私の書いた文章はすべてそらんじているという当ホームページのファンならば、むしろ一月の国の登場人物として認識しておるだろうが、今日、セルゲイ・パラジャーノフの「ざくろの色」をぼんやり視聴してから昼寝をしたら、ものすごい悪夢を見てしまい、しかもそこから抜けようとして抜けられず、たいへん怖い思いをした。ああいった、無意識に陰茎の如くスティマーを突っ込んで掻き回す類の作品を視聴する際には、厳重な覚悟をもってせねばならぬと再認識した祝日の午後。
ところで、掲示板を閉鎖した。もうずいぶんと前から本来の意味を無くしていたところ、ミクシィに来てみるとずいぶんと使い勝手がよい。ここでは相手の輪郭がある程度わかるのがいい。もちろん、自虐趣味の私としては現実で罵倒されるのが最も好みなのだが、「誰の」発言か見えないままでは、罵倒も賞賛も等しく重くないのだ。先の陰茎スティマーの例ではないが、感情の大切な部分がかき乱されないのである。
関連した裏話をする。今はローカルに保存してあるのみだが、以前「高天原勃津矢」という更新の回があった。あれは、「最近、猊下には昔のような怒りが無くなってしまった気がするのです」という感想を匿名に限りなく近くない形で、偶然見つけてしまったのが引き金となった。それは本当に腑に落ちた感想だったので、壁を殴りつけることで怒りを維持しながら更新した記憶がある。怒りを込めすぎて、鼻血も出た。
掲示板であるが、当初、今よりももっとアクセス数があった頃、頻繁に現れる荒し対策として築いた”人格”が一人歩きしてしまった感がある。曰く「傲慢」、曰く「不遜」。脊髄反射で書いた偏差値の低い書き込みを敬遠させるためだったのだが、次第にもらう感想もその一種の”プレイ”に乗ったものばかりになってしまい、新規参入者もそれに右ならえをし、あるいは二度目の来訪は無くなり、更新が間遠になるにつれ、閉塞感だけが高まっていった。思えば、いい潮だったのかも知れぬ。
さて、現在連続更新中の例のアレだが、今日、悪夢の後に整形してみたら、あと2回分だということがわかった。年内完結を目指したいので、諸君はぜひ金か萌え画像を送付されたい。
矮小心理劇「生きながら萌えゲーに葬られ」、完結までこれより2回! COUNTDOWN!