猫を起こさないように
年: <span>2006年</span>
年: 2006年

心機一転、がんばるよ!

「萌えということはそれ自体のオートマティズムがあるんだ。つまり、萌えとはじめに言い切っちゃうと、人間の体の動きというのは機械に変わっていくんだ。僕はそれをいつも感じるのは、たとえば、引き合いに出して悪いけれども、このあいだ某エロゲーをプレイしたんだ。作品の名前は言わないでおこう。僕は、初めの部分は感心したんですよね。ところが、ある部分からシナリオが離陸しちゃうんです、飛行場から。飛行場から離陸しちゃうと、あと機械の動きなんですよ。飛行場で油を入れて機械が動き出すでしょう、そこまではすごいんですよ。ところが、プロペラでも、ジェット機でもいいが、動き出したら、あと機械ですからね、ピューッとどこまでも高く上がるんです。だけどそれはシナリオじゃないんですよ。武器を持った小柄な少女がある日突然我が家に居候を始める。その少女が次第に主人公へ惚れる、ここまではいいんだ。しかし、登場した過去の恋人との間に、一度もセックスは無かったなんてことになっている。これはもうオートマティズム以外のなにものでもない」
「僕もオートマティックということはやっぱり、短い萌えで終わっちゃうと思うんだな」
「短い萌えで終わっちゃう。あれがこわいんだな」
「あれをやると、せっかく最初もっていった迷路が、空中上の一点から一点へ行く間の我慢ということになっちゃう」
「そうなんだ。セックスさせておくべきなんだ」
「それは例は別としてもね」
「そうするとどんなことを書いても、どんなショッキングなことを書いても、もうだめなんですね」
「それはだめだ。それはだから、ショッキングじゃないわけだ。オートマティックだったらショッキングじゃないですよね。あなたはそういう状況に異を唱えようとしてきたんだし、それを支持する層だって少なくなかったはずだと思うけど」
「でもね、つまり、否定するということに対する喝采というのは、僕は全部嫌いになったんだよ。つまり、ある人間がインターネット上で発言する、それはブログや掲示板が一番うまく証明しているが、巨大掲示板の2ちゃんねるかな、あそこで、板がいくつかあって、その中に書き込んで、政府攻撃とか、いろんな攻撃をやっているわけだ。それをみんな、のんびり見ているわけだよ。あらゆるラジカルな書き込みをするが、しかしそれはすぐみんな忘れちゃう。書き込んだものも、書き込んだことで安心している。そういうものを見ていると僕は、ことばというものが消費されていくものすごさみたいなものを、このごろ痛切に感じるな。自分のホームページもやっぱり、あれがビニール袋みたいに捨てられていくんだという感じがとってもするな」

私はここで、誰と話をしてきたんだろう

「僕はいつも思うのは、自分がほんとに恥ずかしいことだと思うのは、自分はおたくの文化を否定してきた。否定することでホームページを更新して、アクセス数をもらってnWoしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな」
「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あんたがそんなことを言ったらガタガタになっちゃう」
「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうこと言わなかった」
「それはやっぱり、強気でいってもらわないと……」
「そうかな。おれはいままでそういうこと言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ」
「いやだろうけど、それは我慢していかないと……」
「それじゃ、我慢しないでだよ、たとえば、おたく文化を肯定して、二次元の少女に射精することは非常に素晴らしいことだ、これなら誰に対しても恥ずかしくない、と言えるかな」
「言えないでしょう、それは」
「言えないでしょう。そうすると、われわれだって射精も否定もどっちもいけないじゃないの。どうするのよ……」
「だから最後まで強気をもつということよ」
「強気をもつということは、もうホームページを更新することじゃないだろう、そうすれば。テキストサイトじゃそれは解決できる問題じゃない」
「だって、テキストサイトだって、あの長いもの更新するのに、強気でなければ更新できないよ」
「しかし僕は、それはテキストサイトで解決できない問題だと気づいたんだ。まあ頭は遅いけど」
「もちろんテキストサイトでは解決できないよね。それは、いまの問題とちょっとちがうんじゃないかな」
「でもね、僕、耐えられないのは、たとえば僕が一回の更新をする。それにアクセスしてくれる人がいる。カウンターが一回まわる。そうするとカウンター一回分はどういうアクセスなのかと思うんだよね。それはある一つのおたく社会の中に、引きこもりでもなんでも生きている、そして類型的な萌え礼賛に不満ももっている。しかし少女、子どももかわいい、そしてなんかこれで、そのうちにネットゲームでもしていたらなんかいいことがあるかと思っている。そういう男が僕のホームページにアクセスするわけね。そこでカウンターを一回まわすんだ。かなりの時間の浪費だ。彼のどの部分がカウンターをまわすかと思うんだ。そうすると、僕は、彼の一番鋭い良心の部分が僕の更新を読んでいるなんていう己惚れは全然ないよ。絶対ないよ。彼はやっぱり、なんかこのおたく社会や時代に対する不満の中から、まあ逃げ道というか、自虐というか、なんか追う気持ちがあって、ふらっとアマゾンでエロ漫画でも注文するように更新を読むだろう。そして彼は、三十分か四十分か、彼がアクセスしたものを喜ぶだろう。それは僕らだってサービスするんだから、サービスするだけのものは読むわね。その中からカウンターの一回転をもらうんだ。そうすると僕はいったい何のために更新しているんだ。この人たちからカウンター一回転もらうということは、やっぱりこの人たちをつまり生かしておくためだろう。そしてその人たちはそれがなかったら生きていかれないかというと、なくても生きられることは確かだろう。その瞬間に、おれはやっぱりいやになっちゃうんだな、ほんとうに。なにをやっているんだ、おれは、ということね」

誰もここにはいないかのよう……

物語の方法論は大分して、2つしかない。「普遍的な題材を普遍的に描く」か「個人的な題材を普遍的に描く」かのどちらかである。キルビル2について。日本版のみの副題、”the love story”。どんな作品でも恋愛ものとして宣伝すれば客は入るという配給会社の作品への冒涜的なやり口に、賢明な諸氏はもうずっと辟易し続けてきていると思うが、ことこの作品に関しては全く違和感 がない。KILL IS LOVE。KILL BILLは、LOVE BILLなのだ。愛は個別的であるがゆえに、つまりどの愛もどの愛と似ていないがゆえに、殺してまでそうしなければならぬ、最も極端にある「異常な愛」を描くことで、逆説的に「普遍的な愛」を描くことにこの作品は成功している。汗をかき、泥にまみれて、愛する者を殺し、トイレの床に転がり鼻水を流しながら”thank you”という主人公に、私は映画と人間性の正道を見る。あの”thank you”が心に少しもひっかかりを与えなかったなら、自分の感性が「汗くさくないこと」が主眼の”スタイリッシュ”な作品群に踏み荒らされておかしくなってきていることを真剣に疑った方がいい。早々に軌道修正しないと二度と戻ってこれなくなる。キルビル2は、個人的な題材(B級なるものへの愛)を普遍性にまで高めた傑作である。
 キャシャーンについて。戦争と平和という普遍的なテーマを置こうとして、それが全く個人的動機に過ぎないことを全編に渡って露呈している。つまりこの映画のテーマとは、PV出身の監督が初めて映画を撮るに当たっての”作られた”テーマ性であり、初めての映画に気負うあまり、現代の世界が置かれている状況を取りいれよう安直に考え(それがカッコイイ態度だ、と思ったのかもしれない)、自身の素質を省みない全く皮相的に止まるテーマの繰り込みを行った結果である。人造人間誕生の設定が原作の「自身から進んで」から「父親に無理矢理」へ変更されてしまっているところから、この推測がある程度の的を射ていることが理解されよう。この変更点は同時に「キャシャーンがやらねば誰がやる」というあの決め台詞に込められた熱と意味性を完全に削ぎ落としてしまっており(街角にある”世界人類が平和でありますように”といった世迷い言ではなく、争いが本質的に不可避であることを自覚し、そこへの自分の態度を明確にしており、素晴らしい台詞だ)、「原作をよくわかっている」など という賞賛は全く当てはまるどころではないことが、表層的な装飾群に惑わされない少しでも真摯さを持つ視聴者なら、瞬時に理解できるだろう。おそらく無自覚的にではあろうが、監督は個人的な動機で原作をさえ、弄んだのである。作品の持つテーマとは、自身が世界と対面するときに何に固執しているかという点であり、ここが重要なのだが、”恣意的に選択できるものではない”。「戦争と平和」という巨大なテーマ(人類の持つ究極の命題の1つだ!)を扱うに、この監督の初期衝動は「初めての映画で頑張らなくっちゃ! イラク戦争で世界は大変だし、よぅし、戦争を批判しちゃえ!」程度の可愛らしくも絶望的に浅薄なものであり、あまりに脳天気すぎる。「飢えた子どもの前で文学は1枚のパンよりも有効なのか」という古い問いかけを持ち出すまでもなく、この映画は戦火に焼かれる子どもの前で明らかに有効ではない。そして、この映画は(真摯な)原作ファンの前でも明らかに有効ではない。それゆえに、この映画は完全に失敗している。更に言うなら、普段ほとんど邦画を見ない人間がこの映画の大量テレビCMとテーマソングにひかれて入館し、今後二度と邦画は見ないことを決心しながら出ていくというのは、充分にありそうな話だ。日本映画凋落の戦犯の1人とならないことを切に願う。キャシャーンは、普遍的題材を個人的欲望の充実に落とした駄作である。この世に物語が成立する条件は、つまるところ2種類しかない。「真実のように見える嘘」を描くか、「嘘のように見える真実」を描くか。キルビル2は後者であり、キャシャーンはどちらでもない、「真実のように見せたいまがい物」である。つまり、キャシャーンは物語の段階にすら達していない”フィルムに熱転写された何か”に過ぎない。

以前、ホームページの掲示板で書いた文章である。Googleのキャッシュから発見した。何故か今日再録しなければならないという気持ちになった。諸君が高天原の続きを求めているのは重々承知だが、今週は手を入れる時間が持てなかった。もうしばらく待たれたい。来週中には更新するつもりだが、これは更なる感想や萌え画像の到着を否定するものではない。ときに諸君は異性に自分の特殊性向を面罵されるのは好きだろうか。私は好きである。頭の中にある言葉のままに私を罵倒してくれる女性がいないものかと思う。一言で切り捨てるのではなく、それこそ延々と、わずかの反論も不可能なほどの執拗さと精密さで罵られたい。

甲虫の牢獄(5)

 日々はここに来る前にぼくが想像していたような劇的さではなく、淡々と過ぎていった。生活のスケジュールは高天原によって管理されており、徹夜で作業をしたことなどはほとんど無かった。
 朝は六時に起床して、鶏の駆け回る前庭でラジオ体操を行う。ラジオ体操が終わる頃には、元山宵子が小太りの男の運転するワゴン車に乗せられて、自宅で作ってきたのだろうか、大量のおにぎりとみそ汁の大鍋を朝食として運んでくる。ぼくは全神経を集中して元山宵子のにぎったおにぎりを味わい、彼女の風味を探し出そうとするが、いつも失敗する。朝食が終わるか終わらないかのうちに、元山宵子はまたワゴン車で下界へと送られてゆく。
 七時半過ぎごろから仕事が始まり、正午まで続く。
 昼食には朝のおにぎりの残りに加え、塩漬けや煮付けが用意されることが多かった。この塩漬けや煮付けは大量に作られた大皿から何日もかけて全員で消化してゆくのだが、最初に感じた抵抗感は一週間ほどで消えた。
 午後には昼寝の時間が一時間あり、みな思い思いの場所で横になって、高天原のセットした目覚ましが大音量で鳴り響くまで眠る。
 夕方に、元山宵子が再び姿を見せる。制服の上にエプロンをつけて、小太りの男を助手に夕飯の支度をする。だいたい七時頃から夕飯が始まり、食事を終えた者から高天原が薪で焚いた風呂へ順番に入る。
 風呂の後には簡単なミーティングがあり、仕事の進行状況と問題点を高天原にそれぞれが報告する。全員の報告が終わる頃には片づけを済ませた元山宵子が土間から座敷に顔を見せ、「お疲れさまでした」というお決まりの言葉を残して帰宅する。
 ミーティング後は基本的に何をしていても構わないが、仕事を継続する者もいた。足を制限された山奥の一軒家に、受信される放送局の少ないテレビ一台では、他にすることは無かったからとも言える。直接チャンネルを回す古いタイプのテレビで、ここに来た当日にはゲーム機を接続するジャックが無いと悲鳴が上がったものだった。
 十時を過ぎた頃には誰からともなく立ち上がって布団を引き始め、高天原が布団に入っている皆を見まわし、「それではまた明日」と言って電灯のひもを引く。十一時を迎えないうちに部屋の灯りは消える。
 おおむね、毎日はこんなふうに過ぎていった。ぼくたちの集まっている目的を考えなければ、ほとんど健全と言ってよかっただろう。
 ぼくに与えられた仕事は、一人の少年が一人の少女と恋に落ちる場面をシナリオとして書くことだった。
 「君自身がその少年だと思って、その少年に自分自身のこれまでの人生を投影するつもりで、正直に書くんだ。もしまずいところがあれば、あとで私が修正しよう。上手にやるのではなくて、正直に書くんだ。少女の容姿や設定は君のシナリオが完成してから、すべて逆算でデザインする。私が求めているのは君が自分自身に正直であること、そして君の理想の少女を理想そのままに美しく書くこと、それだけだ」
 高天原は最初にそう言ったきり、ぼくを完全に放っておいた。
 ここにやってきた最初の数週間、ぼくは一切何もしていなかったといっていい。ミーティングのときも、高天原はぼくにだけは仕事の進行状況を聞かなかった。モニターの上に日々完成していく精緻な絵を横目にして、ぼくは真っ白なノートの前にただ呆然と座っていた。周囲にはさぞかし馬鹿のように映っていたに違いない。
 八月に入ると、元山宵子は朝やってきてから、夜まで帰らないことが多くなった。
 しかし食事を作る以外は何をするわけでもなく、ときどき本を読んでいることもあったようだが、縁側で前庭を眺めながら足をぶらぶらさせていることがほとんどだった。細いうなじに陽光が照り返して白く輝いているのを見るのが、ぼくは好きだった。
 一度だけ、どんな仕事をしてるんですか、と元山宵子がノートをのぞきこんできたことがあった。そのときのぼくは大慌てでノートを閉じると、何も言えずただぎこちない微笑みを返すことしかできなかった。元山宵子は一瞬、目の奥にふしぎなかぎろいを見せたが、一言謝ると元のように縁側に腰を下ろした。
 集まった人間たちは、あまり私的なことは話さなかった。高天原がそれとなく、これまでのことについて話すのを禁じていたせいもある。暑いとか寒いとかうまいとかまずいとか、その場限りに終わる感情以外の話題は、必然的に仕事に関することばかりになった。プログラムやそれに類する専門的な話は全く理解できなかったので、ぼくはいつもなんとなく蚊帳の外に置かれているような気になったものだった。高天原を除くならば、ぼくが思い出せる言葉でのやりとりというのはとても少ない。だから、その場面はとてもよく覚えている。
 それは、元山宵子のいる午後だった。
 プログラム担当の男が突然、奇声を上げながら後ろに向けてひっくり返った。
 仕事に煮詰まってのことだったのかもしれない。男は大の字に寝ころんだまま、誰へともなく言った。
 「俺、文明の進化って言うのは、容量を減らしてゆくようなものだと思ってるんだ」
 仕事上のトラブルにひっかけていたのだろうか、唐突な内容だった。縁側に座って足をぶらぶさせながら、庭を眺めていた元山宵子が振り返る。
 「逆じゃないんですか。世の中の複雑さはどんどん増えてゆくように思えますけど」
 「ところが俺によるとそうじゃないんだな」男は仰向けからぐるりと身をかえすと、元山宵子に向き直った。
 「俺が言っているのは、人間のことさ。こうやって話している言葉だって、省略できるものはどんどん省略して容量を減らしてるだろう。人間の言葉なんてのは、本当はたいそうなものじゃなくて、圧縮と解凍の連続でできているマシン語のバリエーションみたいなものに過ぎない。ただ、最も正確にしゃべったとして周囲に正しく命令が伝わるとは限らない、ヘボ言語だがね」
 元山宵子は黙って聞いていたが、ただ眉を少し寄せるだけの表情でいったい何を言っているのかわからないと伝えていた。彼女の感情はときどきほとんど言葉にされないにも関わらず、驚くほど周囲に伝わることがあった。元山宵子はきっと、それを意識して使い分けていたと思う。
 男はいらいらとした調子で続ける。
 「圧縮するためには、余分な情報は真っ先に削る必要があるだろう。俺が言うのは、そういう意味さ。科学技術の発展によって、車とか飛行機とか、まず世界の広がりが圧縮されたんだ。いまは人間そのものが圧縮されてきてる最中なんだよ。例えばエロゲーの世界なら、俺なんてまず真っ先に削られてしまうだろう。俺が主人公だったことは一度も無いし、ゲーム内のカメラが向けられる瞬間も無いだろうからな。スポーツゲームの観客席のようにのっぺりとした、背景を持たない一枚の書き割りなのさ。他人なんてすべて自分にとっては書き割りみたいなもんだし、このやり方が全く正しいことを認めざるを得ないね」
 自嘲気味に男は乾いた笑いをあげた。
 「俺たちをいつも白けさせて正気に戻らせちまう現実の雑音は、エロゲーでは全部無いのと同じように圧縮されて、ただ感動や欲情や俺たちが必要としているものだけが残る。俺がこの仕事に止まり続けているのも、たぶんそれが理由なんだ。エロゲーは俺たちが過ごしやすいように、現実の旨みだけを取りだして誇張して、必要の無い部分はすべて圧縮してくれる。エロゲーで体験できる生の密度に比べれば、現実なんてオンラインゲームみたくクソ薄っぺらだよ。ひとつの解答を見つけるのに数メガバイトくらいのシナリオじゃなくて、何年もヒントすら無いままにさまよわなくちゃいけないなんて、神様っていうのはきっと相当のヘボクリエイターなんだと思うよ。俺はエロゲーを作ることで、この世界が実はクソゲーだということに気づいてしまっている連中に、やつらが体験したいと思っている正しいプロポーションに成形された世界を見せてやってるんだ。神様のしわ寄せ分を俺たちがせっせとアイロンがけしてるってわけさ。それとも裁断かな。だとすれば、科学技術が次に求めるべきなのは時間を圧縮する手段だよ。SFみたいに旅行する必要は無いんだ、ただ圧縮できさえすればいい。クライマックスからクライマックスへ、現実においてエロゲーのイベントのように意味のある濃度を持った瞬間だけを体験して、残りをすべてスキップできる装置さ」
 そこまで聞いて、元山宵子がわずかに息を吐いた。
 「そんなふうに圧縮や省略を繰り返せば、残るのは生まれることと死ぬことだけなんじゃないですか。私は少なくともゲームのプレイヤーとしては現実を生きていません。無数の取捨選択の中で私だけの意志を提示するために、この世はこんなにも膨大に作られているんだと思います」
 男は口元に嘲りを浮かべ、ひらひらと宙空に手を泳がせながら言った。
 「楽な小遣いかせぎをしている高校生ぐらいには、わからんよ」
 その言葉に、元山宵子が跳ねるように立ち上がった。夏の陽光が大きく影を作ったせいだろうか、小柄な彼女が室内からは一瞬倍ほどにも大きく見えた。
 逆光に輝く両目だけが強調され、燃える火のような瞋恚が瞳の底に渦巻いているのがわかる。
 思わず、といった感じで男が起きあがり、居住まいを正す。ばつの悪そうに頭を掻きながら、「悪かったよ、煮詰まってたんだ」とつぶやいた。
 「死に直面すれば、生を再生できるかもしれない」
 ふすまを隔てた隣の部屋に、籐椅子の上でじっと眠っているようだった高天原が口を開く。
 「省略の果てに人生のすべてを体験すれば、そしてそのとき君がまだ生きていれば、もう一度同じ人生を体験しなおすしかない。その人生はきっと以前と同じだろうが、それを体験する君自身は元の君とは違っているだろう。生の反対は死じゃないんだ。生の反対は、再生なんだよ」
 この言葉を高天原の言う本当の意味で理解したのは、ずいぶんと後になってからのことだった。
 振り返ると、元山宵子はいつも通りの小柄な制服の少女だった。
 彼女は縁側に日干ししてあったエプロンを身につけると、夕飯の準備をするために土間へと降りていった。

甲虫の牢獄(4)

 「障害者――特に、知的障害者を身内に持った人間は」
 高天原が話し始めたとたん、その場所に漂う気配が、わずかに変化するのを感じた。ぼくは、屋根裏の物置へと続く収納式の階段に置かれたノートから顔を上げる。
 天井の低い和室。
 開け放たれた縁側。
 前庭をかけまわる鶏。
 風景をゆらがせる夏の日差し。
 卓袱台の上のノートパソコンで仕事をする者、昔ながらの低い鏡台の上で窮屈そうにペンを走らせる者、湿った畳に紙を広げて神経そうに何事か書き込んでいく者、そして、何をするでもなくただ縁側に腰掛けて足をぶらぶらさせている者――そこには年齢も、外見も、ぼくたちを知らず分けるあの固有の雰囲気さえも同じくしない人々がいた。
 高天原が話し始めたとたん、ぼくを除けば誰ひとり作業をやめず、誰ひとり顔を上げるものさえいなかったにもかかわらず、皆が高天原の話を聞いていることがわかった。それはときに他愛の無い世間話だったり、いま行われている仕事の進行状況の確認だったりしたが、その内容の如何に関わらず、皆が高天原の言葉を確かに意味のある、更に言ってよければおそらく、重大なものとしてとらえていた。
 ここに集まった雑多な人間たちにもし共通点があるとすれば、まさに高天原へのそういう感情だったのだろうと思う。
 世間話であれ、仕事の話であれ、高天原の言葉の始まりは、いつも唐突だった。
 ぼくはその唐突さに虚を突かれ、そうするとあとは目眩のするような奔流に流されていくしかなくなってしまう。
 「人生に対して、より正確に言うなら知性に対して、真摯にならざるを得なくなる。つまり、ふたり分を負って知性に正対しているんだ。きっと両親が言ったわけではないんだろうが、妹の欠落は明らかに私の責任だった。妹の持ち物を私の強欲が余分に奪ってしまったことが、彼女の欠落の原因だったのだ。それが幼い私の現実理解だった。世界観と呼んでもかまわないほどに、私を支配していた感覚だった。私にとって、知性はいつだって深刻かつ重大で、私が何かを考えることは、私の罪状が告知されているのと同じ意味を持っていた。同時にそれを無価値な塵芥と断じて、踏みつけにしてしまいたい気持ちもあったが、宗教的な禁忌と同様に、私は理性を越えたところで呪縛されていて、それは思う端から常に他ならぬ私自身によって完全に否認された。私は中身の知れない祠を背中に立つ守り人のようなもので、実体が何であるかを少しも知らされていないにも関わらず、それの聖性を頑なに信じこんでいた。誰が強制するわけでもない、放埒と虚無の中間のような名状しがたいその感覚は、私の人生の最初の段階に濃く取り巻いている。そして私は、思考と心の核をそこに呪縛されて、一歩も動くことができなくなった。杭を見つめるつながれた牛にとって、長い時間の間に杭はきっと実在ではなくなってゆくんだろう。つながれた私は、じっと一つの想念に凝っていった。周囲はあまりに深刻すぎて、あるいは当の問題に対してあまりに回避的すぎた。こういう際、子どもにとってはひどく陽気に、というわけにはいかないらしい」
 高天原は自身の側頭部を指さした。
 そこには頭髪の生えていない、部分的な断裂のようなものがうっすらと長くあった。
 「私の場合は例外なく、自分の脳髄を取りだして、妹に喰わせることを考えた。哀れなほどに子どもだったんだろうね。苦しみはふたり分だったが、心はひとつしかない。知性の欠落した恐ろしい肉が日常の底にいて、いつも無邪気に私へ微笑みかけている。その圧倒的な実在感は当時の私にとって、何か崇高な象徴ですらあったと思う。私はそれを見るとき、いつも思った。牛のような、あるいは虫のような、悲鳴を上げることのできない存在こそが、世界で最も苦しんでいるのだろうと。私が想像したのは、莫大な空間につり下げられた細くて長い紐の結び目だった。心を持たないがゆえに、発狂という安息を取り上げられ、時空間に偶然発生した自我という名前の結び目を、永遠の客観性の中で凝視し続けるという苦しみ。そう、私が妹を観察して得た最大の恐怖は、心を持たないはずの彼女にも、自我は存在するのだという恐怖だった。悲鳴を上げることができなかったのは、私でもあり、妹でもあった。妹に私の脳髄を喰わせることがついにかなわなかったように、私が理解したのは、どんなに絶望的に願ったとしても、心を持たない者に、知性を伝えることはできない、ということだった」
 高天原は人差し指で、滑り落ちてきたサングラスの位置を直した。
 「とても特殊な例外をのぞいては、知性は常に絶海の牢獄のように、切り離されている。例えばインターネットというメディアは、心をそこに置かないままに知性だけを伝播させようとする点で非常に象徴的だ。そこにいる人々は知性を階層的にではなく、並列的に判断しようとしている。リンクをたどるようにだ。階層的とは、人類の歴史の時系列と考えてもらってかまわない。つまり、ネットワーク上に自我を顕在化させたかれらは、心をそこに置かないがゆえに、何かの巨大な連続としては自身の存在を定義できないんだろうと思う。彼らは人類の歴史という流れから完全に切り離された、文字通り単独の個体なんだ。いのちの蓄積からではなく、たったひとりから始め、たったひとりで人類の数千年の知性を一から積み上げようともがいている。長い時間をかけてではなく、一瞬間に手に入れようといつも焦れている。それは苦しみどころではないだろう。彼らは自身の負う苦しみに気づかないがための、魂の芯を麻痺させる麻薬を欲している。我々の仕事は、つまり、それさ」
 高天原は窓の外へ顔を向けた。
 サングラスを外し、目を細める。
 「私は、この世界のすべてが砕け散り、終わりを迎えたとしても、きっと自分があそこへ戻ってゆくことを知っているんだ」
 ほとんど放心しているように、そう言った。
 高天原の話した内容を理解したとは、到底思えない。
 しかし、高天原の話した内容というよりも、彼の声の調子や彼がただそこに座っていることが、ぼくの現実認識を揺さぶった。
 人は知性そのものにではなく、知性を持った心がそこにあることに屈服するのだ。この感覚は理不尽だが、理不尽であるがゆえにあらがうことができない。ぼくはここに来るまで、それを知らなかった。ぼくの世界への関わりが、間接的なものだということに気づいてすらいなかったのだ。
 高天原が縁側の向こうに広がる空を見た。太陽は空の半ばをとうに過ぎている。
 「そろそろ、食事にしようか」
 皆が作業をやめ、身の回りを片づけ始める。元山宵子が無言のまま縁側から立ち上がり、土間へ降りていったかと思うと、大きな飯櫃を抱えて戻ってくる。呆然と座っているうちに、次々と食事の用意が運ばれて来、やがて卓の上は皿で埋め尽くされた。
 汁、焼き魚、お浸し、漬け物。
 卓の真ん中にあるいくつかの大きな鉢には、芋などの煮つけが盛り上げてある。
 筮竹のようにぎっしりと箸の詰まった箸立てから、皆が箸を抜いてゆく。
 横から、湯気の立つ白い飯の茶碗が手渡された。
 見ると、頭頂部のはげ上がった小太りの男が座っている。
 「いきわたったかな。それでは――」
 高天原の言葉に、場のざわめきが消えた。
 みな、これまでの来し方を振り返るかのように、思い思いの方向へ視線を向けている。じっと目を閉じる者もいる。
 すでに日は大きく傾き、外は薄暮の様相を呈していた。
 自身の羽根に首を埋めて眠る鶏。
 草葉の陰にチリチリと鳴る虫の声。
 そして、過ごした今日と同じ長さをした、長い静寂。
 「いただこうか」
 しかし、それは時間にしてみれば、ほんの数秒のことに過ぎなかった。
 場がざわめきを取り戻し、食事が始められる。
 ぼくは、不思議な感覚にとらわれたまま、白い飯の上に立つ湯気を眺めていた。
 横に座った小太りの男が、ちらりとこちらを見た。
 そして、低い声でこうつぶやいた。
 「君はきっと、長い間こういう食事をして来なかったんだな」
 何か他人の言葉の孫引きなんだろう、とぼくは考えた。
 ぼくは長い間こんな食事をしてこなかったんじゃない。これまでに一度もこんな食事をしたことは無かっただけだ。この男は、ぼくのことを何一つ理解しているわけではない。
 けれど、その言葉はひどく胸に落ちた。 それは、暗くなってゆく外の景色に比べて、この部屋の灯りがあまりに煌々と明るいせいかもしれなかった。
 懐かしさを感じるわけはなかった。なぜならぼくの人生のうちに、こんなことは一度だって、無かったのだから。
 ひとりで冷たいテーブルに座る子どもの映像と、冷えた飯の無機質なこわばった舌触りが一瞬脳裏をかすめた。
 男はもはや興味を失ったかのように、ひとり背中を丸めて、器用に焼き魚の身を骨からはがしている。
 ぼくは湯気の立つ茶碗を取り上げて、白い飯を口に運んだ。
 それは、不思議な感覚だった。
 知らず、頬を涙が伝い落ちた。

「あなた」がいるから、私もいる

(歌舞伎のような、しかし黒い隈取の男が腕を組んで、暗闇から浮かび上がってくる)やあ、諸君。とうとうここまでわたくしの話を聞いてしまいましたねえ。わたくしこと小鳥猊下がミクシィの門をくぐったとき「地獄」が待ちうけていたように「あなた」にも! ここまで小鳥猊下の物語をただの作り話として聞いてきた「あなた」にもこれからわざわいがふりかかるのです。「地獄」が待ちうけているのです。なぜならこれから待ちうける「地獄」はわたくし個人のドラマではありません。おたく全部がまきこまれてしまうのです。「あなた」も例外ではない、「あなた」も参加するのです。そして「あなた」は……(隈取男、暗闇にフェードアウトする)

以前に掲示板で行っていた更新のためのカウントを再開する。これまで全く私と連絡を持ったことの無い人物からの感想が無い限り、この先がアップロードされることはない。だが、どうか私を恨まないで欲しい。諸君もご存知のように私は完全に善良な愛すべき人材であり、責任の所在があるとすれば、それはすべてはただ見の観客の上なのだから……!!

こんなに少なくなるなんて……

アクセス解析を通じて知るnWoの来訪者数が日に日に減っていくのを見て心を痛めている。頻繁に更新されるサイトに人が集まるのは理の当然であるが、質を高めることで対抗できるのではないかという甘い期待も振り払うことができない。戦略的に敗北が見えていようと、戦術でその現状を逆転できるのではないかという夢想である。

現在ご存知のように、4~5年前に更新した”高天原勃津矢”を再アップしているところである。実のところ当時、物語の最後まで書き終わっていた。そして手元にはすべてのデータが残っている。だとすれば、小出しにせずに間を置かないで更新すればいいではないかと諸君は非難するのだろうが、読み直すとやはり細かい部分を修正せざるを得ない。いったんやり始めると、読点の位置などを延々と吟味するはめになる。読み手にとってはどうでもよくても、私にとってはどうでもよくないのである。この作業に金をもらっているのでない以上、明確に人生の空費と言えるだろう。「枯れた」などと掲示板に揶揄される私だが、書く内容はいくらでもある。生きているのだから、当たり前だ。しかし、書き始めれば大筋をそれて細かい部分が気になりだし、際限なく時間を食われてしまう。更新が間遠になるのも、そういう側面が多分にあることをご理解願いたい。”生きながら萌えゲーに葬られ”については、各パートを書き終わった後に大酒を飲み、細かい部分を見ないで更新していった。いま読み返すにつけ、悶絶するような粗雑さが垣間見え、結局手元で延々と微調整を繰り返している有様である。完全版ができれば現在の更新分を上書きするつもりだが、それがいつになるのかはわからない。”高天原勃津矢”についても各パートにつき数時間は読み返さないと、到底アップする気になれないのである。そうしてさえ、日が経って後悔することは避けられない。連続した数時間を日常に確保することの困難さは、社会人のみなさんならご理解いただけることと思う。傲慢なキャラで売っているからと言って、手軽にやっているわけではないことを念押ししたい。

時間余り皮余りのおたくどもに「枯れた」と言われ、枯れたゆえに更新が止まっていると思われるのが実に癪なのでいくつか先に伝えておく。以前予告していた”閉経おばあさまへ”は上田保春と高天原勃津矢が出会い、対話する内容になるはずだった。しかしこれは凍結したため、一人で妄想してニヤニヤすることにしたい。そして、数年来の宿便”高天原勃津矢”をひねりだした後は、正月に掲示板で言及した少女が日本刀で戦う話で更新する。題して”少女保護特区”。自己言及型ビジュアルノベルふうになるはずだ。腕をもみしぼる業界の方々が目に浮かぶようである。

まとめると、「ここまで更新すれば萌え画像が手に入る」といったような目に見える労働対価が示されれば、更新頻度も高まるだろうという話なのでした。

今日はみんなに重大な発表があります

 タミフルをゴリゴリと上下の臼歯でラクダの如く咀嚼しながらお送りする、「小鳥猊下の流感のようす in mixi」なわけだが、今日は”よい大人のnWo”コミュニティの管理権譲渡に関する話題である。このくだりを読んだ途端に目をそらして口笛を吹き始めたそこのお前、ここに及んで知らないとは言わせないぞ。小心な諸君が「鬱陶しいんだけど、面と向かって切るような後味の悪さも背負いたくない」ゆえに「自然と疎遠になる」よう連絡を絶ったとしてさえ、母親よりもお節介なソーシャルネットワーキングサイトは諸君の眼前に彼ないし彼女の動向を次から次へとつきつけ、対応を要求してくるのだから。それはほとんど、かつて関係を持った女性の以後の男性遍歴がその都度ポップアップウィンドウで眼前にお知らせされるようなもので、私なら自分の頭蓋を鈍器で積極的に陥没させる現実を選ぶだろう。いま私の頭蓋骨が陥没していないのはひとえに、小鳥猊下を名乗るサイト運営者と、パソコンの前に座るこのくたびれた一サラリーマンが明確にその人格を乖離しているおかげである。話がそれたが、現実において人間関係の明確な切断は”死”しかありえず、その場合さえ考慮すべき感情は自分のものだけである。いや、君の脳内野次を汲んで言うのだが、男女の愁嘆場や殴り合いの絶交などを経験できる人間は私のサイトを読んでいない。結果、すべての情報を余すところなく与えられるがゆえに、保留による人間関係のフェードアウトが不可能ゆえに、ここミクシィでは否定か肯定だけが選択肢として残されるのである。反応が無いのは否定ということだ。諸君が自分に対して好意的に考えるような、”無関心”では決してない。人間関係疑似シュミレーターが取りこぼした、もしくはわざと見なかった部分が、現実には稀少な類の感情的コンフリクトを頻繁にしていると言える。何、「現実で面識あるから問題無いッスよ」だと。馬鹿、お前には話しかけていない。つまり、朦朧とした頭で何を言っているのか次第にわからなくなってきたが、「足あと」と「マイミク登録者」と「タイムスタンプ」を参照すれば、”コミュニティの管理権委譲”という議題に対して、諸君の今後の動向に明確な意味づけができる。この日記を読んだ時点で、貴方はすでに罠にはまっているのです。このような利用法があったとは、さすがミクシィ改め『ドキッ☆アリバイだらけのトラウマ教室』の面目躍如と言えよう。

 長々と書いたが、つまり「黙ってないで誰か手を挙げろよ、困ってんだろ」ということと、「新しい地域社会に入ったんなら普通挨拶くらいするだろ。半数以上が無言なのは現代社会をわざわざ体当たりに象徴してみせてくれてんのか」という至極当たり前の常識が言いたいだけなのであった。

甲虫の牢獄(3)

 高天原が指定した集合場所は、郊外の無人駅前にある空き地だった。
 実際には、人気の少ない真昼の電車に三十分ほど揺られていただけのことだったが、無人駅のホームに足をつけたとき、ぼくは身も心も疲労困憊の極に達していた。パターンから離れた場所で、ぼくはすべての瞬間を決断し続けなければならなかったのだから。
 小休止のつもりでホームの鉄柵に身を預け、それがここをいつ離れるかについての決断をぼくに迫っているのに気づき、ほとんど絶望的な気持ちになった。
 振り返れば、見下ろした先に目的地と思しき空き地が見える。そこにはすでにいくつかの人影がある。
 ぼくは動揺を感じた。高天原が声をかけたのがぼくひとりではないという可能性に、思い至っておくべきだった。
 自分の中に生まれた感情に促されて、鉄柵から身をもぎはなした。よろよろと駅の改札口まで歩いていく。他に選択肢は無かった。ぼくは夢遊病者のように見えたことだろう。家を出て以来、ぼくは感情の乗り物のようだ。感情が衝動を刺激し、身体を遠隔操作している。
 改札出口の階段を下りると、道路を渡る。ほとんど脅えるようにして、ぼくは空き地へと足を踏み入れた。
 そこにいる人々はお互いに無関係であるかのように距離をあけて立っており、外見からは高天原に関係する人物なのかどうか、判断がつかなかった。
 見られていることを意識しながら、彼らの前を横切って空き地の隅へと歩いてゆく。荷物を地面に下ろすと視線を向ける先に難渋し、こういう際の習い性として自分のつま先を見つめることにした。
 やがて値踏みが終わったのか、向けられていた視線が途切れるのを感じる。ぼくは塹壕からのぞくようにわずかに顔を持ち上げると、上目遣いでそこにいる人々を観察する。
 人数は、ぼくを含めてちょうど八人。服装や年齢に統一したものは全く感じられない。向こうもぼくを見て同じように考えていることだろう。ぼくは順に見回しながら、違和感を覚えて視線を戻す。
 果たしてそこには、制服姿の少女が立っていた。
 手入れの行き届いたぴかぴかに光る革靴、ワンポイントの入った白のソックス、ほとんどその白と変わらぬ細いふくらはぎ、襞の入った紺色のスカート、上着の左胸には校章だろうか、何かの植物をあしらったロゴマークが縫いつけられている。肩口に切りそろえられた黒い髪が白い襟にわずかにかかる。ふちの細い眼鏡、意志の強そうな太い眉。
 突然、少女がこちらへ顔を向けた。一瞬、正面からその目をのぞきこんでしまう。
 黒く深い、澄んだ大きな瞳。
 あわてて視線をそらす。
 ぼくのこれまでの人生がすべてが非難されているかのような、いたたまれなさが膝頭からわき上がる。慣れ親しんだその感覚を全身を固くしてやり過ごす。
 しばらくして顔を上げると、彼女はもうこちらに背中を向けており、空き地の入り口をただ見つめていた。
 両手を軽く握り、背筋を伸ばして立つ明確な意志を持った後ろ姿。
 その人生は、ぼくのものとは真逆の要素ばかりでできあがっているのに違いなかった。ぼくが持つことを拒否したものが、すべて少女の中にあるような気がしたのだ。
 どのくらい時間が経ったのか。
 周囲を照らす陽光の色合いに翳りが含まれ始めた頃――
 大型のワゴン車が空き地へと侵入してきたかと思うと、乱暴に砂埃をあげて停車した。
 助手席から、ロングコートにサングラスの男が、サンダル履きで降りてくる。コートの下には、不釣り合いにジャージがのぞいている。見間違いようもなく、高天原勃津矢だった。
 ドアを閉めると、コートのポケットに両手を突っ込んだまま、高天原は空き地の中央へと歩を進めた。そして、何かの合図ででもあるかのように軽く右手を上げる。集まった人々はお互いに牽制をあらわにし、顔を見合わせた。
 何のためらいもなく一歩を踏み出したのは他の誰でもない、あの少女だった。それに促されるようにして男たちは、ぞろぞろと高天原の周りへ蝟集する。
 ぼくは、少女の横に立った。彼女の頭はぼくの肩の下にあり、ずいぶんと小柄なことがわかった。彼女の意志が、彼女を実際より大きく見せるのかもしれない。わずかに流れる風が、甘い匂いをぼくの鼻腔へと運んできた。局部に不意の昂まりを感じぼくが顔を赤くするのと、高天原が話し出すのは同時だった。
 「どうやら一人の欠員もなく、そろっているようだ。改めて自己紹介をさせてもらおう。高天原勃津矢だ。エロゲーを作り始めて、長い。この中には私のことを知っているものも、知らないものもいるだろう。私の作品をプレイしたことがないものも当然いるはずだ」
 軽い笑い声が上がった。高天原を知らないものがここにいるはずがない、といった意味の笑いだったのだと思う。
 少女だけが笑わなかった。
 「だが、私はそんなことには関係なく君たちを選んだ。私が君たちを選んだのは、君たちが私の必要とする才能のうちで、それぞれ最高のものを持っているからだ」
 高天原は全員の目を順番に見ながら、言った。
 ぼくは身震いする。それは遠く忘れかけていた、懐かしい感覚だった。誰かが、他の誰かではない自分の存在を求めてくれている。肯定されることは、こんなにも心の奥底を痺れさせる快感だったのか。ぼくは目頭が熱くなっていくのを安い感傷だと恥じたが、その熱さが止まることはなかった。
 「狭いこの業界のことだ、お互いを見知っている者もいるかもしれない。けれどそれは、胸にしまっておいて欲しい。私はまったく一から、この場所から君たちの関係を始めて欲しいと思っている。それは、今回の作品に必要なことだ。これから一年間、私は君たちを拘束する。同じ家で寝泊まりし、寝食と仕事をともにするのだ。私はそこで、独裁者のように振る舞うだろう。生活に必要となるもの、君たちの個人的な嗜好品などは、すべてこちらで準備しよう。君たちの持つ才能への支払いとは全く別でだ。この条件を呑んでくれそうな人間を集めたつもりだが、もちろん、この場で辞退してもらっても構わない。代わりの準備はしてある」
 そこまで言うと、高天原は沈黙する。
 才能を認めると言いながら、代わりはいると告げる。高天原は的確にぼくの感情をゆさぶって、彼が意図しているのだろう結果へと誘導してゆく。ぼくに求められているものが何なのかはわからなかったが、高天原の言葉を聞いただけで、この場を立ち去る選択肢は無くなっていた。
 ぼくに代わりがいるのは知っている。この世界のほとんどの場所で、ぼくの代わりはいるだろう。しかし、それは観念的な理解に過ぎなかった。目の前でぼくの代わりが高天原に肩を抱かれて歩み去っていくのを見て、ぼくはそれに耐えることができるのか。ここに残るためなら、あそこへ戻らないためなら、ぼくはそいつを殺しさえできるだろう。
 ぎょっとして、もう一度その言葉を心の中で繰り返す。それが嘘ではなく、どうでもいい何かに冷えてもいないのを知って、ぼくは驚いた。抱いた意志が一瞬ののちに拡散してしまうだけではなく、積み上がることもあるのだという事実に驚いたのだ。
 誰も身じろぎひとつしない。場を覆う緊張感が、次第に高まっていくのがわかる。
 少女は何を感じているのだろう。隣に立つ彼女の様子をぼくは横目でうかがった。唇を引き結び、その大きな瞳でまばたきもせずに高天原をにらみつけている。
 たっぷり五分ほども経過しただろうか。ひとりとしてその場から動こうとしないのを見て、高天原はうなずいた。
 「これで私はひとつ、革命へのハードルをクリアしたというわけだ」
 高天原が相好を崩す。その人なつっこい微笑みは、先ほどの緊張感を生み出していたのと同じ人物であるとは思えない。安堵の空気が流れるのがわかった。そして、ぼくたちに向けて頭を下げる。
 「君たちの決断に対して、礼を言わせて欲しい」
 意外な言葉。しかし再び顔を上げたとき、彼の顔から微笑みは消えていた。
 「君たちの過去を見て私は君たちを選んだが、これから向かう場所でさらに君たちの過去が重要になるとは考えていない。いまから、自分の思う好きな名前を名乗ってくれ。ペンネームやハンドルネームのようなものだ。本名以外ならば、どんなものでも構わない。君たちの関係を、いまこの瞬間から新たに始めるためだ」
 高天原に促され、誰もが淀みなく名前を述べていく。外国の人名を名乗る者や、何かのキャラクターと思しき名前を言う者、数字を羅列する者さえいた。
 ぼくの全身から汗が吹き、冷えた。
 いまの自分は真実の自分ではないと思ってきたにも関わらず、ぼくに何か別の明確な自己イメージがあるわけではなかった。自分の名前を自分で決定する。それは自己定義と同じことだ。自己定義を意識的に放棄し続けてきたことが、ぼくのいまにつながっている。ぼくに何か言えるわけがない。
 だが、その逡巡が現実に何らかの影響を持つことはなく、やがて順番は回ってきた。
 何かを言わねばと、口の中でもごもごと舌を動かすが、それが言葉になって外へ出てゆくことは、ついに無かった。
 「決められないんだな」
 高天原には、ぼくの沈黙の意味がわかっているのだろう。きっと、ぼく自身よりも正しく。
 「では、君の名前は――」
 一昔前に人気のあったアニメの主人公の名前が告げられた。皆の口元に失笑が浮かんだような気がして、ぼくは顔を赤らめてうつむいた。他人の中にいるとき、ぼくの位置は否応なく他人の存在によって定められてしまう。ぼくは薄っぺらに相対化され、相対化された自分を見てぼくは無力感に思考を停止するしか無くなる。けれど、しばらく考えることをやめさえすれば、いつもその屈辱は忘却が連れ去ってくれた。
 視界の端に少女のスカートの襞が揺れるのが見えた。彼女はきっと、他人に規定されたりはしないだろう。両手を軽く握り、背筋を伸ばして立つ明確な意志を持ったその姿。少女は、親指の先を軽く噛んで、逡巡するようだった。その白い頬は内からこみあげる感情に紅潮して、暗くなりゆく大気の中で、淡く輝いているように見えた。
 「私の名前は、元山宵子です」
 よく通る、強い声だった。ぼくとはまるで正反対に、他人に何かを伝えようとする意志に満ちていた。自分の言葉が、他人にとって意味をなさないのかもしれないという疑念を一欠片も含まない、それゆえに美しい声だった。
 「そうか、君は元山宵子と名乗るのか」
 高天原が、ひどく真面目な調子で言った。
 「言い忘れていたが、元山君には週五日の通いで働いてもらうことになっている。未成年を監禁するわけにはいかない。現実の常識はエロゲーと多少違うからね」
 笑い声が上がる。やはり、少女だけが笑わなかった。
 「では、行こうか」
 高天原は身をひるがえすと、ワゴン車の助手席へと乗り込んだ。
 ぼくたちも後へと続く。運転席には頭頂部のはげあがった小太りの男が座っており、黙ったままぼくたちをバックミラー越しに一瞥した。
 ぼくの隣に少女が――元山宵子が座った。
 彼女は、ぼくの方を向いて軽く会釈をした。
 小さなおとがいが上下に揺れる。
 深い瞳の底にある、ふしぎなかぎろい。
 耳朶に血液が集まってゆくのを感じて、ぼくは窓の外を眺めるふりで、元山宵子から顔をそむけた。背後に砂埃を巻き上げながら、車が発進する。
 駅前にはかろうじてコンビニエンス・ストアに、カラオケ屋、学生用のアパートなどがあったが、しばらく走ると、同じ県下とは思えないほど田舎びた風景が広がり始めた。
 道路の両脇には田んぼが広がり、その向こうに民家が、その先に山のつらなりが、山の輪郭の上には電線が見えた。
 車内の全員が、なんとなく黙り込んでいる。高天原の言葉を待っていたのかもしれないが、それ以上に不安もあったろう。
 やがて車は大きく左折して幹線道路をそれると、山の中へと進んでいった。ほとんど一車線しか無い細い道路が、螺旋状に山を巻いている。ときどきやってくる対向車に、舗装の無い草むらへと待避しながら、ぼくたちを乗せたワゴン車は次第に高みへと登っていった。
 カーブを曲がるたびに、横に座る元山宵子の柔らかい感触が、ぼくの半身に押しつけられた。ぼくは両足をきつく閉じて、できるだけそれを意識しないように努力する。
 山道を登っていくにつれて白いもやが深まってゆく。白いもやは、通り抜けてきた山の底へ溜まってゆくようだ。
 ぼくは不思議な既視感にとらわれる。
 白いもやを抜けるとそこには――
 山肌の傾斜へ張りつくようにして段々畑が広がっており、いくつかの民家が点在しているのが見えた。
 やがてワゴン車は道路の片隅に停車した。そこから、土を踏み固めただけの細い下り坂が、一軒のわらぶき屋根の家の前庭へと続いている。
 高天原は指さして、言った。
 「諸君、あれがこれから一年を過ごすことになる、我が家だ」

甲虫の牢獄(2)

 遠い海の向こうで、旅客機が摩天楼へと激突する。
 ぼくは知らず手をうち、快哉を叫んでいた。
 ブラウン管の中で繰り返し炎上し、繰り返し崩落する巨大なビルを見て、ぼくは死んだ祖父が熱っぽい目をして戦争を語るときに必ず感じた、あの言いようのない劣等感を久しぶりに思い出していた。ぼくは、それに対しての快哉を叫んだのかもしれない。
 あのとき、ぼくは本当に心の底から興奮していた。ぼくが生まれたときすべては終わってしまっていて、世界は情事を済ませた後の娼婦みたいに、ぼくを拒みもしないかわりにぼくを受け入れもしなくなっていた。世界の揺るがなさは、例え百万年生きたところで、一千万年生きたところで決して変わることはないと、ぼくはそれを歴史の教科書に載っているような無数の確定した事実のひとつとして理解していた。
 突然番組が切り替わり、旅客機が摩天楼へと激突する。緊迫した様子のキャスターが告げる。「みなさん、たいへんです。この世の終わりがやってきたのです、あろうことか私たちの生きているこの時代に!」
 終末の幻視。一番最初にぼくに浮かんだ気持ちは、同情でもなく、悲しみでもなく、まして憤りですらなく、そのあと生まれたすべての良識的感情を越えて、そう、快哉だった。世界という名前のゆるやかなあきらめに生じた亀裂を見た者の、変容への期待に満ちた快哉。世界が再生するための死のイベントへ向けた、心からの喝采だった。
 ぼくは、異常者なのだろう。どれだけ強く殴れば人が死ぬか、どれだけ深く刺せば人が死ぬか、最も秘すべき性の知識でさえも湯水以下の価値の情報として氾濫する中で、本来なら生物がすべて持っているはずの、その命への実感がぼくには決定的に欠落している。ぼくの知っている血は、瞳に照り返すゲームのモニターの赤でしかない。ありとあらゆる知識をあびるように与えられ、肉を養うすべての栄養をふんだんに与えられ、そうしてぼくは、命の実感とは最も遠いところで自分さえもわからぬまま立ち往生している。
 空が落ちてくることを恐れて、家に閉じこもった男の話を思い起こす。その男は間違いなく空が落ちてくることを望んでいたに違いないと、ぼくは思う。そんな破格の災厄ででもなければもう世界とはつながることはできないと、彼は思っていたに違いないのだ。
 だが、破格の災厄にさえ、ぼくの日常はゆるがされなかった。
 現にぼくは、ここで未だにどこへも動けずにいる。
 いつも焦燥感だけがあった。みながぼくを非難するのとは正反対に、何かをしなければいけないという思いは強くあった。でもそれは、両親が求めているのだろう、世間とコミットするというレベルのものではなかった。
 ぼくは、たったひとりで世界を救わなくてはいけないと思いこんでいたのだ。
 完全な自由は発狂と同じように機能する、という言葉を聞いたことがある。では、ぼくは完全に狂っているのかもしれない。選択肢は常に無限に用意されていて、その無限という広がりを保つためだけに、ぼくはどれも選ばなかった。無限の未来が約束していたのは永遠の保留で、ぼくの感情はその一片一片を怒りとか悲しみとか名付けることが不可能なまでに細分化されていた。浮揚するすべての電波を同時にひろうラジオが、ラジオという名前の役目を果たさないように、ぼくもぼくという名前の役目を果たしてはいなかった。
 ぼくが求めていたのは、鍬をひく牛のような鈍重なゆらぎの無さだった。
 けれど、誰もぼくにそれを許してはくれなかった。暗がりにうずくまっているぼくの手をとり、ぼくの盲をとき、ぼくに自由と理性の素晴らしさを教え、この世の苦しみのすべてを理解する透徹した視力を与え、そして手を離した。
 ぼくはこの世界のすべての可能性とあらゆる美しさを生まれながらにして与えられていたのだから、残されているのは世界を破壊するか、世界を救済するか、それしかなかったのだ。
 そして世界を壊す手段も救う手段もなかったので、ぼくはどこへも動けなくなった。
 ぼくには思考も言葉も助けにならない。ぼくに好悪はなく、ぼくの意識はぼくが世界を理解することを疎外しない。人生を踏み出すのに不可欠な偏見や思いこみが存在しない。ぼくの心はあまりにも歪んでいなさすぎるので、すべての働きかけはどこへも引っかかることなく心の表面を滑っては落ちてゆく。
 ぼくの前にはほとんど哲学のような圧倒的普遍性が広がっていた。
 大地を耕す牛の視界には、わずかの土しかないだろう。そこから始めなければならなかったのに、ぼくは初めからすべてが等しく大切であり、無価値であるその地獄のような場所に放置されていた。足すことも引くことも必要のない完全な楽園がぼくに与えられた最初の、そして最後の居場所だった。
 例えば、ゴールに立たされたマラソンを知らないマラソンランナー。
 ぼくはずっと、そういう存在だった。
 
 毎晩、夢を見る。決まった夢だ。
 細長い岬を多くの人間たちが一列になって、粛々と歩いてゆく。
 その左右は崖になっていて、底は見えない。
 周囲を白いもやが取り巻いていて、見通しはほとんどない。
 列を乱す者はいない。列を乱せば、墜落するしかないからだ。
 進むにつれて、足下はどんどん狭くなってゆく。
 ときどき、谷底へと落ちてゆくものがいる。
 黙って落ちてゆくものもいれば、泣き叫びながら落ちてゆくものもいる。
 しかしどちらも、ただ落ちてゆくのだ。
 次第に、周囲を取り巻いていた白いもやが晴れてゆく。
 岬は先細りの果てに、ついにその先端へと収束している。
 もうその先に道はない。
 ひとり、またひとり、岬の先端から落ちてゆく。
 黙って落ちてゆくものもいれば、泣き叫びながら落ちてゆくものもいる。
 しかしどちらも、ただ落ちてゆくのだ。
 やがて、ぼくは自分がその緩慢な行進の最突端にいることを知る。
 ぼくは大きく後ろを振り返り――
 いつもそこで目が覚める。
 全身が寝汗で濡れていた。
 正体のない頭で視線をさまよわせると、枕元に置かれた名刺が見えた。意識がクリアになる。
 高天原勃津矢。それは、ここから脱出するためのチケットだった。高天原と名乗る男の申し出は、絶対にあり得ないと思っていた、ここからの出口だったのだ。
 世界を革命する!
 ただ座したまま一切と関わりの無い場所から世界を観察する以外で、世界を救済し、あるいは破壊する以外で、世界を革命することがぼくに唯一可能な行動の選択肢だったのだ。
 ぼくはベッドから起きあがり、階下のトイレへと向かった。
 そこで、家人とはちあわせた。
 いっそののしりあいになれば、どんなにか楽に物事は運ぶことだろう。両親を殺す同年代の事件を見て、ぼくはいつもうまくやりおおせた彼らに嫉妬を感じたものだった。全員が等しく選ばれており重大で、無限の可能性を秘めているこの世界で、ぼくは誰かに明確に自分を断罪させたかったのかもしれない。この生活の繰り返しの中で両親が世界と同義になったとき、ぼくは両親を殺すのだろうと思い続けてきた。ぼくにできるのは、世界を救済するか破壊するかしかなかったのだから。
 ぼくと目を合わせないように、「コンビニに行ったのかとばかり……」と寝間着の上に半纏を着込んだその人影は言った。
 いつもならば身の凍るようなその場面に、もはやまったく何も感じない自分に気づいた。
 夜の淡い空気の下に、にぶく光を放つ五百円硬貨。ぼくは取ることも、取らないこともできる。
 それは、これまでの永遠が嘘のような明快さだった。ぼくの生は、高天原に見いだされたことで革命したのだ。
 五百円硬貨に背を向けて自室に戻ると、ぼくは名刺に記されたアドレスへメールを送信した。