猫を起こさないように
年: <span>2005年</span>
年: 2005年

生きながら萌えゲーに葬られ(8)

 腰を真横へスライドさせる度に組み敷かれた田尻仁美がギャアギャアと、ちょうど生ゴミを漁るところへ石を投げられたカラスのように鳴きわめくので上田保春の欲情はいっこうに昂進せず、ただ勃起を維持するので精一杯だった。加えて普段からの不摂生により人並み以上に皮下脂肪と内臓脂肪をたくわえた腹で、射精に至るほど連続的なピストン運動を続けることは極めて困難と言えた。妄想世界で少女にする荒々しい、しかし手首の運動だけを伴った自慰から得るあの激しさを、全身を用いて局部に与え続けるのは至難の業である。そして羞恥から婉曲表現に頼ることを許して欲しいが、脈動する女性のヨグ・ソトホートの形状や状態によらず、適切な瞬間に適切な圧を男性に加えるのに自身の握り拳よりそれがふさわしかったことを彼は未だ経験したことがない。また、萌えゲー内の絶好の射精ポイントを求めて男性性を達成する瞬間を操作することに長けた上田保春は、自慰の激しさと相まってほとんど遅漏でさえあったので、自分が快楽の絶頂へ到達するためというよりはむしろただただ田尻仁美が早く果ててくれることだけを願って、運動部の兎跳びのごとき非科学的なこの苦行に耐えていたのだった。また、右利き用マウスを使用する上田保春の局部は左手で習慣的に強く握られ続けてきたため右方向に大きく湾曲しており、通常の膣を有する女性との媾合においてその体位は正常位とは名付けのみ異常さで、身体と身体が直交する有り様はほとんどカギ十字の様相を呈した。それがどういう作用だろうか田尻仁美にとっては性的に敏感な部分を強く刺激される結果になるらしく、先ほどからもう気の狂わんばかりの悲鳴を上げ続けている。こんなふうに性交を避けられない場合にいつも浮かぶのは、バイザー型のモニターを萌えゲーの画像が満載された自宅のパソコンに接続し、それらを閲覧しながら交接させてはくれないものだろうかという、当の女性が聞いたのならば瞋恚に鼻血を吹くような人道に外れた妄想だった。それさえ可能なら、現実の性交はもう少し悦びに満ちたものになるに違いないのだが! 上田保春は本当に心の底からそう感じているのであり、これを聞いて誰もが彼の性癖を異常だと糾弾するのに何の躊躇も必要あるまい。しかしそれにしても――上田保春はあえぎ声をあげつづける田尻仁美を冷静に観察しながら思う。もう少しあの萌えゲーの少女たちのように計算された繊細さをもって声をあげてはくれないものか。そう考えて再び、上田保春は自分をこの安宿に留めている理由に思い至り、勃起がたちまち萎えてゆこうとするのをくい止めるために決死のスライドを開始するのだった。田尻仁美が絶叫した。その悦楽の没我に歪曲する顔面を至近距離から眺めながら考える。――この女は、なんて藤川愛美に似ていないのだろう。上田保春が感慨に漏らした藤川愛美なる人物を簡単に説明するならば、彼の愛好する萌えゲーに登場するキャラクターであり、更に詳細を期すならば蛍光色の頭髪をした十八歳の小学生であると表現できるだろう。だが、この場面に至るためには少し時間を遡行する必要がある。
 母からの電話を受けた翌日のこと、週末に備えて定時に職場を離れようとする金曜日の上田保春へ声をかけてきたのは、田尻仁美だった。今夜お暇ならご一緒願えませんか。上田さんにご相談したいことがあって。男性に対して何か効果を与えるのだろうと確信している素振りで上目づかいに彼を見つめながら、田尻仁美はこう切り出した。しかし、上田保春はご存じの通り並大抵の男性どころではなく、また彼の頭は全く別の思いによって占められていたので、その申し出に正直なところ「鬱陶しい」以上の感情を抱くことができなかった。お気に入りのアニメ声の君であるから、昨晩の母からの電話が無ければまた状況は違ったかもしれない。週日の上田保春は現実から可能な限り萌えゲーを楽しむ時間を切り取るため求道者のように振る舞い、それが仕事の能率と結果としての評価を彼に与えていたのだが、萌えゲーに耽溺する豊潤な時間を翌日に約束された週末は、仕事以外で同僚と交流することにずいぶんと寛容な気持ちであることができたし、自宅の床から積みあげた萌えゲーの量が少ないような晩は自分から誰かを誘うことさえあった。もっとも、萌えゲーを堪能し尽くした日曜の夜にはこの物語の冒頭で見たように、萌えゲーおたくであることの罪悪感をも同時に味わいつくし、精神的に衰弱するほど疲れ果ててしまうことが常だった。上田保春の社会での活動はその意味で贖罪の行為に近く、彼の日常は罪を犯すことと贖うことを一週間というスパンで繰り返しており、ほとんど絶海の修道院に住む尼僧の日々と変わらぬと言えた。ともあれ全く便利な日本語、上田保春は主語と述語を曖昧にし、かつ語尾を濁して、それでも今夜はつきあう気持ちは無いということを田尻仁美に明示する。普段ならばあり得ないことだったろうが、なおも何か言いつのろうとするのをほとんど無視して鞄を取り上げ、その横を通り過ぎた。上田保春の抱く思いはあまりに重大だったので、この瞬間の田尻仁美は彼にとって物語の進行上に現れた障害物に過ぎなかった。要するに、無視する権利のようなものを身内に感じたのである。しかし、個人の抱く思いの重大さというものは、そこが現実である限り世界にはわずかの影響もなく、上田保春が感じたような権利は言ってみれば都合のいい虚構に脳を毒されたがゆえの錯覚でしかない。それを証拠に彼が田尻仁美を無いように扱えたのもそこまでだった。廊下を歩み去ろうとする上田保春の背中に彼女はこう声をかけたのである。「相談というのは、藤川愛美さんのことなんですが」
 上田保春は驚愕した。意識が空白化し、全身が金縛りのように硬直する。鞄が指からすっぽ抜けて、よく磨かれた床を回転しながら滑ってゆく。思わず内面の動揺を表してしまったことを後悔するが、すべてはすでに遅かった。振り返れば、田尻仁美が明らかな優越を瞳に浮かべている。是非、上田さんと彼女のことをお話したいものですわ。その奇形な唇に勝ち誇った微笑みがゆっくりと形作られるのを彼は呆然と眺めた。一瞬のうちに攻守は逆転し、もはや否の返事は許されていなかった。
 寒い大地を強制的に連行されるイメージで、悄然とつき従う上田保春。繁華街のざわめきを通り抜け薄暗い店内を案内された先は、まさにこういう誰にも聞かれたくない際の会談にはうってつけの個室だった。田尻仁美はこれから行われる脅迫行為を誰にも知られたくないはずだったし、上田保春はその脅迫材料を誰にも知られたくなかった。部屋の光源は卓上に置かれた硝子細工の内側に輝くキャンドルと、部屋の四隅の床からぼうっと浮かぶ間接照明だけだった。上田保春は肩幅の内側へ両腕をもみしぼるようにし、落ち着ける先が無いかのように視線をさまよわせた。田尻仁美は満足そうにその様子を眺めると、店員を呼ぶためのブザーを押した。このときの彼の行動は相手の優越を満足させるという一点において為されていたので、彼が特別このような機会に慣れていないというわけではなかった。上田保春は萌えゲー以外の嗜好を持たないがゆえに、この社会という場所ではあらゆる執着と欲望から切り離された完全な空虚であり、誰かの感情への共振でその杯を満たすことで、連日連夜彼が陵辱する萌えゲーの少女のように、相手の要求だけにぴったりと当てはまるオーダーメイド的人格を顕現させることができるのだった。もっとも萌えゲー愛好にたどりつくような上田保春にとって、相手の嗜虐をさそう人格が最も得意とするところだったのだが! その意味で皮肉にも田尻仁美との相性はぴったりであると言えた。だから、この後に記述される上田保春の言動にはむしろ田尻仁美の内面が照射されていると捉えた方が、より正確に状況を把握できることだろう。屠殺場で眉間に単銃を撃ち込まれるのを待つ牛のように、じっと黙りこむ相手を気にもとめず、田尻仁美は手慣れた様子で注文を済ませると取りだした煙草にやくざな仕草で火をつけた。その動作は自分の行動に対する疑いを一片も感じさせないほど滑らかで、まるで獲物を追い込む肉食獣の舌なめずりのように上田保春の目に映った。実際その通りだったのだろう。田尻仁美は煙草を吸いたいからというより、許可なく煙草に火をつけることで自分が優越した立場にいるということを知らせるためにそうしたのである。上田保春は敵のテリトリーに誘い込まれ、完全にイニシアチブを握られてしまったのだ。何か言おうと彼が唇をわずかに開いたその瞬間に、田尻仁美は滑るような動作でハンドバッグに手を差し入れると、一枚の葉書を取りだした。「これ、たぶん見覚えあると思うんですけど」
 人差し指と中指で挟んだ葉書をキャンドルの上にかざしてみせる。そこに萌えゲー制作会社の名前が印字されているのをはっきりと読みとることができた。定規で「行」の上に二重線が引かれ、見慣れた神経な細い筆跡で「御中」と訂正がしてある。住所・氏名の欄には果たして「上田保春」と書かれていた。萌えゲーおたくの無意識は常にすべてをご破算にしたい欲求を孕んでいると彼は恐れ続けてきたが、まさにその予感は当たっていたのである。思い返せばこれまで胸元へ差し込む現実を和らげようと、飲めぬアルコールを無理に流し込んだ夜がいくつかあった。青い血の貴種が人外の獣と同じ局部を持っていることを放言できぬ床屋の鬱積と同じように、声に出せぬ思いが消えてゆくことは決してない。それは忘れたように思っても意識の裏側に隠れていて、やがて腐り、醗酵し、平衡感覚を奪ってゆき、ついには発症するのだ。上田保春はネット上の匿名巨大掲示板にさえ、当局の萌えゲーおたく追跡を半ば本気で恐れるあまり書き込みをしたことは無かった。そんな彼の無意識は宿主にただ正気を保たせるために、アルコールの力を借りて強すぎる抑圧を緩和し、脳髄の外へ残してはならぬはずの歪んだ情念を、二次元に描かれた少女を心の底から愛しているのだというその叫びを、アンケート葉書の裏へびっしりと書き込ませたのだった。いったん吐き出しさえすれば満足するのは脳髄であろうと陰嚢であろうと同じことで、朝起きて葉書が見あたらないことを彼はそれほど深刻には捉えなかった。どこか家具の隙間にでも滑り込んだに違いない、引っ越しのときには見つかるだろうなどと軽く考えたきり、完全に忘れてしまっていた。隣人に萌えゲー愛好を察知される寸前を引っ越し時期に決めている上田保春だが、どれだけ用心していても思わぬ瞬間というのはある。一度などは、会社の設備点検の影響で臨時の休みとなった平日に自室でくつろいでいたところ、突然大家がドアの鍵を開けて入ってきたことがあった。そのとき大家の視界に映ったものは昨今のニュースに見慣れた、既視感と危機感を同時に伴う映像だったに違いあるまい。午後を奔走し、翌日、上田保春は会社に有給休暇を申請すると引っ越しをした。敷金は戻ってこなかった。大家は、「あんな部屋の使い方されちゃねえ」と言った。つまり、敷金が返却されない理由は壁一面に貼られた萌えゲーのポスターなのだった。上田保春が管理権を越えた蛮行の数々を訴えようと思わぬのは、萌えゲー愛好を知られたおたくに世間の同情など集まろうはずがないからである。引っ越しの当日、ガスの元栓を閉めても閉めぬと常に告げる上田保春の衰弱した意識が、一度階下まで降りた彼を空になったはずの部屋へと戻らせた。扉を開くと、大家が壁に塩をぶつけている真っ最中だった。悟られぬようそっと元のように扉を閉める上田保春。陪審員制度の導入に彼が危機感を覚えるのは、例え訴状の内容がどのようなものであれ、萌えゲーおたくはすべての裁判で敗訴を避けられないだろうからである。少々話がそれたが、萌えゲーおたくがこんな形で露見することを上田保春は想像すらしたことが無かった。田尻仁美の掲げる葉書は実のところ、残業で郵送できず持ち帰った仕事の封筒といっしょに彼自身が投函してしまっていたのだったが、それはこんな形での破滅を想定した行為では無論なかった。いったいいくつの偶然が重なればいま置かれているこの状況へと至るのか、もはや見当もつかない。物語の成就を偶然に多く頼る萌えゲーをモニターの前で罵倒し続けてきた上田保春は、それが人間の意識では計測することの出来ない何かの総称であることを知らない。この世界に潜む偶然を極力排除しようとする姿勢に科学文明の基があることに思い至らず、まさにいまその無知と罵倒によって彼は復讐されつつあるのだった。もちろん、上田保春だけを責められたものではない。少年の言葉ではないが、人は意味づけできない偶然よりも、どれほど貧弱であれ常に自身の解釈を優先して採択するものなのだから。しかし、なぜ田尻仁美がこの葉書を持っているのか。口を半開きにした上田保春が葉書から視線を外したのを見て、彼女はすべてわかっているといったふうにうなずき、声にされないその疑問へ厳かに回答を与えた。「藤川愛美の声を当てているの、私なんですよ。気づきませんでしたか」
 そうして両拳を口元に持っていってポーズを作ると、二三度わざとらしく目をしばたかせた後、田尻仁美は「あたし、お兄ちゃんが欲しいの」と言った。それは本当に、藤川愛美そっくりの声だった! 上田保春はまず目眩を感じ、次に手元にあるグラスを田尻仁美の顔面に投げつけたいような気持ちに駆られた。猫をモチーフにした国民的有名漫画キャラの声優が、料理番組で子ども相手に声の芸を披露し、ハンバーグの種を投げつけられるのを偶然テレビで見たことがあったが、上田保春の気持ちはまさにそのときの子どもが抱いただろうものと同じであった。つまり、大切な何かを冒涜されたと感じたのである。彼の抱いた感情はいたって真面目なものだったし、傷つけられた思いはきっとあの子どもと同じような純真さにあふれていたが、何をおいても彼の信仰の対象は性交のためだけに、更に言えば男性の勃起を満足させるためだけに彫刻された萌えゲーのキャラクターだったので、自分の感情の真剣さを理解させるため全身全霊で反論しようとも、軽蔑の鼻息ひとつで充分にすべての試みは吹き飛んでしまうだろう。上田保春の脳内で十二人の怒れる陪審員が陪審席に立ち上がり、立てた親指を下に向けながら、「死刑」を連呼するのが聞こえる。それは子ども時代に抱いた無力感に似ていた。例えば夏中をかけて集めた大量の蝉の殻を父に捨てられたときの感じ。相手の側が圧倒的に力を持っているので、言葉に託した取り替えのきかないほど重大なはずの感情が全く無化されてしまう、あの感じ。田尻仁美の話すところによれば、学生時代に所属していたアニメ同好会の後輩の一人がアダルトゲームの制作会社を経営しており――上田保春が葉書を送付した会社だ――、数年前まだ同人サークル規模だったときに安価な声優の一人としてゲーム音声の録音に呼ばれたとのことだった。何人分も声色を変えて一日あえいで、五千円ですよ。これが結構、未だに売れてるみたいで、わかってれば私、買い取りじゃなくてもう少しお金もらえるようにしたんですけど。ほとんどドサ回りの演歌歌手、あるいは弱小プロの売れないアイドルのような調子だ。そしてやはり、上田保春のデスクに萌えゲーの雑誌を置いたのは田尻仁美だったのである。出演した萌えゲーの紹介記事が掲載されているのを、その後輩が律儀に郵送してくれたのだそうだ。藤川愛美への熱烈な愛情がしたためられた、ファンからのアンケート葉書を同封して。これを聞くに至って、上田保春には何か巨大な意志が自分を破滅させようと画策したのだとしか思えなくなる。アンケート葉書に書かれた名前を見て田尻仁美は最初、同姓同名の別人ではないかと考えたが、経理部の社員名簿を繰るうちに真相へたどりついたのだった。そう言えば、いくつか思い当たるフシはありましたよね。その言葉は誰にでも可能な結果論に過ぎなかったが、それでも上田保春の自尊心を傷つけるのには充分な効果を発揮した。完全に萌えゲーおたくを隠し続けることが、彼の自己定義の一つだったのだから。気がつけば眼前には料理が運ばれてきており、田尻仁美は手酌のアルコールにひどく酔っているようだった。上田さんが誰にもなびかないのは社の外に彼女がいるからだってみんな噂してましたけど、まさかこういうのが好きだなんて思ってもみなかったわ。そう言うと田尻仁美は、藤川愛美が初めての性交時に頬を赤らめるときのように、再び両拳を口元へ持っていき――あたし、お兄ちゃんの欲しいの。料理の上へ眼を伏せたままその声を聞いた上田保春は、股間にかすかな勃起を感じた。相手の顔さえみなければ、それは彼の愛する藤川愛美だった。田尻仁美という現実の肉を得たせいで彼の内側に死んでいきつつある少女を想って、彼は気づかれぬようひっそりと落涙した。架空のキャラクターぐらいに何を泣くことがあるのかという嘲りの響きは、もはや上田保春にとって実験室のマウスへ定期的に流される死なない程度の電流のように、抗議に首をもたげるのも億劫な、通り過ぎるのを待つ何かに過ぎない。なぜ電流が流されるのかは知らない。その意味を知っているのは神か悪魔か、上田保春で実験をしている存在だけだ。この世は地獄だ――彼はそう感じたが、彼の感じる地獄を共有できる相手は見渡したところでどこにもいなかった。
 田尻仁美は上田保春の沈黙をどうとらえたものだろうか卓上に手を伸ばして来、彼の手にそっと重ねた。彼女の手は熱を伴って、ほとんど焼けるように上田保春には感じられた。拒絶する素振りが無いのに調子を得て、田尻仁美はゆっくりと手の甲を愛撫し始める。人肌のぬくもり。上田保春は自分の意識とは完全に乖離しているにも関わらず、身体を切実に促すような感覚が胸の内に生まれるのを冷静に観察した。萌えゲーおたくとは肉体よりも頭脳での世界理解が先行してしまった人たちを指すのかも知れない。知的レベルの高さは問題にならず、人肌に触れるとか、人間的営為の当たり前の素朴さに簡単に降伏してしまう。このときの上田保春も例外ではなかった。強く拒絶を表すこともできたはずだが、それをしなかったのだ。生物としての本来的な部分が渇いており、その渇きに水を注いでくれるのならばどのような相手であれ、他の事象に対する内省を度外視した高い論理性や、それほどまで強くては自分以外の存在を少しでも容認できまいと思えるほど先鋭化した批判精神もみるまに吹き飛んで、たちまち腹を見せて完全な恭順を示してしまうのだ。その滑稽さを避けるためには、贅を尽くした釈尊が赤子を踏みつけて出家したように、肉を得てから知に至らねばならぬ。これを順番ぐらいのことと軽視してはいけない。愛していると言ってから交接すれば結婚だが、交接してから愛していると言えば犯罪である。普段は高慢な女性がその裏に男性へ屈従する弱い気質を隠しているからこそ彼女の罵倒を楽しめるのであって、普段穏やかな笑顔で微笑みかける女性がその裏に自分のことを生理的に心底嫌いぬいている事実を隠しているならば、それは現実そのものでしかない。肉というのは象徴的にはこの世を二分した際のこちら側の本質であるが、こと男性においては下世話なほどに手っ取り早く女性という形を取る場合が多いようである。ただ知から始めてしまったがゆえにその知の偉大さや研鑽にも関わらず、後に肉に陥落してしまう喜劇的な滑稽さを呈するのは例外なく男性である。釈尊が仏敵魔羅に幻惑されなかったのは、充分に肉を知っており、それに飽いていたからに他ならないと上田保春は思う。そして、賢明な誰もが見ないふりで目を伏せてくれているのにわざわざ歩み寄って腕をつかみ「あの感性が私に欠けていたものだ」だとか、「知に携わる者が肉を言ってはならぬ」であるとか、問いもせぬのに聞かせてくる段へ至っては何をか言わんやである。女性は男性個人にとっての救済になることはあっても、世界と同義では無い。つまり、当人以外を救うには全く効果を為さないという当たり前さに、順番を違えただけ盲目になってしまうのだ。上田保春は田尻仁美に触れられた際の心の動きを自覚し、漠然とそんなふうな分析の言葉で追ったが、それは内から出て内へ還るだけの、一瞬浮かんでは永遠に消えてしまう類の思考の泡沫に過ぎなかった。
 田尻仁美が欲情に渇いた唇を、煙草の常習で茶色く染まった舌先で湿すのが見えた。その唇はいまや濡れ濡れと輝き、上半身と下半身を直結するあの暗喩を持ち出すまでもなく、欲情しているのだった。田尻仁美は上田保春に欲情しているのだろうか。いや、彼女はこの状況に欲情しているのだ。自分好みの面相をしたフェミニンな男子を脅迫し、追いつめ、屈服せしめるという現在の状況そのものが、彼女を欲情させているのだった。だとすれば、彼に与えられた役割はただひとつである。気弱げに睫毛を伏せて、膝に握ったこぶしに視線を落としながら、かすれた声をしぼるようにして、「それで、田尻さんはいったいぼくにどうしろとおっしゃるんですか」と上田保春は言った。我が意を得たりと、田尻仁美の両目が爛々と肉食獣の輝きを浮かべる。ああ、生命! 田尻仁美の有り様はまさに生命の営みそのものではないか! 彼女のような生命力が無ければ、きっと人類はゆっくりと滅びてゆくに違いないのだ。それとは真逆に、自分はただ清潔でありたいのだろう。生きることのみっともなさや、みじめさや、不潔さとはすべて遠いところにありたいと願っているのだ。田尻仁美は全く正しい。しかし、上田保春の中の生き物の部分は誰かの肌を触れたいと切望しているのに、生命の、否定的な意味ではない不潔さを目の当たりにして嘔吐に近い感情をもまた禁じ得ないでいる。自分が誰かから本当に好かれるなどということはあり得なかった。過去、上田保春と関係を持つに至った女性たちは、彼のあまりの没交渉ぶりに――性交が少ないという意味ではない――自然と離れていったものだった。社会的な場でのつきあいから私的な関わりへと移行するにつれて、上田保春は母からの電話に受話器をかかげてうなだれるあの上田保春となり、つまり、役割を満たされない彼は完全な空虚でしかなかったので、どの女性もそこへ注ぎ続けるほど自己愛から離れて、あるいは傲慢に響かないように言い換えるならば、献身的ではあれなかった。そしてようやく獲物を手に入れた田尻仁美の歓喜にも関わらず、上田保春にはもう事の顛末がわかっている。この一夜にしたところで、過去と全く同じ経過をたどるに違いなかった。――ああ。上田保春の胸に感慨が去来する。身体の中にある動物から離れて、自分は聖者でありたいのだろう。この世の汚れからすべて離れて、自分は聖者でありたいのだろう。
 ネオン街の安宿にチェックインし、背後に防音仕様の重い扉が閉まる音を聞く。ネクタイを引き抜き、ワイシャツの第二ボタンまでを外した状態でベッドの前に逡巡する上田保春へ、田尻仁美はまさに文字通り襲いかかってきた。そのときの彼女は本当に、何の比喩でもなく肉食獣そのものであり、飛びかかってくる彼女を眺めながら、逃げられない距離でライオンと遭遇してしまったときのインパラのように、運命を――あるいは不運を――受け入れる澄んだ瞳で彼は立ちつくすしかなかった。ベッドの上に押し倒され、奇形によじれた唇を重ねられる。女性は男性をレイプできないというのは、嘘だ。弱気な男性が筋力に訴えることができないような脅迫を用意しさえすれば、女性は男性の性を生贄の屈辱と共に思う存分むさぼり、蹂躙することができる。女性器が刺激に応じて本人の意思に関係なく濡れるように、男性器も刺激されれば本人の意思とは関係なくただ勃起する。例えば日曜の午後、プレイする萌えゲーが無いような際に文字通り手慰みにする手慰みを考えれば、それは明らかだ。頭の中では別の考え事に没頭しながら、手首の刺激だけで射精に至ることは極めて容易だからである。愛していないからエレクチオンしないといったふうな劇的展開は劇画内でしかあり得ず、物理刺激が最大の性交要因でないとすれば知性を発展させる長い長い道程の途上で大半の雄猿たちは童貞のまま果て――この場合童貞であるからして、「果て」のコノテーションは「死ぬ」でしかない――、間違いなく人類は滅亡し、今日の萌えゲー隆盛は無かっただろう。愛情とは滑走路の誘導灯のようなもので、それが無くともランディングは不可能ではない。ベッドの上でそうこう考えるうち、こじ開けるように田尻仁美の舌が上田保春の口腔に割り込んで来、彼の舌を、唾液を、むさぼるように吸い上げる。上田保春は田尻仁美の内蔵の臭いを感じ、喉の奥に嘔吐を覚えた。現実と萌えゲー少女の間にある違いを考えたとき、それは臭いではないかと上田保春は思う。例えば、唾の渇いた臭いは最悪だ。特にこういう接吻などの際に他人の唾の渇いた臭いを口腔から鼻腔へ感じるとき、上田保春の中にある現実へ干渉しようとする積極性、女性との交接の場合には相手を征服しようという精神的昂揚はすべて萎え果ててしまう。例えどれだけ映画やアニメや萌えゲーが進歩しようと、これらを並列に並べる段階で上田保春の精神はかなり深くおたくという病に冒されていると言えるが、臭いだけはきっと再現されるまい。それは現実そのものであり、どんなにある虚構が現実に似た迫真性を持っていると称揚されようとも、現実そのものであっては心からの没入などあり得ないのである。脳内に神を自作することで人間は世界を理解すると言った誰かがいたが――上田保春の無意識は現実にあるささいな情報を拾い集めることで彼を守る予言視のような役目を果たしており、この瞬間にその誰かのことを具体的に識域に持ち出すことはなかった――、脳というフィルタを通じて現実の真の様相を希釈することでしか、現実をある一種の虚構として判断し、体験することでしか、人間は世界を理解できないように作られている。だから、省略の妙味によって映画やアニメや萌えゲーへの没入は存在し得るのだから、これ以上の迫真性をそれらが持たされてしまうことが無いよう上田保春は切実に祈るのだ。そしてその理屈で言えば、現実の女性と性交するよりもアダルトビデオを見ながらの自慰の方が素晴らしく、アダルトビデオを見ながらの自慰よりも萌えゲーの少女を見ながらの自慰の方が間違いなく素晴らしい。上田保春は真の意味での萌えゲー愛好家であったので、萌えゲーに登場する少女たちが現実に存在したらと切望することはない。現実に存在する彼女たちからは何らかの臭いがするに違いないからである。現実に存在するということは何かを殺すということで、殺せば少女たちは食べざるを得なくなり、食べてしまえば内蔵からは臭いがするだろう。例えメロンパンを愛好するといったような愛らしい設定に頼み極力内蔵から臭いがしないようにし向けたとして、食べてしまった少女たちは排泄をせざるを得ず、そうなれば少女たちの使った便器からは臭いがするに違いない。萌えゲーの少女たちが現実にいて欲しいと願うこと、それは窓辺のジャーに仮面を保存するようなすべての孤独な人々が避けられない人恋しさのすり替えに過ぎず、上田保春はそれがわかっているから、萌えゲーの少女たちにはただ画面の中から微笑みかけ続けて欲しいと願うのである。それはまた、彼が現実へ留まり続けたいという祈りとも言えた。
 しかし、こんなふうに想像することもある。明日に祝日か日曜日をひかえた深夜、窓の外の雨音を聞きながらパソコンのモニターだけが光源の薄暗い部屋で、下半身を剥きだしにしたまま自慰にいそしむ自分。ほとばしりをぬぐい取ったティッシュを別のティッシュで丹念に包む作業の途中で、ふと背後に気配を感じる。振り返ると、そこには暗闇に発光するように、萌えゲーの少女が立っているのだ。おそらく上田保春という意識はその瞬間に終わりを迎えることができるだろう。自分の描いたキャラクターが迎えに来たのを振り払って逃げた漫画家のように、上田保春の意識は現実に留まり続けるという意志の継続によって成立している。もし、現実に萌えゲーの少女を見ることができたのなら、彼は自己定義を完全に崩壊させられ、終わることができるだろう。人の内罰性は、罪責感を終わらせることができるという一点において、時に自己の消滅を快楽に転じることがある。かろうじて正気を保った上田保春の現在はその想像に、うしろに立つ萌え少女にホラー映画と同等の恐怖を感じるが、しかしそこには快楽も同時に潜んでいた。
 田尻仁美の寝息が聞こえる。シーツの下に上下する、萌えゲーの少女のようでは全くない、生命力に満ちあふれた分厚い両肩を上田保春はまるで無感動に眺めた。それはただの物体に過ぎなかった。――私はこれを愛せない。視線を戻し、初めて見る天井を眺めながら、上田保春は人と触れながら人と触れられぬあの孤独を感じた。田尻仁美のせいではなかった。これが別の誰かであっても、やはり彼の感じる孤独は同じものだっただろう。腐っているのは、結局自分の脳髄だけ。ただ本当に、それだけ。その究極のはずの感慨へ思いめぐらすとき、しかし彼の心は少しも真理を得た気持ちがしない。この世にはまだ底があり、それは自分に対して永遠に秘匿されているのではないか。彼の推測は実のところ正しかったのだが、萌えゲーおたくの脳細胞はなぜだろうか、もしかするとそれの運ぶ外的情報因子を絶やさないために、この世の底を垣間見せることは無いのやも知れぬ。枕元の時計は深夜二時を指していたが、どうやらもう眠れそうにもなかった。十代の頃にはこんな夜がいくつもあった。だから、あの頃のように上田保春はじっと待つことにした。床に脱ぎ捨てられた背広の内ポケットから携帯電話を取りだして、着信の履歴をぼんやりと閲覧する。大量のスパムの中にあの少年からの着信を確認するが、それはメールではなく通話によるものだった。こみ上げる寂しさが上田保春にリダイヤルの操作を促すが、少年が電話を取ることはついになかった。音を立てないようにそっと携帯電話を畳むと、ふと部屋の入り口に気配を感じたような気がして、上田保春は半身を起こす。しかし夜目をこらしても、そこには誰もいなかった。再びベッドに身を横たえると、やはりそこに何かの気配が残っているように感じた。そう、もしかすると上田保春はずっと待っているのかも知れない。少女が現実に現れる瞬間を――自分が壊れるその瞬間を。

今日のよかった探し

いい加減、ホンマそろそろここで日記書くの止めなあかんと思いつつ、当ホームページのコミュニティが設立された旨を諸君に伝えるために記述する。面倒くさければ、この冒頭の情報だけしか読まんでよろしい。

しかし、参加の面々を閲覧するにつけ、どこか見知った人物ばかりであり、私の監視の外で私を罵倒したいという向きはあまりいないようだ。崖の上で腕を組み、マフラーを風にたなびかせながら、「お前なんざとはマイミク登録しねえぜ! だが、最近のお前は間違っているッ! お前のホームページに注文があるッ!」とあさっての方向を指差しながら宣言する気骨の士は現れなかったようである。愛情と憎悪はベクトルを変えた同じ力という例の言葉を持ち出すまでもなく、当然の帰結とは言えるかも知れぬ。「敷居が高い」ことをよく言われるが、同じ表現を複数のファンから頂いたことを考えてもきっとそうなのだろうが、敷居を下げようとすると「下げないで!」と必ず駆け込んでくる向きがおり、私はそのたびいつも、脱ぐことをなぜか客に止められる職業ストリッパーのような気分になる。それこそ放っておけば、日々の雑記などを始めかねないと諸君は恐れているのだろうが、そこのところの線引きは理解しているつもりである。コミュニティ設立がこの不毛な、汚れたパンティをつかみあっての脱ぐ脱がぬのやりとりに決着をつけてくれればと期待する。

全くの余談である。簡易記述式の日記などからネット参入された方などには理解しにくいかも知れないが、かつて、現実世界の人格と電脳世界での人格は「乖離していなければならない」ものだった。現実が充実していなければしていないほど、ネット上での記述は狂騒的に面白くなっていくのであり、ついうっかり現実で満たされたりすればネット上の記述はたちまち色を失うのであった。日常に起伏を失えば、夢が活性化するのと同じ理屈である。つまり、現実とネットの人格が一致してしまうということは足すも引くもないゼロ地点にいるということで、最も避けねばならぬ事態と言えた。内定を得た会社に本名で猥褻な電話をかけたり、懸想する女子の眼前で大便をひねりだしたりといった愉快な記述は、どこからも内定を得ぬ無職だったり、誰からも求められぬ恋愛不倶者である現実を内包するからこそ輝きを放つのであり、当時のホームページ運営者たちは厳然たる暗黙の了解として皆が、「いかに何も無い、つまらない日常を送るか?」に腐心したものだった。しかし、それでは社会的に存在することが不可能になってゆくため、一人また一人と脱落を余儀なくされていき、最後はほとんどチキンレースのような様相を呈していたことを私は懐かしく思い出す。なので、「私という個性の不変」を標榜しているような現在の簡易記述式の日記を閲覧するにつけ、どうにも座りが悪くてしょうがない。現実とネットの人格が完全に一致しているその人物の記述する、昼飯の紹介や読書の感想を読むにつけ、いったいどこにそれをわざわざ文字にするだけのパワーが秘められているのかと、不思議に感じるのである。

私には、日々全力で外界と関わりながら一方で、その心を誰よりも引きこもらせ、自閉させているという自負がある。本物の引きこもりが記述している妄想ではないという点が、上記の過去のホームページ群の在りように反しており、際立って素晴らしいのであるということに諸君は気づき、もっと積極的にそこへ言及して私を褒め称えるといい。そして、今後しばらくは記述を終えるつもりである。

雨のにおいが好き

”弱さのすべてを許容されれば、人は狂うしかない”。というフレーズを「生きながら萌えゲーに葬られ」のどこかにずっぽりと追加挿入しようと思ったのだが、それだけの妄想が勃起しなかったので、しょうがなくここへ記しておく。

というわけで、狂人のみなさまコンバンワー。母ちゃんか配偶者からされるくらい執拗に、何年にも渡って私に甘やかされ続けた諸君だから、もはやこの推測に何の間違いもあるまい。しかし、死人と狂人とそれ以外の少数をファン層に持つ当ホームページへ集客する方法を考えるにつけ、絶望的にアルコール摂取へ耽溺せざるを得ない。そして、酒濁りした目でやっきになって、当ホームページにまつわるあらゆる猥褻な単語を、濡れ濡れと白く輝くあの細長いスリットへ次々と挿入するも、一向にコミュニティとやらがドーム状に陰芯の如く屹立しているのを発見すること、かなわぬ。私の日記へのコメントにコミュニティの設立を提案したヤツは、間違いなく呪殺だ。

あと”足跡帳”に私の自画像を添付しておいた。おっと、いけない! こんな赤裸々な指示を伴った画像では、小鳥猊下が何者なのか早々に臣下の諸君にバレちゃうよ! 記述を終える。

私はあなたを愛しています

昨日、私のホームページのカウンターを一人で千五百回ほど回したそこの貴方、そろそろ私に直でメールを送ってもいい頃合なのではないか。

先の日記への反応で、コミュニティなるものの存在に気づかされ、「nWo」で検索をしたが、ヒットするのはプロレス団体ばかりであった。それも当たり前の話であり、私のホームページの読者を想定する場合、彼か彼女の実際の社会的地位はどうであれ、その精神状況は限りなく周囲と弧絶しているのではないか。ある日突然自殺して、皆が「なんで?」と驚くような人物なのではないか。だから、私のファンの多くはきっと、すでに鬼籍へ入っているに違いあるまい。なるほど、昨今の急速なアクセス数の低下や、いっこうにマイミク登録数が増えぬのもこれで説明がついた。話が冗談で横へそれかけたが、いや、開設以来百人くらいは死んでると確信するが、ブッ壊れたハートを有するそれらの人々が、”コミュニティ”と称するくくりで談笑し合う姿は、私の豊満な(胸をゆすりながら)妄想力をもってしても、極めて想像しにくい。ですから、誰もわたくしのためのコミュニティを作ろうとしなくたッて、それは想定済みのことですもの、少しも悔しくなんかないのだわ!(想いを振り払うように、細い顎を高く上げるのに呼応して揺れる縦ロールへ、きらめく真珠のような涙)

とりあえずミクシィのしきたりっぽいので、足跡帳はつけておいた。諸君の感想を読むにつけ、私に反応して欲しいのかして欲しくないのかさっぱりわからんが、どうぞ活用しなさい。記述を終える。

With Love

 小鳥猊下のマイミク掲示板。
「臣下は足跡などを残してよい」

私のこと、好き?

”もう日記更新しない”宣言をした途端に、バタバタと何件かマイミク登録の申し出があった。まったく現金な連中である。

しかし、中にはたいへん熱烈なものもあり、気をよくした私はもう一日だけ何か書くことにしたい。「マイミク登録一人につき、日記を一日延長!」とか調子にまかせて放言したいところだが、その作戦は諸刃の剣であることを、経験を知恵に変える賢明さを持つ私は知っている。申し出が無い場合間違いなく、驚くほど深く自分が傷つくのである。件の「生きながら萌えゲーに葬られ」についても、途中までは機嫌よく進んでいたのだが、ぱったりと書き込みが途絶えて以降は、「そんなにつまらないのか」とひどく落ち込んで、毎夜泣きながらアルコールを大量摂取し、翌朝には決まって水のような軟便をミリミリと排泄したりした。

とは言え、新しいことを書くのも面倒くさいので、さっき書いたメールの一部を引用することで今日の日記と変えたい。私のファンを称するすべての人間が目にしておくべき文言だと考えるからである。引用開始。

……特にインターネットの個人サイトの場合、それを運営する動機というのは極言すれば、「感想をもらう」の一点しか無いと言えます。私にできることは常に同じ場所で芸を披瀝するだけで、通りかかる観客がそこへ何も声をかけないのだとすれば、私が”芸を披露した”という事実さえ、無かったのと同じになってしまうのです……

引用終了。まったく、長時間労働の後にこれだけのスマートな文章をサッと送信できる私は、この上なくダンディで素晴らしい。読み返すだけで涙が出てきた。君たちは私の見かけ傲慢な態度よりも、時折のぞくこういった透明な繊細さの方をこそ積極的に汲み、その壊れやすいガラスの自意識に配慮した内容と回数で、私を鼓舞するべきである。

”軟便をミリミリ排泄する”の下りを読み返すにつけ、何の後ろめたい気持ちも生じず、むしろ気分爽快である。記述を終える。

またね!

誰もが簡単に素性を偽ることができるこのコミュニティで、むしろ私が一番正直に自分をさらけだしていると感じていた。

さて、一週間ほども連続で日記を記述してきたが、ようようミクシィが何であるのかわかってきたように思う。最初の頃の、誰が来るのかわからぬ、しかも誰が来たかはわかる高揚感は去り、ほぼ固定した面々を相手にマンネリした吉本的な芸を披露するという構図が形成されつつある。昔のファンがお決まりのネタに笑い声を上げる以外は、新たな客はついていけぬと席を立ち、あるいは薄ら笑いで一瞥して通り過ぎるのみ。

よって、以後はまさに当ホームページの掲示板としてだけ、この場所を利用することにしたい。私が真に伝えたい内容はすべてあの場所に書いてあるのであり、本末を転倒せぬためにこの辺りで思い切るのが肝要であろう。個人ホームページとは、まさに個人の熱情によってのみ継続しているのだということを理解して頂ければと、私は切望する。最後に、毎日訪れながらマイミク登録を申し出なかった諸君に、万感の恨みを込めて言いたい。みんな死んじゃえ。

ご清聴、どうもありがとうございました。

……涙が出ちゃう

(素裸の痩せた男が、盃を掲げるパントマイムで)へへッ、こうしてここで毎晩更新してると、まるで何もかもがいっぺんに昔へ戻っちまったみてえじゃねえか。あれからたくさんの奴らがここを降りていっちまったが、お前だけはきっと帰ってきてくれると信じてたよ。ああ、お前と膝をつきあわせて更新してると、まるで本当に時間が巻き戻ったみてえじゃねえか……(卓の上へ倒れ伏すパントマイム。突如無表情で立ち上がり一歩下がると、柔和な表情を作り裏声で)あらあら、この人もすっかり更新が弱くなってしまって。最近はね、もう昔みたいに怒ったりすることはあんまりなくて、いつもあの頃の話ばかりしてるわ。本当に幸せそうな寝顔……あなたが訪ねてきてくれたのが、よっぽど嬉しかったのね……(虚空に毛布をかけるパントマイムをする)

冒頭から持ち前の演技力を如何なく発揮して申し訳ないが、昨日の日記について注釈である。現在のこの清潔な、現実の日常と寸分変わらぬインターネットしか知らぬ向きには信じられないことだろうが、当時のうんこコミュニティでの交流は表向き、はるかにアナーキーを装っており、人間の真面目さとか日々の労働の尊さとか社会奉仕の喜びとかを順繰りに指差して嘲り笑う、鬼か悪魔のような有様だった。加えて、当時のサイト運営者どうしの交流はしばしば昨日の日記のように、偽りと暴力と肛門性愛に濃く彩られたものに記述される傾向があった。現実をそのままに描けば惨めすぎるし、頭がだめなら腕っぷしでというヤンキー的な思い切りも無く、今よりははるかに男女比率が偏った界隈だったので、そういうパラノイックな倒錯した表現で満たされぬ思いを充足していたのかも知れぬ。そして昨日の日記には、誰かを傷つけたり罵倒したりしたいという願望は正味のところ九割五分くらいしか存在せず、昭和の町並みの再現を見たい老人のような、懐古的な欲求が促したゆえと言っていいだろう。

山の頂にただ一人残された孤独な王は、鉤鼻のシルエットで「なぜ満ちぬ……」と独白しながら、記述を終える。

生きながら萌えゲーに葬られ(7)

 「哲学者はいかなる観念共同体の市民でもない。そのことが、彼を哲学者たらしめるのである」
 萌えゲーおたくについて考えるとき、上田保春の中に惹起するのは、もう遠い昔にどこで読んだのかも忘れてしまった、その一節だった。哲学者を萌えゲーおたくへ置換せよ。萌えゲーおたくとはこの文脈の意味する哲学者であり、誤解を廃するよう付け加えるのならば萌えゲーおたくとは思索をしない哲学者のことである。自分自身のことを振り返るとき、上田保春は家族という最小の観念共同体においてさえ、自分が異邦人であったことを思い出す。思えば三十数年にわたる上田保春のダンテ的おたく遍歴において、両親のことへ自然に言及できるおたくに出会ったことは一度だってない。おたくにとって両親とは文字通り、語義通りの鬼門である。手にした受話器の底で、遠慮がちに上田保春の近況を尋ねる母親の声が響いている。母親と会話をするとき、上田保春はいつもするようには自分の求められた役割を選択することが出来なくなってしまい、つまり母親が自分に求めている役割とは「いまの自分であってはならぬ」という目眩さえ伴う哲学的命題であり、そうして上田保春は思索できない哲学者だったので、ただの空っぽな魂の容器として吃音にくぐもった声でぼそぼそと、申し訳に応答するしかなくなってしまう。そのときの自己嫌悪といたたまれなさの大きさは、受話器を握る手の反対に苦しまずに生命活動を停止できる錠剤を手渡されたとしたら、その感情から一時的に逃れることを求めるためだけに、その永遠の死を迷わず嚥下するだろうほどである。――申し訳ない。三十路も半ばを過ぎようとしている独り身の息子へ母親が持ちかける話題として恋人とか結婚とか、萌えゲーおたくである上田保春には内面に構築した疑似的な世間知から推察するしか方法が無いのだが、もしかすると見合いなどが一般的には高い確率で出現するのかもしれなかった。しかし上田保春にはその種の話題を母から持ちかけられたという記憶が、完全に無かった。よもや、まだ間に合うと思っているのではあるまい。その推測は萌えゲーおたくである上田保春にとってあまりにも希望を含みすぎており、微温的にすぎた。息子の性的嗜好の露骨な顕現に至る過程と以後の変遷を余すところなく知る母親であるから、自分の息子が捧げてしまっている得体の知れぬ何かへの遠慮からか、世間知において我が子を鑑定しての絶望に近いあきらめからか、もしかすると――この想像が一番上田保春を苦しめる――愛情と優しさから、それらを口にできないのではないか。――申し訳ない。母親との会話でいつも感じるのは、「隣の部屋に血塗れの死体が転がっているのを知りながら、ティーポットへ付着した赤い染みに言及できないまま、紅茶ごしに談笑する男女」の醸成するだろう雰囲気である。誰もが知っているが、誰かが口に出すとすべてはそこで終わり、という状況がこの世に決して少なくないことを彼は知っている。太田総司の巨体が脳裏をよぎった。だからこそ、上田保春は母親の真意に対する想像を、人間存在を極小化するあの宇宙的恐怖から、直接に確かめたことはない。
 上田保春が学生時代に愛好したある作家の小説に、「もし全世界が云われてしまえば、全世界が救われて、終わってしまうわけです」という台詞があった。萌えゲーおたくにとっての両親とは、きっとそういう存在なのだ。自分がこのようにある理由を、存在の秘話を、神話的でも哲学的でもなく、その後の人生の存続を難しくさせるほど完全な整数として割り切ってしまうのだ。ただ両親に言及しさえすれば、小難しい理論や引用をひきならべるまでもなく、すべては平穏かつ平板な日常の用語でいたって容易に、余すところ無く言語化できてしまうのだという事実。その事実を再確認するたび、上田保春を取り巻くすべてへの実感は温度を無くし、まっさらに漂白されたようになる。そんなとき、彼は大げさではなく、魂そのものがそれなしでは生きてゆけぬパン、キリストの肉として萌えゲーを渇望していることに気づき、呆然とするのである。両親と正対するとき、萌えゲーおたくの抱える世界は言われて、救われて、厳然たる形を持つ苦悩だったはずのものはその境界を曖昧にして、全部終わらされてしまうのだった。だが、上田保春はこのように明確に思考したわけではない。もしそんなことをすれば、彼の現状を伴うならば、自殺するか発狂するかしかないからだ。しかしこの場合の発狂とは、萌えゲーおたくにとっては修辞的な脅迫にしか過ぎない。言葉が覆うことのできない脳の範囲まで意識が拡大してしまうことを発狂というのであって、上田保春の意識は脳の隅々へと余すところ無く広がり、アメーバ状に浸食してゆく彼の意識は完全に過不足なく言語化されることができた。おたくの苦悩の本質とは発狂するべき点で発狂できないことであり、彼らの異常さが一般人の許容度をはるかに越えてゆくように思えるのは、発狂するべき自意識の点にいたっても未だに言語というフェイルセーフが有効に機能し、発狂し切ってしまうことが不可能な点にある。母の電話を受けた上田保春の無意識はすべてが言語化された瞬間、脳内のフェイルセーフを機能させ、彼の意識と言語化された内容との連絡を即時に断った。つまり彼の無意識は、母親からの電話によって日常の底に開いた完全な虚無から逃れようと反応した。自己憐憫という逃避先を新たな思考経路として、上田保春の識域へ設定したのである。――申し訳ない。上田保春は受話器を右の外耳に押し当てたまま電話機の前でうなだれながら、考える。逃げてはいけない。彼はこの段階ですでにして逃げているのだが、その逃避はあまりに、ほとんど霊的なまでの高次元において行われていたので、巧妙なおたくの脳細胞は逃避そのものの存在を本人にさえ気づかせることはない。上田保春と名付けられた個体が生物的つながり、時間的つながり、空間的つながり、それらすべてから切り離されて在る究極の実存であることを、何の夾雑物も無い意識で受け止めることよりも、現実の惨めさの中にその理由を落とした方がまだ、彼の否定しつつ求める人間とのつながりを軽蔑や非難という形であったとしてさえ感じることができ、無意味が言語化されたのを見てしまう自我崩壊の危険を回避することができるのだった。――申し訳ない。自分がこのようになったのに、誰を責めるわけにもいくまい。両親はカッコウに託卵された巣の宿主であり、肉と遺伝子という連続性よりも強く我が子を規定する外的情報因子が世には氾濫し、それを拒絶できないほど自分が弱かったというだけ。結局、自分の脳髄が腐っていただけ。ただ、本当にそれだけ。何かへの所属を通じて手に入れることの尊さや、「皆で団結して、懸命に作り上げる」ことの素晴らしさを理解する。本当に、それを想像するとき涙が浮かぶほどに切望する。その憧憬のような、マスゲームの埋没への希求を上田保春は誰よりも強く持っている。しかし、真実その場所に触れることができたとして、自分が笑顔をその瞬間のままに張りつかせてたちまち嘔吐するだろうことをまた知っている。我が身を駆けめぐる毒を浄化する血清にアレルギーを持った瀕死の冒険家。それが、上田保春だった。誰に指摘されるまでもなく、自分が救われる道を上田保春は知っている。ただ、それを有効化する手段をあらかじめ封じられているのだ。母と話す限りにおいて萌えゲーおたくに革命は必要なく、あの少年との関わりにおいて昂まっていた全人類的な愛情は行き場をなくし、あるいは行き場をとりあげられて、急速にしぼんでいくのが感じられた。
 しかしながら、母の言葉はその内容がどのようなものであれ、常に上田保春に自責を含んだ特定の感情を引き起こすというだけで、母の持ち出した話題が何か深遠な命題を伴っていたわけでは全くない。母が話したのは、祖母のことだった。上田保春の中へおたくの特異さを刷り込んだあの祖母である。数年前に祖父が亡くなってから、しばらくは長女である母が自宅に引き取って面倒を見ていたのだが、祖母はいま老人介護の施設で生活をしている。母に愛情はあり、少なくともあらゆる事象に対して破滅の瞬間を先送りに長引かせるほどは愛情があり――上田保春がその典型例と言えた――、彼女が介護の負担をいとうたわけではなかった。祖母自らが、施設に預けて欲しいことを母に申し出たのである。母から伝え聞いたその契機となるできごとについて思い至るとき、上田保春は祖母への畏敬の念を新たにせざるを得ない。萌えゲーおたくが身に纏う人間存在への侮辱や軽蔑を圧倒する厳粛さが身内に湧きあがるのを上田保春は禁じ得ない。ある晩、就寝中に祖母は失禁した。翌朝、汚れた布団の横に正座した祖母は、部屋に入ってきた母が声をかけようとするのを制し、昔人の語彙でこう言ったのだった。私が自分以外のものになる前に、お前や孫たちの目の届かないところにやって欲しい。ほとんど気づかせないように振る舞っていたが、祖母の痴呆はその時点でだいぶ進んでいたようだ。毛糸玉がほどけてゆくように喪失してゆく自己、その恐慌を誰へも漏らさず現状へと踏みとどまり続けようとする祖母の克己を想像するとき、上田保春の倒錯した共感は彼に愛さえ感じさせた。自我の抑制を失った自分は、いったいどのように振る舞うのだろう。それは遺伝学的に考えても、全く意味のない仮定とは言えないと思われた。上田保春は祖母と同じ老年に達した自分を想像する。その想像はいつも、ほとんど絶叫したいような醜悪さへと逢着した。夜尿の染みを自分のものだと気づかず、男性を握りしめて息を荒げる年老いた自分。現在の自分をかろうじて人間の形に規定している社会性のたがを失い、孫ほどの園児の登校を眺めながら目を細めるのではなく頬を赤らめ、そこがまるでインターネット上ででもあるかのように通りで興奮に奇声をあげる年老いた自分。それらをありありと自身の延長上として幻視するとき、上田保春は膝が抜けるような緊張と恐怖を感じざるを得ない。太田総司を見よ。自己を律する強い意志が無ければ、萌えゲーおたくはたちまちにあのような肉の塊と化すのだ。ああ、この清らかな世界では、ただ正気を保つだけのことがなんと困難を伴うことであるか! 逆にその努力を放棄さえすれば、楽になれるのだろうこともわかっている。しかし、彼にそれはできない。なぜなら、上田保春の中には祖母がいる。彼女は上田保春の見えない背後にずっと正座して、彼の来し方、彼の行く末をじっとその澄んだ瞳で見つめている。その深い瞳をのぞきこんでも、彼女が正気なのか狂気なのか、傍らの者たちにうかがい知ることはできない。彼女の強い克己心は、誰の同情も共感も許さない。
 一度だけ、上田保春は母には告げないまま施設へ祖母を訪ねたことがあった。その理由について言えば、祖母のことを心配してなどという人並みのものでは全くなかった。母に連絡をしなかったのは、その動機が全く自己中心的なものでしかないことを知っていたからだ。上田保春はただただ、彼におたくの特異性を刷り込んだあの事件の真相を知りたかったのである。国道を少しそれた山の中腹に祖母の入所する施設はあった。駐車場はバスの停車場所をも備えた広大なものだったが、訪問した曜日と時間帯もあったのだろうか、寒々しいほどに車の数はまばらだった。車を降りると真っ先に、漂白されたように清潔な平屋の建物が視界に入った。いったい心のどの部分からなのだろう、自分と世界との意味のつながりを寸断する不可思議な感情が湧き上がってくるのを押さえつけるために、上田保春は立体視の要領で両目の焦点部分をずらしながら脳内に猥褻な単語を連呼した。予想していたのに反して、受付では二三の質問があったきりで不審そうな素振りすら無かった。イレギュラーな訪問客には慣れているのかもしれない。施設の職員は上田保春を案内しながら、「偉いですよ、あのおばあさんは」と述べたが、その言葉は要するに「手間がかからない」の社交的な言い換えに過ぎなかった。割り当てられた個室で祖母はベッドの上に正座をし、窓の外をじっと眺めていた。上田保春が近づいて来るのに気が付くと、皺に顔のパーツを埋没させるやり方でにこりと微笑み、「こんにちは」と言った。長い萌えゲーおたく生活の中で、抱いた感情に相手が名前をつけるよりも先に察知することに長けた上田保春は、その表情の様子、声の調子だけで祖母が自分のことを全く認識していないのがわかった。会釈して、ベッドの傍らにある椅子に腰掛けた孫へ、祖母はその日の天候のことに始まり、他愛の無い話題を次々と投げかけてきた。しばらくそれへ相づちを返しながら、やがて上田保春は祖母の話題が彼女のベッドの上から実際に見えるものだけに限定されていることに気づく。そして、その質問は相手のYesかNoの返答をだけ予期すればいいものばかりだった。ほんのかすかな涙が膜のように眼球の表面へ張る。視界に歪む祖母。上田保春は萌えゲーの少女を見るときのような哀切に、胸が締め付けられるのを感じた。祖母はこの世のすべての干渉を拒絶して、あらゆる人間に対して他人のように振る舞うことによって、この世界に正気を保ち続けているように見せかけていたのだ。上田保春には、それを滑稽と断じることはできなかった。上田保春が日常で行っている操作と、祖母の行動はいったいどこが違うというのだろう。その操作はあまりにも強い自制心によって行われていたので、肉親以外ならばきっと彼女の正気を疑わないだろうと思えた。偉いですよ、あのおばあさんは――上田保春の抱いた感情は施設の職員と全く同じ言葉で表現されたが、両者の間には目眩を伴うような長大な距離が横たわっているのが感じられた。弱い違和感と表現してもいいだろう上田保春のその感情は、おそらく永久に誰とも共有されることがない。発される形は同じ言葉として何ら変わるところがないのに、そこに含まれる本質はもはや絶望的に違ってしまっている。その差異は、一見して認識できないほど細分化されてしまっているので、現実には存在しないと仮に定義したところで、この世のすべての場所において何の不都合も生じないだろう。地上で最後の言葉を話す語り手、覆しえぬ圧倒的なマイノリティ、しかし彼でさえその存在を異なるものとして認知されて死んでいくことができたのではないか。上田保春は、誰とも異ならない。なぜならその差異を表現する手段はどこにも無いので、誰にも見ることができないから。気がつけば目の前に、まるで萌えゲーの少女のように澄んだ瞳をした祖母が、上田保春をのぞきこんでいる。しかしその瞳はすべてを拒絶しており、言語として記述されたシナリオ以上の背景を持たない萌えゲーの少女と同じ空漠を、虚無をたたえていた。上田保春は両腕をもみしぼりたいような焦燥感に襲われた。しかし、その中身を言語において表現される具体的な形として同定することは、ついにかなわなかった。あなたの孫だと切り出せないまま時は流れ、やがて面会の時間は終了した。無言で立ち上がる上田保春に祖母は、「お帰りになるんですね」と微笑んだあと、昔人の語彙でこう付け加えた。もう来ない方がよろしいですよ、次にお会いするとき、いまの私はいないかも知れませんからね。上田保春は祖母に背を向けて足早に病室を出ると、トイレの個室へと駆け込んだ。扉を閉めた瞬間に、口から嗚咽がほとばしった。それが自分のためだったのか、祖母のためだったのか、上田保春は未だにわからないでいる。
 だから、祖母が正気を取り戻したと母が告げたとき、上田保春はまさにこの世の奇跡を聞かされた気がしたものだった。祖母は、祖父の死んだ家へ戻ることを望んでいるのだという。上田保春の心には少年時代の夏の記憶を多く占める、山中に通い馴染んだ藁葺き屋根の一軒家が想起された。あの場所での記憶が、墜ちていこうとする自分をこの清浄な世界へ最後の一線で足止めしている。私はそこで死ぬことが決まっているから、連れていってくれるだけでいい、最期の始末は自分でつけるから。そう言って祖母は聞かないのだそうだ。姥捨てでもあるまい、まさか老女をひとり山の一軒家に置いていくわけにはいかない。しばらくは、いっしょにそこで暮らすことになるだろう――祖母が再び自分を失うまでは。どのくらいの期間になるか見当もつかないし、生活に必要なある程度の荷物を持ち込みたい。この週末に車を出してくれないだろうか。それが萌えゲーおたくの息子にする、母のささやかな要請だった。上田保春は電話口に母の声を聞きながら、動悸が早まっていくのを感じていた。あの自責と罪悪感は、いつの間にか消えていた。上田保春の聖地へ、いま託宣の巫女が帰還を果たそうとしている。はるかな昔、上田保春の鼻先で閉じられた扉が、彼がいま現在見ているようではない正しい世界へと続いているはずのその扉が、神話的にさえ思える長い長い時間を経て、再び開こうとしているのだった。扉の向こうにあったものを手に入れられなかったがゆえのディアスポラ、それがようやく終わりを迎えようとしているのかもしれない。生返事に受話器を置いた後も、上田保春は意識をそらせばたちまち霧消してしまうほどかすかな、希望のようなものにとらわれ続けた。そこへ、充電中の携帯電話が自宅でのみ可能な最新のアニメ系着メロを鳴らした。上田保春はほとんど無意識で携帯電話を取り上げ、着信の番号を見るいとまもあらばこそ、電源をオフにした。上田保春は自分自身へあまりに深く没頭していたので、電話の相手が彼のことをまさにその瞬間に、他の誰よりも強く求めていたのかもしれないことへ思いを巡らすことができなかった。若い時代には、生死さえ分ける苦しみが訪れる特別な晩がいくつか存在するものだ。後になって、上田保春はこのときのことを幾度も思い返すことになる。上田保春の罪はナルキッソスの罪。自分の内側へと閉じこもり他人を見なかった罪。世界より重大な自分、世界に優先する自分。しかし現状を看過することさえ困難な人間の視力の中で、誰がそれを罪と言うことができるのだろう。世界の本質に対する宿命的な弱視と、つかんだ手をただ引き上げることができないほどの脆弱さと、失敗したという事実だけが音も無く水底に積もってゆく罪悪感と。眼前へ並べられた血塗れの自殺器具、傲慢な神が信仰を得るためだけにそろえた大きな自己否定を前に、人間の意識はきっと罪へと陥れられるようにできていた。だが、少なくともこの夜の上田保春は、狂おしく求め続けてきた、そしてすべては虚しく終わるはずだった、自己存在の秘儀が明かされるのではないかというかすかな希望のようなものに、歓喜と畏れの狭間を揺れ続けたのだった。

だれも傷つけたくないのに……

 ”マイミクシィへの追加リクエスト”の件名に胸を躍らせながら、盛り上がった上腕筋に壁が終始接触するほど狭い廊下を抜け、裸電球のひもを引っ張って、玄関の引き戸を開けた。すると、そこに立っていたのは、昔ネット上の社交界で影響力を発揮していた人物だった。件のうんこコミュニティが主催するパーティ会場の窓から、幾度かその姿を見たことがあったので、覚えていたのである。
 しかし、今ではもはや、あの頃の栄耀の残滓すらうかがうべくもなく、ムシロ一枚を身体に巻き付けたきりの、”お笑い漫画道場”の土管に住む貧乏人役のような風体だった。やせ細ったその人物は、もじもじと両手をひねりあわせて頬を赤らめ、卑屈な笑みを浮かべたまま、「あの、入れてほしいんです」と小声で言った。
 その表情を見、声を聞いた瞬間、私の頭の中は激甚な怒りで沸騰し、全身の筋肉は瞬時に青筋を立てて盛り上がり、身につけた一枚きりのTシャツを粉々の布片へと裂け飛ばした。
 「おまえ、どのツラ下げてきやがったッ!!」
 私の怒りは、まるで諸君がNHKの集金人にするような、もの凄まじい勢いで爆発した。ネット上でだけは超つよい私が丸太ほどもある右腕で顔面を殴りつけると、その人物はきりもみ状に回転しつつ、鼻血を漫画の効果線のように噴出しながら、人間の良識にセキュリティを委ねるネジで閉める式の薄い引き戸を破壊して、戸外へとスッ飛んでいった。
 薄い引き戸が象徴した乙女の部位については、ミクシィにおいて私が作り上げようとしている清純なイメージを壊さぬよう、ここでは更に言及しないでおく。
 廊下を立ち去ろうすると、足下に抵抗を感じる。振り返れば、長く血の跡を残しながら這いずってきた簀巻きのその人物が私の両足にすがりついていた。
 「入れてください、入れてください」
 ひしゃげ、軟骨を飛び出させた鼻から大量の血を流しながら、青紫に腫れあがるまぶたを開くこともできないまま滂沱と涙を流し、その人物はさらに哀願を繰り返した。
 「そんなに俺に入れてほしいのか」
 露悪的なキャラクターで売っている私だが、実のところ根はとても優しい。弱っている者を放っておけぬ、乙女のような性質を心の奥底に秘めているのだ。
 その人物の哀れな様子に私はしばし逡巡するが、ついには優しく抱き寄せ、ずっぽりと入れてあげることにしたのでした。
(絡み合う二人のシルエットから暗転する場面)