猫を起こさないように
nWo at mixi
nWo at mixi

またね!

誰もが簡単に素性を偽ることができるこのコミュニティで、むしろ私が一番正直に自分をさらけだしていると感じていた。

さて、一週間ほども連続で日記を記述してきたが、ようようミクシィが何であるのかわかってきたように思う。最初の頃の、誰が来るのかわからぬ、しかも誰が来たかはわかる高揚感は去り、ほぼ固定した面々を相手にマンネリした吉本的な芸を披露するという構図が形成されつつある。昔のファンがお決まりのネタに笑い声を上げる以外は、新たな客はついていけぬと席を立ち、あるいは薄ら笑いで一瞥して通り過ぎるのみ。

よって、以後はまさに当ホームページの掲示板としてだけ、この場所を利用することにしたい。私が真に伝えたい内容はすべてあの場所に書いてあるのであり、本末を転倒せぬためにこの辺りで思い切るのが肝要であろう。個人ホームページとは、まさに個人の熱情によってのみ継続しているのだということを理解して頂ければと、私は切望する。最後に、毎日訪れながらマイミク登録を申し出なかった諸君に、万感の恨みを込めて言いたい。みんな死んじゃえ。

ご清聴、どうもありがとうございました。

私のこと、好き?

”もう日記更新しない”宣言をした途端に、バタバタと何件かマイミク登録の申し出があった。まったく現金な連中である。

しかし、中にはたいへん熱烈なものもあり、気をよくした私はもう一日だけ何か書くことにしたい。「マイミク登録一人につき、日記を一日延長!」とか調子にまかせて放言したいところだが、その作戦は諸刃の剣であることを、経験を知恵に変える賢明さを持つ私は知っている。申し出が無い場合間違いなく、驚くほど深く自分が傷つくのである。件の「生きながら萌えゲーに葬られ」についても、途中までは機嫌よく進んでいたのだが、ぱったりと書き込みが途絶えて以降は、「そんなにつまらないのか」とひどく落ち込んで、毎夜泣きながらアルコールを大量摂取し、翌朝には決まって水のような軟便をミリミリと排泄したりした。

とは言え、新しいことを書くのも面倒くさいので、さっき書いたメールの一部を引用することで今日の日記と変えたい。私のファンを称するすべての人間が目にしておくべき文言だと考えるからである。引用開始。

……特にインターネットの個人サイトの場合、それを運営する動機というのは極言すれば、「感想をもらう」の一点しか無いと言えます。私にできることは常に同じ場所で芸を披瀝するだけで、通りかかる観客がそこへ何も声をかけないのだとすれば、私が”芸を披露した”という事実さえ、無かったのと同じになってしまうのです……

引用終了。まったく、長時間労働の後にこれだけのスマートな文章をサッと送信できる私は、この上なくダンディで素晴らしい。読み返すだけで涙が出てきた。君たちは私の見かけ傲慢な態度よりも、時折のぞくこういった透明な繊細さの方をこそ積極的に汲み、その壊れやすいガラスの自意識に配慮した内容と回数で、私を鼓舞するべきである。

”軟便をミリミリ排泄する”の下りを読み返すにつけ、何の後ろめたい気持ちも生じず、むしろ気分爽快である。記述を終える。

私はあなたを愛しています

昨日、私のホームページのカウンターを一人で千五百回ほど回したそこの貴方、そろそろ私に直でメールを送ってもいい頃合なのではないか。

先の日記への反応で、コミュニティなるものの存在に気づかされ、「nWo」で検索をしたが、ヒットするのはプロレス団体ばかりであった。それも当たり前の話であり、私のホームページの読者を想定する場合、彼か彼女の実際の社会的地位はどうであれ、その精神状況は限りなく周囲と弧絶しているのではないか。ある日突然自殺して、皆が「なんで?」と驚くような人物なのではないか。だから、私のファンの多くはきっと、すでに鬼籍へ入っているに違いあるまい。なるほど、昨今の急速なアクセス数の低下や、いっこうにマイミク登録数が増えぬのもこれで説明がついた。話が冗談で横へそれかけたが、いや、開設以来百人くらいは死んでると確信するが、ブッ壊れたハートを有するそれらの人々が、”コミュニティ”と称するくくりで談笑し合う姿は、私の豊満な(胸をゆすりながら)妄想力をもってしても、極めて想像しにくい。ですから、誰もわたくしのためのコミュニティを作ろうとしなくたッて、それは想定済みのことですもの、少しも悔しくなんかないのだわ!(想いを振り払うように、細い顎を高く上げるのに呼応して揺れる縦ロールへ、きらめく真珠のような涙)

とりあえずミクシィのしきたりっぽいので、足跡帳はつけておいた。諸君の感想を読むにつけ、私に反応して欲しいのかして欲しくないのかさっぱりわからんが、どうぞ活用しなさい。記述を終える。

雨のにおいが好き

”弱さのすべてを許容されれば、人は狂うしかない”。というフレーズを「生きながら萌えゲーに葬られ」のどこかにずっぽりと追加挿入しようと思ったのだが、それだけの妄想が勃起しなかったので、しょうがなくここへ記しておく。

というわけで、狂人のみなさまコンバンワー。母ちゃんか配偶者からされるくらい執拗に、何年にも渡って私に甘やかされ続けた諸君だから、もはやこの推測に何の間違いもあるまい。しかし、死人と狂人とそれ以外の少数をファン層に持つ当ホームページへ集客する方法を考えるにつけ、絶望的にアルコール摂取へ耽溺せざるを得ない。そして、酒濁りした目でやっきになって、当ホームページにまつわるあらゆる猥褻な単語を、濡れ濡れと白く輝くあの細長いスリットへ次々と挿入するも、一向にコミュニティとやらがドーム状に陰芯の如く屹立しているのを発見すること、かなわぬ。私の日記へのコメントにコミュニティの設立を提案したヤツは、間違いなく呪殺だ。

あと”足跡帳”に私の自画像を添付しておいた。おっと、いけない! こんな赤裸々な指示を伴った画像では、小鳥猊下が何者なのか早々に臣下の諸君にバレちゃうよ! 記述を終える。

今日のよかった探し

いい加減、ホンマそろそろここで日記書くの止めなあかんと思いつつ、当ホームページのコミュニティが設立された旨を諸君に伝えるために記述する。面倒くさければ、この冒頭の情報だけしか読まんでよろしい。

しかし、参加の面々を閲覧するにつけ、どこか見知った人物ばかりであり、私の監視の外で私を罵倒したいという向きはあまりいないようだ。崖の上で腕を組み、マフラーを風にたなびかせながら、「お前なんざとはマイミク登録しねえぜ! だが、最近のお前は間違っているッ! お前のホームページに注文があるッ!」とあさっての方向を指差しながら宣言する気骨の士は現れなかったようである。愛情と憎悪はベクトルを変えた同じ力という例の言葉を持ち出すまでもなく、当然の帰結とは言えるかも知れぬ。「敷居が高い」ことをよく言われるが、同じ表現を複数のファンから頂いたことを考えてもきっとそうなのだろうが、敷居を下げようとすると「下げないで!」と必ず駆け込んでくる向きがおり、私はそのたびいつも、脱ぐことをなぜか客に止められる職業ストリッパーのような気分になる。それこそ放っておけば、日々の雑記などを始めかねないと諸君は恐れているのだろうが、そこのところの線引きは理解しているつもりである。コミュニティ設立がこの不毛な、汚れたパンティをつかみあっての脱ぐ脱がぬのやりとりに決着をつけてくれればと期待する。

全くの余談である。簡易記述式の日記などからネット参入された方などには理解しにくいかも知れないが、かつて、現実世界の人格と電脳世界での人格は「乖離していなければならない」ものだった。現実が充実していなければしていないほど、ネット上での記述は狂騒的に面白くなっていくのであり、ついうっかり現実で満たされたりすればネット上の記述はたちまち色を失うのであった。日常に起伏を失えば、夢が活性化するのと同じ理屈である。つまり、現実とネットの人格が一致してしまうということは足すも引くもないゼロ地点にいるということで、最も避けねばならぬ事態と言えた。内定を得た会社に本名で猥褻な電話をかけたり、懸想する女子の眼前で大便をひねりだしたりといった愉快な記述は、どこからも内定を得ぬ無職だったり、誰からも求められぬ恋愛不倶者である現実を内包するからこそ輝きを放つのであり、当時のホームページ運営者たちは厳然たる暗黙の了解として皆が、「いかに何も無い、つまらない日常を送るか?」に腐心したものだった。しかし、それでは社会的に存在することが不可能になってゆくため、一人また一人と脱落を余儀なくされていき、最後はほとんどチキンレースのような様相を呈していたことを私は懐かしく思い出す。なので、「私という個性の不変」を標榜しているような現在の簡易記述式の日記を閲覧するにつけ、どうにも座りが悪くてしょうがない。現実とネットの人格が完全に一致しているその人物の記述する、昼飯の紹介や読書の感想を読むにつけ、いったいどこにそれをわざわざ文字にするだけのパワーが秘められているのかと、不思議に感じるのである。

私には、日々全力で外界と関わりながら一方で、その心を誰よりも引きこもらせ、自閉させているという自負がある。本物の引きこもりが記述している妄想ではないという点が、上記の過去のホームページ群の在りように反しており、際立って素晴らしいのであるということに諸君は気づき、もっと積極的にそこへ言及して私を褒め称えるといい。そして、今後しばらくは記述を終えるつもりである。

永遠と一日

学生時代、この微温的な、あるいは苛烈な日常が永遠に続くのではないかと貴方は錯覚したはずだ。しかし、終わりの一日はやってきた。この世のすべては永遠と一日から出来ている。貴方が倦み疲れている永遠も、避けられぬ一日によって必ず終焉を迎える。なぜなら、人は死を運命づけられているからだ。

今日、ホームページ上に新しい掲示板を設置した。これは永遠の始まりであるが、一週間後か、一ヶ月後か、一年後か、定められた終わりの一日がいつ訪れるのかを言うことは誰にもできない。もし、ある日突然、私のホームページがネット上に存在しなくなったら、この日記を思い出して欲しい。私は永遠を更新し続けるが、それは裏を返せば、終わりの一日を待つために過ぎないのだということを。

「生きながら萌えゲーに葬られ」を更新した。もはや最終話を残すのみである。

お話したいな

更新したはいいが、相変わらずびっくりするほど反応が無い。ネット上における絶対の公式が、「内容<頻度」であることは重々承知しているが、これだけストリップ無料閲覧を繰り返されるとやる気も大幅に減退しようものである。フリークスショウに慣れてしまった諸君には、複数の性器ですらもはや普通にしか感じられなくなっているのかも知れぬが、やはり閲覧しているのは複数の性器なのだ。複数の性器に圧倒されて、もしや複数の性器が「カワイソー」とか思って、複数の性器が生えていると指摘できないのか。相手の見えぬこの場所で、日本的な察しの文化に直面するとは思わなかった。だいたい、あのコミュニティって何やねん。一言も発言せんのに、何のメンバーか。だいたい、足あとって何やねん。日記書かんとお前ら踏みに来んのか。発言できんほどおしなら、日課として毎日踏みに来ることが客席の拍手のように、あるいはおひねりのように、この複数性器の中年ストリッパーを励ますとか思わんのか。86400秒の内、3秒ほど人差し指を動かす労力が惜しいほど、お前ら多忙か。そんな多忙な中、性器に触れる時間は3秒よりももっと長いお前らが憎い。複数の性器をいろわなあかんワイが、3秒の時間を確保するのが難しいのはわかるで。けどな、お前らの性器はいっこやないか。いっこの性器を触るのにいったい何秒かける気やねん。そして、毎日触ってるから感度がにぶり、触らねばならない時間が次第に増えてゆくのです。

論点がわからなくなってきたので、記述を終える。

愛されたいから、愛するの

(乳首と股間が丸く切り抜かれた暗色のスーツにカクテルグラスで)前回はアルコールに耽溺するあまり、主に婦女子のみなさんを不快にさせる記述を繰り返すなど取り乱した様子を見せてしまい、この小鳥満太郎、お恥ずかしい限りである。今日はファンの諸君と理性的に話をしたい。

諸君、言いたいのはこうだ。私はいつも死ぬつもりで、あるいは殺すつもりで書いている。サラリーマンである私にとって時間的には片手間だが、その集中と密度においては片手間どころではない。そして、特定の誰かを傷つけたり、攻撃したりする意図は無いが、結果としてその意図しない効果を生み出してしまっていることもわかる。しかし、誰も傷つけないものが誰かを救うはずはない。これは信念に近い。次第にその憎悪が積みあがり、ネット上で私は孤独になった。無論、孤独を愛しているわけではない。

今回の更新は、意識的にせよ無意識的にせよ、当ホームページの依拠してきた場所を完全に叩き潰す意味合いを含んでしまっている。つまり、某格闘漫画家風に裏話を語るとすれば、今回の更新は「ジャイアント馬場の回転胴廻し十六文キック」なのである。そのため、「これを書いたらもう先は無いのではないか?」「小鳥猊下、このお話が終わったら、nWoを閉鎖しちゃうの?」などの不安を抱いた諸君が涙を浮かべて私の元へ殺到し、「おいおい、子猫ちゃんたち。君たちの気持ちはわかったから、そんな幼い未熟な身体を俺にぎゅうぎゅう押しつけるなよ」という展開を天然色の画像で予見していた私は、相も変らぬ灰色の日常と空のメールボックスに、突然飼い主に頭を叩かれた座敷犬のような愛らしい驚きの表情を浮かべざるを得ない。そして、少女たちで形成された肉壁の内側から、ロック歌手よろしく分厚い冬物スーツを両手で引き裂きながら飛び出し、「みんなッ、アリガトウッ! nWoはこの儀をもって再生するッ!」などと観客席の幼女の群れにダイブしながら絶叫するオブセッションまで脳内に渦巻いていたものだから、次回更新後、本当に閉鎖してやろうと思っています。

(女性のアニメ声でのナレーション)簡易更新式の雑記帳が隆盛する昨今では見られなくなりましたが、「閉鎖する、しない」の駆け引きも、ホームページ文化の生み出した素晴らしい伝統芸のひとつです。皆様は、引き続き小鳥満太郎の至芸をお楽しみ下さい。

キミだけに教えてあげちゃう

たぶん私自身を含めても一人か二人の、当ホームページの文章をすべてそらんじているコアなファンにしか意味を成さない情報だとは思うが、「生きながら萌えゲーに葬られ」の一話目を修正した。ついでに読みやすいよう改行も増やした。今後、二話目以降も徐々に手を加える予定である。連載形式にすればワンアイデアで更新回数が稼げるだろうという安易な着想から始まった今回の「生きながら~」だが、後半に進むにつれて当初のいい加減な書き様とは違ってきてしまったというのが、修正に踏み切った大きな理由である。たぶんいないと思うが、修正前と修正後を読み較べて、私が何を美しいと感じているのか、その思考経路を探る一端とすることも、ファンにとっては楽しい作業となるだろう。

そして、私の芸風がここでは浮いてしまっているのを痛感する。萩本欽一や所ジョージを偉大な先輩として敬わなければならない若手芸人たちの苦悩を、諸君の応対から感じて仕方がない。記述を終える。