猫を起こさないように
月: <span>2000年6月</span>
月: 2000年6月

パパ ハズ ネバー トールドミー

『 題・お父さんの紙ぶくろ
                      A組 魔賭場痴性(まとばちせ)
    わたしのお父さんの仕事は、おたくをすることです。
    だからふつーのお父さんよりずっと家にいることが多いのです。
    でも出かけることもあります。それは「同人誌即売会」です。
    「同人誌即売会」は毎年たくさんあります。
    商業ベースの市場より「同人誌即売会」のほうが
    大きいんじゃないかと思えるくらいです。
    1人でるすばんをしている時
    わたしはお父さんが持って帰ってくる紙ぶくろの
    中身を想像してげんなりします。
    お父さんはいっぱい紙ぶくろを かかえて帰ってくるのに
    ろくなものが入っていません(間違いなく)。
    だから
    一つにまとめて大きくしてカンガルーのふくろみたいにすれば、
    わたしくらいははいることができるよと目を
    かがやかせてつめよるお父さんのことがわたしは
    ときどきとてもこわくなります。
    もし いつも紙ぶくろの中にいてお父さんの話してることを
    聞いていたら 気がおかしくなってしまうだろうなと思います。
    お父さんはみかけ通りのひどいおたくなんですよ。
    先生                                  』
 「(すべての引き出しが開けられ、下着や小物類の床に散乱した自室に飛び込んできて)あーっ。なに読んでるのよっ。ダメだよっっ」
 「(いかなる理由にか布地の厚くなっている下着の部分を鼻腔にあてがい、両足の出る穴から両目をのぞかせるやり方で娘のパンティをかむりながら)いいだろ。とかく早い段階に若い娘たちの処女性が喪われがちなこの日本社会においてそれを断固固持させるために父性の本来が持つ家族組織への検閲機構を執行しているだけに過ぎないんだよ。しかし如何なるの無意識下の精神の働きを象徴するものか、日々欲求不満な公立小学校女教員によって真っ赤なペンで大胆に描かれており、花弁と肉芯を若い男性の心へいたずらに想起させて早期に性犯罪へと誘う淫猥な風情のハナマルじゃないか」
 「(父の手から作文をとりかえそうとしながら)ダメなのぉっ。どこで見つけたの」
 「(むしゃぶりついてくる幼い娘のやわらかなふくらみを多く感じようと過剰に体を押しつけながら)おまえの持つ世の男たちを狂乱させる甘い部分を日々触れただけでも妊娠しそうな男たちの欲望に満ちた都会の大気より防護する布地の実際的な強度を鼻を突っ込むの言葉通りに、お父さんが自前の鼻で以て執拗の誹りを免れない入念さで幾度も幾度も実践的に試験していたところ、――この場合鼻はやはり皆様の期待通りチンポと解釈されねばなりますまいて――おまえの愛らしい両のふとももを日々通過させている想像するだに悩ましい二つ穴より通じて得た視界の隅に、目眩のするほど不埒な赤色をした鎮座ましますランドセル――ランドセルが古来なぜこれほどまでに数々の成人男子を魅了し、時にその莫大な時間の労働により築き上げた社会的地位を一瞬に放逐してまでの行動へと連れ去り続けてきたのかについては様々の研究があるが、それらのすべてを語るにはあまりに時間が足りない。よってそれらを般若心経の如く要約するならば、その箱形の形状は夢分析の語るように女性器を意味しており、その色合いは月の血と破瓜の血を同時に象徴しておるにもはや相違あるまいて――を捕らえたんだ。お父さんは辛抱たまらずそれにむしゃぶりつき、おまえ自身の女性器の具現とお父さんの生殖器の具現とが象徴的近親相姦ともはや誤解の無い強さでもって形容できる様子で接触を果たしたところの、『学級通信』にはさんであった」
 「(顔を真っ赤にして無意識の幼獣の媚びで身をくねらせつつ)これほんとのことじゃないのよ。作文用のフィクションですからね」
 「(ぎらぎらした目で下着をかむったまま明らかに商業用のものではあり得ない、著しい著作権の侵害を感じさせる類の性的ニュアンスにあふれた枕カバーに包まれた枕を小脇に大事そうにかかえて娘の部屋から退出しつつ)ほー、そうかね。やはりおたくの子はおたく、お父さんがすでに精通しているところの生理用ナプキンの使い方もわからぬ頭でもう虚構を語るのか。だが、おまえの虚構力は厳然たる日常へ新たな世界を現前させるほど強くはない――例えば大人の経済力やそれを傘に着た肉親の欲棒によって倫理の名の下に醸成されてきた家族構成員間の守られるべき聖域という虚構の破壊に物理的に対抗できるほどには。そしてお父さんは実の娘だからといって生まれた欲情を躊躇してしまえるような生半可な幼女趣味者ではない(突如突き上げる感情に耐えかねたように、ぎらぎらした目はそのままに振り返る)」
 「(一種異様な様子に気づいて後ずさりしながら)お父さぁーん(脱兎の如く駆け出す)」
 「(後ろから飛びついて腕を捕まえて)ちせ! どうしたんだい。どこに行くんだい、今ごろ。男の狩猟本能に強く訴え、いたずらにその欲望を促進させるためだけの、狩られるべく存在する幼獣の媚びを含んだ、助けを呼ぶには遠く及ばない甘い悲鳴を上げて。お父さんをこのようなまでに猛らせるなんて、おまえはおまえのキャラクターに通底するテーマとしてインセストを深く内包しているに違いあるまい(両手を広げて廊下の端へと追いつめていく)」
 「(逃げ出そうとしてならず、廊下の突き当たりの壁をむなしく爪でひっかきながら)せ、1960年代に青春を送った人は自分のファッションセンスを信じてはいけないって」
 「(奇妙な確信に満ちた断定で)ゆりこが言ったんだろ。1980年代に青春を送ったガンダム世代のお父さんはその限りではない。それを証拠に万年洗いさらさぬ同じジーンズという、比類無きファッションセンスだろう。相手に危害を与えることも、自分を守ることさえもできない幼い娘の人格を性的に蹂躙するのは、男親に与えられた無上の権利だと明記された民法の条項をお父さんは見た記憶がある(前傾姿勢でしきりと涎をぬぐいながら、じりじりと距離を狭める)」
 「(首を左右に激しくふりながら)で、でもちょっとヘンでも許してあげる。お父さんだから」
 「(娘を雲助のやる要領で肩に抱え上げながら)それはどーも。だが、お父さんは少しもヘンではない。なぜなら西洋文化の流入によって価値観の切断的明確化が行われ、曖昧さの完全に喪失した現代の日本社会においては性道徳もその例外ではないと言えるからだ。家族はかつてのようにはあることができずもはやバラバラに分断され、その構成員はそれぞれの役割をフィクションとして演じることでフィクションとしての疑似家族とも表現すべきヴァーチャルな集団を社会上に仮設するしか、もはや方法がない。それが構成員の誰にとっても心地よくないものであるにしても。そうして出来た形骸をかろうじて空中分解させないつながりとして保持できるのは、母と息子・父と娘といったような身の毛もよだつ近親相姦的接触がそこに存在するからだ」
 「(肩にかつがれたまま逃れようと手足をバタつかせながら)重くない? お父さん。重かったらそう言ってね、無理しなくていいからね。(顔を引き歪め、泣きじゃくりながら)私、平気だからね(父、娘を肩にかついだまま後ろ手に激しく部屋の扉を閉める。”ちせの部屋”と書かれた小さな木製の看板がむなしく揺れる)」
 ――時々
 私以外の男が娘の膣内に挿入しているんじゃないかと思う。そしてその不安はたぶん本当なのだ。父親に性的虐待を受けた娘が、実際自分の受けた行為は全然大したことなんかではなかったのだと自分に言い聞かせるために、最初のほとんど生きていけないような衝撃を隠蔽するために、成長してから幾人もの男に行きずりに身を任せることがある。それは濃い何かの溶液に水を足してどんどん薄めていくようなもので、最初の体験の彼女にとっての致死的な意味性を、かろうじて生きていける程度に希釈するために無意識裏に行われている。しかし、どれだけ薄めたところで、元の溶液が完全に無くなってしまうことは決してないのだ。
『(身をよじって必死に逃れようとしながら)重かったら無理しなくていいからね』