土間から座敷へ上がる式の、和風居酒屋。額と頭頂部が一体化しつつある、薄く色の入った眼鏡をかけた男が背中を丸めて、周囲のざわめきに埋没するように食事をしている。大柄な白人女性と、その半分ほどの背丈の小男が店に入ってくる。少し遅れて、”腰を低くする”言葉どおり、ガウォーク状に腰を屈めた男が、作り笑顔と、指紋の消えた手でする蠅のごとき高速の揉み手で後に続く。揉み手からぶすぶすと立ち上る煙。
小男、白人女性との会話――よく聞くと、数種類の四文字語をイントネーションを変えて話しているだけ――に没頭しているふりで通り過ぎるも、突然大仰に振り返る。
「(プリマのような必死の背伸びで、白人女性の肩口から胸部へ手を回そうとしながら)おやおや、どなたかと思えば、これはホーリー先生じゃありませんか! 先生ともあろうお方が、こんな場末の居酒屋でひとりお食事とは、なんとまあ(額に手のひらを打ちつける)」
「(薄くなった頭頂部から大雪山の角度でなでつけた前髪に、こめかみの青筋を隠しながら)贅沢というのは、やりすぎると慣れてしまいますもので。いまではこのくらいに落ち着いています。(白人女性と枯痔馬の頭頂部のそれぞれの位置の差を、首を上下にしながらためすがめつして)身の丈に合わないことをすると、『芸が逃げる』と言いますからな。(充分な間。首をかしげて)ところで、どちら様でしたかな?」
「(つんざく怒号で)賢和ッ!」
「(回転レシーブの要領で枯痔馬の前に飛び出す)はイィッ、監督ッ! なんでございましょうかァッ!」
「ホーリー先生に名刺をお渡ししろ(立てた親指で指示する)」
「了解しましたァッ!(回転レシーブの要領でホーリーの前に飛び出し、名刺を手渡す)」
「(眼鏡を額に上げて、目を細める)なるほど、あなたがご高名な枯痔馬酷男さんでしたか。私は名刺を持ち歩かなければならないほど、人に知られていないという状況が少ないものでして……(片手で髪を掻き上げる)ホーリー、遊児、です」
「(右頬にチック症状が現れる)一度、ホーリー先生とは個人的にお話をしてみたいと思っていました。(ホーリーの前の席に目線をやる)よろしいですか?」
「(手に持った杯を一飲みに干して)なァに、そんなに恐縮することはありません。ときどき出すゲームをせいぜい400万本しか売り上げることができない、しがないゲーム作家の晩酌、どなたに同席されようとも、(鷹揚に缶入りの煙草を抜き出して、火を付ける)孤独を癒す喜びでこそあれ、(煙を枯痔馬に向けて吹きつける)邪魔だ、などということはあろうはずがないです」
「(煙を左手で払いのけて)賢和ッ!」
「(回転レシーブの要領で枯痔馬の前に飛び出す)はイィッ、監督ッ! なんでございましょうかァッ!」
「(千円札のみで構成された札束を床に放り投げて)その、(口端から泡を吹く発声法で)ビィィィィッチに支払いを済ませておけ」
「了解しましたァッ!(背筋をのけぞらせて軍隊式の敬礼をすると、困惑する白人女性の手首をつかんで店の外へ出てゆこうとする)」
「(つんざく怒号で)賢和ッ!」
「(白人女性を突き飛ばし、直立不動の姿勢をとる)はイィッ、監督ッ! なにか不備がございましたでしょうかァッ!」
「(本人は決めポーズだと思っているのだろう、傍目には『屠殺場の直立できる家禽』としか形容しようのない有り様で上半身だけで振り返り、ウインクに失敗した片目だけの半目で)お釣りは全部、俺のものだぜ?」
「了解しましたァッ!(背筋をのけぞらせて再度軍隊式の敬礼をすると、困惑する白人女性の手首をつかんで店の外へ出てゆく)」
「(ゆっくりとホーリーの方へ向き直る。頬のチックは消えている)これで二人きりです、ホーリー先生」
「(鷹揚に煙草をもみ消しながら)やれやれ、どうにもぞっとしませんな。そんな大きな声を出されたら、どんな偉大な人物がこの場末の酒場の一角を占めているのか、気づかれてしまう(懐から色紙と極太マッキーを取りだし、試し書きを始める)」
「(カウンター席で銚子の山に埋もれていびきをかいていた男、女店員に揺り起こされて涎をふきながら)なんだ、女将。デュアルスクリーンが右の乳房と左の乳房でそれぞれ占拠されるという夢を見ていたのに……ヤヤ、もしかしてあそこにいる二人は……(突如垂直に1メートルほど跳び上がり、その跳躍の頂点で180度の角度になるまで前後へ開脚する)た、たいへんズラ! こんな場末のハッテン場で、ホーリー遊児と枯痔馬酷男が対談を繰り広げているズラ! とッ、特ダネだァ! 輪転機を止めろォい!(下駄を鳴らしながら店外へ駆けだしてゆく)」
「(その後ろ姿を満足げに見やりながら)全く同感です。誰もがその言葉を”千金の千倍を積んでも”聞きたいと思うホーリー先生。そして、シアトル在住のおばが国際電話で『酷男ちゃん、ゲーム作ってるんだってねえ! 酷男ちゃんにハリウッドからオファーが来たりしたら、オバチャンのとこにもテレビカメラ来るのかしら。ねえ、カメラ来るの?』と、個人的感想を思わず赤裸々に語らざるを得なかったほど、全米を揺るがした最新作を上梓したばかりの私。この二人がここにいるんですから」
「(試し書きの手を止めて、上目づかいにジロリと見て)枯痔馬さんは、思っていたよりもずっとお若いんですな」
「(小鼻を膨らませて)不惑を目前にした12月24日、独身仲間との毎年恒例のサバゲーの最中に突然開花した、ボクの瑞々しい感性、青々と繁りゆく天賦の才能。ホーリー先生がそのことを意識なさっているのはよくわかります。なぜって、人生も半ばをとうに越えられた先生が、日々の衰えのうちに最も感じざるを得ないはずのものを、目の前のこの男は持っているんだから!(両手を広げて回転する)」
「(卓に押しつけすぎて先端部の粉砕したマッキーを土間へ放り投げて)お若い、お若い。若いというのは恐れを知らないということですからな。(煙草に火をつける)しかし、お若いからなんでしょうかなあ……(煙を吹き上げて)枯痔馬さんの新作、拝見させて頂いたんですがね」
「(小鼻を膨らませて)天下のホーリー先生にお見せするようなものではないのですが、先生から積極的にご覧になったというのなら、感想を聞かないわけには参りますまい」
「そうですな、(真顔で)ゲーム進行中、場面の合間の実写活劇が省略されて話がつながらないことが頻繁にありましたが、あれは枯痔馬さん、どういう演出意図をもっておられたのです?」
「(頬のチックが再開する)あれはッ! あれは、単純に製造工程上の問題で、私の手元を離れた後での、ボクは悪くないッ! きっと工場のブルーワーカーたちがボクの才能に嫉妬していらぬ細工を…クソッ(拳で卓を一撃する)」
「(愉快そうに)では、あれはただの不具合だったんですな。ハハ、年を取ると気が長くなっていけない。十年前の私なら、そうとわかっていれば、ジグソー状にノミでもって丹念に粉砕した光学式円盤に、ナタで切断した雄鶏のとさかの部分を同封して、そちらの販売会社さんか、さもなくば枯痔馬さん宅かへ、直接郵送していましたものを(呵々と笑う)」
「(1秒の10分の1に一回ほど発生する右頬のチックを顔の角度を傾けることで相手に見えないようにして)乱丁・落丁の取り替えを作家本人に請求する筋は聞いたことがありません。賢明なご判断でしょう」
「(真顔で)冗談ですよ。お互い嘘を商売にするのに、枯痔馬さんは少し発想が真面目過ぎるんじゃないですか。私が深夜にバイク便へ電話するのを思いとどまりましたのは、その言動の一つ一つが肌に皮膚病の痒みを生じさせるよう緻密に計算された、前作の例の(悪意を込めて愉快そうに)イケメン君の大活躍が消しがたく念頭にありましたので。敵陣営の中核に当たる人物を確かに打倒したにも関わらず、実写活劇は挿入されず、他の登場人物の誰もその一件に触れない状況に遭遇したときなぞ、またぞろ前作の後半部のようにメタメタ(この場合、メタフィクション・メタフィクションの略)に展開してゆくための大胆な伏線に違いないと、いつ突然場面が転換して無線の”デンパ”が飛んでくるか冷や冷やしていました。(肩をすくめて半開きの両手を全面でゆらゆらさせながら焦点の合わない両目で、女性の声音で)『ピー。ガ・ガー。癩伝、あなたの倒したと思った敵は実在しないの。それは社会的偏見と呼ばれるもので、人々の頭の中や、あなたの頭の中にしか存在しない、決して打倒し得ないものなのよ!ピー。ガ・ガー』。(両眼球を連動しない動きで一回転させて焦点を戻す)いやあ、私の思いこみに気を取られていたもので、枯痔馬さんが意図なさっていたようには、楽しめていないのでしょう。いやはや、反則そのもののミスリードですな(言いながら、煙草の缶をのぞき込む)」
「(店内へ息を切らせて駆け込んでくる)監督、例のビッチに支払いを済ま」
「(おもむろに立ち上がると、脇腹を蹴りつけて)賢和ッ! ホーリー先生が煙草を切らしてらっしゃるじゃねえかッ!」
「(蹴られた勢いで転倒するも、そのまま回転レシーブの要領で立ち上がり)了解しましたァッ!(店外へと走り出てゆく)」
「(下卑た笑みで)ヘヘ、賢和ってんで、住み込みの弟子としてここ2年ほど飼ってんですが、どうにも気のきかない野郎で。ご指摘のリトルグレイ・インプラント編も、試しにあの馬鹿に書かせてみたんですが、案の定のできあがりってわけでして。抽象性を高めて高尚に見せようってのは、最低のハリボテですな。あっしの”人物眼が”間違ってたってことですかねえ」
「ハハ、異なことをおっしゃる。(顔を上げる。照明が眼鏡に照り返し、表情が読めなくなる)枯痔馬さんはゲーム作家なんでしょう? ”人物”を見る目の無い者が、どうして人間を適切に描写できることがありましょうか」
「(もはや顔面の右半分全体に伝播したチックを手のひらで押さえながら)は、話は変わりますが、ホーリー先生、『トラ喰え8』のことです。御作品、遊ばせていただきました。他の点に関しては右斜め45度に固定した頸椎でもってすべて判断を保留にするとしても、国籍不定の地名と悪役名を考えつく先生の御才能”だけ”は、未だこの業界で誰の追随をも許していないようで、安心しました。(上半身を乗り出す)しかし先生、お言葉ですが、件の”マペット放送局”(『トラ喰え8』の物語中盤に登場する、右手と左手にそれぞれ動物を模した指人形を装着した、数人の全身黒タイツ男性から構成される末期ガン専用ホスピス慰問団のこと)のくだりには、この枯痔馬酷男、しばらく大きく開いた顎の両端から唾液がとめどなく垂れ流れるのを止める術がありませんでした。ホーリー先生は昔から、『俺たちは死ぬまで同性愛だぜ!』とか、ぎょっとするような直接な表現やオマージュを好まれましたが、最近の漫談ブームに乗ってここまで露骨にやられるとは(わざとらしく手のひらで額を打つ)、この厚顔さが『トラ喰え』の現在までを形作ってきたのだと改めて気づかされ、不肖この枯痔馬、夜中に一人モニターの前で羞恥に悶絶しておりました(両腕を身体に巻きつけて悶えてみせる)」
「(引き寄せようとしていたアルミ製の灰皿のへりの一部が、親指と同じ形に変形する)そうだ、枯痔馬さん。私はお礼を言わねばならないと思っていたのです。なんと言いましたかな、あの登場人物。枯痔馬さんの作品に登場した、射精の速度に苦悩する大学院生」
「”THE・早漏(ざ・そうろう、と読む)”のことですか」
「(わざとらしく大きくうなずく)そうそう、確かそんな名前でした。枯痔馬さんが、彼の人物設定を深めるために与えた、射精毎の口ぐせ、『哀しい…』は拙作のドリペニス(終末医療のための施設を占拠する犯人が、警察に送信した犯行声明のメールの送信者名欄に書かれていた名前。以後、”ドリペニス事件”と呼称され、社会的に定着する。犯人は小便の最中に施設へ突入した警官隊に射殺され、虎状のペニスを隆々と露出したまま、二重の意味で直立不動のまま、絶命する)の決め台詞『悲P…(かなぴー、と読む)』への巧妙なオマージュ、つまり『トラ喰え』へのレスペクトの顕れですね。ありがとうございます」
「(両手を激しく振って)いや、いや、いや。ホーリー先生は勘違いなさっていらっしゃる。売れない漫才コンビによるショートショート百連発、あるいは単品ではさばけない品物を寄せ集めたデパートの福袋の如き、”ギリシャ悲劇小品集”とでも形容するしかない前作『トラ喰え7』への私の感想を、登場人物に仮託して思わず吐露してしまっただけのことですよ。お恥ずかしい」
「(口へ持ち上げかけた猪口にヒビが入るのをそのまま卓へ戻して)いやいや、往年の名作『かぼちゃ状ボイン(かぼちゃ状のボインを有した婦女が蚤の如き小男に懸想する大正時代を舞台にした少女漫画。最終回で結ばれた二人は、朝鮮半島へと政治亡命する)』を否応なしに想起させるほど、登場人物名にことごとく”THE”をとりあえずあてがう、日の出の如き才能をお持ちの枯痔馬”監督”ですから、一般人のするような私の作品へのその手放しの賞賛には及びますまい。ゲーム作家に過ぎない自身を”監督”と敬称させてはばからない感性は驚愕に値しますが、先ほどご慧眼により看破なさった点、漫談ブームに関してのご指摘ですが、私は監督が漫談ブームへの造詣に関して人後に落ちることはあるまいと、半ば確信しております。枯痔馬”監督”の最新作に登場した”THE・醜女(ざ・ぶす、と読む。顔面の生まれながらの不出来に懊悩する中年OL)”役の斜陽中年女子声優へする、監督の演技指導ぶりといったら! 妙な裏声でもって、『間違いない』を決めフレーズとするあの漫談師と寸分狂わぬ抑揚を忠実に真似るそのアテレコぶりは、まさか漫談ブームを意識しなかったとは言わせません。加えてその発話内容の放つ政治臭ぶりは、学生自体にゲバ棒を握って機動隊の一員の脳頂を強打したことのない、膣内ではなく、ちり紙の上に放出した精液と同じ青臭さをふんぷんとまき散らしておられました。無論、『ゲームと現実の線引き』を常に遊戯者に意識化させる手法をお取りの”監督”のことですから、当然照れ隠しとしての結果、ひいきの斜陽中年女子声優にする体当たりの演技指導に熱が入りすぎてしまった結果のことだとは推察しますが! しかしこの業界に長くいる先達から忠告させて頂きますなら、『ゲームと現実』より、『ゲームと映画』の線引きを、まずご自身に対する周囲からの敬称から、改めていってはいかがかと存じますね(口端を歪める)」
「(顔を真っ赤にして、異様な早口で)わ、私が推測するに、やつらは本当は、心の奥底ではゲームなんて全然プレイしたくないと思っているはずなんです。ゲームに対してあまりにも膨大な時間を費やしてきた結果、ゲームそのものには致命的に飽いてしまっているはずなのに、それが無い時間は不安でしょうがないから、ゲームをしている。ちょうど重度のアルコール依存者が、血中にアルコールの含まれていない状態に精神的な不安を生じるように、ゲームの存在しない日常に不安を生じるまでに依存してしまっているのです。ここで不幸なのは、他の依存症と同じく、周囲からはそれ無しではいられないかのように耽溺しているように見えるのに、当の本人は少しも状況に楽しんでいない、ゲームをすることを楽しんでいない、むしろ不愉快と苦痛を感じている場合がほとんどということなのです。私の意識する私のゲームの購買層は明確です。『20歳を越えてまだゲームをし、映画館に出かけて行く程度の能動性の無い成人男性』がターゲットです。ゲーム内にパロディ化された特定映画の一場面に、彼らが微苦笑を浮かべるのではなく、むしろ感涙を浮かべるとすれば、それは彼らの無知と精神性の低さを間接的に戯画化し、批判していることになる。私の手法とは、他の健全な人々が社会的居場所を築くために使っている膨大な時間をすべてゲームに費やしてきている彼らの無為を、彼ら自身にはそうと気づかせぬまま徹底的に愚弄することなのです。ネット上で彼らがゲームにする批評の舌鋒が時に気狂いじみているのは、つまらないゲームは自分たちの日常の、ひいては自分たち自身のつまらなさとオーバーラップするからです。自己存在の否定に対して、人間は最も強く抵抗を示します。彼らは無意識的に、自分たちの営為のつまらなさ、意味の無さを知っているのです。私は彼らの存在の位置を、私の作品を通じて社会の中にマッピングすることが目的なのです。消費するばかりで生産することを知らぬ彼らの平面的な実在の有り様を、立体化する作業なのです。だから、あんな同人誌みたいな二次創作ではないんですゥ! すべて意図を持った演出技法の一環なのですゥ!(両腕をぐるぐる回しながら、絶叫する)」
「(飛び散る唾に対して左手を風防にして、煙草に火をつける)私の好きな言葉に、『人生について考えるのはいいが、人生の意味について考えてはいけない』というのがあります。人生の意味とは、すなわち死の意味ということで、他の事象とは違って死が個別的であるという点から、死の意味も決して一般化のできない個別的なものです。つまり、正解が無く、他者へ言葉を使ってその意味を疎通することもできません。思考が言葉によって定義されるというなら、言葉が他者への伝達を基とするというのなら、究極的には、言葉で死を考えることはできません(ゆっくりと煙を吐き出す)。君が愚弄するまでもなく、彼らはすでに社会的制裁を受けているじゃないですか。それこそ、暗黙のうちに。この社会での断罪とは、かつてのような石もて追われ罵られることではなく、完全にその存在を無いものとして扱うこと、無視と同義ですよ。愛と憎悪はベクトルを変えた同じ力です。君の絶叫はつまり、彼らを愛しているという絶叫とも考えられる。更に言えば、君は自分自身を社会へどう位置づけるかに未だ執着しているように見える。君が、無視された者たちに心ざわめかせるのは、自分の商売に必要な相手という以上に、かつて自分が彼らの一人だったことを知っているからじゃないですか? (顔面総チックとなった枯痔馬が言いつのろうとするのを手で制すと、眼鏡の位置を直す。眼鏡のガラスに照明が照り返し、表情が読めなくなる)君の作品から判断するに、君は童貞ですね。君に足りないのは、成功体験ならぬ、性交体験なのです。見かけのハードさによらず、君の銭入ゲーム(銭湯闖入ゲームの略)が子ども向きだと私がどうしても考えてしまうのは、君の提示しているものがセックス未満の世界理解、セックス未満のエロスに満ち満ちているからです。ひとつもっとも顕著な例を挙げるなら、乳の揺れです。君が知っているように『トラ喰え8』の乳は、ことごとく揺れます。対して、君の作品の乳はそのサイズの大小に関わらず、ことごとく揺れない。ぴっちりバイクスーツの隙間からのぞいていようとも、黒い下着に包まれていようとも、眼前で揺れない乳はどんなに巨大な乳であろうともグラビア写真に過ぎない。つまりせんずりネタに過ぎないということです。実際に眼前で自身の動きにあわせて揺れる乳を見たことがあるものは、あんなふうなリアリティの無さには陰茎を硬直させることはできません。逆に、自身の動きにあわせて眼前で揺れる乳を見たことがあるものは、その表面上の差異にとらわれず、『トラ喰え8』にこそ真のエロスを感じることができるのです。『トラ喰え8』は、セックスを終えた大人、あるいはセックスをする予定の子どもたちに捧げる人生賛歌なのです。君の好んで選ぶ題材であるところの政治にしても、あんなに青白い書生ふうな、個人的な神経さでは進んでいかないものです。比較の問題ですが、私にとっては下着を着用しない婦女が肉を熱い汁の中で弄ぶ類の接待を受ける官僚の方が、よっぽど人間的で好感が持てますね。私はもちろん、君の願望の投影として受け取っていますが! 君の作品の人物は、腺病質な内面は自身の投影としてリアルに、マッチョや奇形はアニメーションに影響を受けたのだろう、外挿的な”設定”が人物の本質に先行した戯画的な造形で作られている。
「君は私の地名や悪役名の名付け作法のことを指摘しましたが、現実に存在する固有名詞はすべて歴史的情報や歴史的記憶というものを蓄積しているという事実に意識を向けたことはあるでしょうか。つまり、すでに物語を含有している名詞を積み重ねて、俗に”リアリティ”と呼ばれるものを作り出すのは、実に簡単だという事実に気がついているのでしょうか。現実に存在するものの名前を物語の中へ取り込むのは、死ぬほどデリカシーのいる作業です。その選定を怠ったり、或いは全く無自覚だったりすれば、たちまち他人の蓄積してきた現実に君の物語は取り込まれ、圧倒されてしまうでしょう。私の観察を言わせてもらえば、物語作法の順序を違えたせいで、本来不可欠であるはずの自分の現実と他人の現実の境界を意識することのないまま、君は自己定義の袋小路に迷い込んでいます。微に入り細に入ったギミックを膨大に積み重ねることで外殻を作りあげると、その外殻を遠目から一見したものはそれが形を成しているので、そこに中身が存在するかのような錯覚を生じます。君たちの世代の物語作法とは、まさにこれです。世界観や思想とは、個人の傷や偏見と同義であるにも関わらず、それを徹底的に排除するように教育を施されてきた君たちの世代のする物語は、すべてこの方法でできています。(遊児、立ち上がる。ほんの一瞬、数倍にも膨れ上がったように見える)おまえの世代の歪み、同情には値するが、物語を愚弄することだけは許さねえ!(悪鬼の形相。気迫が突風となって吹き上がる)」
「(頭を抱えて這いつくばって)ヒイィッ!」
「(穏やかな表情で)ただ、THE・醜女の人物造形には感心した。美容整形に成功し、社会的に容認され、いまや周囲の誰からも求められる新しい自分を、自分自身が実は一番求めていないことに気がつくことを描写する下りは、私の見ている”現実”に肉薄していた。外挿的設定、外観的パーツへの偏執愛から人物造形する世代にはわからないかも知れないが、本来人物造形とは、キャラクター本人が自身の自我をどのレベルにまで深めて言語化できる知性を持っているか、によっている。若しくは、それを視聴するものが、キャラクター本人によって言語化されない自我の部分をどのレベルにまで言語化して補うことのできる知性を持っているか、によっている。意識してのことかどうかは知らないが、おまえの描いたTHE・醜女は、この両翼から、既存の人物造形のレベルを一段階押し上げていた。なぜならTHE・醜女の自我と知性は、本来中年OLのそれに過ぎなかったはずなのだから。彼女の持つ苦悩の深みは、そして彼女の愚かしさは、私を泣かせるに足る。その点に関しては、この通りシャッポを脱いで賞賛しようじゃないか(言いながら、頭頂のカツラを一瞬持ち上げて、また元のように下ろす)。
「おまえはまだ人間を知らない、世界を知らない。おまえはまだ物語という広大な広がりの、端緒についたばかりだ。おまえが今まで俺の前へ提出したおまえ自身の物語は、THE・醜女の悲哀だけだ。これを殿軍に実作の世界から遁走し、無朽の位置に自分を押し込めようとする気じゃないだろうな。(親指で自分を指し)俺という、真実からの評価には目をそむけて。おまえはまだ、偉そうに誰かを指導できるほどの物語を物語ってはいない!(テーブルを一足飛びに乗り越えると、酷男の肩口を蹴りつける。たまらず土間に転がり落ちる酷男) もう一度地面に這いつくばれ! 人間という名前の巷間を、吐かれている反吐と同じ目線でいざってこい! (座敷から土間を見下ろして)そうして、ここまで登って来るんだ。俺を脅かすところまで(口の端で笑みを作り、人差し指で招いてみせる。ジャケットを羽織ると、息を切らせて店に駆け込んできた賢和の手から缶入りの煙草を取り上げて、出てゆく)」
「(土間に寝そべり、呆然と天井を見上げる枯痔馬に気づいて)監督ッ!」
「(ゆっくりと賢和を見る)賢和、か。悪いが、俺とお前の師弟関係は、今日この場で解消だ」
「(うろたえて)な、何を言っているんですか。あんな才能の枯渇したとネットで評判のロートルに言われたことを、気にしてるわけじゃないでしょうね。(ノートパソコンを取りだして)ほら、監督の新作もネットでこんなに好評を博しているじゃないですか! ネット上での人気調査でも、『トラ喰え8』を押さえて監督の新作がトップですよ(前歯の抜けた口腔を見せながら笑顔を作る)」
「(悲しそうに見返して)そうか、わからないんだな。あの遊児が、ホーリー遊児が、俺を敵として認めたんだ。あの膨大な力に対抗するのに、弱い者はいらない。足手まといはいらないんだ。俺はいま、一瞬の油断も許されない、戦いの密林へ踏み込んでしまった。俺はおまえの世代を導くほど、まだ自分の世代に責任を果たしちゃいなかった。(陶然と)いまになって気がつく。俺は、俺の浅薄な世界理解を、何の反論も許さないほどに粉々にうち砕いてくれる”シ”を求め続けていたのだと。家族、学校、会社、社会、みなが俺の価値を認めてきた、尊重してきた。その温情と愛情と平等の錯綜する地獄のような穏やかさの中で、俺は常に違和感を感じてきていた。俺はようやく、”シ”と呼べる人に出会った! そうだ、俺はずっと、俺よりも力強い誰かに、俺自身を強く否定されたかったんだ!」