猫を起こさないように
年: <span>2004年</span>
年: 2004年

げんりけん

 都心にある大学の学生会館といった風情の建物。壁面にはペンキやスプレーで思想めいた言説が、無秩序に書きちらされている。昼間だというのに、薄暗い廊下。人の足が踏んだ場所以外はほこりがうずだかく積もり、ときどき視界の端を小さな黒い物体がうごめく。左右の壁には等間隔で鉄製のドアが並んでいる。そのうちの1つのドア。店屋物の空の食器が置いてある。木製の、『現代世界を読み解く汎原理的思弁研究会』と筆で横書きにされた看板が、ドアノブに斜めにかかっている。中は廊下よりさらに薄暗い。どういう精神構造によるものか、唯一の窓をふさぐように背の高い本棚がいくつか並べられており、もはや検索の絶望的に不可能な順序で漫画本が詰め込まれている。部屋の片隅には小型のテレビが明滅を繰り返しており、画面にはもはや記号的認識が不可能なほどに記号化されたキャラクターが投影されている。その前には重箱式に無数のゲーム機が積み上げられている。部屋の左側にはバネの飛び出たソファが置いてあり、その上には等身大の人形――人類にあり得ない水色の髪の毛と、顔面の3分の2を有する赤い光彩を持った瞳と、口元に張り付いた白痴的な微笑と、身体の曲線を際だたせる目的以外を想定されたとは思われない不自然な着衣の――が横たえられている。ソファの反対側の壁には、”モオツアルト的祝祭空間”と赤いペンキで殴り書きにしてある。部屋の中央には丸い卓があり、男性2人、女性1人がそれを囲むように座っている。女性は、腰まで届くロングヘアに頬骨と鼻先を覆い隠すように前髪が垂れていて、くるぶしまで隠れるスケバン風のロングスカートに靴底の異様に厚い靴、上着の袖は指の第一関節までを覆い隠す長さで、一種異様だが、信仰の種類によっては倫理的賞賛を受けないこともないようないでたちである。男性の1人は黄ばんだタオルを海賊風に頭に巻いており、着衣は何故か灰色の作務衣、裸足の足はほこりまみれ、老翁風の長いあご髭を人差し指と中指で作った輪っかでもって、無意識のものだろうか、卑猥さを感じさせる仕草でしきりとしごいている。もう1人の男性は、工事用の黄色いヘルメットに底の厚い眼鏡、風邪を引いているのだろうか、中央に赤い丸を染めた長方形の白地のマスクをしており、洗いすぎて色落ちしたタータンチェックの赤いシャツに、ハムを作るときの外の皮のように引き延ばされたジーパンをはいている。女性、卓の上においた左手をときどき痙攣的に跳ね上げながら、話し始める……
 「グローバリズムや文化的多様性なんて言いますけれど、畢竟、人類は増えすぎてしまったんです。旧約のバベルの神話は、畢竟、神の怒りの表現などではなくて、人類の多様化への嘆きではないでしょうか。異なった価値観を持つ者どうしが、畢竟、”うまくやっていく”なんてことは、畢竟、不可能です。資源が、若しくは、富が構成員のすべてに平等に行き渡ることを、畢竟、前提としない限り。9.11以降、よく米国の市場主義と言いますか、競争原理が批判されますが、畢竟、社会主義が崩壊し、共産主義が版図を縮小し、米国とその追従者が生き残ったことだけを考えても、畢竟、『資源は有限であり、人類の全構成員には行き渡らない』ことを皆が無言のうちに承認した、その証拠じゃありませんか。米国はその点を強調して、畢竟、もっと開き直るべきなのです。グローバリズムというのは、飽和した国内市場の外で俺達の商品を買う相手と、俺達のためにほとんど無償で働く相手を見つけるための方便なんだぞって、畢竟、明言して居直ればいいんです。どこまで話しましたか、そうです、平等な資源と富の分配が不可能であるという現実は、多様性を拒絶します。つまり、ここに来て人類という種が取るべき道は、畢竟、2つだけなのです。『富の分配が可能な規模にまで、人間の数を間引きする』か、『富の不平等な分配を容認できるよう、その価値観を単一のものへと統一する』か、どちらかです。現実的に考えれば、畢竟、この両者を兼ねあわせた『単一の価値観を共有するものだけを残しての、徹底的な人間の間引き』が、最も”実行可能である”という意味合いにおいて、畢竟、有効でしょう。そして、私たちはその残されるべき単一の価値観を共有するグループに”含まれてはなりません”。なぜなら、畢竟、私たちは客観的な自己憎悪を手に入れた人類最初の文化集団であり、社会組織に対する自分たちの非有益性を誰よりも強く知るからです。――拳を握りしめて敢然と立ち上がり――手首に刃物が埋まってゆく感覚を嫌いな女子なんていません! ――座って元のようにうつむき――私の言うことに間違いはありません、エヴァンゲリオンでもそう言っていました、畢竟。」
 「――あご髭をしきりとしごきながら――フーム、懊悩(おおの)くんの考え方は他者に表現することを意識してか、パフォオマンスが極端に過ぎる部分はあるが、共感できる思想が含まれていないでもない。要するに、科学的思考の産物が人類種を劣化させているという事実を、もっと積極的に汲むべきだと言うことだね。例えば、火をおこす技術の無い者、食料を自給する技術の無い者、つまり生物として劣った者がそれをそれと自覚しないまま生きてゆくことができるのは、科学的思考の功罪ゆえであるということができる。人間すべてを頭でっかちの総合職、ホワイトカラアにするのが、科学的思考なのだね。君は土にまみれた赤銅色の農婦がテレヴィに現出する時、微かな、しかし理由の無い軽侮の感情を一度でも抱いたことが無いと、果たして言えるだろうか。科学的思考とは、人間の手から、それを高めることで生存の確率を同時に高める、あの生物としての技術を奪い、本来的に無価値な愚鈍を量産しながら、その”命令あるいは指導する権利があると信じている”愚鈍たちに根拠薄弱の支配的な優越感を代わりに与えるのだよ。自覚した時が、手遅れの時と同じなのは、阿片の類と同じさ。ただの無知よりも更に悪い、致命的な愚鈍が骨髄までをボロボロに蝕んでしまっているのを見つけ、見なかったふりをし、スゴスゴと元の心地よい穴ぐらに尻から這い戻る結果を迎えることになる。イヤイヤ、どれだけ首を振ってみせたって、ソモソモ君は汗と、肉が痛むことが不快なんだろう? 本当はそうじゃないんだよ、汗と肉の痛むことは不快じゃないのだよ、と拙が言うのを聞くと、懐疑的に眉根をひそめてみせることで、君の内側の衝撃をうち消してみせたじゃないか! オヤ、『科学的思考を捨てて、野に出よ』と言うつもりだったのが、『人間の精神は科学的思考に蹂躙され尽くしており、そこから離れてあることはできない』という結論に落ちてしまったぞ。つまり、人類種の劣化とは、科学的思考を発明した段階で、本質的に不可避であったということだね。では、俄然、懊悩(おおの)くんの発言が真実味を帯びてくるね。我々は、我々が堕落しきらない前に、自らの尊厳を守るために自死しなければならないということだ。この結論を拒否することは、つまり自身の愚鈍を認めることになるのだからね。」
 「――痙攣的に左手首を跳ね上げながら――単一の価値観を唯一選択的に残すためには、畢竟、自死では足りません。自死は自己への憎悪を基調としていますが、畢竟、憎悪を超克した理想をこそ、私たちの行動の基調としなくてはなりません。どの価値観を残すのかを注意深く選択した後は、畢竟、私たちはその実現のために自らを捧げなくてはなりません。私たちは理想に気づいていますが、理想郷に達するににはふさわしくないほど”穢れて”しまった、天国と地獄を見ながらどちらにもたどりつけずにさまよう、畢竟、リンボ界の幽霊のような存在なのです。畢竟、私たちはこの段階を迎えて、思弁ではなく、一人一人がどれだけ多くの選択的他者を道連れにできるかという方法論にこそ、最も執心しなくてはならないはずです。『理想郷は今そこに来る、ただし私たちはそこにはおられない』。私の言うことに間違いはありません、ナウシカでもそう言っていました、畢竟。」
 「――マスクの下から、神経そうに細い悲鳴のような空咳を繰り返しながら――僕の考えが正しいならば、僕の論は懊悩(おおの)氏と奈落豚(なふた)氏の論を補強できると思います。生物は種全体として、それぞれ単一の目的を持っています。それはつまり、情報を永続させるということです。その『情報』とは、僕たちは近視眼的にほとんど無条件に重要視してしまうような知性のことでは、断じてありません。知性は個の段階で、ほぼ消滅します。伝播力が非常に弱いのです。ドストエフスキーやマンが死んでしまったら、僕たちはまた振り出しから始めなくてはいけないでしょう? 情報の永続を目的とするなら、知性はあまりに弱すぎるとしか言えない。文学や芸術が、その非有効性を戦争やら飢餓やらに証明されて以降も未だに根強いのは、知性の伝播力の弱さ、自己消滅の容易さに対する抵抗を示してのことかもしれないですが、これは僕の論と少し外れます。生物がバトンしたい、つまり永続化を求める情報とは、何のことはない、遺伝情報に他なりません。人間の努力や知恵は遺伝子に刻まれてゆく、ですって? 馬鹿をおっしゃい。どこの歴史に二代目が先代よりも有能だった試しがありますか! 有効な知性があるとすればそれは、生物種が自身の情報の断絶を回避するためにときどき自らの系の内に作成する、天才という名前の奇形だけです。それすら、急流をゆくカヌーからぶつかりそうな岩へするオールでの一撃に過ぎません。話がそれましたが、言いたいのは、すべての”人間的”営為は、ほんのつけ足しに過ぎないということです。……なるほど、文明、文化ときましたか。個の知性を長く続けるための装置、文明と文化を人類は持っているではないか、それこそが知性の優越性に他ならぬ、とそう言いたいわけですね。人間の知性に対する、遺伝情報の優越性を証明するのには、一言で足ります。よろしいですか、『人類という種の履歴と同じだけの長さを長らえた文明・文化は存在しない』のですよ! ――下卑た含み笑いで――あるとすれば、それは性行為でしょうが、これはどちらかと言えば遺伝情報の伝播に属する”文化的”行動でしょうねえ。つまり、人間の知性を待つまでもなく『単一の価値観』はすでに存在し続けてきており、これからも存在し続けるのです。人類の中から選択する必要はない、人類を含めた知性を展開させる可能性のある種を皆殺しにすれば用は足りるのです。3人の見解を統合して、これを『ユートピア的ジェノサイド』と名付けましょう。蛇足ですが、反論を封じるために付け加えますと、進化という概念は自己存在の称揚を常に求める人間知性の産物です。進化という言葉の持つ高揚感を取り除いてより正確に現象を把握して言うなら、『周辺状況の変化に対する刹那的反応の永久的固着化』に過ぎません。生物とは、究極的に自己存在の止揚には、関心が無いのです……」
 「それは他人についてのことばかりでしょう――失礼ですけど――それとも他人についてばかりじゃないんですか。」
 部屋の隅の暗がりに坐っていた茶髪の女性が、大きく伸びをしてから両手をぶらぶらさせて口を挟むと、彼らは一様にぎくりとしてそちらを見た。彼らは彼らの会話に没入しているように見せかけながら、その女性のことをどの瞬間も常に意識していたのだった。
 「もうそれでおしまいですか、背手淫・鰤犬(せてむ・ぶりーに)さん。」
 「いいえ。しかしもうなんにもいいません。」
 「ほんとにこれで充分ですわ。――返事を待っていらっしゃるの。」
 「返事があるんですか。」
 「あると思いますけど。――わたしよく伺っていましたの、懊悩(おおの)さん、奈落豚(なふた)さん、背手淫・鰤犬(せてむ・ぶりーに)さん、始めからおしまいまでね。それで今日いまそれぞれおっしゃったことの、どれにでも当てはまるような返事をしてあげたいの。それがまた、あなたたちをそんなにいらいらさせている問題の解決になるんですよ。さあいいましょう。解決というのはね、あなたたちはそこに坐っていらっしゃるままで、なんの事はない、一個のおたくだというんです。」
 「私が」「拙が」「僕が」と彼らはきき返して、少したじろいだ。
 「ほらね、ひどいことをいうとお思いになるでしょう。そりゃ無論、そうお思いになるはずですわ。ですからわたし、この判決をもう少し軽くしてあげましょう。わたしにはそれができるのですから。あなたたちは横道にそれたおたくなのよ、懊悩(おおの)さん、奈落豚(なふた)さん、背手淫・鰤犬(せてむ・ぶりーに)さん――踏み迷っているおたくね。」
 ――沈黙。やがて彼らは決然と立ち上がって、男子間の肛門性愛が記述された冊子とアニメ柄の抱き枕と股関節の穴までが忠実に再現された少女型ラバードールをそれぞれ手に取った。
 「ありがとう、滓蚊醜(かすかべ)さん。これで僕たちは安心して家に帰れます。しかし、これで”げんりけん”は解散にすることにしましょう。なぜって、僕たちはあなたの言葉に反論の余地無く、片付けられてしまったのですから。」