猫を起こさないように
三月の国
三月の国

廣井王子(2)

 山に囲まれた一軒家。蝉の声。
 「ご無沙汰しております、廣井さん」
 「おやおや、これは珍しい顔を見ますな。この老人に何のご用ですかな。こんなところに来るまえにお仕事がありますでしょうに」
 「いや、これは手厳しい(ハンカチで額の汗をふく)。私たちは今日、廣井さんにお願いがあって参ったのです」
 「(聞こえないふうに)まぁまぁ、遠路はるばる暑い中をやってきて下さったことだ。とりあえずお上がりなさいな。日陰に入るだけでずいぶん違うもんですよ。お茶でも一服さしあげましょう」
 「田舎の暮らしというのは存外ヒマなものでね。こんなことばかり上手くなってしまった(お茶をすすめる)」
 「恐れいります」
 「今をときめく一大ゲーム会社のお歴々が、私ごとき老いぼれに何を恐縮することがありましょうや」
 「(自分の座っていた座布団を脇にやる)今日はそのことで、お話に参ったのです」
 「(目を細めて)ほう」
 「単刀直入に申します。廣井さん、あなたに戻っていただきたい」
 「(立ち上がり縁側に腰掛ける。ニワトリに餌をやりながら)私は見てのとおり隠居の身ですよ」
 「この三年というもの業界内の構図は激変しました。既存のソフトメーカーは軒並み潰れるか合併されるかし、パソコンでいわゆる18禁美少女ゲームを制作していた会社が台頭してきている。これまで築き上げてきた市場ノウハウがまったく通用しないんです。いまやギャルゲーである、ということが売れるための最低条件になってしまっている」
 「ほほう、そうなんですか。ははは、世事にはすっかり疎くなってしまった」
 「(後ろに控えていた若者が立ち上がる)廣井さん、あなたの魂はまだあきらめていないはずだ! それを証拠に、ご覧なさい(飯櫃のフタを開ける。中にはプレステ2が入っている)」
 「(肩越しにちらりと見やって)孫が置いていったんですよ」
 「(若者が何かいいつのろうとするのを手で制して)…最後の砦だった大手S社もついに軍門に下りました。見て下さい、先週発売されたS社の最新作『ファイナルファンタジー13』です。キリストの復活をモチーフにしたギャルゲーです。キリストが12歳の幼女で、その使徒たちも全員個性的な美少女だったという設定です。これが今爆発的にヒットしています。S社は時代に同化することで窮状を乗り切ったのです。しかし、我々には方策が見つからない。何本か見よう見まねで出したギャルゲーもすべて一万本と売れていません。社の総力をあげてあと一本作れるかどうか。もう、どうしたらいいかわからんのです。もう、どうしたらいいのか…(畳に涙をこぼす。その視界にすっと影がさす)」
 「男がそう簡単に泣くもんじゃねえな」
 「(見上げて)廣井さん…」
 「(鶏糞で髪を後ろになでつけて、サングラスをかける)見せてみな、おまえたちの企画。おまえたちの必死の最後ッ屁をな!」
 「廣井さんの復活だ!」
 「(涙声で)は、はいッ! (鞄から紙束を取り出す)どうぞ、これです」
 「(表紙を見て眉をしかめる)清少納言伝?」
 「はい、大胆な歴史考証で女流作家清少納言の男性遍歴を浮き彫りにする平安恋愛ロマンです。社長自らの企画です。社長は大学時代国文科に所属してらっしゃって、卒論の題材は枕草子だったそうで…うわっ(企画書を顔面に叩きつけられる)」
 「ボケ。売る気あんのか。こんなお大尽企画におまえら社運かけてんのか、アァ?」
 「し、しかし」
 「おまえら何もわかってねえのな。ま、いいや。とりあえずキャラクターの絵を見せてみな。絵だけで売れることってのはあるからよ」
 「(鞄から紙束を取り出す)どうぞ、これです」
 「(受け取り、見た瞬間に相手の顔面に叩きつける)ボケ。売る気あんのか。なんだ、この細目の白豚は、アァ?」
 「げ、厳密な時代考証により平安美人を正確に再現…うわっ(肩を蹴られてひっくり返る)」
 「話にならん。顔面の大きさは今の三分の一にしろ。目の大きさは今の五倍…いや、十倍だ」
 「馬鹿な! それじゃまったく化け物じゃないですか!」
 「リアリティは重要じゃねえんだよ。そのリアルから逃げ出して逃げ出して、その果てにゲームやらアニメやらの虚構へたどりついた連中を相手にすんだぜ? 現実の似姿でありながら、同時に現実の臭いを完全に消さなくちゃダメなんだよ! 小動物やらの目が身体のサイズに比して大きいのはなぜだかわかるか? あれは外敵に対して物理的な反撃手段を持ってねえから、無力なかわいらしさをアピールして、私はあなたに害を加えませんよということをアピールして、相手の敵愾心をそいで攻撃させないようにしてんだよ。これは理屈じゃねえんだ。美少女キャラの目を大きく書くのは、人間が動物だった頃のそういった本能に訴えてるんだ。加えて、相手が無力であるということの実感が、傷つけられることに極度に敏感なおたく連中の精神を安心させるんだよ。目の大きさは単純にその人間に内在する暴力の大きさと反比例してるといっていい。キャラの性格に基づいて目の大きさは変えろ。威圧感を生まない程度にだ。それから、この企画は全部破棄しろ」
 「しかし、今から全部練り直していたのでは遅すぎます!」
 「ヘッ、そんなせっぱ詰まってから俺ンとこ来やがって(立ち上がると箪笥の引き出しからファイルを取り出す)」
 「そ、それは」
 「俺が一年前から温めていた企画だ。題して『歌麻呂伝』」
 「歌麻呂伝…」
 「ふふ、舞台は江戸時代。一人の浮世絵絵師の日常生活を彫刻する…わかるか?」
 「(後ろの若者が勢いこんで手をあげる)わかりました! その浮世絵絵師の持つチンポの見事さに毎夜訪れる白人女性たちが『オウ、ウタマーロ』と恍惚の声をあげるという内容ですねッ!」
 「はい、アウト。やっぱおまえら負けて当然だわ。東大出て官庁入って権力機構のまっただなかにいるような人間なら白人のデカ女をチンポで蹂躙して征服欲を満たされることもあるかもしれんが、俺達が相手にするのはそんな上等な人間じゃないんだぜ。国の運行に関連する権力機構や企業なんかの経済機構から外れたおたく共を相手にするんだぜ。やつらが必要としているのは自分の優位を前提とした上から下への一方的な愛撫だ。あるいは相手のかわいいだけの女に過去の虐待された自分を投影した自己愛劇だ。設定はこうさ。主人公は浮世絵画家を目指すちょっと気弱で繊細な18歳。ひょんなことから普段は疎遠な祖父から町の長屋を遺産として相続することになる。管理人としてその長屋に訪れてびっくり。なんと住人が全員若い女なんだよ! こいつは売れるぜえ!(両手を広げてみせる)」
 「馬鹿な! そんなの非現実的すぎる! 確率論的にありえない!」
 「だがある日空から女が降ってきてもうモテモテという話よりはありそうだろう」
 「それは比較にすぎませんよ」
 「そう、しかし虚構の世界にどっぷりつかった連中にはそれがわからない。同じ車両に毎朝乗り合わせる二人が恋仲になるといったことも現実的にははっきりいって無いんだが、その虚構の持つ『ありそうだ』という部分がやつらのやつら自身を破滅させ続けてきた、やつらをすべての社会機構から外れさせてきた、不都合なことは見えない、盲目な楽観論で構成された頭脳をもしかしてと期待させるのさ」
 「しかし、それでは、それでは、まるっきり白痴じゃないですか!」
 「あれ、知らなかったの? 白痴なんだよ。ゲームやらアニメやらっていう商売は、システム的に最少人数でまわる、完成してしまった社会における大半の余剰の人員の中の、更に余った社会に不要な人間の不満のガス抜きをするための装置に過ぎないんだよ。精神的なせんずりの手助けとかわんねえんだよ。やつらは期待し続けるのさ。もしかしたらこんなことが次に俺にも起こるかもしれないってな。そして俺達の虚構が与えるわずかの希望にすがって、絶望的な現状に完全に絶望して死んでしまうこともなく無意味に生き続けて、俺達の上にカネを落とし続けるのさ。その無意味な命がつきるまでな。けけけけ」
 「(膝の上で拳を握りしめ)私は、私にはそこまで割り切れません…」
 「だからおまえらはいつまでたっても三流なんだよ。(黒目と白目が反転した気狂いの記号の目で)せいぜいいい夢見させてやろうぜぇ。やつらの精神とチンポが完全に充足しない程度に満足して、次の作品にもその次の作品にもやつらおたく共が生きている限り永遠に俺達にカネを貢ぎ続けるような、地獄のような夢をよ! ハハハ、アーッハッハッハッハ」
 「高須さん」
 「(憔悴した顔で振り返り)なんだ」
 「我々は、最悪の悪魔と取引をしてしまったのではないでしょうか」
 「他にどんな道があったっていうんだ。(自分に言い聞かせるように小声で)これしかなかったんだ。これしかなかった…」
 「(遠くから大声で)おぉい、何してんだよ! 早く車まわせよ! 今日は前哨パーティだ! 赤坂で一番高い店を用意させろ! なぁに、すぐに俺が全部取り戻してやるさ! ほっといても可哀想なおたくたちが俺にカネをくれるようになってんだ! いひひひ、 これだからこの商売やめられないぜ!」

コナン・ザ・ファイナル

 無人のビルの谷間を蝶ネクタイ型のマイクでしゃべりながら遠くから一人の少年が歩いてくる。
 「げに恐ろしきは殺人天国日本。一万人殺せば英雄で、一人殺せば商売になる。鉄道会社も喜びいさんで殺人商売にタイアップ。日本縦断殺人旅行。殺せ殺せ、みんな残らず殺してしまえ!」
 バス停脇のベンチに座っていた男が横倒しに倒れる。その後頭部に深々と細長い針が突き刺さっている。
 「役に立ったよ隠れ蓑。だって子供にゃ権利がない。経済大国日本じゃ、金の量が権利の量。金を持たない子供には、何の意見も認めません。さぁ、思う存分殴れ殴れ。おまえが子供だったときにやられたように、蹴って殴って脅迫しろ、『今夜のご飯はぬきです!』。なァに、心配はいらない。世間様には教育だと言っておけ!」
 街灯から茶色のコート、帽子を身につけた小太りの男がロープで吊り下げられている。周囲にただよう異様な臭気。
 「無能を養う余裕なんて、今の日本にゃありません。死ねば権威は糞まみれ。どんな権威も糞まみれ。民間人にだしぬかれ、次から次へとだしぬかれ。あるのは逮捕の権利だけ。そのくせ俺のような最悪の、殺人者をのうのうと泳がせて。おかしいねえ!」
 禿頭のビール腹が白衣を血に染めて道端に転がっている。
 「どんどん発明殺人マシーン。在野の科学者、本当かい? 人を見る目がなかったのが、致命的な失敗よ。あなたにもらったスニーカー、増強されたキック力。なんどもなんども蹴り上げられて、大人の威厳もどこへやら。中年は、血にまみれても中年です。やだねえ、しまらないねえ!」
 少年、スクランブル交差点の中央で立ち止まる。昼間だというのに人ひとりいない。
 「さて…」
 少年の足下に一人の女性がうつぶせに倒れている。
 「ここに一つ死体があります。彼女の背中からは包丁の柄が見えており、その刃は心臓にまで達していると思われます。まず彼女が自分で背中に手をまわして突き刺したとは考えにくい。女の力、物理的にもそれは不可能でしょう。これは明らかに他殺です。犯人はいまだ見つかっていません。いや、それ以前に警察が動いていない。これほど明確に人が死んでいるというのにです。警察が動かない以上、犯罪ではない。あなたたちの大好きな完全犯罪の成立です! しかしどうして? 平日の昼間、いちばん人目につくだろうこんな大都会のど真ん中という最も密室とはかけ離れた場所で、最も密室であるような状況が発生している。ふふ、悩んでいますね。私にはこの謎がすでに解けています。さァ、僕からの視聴者のみなさんへの挑戦です。犯人はいったい誰なのか。また、犯人はいかにしてこの完全犯罪を成し遂げたのか。答えはCMのあとです。(カメラ目線で指さしながら)君にこの謎が解けるか」
 画面が砂嵐になり何分か続く。
 「犯人は……私です。これは簡単ですね。なぜってこの物語のヒロインたる彼女の実存を抹消してしまうことのできるのは、作者をのぞけば、彼女よりも虚構内での位相が上位の私をおいて他ありえませんから。昨晩私は彼女の恋人をかたり、彼女をここへ呼びだした。彼女はまったく疑う様子もなくやってきた、その恋人にぞっこんまいってしまっていましたからね。そして交差点にひとり来るはずのない恋人を待つ彼女を、背後からあらかじめ用意しておいた出刃包丁でぶすり、とこういうわけです。ひどく苦しむものだからこいつの(蝶ネクタイを見せる)麻酔で眠らせてやりました。二度と醒めることのない眠りを眠らせてやったんです。ハハハハ。ああ、おかしい(目尻の涙をぬぐう)。しかしここまで聞いてみなさんは不思議に思うかもしれない。なぜそこまであからさまな殺人でありながら誰にも気づかれていないのか。じつは非常に簡単なのです。奇想天外なトリックを予想されていた方、申し訳ない。我々はこれまでの十億回になんなんとする連載の果てに、日本人口一億二千万人すべてを、あらゆるトリックでもって殺人しつくしてしまったのです!  これが目撃者ゼロの真相です。警察も動きようがない。なぜってその構成員すべてが何らかの殺人事件の被害者になって、死んでしまっているんですからね。最後まで残った毎回物語に絡んでくるメインキャラクターたちは私が殺しました(カメラが引いて、交差点の信号の上に小学生三人の死体が乗っているのが画面に写る)。彼女と同じ理由から私が殺さねば死ななかったからです。なるほど、ここまではよくわかった、だが動機は何なのか。ええ、ええ、それを疑問に思うのはもっともです。動機は…あなたたちが一番よくおわかりのはずでしょうに。この日本においていったん語られはじめた虚構は、それが金を生む限りは語られ続けなければならないからです。あなたたちは一億二千万人殺しても飽き足りない。あなたたちは人死にが見たくて見たくてしようがない。(大声で)バカヤロウ! おまえたちのお望みどおりに死んでやろうじゃねえか! (ふところから拳銃を取り出しこめかみにあてる)見てろ、見てろよ…(少年の膝頭が次第にふるえだし、ついには失禁する)ヒヒィ、ヒヒヒヒィ、ヒィ…いやだ、いやだぁっ!」
 少年、拳銃を捨てて駆け出す。
 「(鼻水と涙で顔面をぐしゃぐしゃにしながら)やだ、やだよぅ、死にたくないよぅ…(後ろを振り返り目を見開く)ぎゃあっ、ぎゃああああっ」
 少年の胴が突然まっぷたつになる。吹き出す大量の血。やがて完全に静かになる世界。
 以上の内容の原稿が乗った作者の机が実写で大写しになる。