猫を起こさないように
月: <span>2005年11月</span>
月: 2005年11月

愛されたいから、愛するの

(乳首と股間が丸く切り抜かれた暗色のスーツにカクテルグラスで)前回はアルコールに耽溺するあまり、主に婦女子のみなさんを不快にさせる記述を繰り返すなど取り乱した様子を見せてしまい、この小鳥満太郎、お恥ずかしい限りである。今日はファンの諸君と理性的に話をしたい。

諸君、言いたいのはこうだ。私はいつも死ぬつもりで、あるいは殺すつもりで書いている。サラリーマンである私にとって時間的には片手間だが、その集中と密度においては片手間どころではない。そして、特定の誰かを傷つけたり、攻撃したりする意図は無いが、結果としてその意図しない効果を生み出してしまっていることもわかる。しかし、誰も傷つけないものが誰かを救うはずはない。これは信念に近い。次第にその憎悪が積みあがり、ネット上で私は孤独になった。無論、孤独を愛しているわけではない。

今回の更新は、意識的にせよ無意識的にせよ、当ホームページの依拠してきた場所を完全に叩き潰す意味合いを含んでしまっている。つまり、某格闘漫画家風に裏話を語るとすれば、今回の更新は「ジャイアント馬場の回転胴廻し十六文キック」なのである。そのため、「これを書いたらもう先は無いのではないか?」「小鳥猊下、このお話が終わったら、nWoを閉鎖しちゃうの?」などの不安を抱いた諸君が涙を浮かべて私の元へ殺到し、「おいおい、子猫ちゃんたち。君たちの気持ちはわかったから、そんな幼い未熟な身体を俺にぎゅうぎゅう押しつけるなよ」という展開を天然色の画像で予見していた私は、相も変らぬ灰色の日常と空のメールボックスに、突然飼い主に頭を叩かれた座敷犬のような愛らしい驚きの表情を浮かべざるを得ない。そして、少女たちで形成された肉壁の内側から、ロック歌手よろしく分厚い冬物スーツを両手で引き裂きながら飛び出し、「みんなッ、アリガトウッ! nWoはこの儀をもって再生するッ!」などと観客席の幼女の群れにダイブしながら絶叫するオブセッションまで脳内に渦巻いていたものだから、次回更新後、本当に閉鎖してやろうと思っています。

(女性のアニメ声でのナレーション)簡易更新式の雑記帳が隆盛する昨今では見られなくなりましたが、「閉鎖する、しない」の駆け引きも、ホームページ文化の生み出した素晴らしい伝統芸のひとつです。皆様は、引き続き小鳥満太郎の至芸をお楽しみ下さい。

お話したいな

更新したはいいが、相変わらずびっくりするほど反応が無い。ネット上における絶対の公式が、「内容<頻度」であることは重々承知しているが、これだけストリップ無料閲覧を繰り返されるとやる気も大幅に減退しようものである。フリークスショウに慣れてしまった諸君には、複数の性器ですらもはや普通にしか感じられなくなっているのかも知れぬが、やはり閲覧しているのは複数の性器なのだ。複数の性器に圧倒されて、もしや複数の性器が「カワイソー」とか思って、複数の性器が生えていると指摘できないのか。相手の見えぬこの場所で、日本的な察しの文化に直面するとは思わなかった。だいたい、あのコミュニティって何やねん。一言も発言せんのに、何のメンバーか。だいたい、足あとって何やねん。日記書かんとお前ら踏みに来んのか。発言できんほどおしなら、日課として毎日踏みに来ることが客席の拍手のように、あるいはおひねりのように、この複数性器の中年ストリッパーを励ますとか思わんのか。86400秒の内、3秒ほど人差し指を動かす労力が惜しいほど、お前ら多忙か。そんな多忙な中、性器に触れる時間は3秒よりももっと長いお前らが憎い。複数の性器をいろわなあかんワイが、3秒の時間を確保するのが難しいのはわかるで。けどな、お前らの性器はいっこやないか。いっこの性器を触るのにいったい何秒かける気やねん。そして、毎日触ってるから感度がにぶり、触らねばならない時間が次第に増えてゆくのです。

論点がわからなくなってきたので、記述を終える。

永遠と一日

学生時代、この微温的な、あるいは苛烈な日常が永遠に続くのではないかと貴方は錯覚したはずだ。しかし、終わりの一日はやってきた。この世のすべては永遠と一日から出来ている。貴方が倦み疲れている永遠も、避けられぬ一日によって必ず終焉を迎える。なぜなら、人は死を運命づけられているからだ。

今日、ホームページ上に新しい掲示板を設置した。これは永遠の始まりであるが、一週間後か、一ヶ月後か、一年後か、定められた終わりの一日がいつ訪れるのかを言うことは誰にもできない。もし、ある日突然、私のホームページがネット上に存在しなくなったら、この日記を思い出して欲しい。私は永遠を更新し続けるが、それは裏を返せば、終わりの一日を待つために過ぎないのだということを。

「生きながら萌えゲーに葬られ」を更新した。もはや最終話を残すのみである。

生きながら萌えゲーに葬られ(9)

 何かを批判したり批評したりする態度だけをとり続けることを選択すれば、永遠の生命を生きることが出来ると思っていた。新聞というメディアが現実に依拠することで永遠を存続できるように、誰かの作り出した何かに依拠し続ければ、自分は存在を長らえることができるだろうと考えていた。後から後から、尽きせぬ生命の流れが生み出す世代のせり上がりから汲み続ければ、この精神は永遠を持続し、きっと死なないだろうとどこかで信じていた。もし肉体の不滅を仮定するならば、果たして人の心はそうやって永遠をながらえることができるのだろうか。おそらく、他の善良な人たちが当たり前にするようには、自分はこの命を次の誰かへと手渡すことはできないだろう。個の不滅――こんな馬鹿げた問いにすがるような思考を繰り返すのは、萌えゲーを愛好し、人のするそれ以外のすべての営為に冷笑的、虚無的な態度をとり続けながらその実、心の奥底ではこの命が継続しないことが寂しいからか。命ではないものを残すために、ずっと誰かを傷つけ続けるのか。自分以外への愛で命を継続させることができないから、ただ悪罵を繰り返し、他人の傷の中へ蛆のように憎悪の卵を残そうとするのか。
 クラクションの音に、我へかえる。見れば、信号はすでに青へと変わっていた。アクセルを踏み込むと車はするすると前進を始め、上田保春はまた元のように大きな流れの一部となった。上田保春は、車を運転することを愛好した。車を運転するときには、まるで自分がまっとうな人間であるかのような錯覚が生じ、それを信じる瞬間を持てるからだ。車の流れに乗り、交通法規を守ってさえいれば、誰もが上田保春を正常とみなしてくれる。先のクラクションのように、異常な行動はすぐにそれと警告され、すぐに正しい場所へと帰ることができる。車の運転は、上田保春の迷いに満ちた日常生活の中において、自分であることを意識せず自動的に行うことのできるほとんど唯一の行為だったと言っていい。そこには何の葛藤も複雑さもなく、あるとすれば高級車に道をゆずり、軽自動車にクラクションを鳴らすくらいのもので、彼は車を走らせるとき、安逸な心持ちを抱くことさえできた。自然を装った不安定な言動ではなく、車のフレームが外殻として彼を無条件に規定してくれるのだ。その意味では上田保春を安らわせる理由の大半は、子宮回帰願望という言葉で説明できただろう。移動する全能感である。そして、上田保春は車の運転を愛好するものの、その種類や手入れに重要性を見いだす生粋のカーマニアというわけでは無かった。彼が愛好するのは運転であって、車そのものではなかったからだ。現在乗っている車を購入する際に求めた基準は二つ、外観の凡庸さと気密性の高さである。シルバーのファミリーカーという外観は、彼が車の運転に求めているものを考えれば自然と首肯できると思うが、気密性については少し説明が必要であろう。上田保春は車の運転中、萌えゲーのテーマソングを聴くことを習慣としていた。気密性の高さとは、外界との遮蔽率の高さということであり、車内での物音を少しも漏らさぬことが上田保春にとって肝要であった。なぜなら、萌えゲーのテーマソングを大音量で流しているのが車外へ少しでも漏れたりしようものなら、それは身の破滅につながるからである。世間へ薄壁一枚をしか隔てぬ自室よりは、車内の方がはるかに萌えゲーのテーマソングを流す場としてはふさわしい。外耳全体を覆う例のヘッドフォンをはめればと思われるかも知れないが、ガスの元栓を閉めても閉めぬと告げる上田保春の意識は、プラグの先端がちゃんとコンポないしパソコンに接続されているのかどうか、少しでも音漏れしていないかどうかを何度も確認しないでは済まず、結果として曲を聴くことに少しも集中できないのである。何を音楽くらいで神経質なことを言うのかと上田保春の抱える不安を軽視する態度を取る向きは、説明を求めるより萌えゲーのテーマソングを一度でいい、試聴してみるとよい。日常はおろか、現実の秘めごとの最中でさえめったやたらとは聞かれぬような猥褻な言辞が登場すること頻繁なのだ。例えそれが登場しないような場合でさえ、脳言語野に疾患を持っているとしか思えぬような日常を不安にさせる作詞や、白痴少女としか形容できぬ甲高い裏声で絶叫する三十路を越えた女性ボーカルなど、人間社会が普段は秘し隠している何かをしか、それらの楽曲は内包していないのである。しかしながら、そういう曲を試聴しようという態度自体がもぐり酒場の密造酒のような危険を社会的に身の上へもたらすこともまた確かなので、蛇足とは理解しながらあえて内容についての解説を少し付け加えたい。想像して欲しい。「子ども時代、暖かな夜の大気を泳ぐように楽しげな音曲に誘われて行けば巨大なテント、サーカスショウだと思い天幕のすそを持ち上げて覗くと、中で行われていたのはフリークスショウだった」。この情景を思い描いてもらえば、最も実際に近い感じを得ることができるだろう。
 ともあれ、車の運転が上田保春の人生に意味するところは理解されたと思うが、そんな彼の安逸や全能感も助手席に母を、後部座席に祖母を伴っていないときに限られた。上田保春はもう何度目だろうか、確かにCDや萌えゲーのグッズをすべて自室に置いてきたはずだという確認を反芻し、信号で停車する毎に自然な素振りを装って車内の隅々へと視線を走らせる。横目でちらりと助手席に座る母を見、上田保春は子宮の中に母がいるというメビウスの輪のような裏返しの目眩に襲われかけ、そっと首を振った。母が自分の車に乗っているという感覚は、何度経験しても慣れることはない。バックミラーをのぞくと、そこには祖母がいる。祖母はシートベルトをつけたまま正座をして、ただ真っ直ぐに正面を見据えていた。皺に埋もれたその目をのぞきこんでも、祖母が本当に正気を取り戻しているのかどうか、上田保春には判断できなかった。施設で車に乗り込んでからというもの、母の言葉に相づちを返すばかりで、祖母は自分から一言も口をきいていない。祖母は自身の感慨へと深くとらわれているようであり、後部座席という近くにいながら上田保春の焦燥や期待とははるかに遠い場所で正座をしているのだった。
まるで姥捨てのようで、と母は表現した。優しさや思いやりの気持ちが他者の生に干渉し得ると信じているようなところが母にはあった。おそらくこの発言も、祖母を翻心させられなかった自分を悔いてのものに違いない。恍惚から醒めた祖母は母の説得に最後まで私が死ぬ場所はあそこしかないと言って譲らなかったのだそうである。またいつ元のような忘却と過去の住人へと引き戻されてしまうのか、誰にも知ることはできない。祖母の中で何かが改善したのを信じられるほど、上田保春は楽観的であれなかった。もしかすれば、死の直前の人間に訪れる明晰さというものなのかも知れない。医者は母に、昔馴染んだ場所での生活はむしろ良い刺激を与えるだろうとアドバイスをした。百歳をとうに越えた人間への良い刺激という言葉、それが母の精神に与える善の効果をねらったのではなく、本当に祖母のことを考えてのものだとしたら、いったいその中身は何だというのだろう。上田保春には全く見当もつかなかった。幹線道路をそれ、蛇のようにうねった山道を車はゆっくりと登ってゆく。ときどきやってくる対向車へ舗装の無い脇道に待避しなければならないほど、山あいを行く道路は狭かった。ひとつカーブを抜けるたびに、車外にたちこめる白い霧は濃度を増していくようだ。視界が開け、突然現れたガードレールの先に眼下を一望することができる。霧は通り抜けてきた山の底へ渦を巻いて溜まってゆくようだ。やがて霧と陽光との境界を背後に走り抜けると、山の斜面へ張りつくように点々と民家の群れが見えた。ゆるゆると速度を落とし、藁葺き屋根の一軒家をのぞむ道路脇へと停車する。その前庭へと土を踏み固めただけの細い道が続いていた。母と祖母を車からおろし、荷物を抱えて道を下る。きしむ玄関の引き戸をこじ開けると、入り口部分は土間になっていた。薄暗い室内に、締め切られた雨戸を順に引き開ける。すると眼前へ、少年時代に見た懐かしい光景が広がった。
 山の頂上付近から降りてきて、屋内にまでわんわんと反響する蝉の声の連なりは、上田保春に蝉時雨という言葉を思い出させた。ふと眼をやった先、庭に自生するほおずきの葉の裏側に蝉の抜け殻が見えた。上田保春はなぜか胸の奥に痛みを感じた。振り返ると、陽光に照らされた室内は想像していた荒廃とは遠い様子だった。祖母の荷をほどきながら母が言うには、田舎暮らしを求める都会からの移住者に去年の暮れまで貸し出していたとのことだった。もっとも、こんな山間での暮らしが合わなかったのか、一年ほどですぐに出ていったらしい。祖母はしばらくの間、何かを確かめるように一部屋一部屋を見て回っていたが、やがて小さくうなずくと寝具を屋根裏へ上げて欲しいと上田保春に求めた。押入れから取りだした布団は冷たく固くなっており、日干しが必要ではないかと尋ねるが、祖母は再び強い調子で彼を促した。梯子とも階段ともつかぬ傾斜を登り、天井にはめられた板を押し上げて覗いた屋根裏はひんやりとしており、隅には行李のようなものが積み上げられている。壁の合わせ目と、明かりとり目的だろうか、窓とも呼べぬ木枠の隙間から陽光がこぼれてきているだけで、周囲は薄暗かった。祖母は四つん這いになりながら上田保春の後ろに従うと、屋根裏の中央に老人のするゆるやかさで布団を敷き、ようやくといった感じで満足げに腰を下ろした。母は階下で家の様子を調べ、どうやら買い物のリストを作成しているようだった。上田保春は村の中を巡りながら少年時代の記憶を追体験することも考えたが、それは真実に目を向けたくないがゆえの怯懦、逃避に過ぎぬと思い直し、祖母の前へ決然と座り込んだ。目の前に小さく、小さく、内側へと固まってゆくように思える祖母の身体がある。久しぶりに会うのに、今日は私のことだけでこんな迷惑をかけてすまない、という意味のことを祖母は昔人の語彙で言った。その様子からすれば、施設で会ったことはどうやら祖母の記憶に残っていないようだった。上田保春は内心胸をなでおろす。そのとき彼が抱いた感情は、良質な萌えゲーをプレイするときに感じるのと同じ、ただちにこのキャラクターと性交をしたい、より正確に言うなら彼女のする痴態を眺めながら自慰をしたいが、永遠に射精の昂ぶりを先送りにしてもいたいという、あの理に合わぬ逡巡だった。
 ふいに蝉時雨が途切れる。木枠の外へのぞく景色へ向けた視線を戻すと、皺の底で祖母が大きく目を見開いている。祖母の目は理性の色を宿しており、いまこそ彼女の意識は完全に現在と一致しているように見えた。上田保春は、その時が何者かの手によってここに用意されたのだと知った。中学生だった頃、私はあなたにひどく怒られたことがあった。あのときのことを覚えているだろうか。祖母は、為された問いの意味が身体の底へ降りてゆくのをじっと待っているように見えた。そして、歯の無い口腔にのぞく黒い奈落の底から、震える祖母の唇は驚くほど明瞭に言葉を紡ぎだし始めた。上田保春は全身を固く緊張させ、息を詰めて聞き入る。もはや、みじろぎすることさえかなわぬ。現実とつながった祖母の回廊が真実の瞬間を迎える前に、またどこか遠くへ離れていってしまうことを彼はただひたすら恐れたのである。上田保春は自分が求め続けてきた究極の真相に、もはや紙一枚の距離で肉迫しているのを感じていた。なぜ、二次元を愛好する我々への人々の嫌悪は自動的なのか。なぜ、自分は萌えゲーおたくであるのか。余人から見れば何をつまらぬと鼻で笑われるのかも知れぬ。例えば飢えた子どもの苦しみの前で、全く有効ではない言辞に過ぎないのかも知れぬ。人類全体にとっては何を成すこともない戯れ言の類なのかも知れぬ。だが、総論が個人を救うことはない。救済は常に個別的に行われなければならないものであり、これは上田保春が求める救済であった。
 祖母がしたのは、ある昔語りだった。あるいは物語に寄せた、彼女自身の罪の告白だったのか。ほとんど廃村のような有り様になっているが、かつては多くの人々が生活したこの村にある兄妹がいた。二人は血こそつながっていたが、本来の意味での兄妹ではなかった。互いに、男と女のように想いを寄せ合っていたのである。愛する相手と一番近い場所で生活を共にするという幸福。彼と彼女の一挙手一投足、そして笑顔は言うまでもない、悲しみや怒りさえもが、喜びへと変わるふしぎ。しかし二人しか知らぬ密やかな蜜月は、やがて終わりを迎える。ある夜、兄は無理やりに、妹へ妹自身の秘した想いを認めさせたのだ。妹は兄の行為に恐怖したが、それを上回る強い衝動に気づかされる。そして気づいてしまうと、もう止めることはできなくなった。毎夜のように同じ屋根の下に繰り返される逢瀬。しかし、二人の関係が両親へと露見するのに、長い時間はかからなかった。生活を相互依存によってしか成立させることのできない山あいに隔離された村は、強力な観念共同体である。同質性を維持することこそが、最も確率の高い生物学的存続の可能性であることを、構成員全員が暗黙知として了解しているのだ。二人はただちに引き離され、不貞の妹は屋根裏へと閉じこめられた。それでもなお、兄は何度か周囲の目を盗んで妹を訪れた。しかし、ある日を境に兄はやってこなくなる。妹が屋根裏から出ることを許されたのは、その直後だった。兄は村からいなくなっていた。誰にその消息を尋ねても、答えは得られなかった。おそらく村人の手によって始末されたのだろうと上田保春は思う。祖母がその可能性を考えなかったわけはない。しかし目の前の、少女のように細く年老いた老婆は、夢見るようなまなざしで言うのだ。ここで待ってさえいれば、兄はきっとあそこから私の元へ会いに来てくれる。ゆっくりと震える手をあげた祖母の指さす先には、木枠の狭い隙間が開いていた。死人が深夜、あの隙間から身をよじり入れて逢い引きに寝屋を訪れる。その想像はまるでホラー映画のようで、上田保春は背筋に寒気を生じた。けれど、それを狂った老人の妄念と断ずることはできなかった。上田保春が希求する、この世にはいないはずの萌えゲーの少女を現実に見る破滅も祖母の願いと同じことなのではないか。もし兄を現実に見ることができたのなら、祖母の魂は幸福のうちに終わることができるのかも知れぬ。一世紀に渡る歳月を生き、その途方もない魂の摩耗の果て、最後に祖母の中へ残ったのはただひとつ、実の兄への恋慕だけだった。上田保春は孫としてこの話を聞かされているのではないような気がした。祖母は誰に話しかけているのだろう。神へか、懺悔の聴聞僧へか、それとも兄へか。しかし祖母のする告白を聴き、上田保春の心へ何よりも先に浮かんだのは、「どこかで聞いたことのある、ありきたりのプロットだな」という、自分の体験してきた膨大な萌えゲーのシナリオと比較しての白けた感慨であった。次に生じたのは、妹、強姦、近親相姦という脳内へほとんど自動的に形成する現実の記号化から刺激を受けた、男性のかすかな勃起である。上田保春は脳内へ言語化された心の動きと股間の隆起に一瞬遅れて気づき、なめらかな表面を持ったその異形の正体に寒気を感じた。自分の全身全霊、自分の全存在の基調がそのまま、完膚無きまでに祖母の人生を侮辱していることを悟ったのである。萌えゲーおたくの存在は社会の枠外で永遠に保留されるべきである。例外的に観察を必要とする異常として、常に監視下に置かれるべきなのだ。彼は脳頂に石を打ちつけたいような思いに駆られる。しかし、まだ謎は残っていた。祖母はあのアダルトゲームのパッケージの何に、あそこまで激烈な反応を見せたのか。上田保春はおずおずとその疑問を口に出す。昔人の言葉でする、祖母の答えはこうだった。
 あのとき兄の瞳の中に見た私の姿が、はるかな時を経て、不義密通という言葉で非難されていることに動揺したのだ。本当に個人的な、自分の感情だけのことだった。それを腹いせに、あのときのお前には本当に悪いことをした。恨んでいるだろう。本当に、すまなかった……
 上田保春の足下に、巨大な空洞が開いた。
 ああ、なんてことだ! 自分の不幸は、萌えゲー愛好から来ているのではなかったのだ!
 脳内に閃光がひらめき、視界が星に似たまたたきに満ちる。突如、眼前へ縦横に無辺大の地平が開いた。そこには何の制約も無かった。思いこみは存在せず、あらゆる偏見は排除され、すべてが完全に明晰な思考の中にあった。萌えゲーおたくという、かつて自分が居た枠組みが見えた。しかしそれは、その内側から壁の隙間を通じて外をのぞく、あの馴染んだ外界の様相としてではなく、はるか上空より俯瞰した崩れかけの廃墟として視界に入ったのだった。上田保春は瞬間、すべてを理解した。人の持つ社会という制約は、この莫大な神を抑制するために存在したのだ。因習、慣習、文化、その名付けは何だって構わない、社会という拘束を失えば、人はたちまちその本来である神に到達してしまう。神に到達すれば、その究極の自由の中で悪魔のように人間を陵辱し、あるいは殺戮するしかない。人間が作り出す社会・文化の形態の本質は内なる神を抑制することであり、萌えゲーが例外的に特異なのではなく、あらゆる人の営為はこの同じ目的に苦闘するがゆえに、どれだけ相互に異なって見えようとも同朋であり盟友なのだった。かつて自分が馴染んだ廃墟を俯瞰する視点からさらに上空へと飛翔し、上田保春は彼にとって絶対無謬の価値基準であった萌えゲーが、人類の歴史の流れの中に相対化され、ぴったりと当てはまるのを見た。そして、かつて上田保春だった一個の孤独は、ずっとすべてとつながっていたことを知った。しかし、その理解は彼を安らわせはしなかった。なぜなら上田保春はいまやすべてのつながりから切り離された、それぞれが完全に重なるところを持たない神々のうちの一柱となったからだ。上田保春は真の孤独に戦慄した。彼は大きく振り返り、中空に投射された自分の姿をまざまざと見る。それはまるで人のようだったが、もはや人とは全く異なる本質を備えていた。皆が特別な存在でありたいと願い、この地獄へとたどりつくのか。上田保春の内なる神を抑制し続けていたのは、あらゆる社会規範が強度を失ってゆく中で、唯一残された萌えゲーだったのだ。そして、上田保春は巫女の託宣により、その最後の枷をさえ喪失させられた。周囲は完全な真空で視界は何にも疎外されることなく、あまねくすべての方向へ広がっていた。上田保春を制約するものは、何も存在しなかった。神である彼は今や、誰を殺すこともできた。上田保春は恐怖した。そのあまりに明確な変革の実感に、酔うよりも、驚くよりも、真っ先に恐怖したのである。自分はずっと、萌えゲーおたくという枷をはめ、それによって生を狭窄させることで、世界の真相を手に負える範囲に押しとどめることで、かろうじて存在を長らえてきたのだ。彼は少しも革命を喜ばなかった。思考と認識の完全な自由をすべて受け止めるのに、上田保春はあまりに弱すぎた。「人は自由の刑に処せられている」――その本当の意味での自由、神の享受する自由をいまや彼は持っていた。しかし、生物としての制約によって、神の自然の発露である殺戮と陵辱が完全な形で発現することを許されず、神と化した人間の精神はついには自重に耐えきれない巨大な恒星のように内へと圧壊するのだ。裸の自分が膝を抱えてすすり泣くイメージが見える。なぜ、私を萌えゲーの中へ放っておいてくれなかったのか。偽りも悪も存在しない世界の様相を直視させられるような、こんな暴虐に値する何を自分がしたというのか。無論、いらえは無かった。誰も神が発する問いに答えることはできないからである。涙はただ流れた。上田保春は、この世の底を垣間見たのだった。
 しかし、世界の色と輪郭が視界へ戻ってくると、その圧倒的な感覚は次第に消滅した。側頭葉てんかんが見せる神の幻影、あるいはその残滓だったのやも知れぬ。あの無限地平はどこかへ去り、薄暗い屋根裏の底で祖母がむせび泣いている。両手へ顔を埋めて、肩をふるわせ、愛しい人を得られずに泣く乙女のように、祖母が嗚咽を漏らしている。年月にすり減った薄い皮膚のすぐ下に、エメラルド色の静脈が走っているのが見えた。Worn out at Eternity’s gate、永遠の門を前に倦み果てて。人間に見る永遠とは何なのだろうか。それは不死ではない。それは死だ。死が生を規定する。突如、上田保春は知った。精神はきっと永遠を耐えられないだろう。透明な悲しみに促されて、彼は祖母の肩へと手を回そうとした。それは孫がするいたわりのようでなく、同じくこの生に倦み疲れた者としての共感を伝えるための抱擁となるはずだった。しかし、上田保春の指先がその肩に触れるか触れないかの瞬間、祖母は怪鳥のような悲鳴を上げた。そして上田保春の肩口を蹴りつけるようにして、いざり離れて行こうとする。わけもわからず追いすがろうとする上田保春が見た祖母の目には、深甚な恐怖だけがあった。祖母の意識を現実へとつないでいた細い小道が閉ざされ、彼女は今また彼女の罪の場所にいるのだ。決死で逃れることを試みようと、何度も何度も、祖母は兄との契り、彼女の罪の場所へと押し戻されてゆく。裁かれぬ魂の彷徨う煉獄、それがこの世界だった。神を罵倒しようとして、上田保春は気づく。神とは自分のことだ。創造は偶発的な自然発生を待つ他にはなく、破壊だけが神の意志を伴うことができる。祖母に救済が訪れることはない。上田保春は悲鳴をあげつづける祖母の両肩を激しく突いて押し倒し、その首を背後から片手で押さえつけた。親指と人差し指を回せばそれぞれの先端が触れてしまいそうなほど細い首。そう、破壊だけが意志を伴うことができる。知らぬうちに、祖母の生死を選択する分岐点に上田保春は立たされていた。手のひらの下に、血管が脈動しているのを感じる。祖母は泣きやみ、荒い息の下で裁きを待つようだ。薄く差す陽光の中に、細かな埃が舞うのが見える。だが、その永遠のような逡巡を破るように背後で階段のきしむ音がし、階下から悲鳴を聞きつけたのだろう母が上田保春の背中へするどい声をかける。弾かれるように手を離し、彼は呆然とその場に座り込む。額と腋下にびっしりと汗の粒が溜まっていた。駆け寄る母の胸に祖母はすがりつき、抱きとめられるまま少女のようにわあわあ声をあげて泣いた。祖母の薄くなった白い髪の毛をゆっくりと撫でながら、こちらを見た母の表情に一瞬、「まさか」という疑惑の色が浮かぶのを彼は見逃さなかった。みなが孤独な場所にいる。誰も誰かを理解することはできない。もしかするとそれは私たちがみな、一柱の神であるからなのか。全身を脱力感が包んでいる。上田保春は母が抱いたのだろう憶測へ、何か釈明を加える気力を持たなかった。
 二人に背を向けると、ゆっくりと階段を下りる。頬にはすでに涙が伝い落ちていた。萌えゲーおたくだった上田保春がずっと探し求めていたのは、無条件で自分を肯定してくれる場所だった。母の目の中によぎった、実の息子へ向ける明白な疑惑。それを見て、上田保春の中でずっと母につながっていた何かが、もやい綱のようにほどけた。おたくたちが我が身を人から遠く堕としてゆくのも、世界に対して無条件の肯定を問いかけるためなのかも知れぬ。肯定されたい。肯定されたい。私が音を発するただの肉塊であったとしても、あなたに肯定して欲しい。しかしそれは、隔絶された場所にいる人々の上へ与えられた回答のように思えた。その回答はいまや上田保春とは関係が無かった。庭に自生するほおずきの葉の裏側に、蝉の抜け殻が見える。先刻見たのと同じものであったにも関わらず、蝉の抜け殻はもはや完全に別の意味を備えていた。それはまるで、異星人の知覚を与えられたかのような抜本的な変化だった。上田保春は両手を持ち上げると、弱々しく顔をおおった。彼の人生においてこれまで起こった出来事のすべてが脱構築と再構築を繰り返し、いまやあまりにはっきりと意味を理解できた。だから、もうこの世界とは一秒たりとも触れあっていたくなかった。――少年に会いたい。上田保春は、切実にそう思った。自分の人生をずっと規定し続けていたものは、萌えゲーではなかった。萌えゲーという観点から自らを束縛し続けることで、おたくという名付けですべてとの関わりを説明づけることで、上田保春は人生がばらばらに分解しないようにこれまでを生き延びてきた。しかし、彼の苦しみは実のところそこからやって来るものではなかったのだ。萌えゲーを取り上げられ、この神の意識の内側で、自分はどう生きればいいのだろう。
 本当は、自分はどうありたいのだろう。

生きながら萌えゲーに葬られ(8)

 腰を真横へスライドさせる度に組み敷かれた田尻仁美がギャアギャアと、ちょうど生ゴミを漁るところへ石を投げられたカラスのように鳴きわめくので上田保春の欲情はいっこうに昂進せず、ただ勃起を維持するので精一杯だった。加えて普段からの不摂生により人並み以上に皮下脂肪と内臓脂肪をたくわえた腹で、射精に至るほど連続的なピストン運動を続けることは極めて困難と言えた。妄想世界で少女にする荒々しい、しかし手首の運動だけを伴った自慰から得るあの激しさを、全身を用いて局部に与え続けるのは至難の業である。そして羞恥から婉曲表現に頼ることを許して欲しいが、脈動する女性のヨグ・ソトホートの形状や状態によらず、適切な瞬間に適切な圧を男性に加えるのに自身の握り拳よりそれがふさわしかったことを彼は未だ経験したことがない。また、萌えゲー内の絶好の射精ポイントを求めて男性性を達成する瞬間を操作することに長けた上田保春は、自慰の激しさと相まってほとんど遅漏でさえあったので、自分が快楽の絶頂へ到達するためというよりはむしろただただ田尻仁美が早く果ててくれることだけを願って、運動部の兎跳びのごとき非科学的なこの苦行に耐えていたのだった。また、右利き用マウスを使用する上田保春の局部は左手で習慣的に強く握られ続けてきたため右方向に大きく湾曲しており、通常の膣を有する女性との媾合においてその体位は正常位とは名付けのみ異常さで、身体と身体が直交する有り様はほとんどカギ十字の様相を呈した。それがどういう作用だろうか田尻仁美にとっては性的に敏感な部分を強く刺激される結果になるらしく、先ほどからもう気の狂わんばかりの悲鳴を上げ続けている。こんなふうに性交を避けられない場合にいつも浮かぶのは、バイザー型のモニターを萌えゲーの画像が満載された自宅のパソコンに接続し、それらを閲覧しながら交接させてはくれないものだろうかという、当の女性が聞いたのならば瞋恚に鼻血を吹くような人道に外れた妄想だった。それさえ可能なら、現実の性交はもう少し悦びに満ちたものになるに違いないのだが! 上田保春は本当に心の底からそう感じているのであり、これを聞いて誰もが彼の性癖を異常だと糾弾するのに何の躊躇も必要あるまい。しかしそれにしても――上田保春はあえぎ声をあげつづける田尻仁美を冷静に観察しながら思う。もう少しあの萌えゲーの少女たちのように計算された繊細さをもって声をあげてはくれないものか。そう考えて再び、上田保春は自分をこの安宿に留めている理由に思い至り、勃起がたちまち萎えてゆこうとするのをくい止めるために決死のスライドを開始するのだった。田尻仁美が絶叫した。その悦楽の没我に歪曲する顔面を至近距離から眺めながら考える。――この女は、なんて藤川愛美に似ていないのだろう。上田保春が感慨に漏らした藤川愛美なる人物を簡単に説明するならば、彼の愛好する萌えゲーに登場するキャラクターであり、更に詳細を期すならば蛍光色の頭髪をした十八歳の小学生であると表現できるだろう。だが、この場面に至るためには少し時間を遡行する必要がある。
 母からの電話を受けた翌日のこと、週末に備えて定時に職場を離れようとする金曜日の上田保春へ声をかけてきたのは、田尻仁美だった。今夜お暇ならご一緒願えませんか。上田さんにご相談したいことがあって。男性に対して何か効果を与えるのだろうと確信している素振りで上目づかいに彼を見つめながら、田尻仁美はこう切り出した。しかし、上田保春はご存じの通り並大抵の男性どころではなく、また彼の頭は全く別の思いによって占められていたので、その申し出に正直なところ「鬱陶しい」以上の感情を抱くことができなかった。お気に入りのアニメ声の君であるから、昨晩の母からの電話が無ければまた状況は違ったかもしれない。週日の上田保春は現実から可能な限り萌えゲーを楽しむ時間を切り取るため求道者のように振る舞い、それが仕事の能率と結果としての評価を彼に与えていたのだが、萌えゲーに耽溺する豊潤な時間を翌日に約束された週末は、仕事以外で同僚と交流することにずいぶんと寛容な気持ちであることができたし、自宅の床から積みあげた萌えゲーの量が少ないような晩は自分から誰かを誘うことさえあった。もっとも、萌えゲーを堪能し尽くした日曜の夜にはこの物語の冒頭で見たように、萌えゲーおたくであることの罪悪感をも同時に味わいつくし、精神的に衰弱するほど疲れ果ててしまうことが常だった。上田保春の社会での活動はその意味で贖罪の行為に近く、彼の日常は罪を犯すことと贖うことを一週間というスパンで繰り返しており、ほとんど絶海の修道院に住む尼僧の日々と変わらぬと言えた。ともあれ全く便利な日本語、上田保春は主語と述語を曖昧にし、かつ語尾を濁して、それでも今夜はつきあう気持ちは無いということを田尻仁美に明示する。普段ならばあり得ないことだったろうが、なおも何か言いつのろうとするのをほとんど無視して鞄を取り上げ、その横を通り過ぎた。上田保春の抱く思いはあまりに重大だったので、この瞬間の田尻仁美は彼にとって物語の進行上に現れた障害物に過ぎなかった。要するに、無視する権利のようなものを身内に感じたのである。しかし、個人の抱く思いの重大さというものは、そこが現実である限り世界にはわずかの影響もなく、上田保春が感じたような権利は言ってみれば都合のいい虚構に脳を毒されたがゆえの錯覚でしかない。それを証拠に彼が田尻仁美を無いように扱えたのもそこまでだった。廊下を歩み去ろうとする上田保春の背中に彼女はこう声をかけたのである。「相談というのは、藤川愛美さんのことなんですが」
 上田保春は驚愕した。意識が空白化し、全身が金縛りのように硬直する。鞄が指からすっぽ抜けて、よく磨かれた床を回転しながら滑ってゆく。思わず内面の動揺を表してしまったことを後悔するが、すべてはすでに遅かった。振り返れば、田尻仁美が明らかな優越を瞳に浮かべている。是非、上田さんと彼女のことをお話したいものですわ。その奇形な唇に勝ち誇った微笑みがゆっくりと形作られるのを彼は呆然と眺めた。一瞬のうちに攻守は逆転し、もはや否の返事は許されていなかった。
 寒い大地を強制的に連行されるイメージで、悄然とつき従う上田保春。繁華街のざわめきを通り抜け薄暗い店内を案内された先は、まさにこういう誰にも聞かれたくない際の会談にはうってつけの個室だった。田尻仁美はこれから行われる脅迫行為を誰にも知られたくないはずだったし、上田保春はその脅迫材料を誰にも知られたくなかった。部屋の光源は卓上に置かれた硝子細工の内側に輝くキャンドルと、部屋の四隅の床からぼうっと浮かぶ間接照明だけだった。上田保春は肩幅の内側へ両腕をもみしぼるようにし、落ち着ける先が無いかのように視線をさまよわせた。田尻仁美は満足そうにその様子を眺めると、店員を呼ぶためのブザーを押した。このときの彼の行動は相手の優越を満足させるという一点において為されていたので、彼が特別このような機会に慣れていないというわけではなかった。上田保春は萌えゲー以外の嗜好を持たないがゆえに、この社会という場所ではあらゆる執着と欲望から切り離された完全な空虚であり、誰かの感情への共振でその杯を満たすことで、連日連夜彼が陵辱する萌えゲーの少女のように、相手の要求だけにぴったりと当てはまるオーダーメイド的人格を顕現させることができるのだった。もっとも萌えゲー愛好にたどりつくような上田保春にとって、相手の嗜虐をさそう人格が最も得意とするところだったのだが! その意味で皮肉にも田尻仁美との相性はぴったりであると言えた。だから、この後に記述される上田保春の言動にはむしろ田尻仁美の内面が照射されていると捉えた方が、より正確に状況を把握できることだろう。屠殺場で眉間に単銃を撃ち込まれるのを待つ牛のように、じっと黙りこむ相手を気にもとめず、田尻仁美は手慣れた様子で注文を済ませると取りだした煙草にやくざな仕草で火をつけた。その動作は自分の行動に対する疑いを一片も感じさせないほど滑らかで、まるで獲物を追い込む肉食獣の舌なめずりのように上田保春の目に映った。実際その通りだったのだろう。田尻仁美は煙草を吸いたいからというより、許可なく煙草に火をつけることで自分が優越した立場にいるということを知らせるためにそうしたのである。上田保春は敵のテリトリーに誘い込まれ、完全にイニシアチブを握られてしまったのだ。何か言おうと彼が唇をわずかに開いたその瞬間に、田尻仁美は滑るような動作でハンドバッグに手を差し入れると、一枚の葉書を取りだした。「これ、たぶん見覚えあると思うんですけど」
 人差し指と中指で挟んだ葉書をキャンドルの上にかざしてみせる。そこに萌えゲー制作会社の名前が印字されているのをはっきりと読みとることができた。定規で「行」の上に二重線が引かれ、見慣れた神経な細い筆跡で「御中」と訂正がしてある。住所・氏名の欄には果たして「上田保春」と書かれていた。萌えゲーおたくの無意識は常にすべてをご破算にしたい欲求を孕んでいると彼は恐れ続けてきたが、まさにその予感は当たっていたのである。思い返せばこれまで胸元へ差し込む現実を和らげようと、飲めぬアルコールを無理に流し込んだ夜がいくつかあった。青い血の貴種が人外の獣と同じ局部を持っていることを放言できぬ床屋の鬱積と同じように、声に出せぬ思いが消えてゆくことは決してない。それは忘れたように思っても意識の裏側に隠れていて、やがて腐り、醗酵し、平衡感覚を奪ってゆき、ついには発症するのだ。上田保春はネット上の匿名巨大掲示板にさえ、当局の萌えゲーおたく追跡を半ば本気で恐れるあまり書き込みをしたことは無かった。そんな彼の無意識は宿主にただ正気を保たせるために、アルコールの力を借りて強すぎる抑圧を緩和し、脳髄の外へ残してはならぬはずの歪んだ情念を、二次元に描かれた少女を心の底から愛しているのだというその叫びを、アンケート葉書の裏へびっしりと書き込ませたのだった。いったん吐き出しさえすれば満足するのは脳髄であろうと陰嚢であろうと同じことで、朝起きて葉書が見あたらないことを彼はそれほど深刻には捉えなかった。どこか家具の隙間にでも滑り込んだに違いない、引っ越しのときには見つかるだろうなどと軽く考えたきり、完全に忘れてしまっていた。隣人に萌えゲー愛好を察知される寸前を引っ越し時期に決めている上田保春だが、どれだけ用心していても思わぬ瞬間というのはある。一度などは、会社の設備点検の影響で臨時の休みとなった平日に自室でくつろいでいたところ、突然大家がドアの鍵を開けて入ってきたことがあった。そのとき大家の視界に映ったものは昨今のニュースに見慣れた、既視感と危機感を同時に伴う映像だったに違いあるまい。午後を奔走し、翌日、上田保春は会社に有給休暇を申請すると引っ越しをした。敷金は戻ってこなかった。大家は、「あんな部屋の使い方されちゃねえ」と言った。つまり、敷金が返却されない理由は壁一面に貼られた萌えゲーのポスターなのだった。上田保春が管理権を越えた蛮行の数々を訴えようと思わぬのは、萌えゲー愛好を知られたおたくに世間の同情など集まろうはずがないからである。引っ越しの当日、ガスの元栓を閉めても閉めぬと常に告げる上田保春の衰弱した意識が、一度階下まで降りた彼を空になったはずの部屋へと戻らせた。扉を開くと、大家が壁に塩をぶつけている真っ最中だった。悟られぬようそっと元のように扉を閉める上田保春。陪審員制度の導入に彼が危機感を覚えるのは、例え訴状の内容がどのようなものであれ、萌えゲーおたくはすべての裁判で敗訴を避けられないだろうからである。少々話がそれたが、萌えゲーおたくがこんな形で露見することを上田保春は想像すらしたことが無かった。田尻仁美の掲げる葉書は実のところ、残業で郵送できず持ち帰った仕事の封筒といっしょに彼自身が投函してしまっていたのだったが、それはこんな形での破滅を想定した行為では無論なかった。いったいいくつの偶然が重なればいま置かれているこの状況へと至るのか、もはや見当もつかない。物語の成就を偶然に多く頼る萌えゲーをモニターの前で罵倒し続けてきた上田保春は、それが人間の意識では計測することの出来ない何かの総称であることを知らない。この世界に潜む偶然を極力排除しようとする姿勢に科学文明の基があることに思い至らず、まさにいまその無知と罵倒によって彼は復讐されつつあるのだった。もちろん、上田保春だけを責められたものではない。少年の言葉ではないが、人は意味づけできない偶然よりも、どれほど貧弱であれ常に自身の解釈を優先して採択するものなのだから。しかし、なぜ田尻仁美がこの葉書を持っているのか。口を半開きにした上田保春が葉書から視線を外したのを見て、彼女はすべてわかっているといったふうにうなずき、声にされないその疑問へ厳かに回答を与えた。「藤川愛美の声を当てているの、私なんですよ。気づきませんでしたか」
 そうして両拳を口元に持っていってポーズを作ると、二三度わざとらしく目をしばたかせた後、田尻仁美は「あたし、お兄ちゃんが欲しいの」と言った。それは本当に、藤川愛美そっくりの声だった! 上田保春はまず目眩を感じ、次に手元にあるグラスを田尻仁美の顔面に投げつけたいような気持ちに駆られた。猫をモチーフにした国民的有名漫画キャラの声優が、料理番組で子ども相手に声の芸を披露し、ハンバーグの種を投げつけられるのを偶然テレビで見たことがあったが、上田保春の気持ちはまさにそのときの子どもが抱いただろうものと同じであった。つまり、大切な何かを冒涜されたと感じたのである。彼の抱いた感情はいたって真面目なものだったし、傷つけられた思いはきっとあの子どもと同じような純真さにあふれていたが、何をおいても彼の信仰の対象は性交のためだけに、更に言えば男性の勃起を満足させるためだけに彫刻された萌えゲーのキャラクターだったので、自分の感情の真剣さを理解させるため全身全霊で反論しようとも、軽蔑の鼻息ひとつで充分にすべての試みは吹き飛んでしまうだろう。上田保春の脳内で十二人の怒れる陪審員が陪審席に立ち上がり、立てた親指を下に向けながら、「死刑」を連呼するのが聞こえる。それは子ども時代に抱いた無力感に似ていた。例えば夏中をかけて集めた大量の蝉の殻を父に捨てられたときの感じ。相手の側が圧倒的に力を持っているので、言葉に託した取り替えのきかないほど重大なはずの感情が全く無化されてしまう、あの感じ。田尻仁美の話すところによれば、学生時代に所属していたアニメ同好会の後輩の一人がアダルトゲームの制作会社を経営しており――上田保春が葉書を送付した会社だ――、数年前まだ同人サークル規模だったときに安価な声優の一人としてゲーム音声の録音に呼ばれたとのことだった。何人分も声色を変えて一日あえいで、五千円ですよ。これが結構、未だに売れてるみたいで、わかってれば私、買い取りじゃなくてもう少しお金もらえるようにしたんですけど。ほとんどドサ回りの演歌歌手、あるいは弱小プロの売れないアイドルのような調子だ。そしてやはり、上田保春のデスクに萌えゲーの雑誌を置いたのは田尻仁美だったのである。出演した萌えゲーの紹介記事が掲載されているのを、その後輩が律儀に郵送してくれたのだそうだ。藤川愛美への熱烈な愛情がしたためられた、ファンからのアンケート葉書を同封して。これを聞くに至って、上田保春には何か巨大な意志が自分を破滅させようと画策したのだとしか思えなくなる。アンケート葉書に書かれた名前を見て田尻仁美は最初、同姓同名の別人ではないかと考えたが、経理部の社員名簿を繰るうちに真相へたどりついたのだった。そう言えば、いくつか思い当たるフシはありましたよね。その言葉は誰にでも可能な結果論に過ぎなかったが、それでも上田保春の自尊心を傷つけるのには充分な効果を発揮した。完全に萌えゲーおたくを隠し続けることが、彼の自己定義の一つだったのだから。気がつけば眼前には料理が運ばれてきており、田尻仁美は手酌のアルコールにひどく酔っているようだった。上田さんが誰にもなびかないのは社の外に彼女がいるからだってみんな噂してましたけど、まさかこういうのが好きだなんて思ってもみなかったわ。そう言うと田尻仁美は、藤川愛美が初めての性交時に頬を赤らめるときのように、再び両拳を口元へ持っていき――あたし、お兄ちゃんの欲しいの。料理の上へ眼を伏せたままその声を聞いた上田保春は、股間にかすかな勃起を感じた。相手の顔さえみなければ、それは彼の愛する藤川愛美だった。田尻仁美という現実の肉を得たせいで彼の内側に死んでいきつつある少女を想って、彼は気づかれぬようひっそりと落涙した。架空のキャラクターぐらいに何を泣くことがあるのかという嘲りの響きは、もはや上田保春にとって実験室のマウスへ定期的に流される死なない程度の電流のように、抗議に首をもたげるのも億劫な、通り過ぎるのを待つ何かに過ぎない。なぜ電流が流されるのかは知らない。その意味を知っているのは神か悪魔か、上田保春で実験をしている存在だけだ。この世は地獄だ――彼はそう感じたが、彼の感じる地獄を共有できる相手は見渡したところでどこにもいなかった。
 田尻仁美は上田保春の沈黙をどうとらえたものだろうか卓上に手を伸ばして来、彼の手にそっと重ねた。彼女の手は熱を伴って、ほとんど焼けるように上田保春には感じられた。拒絶する素振りが無いのに調子を得て、田尻仁美はゆっくりと手の甲を愛撫し始める。人肌のぬくもり。上田保春は自分の意識とは完全に乖離しているにも関わらず、身体を切実に促すような感覚が胸の内に生まれるのを冷静に観察した。萌えゲーおたくとは肉体よりも頭脳での世界理解が先行してしまった人たちを指すのかも知れない。知的レベルの高さは問題にならず、人肌に触れるとか、人間的営為の当たり前の素朴さに簡単に降伏してしまう。このときの上田保春も例外ではなかった。強く拒絶を表すこともできたはずだが、それをしなかったのだ。生物としての本来的な部分が渇いており、その渇きに水を注いでくれるのならばどのような相手であれ、他の事象に対する内省を度外視した高い論理性や、それほどまで強くては自分以外の存在を少しでも容認できまいと思えるほど先鋭化した批判精神もみるまに吹き飛んで、たちまち腹を見せて完全な恭順を示してしまうのだ。その滑稽さを避けるためには、贅を尽くした釈尊が赤子を踏みつけて出家したように、肉を得てから知に至らねばならぬ。これを順番ぐらいのことと軽視してはいけない。愛していると言ってから交接すれば結婚だが、交接してから愛していると言えば犯罪である。普段は高慢な女性がその裏に男性へ屈従する弱い気質を隠しているからこそ彼女の罵倒を楽しめるのであって、普段穏やかな笑顔で微笑みかける女性がその裏に自分のことを生理的に心底嫌いぬいている事実を隠しているならば、それは現実そのものでしかない。肉というのは象徴的にはこの世を二分した際のこちら側の本質であるが、こと男性においては下世話なほどに手っ取り早く女性という形を取る場合が多いようである。ただ知から始めてしまったがゆえにその知の偉大さや研鑽にも関わらず、後に肉に陥落してしまう喜劇的な滑稽さを呈するのは例外なく男性である。釈尊が仏敵魔羅に幻惑されなかったのは、充分に肉を知っており、それに飽いていたからに他ならないと上田保春は思う。そして、賢明な誰もが見ないふりで目を伏せてくれているのにわざわざ歩み寄って腕をつかみ「あの感性が私に欠けていたものだ」だとか、「知に携わる者が肉を言ってはならぬ」であるとか、問いもせぬのに聞かせてくる段へ至っては何をか言わんやである。女性は男性個人にとっての救済になることはあっても、世界と同義では無い。つまり、当人以外を救うには全く効果を為さないという当たり前さに、順番を違えただけ盲目になってしまうのだ。上田保春は田尻仁美に触れられた際の心の動きを自覚し、漠然とそんなふうな分析の言葉で追ったが、それは内から出て内へ還るだけの、一瞬浮かんでは永遠に消えてしまう類の思考の泡沫に過ぎなかった。
 田尻仁美が欲情に渇いた唇を、煙草の常習で茶色く染まった舌先で湿すのが見えた。その唇はいまや濡れ濡れと輝き、上半身と下半身を直結するあの暗喩を持ち出すまでもなく、欲情しているのだった。田尻仁美は上田保春に欲情しているのだろうか。いや、彼女はこの状況に欲情しているのだ。自分好みの面相をしたフェミニンな男子を脅迫し、追いつめ、屈服せしめるという現在の状況そのものが、彼女を欲情させているのだった。だとすれば、彼に与えられた役割はただひとつである。気弱げに睫毛を伏せて、膝に握ったこぶしに視線を落としながら、かすれた声をしぼるようにして、「それで、田尻さんはいったいぼくにどうしろとおっしゃるんですか」と上田保春は言った。我が意を得たりと、田尻仁美の両目が爛々と肉食獣の輝きを浮かべる。ああ、生命! 田尻仁美の有り様はまさに生命の営みそのものではないか! 彼女のような生命力が無ければ、きっと人類はゆっくりと滅びてゆくに違いないのだ。それとは真逆に、自分はただ清潔でありたいのだろう。生きることのみっともなさや、みじめさや、不潔さとはすべて遠いところにありたいと願っているのだ。田尻仁美は全く正しい。しかし、上田保春の中の生き物の部分は誰かの肌を触れたいと切望しているのに、生命の、否定的な意味ではない不潔さを目の当たりにして嘔吐に近い感情をもまた禁じ得ないでいる。自分が誰かから本当に好かれるなどということはあり得なかった。過去、上田保春と関係を持つに至った女性たちは、彼のあまりの没交渉ぶりに――性交が少ないという意味ではない――自然と離れていったものだった。社会的な場でのつきあいから私的な関わりへと移行するにつれて、上田保春は母からの電話に受話器をかかげてうなだれるあの上田保春となり、つまり、役割を満たされない彼は完全な空虚でしかなかったので、どの女性もそこへ注ぎ続けるほど自己愛から離れて、あるいは傲慢に響かないように言い換えるならば、献身的ではあれなかった。そしてようやく獲物を手に入れた田尻仁美の歓喜にも関わらず、上田保春にはもう事の顛末がわかっている。この一夜にしたところで、過去と全く同じ経過をたどるに違いなかった。――ああ。上田保春の胸に感慨が去来する。身体の中にある動物から離れて、自分は聖者でありたいのだろう。この世の汚れからすべて離れて、自分は聖者でありたいのだろう。
 ネオン街の安宿にチェックインし、背後に防音仕様の重い扉が閉まる音を聞く。ネクタイを引き抜き、ワイシャツの第二ボタンまでを外した状態でベッドの前に逡巡する上田保春へ、田尻仁美はまさに文字通り襲いかかってきた。そのときの彼女は本当に、何の比喩でもなく肉食獣そのものであり、飛びかかってくる彼女を眺めながら、逃げられない距離でライオンと遭遇してしまったときのインパラのように、運命を――あるいは不運を――受け入れる澄んだ瞳で彼は立ちつくすしかなかった。ベッドの上に押し倒され、奇形によじれた唇を重ねられる。女性は男性をレイプできないというのは、嘘だ。弱気な男性が筋力に訴えることができないような脅迫を用意しさえすれば、女性は男性の性を生贄の屈辱と共に思う存分むさぼり、蹂躙することができる。女性器が刺激に応じて本人の意思に関係なく濡れるように、男性器も刺激されれば本人の意思とは関係なくただ勃起する。例えば日曜の午後、プレイする萌えゲーが無いような際に文字通り手慰みにする手慰みを考えれば、それは明らかだ。頭の中では別の考え事に没頭しながら、手首の刺激だけで射精に至ることは極めて容易だからである。愛していないからエレクチオンしないといったふうな劇的展開は劇画内でしかあり得ず、物理刺激が最大の性交要因でないとすれば知性を発展させる長い長い道程の途上で大半の雄猿たちは童貞のまま果て――この場合童貞であるからして、「果て」のコノテーションは「死ぬ」でしかない――、間違いなく人類は滅亡し、今日の萌えゲー隆盛は無かっただろう。愛情とは滑走路の誘導灯のようなもので、それが無くともランディングは不可能ではない。ベッドの上でそうこう考えるうち、こじ開けるように田尻仁美の舌が上田保春の口腔に割り込んで来、彼の舌を、唾液を、むさぼるように吸い上げる。上田保春は田尻仁美の内蔵の臭いを感じ、喉の奥に嘔吐を覚えた。現実と萌えゲー少女の間にある違いを考えたとき、それは臭いではないかと上田保春は思う。例えば、唾の渇いた臭いは最悪だ。特にこういう接吻などの際に他人の唾の渇いた臭いを口腔から鼻腔へ感じるとき、上田保春の中にある現実へ干渉しようとする積極性、女性との交接の場合には相手を征服しようという精神的昂揚はすべて萎え果ててしまう。例えどれだけ映画やアニメや萌えゲーが進歩しようと、これらを並列に並べる段階で上田保春の精神はかなり深くおたくという病に冒されていると言えるが、臭いだけはきっと再現されるまい。それは現実そのものであり、どんなにある虚構が現実に似た迫真性を持っていると称揚されようとも、現実そのものであっては心からの没入などあり得ないのである。脳内に神を自作することで人間は世界を理解すると言った誰かがいたが――上田保春の無意識は現実にあるささいな情報を拾い集めることで彼を守る予言視のような役目を果たしており、この瞬間にその誰かのことを具体的に識域に持ち出すことはなかった――、脳というフィルタを通じて現実の真の様相を希釈することでしか、現実をある一種の虚構として判断し、体験することでしか、人間は世界を理解できないように作られている。だから、省略の妙味によって映画やアニメや萌えゲーへの没入は存在し得るのだから、これ以上の迫真性をそれらが持たされてしまうことが無いよう上田保春は切実に祈るのだ。そしてその理屈で言えば、現実の女性と性交するよりもアダルトビデオを見ながらの自慰の方が素晴らしく、アダルトビデオを見ながらの自慰よりも萌えゲーの少女を見ながらの自慰の方が間違いなく素晴らしい。上田保春は真の意味での萌えゲー愛好家であったので、萌えゲーに登場する少女たちが現実に存在したらと切望することはない。現実に存在する彼女たちからは何らかの臭いがするに違いないからである。現実に存在するということは何かを殺すということで、殺せば少女たちは食べざるを得なくなり、食べてしまえば内蔵からは臭いがするだろう。例えメロンパンを愛好するといったような愛らしい設定に頼み極力内蔵から臭いがしないようにし向けたとして、食べてしまった少女たちは排泄をせざるを得ず、そうなれば少女たちの使った便器からは臭いがするに違いない。萌えゲーの少女たちが現実にいて欲しいと願うこと、それは窓辺のジャーに仮面を保存するようなすべての孤独な人々が避けられない人恋しさのすり替えに過ぎず、上田保春はそれがわかっているから、萌えゲーの少女たちにはただ画面の中から微笑みかけ続けて欲しいと願うのである。それはまた、彼が現実へ留まり続けたいという祈りとも言えた。
 しかし、こんなふうに想像することもある。明日に祝日か日曜日をひかえた深夜、窓の外の雨音を聞きながらパソコンのモニターだけが光源の薄暗い部屋で、下半身を剥きだしにしたまま自慰にいそしむ自分。ほとばしりをぬぐい取ったティッシュを別のティッシュで丹念に包む作業の途中で、ふと背後に気配を感じる。振り返ると、そこには暗闇に発光するように、萌えゲーの少女が立っているのだ。おそらく上田保春という意識はその瞬間に終わりを迎えることができるだろう。自分の描いたキャラクターが迎えに来たのを振り払って逃げた漫画家のように、上田保春の意識は現実に留まり続けるという意志の継続によって成立している。もし、現実に萌えゲーの少女を見ることができたのなら、彼は自己定義を完全に崩壊させられ、終わることができるだろう。人の内罰性は、罪責感を終わらせることができるという一点において、時に自己の消滅を快楽に転じることがある。かろうじて正気を保った上田保春の現在はその想像に、うしろに立つ萌え少女にホラー映画と同等の恐怖を感じるが、しかしそこには快楽も同時に潜んでいた。
 田尻仁美の寝息が聞こえる。シーツの下に上下する、萌えゲーの少女のようでは全くない、生命力に満ちあふれた分厚い両肩を上田保春はまるで無感動に眺めた。それはただの物体に過ぎなかった。――私はこれを愛せない。視線を戻し、初めて見る天井を眺めながら、上田保春は人と触れながら人と触れられぬあの孤独を感じた。田尻仁美のせいではなかった。これが別の誰かであっても、やはり彼の感じる孤独は同じものだっただろう。腐っているのは、結局自分の脳髄だけ。ただ本当に、それだけ。その究極のはずの感慨へ思いめぐらすとき、しかし彼の心は少しも真理を得た気持ちがしない。この世にはまだ底があり、それは自分に対して永遠に秘匿されているのではないか。彼の推測は実のところ正しかったのだが、萌えゲーおたくの脳細胞はなぜだろうか、もしかするとそれの運ぶ外的情報因子を絶やさないために、この世の底を垣間見せることは無いのやも知れぬ。枕元の時計は深夜二時を指していたが、どうやらもう眠れそうにもなかった。十代の頃にはこんな夜がいくつもあった。だから、あの頃のように上田保春はじっと待つことにした。床に脱ぎ捨てられた背広の内ポケットから携帯電話を取りだして、着信の履歴をぼんやりと閲覧する。大量のスパムの中にあの少年からの着信を確認するが、それはメールではなく通話によるものだった。こみ上げる寂しさが上田保春にリダイヤルの操作を促すが、少年が電話を取ることはついになかった。音を立てないようにそっと携帯電話を畳むと、ふと部屋の入り口に気配を感じたような気がして、上田保春は半身を起こす。しかし夜目をこらしても、そこには誰もいなかった。再びベッドに身を横たえると、やはりそこに何かの気配が残っているように感じた。そう、もしかすると上田保春はずっと待っているのかも知れない。少女が現実に現れる瞬間を――自分が壊れるその瞬間を。

今日のよかった探し

いい加減、ホンマそろそろここで日記書くの止めなあかんと思いつつ、当ホームページのコミュニティが設立された旨を諸君に伝えるために記述する。面倒くさければ、この冒頭の情報だけしか読まんでよろしい。

しかし、参加の面々を閲覧するにつけ、どこか見知った人物ばかりであり、私の監視の外で私を罵倒したいという向きはあまりいないようだ。崖の上で腕を組み、マフラーを風にたなびかせながら、「お前なんざとはマイミク登録しねえぜ! だが、最近のお前は間違っているッ! お前のホームページに注文があるッ!」とあさっての方向を指差しながら宣言する気骨の士は現れなかったようである。愛情と憎悪はベクトルを変えた同じ力という例の言葉を持ち出すまでもなく、当然の帰結とは言えるかも知れぬ。「敷居が高い」ことをよく言われるが、同じ表現を複数のファンから頂いたことを考えてもきっとそうなのだろうが、敷居を下げようとすると「下げないで!」と必ず駆け込んでくる向きがおり、私はそのたびいつも、脱ぐことをなぜか客に止められる職業ストリッパーのような気分になる。それこそ放っておけば、日々の雑記などを始めかねないと諸君は恐れているのだろうが、そこのところの線引きは理解しているつもりである。コミュニティ設立がこの不毛な、汚れたパンティをつかみあっての脱ぐ脱がぬのやりとりに決着をつけてくれればと期待する。

全くの余談である。簡易記述式の日記などからネット参入された方などには理解しにくいかも知れないが、かつて、現実世界の人格と電脳世界での人格は「乖離していなければならない」ものだった。現実が充実していなければしていないほど、ネット上での記述は狂騒的に面白くなっていくのであり、ついうっかり現実で満たされたりすればネット上の記述はたちまち色を失うのであった。日常に起伏を失えば、夢が活性化するのと同じ理屈である。つまり、現実とネットの人格が一致してしまうということは足すも引くもないゼロ地点にいるということで、最も避けねばならぬ事態と言えた。内定を得た会社に本名で猥褻な電話をかけたり、懸想する女子の眼前で大便をひねりだしたりといった愉快な記述は、どこからも内定を得ぬ無職だったり、誰からも求められぬ恋愛不倶者である現実を内包するからこそ輝きを放つのであり、当時のホームページ運営者たちは厳然たる暗黙の了解として皆が、「いかに何も無い、つまらない日常を送るか?」に腐心したものだった。しかし、それでは社会的に存在することが不可能になってゆくため、一人また一人と脱落を余儀なくされていき、最後はほとんどチキンレースのような様相を呈していたことを私は懐かしく思い出す。なので、「私という個性の不変」を標榜しているような現在の簡易記述式の日記を閲覧するにつけ、どうにも座りが悪くてしょうがない。現実とネットの人格が完全に一致しているその人物の記述する、昼飯の紹介や読書の感想を読むにつけ、いったいどこにそれをわざわざ文字にするだけのパワーが秘められているのかと、不思議に感じるのである。

私には、日々全力で外界と関わりながら一方で、その心を誰よりも引きこもらせ、自閉させているという自負がある。本物の引きこもりが記述している妄想ではないという点が、上記の過去のホームページ群の在りように反しており、際立って素晴らしいのであるということに諸君は気づき、もっと積極的にそこへ言及して私を褒め称えるといい。そして、今後しばらくは記述を終えるつもりである。

雨のにおいが好き

”弱さのすべてを許容されれば、人は狂うしかない”。というフレーズを「生きながら萌えゲーに葬られ」のどこかにずっぽりと追加挿入しようと思ったのだが、それだけの妄想が勃起しなかったので、しょうがなくここへ記しておく。

というわけで、狂人のみなさまコンバンワー。母ちゃんか配偶者からされるくらい執拗に、何年にも渡って私に甘やかされ続けた諸君だから、もはやこの推測に何の間違いもあるまい。しかし、死人と狂人とそれ以外の少数をファン層に持つ当ホームページへ集客する方法を考えるにつけ、絶望的にアルコール摂取へ耽溺せざるを得ない。そして、酒濁りした目でやっきになって、当ホームページにまつわるあらゆる猥褻な単語を、濡れ濡れと白く輝くあの細長いスリットへ次々と挿入するも、一向にコミュニティとやらがドーム状に陰芯の如く屹立しているのを発見すること、かなわぬ。私の日記へのコメントにコミュニティの設立を提案したヤツは、間違いなく呪殺だ。

あと”足跡帳”に私の自画像を添付しておいた。おっと、いけない! こんな赤裸々な指示を伴った画像では、小鳥猊下が何者なのか早々に臣下の諸君にバレちゃうよ! 記述を終える。

私はあなたを愛しています

昨日、私のホームページのカウンターを一人で千五百回ほど回したそこの貴方、そろそろ私に直でメールを送ってもいい頃合なのではないか。

先の日記への反応で、コミュニティなるものの存在に気づかされ、「nWo」で検索をしたが、ヒットするのはプロレス団体ばかりであった。それも当たり前の話であり、私のホームページの読者を想定する場合、彼か彼女の実際の社会的地位はどうであれ、その精神状況は限りなく周囲と弧絶しているのではないか。ある日突然自殺して、皆が「なんで?」と驚くような人物なのではないか。だから、私のファンの多くはきっと、すでに鬼籍へ入っているに違いあるまい。なるほど、昨今の急速なアクセス数の低下や、いっこうにマイミク登録数が増えぬのもこれで説明がついた。話が冗談で横へそれかけたが、いや、開設以来百人くらいは死んでると確信するが、ブッ壊れたハートを有するそれらの人々が、”コミュニティ”と称するくくりで談笑し合う姿は、私の豊満な(胸をゆすりながら)妄想力をもってしても、極めて想像しにくい。ですから、誰もわたくしのためのコミュニティを作ろうとしなくたッて、それは想定済みのことですもの、少しも悔しくなんかないのだわ!(想いを振り払うように、細い顎を高く上げるのに呼応して揺れる縦ロールへ、きらめく真珠のような涙)

とりあえずミクシィのしきたりっぽいので、足跡帳はつけておいた。諸君の感想を読むにつけ、私に反応して欲しいのかして欲しくないのかさっぱりわからんが、どうぞ活用しなさい。記述を終える。

With Love

 小鳥猊下のマイミク掲示板。
「臣下は足跡などを残してよい」

私のこと、好き?

”もう日記更新しない”宣言をした途端に、バタバタと何件かマイミク登録の申し出があった。まったく現金な連中である。

しかし、中にはたいへん熱烈なものもあり、気をよくした私はもう一日だけ何か書くことにしたい。「マイミク登録一人につき、日記を一日延長!」とか調子にまかせて放言したいところだが、その作戦は諸刃の剣であることを、経験を知恵に変える賢明さを持つ私は知っている。申し出が無い場合間違いなく、驚くほど深く自分が傷つくのである。件の「生きながら萌えゲーに葬られ」についても、途中までは機嫌よく進んでいたのだが、ぱったりと書き込みが途絶えて以降は、「そんなにつまらないのか」とひどく落ち込んで、毎夜泣きながらアルコールを大量摂取し、翌朝には決まって水のような軟便をミリミリと排泄したりした。

とは言え、新しいことを書くのも面倒くさいので、さっき書いたメールの一部を引用することで今日の日記と変えたい。私のファンを称するすべての人間が目にしておくべき文言だと考えるからである。引用開始。

……特にインターネットの個人サイトの場合、それを運営する動機というのは極言すれば、「感想をもらう」の一点しか無いと言えます。私にできることは常に同じ場所で芸を披瀝するだけで、通りかかる観客がそこへ何も声をかけないのだとすれば、私が”芸を披露した”という事実さえ、無かったのと同じになってしまうのです……

引用終了。まったく、長時間労働の後にこれだけのスマートな文章をサッと送信できる私は、この上なくダンディで素晴らしい。読み返すだけで涙が出てきた。君たちは私の見かけ傲慢な態度よりも、時折のぞくこういった透明な繊細さの方をこそ積極的に汲み、その壊れやすいガラスの自意識に配慮した内容と回数で、私を鼓舞するべきである。

”軟便をミリミリ排泄する”の下りを読み返すにつけ、何の後ろめたい気持ちも生じず、むしろ気分爽快である。記述を終える。