黒人大統領が火星有人飛行を宣言したことにより「度胸星」がいよいよ現代の預言書であることが明らかとなり、2030年に超立方体の異星人と人類とのファーストコンタクトが確定的になった。その全人類的な高揚を伴なうイベント進行の裏で、nWoが便所か安宿の壁面へ経血でなすられた何かであることもまた、ひっそりと証明されたのだった。秒単位でチェックするメールや掲示板はいっこうにエロ系スパム以外の反応を返さず、しばしモニターの前で呆然となった私は、直接に感想を述べるのをはばかる奥ゆかしい層が、この広大なネットのどこかで春画や議論を交わしているかもしれぬと思い立った。そして現存するすべての検索エンジンを駆使したが、「少女保護特区(7)において一人称を徹底的に排除していることが、(9)における“予”から“私”への自我変容の効果をより劇的にしていますね」など、当たり前に予測されて然るべき論評は一つも見つからなかった。足かけ2年ほど、時々の全身全霊を傾注して行われた更新群が、この現代社会の膨大さの前に何の反応も引き起こさず、実質上、完全に消滅したのである。正に、一度も、どこにも存在することを許されなかった、真の意味での非実在青少年と言えよう。nWoを更新する動機がどこにあるかと問われれば、保存された幼児的全能感による自我肥大に由来するのであり、それは無条件の肯定や承認が無ければたちまちしぼんでしまう類の根拠である。いったん縮小した自我が再び更新可能になるまで回復するには、父母を欠いたネット孤児の私にとって、ただひたすら与えられた屈辱と絶望が忘却の彼方に去るのを待つしかない。更新は間遠になり、酒量が増えるのも道理である。この下りは、目の据わったマッチ売りの少女が酒瓶を傾けるイメージで想像して欲しい。まあ、相も変わらずの愚痴だが、愚痴を書けるほどには自尊心を回復してきたと考えてくれたまえ。ここ数週間というもの、全人類から無視を決め込まれた哀れな少女の精神状態は、それはもう悲惨極まるものだったのだから。
nWo at mixi
怒りのハントウ
尊厳の否定が怒りの本質である。本来の対象に向かうことを禁じられた場合、その怒りは消滅することなく内奥へと溜まってゆく。「子は親を産めない」を旨とする儒教の本質は、親を子の怒りから防御する点にある。かの国にて突如として怒りを激発させる症状が病名を与えられるほど一般的なのは、この帰結を考えれば至極当然である。解消されない怒りが本来の対象以外へ向かった場合、それのもたらす結果は苛烈かつ破壊的なものとなる。他人に向かった場合は殺人へと至り、己に向かえばそれは自死となる。そしてある種の芸術は、怒りを昇華させることによって為される。だが、彼は死んだ。彼は己の生業において、怒りを昇華できなかったのだ; Quod Erat Demonstrandum
さて、以上の散文で私は何を証明したのか。妙齢の婦女子が熱狂する/したドラマ群が芸術ではないことを証明したのである。
なぜ突然、かようなエントリーを行ったのかと諸君はいぶかっているだろう。かの君の“家族団欒”とやらの、十数秒の映像を偶然目にしたからである。カメラが回る中、父親が「まだお祖母ちゃんのオッパイを触っているよね?」とかの君に尋ね、一瞬の氷ついたような沈黙の後、かの君がした弁明に家族は爆笑する。親子関係についての話題を提供するときのテレビの常だが、まるで美談のようなナレーションを伴っていた。まったく、冗談じゃない。この映像から読み取れる事実はふたつ、父親が屈辱を与えることによって支配を行う人物だったことと、母親が我が子との接触を避けるほどに冷淡だったということだ。マスコミ全般がする合法殺人幇助の雰囲気は、いつも私を窒息寸前に追い込む。ただ、真実を呼吸させてくれ。
新しいnWo、始まるよ!
子どもの絶望だけが真の絶望であると少女保護特区で喝破したところの俺様だが、近々に発生した例の陰鬱な児童遺棄事件の顛末を想像するとき、なぜかその映像が新井英樹の絵柄で生々しく脳裏に再生され、ひどく気の塞ぐ日々である。灯りのない暗い部屋で、食事も与えられないまま、届かぬ悲鳴を上げ続けるのはいかばかりの絶望か。かたや、アクセスの無いネットの片隅で、感想も与えられないまま、届かぬ更新を続けることの、衣食足りた惨めさは、はたして余人の同情や憐憫に値するだろうか。
四方を妄想の敵に囲まれたnWoの乾坤一擲、少女保護特区は、いまこの文面を閲覧している諸君の一人ひとりが直接関与した加害者として知っているように、凄惨極まるネグレクト、黙殺のうちに幕を閉じた。ネット大道芸人のあげる悲鳴の切実さは、モノラル・スピーカーに濾し取られた雑音へと変じ、nWoのURLを通り過ぎる人々はそれへ一顧だに、一瞥だにくれようとしなかったのである。極めて優しい俺様は、それがネット世界に長く生息した人々の習い性であることもまた、理解している。ここでは、心に何かさざ波が生じたとして、その衝動を誰かへ手を伸ばす正の閾値まで高めることは困難だし、もし不快を感じたとしてさえ、ただ強めにマウスをクリックしてブラウザのタブを閉じさえすれば、晩飯がまずくならない程度には充分に胸がすくからだ。
だが、俺様が言いたいのは一般論ではない。少女保護特区であり、nWoである。ホームページという擬似メディアの無力さを改めて確認させられる今回の顛末に、アルコール性の健忘症でずいぶんとならした俺様も、さすがに同じアプローチのままでは本当にアクセス数ゼロのネット無縁仏と化してしまうと危惧し始めた。いよいよ、全く異なる芸風を開拓することによって、緘黙症の諸君のみならず、新しい客層を積極的に求めねばならない季節が訪れたということだ。
しかしそうなれば、十年をかけてnWoが提示してきた世界観が破棄されることに対して裏切られた気持ちを抱き、悪し様な声高に、あるいはひっそりと去ってゆく者たちが生まれることも、また必定であろう。少なくともこの文面を閲覧している諸君には、たいへん心優しい俺様が、諸君の繊細極まる心へ徒に流血を求めたとの誤解は与えたくない。交わされた虚しい約束や、通りすぎていった愛のささやきが、ついに“萌え萌え学園ファンタジー”へと集積することをあらかじめ心得て欲しいのだ。
どうやら一部の諸君には、俺様の意図するところが正確に伝わっていないようだ。抽象的な文言を論理として脳内へ構築することが困難な、表情筋の退化した、鳩の如き表情を浮かべている君へ、よりわかりやすい映像を与えよう。君の立たされている場所は、両方の側頭部が著しく後退した宇宙人の王子の俺様が白手袋の握りこぶしを眼前に誇示しながら、「どうなっても知らんぞー!!」と君に向けて絶叫しているくらいの危地なのである。
まだ、間に合う。諸君は思いのたけを俺様へ進言してよい。しかし、言葉を捧げるための流麗な文体を模索するあまり、一昼夜をかけるうちにちんちんまんまんへ手が伸び、すべてどうでもよくなってしまう例の作業を経る必要はない。考えてみたまえ。王の問いへいらえを返すのに、まず己が王であらねばと苦悩する臣下がどこにいようか。問いは単純である。“萌え萌え学園ファンタジー”を次回更新とするべきかどうか。肯定か否定のみで、求める内容として全く過不足はない。幸福な未来のために、俺様はいましばらく時間をかけようではないか。
あと、今回の話題と全然関係ないし、全然気にしてもいないんだけど、え、もしかして、今年もコミケ近いの? ヤだ、アタシったら、コミケがそんな近いなんてちっとも知らなかったー、いやーん、って思った。
つぶやきはじめたよ!
約2名という圧倒的な臣下からの要望を受け、約1名しかおらぬnWo構築担当を泣かせて、ついばみ乳首、ではなくツイッターとやらをnWoからのリンクに加えた。貴様らマイミクa.k.a.緘黙観客どもは積極的にこれをフォローし、リツイートし、エレクチオンしてよい。
http://twitter.com/kotorigeika
加えて、萌え萌え学園ファンタジーの更新可否について、継続して意見を受け付けている。詳しくは前回の日記を読むがよい。
あと、えッ、コミケって今週末なの? いやーん、全然知らなかった! 全然興味なんかないけど! ないんだからね!
頒布を開始するよ!
過去更新の電子書籍版頒布を開始した。サイドバーの“非実在性虚構”からダウンロードページへと進みたまえ。第1弾は「生きながら萌えゲーに葬られ」である。
http://newworldorder.jp/ebook/
epub版、i文庫版の2種類を用意した。ちなみに、縦書き閲覧の可能なi文庫版が小生の好みだ。今後の展開については、諸君の双肩にかかっていると言っておく。なんとなれば、再三表明しているように、nWoはインタラクティブ性を最重要視するホームページだからである。
また、前回の日記に述べたように、ツイッターでツイートのツイーティングを開始している。積極的にこれをフォローし、リツイートし、クリトリスしてよい。
あと、事後報告でたいへん申し訳ありませんが、今回のコミケのことです。結局、だれからの声かけもありませんでした。世界よ、滅亡するがいい! 小鳥猊下と、少女たちだけを残して!
続報だよ!
――あの衝撃的な、「萌え萌え学園ファンタジー」更新を宣言してから、はや一ヶ月半が過ぎましたが、現在の状況を教えていただけますか。
更新を待ちわびるファンのことを思うと、次から次へと気力が湧き上がる感じだ。お気に入りの鉛筆がちびて使えなくなり、家人が新聞を取るのを止めたせいで広告チラシの裏も尽きてしまい、何より暑いので、一ヶ月半ほど中断してはいるが、おおむね良好だよ。
――さぞかし、反響は大きかったのでしょうね。
そりゃ、凄まじいものさ! 父親は毎夜狂ったように俺へ暴力をふるうし、母親は深夜エプロンの前かけに顔をうずめて部屋の前で泣くし、スーツ姿の兄は毎朝虫ケラに向ける視線でひとり食卓に飯を食う俺の背後を素通りするし、薄い壁越しには昼間からアンアンと隣人の艶めいた嬌声が聞こえてくる。外に出れば、犬は電柱と間違えて俺の足にマーキングするし、妹は潤んだ瞳で電柱の影から俺を見つめてくるし、近所の婦女が蝟集して囁きあうそばを通れば静まり返るし、黄色い空からは太陽と同じ大きさの顔面が無表情に俺を見下ろしているし、突然の騒音に驚いて耳をふさげば俺自身の絶叫だったりね。そりゃもうあれ以来、俺の周囲は上を下への大騒ぎなのさ! まあ、妹だけはいないんだがね!
――身内や近所だけでもその有様なのですから、nWoファンからの反応はさらに大変なものだったのでしょうね。
ないよ。全然ない。ネットはいつも通り、ビックリするくらい静かだよ。あまりの静寂に、父親が契約するプロバイダーへ確認の電話を入れたぐらいだ。二千回ほど確認をしたら、営業担当が菓子折りを持って謝りに来た。その後、父親から狂ったように殴られたが、やはり回線の不調のせいなんだろうね。けどそれは、ファンのみんなに期待していないってことではないんだ。全くのその反対の気持ちなのさ。だって考えてもみてくれよ、俺の周囲ではこれだけの騒ぎが巻き起こってるんだぜ! 反応が無いのは、ただ回線が不調だっただけなんだから!
――「萌え萌え学園ファンタジー」は、今後どのように展開していくのでしょうか。
もちろん、俺の人脈を最大限に生かした、グローバルな展開を考えているよ。まず、今まで言ってなかったんだけど、俺はフランスのモード界の重鎮の一粒種ではないんだ。そして、アメリカの大手CATVの敏腕プロデューサーに知り合いもいない。だが、台湾の芸能界事情に明るい制作会社の社長と個人的に懇意にしているという事実関係は未だ確認されていないので、「萌え萌え学園ファンタジー」へのオファーに自宅の黒電話は鳴りっぱなしさ! もっとも、俺以外の家族全員が携帯電話を持つようになってから、家の電話回線はとうに解約したはずなんだがね。ただ、勘違いして欲しくないんだが、俺には確かに黒電話の、次第に高まってゆくあの音が聞こえるんだ! ジリリーン、ジリリーン、ジリリーンってね! これは表現を志すものにとって重要な教訓を、偉大なる親神様が俺に伝えようとしているんじゃないかと思えてならないんだ。『おい、小鳥。重要なのは他人がどう感じるかじゃない、お前がどう感じるかなんだぞ』ってね。
――最後に、更新を待ちわびるファンの方々へ、一言お願いします。
視界の右半分を覆う羽虫のようなノイズがいっこうに晴れないし、左足の痙攣も止まらない。先月亡くなったはずの祖母が本棚と天井の隙間からずっと俺を監視しているのも気になるが、次回の更新を読めば、衝撃のあまり正気も理性も消え去rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
――今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
(9月11日、脳内某所にて)
MMGF!!
――慣れし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり。(シューマン「流浪の民」)
思えば、世界に倦んでいたのではなく、未知に倦んでいたのだろう。
過去を語る老人は、未だ成さざる者にとって、白紙の課題と同義だった。
達成される前には重荷で、達成されれば無と同じになる、人生という名の課題。
はたして、この世界を美しいと思い、愛せる瞬間など本当に訪れるのだろうか。
その人は、ぼくの諦念へやってきたのだ。
端正な横顔は少年のようでもあり、少女のようでもある。
黄金色のくせ毛は、陽光に輝く秋の麦畑のように豊かで、
ほそく通った鼻筋は、冬に冠雪した尾根のように冷厳で、
春の若芽のように柔らかな唇は、触れるものを溶かすほどに甘い。
夏の陽射しを思わせて燃える瞳がうつす表情は、
ときに賢者の白髪のように老獪で、
赤子のうぶ毛のようにあどけなく、
そして、あらゆる光を絶望させるほどに、その深淵には底が無い。
憧憬を得た者だけが、我が苦しみを知る。
ぼくの苦しみを、他のだれが理解しよう。
未だ憧れの熱狂も醒めぬこの身で、かつて魂すら捧げた崇拝を砕かねばならぬ、我が苦しみを。耳朶に残る熱さは、あの人が触れたせいか、憧れが燃え残るせいか。
鈴のような忍び笑い。虚ろな心に反響して、虜にする。
では、こうしようか――
時が経巡り、経巡った時が循環の果てにお前の掌へと還ったその日、
もし世界が醜いままで、可愛いお前の憎悪にしか値しないとすれば、
そのときは、乱暴な子どもへ与える玩具のように、この身をお前の恣にさせよう。
時が経巡り、経巡った時が循環の果てにお前の掌へと還ったその日、
もし世界が美しく優しさに満ち、お前の愛を捧げるに足るとすれば、
そのときは、最良の主人を持つ奴隷の幸福の如く、お前の生命を私に捧げるのだ。
では、手始めに――
この世界すべての栄華と叡智を順に、お前の卓へ饗することにしよう。
(巨大な空間を風が吹き抜けるような音。黒い画面へテロップ)MMGF!!
(巨大な空間を風が吹き抜けるような音。黒い画面へテロップ)Coming (not) soon.
新機能が追加されたよ!
nWoにmixiチェックなる新機能が追加された。外部ページをmixi内で紹介しやすくするためのものらしい。
更新をほのめかしながら一向に行わない、するする詐欺状態の当ホームページであるのに、過分な対応を欠かさぬ事務次官相当の裏方には全く頭が上がらない。感謝の気持ちがこうべを垂れさせているのはもちろんなのだが、twitterボタンと同様、ほとんど誰からも使用されぬまま棚晒しとなってゆく未来が、私にはほぼ確実な運命としてにすでに見えているということもある。事実、先日行った単発の更新についても、twitter方面を含めて反応はほぼ無かった。
現在の心象風景を記述するなら、私は大邸宅で多くの執事やメイドにかしづかれる裸の乞食だ。朝の食事が饗される大広間の長テーブルへ次から次へと高価な贈り物が運び込まれ、執事は身に覚えのない祝電をいくつも読み上げる。胸元を強調したお仕着せの、若い肉感的なメイドが傍らにひざまずき、金のさじでキャビアを口元へ運んでくるが、ほとんど味はしない。なぜならその乞食は、勃起が収まらないことへの恥ずかしさでいっぱいだからだ。
分不相応であることを知る惨めさと、あらかじめ失われることが決まっている幸福に対する萎縮を描写してみた。なに、陰茎は萎縮とは反対の状態じゃないですか、だって? ドヤ顔すんな!
よい大人のツイッター講座
(広いスタジオの中央に布のかかったキャンバス。背なしの椅子に浅く腰掛けた段ボール鼻の外人、カメラに向かってにこやかに)やあ、ぼくの名前はトゥレット。みんなをより良いツイートに導く、当ツイッター講座の伝道師だ。もしかして君は、こんなふうに考えてはいないかい? 「うかつなことをツイートして、炎上したらどうしよう?」「140文字なんて短い文章で、本当に思ったことが伝わるのかな?」「ぼくの面白くないツイートなんて、みんな無視するに違いないよ! 結局ハイスクールと同じさ!」ってね。大丈夫! ぼくといっしょに学べば、君のツイートは必ず良くなる! このメソッドは、米国でもワンハンドレッド・パーセントの成功が保証済みなんだ! それじゃ、いっしょに今日のテキストを見ていこうか(鼻段ボール、キャンバスにかけられた布を取る。現れる文字列)。
『この筋立てを日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になり、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になる。諸君、これが文化の差というものだ。』
(口笛を吹いて)ヒューッ! 悪くはないが、まずまずといったところだね。まずは着想からだ。このツイートの肝は青木雄二とユアン・マクレガーを併記することのギャップが醸しだす可笑しさにあるんだけど、どうやってこんなのを思いつくのか? 簡単さ! キーワードは類似点、それを探し出すんだ! 漢字とカタカナだからわかりにくいけど、両方カタカナにしてみたらどうだろう? ユウジ・アオキー、ユアン・マクレガー。ほら、簡単に類似点が見つかったろ? この方法さえ身につければ、考えつくツイートのネタなんて百や二百じゃきかないよ! とっても簡単なんだ!
次はツイートそのものの表記を見ていくよ。この冴えないツイートも、少し文章に気をつかってオシャレにしてやるだけで、リツイートの数は百や二百じゃきかなくなるよ! 大丈夫、誰にでもできる、簡単さ! まず、最初の助詞「を」だけど、助詞ってのは前後の連結を強くしすぎるんだ。「この筋立て」は「日本で作れば~」と「英国で作れば~」を共有するんだから、「を」じゃ「日本で作れば~」との連結を強くしすぎる。こいつは、読点に変えちまおう。
『この筋立て、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になり、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になる。諸君、これが文化の差というものだ。』
ほら、軽くなった。簡単だろ? 次に、二文目を見てみよう。「という」は名詞の持つ断定調を弱めるために便利な言葉だけど、書き手の自信の無さも同時に表してしまうんだ。ハイスクールでもそうだろ? 弱気を見せた瞬間、たちまちやつらに攻めこまれちまう! だから、これは「呼ばれる」に変えちまおう。受け身にすることで書き手の判断を世間に丸投げできるし、後になって炎上したときにも簡単に言い逃れできる。「おいおい、誰だよ、文化の差なんて呼んだのは? もちろん、俺じゃあないぜ!」ってね! 簡単さ!
『この筋立て、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になり、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。』
フーム、この冴えないツイートもだいぶ良くなってきたね。でも、まだ充分とは言えない。君のツイートをフォロワーは3秒で読んでしまうが、君はその1万倍は時間をかけなきゃいけない。君が始終もてあましてる時間をかけるだけでいいんだ、簡単だろ?
「日本で作れば~」と「英国で作れば~」の順番が気にくわないな。一般的に言って、文章の後半に来るほうが本当に伝えたい内容、パンチラインになるんだ。「あなた、やさしいけどデブね」って言われたらムカつくけど、「あなた、デブだけどやさしいのね」って言われたら小鼻が膨らむだろ? ユアン・マクレガーの顔を想起させてから青木雄二の顔を想起させた方が断然、笑えるだろ? だから、このパートは前後を入れ替えちおう。
『この筋立て、英国で作ればユアン・マクレガー主演の映画になり、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。』
ホラ、格段に笑えるようになった! な、簡単だろ? じゃあ早速、この傑作ツイートをツイーティングしよう……って、待ちなよ! 言ったろ、フォロワーは3秒で読んじまうけど、君は他に何も持ち物がないんだから、せめてその1万倍の時間をかけろってさ! もう忘れちまったのかい、このニワトリ頭め! 「日本で作れば~」と「英国で作れば~」は、「この筋立て」に共有されるパートだって、いちばんはじめに言ったろ? つまり、この二つの部分は文法的にも全く同じ構成をしてないと不充分ってことさ! 「ユアン・マクレガー主演の映画に」「青木雄二の絵柄で漫画に」……フーム、どっちに統一するかだけど、「青木雄二絵柄の漫画に」とすると漢字が連続するせいで読みにくいね。これは前半に統一しよう。簡単だろ? 「ユアン・マクレガーの主演で映画に」……うん、ぴったりだ! なに、「青木雄二制作の漫画に」にすればいいじゃないかだって? おいおい、青木雄二はもう他界してるだろ! 2007年制作の映画なんだから、2003年に他界した青木雄二が漫画にできるわけないだろ? しっかりしてくれよ! 本人じゃなくて青木雄二プロダクションが制作したと読ませなきゃダメだろ? ツイートに明らかな嘘は厳禁さ! 簡単なことだろ!
じゃ、完成したツイートを見てみよう。こんな感じだ。
『この筋立て、英国で作ればユアン・マクレガーの主演で映画になり、日本で作れば青木雄二の絵柄で漫画になる。諸君、これが文化の差と呼ばれるものだ。』
フーム、いいね。100+のリツイートも夢じゃない。な、簡単だったろ? アメリカでもワンハンドレッド・パーセントの成功が保証されているメソッドだからさ、ただ手順に従うだけで、誰にでもステキなツイートができるようになるんだ! (腕時計を見て)おっと、もうお別れの時間が来てしまったようだ。それじゃ、来週のこの時間まで、シー・ユー・ネクストウィーク! バイバーイ!(にこやかに手を振る鼻段ボール。引いてゆくカメラ)
おわり(制作・著作 NWO)
よい大人のツイッター講座その2
(広いスタジオの中央に布のかかったキャンバス。背なしの椅子に浅く腰掛けた段ボール鼻の外人、カメラに向かってにこやかに)やあ、ごぶさた。みんなをより良いツイートに導く当ツイッター講座の伝道師、トゥレットだ。まだ君はこんなふうに考えているのかい? 「+100のリツイートなんて、夢物語さ」「結局、ハイスクールでの人気者ばかりフォローされるんじゃないの?」「カレッジでは話相手もおらず毎日便所飯なのに、陽気なツイーティングなんて無理だよ!」 大丈夫! ぼくといっしょに学べば、君のツイートは必ずリツイートされるし、君は必ず誰かにフォローされる! 繰り返すけど、このメソッドは米国でもワンハンドレッド・パーセントの成功が保証済みなんだ! それじゃ、さっそく今日のテキストを見ていこうか。(鼻段ボール、キャンバスにかけられた布を取る。表れる文字列)
『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、例えこの命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』
フーム、野暮ったい。こいつは野暮ったいね。寝たきりのグランマも羞恥に跳ね起きる野暮ったさだ! でもその原因を探る前に、まずは着想のティップスから見ていこう。簡単さ、誰にでもできる! アートってのは、天才が0から1にした場所を、その他の有象無象がよってたかって10とか100とかにした結果、裾野を広げてしまったひとつの山に例えることができると思う。天才の着想よりも、凡人の剽窃の方が圧倒的に多い世界だ。なに、言いたいことがわからないって? このパンプキンヘッドめ! つまり、エレメンタリースクールの頃に君が感動したフィクションのセリフから丸々パクっちゃえってことさ。簡単だよ、誰にでもできる! ひとつだけコツがある。原典を確認しないで、記憶だけで書くこと。そこに生じる不正確さが、実は一般にオリジナリティと呼ばれるものなんだ。簡単だろ? なに、そんなのを本当のクリエイティブと呼びたくないだって? このユーズド・ナプキンめ! だから君は一行のツイートも書けないままただ引きこもって、フォロワーはいつまでたっても一桁なんじゃないか! ツイッターはオフィスとは違う。真面目さや誠実さが評価される場所じゃないんだ。それに、君がいるのはインターネットだろ? ここは情報の出どころがすごく曖昧なんだ。天才の着想か凡人の剽窃かなんて、そもそも天才本人以外の誰にもわかりゃしないんだよ! 本来、すべての情報が持つはずの時間というタグさえ、ここでは混乱してる。突然トゥー・ディケイズも前のフィクションが“発見”されたりするのがいい例さ。ブログあたりから堂々と孫引きしちまえ! どっちが先かなんて絶対にわかりゃしないんだ、簡単だろ?
さあ、着想のティップスはこのくらいにして、次に野暮ったさの原因を順に取り除いていこう。まず二文目だけど、「を失い」と「を失って」が表現として重複しているね。シソーラスを持ち出すまでもなく、同文中の同一表現、これはご法度だ。後者を「が消えて」に変えちまおう。
『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、例えこの命が消えても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』
ホラ、少し良くなった。簡単だろ? そして「例え」だけど、これはツイート初心者が陥りやすいミスだね。伝えたい気持ちが先行するあまり、ついつい強調しすぎてしまうという悪い見本だ。それにね、どの命も必ず消える。「例え」はその事実を否定し、書き手の持つ生への傲慢さと敬意の無さを図らずも表してしまっているんだ。これは無色な「そして」へ変えちまおう。
『いいじゃないか。いつか私がツイッターに興味を失い、この命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続けるだろう。それでいいじゃないか』
うん、グッと謙虚な印象になった! 簡単だろ? フーム、だいぶ洗練されてきたけど、まだ改善の余地があるね。よし、今日は少しだけレベルを上げて、中級者向けのツイート技術へと踏み込んでみようか。語尾の「だろう」は未来を表しているんだけど、ズバリ、こいつが二文目を野暮ったくし、その広がりを阻害している元凶なんだ。イングリッシュでもそうだけど、現在形は過去と現在と未来をひとつにつないだ偏在性を含意するんだ。だから、歴史に通底する何かの真理を読み手に訴えたいときは、現在形を使うとグッと効果的になる。「だろう」をとって、ついでに「私が」もとっちまおう。
『いいじゃないか。いつかツイッターに興味を失い、例えこの命を失っても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続ける。それでいいじゃないか』
ホラ、すごい効果だろ? 小さな部屋の壁が静かに崩れ、無限の地平が四方へシーンと広がった感じだ。感嘆の一言に尽きるね。なに、「私が」を残した方が文意がすっきりしませんか、だって? おいおい、ぼくの話のどこを聞いてたんだよ! 君が話してるのはジャパニーズだろ! 主語の不在は曖昧さではなくて、むしろ全体への回帰や万物の包括を表現できる利点だろ? これは世界との合一を体現する素晴らしい言語的特性じゃないか! それとも君は、イングリッシュ至上の極左勢力なのかよ! 簡単だろ! 主語を取り除くことで「この命」へさらなる普遍性を付与できるし、何より「止まることなく流れ続けるタイムライン」を人類の営々たる継続とオーバーラップして読ませないとダメだろ! 主語が残ってたらそうは読めないだろ! いい加減にしてくれよ! 簡単なことだろ!
じゃあ、この素晴らしいツイートを早速ツイーティング……よし、よし。ようやくわかってきたようだね。そう、君が持つ唯一にして無二のリソース、時間を最大限に生かさなくちゃどうしようもない。このツイートにはまだ良くなる余地がある。その通り、三文目だ。「それで」の後に読点を入れよう。この読点は話し手のブレスといたわり、そしてためらいを表現している。なぜ、いたわるのにためらうんだろう? それは、愛しているからに他ならない。真実はいつもシンプルだ。簡単だろ?
では、完成したツイートを見てみよう。こんな感じだ。
『いいじゃないか。いつかツイッターに興味を失い、そしてこの命が消えても、だれかのタイムラインは止まることなく流れ続ける。それで、いいじゃないか。』
……フーム、すぐ耳元で慈愛に満ちた少女の吐息さえ聞こえるようだ。それは自分の言葉が有効ではない悲しさをまで含んでいる。このツイートはきっと+100のリツイートを受け、君は軽薄なフォロー返しなどではない、真のフォロワーたちを得るに違いない。今回もただ手順に従うだけで、すばらしいツイートを完成することができた。な、いつも通り簡単だったろ?
さて、最後にひとつ残念なお知らせがある。長らくみんなのご愛顧を得てきた「トゥレットのツイッター講座」だけど、実は今回で打ち切りが決まってしまった。わかってる。みんなと同じく、ぼくもガックリきてる。だって、まだぼくたちは上級ツイート技術へ進んでいないんだからね。もしみんながまたぼくに会いたいと思うなら、番組公式ツイッターの“@kotorigeika”へ嘆願のツイートを送ってくれ。もしかするとだけど、上層部が考えを変えてくれるかもしれない。まあ、望み薄かな。(腕時計を見て)おっと、ついにお別れの時間が来ちまったようだ。それじゃ、またいつか会える日まで、ソー・ロング! バイバーイ!(にこやかに手を振る鼻段ボール。引いてゆくカメラ)
おわり(制作・著作 NWO)