それは言わば、おたくたちの火葬だった。
生きながら炎に焼かれ、地面を転げ回るおたくたち。
やがて、おたくたちに向けて放水が始まった。放水をする者の表情に人を助ける崇高さはなくて、ただ隠しがたい嫌悪がうかがえる。それは火を消すというより、彼らを自分たちの方へ近づけないためのようにも見えた。
炎が消え、路上にくぐもったうめき声だけが残される。人々はただ遠巻きに見つめるだけで、あるいはお互いの顔を見合わすだけで、誰も近づこうとはしない。
焼けこげた衣類の残骸をひきずりながら、おたくたちの一人がよろめきながら立ち上がった。炎に焼かれながらも手放さなかったエロゲーの美少女が描かれたビニル製の手さげ袋は、熱で変形してしまっている。美少女の巨大な瞳は溶けて黒い眼窩となり、その頭蓋は異様なデッサンを更に大きく誇張するように歪み、口元に貼りつくその微笑は戯画的なまでに変形し、周りを囲む者たちを嘲弄している。
赤黒くただれた皮膚をつらせて、哀願にも見える表情で、そのおたくは一歩を踏み出す。
画面の外から、女性が悲鳴を上げるのが聞こえた。
無理もない。普段は秘し隠している、人間とは違う悪魔的な本質をそのおたくは白日の下にさらしているのだから。
何をもっておたくを定義するのか?
それは内側から発した、自己定義の問いなのだ。
おたくを定義しようと試みる者は、すべておたくなのである。
その異常な精神性は、おたくたちの外観をあなたたちとは違うものにしていて、あなたは見ればすぐにそれとわかる。あなたがおたくを見ておたくとわからないならば、あなたがおたくなのだ。牛は牛であることに疑問を感じ、苦悩しているのかもしれないが、人間から見れば、彼らは牛だというに過ぎない。言葉は一切必要ない。
取り巻く人々の群れから、一本のペットボトルがよろめき歩くおたくに向かって投げつけられる。よけることもできず、それをまともに顔面に受けたおたくはもんどりうって倒れこみ、動かなくなる。
あの事件の直後、ネットをかけめぐったホームビデオによるこの映像は多くの議論を巻き起こしたが、それはぼくに言わせればおたく同士の言葉の交換と、形を変えた自己擁護に過ぎなかった。
高天原を紹介する司会者の声とそれに対するコメンテーターたちの反応に、わずかに軽蔑の調子が含まれているような気がしてならない。ブラウン管に浮かぶ高天原の姿はいつもの絶対性から遠く、ひどく薄っぺらに見え、周囲を取り巻く負の感情に浸食させないだけの圧力を感じなかった。
「今日ここに呼ばれた理由はよくわかっています。欠席裁判を行わないため、あるいは安価の国選弁護人として、私はここに座らされているのでしょう」
加えて、高天原の話す言葉がスピーカーを通じることであまりに客観的に聞こえすぎてしまったので、ぼくは不安になってテレビを取り囲む男たちの表情を横目でちらりと確認した。彼らはいつもと同じような熱を帯びた視線で高天原を見ている。だとすれば、すべてはぼくの感じ方の問題であるのだろう。
昨日と今日は同じ日なのに、ぼくだけがいつも安定しない。あの日々の繰り返しのうちに、ぼくは自分の感じ方を世界へのものさしとして利用するのを放棄した。ぼくの中を満たす曖昧さは、現実を包むことはできても、測ることはできない。
だから、高天原はきっといつものように完全なのだ。
昨日、プログラム上の不具合がのぞかれ、高天原のエロゲー”甲虫の牢獄”は完成した。
ぼくの書いたシナリオはアイデアはそのままに、高天原の手よって大幅に改稿された。それでもぼくは満足だった。ぼくがずっと感じてきたことが、高天原の手によって完全な形に昇華されたのだから。ぼくは自分自身が高められたような気さえしていたのだ。
高天原は全員を呼び集めると、いつものように話し始めた。
「この一年間、私のわがままを受け入れる形での共同生活に耐えてくれて、本当に感謝している。君たちに家族のような関係を持ってもらうことが、私のねらいだった。それはきっと、直接的な形ではないかもしれないが、このゲームの持つ雰囲気になんらかの影響を与えているはずだ。実は、君たちのうちのひとりでもいやだと言えば、私はこの制作形態を断念するつもりだった。それもこれも、君たちが金銭上の契約関係を越えた何かを私に感じてくれたからだろうと、嬉しく思っている」
高天原は、”甲虫の牢獄”のプログラムが入った円盤を眼前へ掲げた。
「これからこのデータは小型ハードディスクへと無数にコピーされ、日本全国へと発送されることだろう。しかし、これは象徴にすぎない。私の革命は、この中には無い」
拍手がまばらに起こった。かすかなざわめきが続く。ぼくの後ろに立っていた男たちが、小型ハードディスクを配布メディアに使うことについての疑義を小声で囁きあっているのが聞こえた。高天原の発言に対し、誰かが直接ではないにせよ疑いを露わにする。それは異常なことのようにぼくには感じられた。そこにいた誰もが高天原の意図をはかりかねていたのだ。
高天原は部屋の隅にひっそりと控えていた小太りの男に円盤を手渡した。はげ上がった頭頂部に手をやりながら、男は部屋を出てゆく。本質的にrebellionが不可能である苛立ち。彼はあの言葉で何を意味していたのだろう。
「最後に、君たちに言っておきたいことがある」
ざわめきは消え、しんとした静寂が落ちた。
それはおそらく期待、だったのだろう。いよいよ、高天原はぼくたちに最後の言葉を言う。その言葉によって、ぼくたちの生は新たな段階へと革命されるのに違いない。
しかし、高天原は軽く下唇を噛んだまま、何かをためらっているように見えた。
不自然な沈黙の後にようやく発された言葉は、ぼくたちを失望させるに足るものだった。
「一週間以内に、ここを出ていって欲しい。この家の賃貸の契約が今月末で切れることになっている。それから、これまでの製作期間中と同じように、今後もこのゲームの制作に関わったことは口外しないようにしてくれると助かる。強制はできないが、少なくとも発売から一ヶ月、つまり」
誰もが困惑していた。高天原がまるで対等に、ぼくたちをどこへも誘導しないようにしゃべっているからだ。ぼくは自分の動悸が早まるのがわかった。
「このゲームの正当な評価が下されるまで、じっと見守って欲しいということだ。革命前夜の密告で、すべてが水泡に帰した例は、歴史上いくらでもあるからね」
高天原らしい警句に、ようやく安堵の笑い声が上がり、軽口が飛ぶ。
「発売日までの間、私は自ら広報活動に出ようと思っている。作品が私の手を離れて世に出る最後の瞬間、私は自分の能力への強い信頼に関わらず、この世で一番気の弱い人間になってしまうんだよ」
何人かが協力させてほしいと申し出たが、高天原は片手をあげて笑顔でそれを制した。
それから、奇妙にきっぱりとした調子で、こう告げた。
「私と君たちは、今日ここでお別れだ」
その晩遅く、ぼくは寝つけずに起き出した。台所で水を飲んでいると、かすかに誰かの話し声が聞こえた気がした。
土間をのぞき込むと、ボストンバッグをかたわらに腰掛ける高天原の姿があった。話している相手は、どうやら元山宵子らしい。高天原が厚みのある封筒を元山宵子に手渡しながら、何ごとか言う。ぼくのいる位置から、その内容は聞こえない。交わされた契約はわからない。元山宵子は、小さくうなずいたように見えた。高天原はバッグを手にすると、玄関から音もなく出ていった。
その場に立ちつくして、高天原の後ろ姿をいつまでも見送るようだった元山宵子は、やがてゆっくりと振り向いた。開け放たれた引き戸から土間へと差し込む月明かりを映して、元山宵子の両目はまるで意志疎通の不可能な動物のように輝いている。そこに立っているのが本人であることを疑う要素は全く無かったにも関わらず、ぼくの感情はそれが元山宵子ではないと告げていた。それがこちらへと歩いてくる。
ぼくはあわてて身を翻すと、皆が寝ている部屋へと駆け戻り、寝床に潜り込んだ。
二人はいったい、何を話していたのだろう。
あふれだす下衆な想像を振り払うと、ぼくは頭まで深々と布団をかぶり、眠った。
そして、夢を見た。その夢を見るのは、実に一年ぶりだった。
細長い岬を多くの人間たちが一列になって、粛々と歩いてゆく。
その左右は崖になっていて、底は見えない。
周囲を白いもやが取り巻いていて、見通しはほとんどない。
列を乱す者はいない。列を乱せば、墜落するしかないからだ。
進むにつれて、足下はどんどん狭くなってゆく。
ときどき、谷底へと落ちてゆくものがいる。
黙って落ちてゆくものもいれば、泣き叫びながら落ちてゆくものもいる。
しかしどちらも、ただ落ちてゆくのだ。
次第に、周囲を取り巻いていた白いもやが晴れてゆく。
岬は先細りの果てに、ついにその先端へと収束している。
もうその先に道はない。
ひとり、またひとり、岬の先端から落ちてゆく。
黙って落ちてゆくものもいれば、泣き叫びながら落ちてゆくものもいる。
しかしどちらも、ただ落ちてゆくのだ。
やがて、ぼくは自分がその緩慢な行進の最突端にいることを知る。
ぼくは大きく後ろを振り返り――
そこで目が覚めた。全身が寝汗に濡れていた。
午前中に運送業者がやってきて、すべての機材を引き上げていった。トラックを見送ってまばらに室内へと戻ると、そこには早くも空漠とした雰囲気が広がっていた。
午後になると、元山宵子がいつものように制服姿で現れた。ワゴンを運転してきたのはあの男ではなく、知らない誰かだった。高天原さんにそうじを頼まれて、と彼女は皆に言ったが、一向に何かする様子もなく、相変わらず縁側で両足をぶらぶらさせていた。いくつか高天原の動向について質問があったが、彼女は曖昧な返事をするのみだった。ぼくは気づかれないようその横顔をちらりとうかがうが、それは昨晩のようではない、ぼくの知っている元山宵子だった。
日も傾き始めた頃、彼女は大きく伸びをすると、そのまま後ろ向きにのけぞるような格好で柱時計を見た。
黒い髪の先端が流れて畳に触れる。制服の下に長く伸びた細い肢体と、白い喉。
ぼくはあわてて目をそらした。
元山宵子はよつんばいにテレビまでいざってゆくと、スイッチを引いた。つまらなさそうにガチャガチャとチャンネルを回し、ある番組で手を止める。
「これって、もしかして高天原さんじゃないかしら」
元山宵子の声に、気の抜けたようにぼんやりとそれぞれのことをしていた男たちが、ぞろぞろとテレビの前へ集まった。
そしてぼくたちはいま、高天原を見ている。
「私はちょうど、みなさんの日常に不穏な影として再び現れはじめたにも関わらず、みなさんが生理的な拒絶以上の理解をできない人々とみなさんとの中間地点に立っているという自覚があります。どちらの、こういってよろしければ文化も理解し、それをある程度までなら通訳することもできる。ただ、私はいずれの利害にも与していないという点から、どちらにとっても積極的な外交官とは言えないかもしれませんが! さて、みなさんが好んで使われるあの呼称で呼んでしまうと、その単語の持つ負のイメージが私の説明を、あるいは私の説明へのみなさんの理解を歪めてしまう恐れがあります。ここでは、彼ら、とだけ呼ぶことにしましょう。みなさんは、できるだけ、彼らへの偏見を捨ててお聞きいただければと思います。私は、彼らとの関わりを考えずに、この時代を生きることの危険性をみなさんに理解していただきたいのです」
カメラが引いた際に映し出された他のコメンテーターたちが、明らかに鼻白んだ様子を見せている。きっと彼らが期待していた言葉とは遠いのだろう。再び高天原へと映像が寄る寸前、司会者の男が助けを求めるような視線をスタジオへ向けるのが見えた。
「彼らが求めているものを一言で表すとするなら、”自己憐憫を注入するための虚無の器”と言えるでしょう。彼らには思想も信条もありません。ほんの些細な日常での決断に、それを決定することが自分の人生へ深甚な影響を与えるのではないかと恐れて、巨大な課題と挑戦を感じて、彼らは判断を停止してしまう。選ばなかったものへの後悔に耐えきれず、永遠を立ち往生しているのです。彼らに唯一あるのは、意外に響くかも知れませんが、感情そのものです。彼らはその無感動の様相とは裏腹に、荒波のような内面の葛藤に常に揺さぶられています。全身の激しい痙攣が昂じて、それが周囲には全くの硬直にしか映らなくなっている、と言えばおわかりいただけるでしょうか。コマの回転が静止を生み出すようなものです。ですが、その感情は日常で私たちに選択を促す、物事に対する好悪の段階には達していません。好悪に基づく選択は思想の発端ですが、彼らの内側に他者へと向かう感情は存在しないのです。自己憐憫を中心にして、それを囲む衛星のごとく喜怒哀楽が旋回している。彼らの精神生活は人間のベースにある動物的衝動と言うよりも、外部刺激に向けての昆虫的反射の連続で成立しています。彼らの興味は自分以外には向かず、それゆえ外的な反応はすべて心を伴わない反射の段階に留まるのです。根本的に、みなさんとはその心の構造が異なっているのだと考えて下さい。外見の無感動さと、その応答の無機質さ、あるいはみなさんの仲間を装おうとしながら好悪を持たないゆえにいつも失敗する、あの奇妙奇怪な演劇的応答から推測できる以上の内面の差異が、みなさんと彼らの間に存在すると言っていいでしょう。昆虫的な反射と申しましたが、昆虫と違いますのは、これが問題をやっかいにしているのですが、人には境界があります。自分と他人を区別する境界です。皮膚や肉体のことではありません。我々の精神のことです。昆虫や動物の持つ個の境界というのは、例えば腹具合であるとか、発情期などの時期であるとかに影響を受けて伸縮する。ときに消えたりさえする。しかし、人間の持つ精神の枠組みは、決して消滅しません。この枠組みの強固さは我々の自己同一性への希求を保証しますが、同時にあらゆる感情の澱を逃がさないという意味合いも含んでしまうことになる」
高天原は淡々と話し続ける。その調子はあまりにも淀みがなく、誰も口を挟むことができない。彼の言葉は正しいからというよりは、ただ単純に他者を必要としていないので誰も後から言葉を加えることができないのではないかと、ぼくは思う。
「枠を破壊する、破壊しないまでも穴を空けて中身を抜き取る、それは一般の人間には極めて難しいことです。なぜなら自己同一性の否定と死への怖れ、両者は全く同じものだからです。つまり、いったん歪んだものを湛えてしまったなら、二度と美しく変わることはできないのです。不可逆ですから、どういう原因がその歪みを招いたのかを推測するのは無意味でしょう。みなさんが好悪に発する欲望を溜めているその枠組みの中に、彼らはそれぞれの所与条件に対応する反射を溜めこんでいる。昆虫的指光性でもって、尊大な自己憐憫を注入できる対象を求め続けている。彼らが執着できるのは、自己憐憫の投影を許してくれるものだけなのです。意志を剥奪されたゲームの美少女であるとか、社会的自我の形成途上にある少女などが彼らにとっての器となり得る。その意味で、私が私の生業として彼らに提供しているものは、闇夜に明滅する街灯のようなものでしかないのかもしれません」
室内は薄暗くなり始めていたが、誰も灯りをつけようとはしなかった。
「もしかすると」
腕組みをしたまま画面から目を離さず、プログラム担当の男がつぶやいた。
「高天原さんは、俺たちを裏切ったのかもしれない」
沈黙が降りた。その場にいる誰ひとりとして、その言葉に反応を示さなかった。しかし、それはその言葉を聞いていないというのではなく、全く反対の沈黙だった。その言葉は、あまりに皆の不安に答え、あまりに皆の腑に落ちてしまった。
ぼくは、こんな光景を一度見たことがある。
細く長く続いた呼気の後、掛け布団が上下することをやめる。眼前に冷えていく祖父の身体を前に、集まった親族は誰ひとりとして言葉を発さない。死んだ、と言うことができない。現実は言葉と離れた場所にあるはずなのに、言葉が現実をそこへ規定してしまうような、しんと静まった畏れを全員が共有していた。世界には、誰もがそれぞれの属する場所を越えて否応なく和してしまう特異点が存在する。
ぼくたちはそのとき、たぶんそこにいた。
ブラウン管の中で高天原勃津矢の演説は続いている。
「心を使わず、すべての事象にただ昆虫的反射でもって応答する。少し前の時代までは、そんなことは全くの不可能事だったでしょう。つまり、彼らにも多少の同情の余地はあるのです。けれどそれは、どんな大量殺人者であっても必ず弁護人はつくという意味合いでの同情でしかありません。心の傷、トラウマなどという観点から見れば、すべての人間はそれこそ何らかの理由から同情に値してしまうものなのですから。私が言うのは、みなさんを取り巻いているこの現実が、彼らにとっては心という名前の聖性を踏まえない行動ですべて足りてしまうという意味なのです。聖性という言葉を使いましたが、よりわかりやすく表現するならば、自分という存在が重要で無くなる瞬間を持てるかどうか、ということです。彼らにとって、そんな瞬間は絵空事のようにあり得ないのです」
高天原は言いながら、ゆっくりと右手を持ち上げると、自分の胸に当てた。
カメラがぐっと寄り、その姿が画面に大うつしになる。サングラスに照明が映りこんで、高天原の表情を読み取ることはできなかった。その顔は、無機質なデスマスクのようにも見えた。
室内の誰も、まだ一言も発することができないままでいる。みんな一縷の希望を捨てきれないでいるのだ。
しかし希望というのは、常に絶望への準備動作に過ぎない。
「誤解を恐れずに表現するならば、彼らはことごとく、圧倒的な何かに平伏する必要があるのです。暴力的に、無惨に、原型を止めぬほどに、引き裂かれる必要があるのです。彼らはもう、そんなところまで来てしまっている。彼らはみんな、不可逆なまでに破壊されたいと願っているのです。メディアに踊る陰惨な事件を見て、人間のまねごとで眉をひそめながら、その実うまくやりとげたその犯人と、もしかするとその被害者にさえ嫉妬を感じて、隣人の有り様を横目でチラとうかがいながら、自身の悪魔的な思考を悟られまいと声高な批判へ同じ調子でもって彼らは唱和しているだけなのです。自分が本当に死ぬのかどうかすら確かめることのできないほど孤絶した彼らは、もう飽き飽きしている尊大な自己憐憫と不滅性への確信の限界を見たがっているのです。カミソリの刃を手首に埋める深夜の少女たちのように勇敢ではない彼らは、湖の水面に立つ”波紋”のような現実からの穏やかな干渉へ昆虫的な反射を繰り返しながら、ほとんど新聞的言説でしかない人間の尊重という茶番を、完膚なきまでに蹂躙されたいと願っているのです……」
スタジオがざわめき始め、司会者のとってつけたようなコメントの後、画面はCMへと転じた。
気づかぬうちに、口蓋に張りついてしまった舌を引き剥がす。
高天原は、いったい何のことをしゃべっているのだろう? それは少なくとも、ぼくたちが作り上げた作品のことではない気がした。ぼくはテレビから視線を外すと、周囲を見回した。
「元山さんがいない」
沈黙を破った最初の言葉は、ぼくによるものだった。それは誰の絶望をも救わない、個人的な違和感の確認に過ぎなかった。誰もぼくの発言に答えようとはしない。その空虚さは、もう高天原はいないのだと強く感じさせるに充分なものだった。
元山宵子は、ぼくたちが高天原の演説へ釘付けになっているうちに、いつのまにかいなくなってしまっていた。
次の日になっても、彼女は帰ってこなかった。もう高天原との契約は終わったのだから、それは当たり前のことだった。ただ、最初に帰ってこなくなったのが、元山宵子だったというだけだ。
日が経つにつれ、ひとり、またひとりと出ていった。律儀にみなへ挨拶をする者もいれば、朝起きるといなくなっている者もいた。お互いに何の関係も無いぼくたちをつなぎあわせていたのは、高天原という絶対的な家長だったのだ。テレビ番組はひとつのきっかけに過ぎなかった。高天原がいよいよこの家に戻ってくることはないらしいと、残った者たちも気づき始めていた。
ぼくはと言えば、元山宵子がいなくなった日に高天原が二度と戻ってこないことを確信したにも関わらず、なんとなくぐずぐずしていた。高天原がずっとぼくの人生の面倒をみてくれるような、甘い錯覚が最初にあったせいだろう。だがそれ以上に、ひとつの大きな不安がぼくをとどめていた。
それは、言葉にすればこういうことだった。
あの場所に戻ったらもう二度と、出てこられなくなるのではないか。
そしてその果てに、今度こそ、殺してしまうのではないか。