猫を起こさないように
日: <span>2000年7月8日</span>
日: 2000年7月8日

ラブレター

 「夏のはじめには必ず深刻な様子で『今年はセミが鳴かない…』などと自分だけのものに過ぎない絶望と閉塞感とトラウマを図々しくも世界に押しつける発言でちょっと意識のある繊細さを御開示なさってしたり顔のみなさま、コンバンワ~」
 「あっ。小鳥猊下がネットに特有の誰かに語りかけているようでその実どこにも対象の無い過激で挑発的な発言を繰り返しているぞ」
 「かれの内なる両親を間接的に攻撃しているのよ。心の奥底からいつも響いてくるあの恐ろしい声を聞かないように、本当は何の興味も無い空虚な言辞で毎日の時間を埋めざるを得ないんだわ。もしかして、まだ自分の言葉に何かの意味があると思っているのかしら」
 「(黒目をトーンで貼った茫然自失を表現する漫画的な記号の目で)フリーセックス! フリーセックス! 全国六千万の売女のみなさま、コンバンワ~」
 思い出せない悲しい夢に目が覚めたら、身体が子どもみたいに熱くなっていた。
 傷つけられた知恵は報復する。ぼくは醜く治癒した傷跡の起こすひきつれに、それと気がつかないまま幾度もつまづき転ぶ、哀れな小虫だ。それはぼくの盲点を巧みに突いてくる。どんなに気をつけたって、ぼくはやっぱりそこで転ぶんだ。ふと気がつくと、洗ったばかりのハンカチを気にくわず、小一時間も折り畳みなおしていた。どんな熱狂の瞬間にさえ、人生の貴重な時間を空費していると感じる自分がいる。誰かが眼鏡の位置を中指でキザっぽく直しながら無表情で言う。強迫観念。その誰かとは、もちろんぼくのことでもある。最近わかったけど、対象に共感できないとき、人は分析を始めるんだ。無数の分析屋たちの韜晦に、ぼくの心は気がつかないうちに、とても疲れていった。情報が受け手を選ばなくなり、ぼくは残らずこの世界の何でも知っているような気分で、知っているからもう何も知りたくなくなった。無気力と倦怠感だけが日々深まっていった。性の知識だけは豊富にある不潔で淫乱な処女のように、もはやどんな秘事でさえ、ぼくに何の関心も新鮮さも与えなくなった。ただすべての事象は平坦に、ぼくの心を波立たせることすらなく、通り過ぎていく。とても近いはずの人の死でさえ、ぼくには何の感興も与えることができなかった。ぼくの心には、喪失感が喪失している。だから今まで、どんなことにでも耐えられたのだろう。でもそれは、充たされたことがなかったから、喪失がいったいどんなものであるのかわからなかっただけなんだ。知らない人間にとっての知識は奇跡だ。そして、いまやぼくは何でも知っている。だから、ぼくの上には決してキリストがしたような奇跡も、救済も訪れないだろう。聖書の神は知ることを禁じるけれど、それはぼくがする訳知り顔の分析のような、両親が子どもに対して絶対の権威を維持するための寓話では実はなくて、多く知ることにより喪失してしまう人間存在の尊厳を保持するためだったのではないかといまになって思った。もう、すべて遅すぎるにしても、そこに気がつけたのは、よかった。
 キリストの魂は、完全な愛だったんじゃないだろうか。かれは、数千年の人類の自我の歴史の中にあって最初の――そして、おそらく最後の――どこにも傷のない全き魂の持ち主だったんじゃないか。あのとき、ぼくは自分の中にとても純粋な、悲しみにも似た切なさが生まれているのを突然知った。それはまるで、愛のようだった。こんな気持ちがずっと続くことができるのなら、世界そのものだって救うことができるだろう。発露した愛はその自然のように、間違うことなく人間存在へと向かうだろう。そして、すべてをあますところなく癒すだろう。
 キリストが、たったひとりでしたように。
 窓を開ければ、ほら、世界はこんなにも美しい。