猫を起こさないように
nWo at mixi
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小鳥猊下・エクスクラメーション

 世代の特徴と言うべきなのだろうか。某SF漫画を遅ればせに読んで、考えた。憎悪で膨らんだ世界観が愛で救済されるときの鼻白みと腰砕け、憎悪が漂白されれば残された解答はまるで宗教のようになり、宗教のようになれば語るべきは失われ、自壊あるいは拡散して物語自体が消滅してゆく。宇宙と対峙しながら、個人の内面へとその極大を押し込める。文化と歴史を前提としないからこそ、愛が憎悪を救済できるのだ。それに気づいたとき、小生思わず悶絶し、深く反省をした。完全に全き状態を到達地点に想定する、その錯誤は虚構の中にしかあり得ないと気づいたのだ。特定の人間関係の中で特定の課題へ繰り返し取り組むことは、個人の中のある部分を助長し、ある部分をより深く所与命題に適合するようたわめ、そして確実に必要ないがゆえに消滅してしまう人格の部分を持つということである。その失われる部分が悲しい口惜しいというのは、人間であることをどこかで拒否しているということだ。私が更新も無いままサイトを閉じようとせぬのも、変わりゆく自分への悲しみゆえなのかも知れない。しかしそれは一種の引きこもり的錯誤なのだ。繁忙期も過ぎつつあるし、そろそろ次をお見せしたい。いわば人外の獣がする同族殺しへの悲鳴である。

ゴートゥNWO、ゴートゥNWO

 貴様らがあまりに物欲しそうな顔で見上げるものだから、『少女保護特区』ブチ込んでやったわい。例によって続きもので、すでにオレの中では完結しておるが、次の鬼子を地獄へ堕胎させたいならば、積極的に貢ぐがよい。悪魔の金銭関係を持たない貴様らからは、賞賛と萌え画像のみを貢ぎ物として受け取ってくれるわー!!

小鳥猊下・デプレッション

 デレを見られた瞬間に舌を噛み切って死ぬことで有名なあのツンデレa.k.a.小鳥猊下ですけど、この二週間で起こったことをいつもみたいな恨みがましい様子じゃなくて、沸点寸前の脳漿にわだかまる様々の感情を極力排して、客観的な情報だけを抽出して書いてみますね。

「久しぶりのマーベラス更新をしたら、mixiを訪れていた公称フレンドどもの訪問がぴたりと止み、nWoコミュニティに所属する1年間無言の唖鳥どもがひとり減った」
 
 本当に、私が何を言っているのかわからねーって思われるかしら。路上の自由業に一万円札を差し出したら大便を投げられ、授業中隣の子の下着にある大便を指摘したら先生に殴られる、そんな社会的不条理も、他人事として聞く分にはさぞかし愉快なことでしょう。でも、継母に見つからないよう電気を消した風呂場で深夜ひとり、ワンピースに付着した他人の大便を泣きながら裸で揉み洗いする私にとっては、全く冗談どころではないの。正直と誠実が報われない場所(ミクシィのルビ)にいるってことは、十分にわかっていたつもり。でも、私の中にある傷が、何度裏切られても試させるのね――愛を。

小鳥猊下・フラストレーション

 アゴの肉をたるませた恰幅のいい小鳥猊下が、「ハイラルの地は楽しくて、もう少女保護特区を思い出すこともありません」と臣下へ回答しては彼らを慨嘆させる毎日である。前々回のアレを体験したときには、この分野における進化が間違いなくひとつの階梯を登ったことを実感したものだったが、右腕の筋肉痛に耐える私が今回の率直な感想を諸君へお伝えするとするならば、「しとねに横たわり、もはや抵抗を喪い潤んだ瞳で見上げる絶世の美少女を押し開くと、その色素は沈着し、膜は破られていた」とでもなるだろうか。新しさを機軸にして快楽と陶酔を求める態度が、加齢のうちに色を失ってきたのだと、諸君はしたり顔の無言で指摘することだろう。過去という比較対象が人生に大きな割合を占めるようになった悲哀を噛みしめつつ、何の感想も萌え画像も訪れぬ、ホームページとは名ばかりの廃墟を尻目に、小鳥猊下はブログ全盛の今日も右手に握りしめた棒を振りに振り、しごきにしごくのであった。<完>

わたし、しちゃった!

最近は人間のふりをする技術がとても向上し、生きづらくないことが逆につらい小鳥猊下なわけであるが、第二関節まで人差し指を鼻の穴に埋めて口を半開きの貴様らに一つ断っておきたいことがある。それは更新が全く行われない事実が、更新を行うための作業を全くしていないのと同義であると勘違いしてもらっては困るということだ。齧歯類を思わせる黄色い前歯に食べ滓の付着している貴様らにもわかりやすいよう、例え話で私の労苦を伝え聞かせることにする。

あるところに趣味で素潜りをしている男がいる。男は人の寄りつかない、とある浜辺の沖合いに素晴らしい財宝が眠っていることを知っている。わずかずつその財宝を引き上げては好事家に開帳し、彼らの感嘆する表情を見るのを楽しんでいる。潜れば必ず財宝のある場所にいきつく、というわけではない。目測を誤って違う場所にたどりついたり、息が続かずに空手で戻ってきてしまうこともしばしばである。ところで、男は別に仕事を持っており、都会に住居を構えている。秘密の浜辺にたどりつくには、実のところ二時間ほども車を走らせなくてはならない。仕事への影響を考えれば、そう気軽に通える距離ではない。一度などは万難を排して浜辺にたどりついたが、海が時化てしまい潜れないということもあった。いっそ浜辺に住居を構えれば毎日素潜りができるとも考えるが、男が引き上げる財宝を喜ぶ好事家は決して多くはない。最近では、浅い場所にある財宝を取り尽くしてしまったようで、男はますます深く潜らなくてはならなくなった。どうやら深く潜れば潜るほど財宝の質は高まっていくらしく、いつか引き返し損ねるのではないかと頭のどこかで思いつつも、男はそのスリルを楽しんでいる。日の出から日没まで、浜辺で海面を見つめながら、集中力を高めている男の姿を見ることもしばしばである。それほどの大事業なのだ。財宝は引き上げた段階では長く塩にさらされているせいか、男の美意識からすれば到底見られたものではない。研磨し、補修をする必要がある。熱心な好事家のひとりは、引き上げたものをそのまま見せてくれと懇願するが、男は自分のこだわりを裏切ることを嫌っている。財宝かと思ったものが、実はガラクタだったということも少なくはない。はたして潜ることが好きなのか、財宝が好きなのか、好事家が喜ぶのが好きなのか、男にはわからなくなっている。しかし、そのどれかが欠ければ、自分はもう素潜りはしないだろうと男は思う。

なんかすごい、ふつうのブログっぽい文章だ。何が言いたいかというと、つまり、少女保護特区を更新したということだ。「人を殺した者が罰を与えられないならば、その精神はどのような終焉を迎えるのか」というドストエフスキー以来の命題に現代的な解答を与えるべく、小鳥猊下が四つ相撲で取り組む骨太の作品の続きである。半ば以上、本気だ。そろそろ作品内の状況を図画した萌え絵を贈呈しやすい展開になってきたように思う。好事家どもの対価に期待している。

小鳥猊下・サクセッション

左のつま先へ伸ばした右手の先端で触れ、左腕と右の肩胛骨でアーチを形作り、「パロール!」と深夜戸外へ絶叫することも稀ではない不安定の代名詞、生きる伝説a.k.a.小鳥猊下であるが、相も変わらず貴様らは俺をなめておるのか。アー・ユー・リッキング・マイ・ディック? 堪能な英語が思わず口をついてしまい、諸君の民族に固有の遺伝的白人フォビアの証左であるてんかん発作を誘発したのをたいへん申し訳なく感じているが、私には貴様らしかいないのだということを改めて、無言で口角泡飛ばす貴様らに懇願し申し上げたい。貴様らは王様の裸踊りをにやにや笑いで眺める通行人であり、そして王様は与えられた権威の絶対性が示唆するほど自立的に存在できるわけではない。私は今回の更新を二週間に渡り読み返しては改変し、その行為の不毛性自体を楽しんでいた。もう二週間は続けていたかったが、関心を得たいあまり気がつけば、愛されたい一心で発作的にアップロードを完了してしまっていた。私の意識は常に貴様らに脅迫され続けている。民衆は王様が手を振るとき、彼の瞳が潤む瞬間を見逃してはならないのだ。

ホステルを見た。素晴らしい映画だった。人物と舞台装置に与えられていた意味が、物語の進捗につれて次々と反転してゆく様は見事であり、また、アメリカへの世界的憎悪をアメリカ人自身が描いた心意気を褒めたたえたい。ワールドトレードセンターの壮大な腰の引けっぷりに比べ、なんといさぎよいことか。しかし、私が何より関心したのは、国際理解やグローバル化などという催眠による眠気がたちまちぶっとぶ、そびえ立つ異質の表現であった。疲労で脳神経が灼き切れ、それまで理解できていたはずの外国語から全く意味の消失するあの瞬間、笑顔に見えていた表情が顔面の筋肉の変化を伴わず眼前へ能面化する、ほとんど恐慌さえ伴う圧倒的なあの異国感――私にとって異国とはあれに尽きる――を感じたのは、少なくない映画視聴の中でも初めてのことだった。この感覚を、言語的マイノリティの日本人ではなく、9割がパスポートを持たぬというアメリカ人に体験させるのだから、彼らの感じる恐怖の正体の無さは、我々の比ではなかろう。hostelというタイトルはhostileを連想させる。本来中立の世界は”I”が介在することで敵意に満ちたものになるのだ。あと、この監督は日本女性に過大な幻想を抱いていると思った。それと、東欧のおっぱいはすごく堅そうだと思った。

人類の子どもたち

 団塊の世代の子育ては大失敗。ゆえに女は父を求めて不倫をし、男は母を求めて二次元に耽溺する。女は父とファックしたいが、男は母とファックしたくないからだ。負け犬、おたく、認知症、カテゴライズが無限のグラデーションを喪失させ、カテゴライズが作り出した壁は無限に並列するカーストを形成し、階級間の移動を完全に不可能にする。エクセル状の伸縮するセルが我々の住処、少子化の悲惨極まるこの裏舞台、悲劇を連鎖を望まぬ無感情で申し上げる、社会評論家の諸君はうんこを食べなさい。コーンの入ったうんこを食べなさい。精子だけを要求される男たちがなぜ勃起できると信じられるのか。かてて加えて、配給会社は高所から白痴の群れへ骨付き肉を投げる傲慢さで、計算しつくされた原題へ外国語風人造言語を上書きする。人として、最低限の知性さえ疑われた我々は、銀幕やDVDのパッケージに刻印されたそれを前にして絶望するしかない。

 チルドレンオブメン、上記の理由から消極的におすすめです。

小鳥猊下・オベイション

 六畳ほどの部屋。正面には窓、右手には安手のスチール製の机、左手には本棚。窓の外には青空。二階の一室か。窓枠を基準にすれば白い雲がじりじりと移動しており、時間が静止していないことを伝える唯一の情報である。長い間。何も起こらない。前衛劇の様相を呈し始める。突然の大音響。ちょうど諸君の右肩を跳び越すようにして、全裸の男の引き締まった尻えくぼが六畳間へ姿を表す。何かを破壊したらしい大音響に伴って白人女性の、決して拒絶ではない「ア~ン」という音声が諸君の左右後方に設置されているらしいスピーカーから流れる。全裸の男、引き締まった尻えくぼの位置はそのままに、上半身だけで諸君を振り返る。
「お家芸の”閉鎖”にすら『成田屋!』等のかけ声を期待できないのだとすれば、おまえたちがそこへ蝟集することは私にとってどんな意味を持つのだろうな。今回の件に対して釈明を求める無言アクセスに回答を与えるとするなら、再放送やDVD販売やリメイクの”リ”の部分を軽視した回数を繰り返して稼ぐ手法が存在するなら、ネットにそれを取り入れて非難される言われはないと考えたからだ。しかし、汗がしたたる人いきれと嘔吐をもよおす臭気に比して、ここは白痴と唖の王国ように静かだな」
 全裸の男、引き締まった尻えくぼの窪みをいっそう深くすると、続く一つの大きな跳躍で前方の窓を破り、六畳間から消える。窓ガラスの割れる音に伴って白人女性の、決して拒絶ではない「ア~ン」という音声が諸君の左右後方に設置されているらしいスピーカーから流れる。窓枠を基準にすれば白い雲がじりじりと移動しており、やはり時間は経過しているのがわかる。

小鳥猊下・サフォケイション

この記述は本当ならば、4月2日の日記のコメントへのレスポンスとして行われるべきなのだが、「日記を書く」しないと有象無象どもの「マイミクシィ最新日記」とやらに更新が宣言されないため、便器の外側で大便するような抵抗感をおして「日記を書く」することにする。他人を想定しない「日記を書く」が他人を想定するコメント上でのやりとりと”>”の不等号で結ばれる事実は、mixiの抱く潜在的欺瞞を何より証明する。
以下は、4月2日の日記につけられたコメントの一つである。ここへ到るまでの軽妙なトークについては4月2日の日記を参照されたい。

“ところでnWoにおかれましては一部の民より、古くから『無骨なhtmlによる改行も容赦も無い文字の群に圧倒蹂躙される感覚がステキ』と叫ばれておったと記憶しますが、あの横列陣形の侵略感には一行あたりの表示数も大いに関連していたかと存じます。

現状横に縮まり縦に長くお見受けしますので、もそっと横にひろげてガッツリ蹂躙していただけるとアリガタク。”

>所長
横に広げてガッツリ蹂躙したいのは山々だが、あの幅はトップ画像の横幅550ピクセルから逆算したに過ぎないのである。諸君が600~700ピクセルの横幅を持つ画像を送信しさえすれば、一行当たりの表示数はたちまち改善を見るであろう。