさなこぶしをふりあげて、ムンドゥングゥが扉をたたく。
 涙をいっぱいにためて、階段をあがってきたぼくにすがりついてくる。
「たいへん、お父さん、くるしそう。どうしよう」
 扉に耳をあてると、たしかに苦しそうなうめき声がする。
 ドアノブをまわそうとするが、内側からロックされているらしい。
「すこしはなれていて」
 ドカッ。
 ムンドゥングゥをさがらせると、扉にキックする。
 足はじーんとしびれるが、びくともしない。
 さらに大きく助走をつけ、2発目のキックをおみまいする。
 ドカッ。
「は……づッ……」
 全身の骨が軋み、砕ける音。
 灼けるような塊が喉めがけて駆け上がる。
 やはり、僕では無理なのか。失望より先に浮かぶのは、自嘲。
 はは、最後の最後まで、ダメなヤツだ。いつだってオマエは途中で諦めちまう。
 そして、途切れゆく意識の中で浮かぶのは――
 儚げな、ムンドゥングゥの横顔。
 右手を壁面に喰い込ませ、爪の剥げる痛みに我を踏み止まらせる。
 ゴクリ。僕は味蕾を浸す熱した海水を飲み下した。
 まだだ、まだだ。
 いま、ここで倒れたら――
 誰がムンドゥングゥを助けられるっていうんだ!
 オマエはこんなものか! 弱い自分を叱咤する。
 俺は知ってるぜ、オマエはこんな程度じゃないはずだろ?
 力を出せ!
 力を出せッ!!
 枯れた井戸の底が割れ、奔流の如くエネルギーが吹き上がるイメージ。
 精度を上げる視界。およそ、人の視力では有り得ない程の――
 扉の木目に沿って、黄金の光線が走る。
 僕はすでに、“それ”が粉々に爆ぜる未来を“知って”いた。
 一度は砕けたはずの右足に、再びパワーが漲ってゆくのがわかる。
 確信という名のボルテージは、いまや最高潮だ。
 そして、3発目のキック。
 ズボアァッ。
 それは名称を同じうするだけの、全く別次元の技と化していた。
 バリバリバリ。
 音の壁を遥か置き去りにする速度。
 金剛石を粉砕せしめる莫大な威力。
 がつッ。
 なんと、扉は健在。
 だが、技の威力も減衰していない。
「当てがはずれたな! 悪いが、俺のキックの半減期は二万四千年だぜ!」
 僕は頭の中だけで考え、実際言ったことにした。
 その方が気分が盛り上がって、遥かにパワーが増す気がするからだ。
 最初の衝撃波は堪らず水平方向へ逃げ、中規模な地震の如く家屋を揺籃せしめる。
 やがて扉の硬度と技の威力が同等のエネルギー波として干渉し合い、傍目には完全な均衡を生じる。
 だが、分子レベルの振動は静電気を生じさせ、それはやがて複数のボール・ライトニングと化して扉と僕を取り囲んだ。
 正に、天然の要害。ここからは鼠一匹、逃げられない。
「小癪な童め!」
 僕は自分で言って、扉が言ったことにした。
 その方が気分が盛り上がって、遥かにパワーが増す気がするからだ。
 僕はニヤリと嗤う。
「さて――もう暫くだけお付き合い願いますよ」
 こうなりゃ、もう技は関係ない。相手さえ関係ない。
 肉体と魂の全てを盆に乗せて、神サマに裁定してもらうだけだ。
 俺と扉――
 どっちが上?!
「うおおおおーッ!」
 メリメリメリ、ズドーン!
 予想に反して、ちょうつがいだけがふきとんだ。
 廊下に女の子座りで雑誌を読んでいたムンドゥングゥが、顔をあげる。
「お父さん、しっかりして!」
 倒れた扉をふみつけに、部屋へとびこんでゆく。あとを追うぼく。
「きゃあ!」
 そこには、しんじられない光景――
 お尻をまるだしにしたお父さんが、ベッドで茶髪の女の子にのしかかっていたのだ。
 ちいさくふるえるムンドゥングゥを、まもるようにだきかかえる。
 ぼくはふたりをキッとにらみつけた。
 お父さんはおどろいた顔で、こまかく腰をうごかしている。
 女の子はといえば、まだらに茶色くなった髪の毛に、よれよれの制服。まるで野良犬みたいだ。
 お父さんのうごきにあわせて茶色い髪をばさばさとゆらしながら、めるめるとメールをしている。
「あなた、いったいこれはどういうことなの!」
 げ、まずい。
 うしろには、まっさおになったお母さんがママレモンの泡もおとさずに立っていた。
 わなわなとふるえ、手にもったお皿がまっぷたつに割れる。
「ちかごろ、すっかりごぶさたと思ったら、こういうことだったのね! わたしをだましていたのね!」
「ち、ちがう、それは誤解だ」
 さすがに、腰のうごきをとめるお父さん。
「誤解も六階もないわ。もう、りこんよ! りこんよ……」
 エプロンに顔をうずめながら、お母さんは背をむける。
「待つんだ、グィネヴィア」
 声のトーンが変わっている。
 お母さんの肩がびくり、とふるえた。
「まだ、わたしをそう呼んでくれるのね、アーサー」
 前をまるだしにしたまま、お父さんがベッドを降りる。
「どうかわかってほしい。わたしにとって、おまえは神聖すぎる誓いなんだ。あまりにも清らかで、わたしぐらいでは汚すことのかなわない。わたしの汚れを、おまえに注ぐなんて、おお、考えるだに恐ろしいことだ」
 涙を流しながら、お母さんがひざまずく。
「ああ、ああ、あなた! 浅はかなわたしをゆるしてください! あなたの苦悩を知らず、毎晩を売女に注がせていたわたしの愚かさをゆるしてくださいますでしょうか? そして、お願いします、どうかわたしを抱いてください! わたしはあなたに高められこそすれ、汚されるだなんて思ったこともありませんわ!」
 ふたりは熱烈に抱きしめあうと、みているぼくたちのほうが赤面するような口づけをかわした。
 お父さん――いや、アーサーはグィネヴィアをかかえあげると、優しくベッドへ横たえた。
 そう、まるでナイトがプリンセスにするように。
「ねえ、ふたりだけにしてあげましょう……」
 ムンドゥングゥが微笑んだ。
 なぜか、とてもさみしそうな微笑みだった。
「ほら、あなたもいっしょにいくのよ!」
 そう言って、茶髪の女の子の手をひっぱる。
「ねー、あちし、まだおカネもらってないんだけど」
 伝説の王と王妃は、千余年の流浪を経て、いまお互いの正統な持ち主の元へと還ったのだ。
 剣が必ず、収まる鞘を持つように。
 ぼりぼりと茶色い髪をかきまわしながら、女の子がごちる。
「ねー、あちし、まだおカネもらってないんだけど」
 聞こえないふりをした。
 夜の戸外は、夏だというのに冷気をふくんでいて、ほてった身体に心地いい。
 かすかに聞こえるのは、アーサーとグィネヴィアのむつみ声だろうか。
「そんなに走るとあぶないよ」
 はしゃぐムンドゥングゥに声をかける。
「だって、夜のおさんぽなんて、ほんとうにひさしぶりなんですもの!」
 スカートに風をはらませて、くるくると回転する。
「わたし夜ってだいすきだなあ。だって、もうあしたがはじまってるみたいで、なんだかワクワクするの。ヨくんは、そんなふうに考えたことない?」
 ぼくはちょっと考えて、
「ないなあ。明日がこなければいいっておもうことは、むかしよくあったけど」
「ふーん、フコウだったんだ」
「どうかな。いや、幸せだったことがなかったから、不幸だってわからなかっただけ」
「あたしもフコウってよくわからなかったけど、いまはちょっとわかるかな」
 後ろに手をくんだムンドゥングゥが、小石をけりあげるしぐさをする。
 そして、とてもちいさな声で、
「ヨ君がいなくなったら、あたしはフコウになると思う」
 聞こえた。
「え、なんて言ったの?」
 でも、ぼくはいじわるに聞き返してみる。
 みるみるまっかになるムンドゥングゥ。
 不自然に視線をうろうろさせてから、
「あ、公園だわ!」
 言うがはやいか、駆け出してゆく。ぼくはあわてて追いかける。
「ねー、あちし、まだおカネもらってないんだけど」
 聞こえないふりをした。
 公園の入り口で、ぼくは思わずたちどまる。
 遠くからみるムンドゥングゥが、すごくきれいだったから。
 茶髪の女の子がぼくの背中にぶつかってくる。ひじをつかって、邪険にふりはらう。
 ムンドゥングゥは、ブランコのくさりに手をかけて、表情をゆるませる。
「ブランコって、ひさしぶり。ちょうど向こうに小学校があって、子どものころは帰りによく乗ったんだけど」
 手についた赤さびに鼻をちかづける。
「そう、このにおい。鉄のにおい。なつかしい……ねえ、ちょっとすわっていかない?」
 ふたりの女の子にはさまれて、ぼくは真ん中のブランコに腰かける。すこしきつい。
 でも、ムンドゥングゥにはちょうどいいみたいだ。
「あたしってば、あんまり成長してないのね」
 深夜の公園で、ブランコに腰かける3人。はた目には、いったいどんな関係にみえるのだろう。
 遠くの外灯にはセミやかぶと虫がかんちがいをして、ぶんぶんととびまわっていた。
 しばしの沈黙のあと、ムンドゥングゥが話しはじめる。
「あたし、ひとりっ子じゃない? お父さんとお母さんはとってもだいじにしてくれたけど、ずっとふたりのあいだには入れないような気がしてたなあ」
 ぼくはなにも言わずに、さびしげな横顔をみまもる。
「学校の友だちでも、3人いるといつのまにか、なんかひとりあまっちゃうでしょ。あんな感じ。お父さんとお母さんが結婚して、あたしが生まれたんだから、あたりまえなんだけど、なんだかあたしだけ遅れてきたみたいに思ってた。――おたふく風邪で4月に1週間くらい休んだことがあって、クラスにもどったらみんな仲良くなっちゃってて。ぽつんとひとり座ってたら、お弁当のときとか呼んでくれるんだけど、みんなが楽しそうにしてるのを見てると、もう遅れたぶんはぜったいとりもどせないんだなあ、って――わかんないよね」
 下を向いて、はにかんだように微笑む。
 こんなに長く、ムンドゥングゥが自分のことを話すのをはじめてきいた気がする。
「わかるよ」
「ほんと?」
 ぱっと顔を上げると、まるで花がさいたようだ。
「それとも、同情してる?」
「ぼくは4月に、水ぼうそうで休んだ」
 鈴のようにころころと笑いだすムンドゥングゥ。よかった。
 となりでは茶髪の女の子がくわえタバコで、カチカチとメールしている。
 視線に気づいたのか、顔をあげると、
「ねー、あちし、まだおカネ……ぐほッ」
 みぞおちに肘を突きこみ、吸いさしのタバコをとりあげる。これは間接キスじゃないな。
 肺いっぱいに煙を吸いこむ。にがい。
「いけないんだ、不良みたいなことして」
 あんまりきれいな告白に、ぼくは自分を汚したいような気持ちになったのだ。
 アーサーの言葉が、よくわかる。
「わたしねえ」
 ちいさくブランコをこぎながら、ムンドゥングゥがいう。
「ヨくんがいっしょにいてくれるとね、がんばろうって思えるの。もちろん、身長とか、胸がちいさいこととか、がんばってもダメなことはあるけど、がんばったら変えられるところは、がんばろうって」
 ほっそりとした足がまげのばしされるたび、ブランコは大きくゆれうごく。
「だれかのことを考えたとき、ひとりのときよりも力がでるって、すごいことだよね」
 ぼくをほんろうするように、声が前と後ろからきこえる。
 それはぼくも同じだよ。
 思ったけれど、声にはださなかった。なんだかこわいような気がしたから。
「あーっ!」
 突然すっとんきょうな声をあげて、ブランコをとびおりるムンドゥングゥ。
 声の大きさよりも、ころばずにひらりと着地したことへおどろくぼく。
「わたし、すっごいことに気がついちゃった!」
 一筋の月光が、ムンドゥングゥの額から顔に流れる。
 紅潮したほおは、夜の底でかがやく星のようだ。
 ぼくはなんだか泣きたいような気持ちになって、やさしくたずねる。
「なにに、気がついたの?」
「あのね、お父さんとお母さんも、はじめは他人どうしだったんだよ!」
 言いたいことがわからない。
 ムンドゥングゥはおかまいなしで、興奮のきわみ、といったかんじで手をふりまわして力説する。
「だからね、家族って、他人どうしが作るものなんだよ。だからね、わたしたちが家族になっても、ぜんぜんふしぎじゃないんだよ! これって、すごい発見よね! カクメイテキだよね!」
 ずきり。
 痛ましいような想いが胸にささる。ムンドゥングゥは何もわかっていないのだ。
 革命っていうのは、これまでにあるぜんぶを捨てること。たとえば、ぼくが大陸に捨ててきたぜんぶを、 ムンドゥングゥは知らない。
 いずれこの世界の悪にであったとき、ムンドゥングゥの純粋さは手ひどく傷つけられてしまうのではないだろうか。あまりにも信じすぎるこの純粋さは、いつかムンドゥングゥを殺してはしまわないだろうか。
 ――だから、おまえがいるんだろ?
 ぼくはおどろいて、あたりをみまわす。
 ――そのために、いたみ、くるしみ、よごれてきたんだ。
 それは、天からふってきたような言葉だった。
 なのに、ぼくの胸の真ん中へ、すとんと落ちた。
「こらっ! こんなおそくに子どもがなにやってんだい!」
 ぼくたちは、いっせいにふりかえる。
 公園の入り口で、むらさき色のパーマをかけたおばさんがぼくたちをにらみつけていた。
 ピンクのネグリジェを着て、手にはなんと金属バットがにぎられている。
「たいへん!」
 ムンドゥングゥが大きく目をみひらいて、両手を口にあてる。
「逃げましょう!」
 言うがはやいか、駆けだしている。ぼくはあわてて追いかける。
 ぼくの人生の先を素足でかけていく少女。
 どちらがどちらをみちびいているのか。
 もしもころんだら、そのときは優しく抱きしめてあげよう。
 ぼくは少女のナイト。
 このいのちは、すでにプリンセスへささげられている――
「このへんで民生委員やってるマスオカってんだけどね。アンタ、変わってるね。逃げないのかい?」
「ねー、あちし、まだおカネもらってないんだけど」

ブリッジ


ブリッジ


合法的殺人者たちへのインタビュー……おっと、こんな調子じゃまた嫌われてしまうでござるよ! 拙者、人気が一番の家業でござった!

パラダイス・ナウ


パラダイス・ナウ


オランダ/パレスチナの作品なのに、妙にメジャーっぽい雰囲気。これに共感するには、所属していないか、若いことが条件になるだろう。あと、窪塚洋介が吹き替えをしている。最終的に××しない役を選んでいるのは、彼の変節なのか、自己批判なのか。

アモーレス・ペロス


アモーレス・ペロス


イニャリトゥを見るなら、バベルよりこっち。「三つの物語が一箇所で交錯して事件になる」という基本パターンは、次作の21gにも踏襲されている。バベルは三つの物語の規模が国家単位になったことが、収束できなかった主な理由であろう。日常の舞台へ帰ってきてほしい。

五十六万ヒット御礼小鳥猊下基調講演

 「もう、もう、もーッ!!」
 画面の奥から襞の入った洋装の少女が、頬を紅潮させて猛然とかけてくる。
 そのまま諸兄の眺めるカメラへ額から激突し、もんどりうって倒れる。頭部をハンマーで強打された瀕死の猫のように、尻を高く突き出し、顔面を地面にすりつけて、ぐるぐると回転する。
 やがて立ち上がると、青ざめた顔でカメラへ向き直る。
 「(怒りに肩を震わせて)ゆ、ゆるさん……! いまのは痛かった……痛かったぞーッ!」
 少女、頭突きを試みて再び猛然と駆け出す。
 しかし、諸兄の眺めるカメラへ額から激突し、もんどりうって倒れる。頭部をハンマーで強打された瀕死の猫のように、尻を高く突き出し、顔面を地面にすりつけて、ぐるぐると回転する。
 死んだような静寂の後、少女、自らのまきあげた埃の中から姿をみせる。
 「(額を両手で押さえながら、涙声で)本当に、救いようのないおばかさんたちですね……教えてあげましょう、私のアクセス数は56万です。(突然のすごいかんしゃくで足を踏み鳴らして)もうッ! なのになんで誰もあたしをほめてくれないのよ! (ひと言ごとにますます激しく床を踏み鳴らしながら)大きらい――大きらい――大きらいだわ! (どしん、どしんと地団駄を踏みながら)よくもあたしのことを構成力に欠けて、読みにくい文章だなんて、言ったわね! よくも萌え不自由で、アクセス数貧乏だなんて、言ったわね! あんたたちみたいにおたくで、幼女趣味で、精子なしの人を見たことがないわ! これであんたたちが気を悪くして、アクセス数がもっと減ったって、あたしヘイチャラだわ! はかったみたいに更新の翌日から、それまで毎日1件はあったweb拍手をぴったりととめて、あんたたちはあたしの気持ちをもっとひどく害したんだもの! あたしの腹心の友といったら、もうだんぜん、スパムメールだけだわ! だからけっしてあんたたちなんか許してやらないから! 許すもんか! (袖のフリルでごしごしと目元をふいて)でも、あたしはかしこいネット孤児だから、どうやればみんなの期待を裏切らないかってことも、わかってるつもり……(両手を組み合わせ、薄幸そうな笑顔で)愛されるようにふるまわなくちゃ、だれも、ワンクリックでやっかいばらいできるネット孤児を愛してくれるわけなんてないもの……けど、覚えておいて。ウィンドウが閉じられるたび、ブラウザーの戻るボタンが押されるたび、あたしはひとり、死ぬんだってこと……うふふ、やれこわやれこわ! せいぜいネット弁慶と呼ばれないように、これからはあたしもかんしゃくを直さなくちゃ! だから、あたし、きょうは冷静におはなしできるようにって、お手紙かいてきたのよ……お兄ちゃんたち、聞いてくれる?(胸元から便箋をとりだすも、取り出す際に衣類の内側を計算された角度でカメラに誇示する)
  『本当に、今回の無反応は身に染みました。最上のクオリティをお届けしたい一心で、他意はございませんでした。みなさまの求めるものと私が良いと感じるものは、もはや致命的にズレてしまっていることを痛感します。よって、自戒をこめた次回の(少女、突然手紙から顔をあげて爆笑する)更新からは次の七ヶ条をまもり、読みやすく、みなさまに愛されるnWoへと回帰いたす所存です。
 わたくしこと、小鳥猊下は、
 1.一文を短くします。動詞は修飾関係を含め、二語にとどめます。読点は一つまでにします。また、同文中に複数の主語を持ちません。
 2.改行を増やします。できるだけ、句点ごとに改行します。
 3.難解な漢語を用いません。ひらがなにひらくか、あるいは中学生レベルの語彙で理解できる平易な英語のカタカナ表記で言い換えます。
 4.会話を増やして、地の文を減らします。また、マンガ的な擬音を挿入することで場面に臨場感を加えます。
 5.新奇さを追求しません。ヒットする歌謡曲の条件である「どこかで聴いたような」を至上の目標とします。人名や地名の策定には、神話辞典などを用います。
 6.万物に対して肯定的に考える姿勢を貫き、読み手を不安にさせません。否定的な意見や場面を挿入した場合も、後に肯定的なものへ必ず転換しますので、安心して最後までお読み下さい。
 7.養育者へ常に感謝の意を表明し、攻撃することは二度といたしません。
 以上、みなさまにおかれましては流感などに気をつけつつ、お時間に余裕のあるときだけ、鼻毛や臍の下を抜いても抜いても無沙汰がまぎれないようなときにだけ、当サイトを流し読みくださればと思います。かしこ。二伸。まったく、萌え画像ってやつはハードディスクにとって邪魔にならない存在ですね』
  (襞の入った洋装の少女、便箋を胸にかきいだく)かわいそう! あたし、かわいそう……ッ! お、お父さんとお母さんを大切にッ! ファーザーアンドマザーをインポータントにぃぃぃィッ! あーんあん、あん」
 少女、どしーん、という擬音を口にしながら床へ倒れこむと、大泣きに泣き出す。
 しばらくして顔を上げ、ちらりとこちらを見る。まだカメラが回っていることを知ると、床に顔を伏せ、前にも増した大きな声で泣きわめく。
 「(嬌声ともとれる抑揚で)あーんあん、あん。あーんあん、あん」

少女保護特区(5)

 抱えた両膝に顔を伏せて永く微睡むようだった予の少女が、不意に顔を上げる。ただちに視界の上部から赤いRECの文字は消滅し、ノイズの多く混じった薄青い少女の像は部屋の隅にある現実として予の認識にとらえなおされた。予の少女はゆっくりと、予の立つ部屋の戸口へと顔を向ける。しかしそれはどうやら予が恐れたような、予の盗撮に対する消極的な疑義の申し立てではなかった。背を伸ばし、予を通り越した遠くの虚空へ視線を投げる様子は、猫科の動物を思わせる。隣室より予の少女のご母堂が夕餉の支度を告げ、その張り詰めた空気は早々に破られた。予の少女は小さく眉を寄せ、起きぬけに忘れてしまった夢を虚しくさぐるような、遠ざかるある感覚を惜しむような素振りを見せる。かすかに首を振ると、胸元に抱えた刀を畳に突いて立ち上がり、まるで予がそこにいないかのように眼前を通り過ぎる。大気の流動に残された香りを求めて、予は鼻腔を膨らませる。少女の余韻はまるで魂を緩ませるかのごとくであるが、先ほどより大きいご母堂の声が予の没入を阻害した。予を一秒の何分の一か麻痺させた陶酔を振り払うと、再びビデオカメラを目線に構えて、予は食卓へと進発する。
 隣に座る予の少女を強く意識しながら、予は二杯目を突き出すときの角度と速度を綿密に計算する。そのシミュレーションを予の身体は完璧にトレースしたが、やんぬるかな、おかわりを言う声はくぐもった。しかしそのわずかの失態もあまりの完全さゆえ、ときに冷たさすら感じさせてしまうだろう予の神性に、暖かい人間性を滲ませるという肯定的な材料となったことは疑いがない。それにしても、悪い米を使うものだ。予は口中の澱粉を、苦い薬を飲むように嚥下しながら考える。加えて古い借家のフローリングは床暖房すら伴わず、顔の火照りと裏腹に底冷えがし、予は食卓の下で両足を揉みあわせる。予は無償で雨露をしのぐ場所を与えられながら、心の底でその良否について批評を抱くことができるほどの無頼である。
 今朝方に近隣で発生した少女殺人からの保護を求めた予の要請は、無数のたらい回しの末、予の執念に屈する形で当局に認められた。少女殺人の発生した地区の住人は、事後二週間、その近隣に住居を持たない人物を保護する義務があることは、特区法にも明記されている。法制化されているが誰も利用したことがないという旨の言葉を数十回ほど聞き流し、姑の執拗さで突き返される十数枚の公文書を書き直した結果の居候であるから、予の少女が生活する様を間近で活写できるという僥倖以外の不便は、甘んじて受けるべきであろう。
 二杯目を受け取るとき、ご母堂と予の指がわずかに触れた。ご母堂は鼻の頭に皺を寄せると、台拭きで人差し指を執拗にぬぐう。予は予の少女と離れがたく結びついてしまっているというのに、罪なことである。同じ遺伝子が、むなしい懸想を錯覚させるのやも知れぬ。ご母堂の隣におられるご尊父は、新聞を防壁のように食卓へ張りめぐらせ、ときどき共有の惣菜へ箸を伸ばすとき以外は、誰とも視線を交じえようとしない。悪い米から立ち上る濡れた雑巾のような臭いの湯気越しに、予はご尊父とご母堂を観察する。ここにいるのは、罰する者と罰される者の夫婦である。二人は幼少期の自分とそれぞれの親とに同化し、人知れぬ片田舎のこの地でかつての悲劇の再演を行っている。負の意味で、お互いはお互いを必要としており、文字通り運命的に結びついてしまっている。そして傷がゆえの結合を不可欠な愛情と錯覚し、手に手を取って破滅へと螺旋状に墜落しているのである。予の少女は、子どもにとって最も近しい者たちが破滅を望み、そしてそれを止める手段を与えられていないことに、腕を揉みしぼり続けてきたのだろう。予の少女が合法的殺人という圧倒的な力を求めたことは、この家庭において日々味わい続けてきた遠回しの無力に対抗する側面があったことは否めない。しかし、両親のする破滅のダンスは精神的なものであり、かつ本人たちがそれを意識化できないがゆえに普段は隠蔽されている。つまり予の少女が求めた力は、その当初の理由から離れた場所でしか発揮を許されず、ゆえに無力感は解消を得ない。本来の対象から転移した感情は強められ、過激化する。解消を求めて噴出する感情が、対象を誤るがゆえに解消せず、空を拳で打つような苛立ちが怒りを増幅するのである。予の少女がこの短期間のうちに、青少年育成特区においてその暴力の度合いという意味で極めて重大な要因になりつつあるのは、まさにこの家庭的背景が関係していると予は考える。そして同時に、その暴力が依拠する部分の病的な脆さに危惧を覚えるのである。
 無論、予の少女が抱く病――それは予の実在にも同じ和音でもって通底するものである――を保護しようとすることは、予の少女がその病質ゆえに、主体的にではなく不可避の受動性でもって予に依存する可能性を残すことでもあり、予の少女を偏愛する我が自意識の陥穽と指摘されることは理解する。しかし、忘れてはならないのは、予の少女はすでに少女殺人者なのである。予の少女が精神的な弱さを克服するということは、肉体的な強さを喪失するということと同義だ。予の少女がいまの暴力を失えば、たちまちその生命を失うことになる。ここに至り、予は諸兄の陥穽論をひらりと飛び越えた三段論法で、正当性の向こう岸へ典雅に着地する華麗さを見せるのである。
 金切り声で我に返ると、予は実際に予の席から食卓とご母堂を跳び越して、フローリングの床へ着地するところであった。予の少女の視線を意識しつつ背筋を張って席へ戻ると、予は鷹揚に食事を再開する。いまここに思考の肉体性が証明されたことを宣言したとして、ご母堂の機嫌は直るまい。こんなとき、わずか一週間ほどの滞在であるにもかかわらず、ご尊父と予はほとんど双生児のような有様で食卓を挟み、ご母堂に訪れた一時の激情が去るまでの間、視線を新聞と虚空に彷徨わせるのである。ただ、予の少女の口元が少しゆるんだように見えたことは、この椿事における唯一の収穫であったと言えよう。もちろん、すべての娘は父の残像を求めるという予の魅力を否定する諸兄の言辞には積極的に耳をふさぐとしてだが。それにしても、全く気に障る金切り声である。現代の貴種流離譚、高貴すぎる精神性ゆえに誰かと思想や日々の言葉を同じくすることのできない予が、あえてこの侮辱的な居候関係を受け入れるのも、すべては喪失をあらかじめ約束された予の少女の強さが、崩壊へ向かうことをわずかでも先送りにせんがためである。
 全員の食事が終わらぬうち、ご尊父は早々と二階の自室に引き上げてしまう。新聞をたたむ際、わずかに交差した予の視線とご尊父の一瞥が互いへの共感に満ちたものであったことを予は確信する。しかし、食卓に下りた沈黙は懸想への確信を充分に裏付けるほど濃密なものであり、ご尊父に対する無作為の裏切りに、予はほとんど胸の潰れる思いをする。先ほどのご母堂の激情も、懸想を悟られたくないがゆえに表面上を本心と正反対の感情で過剰に装飾するというあの、永久凍土をカタカナ読みした名づけの精神病質によるものに違いない。乙女と確実に乙女ではない二人が予に行うだろう告白の重圧を軽減するため、予はまずこの沈黙を予のユーモアでもって破らねばならぬと感じる。それが、男子に生まれた義務のひとつだからだ。しかし、確かに発したと思った言葉は予の喉の入口に留まり、外的にはくぐもった呻きが大気を揺らしたのみであった。予を羞恥で悶絶させるはずのその呻きは、しかし大きめの家鳴りに掻き消される。予は再び予の内側へと退却し、今回の戦術を戦略的視座から再検証するべく引きこもった。状況は楽観的どころではなく、手始めに予は斥候として、考えられる最善のタイミングで空の茶碗を突き出す。予への恋慕を押し隠すためのご母堂の、露骨な舌打ちが追い討ちをかける。斥候が無事に帰還を果たすか、全く予断を許さなかった。
 だが、予の苦境は思わぬ形で解消をみるのである。天井がわずかにきしみ、湯気を立てる予の三杯目に埃をちらす。それに先んじた重い音を予は聞き逃さなかった。予の少女は食卓にたてかけてあった刀をつかむや否や、真後ろへ蜻蛉を切る。かすかにのぞいた陣幕の内側が、確かに予の視界にあったのかを巻き戻すビデオカメラはなく、予の左手には三杯目が、予の右手には里芋を突き刺した箸が握られていた。予は両手を眼前に並べると、激しく叱責する。「諸君は予の精鋭として、長い苦しみに耐えてきた。それが今度の体たらくは何か。輜重に眼を奪われるあまり、最良の勝利の瞬間からは眼をそらしたのだ。君たちの心の中で、廉恥と劣情が勝つか、空腹が勝つか、それをできるだけ早く知りたいと思う」。予がまくしたてると、驚くべき変化が起こった。左手はたちまちビデオカメラをつかみ、右手は里芋ごと箸を放棄したのである。我が意を得た予は莞爾と微笑み、予の少女を激写せんと雄々しく進発を宣言する。一方で中座を申し出る声はくぐもったが、ご母堂は予の緊迫した様子に圧倒され、眉間と鼻の頭にある皺をますます深く寄せるにとどまった。
 最強行軍で駆けに駆け、やがて予は予の少女の尻、ではなく殿と接触を果たす。無論、誤解をしてほしくないのだが、物理的にという意味ではない。眼前に立ちはだかる段差を攻略しあぐねているのかと思いきや、予の少女は階段の中腹へ鞘を突くと棒高跳びの要領で刀身を支点に跳躍し、その体を縦方向へ大きく回転させる。予の精鋭たちは二度の失態を許さぬとばかりビデオカメラを神速にて掲げるも、大気が垂直に伸びた予の少女の両足へぴったりと陣幕の布を張りつかせる映像を残したのみであった。二階廊下への着地と同時に、予の少女は回転の余勢を駆って抜刀し、続く動作で突き当たりの扉を袈裟に斬り下げ、同じ速度で逆袈裟に斬り上げた。鍔音に続く完全な静止から一瞬の間をおいて、木製の扉は四枚の二等辺三角形となって部屋の内側へと吹き飛ぶ。
 木屑の舞い落ちるその先には果たして、両手足の関節を人間の本来とは逆方向へ折り曲げた異形がご尊父を四つに組み敷いていた。窓がわずかに開いており、ここからの侵入が先ほどの家鳴りを生じさせた原因かも知れぬ。異形の首がくるりと回転し、ほとんど浪曲師の嗄れ声でノイズのような音を立てる。笑っているのだ。防衛のための殺人が自己目的化し、そこへの耽溺が理性を消滅させる。やがて係累との関係を失い、野良化した少女のうちの一人だろう。むき出しになったご尊父の下半身と野良少女の下半身は接触しており、寄生蜂の産卵管が幼虫に差し込まれている図を予に想起させたが、現実はその正反対である。
 鋭敏な感性を持つ予は気づかざるを得なかったのだが、ご尊父のパソコンにこの異界の点景として、言うもおぞましい婦女の図画が表示されているのがわかった。天然色の頭髪に包まれたその頭蓋は変形し、巨大に発達した眼窩が組み敷かれたご尊父を見下ろしている。予の少女がそれを見なかったことを祈る。これこそが、家族の団欒に優先したご尊父の秘密なのであった。野良少女とモニター上の図画は、その異形性において類似点を見出せないこともない。つまり、眼前に繰り広げられる陰惨のまぐわいがご尊父にとって決して合意ではないという断言は、困難なのである。騒ぎを聞きつけたのだろうご母堂が足音荒くやって来、予は状況を説明する困難さに肝を冷やす。しかし、ご尊父の部屋を覗き込むと、無表情のまま回れ右で階下へ去っていく。
 野良少女へ側面から対峙する予の少女は、圧倒的に有利な地形的条件を得ているとみてよいだろう。ときに十メートルを超える先を切断する予の少女の抜刀であれば、野良少女がまばたきをする瞬間にその首を落とすことができる。しかし、ご尊父を巻き込むことを心配しているのか、低い姿勢で右手を柄に置いたまま、予の少女は動かないでいる。部屋の中にはある種の均衡が醸成されており、誰も動くことはできないはずだった。予の頬から伝い落ちた汗がビデオカメラのレンズを流れ画面を滲ませる先を、しかし、上下ひとつながりの薄物をまとったご母堂が横切る。予の少女の肩がわずかに震えるのが見えた。薄物の上からでも視認できる乳暈の濃さは位置によって、経年の使用と純粋な加齢から、それらが重力に敗北しつつあることを教えてくれる。しかし、予の背筋と予の少女の心胆を寒からしめたのは、乳暈の色合いではない。ご母堂が右足にだけピンヒールをはいていることが、予と予の少女を慄然とさせたのである。
 誰もが虚を突かれ、ご母堂の存在をこの場面に意味ある何かとして当てはめることができないでいる。ご母堂はよどみない動きでパソコンが置いてある机によじのぼると、仁王立ちに野良少女とご尊父の媾合を見下ろした。制止する暇もあらばこそ、完全な無表情からの跳躍と、両足をそろえた落下の次の瞬間、ピンヒールの高さはすべてご尊父の右のこめかみへと消える。濁った音とともに、マヨネーズ状の何かが噴出するのが見える。ご母堂の鬼気に飛びのいた野良少女の首が、予の少女の抜刀によって切断される。生首は血流を推進剤に回転しながら宙空を進み、天井にぶつかってからご尊父の傍へと落下する。爆発的な動きの後に訪れた再びの静寂を破ったのは、鍔音に続くご母堂の笑い声である。
 予は固まってしまった右腕を意識しながら、無理矢理とビデオカメラを下ろす。予の視界はもはや少女殺人の終わった現世を映しているはずであったが、哄笑を続けるご母堂の肩越しから向こうに、奇怪な生物が立ち上がるのが見えた。それの側頭部からは角のような物体が生えている。右目は釣り上げられた深海魚のように突出し、生気のない左目は暗闇の中でなお燃えるように赤い。それの両手が背後からご母堂の首にかかる。たちまち哄笑は途絶え、ご母堂の口腔に舌が盛り上がる。予の少女がそれの両手首を斬り落とすのと、何かが折れる鈍い音が聞こえるのはほとんど同時だったように思う。それは――両手首を切断されたご尊父は膝から床へ落ちると、上体を前のめりに傾ける。意識という制御を失った怪力に頚骨を砕かれて絶命したご母堂は、もはや支えるものの無い頭蓋の重みで後頭部方向へと倒れる。二人の身体はその途上で交錯し、予の眼に“人”という字のシルエットを残した。
 ご母堂は自分の知らない女性と寝るかつての父を見つけ、ご尊父は愛ではなく性で支配するかつての母を見つけ、その混濁した互いの意識の裡に、この世界で最も正統な復讐を果たしたのである。 母を求めた男と父を求めた女はお互いの幻想と差し違え、誰もが現世で手に入れるはずのない究極の達成を得た。二人は己の死と同時に全く過不足の無い精算を果たしたのである。彼らは天国にも昇らず、地獄にも堕ちるまい。それらは造物主イコール両親へ向けられた感情の真実さへの欺瞞、あるいは罰を象徴する名前に過ぎないからである。幸いなるかな、二人の魂は完全にこの世界から消滅することができるだろう。
 音も無く回転する車載用電火表示板の赤さに照らされて、予の少女は闇に沈み、そしてまた現れる。その様子は予の少女の持つ一種の二面性、脆い内面を実体として衆目にさらすようである。そのむき出しの痛ましさは、直視に耐えぬ。今回の事件は予の通報を伴わなければ、二件の少女殺人と一件の通常殺人として処理されたはずであった。しかし、少女殺人に遭遇すること頻繁な予が県警にする説明は陪審員を前にした辣腕弁護士の如くであり、予のビデオカメラを用いた検証が駄目押しとなって、発生したのは一件の少女殺人と二件の通常殺人であったことが証明される。野良少女の死後に、予がビデオカメラの撮影を中断したことは幸いであった。ご尊父は予の少女の斬撃で両手首を失う前、すでに致命傷を得ていたと思われるが、あの場面の映像を前にそれを県警に納得させることは難しかったろう。ただ、法的処理の段階において少女殺人はこの世には存在しないように振舞うので、予の説明は予の少女から父殺しの衝撃を取り除いてやりたいという、極めて心情的な側面から発していたことは否めない。
 落下してくる白球をどちらが捕球するかで争う外野手と内野手のように、霊柩車と救急車を挟んで睨みあう救急隊員と妙齢の女性たち。両者を呼んでする県警の指示により、三つの遺体は公平にそれぞれへと分配された。霊柩車のブレードが野良少女の遺体を粉砕する一方で、三つ以上の部分に分かれた予の少女の両親は担架に乗せられ、ほとんどうやうやしく救急車の内部へと搬入される。霊柩車の持つ冷厳な即物性に比して、死体を搬送する救急車というものは、法の便宜的な側面をことさらに強調し、生と死の間にあるマージンを象徴する。その緩衝地帯は生の側にとってのみ必要とされ、死の側に立つ者は全く頓着しない領域である。霊柩車から見下ろす妙齢の女性たちは、その事実を経験として知っているようでもある。
 事情聴取を終えて歩み寄る予に、予の少女は顔を上げる。その瞳はつやで黒く濡れており、予の呼吸を停止させんばかりであった。正対する予にしかわからぬほどのわずかな逡巡の後、予の少女は予の両腕の間に身を投げる。ほとんど骨格を感じさせない柔らかな肢体を得て、予の全身へ雷鳴に似た衝撃が走った。親と子の関係を象徴的に語りなおすのが宗教であるとするならば、人類の最初期に塗りつけられたその汚辱が、予の少女を予に執着させる。神という名の呪いに端を発する歪んだ執着が、愛という名付けで巧妙な偽装を行う。正体を知りさえしなければ、それを楽しめるのだろう。しかし予は、予の自己欺瞞を許すことができない。魂を不可逆に改変するという意味で、知ることは呪いである。いまでもときどきこの瞬間を夢に見る。もしかすれば、抱きすくめればよかったのだろうか。それが、正解だったのか。
 抱きしめる代わりに予はその細い両肩をつかむと、予の少女を引き離した。布一枚の向こうにあるしなやかさを通して、予の少女の傷の形がありありと見える。ぴったりとそこへ嵌まれば、予は本当の意味で予の少女を手に入れることができたのかも知れぬ。永遠を依存する一つの病になれたのかも知れぬ。それが幸福の一形態ではないと、誰に断言できるだろうか。予はただ、人間に対して誠実であろうとしただけである。
 しかし予の少女は、予が最も重大な瞬間に裏切ったと感じたはずだ。予の少女の瞳は干上がるように渇き、みるみるうちに表情が消えてゆくのがわかった。予は立ち尽くし、声をかけることもできない。永遠のようにうつむいた予の少女は、やがて完璧に抑制された微笑を浮かべると、軽く膝を曲げて会釈をする。助手席へ誘導しようとする救急隊員の制止を振り切って、予の少女はかつて両親だった残骸の傍らへ腰かけた。扉が閉められる瞬間まで、予の少女が顔を上げることはなかった。
 救急車が走り去るのを見送ると、予は少女殺人からの保護を盾にして、霊柩車へと乗り込んだ。妙齢の女性たちは露骨な嫌悪を向けたが、予の主張する権利は特区法によりその履行を強烈に裏書きされている。居候先を失った予は、当面の生活費を稼ぐ必要があった。少女殺人の記録はどんなものであれ、当局に高値で売りさばくことができる。しかし何より、この場所を早く離れてしまいたかった。
 どうか覚えておいてほしい。言葉があるということは、現実がないということだ。予が語りはじめたことは同時に、予の少女の不在証明となることを。

君のこと憎憎にしてあげる

 両側頭部へ鉢巻で八墓村状に岩津ネギをくくりつけた素裸の巨漢が白いボードに乗り、メタボ基準を優に三倍は上回りそうな腹部の肉巻きをゴーゴー風のダンスで水平回転方向へぶるぶると震わせている。脂肪に圧迫された喉から、かすれ声で「君のこと肉肉にしてあげる」といった意味合いの単語をテキストリーダ調の節回しにうなるのが聞こえる。幾層にも重なった脂肪に隠れて先端しか見えないが、尻の谷間からのぞくのは諸君の期待通り岩津ネギである。素裸の巨漢、突如大きく痙攣すると、全身から汗を飛び散らせながら漫画的な動線を伴って振り返る。
 「ボルヘェェェス! 貴様らの雄奴隷、愛に盲目の小鳥猊下であるッ! 唐突に告白するが、私は学校を舞台にした物語を鑑賞することに対して重篤な障害を抱えている。特に男性が書いたものが駄目だ。かつての学生生活を思い出して欲しい。諸君の隣にいたあの、“表情の乏しいニヒル君”a.k.a.“陰鬱で不快な自意識のメルトダウン”は、『誰とでも、山羊とでもいいから直ちにファックしたい』という欲求と、『誰にもファックしたいと思っていることを知られたくない』という欲求とが半分ずつのエネルギーで、ちょうど互角の綱引きのように拮抗している状態であったと説明できる。その男子は表情と生気が乏しいどころではなく、押し寄せる欲望の波濤に台風をお知らせする地方局の新人アナの如く耐えていたのである。一方、この時期の女子は若さが自然に生む美への自負が膣内に充満しており、ファックを寄せ付けない自己完結を纏っている。この時期の男子のファックが外的な欲望としてのファックであるのに対し、女子のファックは内的な自己愛としてのファックなのである。男子のファックは生涯を通じて外的だが、女子のファックが外的になるためにはいましばしの時間を待たねばならない。女子のファック昂進は加齢による容色の減退と反比例の関係にあり、つまり綱引きにすべてのエネルギーを浪費する自意識の肉塊は、膣内から彼女らの自己完結を掻き出すために使う余力を持ち合わせておらず、血尿の如きオナニーとは裏腹にファックへは決してたどりつけないのである。学校を舞台にした物語が男性によって語られるとき、私はこの恨みを共通の基盤として感じざるをえない。大人になった彼らが、大人の知性と社会性でもって学生生活を送れば、という決して実現することのないifが次々に展開し、低予算映画を後から潤沢な資金でリメイクするように、ファックへの切歯扼腕に無表情の中で空費した灰色の時間への復讐が、無意識裡になされるのである。かつての無表情と無気力は実は、世界に対する絶望と生命に対する諦観であった、というクールな語り直しだ。ところで全く関係ない話になるが、慈愛期間中にweb拍手経由で送られたメッセージをひとつ見逃していた。特別に慈愛extra stageを披露したい。最後はweb拍手界隈にお住まいの今日送られたメッセージ君からだ! 『お勧めのゲーム→「CROSS CHANNEL」』 YoYoYoYoYoYoYoYo,Yo Men! ガン=カタにインスパイアされて、ハリ=カタという名前の新拳法を創出しろ!
 おっと、もうこんな時間だ! みんなからの萌え画像、いつでも待ってるぜ! それじゃ、次回のこの時間まで、C U Next Time!」