猫を起こさないように
年: <span>2005年</span>
年: 2005年

年末恒例のアレだよ!

毎年恒例、「小鳥猊下慈愛のようす」開催中だよ! まあ、今更気取ってもしょうがないから内情をブチまけると、年末年始、帰省とか初詣でとか姫はじめとかで誰もかまってくれないから、自室のパソコン前に座り込んで一年間で溜め込んだアレやコレをナニしているだけなんだけどね! 全く日本のセックス環境は年中無休のフルスロットルでござるよ! そんな、トリプルミーニングくらいの含意で”一人遊び”する窓の外から楽しげな笑い声が聞こえてきたりして、それが家族のものだったりしたとき、喉の奥から「原初の悲鳴」としか形容できないような凄まじい唸りが漏れだしてきて、その怨念の深さに自分でも毎年ゾッとするんです……おっと、こんな欝展開はお好みじゃなかったよね! よし、君たちとの間に隠しごとは無しにしよう! だってここはソーシャル・ネットワーキングサイトなんだからね! (両拳を胸元に、右膝を腹部に引き寄せて片足立ちして)ご覧の通り、俺はいまマッパだ(一瞬の静止後、股間に揺れる陰影)! (両腕を左右に開き、左膝を腹部に引き寄せて片足立ちして)俺はいまマッパでおたくライフを満喫している(一瞬の静止後、股間に揺れる陰影)! そうさ、真冬の厳寒に素裸という俺が抱える矛盾を克服するため、俺の部屋のヒーターは高速度で回転し、室内に漂う致命的なスペルマ臭は外気へと拡散してゆき、栗の花の香りは牛の鼻腔をくすぐり、鼻腔をくすぐられた牛たちのげっぷは地球を温室化させ、屠殺されたその肉は俺の食卓へ提供され、大地に身を横たえた牛たちは化石となり地層となりやがて石油となって、俺に裸のおたくライフを許すため俺の部屋のヒーターをまわすという血の輪廻、これ以上動植物にとっても地球環境にとっても「無駄死に」という言葉が似合う死に方って、人類の歴史を振り返っても他に想像できませんよね……おっと、性格と前世がネクラーソフなものだから(得意げな表情で)油断するといつのまにか思考がついつい欝方向にイッちゃうよ! もうこうなったらすごい秘密教えちゃう! (頬をふくらませて両手を腰に当てて)私のすッごい秘密教えちゃうんだから! (素裸のまま空気椅子で片手を挙げながら)ハイッ、ハイッ! (立ち上がって少ない腹筋で腹部の脂肪を持ち上げながら上半身をひねって背後を指差し)おい、そこの眼鏡デブ、言ってみろ! (両手両足をまっすぐ伸ばしたまま散乱する酒瓶をなぎ倒しながらそれでいて大切なグッズには触れないようにジャングルの王者よろしく第三の足を伸縮させて軌道を変えつつゴロゴロ床を回転して)ポイントはそこじゃないYo! ポイントはそこじゃないんdeath! (大掃除を放棄した部屋に渦巻く埃の煙の中にゆらりと立ち上がり中指で眼鏡の位置を直して)実は……ウフフ、引かないで下さいね……私、あんなホームページを運営しているくせに、(チュチュをまとわないバレリーナの大開脚で飛び上がり)生まれてから一度もコミケに行ったことがありません! な、なんだお前たちのその『団鬼六がプレスを集めて童貞告白を始める会見』をお茶の間で見るような視線は! (心もち開いた左手と右手を顔面から均等でない距離にかざして腰をかがめ、何か風圧に耐えるポーズで)やめろ、俺をそんな目で見るなッ! (同じポーズのまま目だけ少女漫画になって)誰か私をコミケに連れてって!

たぶん明日には消します。「慈愛」は外部掲示板にて生ぬるい感じで開催中。

サンタの贈り物だよ!

メリー・クルシミマス! 俺はイブの夜だからといって突然巡回を間遠にしたり、タイムスタンプの明らかな場所への書き込みを差し控えたりするような、中途半端なネット者ではないつもりだ……という類の書き込みが昔はこの時期に散見されたものですが、今は出先からも携帯電話でお手軽に更新できる世の中でして、あのヒリヒリする血のような選別を実感することも少なくなり、逆の意味で寂しい限りですね。そして、「足あと」がブランクになること頻繁なのだが、入会して出歯亀して退会したということですか。

さて、先日更新した最終回である。相変わらず感想は少なく、包み隠さず本音を申し上げるならばただ見の連中は余すところなくブッ殺してやりたいが、その少ない感想の中にはいくつか有益なものもあった。なので、次回は昔のようなファルス調でぶち上げるつもりである。予告のあった「閉経おばあさまへ」は永遠に凍結する。また、高天原勃津矢についてもこの年末年始で小出しにアップロードしたい。無論、要望があればの話だが!

では、真っ最中にお邪魔をした。各自、私の登場を凝視することで半開きの口に一時停止を余儀なくされていたピストン運動を再開されたい。

生きながら萌えゲーに葬られ(10)

 少年の死。矮小な死。歴史は彼の名前を残そうと思わないだろう。少年の存在がこの世界から完全に消え去るまで、そう長くはかかるまい。少年の死因はわからない。孤独ゆえの自死なのか、死と他者との関係性を引き替えにするという誘惑に耐えられなかったのか――
 結局のところ、上田保春の中で重大になりゆくその存在の比重は、彼が外界からの逃避先として少年に自己憐憫を投影していただけの一方的なつながりに過ぎず、現実では二度ばかり、一日にも満たない時間を過ごしただけのただの他人に過ぎなかった。上田保春は少年のことを何も知らず、少年も上田保春のことを何も知らなかった。それはお互いの真相を知らぬゆえに可能な、自己愛と他者愛が渾然となった恋に落ちる寸前のあの時期に似ていたのだろう。
 少年の死はこの世界から何かを永遠に奪っているはずだった。それは、もしかすると魂と呼ばれるものなのかも知れない。しかし、自分の中からは何も失われていないのを上田保春は知る。彼はこの世界の主人公ではなく、少年は彼にとっての欠けた片割れではなかった。現実に接点を失った他人の存在が人生から消えるのに、一週間とはかかるまい。萌えゲーの少女たちが稲妻のように輝きを放ち、上田保春の心へ永遠に消えぬ火傷を残すようには、少年が彼に何かを残すことは無い。だとすれば、あれは生の内包する錯覚だったのか。孤島に取り残された男女ふたりの間には、やがて間違いなくお互いを強く求める気持ちが生まれるだろう。彼と彼女が物語の主人公であるからではない。そこにカメラが回っているかどうかは関係が無い。身体の奥底に普段は気づかれないよう眠っている動物が、ふたりを否応なく引き合わせるのだ。上田保春と少年との関係は、孤島の男女に生じた愛の錯覚に過ぎないものだったのだろう。しかし、上田保春と少年のようではない関係が、存在し得るのだろうか。この世界を無数に分割する泡のような隔たりの内側に、何の意志も伴わぬ偶然によって集められた人々が、他の泡の中身を知らないまま、それでも同じ泡に住まう人々を、友人であるとか、恋人であるとか、家族であるとか、それが必然を伴う特別な関係性であると名指しできるのも、内なる動物が我々の人間を操作しているからではないのか。誰も上田保春を笑えまい。萌えゲーおたくだった彼の抱き続けた疎外感は、動物への屈服を自ら拒絶した、誰よりも人間であろうとしたがゆえに生じたものなのかもしれないのだから。
 屋根裏から降りてきた母が、落ち着いたみたい、と上田保春に告げる。母は先ほど目にしたはずの事件には触れず、まるで何も無かったかのように振舞っている。母はダチョウのように砂地に首を埋め、物理的な結果を残さないのならば見えなかったようにふるまうことで、彼女の息子の異様な性癖になんとか辻褄を合わせてきたのだということが、ふいにわかった。おそらく血塗れの遺体を眼前につきつけるまで、母は息子に対して盲目であろうとするだろう。その理解に悲しみはなかった。あきらめもなかった。こうなっているのだから、誰にも仕方が無いという受容だけがあった。上田保春は母とほとんど何も話さぬまま、手渡されたメモを頼りに買い物を済ませた。一緒に夕食をという申し出を辞して、祖母の生家を後にする。アクセルを踏み込むと、景色はたちまち背後へと飛び去った。陽光と霧の境目を越えさえすれば、もはや上田保春は母とも祖母とも違う、別の泡の中にいた。山を下り、国道へ合流する。ふと視線を上げると車内から、山々の稜線を輝かせながらゆっくりと沈みゆく太陽が見えた。陽光の最後の残滓が稜線の上空へ浮かぶ雲の腹を茜色に輝かせ、上田保春はあまりのぞっとするような美しさに息を呑んだ。エンジンの振動の外に草と草が擦れるわずかな音が聞こえ、昼間の蝉の声の残響が聞こえ、昼と夜の狭間を吹き抜ける風の音が聞こえ、そして静寂の音が聞こえた。その瞬間に存在したすべての要素はお互いを邪魔にせぬよう、清澄な調和を基に統一されており、上田保春と人工物である彼の車さえ、交通の少ない田舎の道路の上で世界そのものと何もぶれることなく合一しているのだった。喉の奥に悲しみのようなものが溜まるのを感じ、かつて味わったことのない心臓を直につかまれるような恐怖に彼は身震いした。窓をすべて閉め切ると、チューニングの決まらぬFMラジオの音量を最大限にまで上げる。名前を知らない男性シンガーのポップミュージックがひどい雑音と共に車内を騒音で満たした。全身を緊張で強ばらせた上田保春は、わずかに安堵の吐息をつく。一刻も早く自室のパソコンの前へ座り、萌えゲーをプレイしなければならなかった。
 上田保春は幾度も振り返りながら、わずかに開けた扉の隙間から身をすべりこませた。扉の内側に上下二箇所ついた鍵を閉め、何かが入り込むことを恐れるかのように、さらにチェーンをかけた。靴を脱いで椅子に腰を下ろし、パソコンの電源を入れる。萌えゲーの起動アイコンがぎっしり詰まったフォルダを開き、マウスのカーソルが小刻みに揺れて定まらぬのを左手で押さえつけるようにして、そのうちのひとつをダブルクリックする。企業ロゴが現れ、回転し、消え、巨大な眼をしたパステルカラーの少女がタイトルとともに画面を占有すると、上田保春はようやく人心地ついた表情を見せた。少女が画面上で微笑むのを注視したまま後ずさりをし、手探りでコーヒーメーカーをセットする。そのとき、胸元の携帯電話が二回振動し、メールの着信を彼に知らせた。レトルト食品の紙箱を乱暴に破ってレンジに乗せながら、履歴を確認する。それは少年のアドレスから送信されたものだった。そのタイトルには、「息子が死にました」と書かれていた。
 ――先日、息子が死にました。お恥ずかしいことですが、私たちは息子の交友関係を全く把握していませんでした。息子の携帯電話の履歴に残された方々に同じ文面のメールを送信させて頂いています。息子の名前にお心当たりの無い場合、どうぞこのメールは削除下さい。もし、生前の息子をお知りになられているなら、葬儀にご参列下さればと思います――
続いて葬儀場所と時間が記され、お手数をおかけしますと締めくくられている。無論、上田保春が真っ先に考えたのは悪戯メールの類である可能性だった。しかし同時に、ひどく納得するような気持ちもある。少年の年頃に少年が話すように話したとしたら、自分はきっと死ぬことを選んだと思う。水泡がはじける音とともに、コーヒーの香りが室内に漂いはじめる。鈍くなった感受性、醜く凡庸に墜してゆく自分を嫌悪しながら、どこか心の深い部分でほとんど慈愛のような感情が、その弱さを許してさえいる現実。
 少年はきっと、死んだのだろう。
 週があけて、職場へ出る。見慣れたすべてはまるで違うように感じられたが、それは上田保春自身の変容によるものだった。いままではあえて触れようとも思わなかった人々の仕草ややりとりが、驚くほどその内側に存在する意味を主張して迫ってくるのがわかった。小心な萌えゲーおたくだった上田保春は、細大もらさぬ注意を配って職場でのふるまいを自己規定してきたはずだが、その大部分は彼自身にとってしか意味をなさない因習のようなものだったことが理解された。誰も上田保春に対して、彼が思うほどには興味も関心も抱いていない様子だった。上田保春が腐心してきたのは、相手に何も与えないようにすることだった。愛が不在ならばそれが彼に悪意をもたらすことはあり得なかった。田尻仁美と廊下ですれちがう。他にも社員の姿があったせいか、彼女は意味ありげな視線を上田保春に向けたのみだったが、彼はただ誰に対してもする微笑を浮かべて会釈すると、その傍らを無関心に通り過ぎた。田尻仁美との一夜のことは上田保春の中で、もう無いのと同じになっていたからだ。相手に何も与えないようにすること、それは人間関係における蓄積を拒否することである。田尻仁美が上田保春のことを本当に愛しているのでなければ、悪意は発生しないはずだった。廊下を曲がる際、視界の端にこちらを凝視している彼女の姿が目に入った。再構築された上田保春の意識はまるで赤子のように考える。ゴシップ的な興味で近づきながら、田尻仁美はいまや自分のことを愛しているのか。偶然に触れ合った二人の間に起こったことを、なぜ彼女は愛と信じることができるのだろう。
 少年の葬儀の当日、喪服を用意するほどの思い切りも無いまま、濃い色合いのスーツに身を包んだ上田保春はメールに記されていた葬儀会館の入り口に立った。奥からは読経の声が聞こえてくる。狭い敷地で多くの外来者をさばくためかもしれない、入り口部分は扉や壁を取り払って完全に戸外へ向けて開けており、前を通り過ぎるだけで中の様子をくまなくうかがうことができた。ここに来るまでにあった誘導の看板と、遠くに掲げられた遺影を見るに、どうやらこれは本当に少年の葬儀であるらしかった。
 事前にメールを転送しておいたのだが、太田総司と有島浩二は姿を現さなかった。彼らはまたいつものようにマンションの一室で自分自身をのぞきこむ作業に没頭しているのかも知れぬ。死者の弔いに参列する意味など、本当は何も無いのかもしれない。彼らのやり方が正しいのだろう。少年は死に、その意識はこの世界から消滅した。残されたものたちが日常の連続の中で彼の存在に決着をつけるためだけの儀式に、確かに意味などというものは何も無いのかもしれない。しかし、そうやって世界の意味は順に消滅していくのではないか。すべての尊厳や、目に見えない何かは、そうやって消えてしまうのではないのか。上田保春は怒りを覚えた。それは義憤と表現してもいいものだった。しかし、結局のところその感情でさえも、彼らの無関心の前では嘲笑され、貶められ、無化されてしまうのだろう。萌えゲーおたくの前ではすべての価値が無化される。自分の中に何か少しでも大切なもの、人生への意味を抱いている者たちは、あえて彼らの前に立とうとは思わぬだろう。嘲笑と無力感は表裏一体の感情である。子ども時代の無力を追体験して、それが実際大したことではなかったと自分に繰り返すために、上田保春は萌えゲーを愛好したのかも知れぬ。そして気づく。萌えゲーおたくであることの無力感と、子ども時代の無力感は酷似していた。人間は幸福を反芻することはできない。それは泡のように、生まれた瞬間に壊れて消える。しかし、人間は不幸を反芻することができる。それは魂の内側に深く根ざし、そこへ意味づけすることで、あるいは消せぬまま否定か肯定を繰り返すことで、人間は充分に一生という時間を消費することができる。
 関係者ではないふうを装って、葬儀会館の表を幾度が往復したが、ついに焼香に立つことはできなかった。遠くから確認した少年の遺影に何かの感情を刺激されたような気になって、上田保春はコンクリートの壁面をなぐりつけようと拳を振り上げる。しかし、結局はそれをしなかった。なぜなら、以前映画で友人の死に主人公が壁を殴りつける場面を見たことを思い出したからだ。拳を振り上げたのは自分の判断ではない。この場面に適切な行動が膨大な虚構の蓄積から自動的にソートされた結果だろう。また、コンクリートの壁を殴りつけようものなら、拳を骨折するだろうと冷静に考えた。彼は自分が傷つくというリアルな想像に眉をしかめて、右拳をやわらかく左手で覆った。結局のところ上田保春は、事前に想像していたほどには悲しみを感じなかった。少年の死を眼前に彼が感じた哀切は、最良の萌えゲーのシナリオが提出した哀切よりも、はるかに感動的でも影響を与えるようでもなかった。なので、記帳し焼香を上げ、お悔やみの言葉を言う際に少年との関係を彼の両親にどのように説明するのかを考えたとき、真っ先に浮かび上がってきた感情は「面倒くさい」というものでしかなかった。いったん芽生えるとその感情は、たちまちずっと感じてきた本来であったかのように彼の心全体の雰囲気を決定し、支配した。上田保春はいとおしいものを抱くように右拳を胸元に引き寄せると、少年の遺影へ背中を向けた。それが少年との最後の別れだった。少年の存在は、彼の外側で無化された。
 照明を消した室内で、上田保春はモニターの前にほおづえをつく。萌えゲーの少女を映し出したモニターの前で、萎えた男性はいっこうに昂揚を見せようとしない。ズボンを引き上げると、彼は車のキーをつかんで玄関を出た。階段を下りる途中に、同じ階で一人住まいをしている老人とすれ違う。いつもは不機嫌そうにしているばかりだが、今日は上田保春の会釈に笑顔さえ見せた。頬を上気させ、何か嬉しいことでもあったのかもしれない。老人を見る上田保春の視野が倍率を上げ、その顔に刻まれた皺をクローズアップして映した。無秩序に引かれたように思えるその一本一本の線は、幾何学模様のように全体として意味をなしていることを彼は理解した。その皺のうちの一つとして意味を持たないものは無かった。それは老人の来歴を、人生を余すところなく表現しているのだった。上田保春は自身の没入に気づき、あわてて首を振る。そうだ、瑕疵だ、瑕疵を探すのだ。この完全さの中にたった一つ瑕疵を探すことさえできれば、老人の全存在を否定することができる。これまでも、自分はそうやって生きてきたではないか。狂おしく視線を動かせば、老人がパチンコ店のビニル袋を手提げにしているのが目に入る。この老人の機嫌は要するに、パチンコで勝ったという事実にだけ依拠しているのだった。上田保春は口元に嘲笑を浮かべようとして、気づく。パチンコをすることと萌えゲーをすることの間にはもはや何の優劣も存在しなくなっていたのだ。なぜ萌えゲーを愛好する自分が老人よりも上に位置づけられるのか、かつて確かに存在したはずの確信はすべて消失してしまっていた。その考えが浮かぶか浮かばないかのうちに脳内で猥褻な単語を連呼し、老人に挨拶を返すいとまもあればこそ、彼は足早にその場を歩み去る。
 外に出ると昨日までのようではなく、大気はわずかに冷気を含んでいるようだった。季節が移り始めているのか。空気中に含まれた湿気が肌の表面を撫でながら、ゆっくりと地面へと移動してゆくのを感じた。ふと空を見上げると、月が大きく出ている。それは原色のような黄色で、三日月の分だけ上弦を切り取られていた。ふいに思考が訪れる。それは上田保春の内側からではなく、どこか遠い外からやってきたように感じられた。地球と月が引き合うように、この地上に住まう我々は引き合い、例えその結果として生まれたものが殺人であろうと、この世界にとって悪ではなかった。上田保春は、月のさらに向こうを見た。世界は極大へと広がっていた。その底で上田保春は極小に過ぎなかった。彼は点描画の上の一つの点だった。極小の上田保春は極大へとつながっており、極大の世界は極小の彼へと収斂している。生命という円環を形成するために極大と極小のお互いは分かちがたく結びついていた。この森羅万象にある人間を含めたあらゆる事象は、その存在の基底に抜きがたく善を内包しているのがわかった。読経にも似た大きなうなりが渦のように巻いて周囲から迫ってくるのを感じ、上田保春は恐怖する。彼は逃げ出すように駐車スペースへと向けて駆け出した。車に飛び乗り、萌えゲーのテーマソングを最大ボリュームで流すとアクセルを踏み込む。急激なタイヤの空転の後、焦げたゴムの匂いを残して車は発進した。
 深夜の高速道路を上田保春の車が疾走する。危険な追い越しにクラクションが鳴らされるが、その音さえすぐに後方へ流れて消えてゆく。死んだ、殺された、少年が、自分が。あんなにも生きたがっていた彼らの、すべては中絶してしまった。死にたい、殺したい。いや、藤川愛美の前に自分は何人も殺してきたではないか。新作萌えゲーの画像をネットや雑誌で目にする度に、ネット商店から送付されてきた真新しいパッケージを取り上げる度に、その瞬間まで愛情を注ぎ続けてきたはずの少女を忘却してきたではないか。少女を殺害し続けてきたではないか。深夜に手ずから穴を掘り、自分にさえ気づかれぬよう穴を掘り、その墓穴へ冷えた少女たちの遺体を埋葬し続けてきたではないか。あの初恋の少女は今頃どこにいるのだろう。おかっぱ頭に着物姿のあの少女は、何をしているのだろう。あの頃は、彼女なしには日も暮れなかった。どこまでいっても逃げられない薄汚さに自分を殺したいようだったあの日々に、彼女の慈愛に満ちた微笑みが救いを与えてくれた。誰も触れえない彼女の清潔さは、現実に触れえない彼女の清潔さは、いつもこの世の汚れから自分を救い上げてくれた。あんなに焦がれたはずなのに、あんなに愛したはずなのに、今はその顔もはっきりとは思い出せない。彼女はまだあの頃のように自分を愛してくれているのだろうか。誰もが眉をひそめるような汚れを身にまとってみせることで、その奥にある清潔さを誰にも気づかれないようふるまう卑怯な自分を、彼女は許してくれるのだろうか。いや、それは不可能だ。あの美しかった少女はいまや皺深い老女へと変じ、山奥の一軒家で自分ではない男のことを待っている。意識が現実と虚妄の間を行き来し、気が付けば眼前には蛍光色の三角が並んだカーブが迫っていた。死ぬべきだ。上田保春の意識は明確にそう考え、アクセルを踏み続けることを命じたが、彼の両手はハンドルを逆へと切った。次瞬、視界はレースゲームのように横倒しになり、強い遠心力に身体が持っていかれるのを感じる。死にたくないのか。ここまで来て、まだ死にたくないのか! 強い衝撃に上田保春は意識を失う。しかし、それはほんの数瞬のことだった。気がつけば、歪んだ車体のフレームを額縁のようにして、粉々に砕けた窓ガラスの散乱する地面が逆さに見えた。右足に強い圧迫を感じ、身体を動かそうにもかなわない。右半身に熱いものを感じる。それはどうやら血が流れ落ちているせいらしかった。カーステレオからは、萌えゲーのテーマソングが大音量で流れ続けている。パトカーか救急車のものらしいサイレンが遠くに聞こえ、周囲には天井に張りつくコウモリのように何本かの人の足が見えた。上田保春は悲鳴を上げる。止めてくれ! お願いだから、誰かこの歌を止めてくれ! 彼の抱いたすべての想いは、ただその一点へ収束した。
 結局、上田保春は死ななかった。気がつけば彼は病院のベッドの上にいた。何度か田尻仁美からメールが来た。返信はもちろん、読むこともしなかった。一度、彼女は病室にまでやってきた。上田保春は薬で眠っているふうを装った。しかし、田尻仁美はきっとその無言の拒絶に気づいたはずだ。あとは断片的な白い映像をしか、思い出すことができない。
 一ヶ月の入院を終えて職場に戻ると、周囲によそよそしい壁のようなものを感じた。どうやらそれは彼に向けられた悪意によるものらしかった。だとすれば、やはり田尻仁美は自分のことを愛しているのだろう。仕事の引継ぎと久しぶりの外回りを終えてオフィスに戻ると、机上に備えたクリップボードに雑誌から切り抜いたのだろう、藤川愛美の画像の切り抜きがピン止めしてあった。それはまるで葬儀の際に用いられる生前の写真のように、上田保春の目に映った。それぞれが仕事の手を休めないまま、しかし周囲の意識が彼の動向に集中するのがわかる。上田保春の胸に訪れた感情は、悲しみだった。二度死ぬという苦しみは、いかばかりだろう。これ以上の陵辱を彼女に与えるわけにはいかない。丁寧にピンを外すと切り抜きを背広の内ポケットへとしまい、右手でそっと押さえる。この胸の内ならば、誰にも藤川愛美を傷つけることはできない。瞬間、声にされぬ悪意と嘲笑が周囲に膨満するのが感じられた。藤川愛美は上田保春だった。心の奥深いところにある処女地、そこを土足で汚させぬため、余人の手に触れることから永遠に遠ざけておくため、彼は全身全霊で立ちはだかりつづけてきた。自己愛を投影し、守るべき可視の何かとして具現した存在、それが上田保春にとっての藤川愛美だった。午後の業務のためにファイルを取り出しながら、彼はただ田尻仁美に謝りたいと思った。彼女のせいではなかった。萌えゲーおたくであることを知られたくないという自己愛のためだけに、彼女の誘いを断ることができなかった。田尻仁美のことを、他人のことを大切に感じるのならば、その結果が何を生もうと断るべきだったのだ。あの夜のことをまるで無かったかのようにふるまう自分に、彼女はひどく傷つけられたのに違いない。いずれを選んだにせよ、結局は同じこの場所にたどりついてしまった。田尻仁美に期待させ、その期待を裏切ることで手ひどく傷つけてしまう方のバッドエンドにたどりついた。人の中で存在することを選択した以上、自分自身の本質を隠し続けて生きることなど、誰にもできはしない。その人間性に対する侮辱が死の瞬間まで看過され続けるほど、この世の善は盲目ではない。すべて、生身の人間を愛することのできない上田保春が、人生に負うべき負債だった。
 その晩遅く、上田保春は大田総司のマンションを訪れた。合鍵を使って扉を開けるとまっさきに、人体から排出されたものが外気と触れることで生じた悪臭が鼻をついた。床には相変わらずビールの空き缶が散乱し、奥のテレビにはなじみのロボットアニメの軍人将棋ゲームが映し出されているのが見えた。腰に分厚く巻いた肉に上体を預けるようにしてまどろんでいた太田総司だったが、気配を感じたのか億劫そうに顔を上げた。コンビニで買ってきたビールを横抱きに奪っていこうとするのに、上田保春はわずかにビニルの手提げを持ち上げてそれをかわす。バランスを崩した太田総司は片腕を宙に泳がせながらたまらず床へ倒れ込み、うらめしそうな視線を投げかける。その様子を見て、彼の心に悪意が生じた。この萌えゲーおたくをひどく傷つけてやりたかった。しばし思考をめぐらすとこれまでのようではなく、自分の中に太田総司を的確に傷つけることのできる力が生まれているのを知った。彼の弱さ、彼の執着がまるで可視の実在であるかのように上田保春には見えた。ただその言葉を言えば、太田総司は永遠に呪われるだろう。彼はいったいここで何を待っているのか。誰を愛する代わりに、自分を愛しているのか。上田保春は大田総司の目を見ながら、ゆっくりと言った。「少女はもう、君を迎えにこない」
 個人的な腹いせに過ぎないことはわかっていた。殴らせるつもりだった。自分が人を傷つけることができるのを確認するために彼を利用したのだ。それは同時に、この陰鬱な会合からの訣別の宣言でもあった。だから上田保春は殴られるべきだった。しかし、太田総司は一瞬驚いたような表情を見せると、赤子がいやいやをするように首を振り、床に額を押しつけてさめざめと泣き出した。この苛烈な世界にかろうじて生き残った最後の少女たちは、自らの苦しみに耐えることだけで精一杯だ。少女が迎えに来ることを待ち続ける萌えゲーおたくたち。そして、自らの苦しみにうずくまる少女たち。いったい、誰が救われるのだろう。大田総司のすすり泣く声と、ゲームの効果音だけが室内に流れている。やがてゲームに没頭しているようだった有島浩二が、画面からは目を離さないままぽつりと言った。「少女は俺を迎えに来るよ」その声はかすかに震えているようだった。「少女がいつか俺を助けに来る。俺にはそれがわかっているんだ」
 テレビ画面の明滅が眼鏡に映り込み、有島浩二の表情はうかがえなかった。しかし、その後ろ姿はひどく弱々しく、ほとんど泣いているようにさえ見えた。その指は彼から切り離された何かのようにゲームのコントローラーを操作し続けている。上田保春の前では露悪的にふるまい、エキセントリックな態度をとり続けていた有島浩二。それは複雑に屈折した劣等感の表出だったことがいまならばわかる。彼が発する本当の声を上田保春は初めて聞いたように思った。到底理解のできぬ不気味な、位相の違う存在だと考えていた彼のことをこれまでの長い年月をかけてよりも、その一言でより多く理解することができた。上田保春は自分の行為をひどく後悔した。
 「本当に、迎えに来るといいな」
 なぐさめや償いの気持ちからではなく、心の底から、祈りにも似た感情に突き動かされて彼は言った。祈り――それは力ある大きな存在に向けてするのではない。かなえられたいと思ったり、救われたいと思って人は祈るのではない。自分以外の誰かの存在を認め、その幸福を本当に信じたいとき、人は祈るのだ。本当に、いつか少女が迎えに来るといい。
 「ああ、迎えに来るといいな」
 有島浩二が答える。それは彼らの間に成立したおそらく初めての意思疎通であり――そして、最後の会話となった。
 現代の成人年齢は以前に比べて二十歳ほども高いのだという。だとすれば、いつまでも老人たちが枯れぬのは当たり前のことである。老人たちの年齢から二十ほどを引いてみるがよい。それが彼らの実年齢なのだ。つまり、彼らが枯れて、かつての老人たちが果たした賢者の役目にたどりつくのは、寿命をはるかに越えた先となる。確かに医学は進歩し、女性は四十を越えても子どもを産めるのかも知れぬ。情けない男たちは一回りも年上のそういった女性の子宮に注ぎ、人類は滅亡を回避できるのかも知れぬ。しかし、孤絶した魂を全へと返し、生と死の間の橋渡しをするあの賢者たちはすべて歴史のかなたへと消え、現世にはただ生に関わり続け、とどまり続けたいという欲求を捨て切れぬ者たちだけがあふれる。そして誰もが誰かを導かぬまま、自分という存在を放棄することのかなわぬまま、完全な個として消滅してゆくのだ。あの少年のように救いをもとめながら、けれど救うべき誰かは自分だけにとらわれて、そうしてみんな孤絶のうちに死んでゆくのだ。自分が聖者でありさえすれば、少なくともあの少年だけは救われたのかも知れない――上田保春は痛恨の思いで振り返る。しかし、すべては繰り言に過ぎなかった。少年への後悔の気持ちを心の中に繰り返すことも、それは結局その繰り返しの果てに疲弊して、少年の死そのものが風化して意味を無くすためにそうしているのに過ぎず、どこまでいってもやはり上田保春という意識から、その意味の重大さから離れられないままなのだ。世界の意味をすべて無いものにしながら、彼の内側にある動物が彼自身の意味を無化してしまうことを許さない。だから、我々は醜悪なのだ。世界に優先する自分、何よりも大切な自分。絶望は存在しない。なぜなら絶望は我々の外側にあり、それはすでに我々にとって無化されている。上田保春の賢者にはなれなかった祖母。彼の精神に起こった変容から一ヶ月後、祖母は元いた施設へと戻された。朝食の膳を運ぶために母が屋根裏へと上がると、木枠に身をもたせかけたまま、差し込む陽光に横顔を照らされて、祖母の精神は完全にこの世界の住人では無くなっていた。ただ微笑みを浮かべ、すべての働きかけに力を失った祖母。彼女は兄に会えたのだろうか。その瞬間の祖母が幸せだったことを、上田保春は祈らずにはおれない。彼もまた、誰かにとっての老賢者、生と死を橋渡しする存在になることはかなうまい。きっとすべての社会的な制約が消えた先、自分に残るのは萌えゲーの少女への恋慕だけに違いないから。
 退勤間際に、年間の有給休暇すべてを明日よりまとめて取得したい旨の書類を上田保春は提出した。制度が存在するからといってそれらが額面通りすべて利用可能なものであると信じるような社員は、組織の中で長生きできまい。書類と上田保春へ交互に視線をやり、呆気に取られる上司の次の言葉を待たないまま、彼は足早にオフィスを後にする。何か起こったようだと感じた同僚だが、その内心の疑いも「お疲れ様でした」という言葉に集約されるだけである。萌えゲー愛好を知られたところで何かが変わるわけではなかった。一人の人間の性癖で業務を停止させるほど、組織は感受性に満ちた場所ではない。組織からの要請を満たし続ける限り、個人は全く平等に扱われるのだった。結局のところ、萌えゲー愛好は、彼がずっと想像してきたような破滅とは関係が無かった。ただ上田保春は、破滅の一日を身近に感じることでこの人生という永遠が作り出す虚無への防戦に必死で持ちこたえていたのだ。そう思い至り、彼はひとり微笑みを浮かべた。ようやく心の底から気づくことができた。萌えゲーは真の意味で、上田保春の生きる上でのすべてだった。萌えゲーおたくであった自分がいとおしい。あんなにも苦しみながら、何も投げ出さずにこの世界に踏みとどまることを選び続けた一人のおたくが、ただいとおしい。そしていまや、この永遠の中で彼を現実に留めおく理由は一つとして無かった。
 上田保春は自宅にこもり、一切外部との接触を断って萌えゲーをプレイし続けた。ネット商店から新たな萌えゲーが配達されるのと宅配ピザが炭酸飲料とピザを届ける他には、誰とも連絡を持たなかった。意識が途絶えるまでパソコンに向かい、食べたいときに食べたいだけ詰め込む。全裸で萌えゲーに耽溺する上田保春の腹部は、日に日に厚みを増していく。いまこそ太田総司の気持ちが分かる。その姿はイコンのように、萌えゲーおたくなるものの象徴として上田保春の中に存在していた。彼はずっと太田総司のようになりたかったのだ。
 いったい何日その生活が続いたのだろう。モニターの前に座したまま眠り、覚醒すればただちに萌えゲーを継続する。特に眠りから覚めた直後には現実認識が混濁し、会社に提出した有給休暇の日付はいつまでだったかなどと反射的に考えてしまう。いまさらそんなことにこだわる自分がいるのが可笑しく感じられた。携帯の電源はオフにし、家の電話も宅配ピザを注文するとき以外はコードを抜いてある。締め切られた雨戸とカーテンは、昼と夜との区別をすら教えない。視線を落とせば、ずっと萎えたままの男性が目に入る。上田保春は苦笑した。こんなにも恋い焦がれているのに、自分の身体はそれを否定する。吐息とともに顔を上げると、モニター上の少女が二重写しになっていた。モニターの見つめすぎで視野がかすんでいるのだろうと思い、卓上の目薬を差して両目をこする。しかし、再びのぞき込んだモニターの少女は、やはり二重写しのように見えた。いや、待て。モニターの内側には少女はひとりしかいない。もう一人は、そう、モニターの表面に鏡のように映し出されているのだった。二重写しの少女の後ろには、見慣れた冷蔵庫があった。この部屋だ。理解が腑に落ちると背筋に寒気が走った。確かに、背後に誰かが立っている気配を感じる。上田保春はモニターに映った少女の顔を見る。その表情から何らかのメッセージを読みとれるのではないかと思ったからだ。しかしそこにあるのは、頬を薄紅に染めた恍惚の表情でしかなかった。それは祖母と同じ、無表情と何ら変わるところがなかった。椅子の背もたれへゆっくりと身を預けると、かすかにきしむ音が聞こえた。振り返るべきなのだろうか――上田保春は逡巡する。萌えゲーの少女たちへの募る恋慕を身体が否定し、もはや彼女たちを見ての自慰もかなわぬのに、こんな馬鹿げた萌えゲー耽溺に身をやつしているのは、少年や祖母への哀悼の気持ちからか。このあまりに平等で美しい現実の中で自分の意識がもう耐えられない、耐えたくないと感じているのを知ったからではないか。振り返ればきっと、この上田保春という名前の下に統御された一個の人格は崩壊し、終わりを迎えることができるに違いない。
 本当は、自分はどうありたいのだろう。
 太田総司のような肉の塊に墜ちて、人の愛を――なぜか田尻仁美の顔が浮かぶ――再び試したいのだろうか。突き出た腹部の上に両手を組んで、生じた迷いにしばし逡巡するための時間を与える。立ちつくす少女は、相も変わらぬ恍惚の無表情でこちらを見つめるばかりだ。やがて決然と顔を上げた上田保春は、ゆっくりと背後を振り返る。その両目の端に涙が盛り上がる。その表情が安堵とも喜悦とも言えないものにゆるんでゆく――
 確かに目の前に見たと思った少女は、しかしモニターに映しだされた画像が彼の網膜に焼きつけた残滓に過ぎなかった。上田保春が振り返る一瞬の間に、少女は消えてしまっていた。彼の表情は笑顔のまま張りつき、永遠に感情を無くしてしまったかのようだ。少女は最後の最後で、上田保春を迎え入れることを拒絶した。「少女は迎えに来ない」――彼は自分自身の言葉によって復讐されるのだ。
 結局、自死しか救われる道は残されていないのか。罪悪感や虚無感が存在するのは、魂の本来が善を希求するからだ。それはあまりに自動的に行われているため、その動きを自覚することはほとんど不可能である。善の達成が許されぬ世界に住む住人は、その苦痛から逃れるために善を汚し、冒涜するしか方法が無い。そして、本質的に善であれないことを知った個人の生に残るのは、ただ身を焼くような苦しみだけなのか。  <了>

最後の努力

物語はハッピーエンドがいいと本気で思っている。特に、萌え少女が主人公で、かつハッピーエンドにたどりつけるのならば、それは現世での最高の達成だろうと真剣に考えている。この世の不幸は誰かに改めて言ってもらうほどのこともなく血肉として実感しているのだし、自分の知らなかった新たな不幸に気づかされることが有益だと感じることができるほど、被虐趣味が昂じてもいるわけでもない。私には、人生を全長で考えてしまう傾向がある。一定の期間やある瞬間だけを切り出すのならば、ハッピーエンドは容易だろう。人生の全長を視野にし、ファンタジーではなく、かつハッピーエンドを迎えたい。それは私の究極の夢だ。

最後の更新をした。掲示板も復活しているので、何らかの経路で感想を聞かせて欲しい。

ミクシィさいこう!!

ミクシィにやってきてはや一ヶ月が経過しようとしているんですが……私、気づいたことがあるんです……ミクシィって、ネット上の匿名性を取り除いて、個々の”責任のある”発言を促そうとするのが……つまり、某巨大掲示板の対極の着想が……アンチ、なのかも知れませんけど……発端だと思うんですよね……それって、不毛な罵倒や中傷の応酬を和らげる効果があるんだろうって、入会当初は無邪気に思ってたんですけど……私の体験したものは全然それどころではない、正反対でした……例えば……あの、これから言うのは、本当に”例え”なんで……私のホームページを読んでもらってもわかると思うんですけど、「読み手の誰もが自分のことを言われていると感じ、身につまされる」文章を書くことが私の芸の一貫なんで……ほんと、「自分のことかも」なんて気にかけないで聞いて欲しいんですけど……例えば「後日感想を書きます」なんて発言をした人物がいたとしますよね……ほんと、仮定の話なんですけど……その人物がですね、一ヶ月という時間が経過しようとするのに感想を一向に書く気配が無く……まあ、忙しいんだろうと思いますよね、良心的に考えれば……でも、私が通常の生活を送る場所ではですね、期日の指定が無い場合は最低でもその週中に返答が来ます……期日の指定がある場合は、指定期日の前日の午後、遅くとも当日の午前中に返答があるものでして……まあ、一般的な”社会”という場所に生活する貴方には、わざわざ言及するまでもない常識ですが……ネットの甘えというか、自堕落さを考慮に入れられるのは、相手の姿が見えない場合に限られてたんだなあ、と今更に気づかされたっていうか……いや、もちろん例え話なんですけどね……その忙しいはずの人物が一日に数度に渡って日記を更新していたりレビューを書いたりしていた場合ですよ……あくまで例えなんですが……慇懃な見かけとは裏腹に、こちらに全く敬意を感じていないどころか、むしろ致命的に軽んじていることが嫌でも伝わってしまうわけなんですよ……マイミクに登録していれば彼ないし彼女の動向は常に筒抜けになってしまいますからね……そんなとき、現実に近いコミュニティであるがゆえに、私が抱く感情もどうしたって現実に近いものになってしまうわけで……八つ裂きにしてやりたい……ぶっ殺してやりたい……もう二度と仕事を発注しないというオプションが存在しない以上、これら中高生的な報復感情を私が抱いたとして、責められたものではありませんよね……つまり、匿名性の排除が良心の増幅というよりはむしろ、憎しみの増幅につながっているっていうか……いや、これ全部例え話なんですけどね、ウフフ……

キミだけに教えてあげちゃう

たぶん私自身を含めても一人か二人の、当ホームページの文章をすべてそらんじているコアなファンにしか意味を成さない情報だとは思うが、「生きながら萌えゲーに葬られ」の一話目を修正した。ついでに読みやすいよう改行も増やした。今後、二話目以降も徐々に手を加える予定である。連載形式にすればワンアイデアで更新回数が稼げるだろうという安易な着想から始まった今回の「生きながら~」だが、後半に進むにつれて当初のいい加減な書き様とは違ってきてしまったというのが、修正に踏み切った大きな理由である。たぶんいないと思うが、修正前と修正後を読み較べて、私が何を美しいと感じているのか、その思考経路を探る一端とすることも、ファンにとっては楽しい作業となるだろう。

そして、私の芸風がここでは浮いてしまっているのを痛感する。萩本欽一や所ジョージを偉大な先輩として敬わなければならない若手芸人たちの苦悩を、諸君の応対から感じて仕方がない。記述を終える。

愛されたいから、愛するの

(乳首と股間が丸く切り抜かれた暗色のスーツにカクテルグラスで)前回はアルコールに耽溺するあまり、主に婦女子のみなさんを不快にさせる記述を繰り返すなど取り乱した様子を見せてしまい、この小鳥満太郎、お恥ずかしい限りである。今日はファンの諸君と理性的に話をしたい。

諸君、言いたいのはこうだ。私はいつも死ぬつもりで、あるいは殺すつもりで書いている。サラリーマンである私にとって時間的には片手間だが、その集中と密度においては片手間どころではない。そして、特定の誰かを傷つけたり、攻撃したりする意図は無いが、結果としてその意図しない効果を生み出してしまっていることもわかる。しかし、誰も傷つけないものが誰かを救うはずはない。これは信念に近い。次第にその憎悪が積みあがり、ネット上で私は孤独になった。無論、孤独を愛しているわけではない。

今回の更新は、意識的にせよ無意識的にせよ、当ホームページの依拠してきた場所を完全に叩き潰す意味合いを含んでしまっている。つまり、某格闘漫画家風に裏話を語るとすれば、今回の更新は「ジャイアント馬場の回転胴廻し十六文キック」なのである。そのため、「これを書いたらもう先は無いのではないか?」「小鳥猊下、このお話が終わったら、nWoを閉鎖しちゃうの?」などの不安を抱いた諸君が涙を浮かべて私の元へ殺到し、「おいおい、子猫ちゃんたち。君たちの気持ちはわかったから、そんな幼い未熟な身体を俺にぎゅうぎゅう押しつけるなよ」という展開を天然色の画像で予見していた私は、相も変らぬ灰色の日常と空のメールボックスに、突然飼い主に頭を叩かれた座敷犬のような愛らしい驚きの表情を浮かべざるを得ない。そして、少女たちで形成された肉壁の内側から、ロック歌手よろしく分厚い冬物スーツを両手で引き裂きながら飛び出し、「みんなッ、アリガトウッ! nWoはこの儀をもって再生するッ!」などと観客席の幼女の群れにダイブしながら絶叫するオブセッションまで脳内に渦巻いていたものだから、次回更新後、本当に閉鎖してやろうと思っています。

(女性のアニメ声でのナレーション)簡易更新式の雑記帳が隆盛する昨今では見られなくなりましたが、「閉鎖する、しない」の駆け引きも、ホームページ文化の生み出した素晴らしい伝統芸のひとつです。皆様は、引き続き小鳥満太郎の至芸をお楽しみ下さい。

お話したいな

更新したはいいが、相変わらずびっくりするほど反応が無い。ネット上における絶対の公式が、「内容<頻度」であることは重々承知しているが、これだけストリップ無料閲覧を繰り返されるとやる気も大幅に減退しようものである。フリークスショウに慣れてしまった諸君には、複数の性器ですらもはや普通にしか感じられなくなっているのかも知れぬが、やはり閲覧しているのは複数の性器なのだ。複数の性器に圧倒されて、もしや複数の性器が「カワイソー」とか思って、複数の性器が生えていると指摘できないのか。相手の見えぬこの場所で、日本的な察しの文化に直面するとは思わなかった。だいたい、あのコミュニティって何やねん。一言も発言せんのに、何のメンバーか。だいたい、足あとって何やねん。日記書かんとお前ら踏みに来んのか。発言できんほどおしなら、日課として毎日踏みに来ることが客席の拍手のように、あるいはおひねりのように、この複数性器の中年ストリッパーを励ますとか思わんのか。86400秒の内、3秒ほど人差し指を動かす労力が惜しいほど、お前ら多忙か。そんな多忙な中、性器に触れる時間は3秒よりももっと長いお前らが憎い。複数の性器をいろわなあかんワイが、3秒の時間を確保するのが難しいのはわかるで。けどな、お前らの性器はいっこやないか。いっこの性器を触るのにいったい何秒かける気やねん。そして、毎日触ってるから感度がにぶり、触らねばならない時間が次第に増えてゆくのです。

論点がわからなくなってきたので、記述を終える。

永遠と一日

学生時代、この微温的な、あるいは苛烈な日常が永遠に続くのではないかと貴方は錯覚したはずだ。しかし、終わりの一日はやってきた。この世のすべては永遠と一日から出来ている。貴方が倦み疲れている永遠も、避けられぬ一日によって必ず終焉を迎える。なぜなら、人は死を運命づけられているからだ。

今日、ホームページ上に新しい掲示板を設置した。これは永遠の始まりであるが、一週間後か、一ヶ月後か、一年後か、定められた終わりの一日がいつ訪れるのかを言うことは誰にもできない。もし、ある日突然、私のホームページがネット上に存在しなくなったら、この日記を思い出して欲しい。私は永遠を更新し続けるが、それは裏を返せば、終わりの一日を待つために過ぎないのだということを。

「生きながら萌えゲーに葬られ」を更新した。もはや最終話を残すのみである。

生きながら萌えゲーに葬られ(9)

 何かを批判したり批評したりする態度だけをとり続けることを選択すれば、永遠の生命を生きることが出来ると思っていた。新聞というメディアが現実に依拠することで永遠を存続できるように、誰かの作り出した何かに依拠し続ければ、自分は存在を長らえることができるだろうと考えていた。後から後から、尽きせぬ生命の流れが生み出す世代のせり上がりから汲み続ければ、この精神は永遠を持続し、きっと死なないだろうとどこかで信じていた。もし肉体の不滅を仮定するならば、果たして人の心はそうやって永遠をながらえることができるのだろうか。おそらく、他の善良な人たちが当たり前にするようには、自分はこの命を次の誰かへと手渡すことはできないだろう。個の不滅――こんな馬鹿げた問いにすがるような思考を繰り返すのは、萌えゲーを愛好し、人のするそれ以外のすべての営為に冷笑的、虚無的な態度をとり続けながらその実、心の奥底ではこの命が継続しないことが寂しいからか。命ではないものを残すために、ずっと誰かを傷つけ続けるのか。自分以外への愛で命を継続させることができないから、ただ悪罵を繰り返し、他人の傷の中へ蛆のように憎悪の卵を残そうとするのか。
 クラクションの音に、我へかえる。見れば、信号はすでに青へと変わっていた。アクセルを踏み込むと車はするすると前進を始め、上田保春はまた元のように大きな流れの一部となった。上田保春は、車を運転することを愛好した。車を運転するときには、まるで自分がまっとうな人間であるかのような錯覚が生じ、それを信じる瞬間を持てるからだ。車の流れに乗り、交通法規を守ってさえいれば、誰もが上田保春を正常とみなしてくれる。先のクラクションのように、異常な行動はすぐにそれと警告され、すぐに正しい場所へと帰ることができる。車の運転は、上田保春の迷いに満ちた日常生活の中において、自分であることを意識せず自動的に行うことのできるほとんど唯一の行為だったと言っていい。そこには何の葛藤も複雑さもなく、あるとすれば高級車に道をゆずり、軽自動車にクラクションを鳴らすくらいのもので、彼は車を走らせるとき、安逸な心持ちを抱くことさえできた。自然を装った不安定な言動ではなく、車のフレームが外殻として彼を無条件に規定してくれるのだ。その意味では上田保春を安らわせる理由の大半は、子宮回帰願望という言葉で説明できただろう。移動する全能感である。そして、上田保春は車の運転を愛好するものの、その種類や手入れに重要性を見いだす生粋のカーマニアというわけでは無かった。彼が愛好するのは運転であって、車そのものではなかったからだ。現在乗っている車を購入する際に求めた基準は二つ、外観の凡庸さと気密性の高さである。シルバーのファミリーカーという外観は、彼が車の運転に求めているものを考えれば自然と首肯できると思うが、気密性については少し説明が必要であろう。上田保春は車の運転中、萌えゲーのテーマソングを聴くことを習慣としていた。気密性の高さとは、外界との遮蔽率の高さということであり、車内での物音を少しも漏らさぬことが上田保春にとって肝要であった。なぜなら、萌えゲーのテーマソングを大音量で流しているのが車外へ少しでも漏れたりしようものなら、それは身の破滅につながるからである。世間へ薄壁一枚をしか隔てぬ自室よりは、車内の方がはるかに萌えゲーのテーマソングを流す場としてはふさわしい。外耳全体を覆う例のヘッドフォンをはめればと思われるかも知れないが、ガスの元栓を閉めても閉めぬと告げる上田保春の意識は、プラグの先端がちゃんとコンポないしパソコンに接続されているのかどうか、少しでも音漏れしていないかどうかを何度も確認しないでは済まず、結果として曲を聴くことに少しも集中できないのである。何を音楽くらいで神経質なことを言うのかと上田保春の抱える不安を軽視する態度を取る向きは、説明を求めるより萌えゲーのテーマソングを一度でいい、試聴してみるとよい。日常はおろか、現実の秘めごとの最中でさえめったやたらとは聞かれぬような猥褻な言辞が登場すること頻繁なのだ。例えそれが登場しないような場合でさえ、脳言語野に疾患を持っているとしか思えぬような日常を不安にさせる作詞や、白痴少女としか形容できぬ甲高い裏声で絶叫する三十路を越えた女性ボーカルなど、人間社会が普段は秘し隠している何かをしか、それらの楽曲は内包していないのである。しかしながら、そういう曲を試聴しようという態度自体がもぐり酒場の密造酒のような危険を社会的に身の上へもたらすこともまた確かなので、蛇足とは理解しながらあえて内容についての解説を少し付け加えたい。想像して欲しい。「子ども時代、暖かな夜の大気を泳ぐように楽しげな音曲に誘われて行けば巨大なテント、サーカスショウだと思い天幕のすそを持ち上げて覗くと、中で行われていたのはフリークスショウだった」。この情景を思い描いてもらえば、最も実際に近い感じを得ることができるだろう。
 ともあれ、車の運転が上田保春の人生に意味するところは理解されたと思うが、そんな彼の安逸や全能感も助手席に母を、後部座席に祖母を伴っていないときに限られた。上田保春はもう何度目だろうか、確かにCDや萌えゲーのグッズをすべて自室に置いてきたはずだという確認を反芻し、信号で停車する毎に自然な素振りを装って車内の隅々へと視線を走らせる。横目でちらりと助手席に座る母を見、上田保春は子宮の中に母がいるというメビウスの輪のような裏返しの目眩に襲われかけ、そっと首を振った。母が自分の車に乗っているという感覚は、何度経験しても慣れることはない。バックミラーをのぞくと、そこには祖母がいる。祖母はシートベルトをつけたまま正座をして、ただ真っ直ぐに正面を見据えていた。皺に埋もれたその目をのぞきこんでも、祖母が本当に正気を取り戻しているのかどうか、上田保春には判断できなかった。施設で車に乗り込んでからというもの、母の言葉に相づちを返すばかりで、祖母は自分から一言も口をきいていない。祖母は自身の感慨へと深くとらわれているようであり、後部座席という近くにいながら上田保春の焦燥や期待とははるかに遠い場所で正座をしているのだった。
まるで姥捨てのようで、と母は表現した。優しさや思いやりの気持ちが他者の生に干渉し得ると信じているようなところが母にはあった。おそらくこの発言も、祖母を翻心させられなかった自分を悔いてのものに違いない。恍惚から醒めた祖母は母の説得に最後まで私が死ぬ場所はあそこしかないと言って譲らなかったのだそうである。またいつ元のような忘却と過去の住人へと引き戻されてしまうのか、誰にも知ることはできない。祖母の中で何かが改善したのを信じられるほど、上田保春は楽観的であれなかった。もしかすれば、死の直前の人間に訪れる明晰さというものなのかも知れない。医者は母に、昔馴染んだ場所での生活はむしろ良い刺激を与えるだろうとアドバイスをした。百歳をとうに越えた人間への良い刺激という言葉、それが母の精神に与える善の効果をねらったのではなく、本当に祖母のことを考えてのものだとしたら、いったいその中身は何だというのだろう。上田保春には全く見当もつかなかった。幹線道路をそれ、蛇のようにうねった山道を車はゆっくりと登ってゆく。ときどきやってくる対向車へ舗装の無い脇道に待避しなければならないほど、山あいを行く道路は狭かった。ひとつカーブを抜けるたびに、車外にたちこめる白い霧は濃度を増していくようだ。視界が開け、突然現れたガードレールの先に眼下を一望することができる。霧は通り抜けてきた山の底へ渦を巻いて溜まってゆくようだ。やがて霧と陽光との境界を背後に走り抜けると、山の斜面へ張りつくように点々と民家の群れが見えた。ゆるゆると速度を落とし、藁葺き屋根の一軒家をのぞむ道路脇へと停車する。その前庭へと土を踏み固めただけの細い道が続いていた。母と祖母を車からおろし、荷物を抱えて道を下る。きしむ玄関の引き戸をこじ開けると、入り口部分は土間になっていた。薄暗い室内に、締め切られた雨戸を順に引き開ける。すると眼前へ、少年時代に見た懐かしい光景が広がった。
 山の頂上付近から降りてきて、屋内にまでわんわんと反響する蝉の声の連なりは、上田保春に蝉時雨という言葉を思い出させた。ふと眼をやった先、庭に自生するほおずきの葉の裏側に蝉の抜け殻が見えた。上田保春はなぜか胸の奥に痛みを感じた。振り返ると、陽光に照らされた室内は想像していた荒廃とは遠い様子だった。祖母の荷をほどきながら母が言うには、田舎暮らしを求める都会からの移住者に去年の暮れまで貸し出していたとのことだった。もっとも、こんな山間での暮らしが合わなかったのか、一年ほどですぐに出ていったらしい。祖母はしばらくの間、何かを確かめるように一部屋一部屋を見て回っていたが、やがて小さくうなずくと寝具を屋根裏へ上げて欲しいと上田保春に求めた。押入れから取りだした布団は冷たく固くなっており、日干しが必要ではないかと尋ねるが、祖母は再び強い調子で彼を促した。梯子とも階段ともつかぬ傾斜を登り、天井にはめられた板を押し上げて覗いた屋根裏はひんやりとしており、隅には行李のようなものが積み上げられている。壁の合わせ目と、明かりとり目的だろうか、窓とも呼べぬ木枠の隙間から陽光がこぼれてきているだけで、周囲は薄暗かった。祖母は四つん這いになりながら上田保春の後ろに従うと、屋根裏の中央に老人のするゆるやかさで布団を敷き、ようやくといった感じで満足げに腰を下ろした。母は階下で家の様子を調べ、どうやら買い物のリストを作成しているようだった。上田保春は村の中を巡りながら少年時代の記憶を追体験することも考えたが、それは真実に目を向けたくないがゆえの怯懦、逃避に過ぎぬと思い直し、祖母の前へ決然と座り込んだ。目の前に小さく、小さく、内側へと固まってゆくように思える祖母の身体がある。久しぶりに会うのに、今日は私のことだけでこんな迷惑をかけてすまない、という意味のことを祖母は昔人の語彙で言った。その様子からすれば、施設で会ったことはどうやら祖母の記憶に残っていないようだった。上田保春は内心胸をなでおろす。そのとき彼が抱いた感情は、良質な萌えゲーをプレイするときに感じるのと同じ、ただちにこのキャラクターと性交をしたい、より正確に言うなら彼女のする痴態を眺めながら自慰をしたいが、永遠に射精の昂ぶりを先送りにしてもいたいという、あの理に合わぬ逡巡だった。
 ふいに蝉時雨が途切れる。木枠の外へのぞく景色へ向けた視線を戻すと、皺の底で祖母が大きく目を見開いている。祖母の目は理性の色を宿しており、いまこそ彼女の意識は完全に現在と一致しているように見えた。上田保春は、その時が何者かの手によってここに用意されたのだと知った。中学生だった頃、私はあなたにひどく怒られたことがあった。あのときのことを覚えているだろうか。祖母は、為された問いの意味が身体の底へ降りてゆくのをじっと待っているように見えた。そして、歯の無い口腔にのぞく黒い奈落の底から、震える祖母の唇は驚くほど明瞭に言葉を紡ぎだし始めた。上田保春は全身を固く緊張させ、息を詰めて聞き入る。もはや、みじろぎすることさえかなわぬ。現実とつながった祖母の回廊が真実の瞬間を迎える前に、またどこか遠くへ離れていってしまうことを彼はただひたすら恐れたのである。上田保春は自分が求め続けてきた究極の真相に、もはや紙一枚の距離で肉迫しているのを感じていた。なぜ、二次元を愛好する我々への人々の嫌悪は自動的なのか。なぜ、自分は萌えゲーおたくであるのか。余人から見れば何をつまらぬと鼻で笑われるのかも知れぬ。例えば飢えた子どもの苦しみの前で、全く有効ではない言辞に過ぎないのかも知れぬ。人類全体にとっては何を成すこともない戯れ言の類なのかも知れぬ。だが、総論が個人を救うことはない。救済は常に個別的に行われなければならないものであり、これは上田保春が求める救済であった。
 祖母がしたのは、ある昔語りだった。あるいは物語に寄せた、彼女自身の罪の告白だったのか。ほとんど廃村のような有り様になっているが、かつては多くの人々が生活したこの村にある兄妹がいた。二人は血こそつながっていたが、本来の意味での兄妹ではなかった。互いに、男と女のように想いを寄せ合っていたのである。愛する相手と一番近い場所で生活を共にするという幸福。彼と彼女の一挙手一投足、そして笑顔は言うまでもない、悲しみや怒りさえもが、喜びへと変わるふしぎ。しかし二人しか知らぬ密やかな蜜月は、やがて終わりを迎える。ある夜、兄は無理やりに、妹へ妹自身の秘した想いを認めさせたのだ。妹は兄の行為に恐怖したが、それを上回る強い衝動に気づかされる。そして気づいてしまうと、もう止めることはできなくなった。毎夜のように同じ屋根の下に繰り返される逢瀬。しかし、二人の関係が両親へと露見するのに、長い時間はかからなかった。生活を相互依存によってしか成立させることのできない山あいに隔離された村は、強力な観念共同体である。同質性を維持することこそが、最も確率の高い生物学的存続の可能性であることを、構成員全員が暗黙知として了解しているのだ。二人はただちに引き離され、不貞の妹は屋根裏へと閉じこめられた。それでもなお、兄は何度か周囲の目を盗んで妹を訪れた。しかし、ある日を境に兄はやってこなくなる。妹が屋根裏から出ることを許されたのは、その直後だった。兄は村からいなくなっていた。誰にその消息を尋ねても、答えは得られなかった。おそらく村人の手によって始末されたのだろうと上田保春は思う。祖母がその可能性を考えなかったわけはない。しかし目の前の、少女のように細く年老いた老婆は、夢見るようなまなざしで言うのだ。ここで待ってさえいれば、兄はきっとあそこから私の元へ会いに来てくれる。ゆっくりと震える手をあげた祖母の指さす先には、木枠の狭い隙間が開いていた。死人が深夜、あの隙間から身をよじり入れて逢い引きに寝屋を訪れる。その想像はまるでホラー映画のようで、上田保春は背筋に寒気を生じた。けれど、それを狂った老人の妄念と断ずることはできなかった。上田保春が希求する、この世にはいないはずの萌えゲーの少女を現実に見る破滅も祖母の願いと同じことなのではないか。もし兄を現実に見ることができたのなら、祖母の魂は幸福のうちに終わることができるのかも知れぬ。一世紀に渡る歳月を生き、その途方もない魂の摩耗の果て、最後に祖母の中へ残ったのはただひとつ、実の兄への恋慕だけだった。上田保春は孫としてこの話を聞かされているのではないような気がした。祖母は誰に話しかけているのだろう。神へか、懺悔の聴聞僧へか、それとも兄へか。しかし祖母のする告白を聴き、上田保春の心へ何よりも先に浮かんだのは、「どこかで聞いたことのある、ありきたりのプロットだな」という、自分の体験してきた膨大な萌えゲーのシナリオと比較しての白けた感慨であった。次に生じたのは、妹、強姦、近親相姦という脳内へほとんど自動的に形成する現実の記号化から刺激を受けた、男性のかすかな勃起である。上田保春は脳内へ言語化された心の動きと股間の隆起に一瞬遅れて気づき、なめらかな表面を持ったその異形の正体に寒気を感じた。自分の全身全霊、自分の全存在の基調がそのまま、完膚無きまでに祖母の人生を侮辱していることを悟ったのである。萌えゲーおたくの存在は社会の枠外で永遠に保留されるべきである。例外的に観察を必要とする異常として、常に監視下に置かれるべきなのだ。彼は脳頂に石を打ちつけたいような思いに駆られる。しかし、まだ謎は残っていた。祖母はあのアダルトゲームのパッケージの何に、あそこまで激烈な反応を見せたのか。上田保春はおずおずとその疑問を口に出す。昔人の言葉でする、祖母の答えはこうだった。
 あのとき兄の瞳の中に見た私の姿が、はるかな時を経て、不義密通という言葉で非難されていることに動揺したのだ。本当に個人的な、自分の感情だけのことだった。それを腹いせに、あのときのお前には本当に悪いことをした。恨んでいるだろう。本当に、すまなかった……
 上田保春の足下に、巨大な空洞が開いた。
 ああ、なんてことだ! 自分の不幸は、萌えゲー愛好から来ているのではなかったのだ!
 脳内に閃光がひらめき、視界が星に似たまたたきに満ちる。突如、眼前へ縦横に無辺大の地平が開いた。そこには何の制約も無かった。思いこみは存在せず、あらゆる偏見は排除され、すべてが完全に明晰な思考の中にあった。萌えゲーおたくという、かつて自分が居た枠組みが見えた。しかしそれは、その内側から壁の隙間を通じて外をのぞく、あの馴染んだ外界の様相としてではなく、はるか上空より俯瞰した崩れかけの廃墟として視界に入ったのだった。上田保春は瞬間、すべてを理解した。人の持つ社会という制約は、この莫大な神を抑制するために存在したのだ。因習、慣習、文化、その名付けは何だって構わない、社会という拘束を失えば、人はたちまちその本来である神に到達してしまう。神に到達すれば、その究極の自由の中で悪魔のように人間を陵辱し、あるいは殺戮するしかない。人間が作り出す社会・文化の形態の本質は内なる神を抑制することであり、萌えゲーが例外的に特異なのではなく、あらゆる人の営為はこの同じ目的に苦闘するがゆえに、どれだけ相互に異なって見えようとも同朋であり盟友なのだった。かつて自分が馴染んだ廃墟を俯瞰する視点からさらに上空へと飛翔し、上田保春は彼にとって絶対無謬の価値基準であった萌えゲーが、人類の歴史の流れの中に相対化され、ぴったりと当てはまるのを見た。そして、かつて上田保春だった一個の孤独は、ずっとすべてとつながっていたことを知った。しかし、その理解は彼を安らわせはしなかった。なぜなら上田保春はいまやすべてのつながりから切り離された、それぞれが完全に重なるところを持たない神々のうちの一柱となったからだ。上田保春は真の孤独に戦慄した。彼は大きく振り返り、中空に投射された自分の姿をまざまざと見る。それはまるで人のようだったが、もはや人とは全く異なる本質を備えていた。皆が特別な存在でありたいと願い、この地獄へとたどりつくのか。上田保春の内なる神を抑制し続けていたのは、あらゆる社会規範が強度を失ってゆく中で、唯一残された萌えゲーだったのだ。そして、上田保春は巫女の託宣により、その最後の枷をさえ喪失させられた。周囲は完全な真空で視界は何にも疎外されることなく、あまねくすべての方向へ広がっていた。上田保春を制約するものは、何も存在しなかった。神である彼は今や、誰を殺すこともできた。上田保春は恐怖した。そのあまりに明確な変革の実感に、酔うよりも、驚くよりも、真っ先に恐怖したのである。自分はずっと、萌えゲーおたくという枷をはめ、それによって生を狭窄させることで、世界の真相を手に負える範囲に押しとどめることで、かろうじて存在を長らえてきたのだ。彼は少しも革命を喜ばなかった。思考と認識の完全な自由をすべて受け止めるのに、上田保春はあまりに弱すぎた。「人は自由の刑に処せられている」――その本当の意味での自由、神の享受する自由をいまや彼は持っていた。しかし、生物としての制約によって、神の自然の発露である殺戮と陵辱が完全な形で発現することを許されず、神と化した人間の精神はついには自重に耐えきれない巨大な恒星のように内へと圧壊するのだ。裸の自分が膝を抱えてすすり泣くイメージが見える。なぜ、私を萌えゲーの中へ放っておいてくれなかったのか。偽りも悪も存在しない世界の様相を直視させられるような、こんな暴虐に値する何を自分がしたというのか。無論、いらえは無かった。誰も神が発する問いに答えることはできないからである。涙はただ流れた。上田保春は、この世の底を垣間見たのだった。
 しかし、世界の色と輪郭が視界へ戻ってくると、その圧倒的な感覚は次第に消滅した。側頭葉てんかんが見せる神の幻影、あるいはその残滓だったのやも知れぬ。あの無限地平はどこかへ去り、薄暗い屋根裏の底で祖母がむせび泣いている。両手へ顔を埋めて、肩をふるわせ、愛しい人を得られずに泣く乙女のように、祖母が嗚咽を漏らしている。年月にすり減った薄い皮膚のすぐ下に、エメラルド色の静脈が走っているのが見えた。Worn out at Eternity’s gate、永遠の門を前に倦み果てて。人間に見る永遠とは何なのだろうか。それは不死ではない。それは死だ。死が生を規定する。突如、上田保春は知った。精神はきっと永遠を耐えられないだろう。透明な悲しみに促されて、彼は祖母の肩へと手を回そうとした。それは孫がするいたわりのようでなく、同じくこの生に倦み疲れた者としての共感を伝えるための抱擁となるはずだった。しかし、上田保春の指先がその肩に触れるか触れないかの瞬間、祖母は怪鳥のような悲鳴を上げた。そして上田保春の肩口を蹴りつけるようにして、いざり離れて行こうとする。わけもわからず追いすがろうとする上田保春が見た祖母の目には、深甚な恐怖だけがあった。祖母の意識を現実へとつないでいた細い小道が閉ざされ、彼女は今また彼女の罪の場所にいるのだ。決死で逃れることを試みようと、何度も何度も、祖母は兄との契り、彼女の罪の場所へと押し戻されてゆく。裁かれぬ魂の彷徨う煉獄、それがこの世界だった。神を罵倒しようとして、上田保春は気づく。神とは自分のことだ。創造は偶発的な自然発生を待つ他にはなく、破壊だけが神の意志を伴うことができる。祖母に救済が訪れることはない。上田保春は悲鳴をあげつづける祖母の両肩を激しく突いて押し倒し、その首を背後から片手で押さえつけた。親指と人差し指を回せばそれぞれの先端が触れてしまいそうなほど細い首。そう、破壊だけが意志を伴うことができる。知らぬうちに、祖母の生死を選択する分岐点に上田保春は立たされていた。手のひらの下に、血管が脈動しているのを感じる。祖母は泣きやみ、荒い息の下で裁きを待つようだ。薄く差す陽光の中に、細かな埃が舞うのが見える。だが、その永遠のような逡巡を破るように背後で階段のきしむ音がし、階下から悲鳴を聞きつけたのだろう母が上田保春の背中へするどい声をかける。弾かれるように手を離し、彼は呆然とその場に座り込む。額と腋下にびっしりと汗の粒が溜まっていた。駆け寄る母の胸に祖母はすがりつき、抱きとめられるまま少女のようにわあわあ声をあげて泣いた。祖母の薄くなった白い髪の毛をゆっくりと撫でながら、こちらを見た母の表情に一瞬、「まさか」という疑惑の色が浮かぶのを彼は見逃さなかった。みなが孤独な場所にいる。誰も誰かを理解することはできない。もしかするとそれは私たちがみな、一柱の神であるからなのか。全身を脱力感が包んでいる。上田保春は母が抱いたのだろう憶測へ、何か釈明を加える気力を持たなかった。
 二人に背を向けると、ゆっくりと階段を下りる。頬にはすでに涙が伝い落ちていた。萌えゲーおたくだった上田保春がずっと探し求めていたのは、無条件で自分を肯定してくれる場所だった。母の目の中によぎった、実の息子へ向ける明白な疑惑。それを見て、上田保春の中でずっと母につながっていた何かが、もやい綱のようにほどけた。おたくたちが我が身を人から遠く堕としてゆくのも、世界に対して無条件の肯定を問いかけるためなのかも知れぬ。肯定されたい。肯定されたい。私が音を発するただの肉塊であったとしても、あなたに肯定して欲しい。しかしそれは、隔絶された場所にいる人々の上へ与えられた回答のように思えた。その回答はいまや上田保春とは関係が無かった。庭に自生するほおずきの葉の裏側に、蝉の抜け殻が見える。先刻見たのと同じものであったにも関わらず、蝉の抜け殻はもはや完全に別の意味を備えていた。それはまるで、異星人の知覚を与えられたかのような抜本的な変化だった。上田保春は両手を持ち上げると、弱々しく顔をおおった。彼の人生においてこれまで起こった出来事のすべてが脱構築と再構築を繰り返し、いまやあまりにはっきりと意味を理解できた。だから、もうこの世界とは一秒たりとも触れあっていたくなかった。――少年に会いたい。上田保春は、切実にそう思った。自分の人生をずっと規定し続けていたものは、萌えゲーではなかった。萌えゲーという観点から自らを束縛し続けることで、おたくという名付けですべてとの関わりを説明づけることで、上田保春は人生がばらばらに分解しないようにこれまでを生き延びてきた。しかし、彼の苦しみは実のところそこからやって来るものではなかったのだ。萌えゲーを取り上げられ、この神の意識の内側で、自分はどう生きればいいのだろう。
 本当は、自分はどうありたいのだろう。