猫を起こさないように
nWo at mixi
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ミクシィさいこう!!

ミクシィにやってきてはや一ヶ月が経過しようとしているんですが……私、気づいたことがあるんです……ミクシィって、ネット上の匿名性を取り除いて、個々の”責任のある”発言を促そうとするのが……つまり、某巨大掲示板の対極の着想が……アンチ、なのかも知れませんけど……発端だと思うんですよね……それって、不毛な罵倒や中傷の応酬を和らげる効果があるんだろうって、入会当初は無邪気に思ってたんですけど……私の体験したものは全然それどころではない、正反対でした……例えば……あの、これから言うのは、本当に”例え”なんで……私のホームページを読んでもらってもわかると思うんですけど、「読み手の誰もが自分のことを言われていると感じ、身につまされる」文章を書くことが私の芸の一貫なんで……ほんと、「自分のことかも」なんて気にかけないで聞いて欲しいんですけど……例えば「後日感想を書きます」なんて発言をした人物がいたとしますよね……ほんと、仮定の話なんですけど……その人物がですね、一ヶ月という時間が経過しようとするのに感想を一向に書く気配が無く……まあ、忙しいんだろうと思いますよね、良心的に考えれば……でも、私が通常の生活を送る場所ではですね、期日の指定が無い場合は最低でもその週中に返答が来ます……期日の指定がある場合は、指定期日の前日の午後、遅くとも当日の午前中に返答があるものでして……まあ、一般的な”社会”という場所に生活する貴方には、わざわざ言及するまでもない常識ですが……ネットの甘えというか、自堕落さを考慮に入れられるのは、相手の姿が見えない場合に限られてたんだなあ、と今更に気づかされたっていうか……いや、もちろん例え話なんですけどね……その忙しいはずの人物が一日に数度に渡って日記を更新していたりレビューを書いたりしていた場合ですよ……あくまで例えなんですが……慇懃な見かけとは裏腹に、こちらに全く敬意を感じていないどころか、むしろ致命的に軽んじていることが嫌でも伝わってしまうわけなんですよ……マイミクに登録していれば彼ないし彼女の動向は常に筒抜けになってしまいますからね……そんなとき、現実に近いコミュニティであるがゆえに、私が抱く感情もどうしたって現実に近いものになってしまうわけで……八つ裂きにしてやりたい……ぶっ殺してやりたい……もう二度と仕事を発注しないというオプションが存在しない以上、これら中高生的な報復感情を私が抱いたとして、責められたものではありませんよね……つまり、匿名性の排除が良心の増幅というよりはむしろ、憎しみの増幅につながっているっていうか……いや、これ全部例え話なんですけどね、ウフフ……

最後の努力

物語はハッピーエンドがいいと本気で思っている。特に、萌え少女が主人公で、かつハッピーエンドにたどりつけるのならば、それは現世での最高の達成だろうと真剣に考えている。この世の不幸は誰かに改めて言ってもらうほどのこともなく血肉として実感しているのだし、自分の知らなかった新たな不幸に気づかされることが有益だと感じることができるほど、被虐趣味が昂じてもいるわけでもない。私には、人生を全長で考えてしまう傾向がある。一定の期間やある瞬間だけを切り出すのならば、ハッピーエンドは容易だろう。人生の全長を視野にし、ファンタジーではなく、かつハッピーエンドを迎えたい。それは私の究極の夢だ。

最後の更新をした。掲示板も復活しているので、何らかの経路で感想を聞かせて欲しい。

サンタの贈り物だよ!

メリー・クルシミマス! 俺はイブの夜だからといって突然巡回を間遠にしたり、タイムスタンプの明らかな場所への書き込みを差し控えたりするような、中途半端なネット者ではないつもりだ……という類の書き込みが昔はこの時期に散見されたものですが、今は出先からも携帯電話でお手軽に更新できる世の中でして、あのヒリヒリする血のような選別を実感することも少なくなり、逆の意味で寂しい限りですね。そして、「足あと」がブランクになること頻繁なのだが、入会して出歯亀して退会したということですか。

さて、先日更新した最終回である。相変わらず感想は少なく、包み隠さず本音を申し上げるならばただ見の連中は余すところなくブッ殺してやりたいが、その少ない感想の中にはいくつか有益なものもあった。なので、次回は昔のようなファルス調でぶち上げるつもりである。予告のあった「閉経おばあさまへ」は永遠に凍結する。また、高天原勃津矢についてもこの年末年始で小出しにアップロードしたい。無論、要望があればの話だが!

では、真っ最中にお邪魔をした。各自、私の登場を凝視することで半開きの口に一時停止を余儀なくされていたピストン運動を再開されたい。

年末恒例のアレだよ!

毎年恒例、「小鳥猊下慈愛のようす」開催中だよ! まあ、今更気取ってもしょうがないから内情をブチまけると、年末年始、帰省とか初詣でとか姫はじめとかで誰もかまってくれないから、自室のパソコン前に座り込んで一年間で溜め込んだアレやコレをナニしているだけなんだけどね! 全く日本のセックス環境は年中無休のフルスロットルでござるよ! そんな、トリプルミーニングくらいの含意で”一人遊び”する窓の外から楽しげな笑い声が聞こえてきたりして、それが家族のものだったりしたとき、喉の奥から「原初の悲鳴」としか形容できないような凄まじい唸りが漏れだしてきて、その怨念の深さに自分でも毎年ゾッとするんです……おっと、こんな欝展開はお好みじゃなかったよね! よし、君たちとの間に隠しごとは無しにしよう! だってここはソーシャル・ネットワーキングサイトなんだからね! (両拳を胸元に、右膝を腹部に引き寄せて片足立ちして)ご覧の通り、俺はいまマッパだ(一瞬の静止後、股間に揺れる陰影)! (両腕を左右に開き、左膝を腹部に引き寄せて片足立ちして)俺はいまマッパでおたくライフを満喫している(一瞬の静止後、股間に揺れる陰影)! そうさ、真冬の厳寒に素裸という俺が抱える矛盾を克服するため、俺の部屋のヒーターは高速度で回転し、室内に漂う致命的なスペルマ臭は外気へと拡散してゆき、栗の花の香りは牛の鼻腔をくすぐり、鼻腔をくすぐられた牛たちのげっぷは地球を温室化させ、屠殺されたその肉は俺の食卓へ提供され、大地に身を横たえた牛たちは化石となり地層となりやがて石油となって、俺に裸のおたくライフを許すため俺の部屋のヒーターをまわすという血の輪廻、これ以上動植物にとっても地球環境にとっても「無駄死に」という言葉が似合う死に方って、人類の歴史を振り返っても他に想像できませんよね……おっと、性格と前世がネクラーソフなものだから(得意げな表情で)油断するといつのまにか思考がついつい欝方向にイッちゃうよ! もうこうなったらすごい秘密教えちゃう! (頬をふくらませて両手を腰に当てて)私のすッごい秘密教えちゃうんだから! (素裸のまま空気椅子で片手を挙げながら)ハイッ、ハイッ! (立ち上がって少ない腹筋で腹部の脂肪を持ち上げながら上半身をひねって背後を指差し)おい、そこの眼鏡デブ、言ってみろ! (両手両足をまっすぐ伸ばしたまま散乱する酒瓶をなぎ倒しながらそれでいて大切なグッズには触れないようにジャングルの王者よろしく第三の足を伸縮させて軌道を変えつつゴロゴロ床を回転して)ポイントはそこじゃないYo! ポイントはそこじゃないんdeath! (大掃除を放棄した部屋に渦巻く埃の煙の中にゆらりと立ち上がり中指で眼鏡の位置を直して)実は……ウフフ、引かないで下さいね……私、あんなホームページを運営しているくせに、(チュチュをまとわないバレリーナの大開脚で飛び上がり)生まれてから一度もコミケに行ったことがありません! な、なんだお前たちのその『団鬼六がプレスを集めて童貞告白を始める会見』をお茶の間で見るような視線は! (心もち開いた左手と右手を顔面から均等でない距離にかざして腰をかがめ、何か風圧に耐えるポーズで)やめろ、俺をそんな目で見るなッ! (同じポーズのまま目だけ少女漫画になって)誰か私をコミケに連れてって!

たぶん明日には消します。「慈愛」は外部掲示板にて生ぬるい感じで開催中。

謹賀新年

なんとなくめくった漫画雑誌の初詣シーンに「世界中が平和でありますように!!」と大ゴマで書かれていてのけぞった。人差し指を第二関節まで鼻腔に埋めて、精神を完全に弛緩させていたところに、穏やかな微笑みを浮かべて涅槃に大合掌する一家の痴態がブチ込まれたものだから、その衝撃たるや甚大なものがあった。例えるなら、『満員電車で吊革に身をもたせてうとうとしていたところ、違和感に目を覚ましたら肛門に根元まで見知らぬ男根が埋まっていました』といった感じだろうか。いま世間を見回して、どの創作物がこの台詞を作中に登場させ、強度を失わないでいることができるだろう。驚愕である。批判しているのではない。無論、褒めているのでもない。あまりの非現実的な出来事に、ひどく動揺しているのだ。新年早々からこんな気弱な独白で諸君を心配させる、少女のように小心で無垢な私を許して欲しい。そんな私の今年の抱負は、「もっと善良に」「もっと愛を」である。「もっと更新を」とは言わない。

昨年、マイミク登録をさせて頂きながら、二名がここを去られた。その際、一名からは連絡があり、一名からは無かった。私が原因ではないかと悔やんでいる。どうぞ知り合いの方が見ていらしたら、私からの謝罪をお伝え願いたい。

言い忘れた。あけましておめでとう。

今日はみんなに重大な発表があります

 タミフルをゴリゴリと上下の臼歯でラクダの如く咀嚼しながらお送りする、「小鳥猊下の流感のようす in mixi」なわけだが、今日は”よい大人のnWo”コミュニティの管理権譲渡に関する話題である。このくだりを読んだ途端に目をそらして口笛を吹き始めたそこのお前、ここに及んで知らないとは言わせないぞ。小心な諸君が「鬱陶しいんだけど、面と向かって切るような後味の悪さも背負いたくない」ゆえに「自然と疎遠になる」よう連絡を絶ったとしてさえ、母親よりもお節介なソーシャルネットワーキングサイトは諸君の眼前に彼ないし彼女の動向を次から次へとつきつけ、対応を要求してくるのだから。それはほとんど、かつて関係を持った女性の以後の男性遍歴がその都度ポップアップウィンドウで眼前にお知らせされるようなもので、私なら自分の頭蓋を鈍器で積極的に陥没させる現実を選ぶだろう。いま私の頭蓋骨が陥没していないのはひとえに、小鳥猊下を名乗るサイト運営者と、パソコンの前に座るこのくたびれた一サラリーマンが明確にその人格を乖離しているおかげである。話がそれたが、現実において人間関係の明確な切断は”死”しかありえず、その場合さえ考慮すべき感情は自分のものだけである。いや、君の脳内野次を汲んで言うのだが、男女の愁嘆場や殴り合いの絶交などを経験できる人間は私のサイトを読んでいない。結果、すべての情報を余すところなく与えられるがゆえに、保留による人間関係のフェードアウトが不可能ゆえに、ここミクシィでは否定か肯定だけが選択肢として残されるのである。反応が無いのは否定ということだ。諸君が自分に対して好意的に考えるような、”無関心”では決してない。人間関係疑似シュミレーターが取りこぼした、もしくはわざと見なかった部分が、現実には稀少な類の感情的コンフリクトを頻繁にしていると言える。何、「現実で面識あるから問題無いッスよ」だと。馬鹿、お前には話しかけていない。つまり、朦朧とした頭で何を言っているのか次第にわからなくなってきたが、「足あと」と「マイミク登録者」と「タイムスタンプ」を参照すれば、”コミュニティの管理権委譲”という議題に対して、諸君の今後の動向に明確な意味づけができる。この日記を読んだ時点で、貴方はすでに罠にはまっているのです。このような利用法があったとは、さすがミクシィ改め『ドキッ☆アリバイだらけのトラウマ教室』の面目躍如と言えよう。

 長々と書いたが、つまり「黙ってないで誰か手を挙げろよ、困ってんだろ」ということと、「新しい地域社会に入ったんなら普通挨拶くらいするだろ。半数以上が無言なのは現代社会をわざわざ体当たりに象徴してみせてくれてんのか」という至極当たり前の常識が言いたいだけなのであった。

こんなに少なくなるなんて……

アクセス解析を通じて知るnWoの来訪者数が日に日に減っていくのを見て心を痛めている。頻繁に更新されるサイトに人が集まるのは理の当然であるが、質を高めることで対抗できるのではないかという甘い期待も振り払うことができない。戦略的に敗北が見えていようと、戦術でその現状を逆転できるのではないかという夢想である。

現在ご存知のように、4~5年前に更新した”高天原勃津矢”を再アップしているところである。実のところ当時、物語の最後まで書き終わっていた。そして手元にはすべてのデータが残っている。だとすれば、小出しにせずに間を置かないで更新すればいいではないかと諸君は非難するのだろうが、読み直すとやはり細かい部分を修正せざるを得ない。いったんやり始めると、読点の位置などを延々と吟味するはめになる。読み手にとってはどうでもよくても、私にとってはどうでもよくないのである。この作業に金をもらっているのでない以上、明確に人生の空費と言えるだろう。「枯れた」などと掲示板に揶揄される私だが、書く内容はいくらでもある。生きているのだから、当たり前だ。しかし、書き始めれば大筋をそれて細かい部分が気になりだし、際限なく時間を食われてしまう。更新が間遠になるのも、そういう側面が多分にあることをご理解願いたい。”生きながら萌えゲーに葬られ”については、各パートを書き終わった後に大酒を飲み、細かい部分を見ないで更新していった。いま読み返すにつけ、悶絶するような粗雑さが垣間見え、結局手元で延々と微調整を繰り返している有様である。完全版ができれば現在の更新分を上書きするつもりだが、それがいつになるのかはわからない。”高天原勃津矢”についても各パートにつき数時間は読み返さないと、到底アップする気になれないのである。そうしてさえ、日が経って後悔することは避けられない。連続した数時間を日常に確保することの困難さは、社会人のみなさんならご理解いただけることと思う。傲慢なキャラで売っているからと言って、手軽にやっているわけではないことを念押ししたい。

時間余り皮余りのおたくどもに「枯れた」と言われ、枯れたゆえに更新が止まっていると思われるのが実に癪なのでいくつか先に伝えておく。以前予告していた”閉経おばあさまへ”は上田保春と高天原勃津矢が出会い、対話する内容になるはずだった。しかしこれは凍結したため、一人で妄想してニヤニヤすることにしたい。そして、数年来の宿便”高天原勃津矢”をひねりだした後は、正月に掲示板で言及した少女が日本刀で戦う話で更新する。題して”少女保護特区”。自己言及型ビジュアルノベルふうになるはずだ。腕をもみしぼる業界の方々が目に浮かぶようである。

まとめると、「ここまで更新すれば萌え画像が手に入る」といったような目に見える労働対価が示されれば、更新頻度も高まるだろうという話なのでした。

「あなた」がいるから、私もいる

(歌舞伎のような、しかし黒い隈取の男が腕を組んで、暗闇から浮かび上がってくる)やあ、諸君。とうとうここまでわたくしの話を聞いてしまいましたねえ。わたくしこと小鳥猊下がミクシィの門をくぐったとき「地獄」が待ちうけていたように「あなた」にも! ここまで小鳥猊下の物語をただの作り話として聞いてきた「あなた」にもこれからわざわいがふりかかるのです。「地獄」が待ちうけているのです。なぜならこれから待ちうける「地獄」はわたくし個人のドラマではありません。おたく全部がまきこまれてしまうのです。「あなた」も例外ではない、「あなた」も参加するのです。そして「あなた」は……(隈取男、暗闇にフェードアウトする)

以前に掲示板で行っていた更新のためのカウントを再開する。これまで全く私と連絡を持ったことの無い人物からの感想が無い限り、この先がアップロードされることはない。だが、どうか私を恨まないで欲しい。諸君もご存知のように私は完全に善良な愛すべき人材であり、責任の所在があるとすれば、それはすべてはただ見の観客の上なのだから……!!

誰もここにはいないかのよう……

物語の方法論は大分して、2つしかない。「普遍的な題材を普遍的に描く」か「個人的な題材を普遍的に描く」かのどちらかである。キルビル2について。日本版のみの副題、”the love story”。どんな作品でも恋愛ものとして宣伝すれば客は入るという配給会社の作品への冒涜的なやり口に、賢明な諸氏はもうずっと辟易し続けてきていると思うが、ことこの作品に関しては全く違和感 がない。KILL IS LOVE。KILL BILLは、LOVE BILLなのだ。愛は個別的であるがゆえに、つまりどの愛もどの愛と似ていないがゆえに、殺してまでそうしなければならぬ、最も極端にある「異常な愛」を描くことで、逆説的に「普遍的な愛」を描くことにこの作品は成功している。汗をかき、泥にまみれて、愛する者を殺し、トイレの床に転がり鼻水を流しながら”thank you”という主人公に、私は映画と人間性の正道を見る。あの”thank you”が心に少しもひっかかりを与えなかったなら、自分の感性が「汗くさくないこと」が主眼の”スタイリッシュ”な作品群に踏み荒らされておかしくなってきていることを真剣に疑った方がいい。早々に軌道修正しないと二度と戻ってこれなくなる。キルビル2は、個人的な題材(B級なるものへの愛)を普遍性にまで高めた傑作である。
 キャシャーンについて。戦争と平和という普遍的なテーマを置こうとして、それが全く個人的動機に過ぎないことを全編に渡って露呈している。つまりこの映画のテーマとは、PV出身の監督が初めて映画を撮るに当たっての”作られた”テーマ性であり、初めての映画に気負うあまり、現代の世界が置かれている状況を取りいれよう安直に考え(それがカッコイイ態度だ、と思ったのかもしれない)、自身の素質を省みない全く皮相的に止まるテーマの繰り込みを行った結果である。人造人間誕生の設定が原作の「自身から進んで」から「父親に無理矢理」へ変更されてしまっているところから、この推測がある程度の的を射ていることが理解されよう。この変更点は同時に「キャシャーンがやらねば誰がやる」というあの決め台詞に込められた熱と意味性を完全に削ぎ落としてしまっており(街角にある”世界人類が平和でありますように”といった世迷い言ではなく、争いが本質的に不可避であることを自覚し、そこへの自分の態度を明確にしており、素晴らしい台詞だ)、「原作をよくわかっている」など という賞賛は全く当てはまるどころではないことが、表層的な装飾群に惑わされない少しでも真摯さを持つ視聴者なら、瞬時に理解できるだろう。おそらく無自覚的にではあろうが、監督は個人的な動機で原作をさえ、弄んだのである。作品の持つテーマとは、自身が世界と対面するときに何に固執しているかという点であり、ここが重要なのだが、”恣意的に選択できるものではない”。「戦争と平和」という巨大なテーマ(人類の持つ究極の命題の1つだ!)を扱うに、この監督の初期衝動は「初めての映画で頑張らなくっちゃ! イラク戦争で世界は大変だし、よぅし、戦争を批判しちゃえ!」程度の可愛らしくも絶望的に浅薄なものであり、あまりに脳天気すぎる。「飢えた子どもの前で文学は1枚のパンよりも有効なのか」という古い問いかけを持ち出すまでもなく、この映画は戦火に焼かれる子どもの前で明らかに有効ではない。そして、この映画は(真摯な)原作ファンの前でも明らかに有効ではない。それゆえに、この映画は完全に失敗している。更に言うなら、普段ほとんど邦画を見ない人間がこの映画の大量テレビCMとテーマソングにひかれて入館し、今後二度と邦画は見ないことを決心しながら出ていくというのは、充分にありそうな話だ。日本映画凋落の戦犯の1人とならないことを切に願う。キャシャーンは、普遍的題材を個人的欲望の充実に落とした駄作である。この世に物語が成立する条件は、つまるところ2種類しかない。「真実のように見える嘘」を描くか、「嘘のように見える真実」を描くか。キルビル2は後者であり、キャシャーンはどちらでもない、「真実のように見せたいまがい物」である。つまり、キャシャーンは物語の段階にすら達していない”フィルムに熱転写された何か”に過ぎない。

以前、ホームページの掲示板で書いた文章である。Googleのキャッシュから発見した。何故か今日再録しなければならないという気持ちになった。諸君が高天原の続きを求めているのは重々承知だが、今週は手を入れる時間が持てなかった。もうしばらく待たれたい。来週中には更新するつもりだが、これは更なる感想や萌え画像の到着を否定するものではない。ときに諸君は異性に自分の特殊性向を面罵されるのは好きだろうか。私は好きである。頭の中にある言葉のままに私を罵倒してくれる女性がいないものかと思う。一言で切り捨てるのではなく、それこそ延々と、わずかの反論も不可能なほどの執拗さと精密さで罵られたい。

私はここで、誰と話をしてきたんだろう

「僕はいつも思うのは、自分がほんとに恥ずかしいことだと思うのは、自分はおたくの文化を否定してきた。否定することでホームページを更新して、アクセス数をもらってnWoしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな」
「いや、それだけは言っちゃいけないよ。あんたがそんなことを言ったらガタガタになっちゃう」
「でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうこと言わなかった」
「それはやっぱり、強気でいってもらわないと……」
「そうかな。おれはいままでそういうこと言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ」
「いやだろうけど、それは我慢していかないと……」
「それじゃ、我慢しないでだよ、たとえば、おたく文化を肯定して、二次元の少女に射精することは非常に素晴らしいことだ、これなら誰に対しても恥ずかしくない、と言えるかな」
「言えないでしょう、それは」
「言えないでしょう。そうすると、われわれだって射精も否定もどっちもいけないじゃないの。どうするのよ……」
「だから最後まで強気をもつということよ」
「強気をもつということは、もうホームページを更新することじゃないだろう、そうすれば。テキストサイトじゃそれは解決できる問題じゃない」
「だって、テキストサイトだって、あの長いもの更新するのに、強気でなければ更新できないよ」
「しかし僕は、それはテキストサイトで解決できない問題だと気づいたんだ。まあ頭は遅いけど」
「もちろんテキストサイトでは解決できないよね。それは、いまの問題とちょっとちがうんじゃないかな」
「でもね、僕、耐えられないのは、たとえば僕が一回の更新をする。それにアクセスしてくれる人がいる。カウンターが一回まわる。そうするとカウンター一回分はどういうアクセスなのかと思うんだよね。それはある一つのおたく社会の中に、引きこもりでもなんでも生きている、そして類型的な萌え礼賛に不満ももっている。しかし少女、子どももかわいい、そしてなんかこれで、そのうちにネットゲームでもしていたらなんかいいことがあるかと思っている。そういう男が僕のホームページにアクセスするわけね。そこでカウンターを一回まわすんだ。かなりの時間の浪費だ。彼のどの部分がカウンターをまわすかと思うんだ。そうすると、僕は、彼の一番鋭い良心の部分が僕の更新を読んでいるなんていう己惚れは全然ないよ。絶対ないよ。彼はやっぱり、なんかこのおたく社会や時代に対する不満の中から、まあ逃げ道というか、自虐というか、なんか追う気持ちがあって、ふらっとアマゾンでエロ漫画でも注文するように更新を読むだろう。そして彼は、三十分か四十分か、彼がアクセスしたものを喜ぶだろう。それは僕らだってサービスするんだから、サービスするだけのものは読むわね。その中からカウンターの一回転をもらうんだ。そうすると僕はいったい何のために更新しているんだ。この人たちからカウンター一回転もらうということは、やっぱりこの人たちをつまり生かしておくためだろう。そしてその人たちはそれがなかったら生きていかれないかというと、なくても生きられることは確かだろう。その瞬間に、おれはやっぱりいやになっちゃうんだな、ほんとうに。なにをやっているんだ、おれは、ということね」