猫を起こさないように
虚皇日記 -深淵の追求-
虚皇日記 -深淵の追求-

生きながら萌えゲーに葬られ(7)

 「哲学者はいかなる観念共同体の市民でもない。そのことが、彼を哲学者たらしめるのである」
 萌えゲーおたくについて考えるとき、上田保春の中に惹起するのは、もう遠い昔にどこで読んだのかも忘れてしまった、その一節だった。哲学者を萌えゲーおたくへ置換せよ。萌えゲーおたくとはこの文脈の意味する哲学者であり、誤解を廃するよう付け加えるのならば萌えゲーおたくとは思索をしない哲学者のことである。自分自身のことを振り返るとき、上田保春は家族という最小の観念共同体においてさえ、自分が異邦人であったことを思い出す。思えば三十数年にわたる上田保春のダンテ的おたく遍歴において、両親のことへ自然に言及できるおたくに出会ったことは一度だってない。おたくにとって両親とは文字通り、語義通りの鬼門である。手にした受話器の底で、遠慮がちに上田保春の近況を尋ねる母親の声が響いている。母親と会話をするとき、上田保春はいつもするようには自分の求められた役割を選択することが出来なくなってしまい、つまり母親が自分に求めている役割とは「いまの自分であってはならぬ」という目眩さえ伴う哲学的命題であり、そうして上田保春は思索できない哲学者だったので、ただの空っぽな魂の容器として吃音にくぐもった声でぼそぼそと、申し訳に応答するしかなくなってしまう。そのときの自己嫌悪といたたまれなさの大きさは、受話器を握る手の反対に苦しまずに生命活動を停止できる錠剤を手渡されたとしたら、その感情から一時的に逃れることを求めるためだけに、その永遠の死を迷わず嚥下するだろうほどである。――申し訳ない。三十路も半ばを過ぎようとしている独り身の息子へ母親が持ちかける話題として恋人とか結婚とか、萌えゲーおたくである上田保春には内面に構築した疑似的な世間知から推察するしか方法が無いのだが、もしかすると見合いなどが一般的には高い確率で出現するのかもしれなかった。しかし上田保春にはその種の話題を母から持ちかけられたという記憶が、完全に無かった。よもや、まだ間に合うと思っているのではあるまい。その推測は萌えゲーおたくである上田保春にとってあまりにも希望を含みすぎており、微温的にすぎた。息子の性的嗜好の露骨な顕現に至る過程と以後の変遷を余すところなく知る母親であるから、自分の息子が捧げてしまっている得体の知れぬ何かへの遠慮からか、世間知において我が子を鑑定しての絶望に近いあきらめからか、もしかすると――この想像が一番上田保春を苦しめる――愛情と優しさから、それらを口にできないのではないか。――申し訳ない。母親との会話でいつも感じるのは、「隣の部屋に血塗れの死体が転がっているのを知りながら、ティーポットへ付着した赤い染みに言及できないまま、紅茶ごしに談笑する男女」の醸成するだろう雰囲気である。誰もが知っているが、誰かが口に出すとすべてはそこで終わり、という状況がこの世に決して少なくないことを彼は知っている。太田総司の巨体が脳裏をよぎった。だからこそ、上田保春は母親の真意に対する想像を、人間存在を極小化するあの宇宙的恐怖から、直接に確かめたことはない。
 上田保春が学生時代に愛好したある作家の小説に、「もし全世界が云われてしまえば、全世界が救われて、終わってしまうわけです」という台詞があった。萌えゲーおたくにとっての両親とは、きっとそういう存在なのだ。自分がこのようにある理由を、存在の秘話を、神話的でも哲学的でもなく、その後の人生の存続を難しくさせるほど完全な整数として割り切ってしまうのだ。ただ両親に言及しさえすれば、小難しい理論や引用をひきならべるまでもなく、すべては平穏かつ平板な日常の用語でいたって容易に、余すところ無く言語化できてしまうのだという事実。その事実を再確認するたび、上田保春を取り巻くすべてへの実感は温度を無くし、まっさらに漂白されたようになる。そんなとき、彼は大げさではなく、魂そのものがそれなしでは生きてゆけぬパン、キリストの肉として萌えゲーを渇望していることに気づき、呆然とするのである。両親と正対するとき、萌えゲーおたくの抱える世界は言われて、救われて、厳然たる形を持つ苦悩だったはずのものはその境界を曖昧にして、全部終わらされてしまうのだった。だが、上田保春はこのように明確に思考したわけではない。もしそんなことをすれば、彼の現状を伴うならば、自殺するか発狂するかしかないからだ。しかしこの場合の発狂とは、萌えゲーおたくにとっては修辞的な脅迫にしか過ぎない。言葉が覆うことのできない脳の範囲まで意識が拡大してしまうことを発狂というのであって、上田保春の意識は脳の隅々へと余すところ無く広がり、アメーバ状に浸食してゆく彼の意識は完全に過不足なく言語化されることができた。おたくの苦悩の本質とは発狂するべき点で発狂できないことであり、彼らの異常さが一般人の許容度をはるかに越えてゆくように思えるのは、発狂するべき自意識の点にいたっても未だに言語というフェイルセーフが有効に機能し、発狂し切ってしまうことが不可能な点にある。母の電話を受けた上田保春の無意識はすべてが言語化された瞬間、脳内のフェイルセーフを機能させ、彼の意識と言語化された内容との連絡を即時に断った。つまり彼の無意識は、母親からの電話によって日常の底に開いた完全な虚無から逃れようと反応した。自己憐憫という逃避先を新たな思考経路として、上田保春の識域へ設定したのである。――申し訳ない。上田保春は受話器を右の外耳に押し当てたまま電話機の前でうなだれながら、考える。逃げてはいけない。彼はこの段階ですでにして逃げているのだが、その逃避はあまりに、ほとんど霊的なまでの高次元において行われていたので、巧妙なおたくの脳細胞は逃避そのものの存在を本人にさえ気づかせることはない。上田保春と名付けられた個体が生物的つながり、時間的つながり、空間的つながり、それらすべてから切り離されて在る究極の実存であることを、何の夾雑物も無い意識で受け止めることよりも、現実の惨めさの中にその理由を落とした方がまだ、彼の否定しつつ求める人間とのつながりを軽蔑や非難という形であったとしてさえ感じることができ、無意味が言語化されたのを見てしまう自我崩壊の危険を回避することができるのだった。――申し訳ない。自分がこのようになったのに、誰を責めるわけにもいくまい。両親はカッコウに託卵された巣の宿主であり、肉と遺伝子という連続性よりも強く我が子を規定する外的情報因子が世には氾濫し、それを拒絶できないほど自分が弱かったというだけ。結局、自分の脳髄が腐っていただけ。ただ、本当にそれだけ。何かへの所属を通じて手に入れることの尊さや、「皆で団結して、懸命に作り上げる」ことの素晴らしさを理解する。本当に、それを想像するとき涙が浮かぶほどに切望する。その憧憬のような、マスゲームの埋没への希求を上田保春は誰よりも強く持っている。しかし、真実その場所に触れることができたとして、自分が笑顔をその瞬間のままに張りつかせてたちまち嘔吐するだろうことをまた知っている。我が身を駆けめぐる毒を浄化する血清にアレルギーを持った瀕死の冒険家。それが、上田保春だった。誰に指摘されるまでもなく、自分が救われる道を上田保春は知っている。ただ、それを有効化する手段をあらかじめ封じられているのだ。母と話す限りにおいて萌えゲーおたくに革命は必要なく、あの少年との関わりにおいて昂まっていた全人類的な愛情は行き場をなくし、あるいは行き場をとりあげられて、急速にしぼんでいくのが感じられた。
 しかしながら、母の言葉はその内容がどのようなものであれ、常に上田保春に自責を含んだ特定の感情を引き起こすというだけで、母の持ち出した話題が何か深遠な命題を伴っていたわけでは全くない。母が話したのは、祖母のことだった。上田保春の中へおたくの特異さを刷り込んだあの祖母である。数年前に祖父が亡くなってから、しばらくは長女である母が自宅に引き取って面倒を見ていたのだが、祖母はいま老人介護の施設で生活をしている。母に愛情はあり、少なくともあらゆる事象に対して破滅の瞬間を先送りに長引かせるほどは愛情があり――上田保春がその典型例と言えた――、彼女が介護の負担をいとうたわけではなかった。祖母自らが、施設に預けて欲しいことを母に申し出たのである。母から伝え聞いたその契機となるできごとについて思い至るとき、上田保春は祖母への畏敬の念を新たにせざるを得ない。萌えゲーおたくが身に纏う人間存在への侮辱や軽蔑を圧倒する厳粛さが身内に湧きあがるのを上田保春は禁じ得ない。ある晩、就寝中に祖母は失禁した。翌朝、汚れた布団の横に正座した祖母は、部屋に入ってきた母が声をかけようとするのを制し、昔人の語彙でこう言ったのだった。私が自分以外のものになる前に、お前や孫たちの目の届かないところにやって欲しい。ほとんど気づかせないように振る舞っていたが、祖母の痴呆はその時点でだいぶ進んでいたようだ。毛糸玉がほどけてゆくように喪失してゆく自己、その恐慌を誰へも漏らさず現状へと踏みとどまり続けようとする祖母の克己を想像するとき、上田保春の倒錯した共感は彼に愛さえ感じさせた。自我の抑制を失った自分は、いったいどのように振る舞うのだろう。それは遺伝学的に考えても、全く意味のない仮定とは言えないと思われた。上田保春は祖母と同じ老年に達した自分を想像する。その想像はいつも、ほとんど絶叫したいような醜悪さへと逢着した。夜尿の染みを自分のものだと気づかず、男性を握りしめて息を荒げる年老いた自分。現在の自分をかろうじて人間の形に規定している社会性のたがを失い、孫ほどの園児の登校を眺めながら目を細めるのではなく頬を赤らめ、そこがまるでインターネット上ででもあるかのように通りで興奮に奇声をあげる年老いた自分。それらをありありと自身の延長上として幻視するとき、上田保春は膝が抜けるような緊張と恐怖を感じざるを得ない。太田総司を見よ。自己を律する強い意志が無ければ、萌えゲーおたくはたちまちにあのような肉の塊と化すのだ。ああ、この清らかな世界では、ただ正気を保つだけのことがなんと困難を伴うことであるか! 逆にその努力を放棄さえすれば、楽になれるのだろうこともわかっている。しかし、彼にそれはできない。なぜなら、上田保春の中には祖母がいる。彼女は上田保春の見えない背後にずっと正座して、彼の来し方、彼の行く末をじっとその澄んだ瞳で見つめている。その深い瞳をのぞきこんでも、彼女が正気なのか狂気なのか、傍らの者たちにうかがい知ることはできない。彼女の強い克己心は、誰の同情も共感も許さない。
 一度だけ、上田保春は母には告げないまま施設へ祖母を訪ねたことがあった。その理由について言えば、祖母のことを心配してなどという人並みのものでは全くなかった。母に連絡をしなかったのは、その動機が全く自己中心的なものでしかないことを知っていたからだ。上田保春はただただ、彼におたくの特異性を刷り込んだあの事件の真相を知りたかったのである。国道を少しそれた山の中腹に祖母の入所する施設はあった。駐車場はバスの停車場所をも備えた広大なものだったが、訪問した曜日と時間帯もあったのだろうか、寒々しいほどに車の数はまばらだった。車を降りると真っ先に、漂白されたように清潔な平屋の建物が視界に入った。いったい心のどの部分からなのだろう、自分と世界との意味のつながりを寸断する不可思議な感情が湧き上がってくるのを押さえつけるために、上田保春は立体視の要領で両目の焦点部分をずらしながら脳内に猥褻な単語を連呼した。予想していたのに反して、受付では二三の質問があったきりで不審そうな素振りすら無かった。イレギュラーな訪問客には慣れているのかもしれない。施設の職員は上田保春を案内しながら、「偉いですよ、あのおばあさんは」と述べたが、その言葉は要するに「手間がかからない」の社交的な言い換えに過ぎなかった。割り当てられた個室で祖母はベッドの上に正座をし、窓の外をじっと眺めていた。上田保春が近づいて来るのに気が付くと、皺に顔のパーツを埋没させるやり方でにこりと微笑み、「こんにちは」と言った。長い萌えゲーおたく生活の中で、抱いた感情に相手が名前をつけるよりも先に察知することに長けた上田保春は、その表情の様子、声の調子だけで祖母が自分のことを全く認識していないのがわかった。会釈して、ベッドの傍らにある椅子に腰掛けた孫へ、祖母はその日の天候のことに始まり、他愛の無い話題を次々と投げかけてきた。しばらくそれへ相づちを返しながら、やがて上田保春は祖母の話題が彼女のベッドの上から実際に見えるものだけに限定されていることに気づく。そして、その質問は相手のYesかNoの返答をだけ予期すればいいものばかりだった。ほんのかすかな涙が膜のように眼球の表面へ張る。視界に歪む祖母。上田保春は萌えゲーの少女を見るときのような哀切に、胸が締め付けられるのを感じた。祖母はこの世のすべての干渉を拒絶して、あらゆる人間に対して他人のように振る舞うことによって、この世界に正気を保ち続けているように見せかけていたのだ。上田保春には、それを滑稽と断じることはできなかった。上田保春が日常で行っている操作と、祖母の行動はいったいどこが違うというのだろう。その操作はあまりにも強い自制心によって行われていたので、肉親以外ならばきっと彼女の正気を疑わないだろうと思えた。偉いですよ、あのおばあさんは――上田保春の抱いた感情は施設の職員と全く同じ言葉で表現されたが、両者の間には目眩を伴うような長大な距離が横たわっているのが感じられた。弱い違和感と表現してもいいだろう上田保春のその感情は、おそらく永久に誰とも共有されることがない。発される形は同じ言葉として何ら変わるところがないのに、そこに含まれる本質はもはや絶望的に違ってしまっている。その差異は、一見して認識できないほど細分化されてしまっているので、現実には存在しないと仮に定義したところで、この世のすべての場所において何の不都合も生じないだろう。地上で最後の言葉を話す語り手、覆しえぬ圧倒的なマイノリティ、しかし彼でさえその存在を異なるものとして認知されて死んでいくことができたのではないか。上田保春は、誰とも異ならない。なぜならその差異を表現する手段はどこにも無いので、誰にも見ることができないから。気がつけば目の前に、まるで萌えゲーの少女のように澄んだ瞳をした祖母が、上田保春をのぞきこんでいる。しかしその瞳はすべてを拒絶しており、言語として記述されたシナリオ以上の背景を持たない萌えゲーの少女と同じ空漠を、虚無をたたえていた。上田保春は両腕をもみしぼりたいような焦燥感に襲われた。しかし、その中身を言語において表現される具体的な形として同定することは、ついにかなわなかった。あなたの孫だと切り出せないまま時は流れ、やがて面会の時間は終了した。無言で立ち上がる上田保春に祖母は、「お帰りになるんですね」と微笑んだあと、昔人の語彙でこう付け加えた。もう来ない方がよろしいですよ、次にお会いするとき、いまの私はいないかも知れませんからね。上田保春は祖母に背を向けて足早に病室を出ると、トイレの個室へと駆け込んだ。扉を閉めた瞬間に、口から嗚咽がほとばしった。それが自分のためだったのか、祖母のためだったのか、上田保春は未だにわからないでいる。
 だから、祖母が正気を取り戻したと母が告げたとき、上田保春はまさにこの世の奇跡を聞かされた気がしたものだった。祖母は、祖父の死んだ家へ戻ることを望んでいるのだという。上田保春の心には少年時代の夏の記憶を多く占める、山中に通い馴染んだ藁葺き屋根の一軒家が想起された。あの場所での記憶が、墜ちていこうとする自分をこの清浄な世界へ最後の一線で足止めしている。私はそこで死ぬことが決まっているから、連れていってくれるだけでいい、最期の始末は自分でつけるから。そう言って祖母は聞かないのだそうだ。姥捨てでもあるまい、まさか老女をひとり山の一軒家に置いていくわけにはいかない。しばらくは、いっしょにそこで暮らすことになるだろう――祖母が再び自分を失うまでは。どのくらいの期間になるか見当もつかないし、生活に必要なある程度の荷物を持ち込みたい。この週末に車を出してくれないだろうか。それが萌えゲーおたくの息子にする、母のささやかな要請だった。上田保春は電話口に母の声を聞きながら、動悸が早まっていくのを感じていた。あの自責と罪悪感は、いつの間にか消えていた。上田保春の聖地へ、いま託宣の巫女が帰還を果たそうとしている。はるかな昔、上田保春の鼻先で閉じられた扉が、彼がいま現在見ているようではない正しい世界へと続いているはずのその扉が、神話的にさえ思える長い長い時間を経て、再び開こうとしているのだった。扉の向こうにあったものを手に入れられなかったがゆえのディアスポラ、それがようやく終わりを迎えようとしているのかもしれない。生返事に受話器を置いた後も、上田保春は意識をそらせばたちまち霧消してしまうほどかすかな、希望のようなものにとらわれ続けた。そこへ、充電中の携帯電話が自宅でのみ可能な最新のアニメ系着メロを鳴らした。上田保春はほとんど無意識で携帯電話を取り上げ、着信の番号を見るいとまもあらばこそ、電源をオフにした。上田保春は自分自身へあまりに深く没頭していたので、電話の相手が彼のことをまさにその瞬間に、他の誰よりも強く求めていたのかもしれないことへ思いを巡らすことができなかった。若い時代には、生死さえ分ける苦しみが訪れる特別な晩がいくつか存在するものだ。後になって、上田保春はこのときのことを幾度も思い返すことになる。上田保春の罪はナルキッソスの罪。自分の内側へと閉じこもり他人を見なかった罪。世界より重大な自分、世界に優先する自分。しかし現状を看過することさえ困難な人間の視力の中で、誰がそれを罪と言うことができるのだろう。世界の本質に対する宿命的な弱視と、つかんだ手をただ引き上げることができないほどの脆弱さと、失敗したという事実だけが音も無く水底に積もってゆく罪悪感と。眼前へ並べられた血塗れの自殺器具、傲慢な神が信仰を得るためだけにそろえた大きな自己否定を前に、人間の意識はきっと罪へと陥れられるようにできていた。だが、少なくともこの夜の上田保春は、狂おしく求め続けてきた、そしてすべては虚しく終わるはずだった、自己存在の秘儀が明かされるのではないかというかすかな希望のようなものに、歓喜と畏れの狭間を揺れ続けたのだった。

生きながら萌えゲーに葬られ(8)

 腰を真横へスライドさせる度に組み敷かれた田尻仁美がギャアギャアと、ちょうど生ゴミを漁るところへ石を投げられたカラスのように鳴きわめくので上田保春の欲情はいっこうに昂進せず、ただ勃起を維持するので精一杯だった。加えて普段からの不摂生により人並み以上に皮下脂肪と内臓脂肪をたくわえた腹で、射精に至るほど連続的なピストン運動を続けることは極めて困難と言えた。妄想世界で少女にする荒々しい、しかし手首の運動だけを伴った自慰から得るあの激しさを、全身を用いて局部に与え続けるのは至難の業である。そして羞恥から婉曲表現に頼ることを許して欲しいが、脈動する女性のヨグ・ソトホートの形状や状態によらず、適切な瞬間に適切な圧を男性に加えるのに自身の握り拳よりそれがふさわしかったことを彼は未だ経験したことがない。また、萌えゲー内の絶好の射精ポイントを求めて男性性を達成する瞬間を操作することに長けた上田保春は、自慰の激しさと相まってほとんど遅漏でさえあったので、自分が快楽の絶頂へ到達するためというよりはむしろただただ田尻仁美が早く果ててくれることだけを願って、運動部の兎跳びのごとき非科学的なこの苦行に耐えていたのだった。また、右利き用マウスを使用する上田保春の局部は左手で習慣的に強く握られ続けてきたため右方向に大きく湾曲しており、通常の膣を有する女性との媾合においてその体位は正常位とは名付けのみ異常さで、身体と身体が直交する有り様はほとんどカギ十字の様相を呈した。それがどういう作用だろうか田尻仁美にとっては性的に敏感な部分を強く刺激される結果になるらしく、先ほどからもう気の狂わんばかりの悲鳴を上げ続けている。こんなふうに性交を避けられない場合にいつも浮かぶのは、バイザー型のモニターを萌えゲーの画像が満載された自宅のパソコンに接続し、それらを閲覧しながら交接させてはくれないものだろうかという、当の女性が聞いたのならば瞋恚に鼻血を吹くような人道に外れた妄想だった。それさえ可能なら、現実の性交はもう少し悦びに満ちたものになるに違いないのだが! 上田保春は本当に心の底からそう感じているのであり、これを聞いて誰もが彼の性癖を異常だと糾弾するのに何の躊躇も必要あるまい。しかしそれにしても――上田保春はあえぎ声をあげつづける田尻仁美を冷静に観察しながら思う。もう少しあの萌えゲーの少女たちのように計算された繊細さをもって声をあげてはくれないものか。そう考えて再び、上田保春は自分をこの安宿に留めている理由に思い至り、勃起がたちまち萎えてゆこうとするのをくい止めるために決死のスライドを開始するのだった。田尻仁美が絶叫した。その悦楽の没我に歪曲する顔面を至近距離から眺めながら考える。――この女は、なんて藤川愛美に似ていないのだろう。上田保春が感慨に漏らした藤川愛美なる人物を簡単に説明するならば、彼の愛好する萌えゲーに登場するキャラクターであり、更に詳細を期すならば蛍光色の頭髪をした十八歳の小学生であると表現できるだろう。だが、この場面に至るためには少し時間を遡行する必要がある。
 母からの電話を受けた翌日のこと、週末に備えて定時に職場を離れようとする金曜日の上田保春へ声をかけてきたのは、田尻仁美だった。今夜お暇ならご一緒願えませんか。上田さんにご相談したいことがあって。男性に対して何か効果を与えるのだろうと確信している素振りで上目づかいに彼を見つめながら、田尻仁美はこう切り出した。しかし、上田保春はご存じの通り並大抵の男性どころではなく、また彼の頭は全く別の思いによって占められていたので、その申し出に正直なところ「鬱陶しい」以上の感情を抱くことができなかった。お気に入りのアニメ声の君であるから、昨晩の母からの電話が無ければまた状況は違ったかもしれない。週日の上田保春は現実から可能な限り萌えゲーを楽しむ時間を切り取るため求道者のように振る舞い、それが仕事の能率と結果としての評価を彼に与えていたのだが、萌えゲーに耽溺する豊潤な時間を翌日に約束された週末は、仕事以外で同僚と交流することにずいぶんと寛容な気持ちであることができたし、自宅の床から積みあげた萌えゲーの量が少ないような晩は自分から誰かを誘うことさえあった。もっとも、萌えゲーを堪能し尽くした日曜の夜にはこの物語の冒頭で見たように、萌えゲーおたくであることの罪悪感をも同時に味わいつくし、精神的に衰弱するほど疲れ果ててしまうことが常だった。上田保春の社会での活動はその意味で贖罪の行為に近く、彼の日常は罪を犯すことと贖うことを一週間というスパンで繰り返しており、ほとんど絶海の修道院に住む尼僧の日々と変わらぬと言えた。ともあれ全く便利な日本語、上田保春は主語と述語を曖昧にし、かつ語尾を濁して、それでも今夜はつきあう気持ちは無いということを田尻仁美に明示する。普段ならばあり得ないことだったろうが、なおも何か言いつのろうとするのをほとんど無視して鞄を取り上げ、その横を通り過ぎた。上田保春の抱く思いはあまりに重大だったので、この瞬間の田尻仁美は彼にとって物語の進行上に現れた障害物に過ぎなかった。要するに、無視する権利のようなものを身内に感じたのである。しかし、個人の抱く思いの重大さというものは、そこが現実である限り世界にはわずかの影響もなく、上田保春が感じたような権利は言ってみれば都合のいい虚構に脳を毒されたがゆえの錯覚でしかない。それを証拠に彼が田尻仁美を無いように扱えたのもそこまでだった。廊下を歩み去ろうとする上田保春の背中に彼女はこう声をかけたのである。「相談というのは、藤川愛美さんのことなんですが」
 上田保春は驚愕した。意識が空白化し、全身が金縛りのように硬直する。鞄が指からすっぽ抜けて、よく磨かれた床を回転しながら滑ってゆく。思わず内面の動揺を表してしまったことを後悔するが、すべてはすでに遅かった。振り返れば、田尻仁美が明らかな優越を瞳に浮かべている。是非、上田さんと彼女のことをお話したいものですわ。その奇形な唇に勝ち誇った微笑みがゆっくりと形作られるのを彼は呆然と眺めた。一瞬のうちに攻守は逆転し、もはや否の返事は許されていなかった。
 寒い大地を強制的に連行されるイメージで、悄然とつき従う上田保春。繁華街のざわめきを通り抜け薄暗い店内を案内された先は、まさにこういう誰にも聞かれたくない際の会談にはうってつけの個室だった。田尻仁美はこれから行われる脅迫行為を誰にも知られたくないはずだったし、上田保春はその脅迫材料を誰にも知られたくなかった。部屋の光源は卓上に置かれた硝子細工の内側に輝くキャンドルと、部屋の四隅の床からぼうっと浮かぶ間接照明だけだった。上田保春は肩幅の内側へ両腕をもみしぼるようにし、落ち着ける先が無いかのように視線をさまよわせた。田尻仁美は満足そうにその様子を眺めると、店員を呼ぶためのブザーを押した。このときの彼の行動は相手の優越を満足させるという一点において為されていたので、彼が特別このような機会に慣れていないというわけではなかった。上田保春は萌えゲー以外の嗜好を持たないがゆえに、この社会という場所ではあらゆる執着と欲望から切り離された完全な空虚であり、誰かの感情への共振でその杯を満たすことで、連日連夜彼が陵辱する萌えゲーの少女のように、相手の要求だけにぴったりと当てはまるオーダーメイド的人格を顕現させることができるのだった。もっとも萌えゲー愛好にたどりつくような上田保春にとって、相手の嗜虐をさそう人格が最も得意とするところだったのだが! その意味で皮肉にも田尻仁美との相性はぴったりであると言えた。だから、この後に記述される上田保春の言動にはむしろ田尻仁美の内面が照射されていると捉えた方が、より正確に状況を把握できることだろう。屠殺場で眉間に単銃を撃ち込まれるのを待つ牛のように、じっと黙りこむ相手を気にもとめず、田尻仁美は手慣れた様子で注文を済ませると取りだした煙草にやくざな仕草で火をつけた。その動作は自分の行動に対する疑いを一片も感じさせないほど滑らかで、まるで獲物を追い込む肉食獣の舌なめずりのように上田保春の目に映った。実際その通りだったのだろう。田尻仁美は煙草を吸いたいからというより、許可なく煙草に火をつけることで自分が優越した立場にいるということを知らせるためにそうしたのである。上田保春は敵のテリトリーに誘い込まれ、完全にイニシアチブを握られてしまったのだ。何か言おうと彼が唇をわずかに開いたその瞬間に、田尻仁美は滑るような動作でハンドバッグに手を差し入れると、一枚の葉書を取りだした。「これ、たぶん見覚えあると思うんですけど」
 人差し指と中指で挟んだ葉書をキャンドルの上にかざしてみせる。そこに萌えゲー制作会社の名前が印字されているのをはっきりと読みとることができた。定規で「行」の上に二重線が引かれ、見慣れた神経な細い筆跡で「御中」と訂正がしてある。住所・氏名の欄には果たして「上田保春」と書かれていた。萌えゲーおたくの無意識は常にすべてをご破算にしたい欲求を孕んでいると彼は恐れ続けてきたが、まさにその予感は当たっていたのである。思い返せばこれまで胸元へ差し込む現実を和らげようと、飲めぬアルコールを無理に流し込んだ夜がいくつかあった。青い血の貴種が人外の獣と同じ局部を持っていることを放言できぬ床屋の鬱積と同じように、声に出せぬ思いが消えてゆくことは決してない。それは忘れたように思っても意識の裏側に隠れていて、やがて腐り、醗酵し、平衡感覚を奪ってゆき、ついには発症するのだ。上田保春はネット上の匿名巨大掲示板にさえ、当局の萌えゲーおたく追跡を半ば本気で恐れるあまり書き込みをしたことは無かった。そんな彼の無意識は宿主にただ正気を保たせるために、アルコールの力を借りて強すぎる抑圧を緩和し、脳髄の外へ残してはならぬはずの歪んだ情念を、二次元に描かれた少女を心の底から愛しているのだというその叫びを、アンケート葉書の裏へびっしりと書き込ませたのだった。いったん吐き出しさえすれば満足するのは脳髄であろうと陰嚢であろうと同じことで、朝起きて葉書が見あたらないことを彼はそれほど深刻には捉えなかった。どこか家具の隙間にでも滑り込んだに違いない、引っ越しのときには見つかるだろうなどと軽く考えたきり、完全に忘れてしまっていた。隣人に萌えゲー愛好を察知される寸前を引っ越し時期に決めている上田保春だが、どれだけ用心していても思わぬ瞬間というのはある。一度などは、会社の設備点検の影響で臨時の休みとなった平日に自室でくつろいでいたところ、突然大家がドアの鍵を開けて入ってきたことがあった。そのとき大家の視界に映ったものは昨今のニュースに見慣れた、既視感と危機感を同時に伴う映像だったに違いあるまい。午後を奔走し、翌日、上田保春は会社に有給休暇を申請すると引っ越しをした。敷金は戻ってこなかった。大家は、「あんな部屋の使い方されちゃねえ」と言った。つまり、敷金が返却されない理由は壁一面に貼られた萌えゲーのポスターなのだった。上田保春が管理権を越えた蛮行の数々を訴えようと思わぬのは、萌えゲー愛好を知られたおたくに世間の同情など集まろうはずがないからである。引っ越しの当日、ガスの元栓を閉めても閉めぬと常に告げる上田保春の衰弱した意識が、一度階下まで降りた彼を空になったはずの部屋へと戻らせた。扉を開くと、大家が壁に塩をぶつけている真っ最中だった。悟られぬようそっと元のように扉を閉める上田保春。陪審員制度の導入に彼が危機感を覚えるのは、例え訴状の内容がどのようなものであれ、萌えゲーおたくはすべての裁判で敗訴を避けられないだろうからである。少々話がそれたが、萌えゲーおたくがこんな形で露見することを上田保春は想像すらしたことが無かった。田尻仁美の掲げる葉書は実のところ、残業で郵送できず持ち帰った仕事の封筒といっしょに彼自身が投函してしまっていたのだったが、それはこんな形での破滅を想定した行為では無論なかった。いったいいくつの偶然が重なればいま置かれているこの状況へと至るのか、もはや見当もつかない。物語の成就を偶然に多く頼る萌えゲーをモニターの前で罵倒し続けてきた上田保春は、それが人間の意識では計測することの出来ない何かの総称であることを知らない。この世界に潜む偶然を極力排除しようとする姿勢に科学文明の基があることに思い至らず、まさにいまその無知と罵倒によって彼は復讐されつつあるのだった。もちろん、上田保春だけを責められたものではない。少年の言葉ではないが、人は意味づけできない偶然よりも、どれほど貧弱であれ常に自身の解釈を優先して採択するものなのだから。しかし、なぜ田尻仁美がこの葉書を持っているのか。口を半開きにした上田保春が葉書から視線を外したのを見て、彼女はすべてわかっているといったふうにうなずき、声にされないその疑問へ厳かに回答を与えた。「藤川愛美の声を当てているの、私なんですよ。気づきませんでしたか」
 そうして両拳を口元に持っていってポーズを作ると、二三度わざとらしく目をしばたかせた後、田尻仁美は「あたし、お兄ちゃんが欲しいの」と言った。それは本当に、藤川愛美そっくりの声だった! 上田保春はまず目眩を感じ、次に手元にあるグラスを田尻仁美の顔面に投げつけたいような気持ちに駆られた。猫をモチーフにした国民的有名漫画キャラの声優が、料理番組で子ども相手に声の芸を披露し、ハンバーグの種を投げつけられるのを偶然テレビで見たことがあったが、上田保春の気持ちはまさにそのときの子どもが抱いただろうものと同じであった。つまり、大切な何かを冒涜されたと感じたのである。彼の抱いた感情はいたって真面目なものだったし、傷つけられた思いはきっとあの子どもと同じような純真さにあふれていたが、何をおいても彼の信仰の対象は性交のためだけに、更に言えば男性の勃起を満足させるためだけに彫刻された萌えゲーのキャラクターだったので、自分の感情の真剣さを理解させるため全身全霊で反論しようとも、軽蔑の鼻息ひとつで充分にすべての試みは吹き飛んでしまうだろう。上田保春の脳内で十二人の怒れる陪審員が陪審席に立ち上がり、立てた親指を下に向けながら、「死刑」を連呼するのが聞こえる。それは子ども時代に抱いた無力感に似ていた。例えば夏中をかけて集めた大量の蝉の殻を父に捨てられたときの感じ。相手の側が圧倒的に力を持っているので、言葉に託した取り替えのきかないほど重大なはずの感情が全く無化されてしまう、あの感じ。田尻仁美の話すところによれば、学生時代に所属していたアニメ同好会の後輩の一人がアダルトゲームの制作会社を経営しており――上田保春が葉書を送付した会社だ――、数年前まだ同人サークル規模だったときに安価な声優の一人としてゲーム音声の録音に呼ばれたとのことだった。何人分も声色を変えて一日あえいで、五千円ですよ。これが結構、未だに売れてるみたいで、わかってれば私、買い取りじゃなくてもう少しお金もらえるようにしたんですけど。ほとんどドサ回りの演歌歌手、あるいは弱小プロの売れないアイドルのような調子だ。そしてやはり、上田保春のデスクに萌えゲーの雑誌を置いたのは田尻仁美だったのである。出演した萌えゲーの紹介記事が掲載されているのを、その後輩が律儀に郵送してくれたのだそうだ。藤川愛美への熱烈な愛情がしたためられた、ファンからのアンケート葉書を同封して。これを聞くに至って、上田保春には何か巨大な意志が自分を破滅させようと画策したのだとしか思えなくなる。アンケート葉書に書かれた名前を見て田尻仁美は最初、同姓同名の別人ではないかと考えたが、経理部の社員名簿を繰るうちに真相へたどりついたのだった。そう言えば、いくつか思い当たるフシはありましたよね。その言葉は誰にでも可能な結果論に過ぎなかったが、それでも上田保春の自尊心を傷つけるのには充分な効果を発揮した。完全に萌えゲーおたくを隠し続けることが、彼の自己定義の一つだったのだから。気がつけば眼前には料理が運ばれてきており、田尻仁美は手酌のアルコールにひどく酔っているようだった。上田さんが誰にもなびかないのは社の外に彼女がいるからだってみんな噂してましたけど、まさかこういうのが好きだなんて思ってもみなかったわ。そう言うと田尻仁美は、藤川愛美が初めての性交時に頬を赤らめるときのように、再び両拳を口元へ持っていき――あたし、お兄ちゃんの欲しいの。料理の上へ眼を伏せたままその声を聞いた上田保春は、股間にかすかな勃起を感じた。相手の顔さえみなければ、それは彼の愛する藤川愛美だった。田尻仁美という現実の肉を得たせいで彼の内側に死んでいきつつある少女を想って、彼は気づかれぬようひっそりと落涙した。架空のキャラクターぐらいに何を泣くことがあるのかという嘲りの響きは、もはや上田保春にとって実験室のマウスへ定期的に流される死なない程度の電流のように、抗議に首をもたげるのも億劫な、通り過ぎるのを待つ何かに過ぎない。なぜ電流が流されるのかは知らない。その意味を知っているのは神か悪魔か、上田保春で実験をしている存在だけだ。この世は地獄だ――彼はそう感じたが、彼の感じる地獄を共有できる相手は見渡したところでどこにもいなかった。
 田尻仁美は上田保春の沈黙をどうとらえたものだろうか卓上に手を伸ばして来、彼の手にそっと重ねた。彼女の手は熱を伴って、ほとんど焼けるように上田保春には感じられた。拒絶する素振りが無いのに調子を得て、田尻仁美はゆっくりと手の甲を愛撫し始める。人肌のぬくもり。上田保春は自分の意識とは完全に乖離しているにも関わらず、身体を切実に促すような感覚が胸の内に生まれるのを冷静に観察した。萌えゲーおたくとは肉体よりも頭脳での世界理解が先行してしまった人たちを指すのかも知れない。知的レベルの高さは問題にならず、人肌に触れるとか、人間的営為の当たり前の素朴さに簡単に降伏してしまう。このときの上田保春も例外ではなかった。強く拒絶を表すこともできたはずだが、それをしなかったのだ。生物としての本来的な部分が渇いており、その渇きに水を注いでくれるのならばどのような相手であれ、他の事象に対する内省を度外視した高い論理性や、それほどまで強くては自分以外の存在を少しでも容認できまいと思えるほど先鋭化した批判精神もみるまに吹き飛んで、たちまち腹を見せて完全な恭順を示してしまうのだ。その滑稽さを避けるためには、贅を尽くした釈尊が赤子を踏みつけて出家したように、肉を得てから知に至らねばならぬ。これを順番ぐらいのことと軽視してはいけない。愛していると言ってから交接すれば結婚だが、交接してから愛していると言えば犯罪である。普段は高慢な女性がその裏に男性へ屈従する弱い気質を隠しているからこそ彼女の罵倒を楽しめるのであって、普段穏やかな笑顔で微笑みかける女性がその裏に自分のことを生理的に心底嫌いぬいている事実を隠しているならば、それは現実そのものでしかない。肉というのは象徴的にはこの世を二分した際のこちら側の本質であるが、こと男性においては下世話なほどに手っ取り早く女性という形を取る場合が多いようである。ただ知から始めてしまったがゆえにその知の偉大さや研鑽にも関わらず、後に肉に陥落してしまう喜劇的な滑稽さを呈するのは例外なく男性である。釈尊が仏敵魔羅に幻惑されなかったのは、充分に肉を知っており、それに飽いていたからに他ならないと上田保春は思う。そして、賢明な誰もが見ないふりで目を伏せてくれているのにわざわざ歩み寄って腕をつかみ「あの感性が私に欠けていたものだ」だとか、「知に携わる者が肉を言ってはならぬ」であるとか、問いもせぬのに聞かせてくる段へ至っては何をか言わんやである。女性は男性個人にとっての救済になることはあっても、世界と同義では無い。つまり、当人以外を救うには全く効果を為さないという当たり前さに、順番を違えただけ盲目になってしまうのだ。上田保春は田尻仁美に触れられた際の心の動きを自覚し、漠然とそんなふうな分析の言葉で追ったが、それは内から出て内へ還るだけの、一瞬浮かんでは永遠に消えてしまう類の思考の泡沫に過ぎなかった。
 田尻仁美が欲情に渇いた唇を、煙草の常習で茶色く染まった舌先で湿すのが見えた。その唇はいまや濡れ濡れと輝き、上半身と下半身を直結するあの暗喩を持ち出すまでもなく、欲情しているのだった。田尻仁美は上田保春に欲情しているのだろうか。いや、彼女はこの状況に欲情しているのだ。自分好みの面相をしたフェミニンな男子を脅迫し、追いつめ、屈服せしめるという現在の状況そのものが、彼女を欲情させているのだった。だとすれば、彼に与えられた役割はただひとつである。気弱げに睫毛を伏せて、膝に握ったこぶしに視線を落としながら、かすれた声をしぼるようにして、「それで、田尻さんはいったいぼくにどうしろとおっしゃるんですか」と上田保春は言った。我が意を得たりと、田尻仁美の両目が爛々と肉食獣の輝きを浮かべる。ああ、生命! 田尻仁美の有り様はまさに生命の営みそのものではないか! 彼女のような生命力が無ければ、きっと人類はゆっくりと滅びてゆくに違いないのだ。それとは真逆に、自分はただ清潔でありたいのだろう。生きることのみっともなさや、みじめさや、不潔さとはすべて遠いところにありたいと願っているのだ。田尻仁美は全く正しい。しかし、上田保春の中の生き物の部分は誰かの肌を触れたいと切望しているのに、生命の、否定的な意味ではない不潔さを目の当たりにして嘔吐に近い感情をもまた禁じ得ないでいる。自分が誰かから本当に好かれるなどということはあり得なかった。過去、上田保春と関係を持つに至った女性たちは、彼のあまりの没交渉ぶりに――性交が少ないという意味ではない――自然と離れていったものだった。社会的な場でのつきあいから私的な関わりへと移行するにつれて、上田保春は母からの電話に受話器をかかげてうなだれるあの上田保春となり、つまり、役割を満たされない彼は完全な空虚でしかなかったので、どの女性もそこへ注ぎ続けるほど自己愛から離れて、あるいは傲慢に響かないように言い換えるならば、献身的ではあれなかった。そしてようやく獲物を手に入れた田尻仁美の歓喜にも関わらず、上田保春にはもう事の顛末がわかっている。この一夜にしたところで、過去と全く同じ経過をたどるに違いなかった。――ああ。上田保春の胸に感慨が去来する。身体の中にある動物から離れて、自分は聖者でありたいのだろう。この世の汚れからすべて離れて、自分は聖者でありたいのだろう。
 ネオン街の安宿にチェックインし、背後に防音仕様の重い扉が閉まる音を聞く。ネクタイを引き抜き、ワイシャツの第二ボタンまでを外した状態でベッドの前に逡巡する上田保春へ、田尻仁美はまさに文字通り襲いかかってきた。そのときの彼女は本当に、何の比喩でもなく肉食獣そのものであり、飛びかかってくる彼女を眺めながら、逃げられない距離でライオンと遭遇してしまったときのインパラのように、運命を――あるいは不運を――受け入れる澄んだ瞳で彼は立ちつくすしかなかった。ベッドの上に押し倒され、奇形によじれた唇を重ねられる。女性は男性をレイプできないというのは、嘘だ。弱気な男性が筋力に訴えることができないような脅迫を用意しさえすれば、女性は男性の性を生贄の屈辱と共に思う存分むさぼり、蹂躙することができる。女性器が刺激に応じて本人の意思に関係なく濡れるように、男性器も刺激されれば本人の意思とは関係なくただ勃起する。例えば日曜の午後、プレイする萌えゲーが無いような際に文字通り手慰みにする手慰みを考えれば、それは明らかだ。頭の中では別の考え事に没頭しながら、手首の刺激だけで射精に至ることは極めて容易だからである。愛していないからエレクチオンしないといったふうな劇的展開は劇画内でしかあり得ず、物理刺激が最大の性交要因でないとすれば知性を発展させる長い長い道程の途上で大半の雄猿たちは童貞のまま果て――この場合童貞であるからして、「果て」のコノテーションは「死ぬ」でしかない――、間違いなく人類は滅亡し、今日の萌えゲー隆盛は無かっただろう。愛情とは滑走路の誘導灯のようなもので、それが無くともランディングは不可能ではない。ベッドの上でそうこう考えるうち、こじ開けるように田尻仁美の舌が上田保春の口腔に割り込んで来、彼の舌を、唾液を、むさぼるように吸い上げる。上田保春は田尻仁美の内蔵の臭いを感じ、喉の奥に嘔吐を覚えた。現実と萌えゲー少女の間にある違いを考えたとき、それは臭いではないかと上田保春は思う。例えば、唾の渇いた臭いは最悪だ。特にこういう接吻などの際に他人の唾の渇いた臭いを口腔から鼻腔へ感じるとき、上田保春の中にある現実へ干渉しようとする積極性、女性との交接の場合には相手を征服しようという精神的昂揚はすべて萎え果ててしまう。例えどれだけ映画やアニメや萌えゲーが進歩しようと、これらを並列に並べる段階で上田保春の精神はかなり深くおたくという病に冒されていると言えるが、臭いだけはきっと再現されるまい。それは現実そのものであり、どんなにある虚構が現実に似た迫真性を持っていると称揚されようとも、現実そのものであっては心からの没入などあり得ないのである。脳内に神を自作することで人間は世界を理解すると言った誰かがいたが――上田保春の無意識は現実にあるささいな情報を拾い集めることで彼を守る予言視のような役目を果たしており、この瞬間にその誰かのことを具体的に識域に持ち出すことはなかった――、脳というフィルタを通じて現実の真の様相を希釈することでしか、現実をある一種の虚構として判断し、体験することでしか、人間は世界を理解できないように作られている。だから、省略の妙味によって映画やアニメや萌えゲーへの没入は存在し得るのだから、これ以上の迫真性をそれらが持たされてしまうことが無いよう上田保春は切実に祈るのだ。そしてその理屈で言えば、現実の女性と性交するよりもアダルトビデオを見ながらの自慰の方が素晴らしく、アダルトビデオを見ながらの自慰よりも萌えゲーの少女を見ながらの自慰の方が間違いなく素晴らしい。上田保春は真の意味での萌えゲー愛好家であったので、萌えゲーに登場する少女たちが現実に存在したらと切望することはない。現実に存在する彼女たちからは何らかの臭いがするに違いないからである。現実に存在するということは何かを殺すということで、殺せば少女たちは食べざるを得なくなり、食べてしまえば内蔵からは臭いがするだろう。例えメロンパンを愛好するといったような愛らしい設定に頼み極力内蔵から臭いがしないようにし向けたとして、食べてしまった少女たちは排泄をせざるを得ず、そうなれば少女たちの使った便器からは臭いがするに違いない。萌えゲーの少女たちが現実にいて欲しいと願うこと、それは窓辺のジャーに仮面を保存するようなすべての孤独な人々が避けられない人恋しさのすり替えに過ぎず、上田保春はそれがわかっているから、萌えゲーの少女たちにはただ画面の中から微笑みかけ続けて欲しいと願うのである。それはまた、彼が現実へ留まり続けたいという祈りとも言えた。
 しかし、こんなふうに想像することもある。明日に祝日か日曜日をひかえた深夜、窓の外の雨音を聞きながらパソコンのモニターだけが光源の薄暗い部屋で、下半身を剥きだしにしたまま自慰にいそしむ自分。ほとばしりをぬぐい取ったティッシュを別のティッシュで丹念に包む作業の途中で、ふと背後に気配を感じる。振り返ると、そこには暗闇に発光するように、萌えゲーの少女が立っているのだ。おそらく上田保春という意識はその瞬間に終わりを迎えることができるだろう。自分の描いたキャラクターが迎えに来たのを振り払って逃げた漫画家のように、上田保春の意識は現実に留まり続けるという意志の継続によって成立している。もし、現実に萌えゲーの少女を見ることができたのなら、彼は自己定義を完全に崩壊させられ、終わることができるだろう。人の内罰性は、罪責感を終わらせることができるという一点において、時に自己の消滅を快楽に転じることがある。かろうじて正気を保った上田保春の現在はその想像に、うしろに立つ萌え少女にホラー映画と同等の恐怖を感じるが、しかしそこには快楽も同時に潜んでいた。
 田尻仁美の寝息が聞こえる。シーツの下に上下する、萌えゲーの少女のようでは全くない、生命力に満ちあふれた分厚い両肩を上田保春はまるで無感動に眺めた。それはただの物体に過ぎなかった。――私はこれを愛せない。視線を戻し、初めて見る天井を眺めながら、上田保春は人と触れながら人と触れられぬあの孤独を感じた。田尻仁美のせいではなかった。これが別の誰かであっても、やはり彼の感じる孤独は同じものだっただろう。腐っているのは、結局自分の脳髄だけ。ただ本当に、それだけ。その究極のはずの感慨へ思いめぐらすとき、しかし彼の心は少しも真理を得た気持ちがしない。この世にはまだ底があり、それは自分に対して永遠に秘匿されているのではないか。彼の推測は実のところ正しかったのだが、萌えゲーおたくの脳細胞はなぜだろうか、もしかするとそれの運ぶ外的情報因子を絶やさないために、この世の底を垣間見せることは無いのやも知れぬ。枕元の時計は深夜二時を指していたが、どうやらもう眠れそうにもなかった。十代の頃にはこんな夜がいくつもあった。だから、あの頃のように上田保春はじっと待つことにした。床に脱ぎ捨てられた背広の内ポケットから携帯電話を取りだして、着信の履歴をぼんやりと閲覧する。大量のスパムの中にあの少年からの着信を確認するが、それはメールではなく通話によるものだった。こみ上げる寂しさが上田保春にリダイヤルの操作を促すが、少年が電話を取ることはついになかった。音を立てないようにそっと携帯電話を畳むと、ふと部屋の入り口に気配を感じたような気がして、上田保春は半身を起こす。しかし夜目をこらしても、そこには誰もいなかった。再びベッドに身を横たえると、やはりそこに何かの気配が残っているように感じた。そう、もしかすると上田保春はずっと待っているのかも知れない。少女が現実に現れる瞬間を――自分が壊れるその瞬間を。

生きながら萌えゲーに葬られ(9)

 何かを批判したり批評したりする態度だけをとり続けることを選択すれば、永遠の生命を生きることが出来ると思っていた。新聞というメディアが現実に依拠することで永遠を存続できるように、誰かの作り出した何かに依拠し続ければ、自分は存在を長らえることができるだろうと考えていた。後から後から、尽きせぬ生命の流れが生み出す世代のせり上がりから汲み続ければ、この精神は永遠を持続し、きっと死なないだろうとどこかで信じていた。もし肉体の不滅を仮定するならば、果たして人の心はそうやって永遠をながらえることができるのだろうか。おそらく、他の善良な人たちが当たり前にするようには、自分はこの命を次の誰かへと手渡すことはできないだろう。個の不滅――こんな馬鹿げた問いにすがるような思考を繰り返すのは、萌えゲーを愛好し、人のするそれ以外のすべての営為に冷笑的、虚無的な態度をとり続けながらその実、心の奥底ではこの命が継続しないことが寂しいからか。命ではないものを残すために、ずっと誰かを傷つけ続けるのか。自分以外への愛で命を継続させることができないから、ただ悪罵を繰り返し、他人の傷の中へ蛆のように憎悪の卵を残そうとするのか。
 クラクションの音に、我へかえる。見れば、信号はすでに青へと変わっていた。アクセルを踏み込むと車はするすると前進を始め、上田保春はまた元のように大きな流れの一部となった。上田保春は、車を運転することを愛好した。車を運転するときには、まるで自分がまっとうな人間であるかのような錯覚が生じ、それを信じる瞬間を持てるからだ。車の流れに乗り、交通法規を守ってさえいれば、誰もが上田保春を正常とみなしてくれる。先のクラクションのように、異常な行動はすぐにそれと警告され、すぐに正しい場所へと帰ることができる。車の運転は、上田保春の迷いに満ちた日常生活の中において、自分であることを意識せず自動的に行うことのできるほとんど唯一の行為だったと言っていい。そこには何の葛藤も複雑さもなく、あるとすれば高級車に道をゆずり、軽自動車にクラクションを鳴らすくらいのもので、彼は車を走らせるとき、安逸な心持ちを抱くことさえできた。自然を装った不安定な言動ではなく、車のフレームが外殻として彼を無条件に規定してくれるのだ。その意味では上田保春を安らわせる理由の大半は、子宮回帰願望という言葉で説明できただろう。移動する全能感である。そして、上田保春は車の運転を愛好するものの、その種類や手入れに重要性を見いだす生粋のカーマニアというわけでは無かった。彼が愛好するのは運転であって、車そのものではなかったからだ。現在乗っている車を購入する際に求めた基準は二つ、外観の凡庸さと気密性の高さである。シルバーのファミリーカーという外観は、彼が車の運転に求めているものを考えれば自然と首肯できると思うが、気密性については少し説明が必要であろう。上田保春は車の運転中、萌えゲーのテーマソングを聴くことを習慣としていた。気密性の高さとは、外界との遮蔽率の高さということであり、車内での物音を少しも漏らさぬことが上田保春にとって肝要であった。なぜなら、萌えゲーのテーマソングを大音量で流しているのが車外へ少しでも漏れたりしようものなら、それは身の破滅につながるからである。世間へ薄壁一枚をしか隔てぬ自室よりは、車内の方がはるかに萌えゲーのテーマソングを流す場としてはふさわしい。外耳全体を覆う例のヘッドフォンをはめればと思われるかも知れないが、ガスの元栓を閉めても閉めぬと告げる上田保春の意識は、プラグの先端がちゃんとコンポないしパソコンに接続されているのかどうか、少しでも音漏れしていないかどうかを何度も確認しないでは済まず、結果として曲を聴くことに少しも集中できないのである。何を音楽くらいで神経質なことを言うのかと上田保春の抱える不安を軽視する態度を取る向きは、説明を求めるより萌えゲーのテーマソングを一度でいい、試聴してみるとよい。日常はおろか、現実の秘めごとの最中でさえめったやたらとは聞かれぬような猥褻な言辞が登場すること頻繁なのだ。例えそれが登場しないような場合でさえ、脳言語野に疾患を持っているとしか思えぬような日常を不安にさせる作詞や、白痴少女としか形容できぬ甲高い裏声で絶叫する三十路を越えた女性ボーカルなど、人間社会が普段は秘し隠している何かをしか、それらの楽曲は内包していないのである。しかしながら、そういう曲を試聴しようという態度自体がもぐり酒場の密造酒のような危険を社会的に身の上へもたらすこともまた確かなので、蛇足とは理解しながらあえて内容についての解説を少し付け加えたい。想像して欲しい。「子ども時代、暖かな夜の大気を泳ぐように楽しげな音曲に誘われて行けば巨大なテント、サーカスショウだと思い天幕のすそを持ち上げて覗くと、中で行われていたのはフリークスショウだった」。この情景を思い描いてもらえば、最も実際に近い感じを得ることができるだろう。
 ともあれ、車の運転が上田保春の人生に意味するところは理解されたと思うが、そんな彼の安逸や全能感も助手席に母を、後部座席に祖母を伴っていないときに限られた。上田保春はもう何度目だろうか、確かにCDや萌えゲーのグッズをすべて自室に置いてきたはずだという確認を反芻し、信号で停車する毎に自然な素振りを装って車内の隅々へと視線を走らせる。横目でちらりと助手席に座る母を見、上田保春は子宮の中に母がいるというメビウスの輪のような裏返しの目眩に襲われかけ、そっと首を振った。母が自分の車に乗っているという感覚は、何度経験しても慣れることはない。バックミラーをのぞくと、そこには祖母がいる。祖母はシートベルトをつけたまま正座をして、ただ真っ直ぐに正面を見据えていた。皺に埋もれたその目をのぞきこんでも、祖母が本当に正気を取り戻しているのかどうか、上田保春には判断できなかった。施設で車に乗り込んでからというもの、母の言葉に相づちを返すばかりで、祖母は自分から一言も口をきいていない。祖母は自身の感慨へと深くとらわれているようであり、後部座席という近くにいながら上田保春の焦燥や期待とははるかに遠い場所で正座をしているのだった。
まるで姥捨てのようで、と母は表現した。優しさや思いやりの気持ちが他者の生に干渉し得ると信じているようなところが母にはあった。おそらくこの発言も、祖母を翻心させられなかった自分を悔いてのものに違いない。恍惚から醒めた祖母は母の説得に最後まで私が死ぬ場所はあそこしかないと言って譲らなかったのだそうである。またいつ元のような忘却と過去の住人へと引き戻されてしまうのか、誰にも知ることはできない。祖母の中で何かが改善したのを信じられるほど、上田保春は楽観的であれなかった。もしかすれば、死の直前の人間に訪れる明晰さというものなのかも知れない。医者は母に、昔馴染んだ場所での生活はむしろ良い刺激を与えるだろうとアドバイスをした。百歳をとうに越えた人間への良い刺激という言葉、それが母の精神に与える善の効果をねらったのではなく、本当に祖母のことを考えてのものだとしたら、いったいその中身は何だというのだろう。上田保春には全く見当もつかなかった。幹線道路をそれ、蛇のようにうねった山道を車はゆっくりと登ってゆく。ときどきやってくる対向車へ舗装の無い脇道に待避しなければならないほど、山あいを行く道路は狭かった。ひとつカーブを抜けるたびに、車外にたちこめる白い霧は濃度を増していくようだ。視界が開け、突然現れたガードレールの先に眼下を一望することができる。霧は通り抜けてきた山の底へ渦を巻いて溜まってゆくようだ。やがて霧と陽光との境界を背後に走り抜けると、山の斜面へ張りつくように点々と民家の群れが見えた。ゆるゆると速度を落とし、藁葺き屋根の一軒家をのぞむ道路脇へと停車する。その前庭へと土を踏み固めただけの細い道が続いていた。母と祖母を車からおろし、荷物を抱えて道を下る。きしむ玄関の引き戸をこじ開けると、入り口部分は土間になっていた。薄暗い室内に、締め切られた雨戸を順に引き開ける。すると眼前へ、少年時代に見た懐かしい光景が広がった。
 山の頂上付近から降りてきて、屋内にまでわんわんと反響する蝉の声の連なりは、上田保春に蝉時雨という言葉を思い出させた。ふと眼をやった先、庭に自生するほおずきの葉の裏側に蝉の抜け殻が見えた。上田保春はなぜか胸の奥に痛みを感じた。振り返ると、陽光に照らされた室内は想像していた荒廃とは遠い様子だった。祖母の荷をほどきながら母が言うには、田舎暮らしを求める都会からの移住者に去年の暮れまで貸し出していたとのことだった。もっとも、こんな山間での暮らしが合わなかったのか、一年ほどですぐに出ていったらしい。祖母はしばらくの間、何かを確かめるように一部屋一部屋を見て回っていたが、やがて小さくうなずくと寝具を屋根裏へ上げて欲しいと上田保春に求めた。押入れから取りだした布団は冷たく固くなっており、日干しが必要ではないかと尋ねるが、祖母は再び強い調子で彼を促した。梯子とも階段ともつかぬ傾斜を登り、天井にはめられた板を押し上げて覗いた屋根裏はひんやりとしており、隅には行李のようなものが積み上げられている。壁の合わせ目と、明かりとり目的だろうか、窓とも呼べぬ木枠の隙間から陽光がこぼれてきているだけで、周囲は薄暗かった。祖母は四つん這いになりながら上田保春の後ろに従うと、屋根裏の中央に老人のするゆるやかさで布団を敷き、ようやくといった感じで満足げに腰を下ろした。母は階下で家の様子を調べ、どうやら買い物のリストを作成しているようだった。上田保春は村の中を巡りながら少年時代の記憶を追体験することも考えたが、それは真実に目を向けたくないがゆえの怯懦、逃避に過ぎぬと思い直し、祖母の前へ決然と座り込んだ。目の前に小さく、小さく、内側へと固まってゆくように思える祖母の身体がある。久しぶりに会うのに、今日は私のことだけでこんな迷惑をかけてすまない、という意味のことを祖母は昔人の語彙で言った。その様子からすれば、施設で会ったことはどうやら祖母の記憶に残っていないようだった。上田保春は内心胸をなでおろす。そのとき彼が抱いた感情は、良質な萌えゲーをプレイするときに感じるのと同じ、ただちにこのキャラクターと性交をしたい、より正確に言うなら彼女のする痴態を眺めながら自慰をしたいが、永遠に射精の昂ぶりを先送りにしてもいたいという、あの理に合わぬ逡巡だった。
 ふいに蝉時雨が途切れる。木枠の外へのぞく景色へ向けた視線を戻すと、皺の底で祖母が大きく目を見開いている。祖母の目は理性の色を宿しており、いまこそ彼女の意識は完全に現在と一致しているように見えた。上田保春は、その時が何者かの手によってここに用意されたのだと知った。中学生だった頃、私はあなたにひどく怒られたことがあった。あのときのことを覚えているだろうか。祖母は、為された問いの意味が身体の底へ降りてゆくのをじっと待っているように見えた。そして、歯の無い口腔にのぞく黒い奈落の底から、震える祖母の唇は驚くほど明瞭に言葉を紡ぎだし始めた。上田保春は全身を固く緊張させ、息を詰めて聞き入る。もはや、みじろぎすることさえかなわぬ。現実とつながった祖母の回廊が真実の瞬間を迎える前に、またどこか遠くへ離れていってしまうことを彼はただひたすら恐れたのである。上田保春は自分が求め続けてきた究極の真相に、もはや紙一枚の距離で肉迫しているのを感じていた。なぜ、二次元を愛好する我々への人々の嫌悪は自動的なのか。なぜ、自分は萌えゲーおたくであるのか。余人から見れば何をつまらぬと鼻で笑われるのかも知れぬ。例えば飢えた子どもの苦しみの前で、全く有効ではない言辞に過ぎないのかも知れぬ。人類全体にとっては何を成すこともない戯れ言の類なのかも知れぬ。だが、総論が個人を救うことはない。救済は常に個別的に行われなければならないものであり、これは上田保春が求める救済であった。
 祖母がしたのは、ある昔語りだった。あるいは物語に寄せた、彼女自身の罪の告白だったのか。ほとんど廃村のような有り様になっているが、かつては多くの人々が生活したこの村にある兄妹がいた。二人は血こそつながっていたが、本来の意味での兄妹ではなかった。互いに、男と女のように想いを寄せ合っていたのである。愛する相手と一番近い場所で生活を共にするという幸福。彼と彼女の一挙手一投足、そして笑顔は言うまでもない、悲しみや怒りさえもが、喜びへと変わるふしぎ。しかし二人しか知らぬ密やかな蜜月は、やがて終わりを迎える。ある夜、兄は無理やりに、妹へ妹自身の秘した想いを認めさせたのだ。妹は兄の行為に恐怖したが、それを上回る強い衝動に気づかされる。そして気づいてしまうと、もう止めることはできなくなった。毎夜のように同じ屋根の下に繰り返される逢瀬。しかし、二人の関係が両親へと露見するのに、長い時間はかからなかった。生活を相互依存によってしか成立させることのできない山あいに隔離された村は、強力な観念共同体である。同質性を維持することこそが、最も確率の高い生物学的存続の可能性であることを、構成員全員が暗黙知として了解しているのだ。二人はただちに引き離され、不貞の妹は屋根裏へと閉じこめられた。それでもなお、兄は何度か周囲の目を盗んで妹を訪れた。しかし、ある日を境に兄はやってこなくなる。妹が屋根裏から出ることを許されたのは、その直後だった。兄は村からいなくなっていた。誰にその消息を尋ねても、答えは得られなかった。おそらく村人の手によって始末されたのだろうと上田保春は思う。祖母がその可能性を考えなかったわけはない。しかし目の前の、少女のように細く年老いた老婆は、夢見るようなまなざしで言うのだ。ここで待ってさえいれば、兄はきっとあそこから私の元へ会いに来てくれる。ゆっくりと震える手をあげた祖母の指さす先には、木枠の狭い隙間が開いていた。死人が深夜、あの隙間から身をよじり入れて逢い引きに寝屋を訪れる。その想像はまるでホラー映画のようで、上田保春は背筋に寒気を生じた。けれど、それを狂った老人の妄念と断ずることはできなかった。上田保春が希求する、この世にはいないはずの萌えゲーの少女を現実に見る破滅も祖母の願いと同じことなのではないか。もし兄を現実に見ることができたのなら、祖母の魂は幸福のうちに終わることができるのかも知れぬ。一世紀に渡る歳月を生き、その途方もない魂の摩耗の果て、最後に祖母の中へ残ったのはただひとつ、実の兄への恋慕だけだった。上田保春は孫としてこの話を聞かされているのではないような気がした。祖母は誰に話しかけているのだろう。神へか、懺悔の聴聞僧へか、それとも兄へか。しかし祖母のする告白を聴き、上田保春の心へ何よりも先に浮かんだのは、「どこかで聞いたことのある、ありきたりのプロットだな」という、自分の体験してきた膨大な萌えゲーのシナリオと比較しての白けた感慨であった。次に生じたのは、妹、強姦、近親相姦という脳内へほとんど自動的に形成する現実の記号化から刺激を受けた、男性のかすかな勃起である。上田保春は脳内へ言語化された心の動きと股間の隆起に一瞬遅れて気づき、なめらかな表面を持ったその異形の正体に寒気を感じた。自分の全身全霊、自分の全存在の基調がそのまま、完膚無きまでに祖母の人生を侮辱していることを悟ったのである。萌えゲーおたくの存在は社会の枠外で永遠に保留されるべきである。例外的に観察を必要とする異常として、常に監視下に置かれるべきなのだ。彼は脳頂に石を打ちつけたいような思いに駆られる。しかし、まだ謎は残っていた。祖母はあのアダルトゲームのパッケージの何に、あそこまで激烈な反応を見せたのか。上田保春はおずおずとその疑問を口に出す。昔人の言葉でする、祖母の答えはこうだった。
 あのとき兄の瞳の中に見た私の姿が、はるかな時を経て、不義密通という言葉で非難されていることに動揺したのだ。本当に個人的な、自分の感情だけのことだった。それを腹いせに、あのときのお前には本当に悪いことをした。恨んでいるだろう。本当に、すまなかった……
 上田保春の足下に、巨大な空洞が開いた。
 ああ、なんてことだ! 自分の不幸は、萌えゲー愛好から来ているのではなかったのだ!
 脳内に閃光がひらめき、視界が星に似たまたたきに満ちる。突如、眼前へ縦横に無辺大の地平が開いた。そこには何の制約も無かった。思いこみは存在せず、あらゆる偏見は排除され、すべてが完全に明晰な思考の中にあった。萌えゲーおたくという、かつて自分が居た枠組みが見えた。しかしそれは、その内側から壁の隙間を通じて外をのぞく、あの馴染んだ外界の様相としてではなく、はるか上空より俯瞰した崩れかけの廃墟として視界に入ったのだった。上田保春は瞬間、すべてを理解した。人の持つ社会という制約は、この莫大な神を抑制するために存在したのだ。因習、慣習、文化、その名付けは何だって構わない、社会という拘束を失えば、人はたちまちその本来である神に到達してしまう。神に到達すれば、その究極の自由の中で悪魔のように人間を陵辱し、あるいは殺戮するしかない。人間が作り出す社会・文化の形態の本質は内なる神を抑制することであり、萌えゲーが例外的に特異なのではなく、あらゆる人の営為はこの同じ目的に苦闘するがゆえに、どれだけ相互に異なって見えようとも同朋であり盟友なのだった。かつて自分が馴染んだ廃墟を俯瞰する視点からさらに上空へと飛翔し、上田保春は彼にとって絶対無謬の価値基準であった萌えゲーが、人類の歴史の流れの中に相対化され、ぴったりと当てはまるのを見た。そして、かつて上田保春だった一個の孤独は、ずっとすべてとつながっていたことを知った。しかし、その理解は彼を安らわせはしなかった。なぜなら上田保春はいまやすべてのつながりから切り離された、それぞれが完全に重なるところを持たない神々のうちの一柱となったからだ。上田保春は真の孤独に戦慄した。彼は大きく振り返り、中空に投射された自分の姿をまざまざと見る。それはまるで人のようだったが、もはや人とは全く異なる本質を備えていた。皆が特別な存在でありたいと願い、この地獄へとたどりつくのか。上田保春の内なる神を抑制し続けていたのは、あらゆる社会規範が強度を失ってゆく中で、唯一残された萌えゲーだったのだ。そして、上田保春は巫女の託宣により、その最後の枷をさえ喪失させられた。周囲は完全な真空で視界は何にも疎外されることなく、あまねくすべての方向へ広がっていた。上田保春を制約するものは、何も存在しなかった。神である彼は今や、誰を殺すこともできた。上田保春は恐怖した。そのあまりに明確な変革の実感に、酔うよりも、驚くよりも、真っ先に恐怖したのである。自分はずっと、萌えゲーおたくという枷をはめ、それによって生を狭窄させることで、世界の真相を手に負える範囲に押しとどめることで、かろうじて存在を長らえてきたのだ。彼は少しも革命を喜ばなかった。思考と認識の完全な自由をすべて受け止めるのに、上田保春はあまりに弱すぎた。「人は自由の刑に処せられている」――その本当の意味での自由、神の享受する自由をいまや彼は持っていた。しかし、生物としての制約によって、神の自然の発露である殺戮と陵辱が完全な形で発現することを許されず、神と化した人間の精神はついには自重に耐えきれない巨大な恒星のように内へと圧壊するのだ。裸の自分が膝を抱えてすすり泣くイメージが見える。なぜ、私を萌えゲーの中へ放っておいてくれなかったのか。偽りも悪も存在しない世界の様相を直視させられるような、こんな暴虐に値する何を自分がしたというのか。無論、いらえは無かった。誰も神が発する問いに答えることはできないからである。涙はただ流れた。上田保春は、この世の底を垣間見たのだった。
 しかし、世界の色と輪郭が視界へ戻ってくると、その圧倒的な感覚は次第に消滅した。側頭葉てんかんが見せる神の幻影、あるいはその残滓だったのやも知れぬ。あの無限地平はどこかへ去り、薄暗い屋根裏の底で祖母がむせび泣いている。両手へ顔を埋めて、肩をふるわせ、愛しい人を得られずに泣く乙女のように、祖母が嗚咽を漏らしている。年月にすり減った薄い皮膚のすぐ下に、エメラルド色の静脈が走っているのが見えた。Worn out at Eternity’s gate、永遠の門を前に倦み果てて。人間に見る永遠とは何なのだろうか。それは不死ではない。それは死だ。死が生を規定する。突如、上田保春は知った。精神はきっと永遠を耐えられないだろう。透明な悲しみに促されて、彼は祖母の肩へと手を回そうとした。それは孫がするいたわりのようでなく、同じくこの生に倦み疲れた者としての共感を伝えるための抱擁となるはずだった。しかし、上田保春の指先がその肩に触れるか触れないかの瞬間、祖母は怪鳥のような悲鳴を上げた。そして上田保春の肩口を蹴りつけるようにして、いざり離れて行こうとする。わけもわからず追いすがろうとする上田保春が見た祖母の目には、深甚な恐怖だけがあった。祖母の意識を現実へとつないでいた細い小道が閉ざされ、彼女は今また彼女の罪の場所にいるのだ。決死で逃れることを試みようと、何度も何度も、祖母は兄との契り、彼女の罪の場所へと押し戻されてゆく。裁かれぬ魂の彷徨う煉獄、それがこの世界だった。神を罵倒しようとして、上田保春は気づく。神とは自分のことだ。創造は偶発的な自然発生を待つ他にはなく、破壊だけが神の意志を伴うことができる。祖母に救済が訪れることはない。上田保春は悲鳴をあげつづける祖母の両肩を激しく突いて押し倒し、その首を背後から片手で押さえつけた。親指と人差し指を回せばそれぞれの先端が触れてしまいそうなほど細い首。そう、破壊だけが意志を伴うことができる。知らぬうちに、祖母の生死を選択する分岐点に上田保春は立たされていた。手のひらの下に、血管が脈動しているのを感じる。祖母は泣きやみ、荒い息の下で裁きを待つようだ。薄く差す陽光の中に、細かな埃が舞うのが見える。だが、その永遠のような逡巡を破るように背後で階段のきしむ音がし、階下から悲鳴を聞きつけたのだろう母が上田保春の背中へするどい声をかける。弾かれるように手を離し、彼は呆然とその場に座り込む。額と腋下にびっしりと汗の粒が溜まっていた。駆け寄る母の胸に祖母はすがりつき、抱きとめられるまま少女のようにわあわあ声をあげて泣いた。祖母の薄くなった白い髪の毛をゆっくりと撫でながら、こちらを見た母の表情に一瞬、「まさか」という疑惑の色が浮かぶのを彼は見逃さなかった。みなが孤独な場所にいる。誰も誰かを理解することはできない。もしかするとそれは私たちがみな、一柱の神であるからなのか。全身を脱力感が包んでいる。上田保春は母が抱いたのだろう憶測へ、何か釈明を加える気力を持たなかった。
 二人に背を向けると、ゆっくりと階段を下りる。頬にはすでに涙が伝い落ちていた。萌えゲーおたくだった上田保春がずっと探し求めていたのは、無条件で自分を肯定してくれる場所だった。母の目の中によぎった、実の息子へ向ける明白な疑惑。それを見て、上田保春の中でずっと母につながっていた何かが、もやい綱のようにほどけた。おたくたちが我が身を人から遠く堕としてゆくのも、世界に対して無条件の肯定を問いかけるためなのかも知れぬ。肯定されたい。肯定されたい。私が音を発するただの肉塊であったとしても、あなたに肯定して欲しい。しかしそれは、隔絶された場所にいる人々の上へ与えられた回答のように思えた。その回答はいまや上田保春とは関係が無かった。庭に自生するほおずきの葉の裏側に、蝉の抜け殻が見える。先刻見たのと同じものであったにも関わらず、蝉の抜け殻はもはや完全に別の意味を備えていた。それはまるで、異星人の知覚を与えられたかのような抜本的な変化だった。上田保春は両手を持ち上げると、弱々しく顔をおおった。彼の人生においてこれまで起こった出来事のすべてが脱構築と再構築を繰り返し、いまやあまりにはっきりと意味を理解できた。だから、もうこの世界とは一秒たりとも触れあっていたくなかった。――少年に会いたい。上田保春は、切実にそう思った。自分の人生をずっと規定し続けていたものは、萌えゲーではなかった。萌えゲーという観点から自らを束縛し続けることで、おたくという名付けですべてとの関わりを説明づけることで、上田保春は人生がばらばらに分解しないようにこれまでを生き延びてきた。しかし、彼の苦しみは実のところそこからやって来るものではなかったのだ。萌えゲーを取り上げられ、この神の意識の内側で、自分はどう生きればいいのだろう。
 本当は、自分はどうありたいのだろう。

生きながら萌えゲーに葬られ(10)

 少年の死。矮小な死。歴史は彼の名前を残そうと思わないだろう。少年の存在がこの世界から完全に消え去るまで、そう長くはかかるまい。少年の死因はわからない。孤独ゆえの自死なのか、死と他者との関係性を引き替えにするという誘惑に耐えられなかったのか――
 結局のところ、上田保春の中で重大になりゆくその存在の比重は、彼が外界からの逃避先として少年に自己憐憫を投影していただけの一方的なつながりに過ぎず、現実では二度ばかり、一日にも満たない時間を過ごしただけのただの他人に過ぎなかった。上田保春は少年のことを何も知らず、少年も上田保春のことを何も知らなかった。それはお互いの真相を知らぬゆえに可能な、自己愛と他者愛が渾然となった恋に落ちる寸前のあの時期に似ていたのだろう。
 少年の死はこの世界から何かを永遠に奪っているはずだった。それは、もしかすると魂と呼ばれるものなのかも知れない。しかし、自分の中からは何も失われていないのを上田保春は知る。彼はこの世界の主人公ではなく、少年は彼にとっての欠けた片割れではなかった。現実に接点を失った他人の存在が人生から消えるのに、一週間とはかかるまい。萌えゲーの少女たちが稲妻のように輝きを放ち、上田保春の心へ永遠に消えぬ火傷を残すようには、少年が彼に何かを残すことは無い。だとすれば、あれは生の内包する錯覚だったのか。孤島に取り残された男女ふたりの間には、やがて間違いなくお互いを強く求める気持ちが生まれるだろう。彼と彼女が物語の主人公であるからではない。そこにカメラが回っているかどうかは関係が無い。身体の奥底に普段は気づかれないよう眠っている動物が、ふたりを否応なく引き合わせるのだ。上田保春と少年との関係は、孤島の男女に生じた愛の錯覚に過ぎないものだったのだろう。しかし、上田保春と少年のようではない関係が、存在し得るのだろうか。この世界を無数に分割する泡のような隔たりの内側に、何の意志も伴わぬ偶然によって集められた人々が、他の泡の中身を知らないまま、それでも同じ泡に住まう人々を、友人であるとか、恋人であるとか、家族であるとか、それが必然を伴う特別な関係性であると名指しできるのも、内なる動物が我々の人間を操作しているからではないのか。誰も上田保春を笑えまい。萌えゲーおたくだった彼の抱き続けた疎外感は、動物への屈服を自ら拒絶した、誰よりも人間であろうとしたがゆえに生じたものなのかもしれないのだから。
 屋根裏から降りてきた母が、落ち着いたみたい、と上田保春に告げる。母は先ほど目にしたはずの事件には触れず、まるで何も無かったかのように振舞っている。母はダチョウのように砂地に首を埋め、物理的な結果を残さないのならば見えなかったようにふるまうことで、彼女の息子の異様な性癖になんとか辻褄を合わせてきたのだということが、ふいにわかった。おそらく血塗れの遺体を眼前につきつけるまで、母は息子に対して盲目であろうとするだろう。その理解に悲しみはなかった。あきらめもなかった。こうなっているのだから、誰にも仕方が無いという受容だけがあった。上田保春は母とほとんど何も話さぬまま、手渡されたメモを頼りに買い物を済ませた。一緒に夕食をという申し出を辞して、祖母の生家を後にする。アクセルを踏み込むと、景色はたちまち背後へと飛び去った。陽光と霧の境目を越えさえすれば、もはや上田保春は母とも祖母とも違う、別の泡の中にいた。山を下り、国道へ合流する。ふと視線を上げると車内から、山々の稜線を輝かせながらゆっくりと沈みゆく太陽が見えた。陽光の最後の残滓が稜線の上空へ浮かぶ雲の腹を茜色に輝かせ、上田保春はあまりのぞっとするような美しさに息を呑んだ。エンジンの振動の外に草と草が擦れるわずかな音が聞こえ、昼間の蝉の声の残響が聞こえ、昼と夜の狭間を吹き抜ける風の音が聞こえ、そして静寂の音が聞こえた。その瞬間に存在したすべての要素はお互いを邪魔にせぬよう、清澄な調和を基に統一されており、上田保春と人工物である彼の車さえ、交通の少ない田舎の道路の上で世界そのものと何もぶれることなく合一しているのだった。喉の奥に悲しみのようなものが溜まるのを感じ、かつて味わったことのない心臓を直につかまれるような恐怖に彼は身震いした。窓をすべて閉め切ると、チューニングの決まらぬFMラジオの音量を最大限にまで上げる。名前を知らない男性シンガーのポップミュージックがひどい雑音と共に車内を騒音で満たした。全身を緊張で強ばらせた上田保春は、わずかに安堵の吐息をつく。一刻も早く自室のパソコンの前へ座り、萌えゲーをプレイしなければならなかった。
 上田保春は幾度も振り返りながら、わずかに開けた扉の隙間から身をすべりこませた。扉の内側に上下二箇所ついた鍵を閉め、何かが入り込むことを恐れるかのように、さらにチェーンをかけた。靴を脱いで椅子に腰を下ろし、パソコンの電源を入れる。萌えゲーの起動アイコンがぎっしり詰まったフォルダを開き、マウスのカーソルが小刻みに揺れて定まらぬのを左手で押さえつけるようにして、そのうちのひとつをダブルクリックする。企業ロゴが現れ、回転し、消え、巨大な眼をしたパステルカラーの少女がタイトルとともに画面を占有すると、上田保春はようやく人心地ついた表情を見せた。少女が画面上で微笑むのを注視したまま後ずさりをし、手探りでコーヒーメーカーをセットする。そのとき、胸元の携帯電話が二回振動し、メールの着信を彼に知らせた。レトルト食品の紙箱を乱暴に破ってレンジに乗せながら、履歴を確認する。それは少年のアドレスから送信されたものだった。そのタイトルには、「息子が死にました」と書かれていた。
 ――先日、息子が死にました。お恥ずかしいことですが、私たちは息子の交友関係を全く把握していませんでした。息子の携帯電話の履歴に残された方々に同じ文面のメールを送信させて頂いています。息子の名前にお心当たりの無い場合、どうぞこのメールは削除下さい。もし、生前の息子をお知りになられているなら、葬儀にご参列下さればと思います――
続いて葬儀場所と時間が記され、お手数をおかけしますと締めくくられている。無論、上田保春が真っ先に考えたのは悪戯メールの類である可能性だった。しかし同時に、ひどく納得するような気持ちもある。少年の年頃に少年が話すように話したとしたら、自分はきっと死ぬことを選んだと思う。水泡がはじける音とともに、コーヒーの香りが室内に漂いはじめる。鈍くなった感受性、醜く凡庸に墜してゆく自分を嫌悪しながら、どこか心の深い部分でほとんど慈愛のような感情が、その弱さを許してさえいる現実。
 少年はきっと、死んだのだろう。
 週があけて、職場へ出る。見慣れたすべてはまるで違うように感じられたが、それは上田保春自身の変容によるものだった。いままではあえて触れようとも思わなかった人々の仕草ややりとりが、驚くほどその内側に存在する意味を主張して迫ってくるのがわかった。小心な萌えゲーおたくだった上田保春は、細大もらさぬ注意を配って職場でのふるまいを自己規定してきたはずだが、その大部分は彼自身にとってしか意味をなさない因習のようなものだったことが理解された。誰も上田保春に対して、彼が思うほどには興味も関心も抱いていない様子だった。上田保春が腐心してきたのは、相手に何も与えないようにすることだった。愛が不在ならばそれが彼に悪意をもたらすことはあり得なかった。田尻仁美と廊下ですれちがう。他にも社員の姿があったせいか、彼女は意味ありげな視線を上田保春に向けたのみだったが、彼はただ誰に対してもする微笑を浮かべて会釈すると、その傍らを無関心に通り過ぎた。田尻仁美との一夜のことは上田保春の中で、もう無いのと同じになっていたからだ。相手に何も与えないようにすること、それは人間関係における蓄積を拒否することである。田尻仁美が上田保春のことを本当に愛しているのでなければ、悪意は発生しないはずだった。廊下を曲がる際、視界の端にこちらを凝視している彼女の姿が目に入った。再構築された上田保春の意識はまるで赤子のように考える。ゴシップ的な興味で近づきながら、田尻仁美はいまや自分のことを愛しているのか。偶然に触れ合った二人の間に起こったことを、なぜ彼女は愛と信じることができるのだろう。
 少年の葬儀の当日、喪服を用意するほどの思い切りも無いまま、濃い色合いのスーツに身を包んだ上田保春はメールに記されていた葬儀会館の入り口に立った。奥からは読経の声が聞こえてくる。狭い敷地で多くの外来者をさばくためかもしれない、入り口部分は扉や壁を取り払って完全に戸外へ向けて開けており、前を通り過ぎるだけで中の様子をくまなくうかがうことができた。ここに来るまでにあった誘導の看板と、遠くに掲げられた遺影を見るに、どうやらこれは本当に少年の葬儀であるらしかった。
 事前にメールを転送しておいたのだが、太田総司と有島浩二は姿を現さなかった。彼らはまたいつものようにマンションの一室で自分自身をのぞきこむ作業に没頭しているのかも知れぬ。死者の弔いに参列する意味など、本当は何も無いのかもしれない。彼らのやり方が正しいのだろう。少年は死に、その意識はこの世界から消滅した。残されたものたちが日常の連続の中で彼の存在に決着をつけるためだけの儀式に、確かに意味などというものは何も無いのかもしれない。しかし、そうやって世界の意味は順に消滅していくのではないか。すべての尊厳や、目に見えない何かは、そうやって消えてしまうのではないのか。上田保春は怒りを覚えた。それは義憤と表現してもいいものだった。しかし、結局のところその感情でさえも、彼らの無関心の前では嘲笑され、貶められ、無化されてしまうのだろう。萌えゲーおたくの前ではすべての価値が無化される。自分の中に何か少しでも大切なもの、人生への意味を抱いている者たちは、あえて彼らの前に立とうとは思わぬだろう。嘲笑と無力感は表裏一体の感情である。子ども時代の無力を追体験して、それが実際大したことではなかったと自分に繰り返すために、上田保春は萌えゲーを愛好したのかも知れぬ。そして気づく。萌えゲーおたくであることの無力感と、子ども時代の無力感は酷似していた。人間は幸福を反芻することはできない。それは泡のように、生まれた瞬間に壊れて消える。しかし、人間は不幸を反芻することができる。それは魂の内側に深く根ざし、そこへ意味づけすることで、あるいは消せぬまま否定か肯定を繰り返すことで、人間は充分に一生という時間を消費することができる。
 関係者ではないふうを装って、葬儀会館の表を幾度が往復したが、ついに焼香に立つことはできなかった。遠くから確認した少年の遺影に何かの感情を刺激されたような気になって、上田保春はコンクリートの壁面をなぐりつけようと拳を振り上げる。しかし、結局はそれをしなかった。なぜなら、以前映画で友人の死に主人公が壁を殴りつける場面を見たことを思い出したからだ。拳を振り上げたのは自分の判断ではない。この場面に適切な行動が膨大な虚構の蓄積から自動的にソートされた結果だろう。また、コンクリートの壁を殴りつけようものなら、拳を骨折するだろうと冷静に考えた。彼は自分が傷つくというリアルな想像に眉をしかめて、右拳をやわらかく左手で覆った。結局のところ上田保春は、事前に想像していたほどには悲しみを感じなかった。少年の死を眼前に彼が感じた哀切は、最良の萌えゲーのシナリオが提出した哀切よりも、はるかに感動的でも影響を与えるようでもなかった。なので、記帳し焼香を上げ、お悔やみの言葉を言う際に少年との関係を彼の両親にどのように説明するのかを考えたとき、真っ先に浮かび上がってきた感情は「面倒くさい」というものでしかなかった。いったん芽生えるとその感情は、たちまちずっと感じてきた本来であったかのように彼の心全体の雰囲気を決定し、支配した。上田保春はいとおしいものを抱くように右拳を胸元に引き寄せると、少年の遺影へ背中を向けた。それが少年との最後の別れだった。少年の存在は、彼の外側で無化された。
 照明を消した室内で、上田保春はモニターの前にほおづえをつく。萌えゲーの少女を映し出したモニターの前で、萎えた男性はいっこうに昂揚を見せようとしない。ズボンを引き上げると、彼は車のキーをつかんで玄関を出た。階段を下りる途中に、同じ階で一人住まいをしている老人とすれ違う。いつもは不機嫌そうにしているばかりだが、今日は上田保春の会釈に笑顔さえ見せた。頬を上気させ、何か嬉しいことでもあったのかもしれない。老人を見る上田保春の視野が倍率を上げ、その顔に刻まれた皺をクローズアップして映した。無秩序に引かれたように思えるその一本一本の線は、幾何学模様のように全体として意味をなしていることを彼は理解した。その皺のうちの一つとして意味を持たないものは無かった。それは老人の来歴を、人生を余すところなく表現しているのだった。上田保春は自身の没入に気づき、あわてて首を振る。そうだ、瑕疵だ、瑕疵を探すのだ。この完全さの中にたった一つ瑕疵を探すことさえできれば、老人の全存在を否定することができる。これまでも、自分はそうやって生きてきたではないか。狂おしく視線を動かせば、老人がパチンコ店のビニル袋を手提げにしているのが目に入る。この老人の機嫌は要するに、パチンコで勝ったという事実にだけ依拠しているのだった。上田保春は口元に嘲笑を浮かべようとして、気づく。パチンコをすることと萌えゲーをすることの間にはもはや何の優劣も存在しなくなっていたのだ。なぜ萌えゲーを愛好する自分が老人よりも上に位置づけられるのか、かつて確かに存在したはずの確信はすべて消失してしまっていた。その考えが浮かぶか浮かばないかのうちに脳内で猥褻な単語を連呼し、老人に挨拶を返すいとまもあればこそ、彼は足早にその場を歩み去る。
 外に出ると昨日までのようではなく、大気はわずかに冷気を含んでいるようだった。季節が移り始めているのか。空気中に含まれた湿気が肌の表面を撫でながら、ゆっくりと地面へと移動してゆくのを感じた。ふと空を見上げると、月が大きく出ている。それは原色のような黄色で、三日月の分だけ上弦を切り取られていた。ふいに思考が訪れる。それは上田保春の内側からではなく、どこか遠い外からやってきたように感じられた。地球と月が引き合うように、この地上に住まう我々は引き合い、例えその結果として生まれたものが殺人であろうと、この世界にとって悪ではなかった。上田保春は、月のさらに向こうを見た。世界は極大へと広がっていた。その底で上田保春は極小に過ぎなかった。彼は点描画の上の一つの点だった。極小の上田保春は極大へとつながっており、極大の世界は極小の彼へと収斂している。生命という円環を形成するために極大と極小のお互いは分かちがたく結びついていた。この森羅万象にある人間を含めたあらゆる事象は、その存在の基底に抜きがたく善を内包しているのがわかった。読経にも似た大きなうなりが渦のように巻いて周囲から迫ってくるのを感じ、上田保春は恐怖する。彼は逃げ出すように駐車スペースへと向けて駆け出した。車に飛び乗り、萌えゲーのテーマソングを最大ボリュームで流すとアクセルを踏み込む。急激なタイヤの空転の後、焦げたゴムの匂いを残して車は発進した。
 深夜の高速道路を上田保春の車が疾走する。危険な追い越しにクラクションが鳴らされるが、その音さえすぐに後方へ流れて消えてゆく。死んだ、殺された、少年が、自分が。あんなにも生きたがっていた彼らの、すべては中絶してしまった。死にたい、殺したい。いや、藤川愛美の前に自分は何人も殺してきたではないか。新作萌えゲーの画像をネットや雑誌で目にする度に、ネット商店から送付されてきた真新しいパッケージを取り上げる度に、その瞬間まで愛情を注ぎ続けてきたはずの少女を忘却してきたではないか。少女を殺害し続けてきたではないか。深夜に手ずから穴を掘り、自分にさえ気づかれぬよう穴を掘り、その墓穴へ冷えた少女たちの遺体を埋葬し続けてきたではないか。あの初恋の少女は今頃どこにいるのだろう。おかっぱ頭に着物姿のあの少女は、何をしているのだろう。あの頃は、彼女なしには日も暮れなかった。どこまでいっても逃げられない薄汚さに自分を殺したいようだったあの日々に、彼女の慈愛に満ちた微笑みが救いを与えてくれた。誰も触れえない彼女の清潔さは、現実に触れえない彼女の清潔さは、いつもこの世の汚れから自分を救い上げてくれた。あんなに焦がれたはずなのに、あんなに愛したはずなのに、今はその顔もはっきりとは思い出せない。彼女はまだあの頃のように自分を愛してくれているのだろうか。誰もが眉をひそめるような汚れを身にまとってみせることで、その奥にある清潔さを誰にも気づかれないようふるまう卑怯な自分を、彼女は許してくれるのだろうか。いや、それは不可能だ。あの美しかった少女はいまや皺深い老女へと変じ、山奥の一軒家で自分ではない男のことを待っている。意識が現実と虚妄の間を行き来し、気が付けば眼前には蛍光色の三角が並んだカーブが迫っていた。死ぬべきだ。上田保春の意識は明確にそう考え、アクセルを踏み続けることを命じたが、彼の両手はハンドルを逆へと切った。次瞬、視界はレースゲームのように横倒しになり、強い遠心力に身体が持っていかれるのを感じる。死にたくないのか。ここまで来て、まだ死にたくないのか! 強い衝撃に上田保春は意識を失う。しかし、それはほんの数瞬のことだった。気がつけば、歪んだ車体のフレームを額縁のようにして、粉々に砕けた窓ガラスの散乱する地面が逆さに見えた。右足に強い圧迫を感じ、身体を動かそうにもかなわない。右半身に熱いものを感じる。それはどうやら血が流れ落ちているせいらしかった。カーステレオからは、萌えゲーのテーマソングが大音量で流れ続けている。パトカーか救急車のものらしいサイレンが遠くに聞こえ、周囲には天井に張りつくコウモリのように何本かの人の足が見えた。上田保春は悲鳴を上げる。止めてくれ! お願いだから、誰かこの歌を止めてくれ! 彼の抱いたすべての想いは、ただその一点へ収束した。
 結局、上田保春は死ななかった。気がつけば彼は病院のベッドの上にいた。何度か田尻仁美からメールが来た。返信はもちろん、読むこともしなかった。一度、彼女は病室にまでやってきた。上田保春は薬で眠っているふうを装った。しかし、田尻仁美はきっとその無言の拒絶に気づいたはずだ。あとは断片的な白い映像をしか、思い出すことができない。
 一ヶ月の入院を終えて職場に戻ると、周囲によそよそしい壁のようなものを感じた。どうやらそれは彼に向けられた悪意によるものらしかった。だとすれば、やはり田尻仁美は自分のことを愛しているのだろう。仕事の引継ぎと久しぶりの外回りを終えてオフィスに戻ると、机上に備えたクリップボードに雑誌から切り抜いたのだろう、藤川愛美の画像の切り抜きがピン止めしてあった。それはまるで葬儀の際に用いられる生前の写真のように、上田保春の目に映った。それぞれが仕事の手を休めないまま、しかし周囲の意識が彼の動向に集中するのがわかる。上田保春の胸に訪れた感情は、悲しみだった。二度死ぬという苦しみは、いかばかりだろう。これ以上の陵辱を彼女に与えるわけにはいかない。丁寧にピンを外すと切り抜きを背広の内ポケットへとしまい、右手でそっと押さえる。この胸の内ならば、誰にも藤川愛美を傷つけることはできない。瞬間、声にされぬ悪意と嘲笑が周囲に膨満するのが感じられた。藤川愛美は上田保春だった。心の奥深いところにある処女地、そこを土足で汚させぬため、余人の手に触れることから永遠に遠ざけておくため、彼は全身全霊で立ちはだかりつづけてきた。自己愛を投影し、守るべき可視の何かとして具現した存在、それが上田保春にとっての藤川愛美だった。午後の業務のためにファイルを取り出しながら、彼はただ田尻仁美に謝りたいと思った。彼女のせいではなかった。萌えゲーおたくであることを知られたくないという自己愛のためだけに、彼女の誘いを断ることができなかった。田尻仁美のことを、他人のことを大切に感じるのならば、その結果が何を生もうと断るべきだったのだ。あの夜のことをまるで無かったかのようにふるまう自分に、彼女はひどく傷つけられたのに違いない。いずれを選んだにせよ、結局は同じこの場所にたどりついてしまった。田尻仁美に期待させ、その期待を裏切ることで手ひどく傷つけてしまう方のバッドエンドにたどりついた。人の中で存在することを選択した以上、自分自身の本質を隠し続けて生きることなど、誰にもできはしない。その人間性に対する侮辱が死の瞬間まで看過され続けるほど、この世の善は盲目ではない。すべて、生身の人間を愛することのできない上田保春が、人生に負うべき負債だった。
 その晩遅く、上田保春は大田総司のマンションを訪れた。合鍵を使って扉を開けるとまっさきに、人体から排出されたものが外気と触れることで生じた悪臭が鼻をついた。床には相変わらずビールの空き缶が散乱し、奥のテレビにはなじみのロボットアニメの軍人将棋ゲームが映し出されているのが見えた。腰に分厚く巻いた肉に上体を預けるようにしてまどろんでいた太田総司だったが、気配を感じたのか億劫そうに顔を上げた。コンビニで買ってきたビールを横抱きに奪っていこうとするのに、上田保春はわずかにビニルの手提げを持ち上げてそれをかわす。バランスを崩した太田総司は片腕を宙に泳がせながらたまらず床へ倒れ込み、うらめしそうな視線を投げかける。その様子を見て、彼の心に悪意が生じた。この萌えゲーおたくをひどく傷つけてやりたかった。しばし思考をめぐらすとこれまでのようではなく、自分の中に太田総司を的確に傷つけることのできる力が生まれているのを知った。彼の弱さ、彼の執着がまるで可視の実在であるかのように上田保春には見えた。ただその言葉を言えば、太田総司は永遠に呪われるだろう。彼はいったいここで何を待っているのか。誰を愛する代わりに、自分を愛しているのか。上田保春は大田総司の目を見ながら、ゆっくりと言った。「少女はもう、君を迎えにこない」
 個人的な腹いせに過ぎないことはわかっていた。殴らせるつもりだった。自分が人を傷つけることができるのを確認するために彼を利用したのだ。それは同時に、この陰鬱な会合からの訣別の宣言でもあった。だから上田保春は殴られるべきだった。しかし、太田総司は一瞬驚いたような表情を見せると、赤子がいやいやをするように首を振り、床に額を押しつけてさめざめと泣き出した。この苛烈な世界にかろうじて生き残った最後の少女たちは、自らの苦しみに耐えることだけで精一杯だ。少女が迎えに来ることを待ち続ける萌えゲーおたくたち。そして、自らの苦しみにうずくまる少女たち。いったい、誰が救われるのだろう。大田総司のすすり泣く声と、ゲームの効果音だけが室内に流れている。やがてゲームに没頭しているようだった有島浩二が、画面からは目を離さないままぽつりと言った。「少女は俺を迎えに来るよ」その声はかすかに震えているようだった。「少女がいつか俺を助けに来る。俺にはそれがわかっているんだ」
 テレビ画面の明滅が眼鏡に映り込み、有島浩二の表情はうかがえなかった。しかし、その後ろ姿はひどく弱々しく、ほとんど泣いているようにさえ見えた。その指は彼から切り離された何かのようにゲームのコントローラーを操作し続けている。上田保春の前では露悪的にふるまい、エキセントリックな態度をとり続けていた有島浩二。それは複雑に屈折した劣等感の表出だったことがいまならばわかる。彼が発する本当の声を上田保春は初めて聞いたように思った。到底理解のできぬ不気味な、位相の違う存在だと考えていた彼のことをこれまでの長い年月をかけてよりも、その一言でより多く理解することができた。上田保春は自分の行為をひどく後悔した。
 「本当に、迎えに来るといいな」
 なぐさめや償いの気持ちからではなく、心の底から、祈りにも似た感情に突き動かされて彼は言った。祈り――それは力ある大きな存在に向けてするのではない。かなえられたいと思ったり、救われたいと思って人は祈るのではない。自分以外の誰かの存在を認め、その幸福を本当に信じたいとき、人は祈るのだ。本当に、いつか少女が迎えに来るといい。
 「ああ、迎えに来るといいな」
 有島浩二が答える。それは彼らの間に成立したおそらく初めての意思疎通であり――そして、最後の会話となった。
 現代の成人年齢は以前に比べて二十歳ほども高いのだという。だとすれば、いつまでも老人たちが枯れぬのは当たり前のことである。老人たちの年齢から二十ほどを引いてみるがよい。それが彼らの実年齢なのだ。つまり、彼らが枯れて、かつての老人たちが果たした賢者の役目にたどりつくのは、寿命をはるかに越えた先となる。確かに医学は進歩し、女性は四十を越えても子どもを産めるのかも知れぬ。情けない男たちは一回りも年上のそういった女性の子宮に注ぎ、人類は滅亡を回避できるのかも知れぬ。しかし、孤絶した魂を全へと返し、生と死の間の橋渡しをするあの賢者たちはすべて歴史のかなたへと消え、現世にはただ生に関わり続け、とどまり続けたいという欲求を捨て切れぬ者たちだけがあふれる。そして誰もが誰かを導かぬまま、自分という存在を放棄することのかなわぬまま、完全な個として消滅してゆくのだ。あの少年のように救いをもとめながら、けれど救うべき誰かは自分だけにとらわれて、そうしてみんな孤絶のうちに死んでゆくのだ。自分が聖者でありさえすれば、少なくともあの少年だけは救われたのかも知れない――上田保春は痛恨の思いで振り返る。しかし、すべては繰り言に過ぎなかった。少年への後悔の気持ちを心の中に繰り返すことも、それは結局その繰り返しの果てに疲弊して、少年の死そのものが風化して意味を無くすためにそうしているのに過ぎず、どこまでいってもやはり上田保春という意識から、その意味の重大さから離れられないままなのだ。世界の意味をすべて無いものにしながら、彼の内側にある動物が彼自身の意味を無化してしまうことを許さない。だから、我々は醜悪なのだ。世界に優先する自分、何よりも大切な自分。絶望は存在しない。なぜなら絶望は我々の外側にあり、それはすでに我々にとって無化されている。上田保春の賢者にはなれなかった祖母。彼の精神に起こった変容から一ヶ月後、祖母は元いた施設へと戻された。朝食の膳を運ぶために母が屋根裏へと上がると、木枠に身をもたせかけたまま、差し込む陽光に横顔を照らされて、祖母の精神は完全にこの世界の住人では無くなっていた。ただ微笑みを浮かべ、すべての働きかけに力を失った祖母。彼女は兄に会えたのだろうか。その瞬間の祖母が幸せだったことを、上田保春は祈らずにはおれない。彼もまた、誰かにとっての老賢者、生と死を橋渡しする存在になることはかなうまい。きっとすべての社会的な制約が消えた先、自分に残るのは萌えゲーの少女への恋慕だけに違いないから。
 退勤間際に、年間の有給休暇すべてを明日よりまとめて取得したい旨の書類を上田保春は提出した。制度が存在するからといってそれらが額面通りすべて利用可能なものであると信じるような社員は、組織の中で長生きできまい。書類と上田保春へ交互に視線をやり、呆気に取られる上司の次の言葉を待たないまま、彼は足早にオフィスを後にする。何か起こったようだと感じた同僚だが、その内心の疑いも「お疲れ様でした」という言葉に集約されるだけである。萌えゲー愛好を知られたところで何かが変わるわけではなかった。一人の人間の性癖で業務を停止させるほど、組織は感受性に満ちた場所ではない。組織からの要請を満たし続ける限り、個人は全く平等に扱われるのだった。結局のところ、萌えゲー愛好は、彼がずっと想像してきたような破滅とは関係が無かった。ただ上田保春は、破滅の一日を身近に感じることでこの人生という永遠が作り出す虚無への防戦に必死で持ちこたえていたのだ。そう思い至り、彼はひとり微笑みを浮かべた。ようやく心の底から気づくことができた。萌えゲーは真の意味で、上田保春の生きる上でのすべてだった。萌えゲーおたくであった自分がいとおしい。あんなにも苦しみながら、何も投げ出さずにこの世界に踏みとどまることを選び続けた一人のおたくが、ただいとおしい。そしていまや、この永遠の中で彼を現実に留めおく理由は一つとして無かった。
 上田保春は自宅にこもり、一切外部との接触を断って萌えゲーをプレイし続けた。ネット商店から新たな萌えゲーが配達されるのと宅配ピザが炭酸飲料とピザを届ける他には、誰とも連絡を持たなかった。意識が途絶えるまでパソコンに向かい、食べたいときに食べたいだけ詰め込む。全裸で萌えゲーに耽溺する上田保春の腹部は、日に日に厚みを増していく。いまこそ太田総司の気持ちが分かる。その姿はイコンのように、萌えゲーおたくなるものの象徴として上田保春の中に存在していた。彼はずっと太田総司のようになりたかったのだ。
 いったい何日その生活が続いたのだろう。モニターの前に座したまま眠り、覚醒すればただちに萌えゲーを継続する。特に眠りから覚めた直後には現実認識が混濁し、会社に提出した有給休暇の日付はいつまでだったかなどと反射的に考えてしまう。いまさらそんなことにこだわる自分がいるのが可笑しく感じられた。携帯の電源はオフにし、家の電話も宅配ピザを注文するとき以外はコードを抜いてある。締め切られた雨戸とカーテンは、昼と夜との区別をすら教えない。視線を落とせば、ずっと萎えたままの男性が目に入る。上田保春は苦笑した。こんなにも恋い焦がれているのに、自分の身体はそれを否定する。吐息とともに顔を上げると、モニター上の少女が二重写しになっていた。モニターの見つめすぎで視野がかすんでいるのだろうと思い、卓上の目薬を差して両目をこする。しかし、再びのぞき込んだモニターの少女は、やはり二重写しのように見えた。いや、待て。モニターの内側には少女はひとりしかいない。もう一人は、そう、モニターの表面に鏡のように映し出されているのだった。二重写しの少女の後ろには、見慣れた冷蔵庫があった。この部屋だ。理解が腑に落ちると背筋に寒気が走った。確かに、背後に誰かが立っている気配を感じる。上田保春はモニターに映った少女の顔を見る。その表情から何らかのメッセージを読みとれるのではないかと思ったからだ。しかしそこにあるのは、頬を薄紅に染めた恍惚の表情でしかなかった。それは祖母と同じ、無表情と何ら変わるところがなかった。椅子の背もたれへゆっくりと身を預けると、かすかにきしむ音が聞こえた。振り返るべきなのだろうか――上田保春は逡巡する。萌えゲーの少女たちへの募る恋慕を身体が否定し、もはや彼女たちを見ての自慰もかなわぬのに、こんな馬鹿げた萌えゲー耽溺に身をやつしているのは、少年や祖母への哀悼の気持ちからか。このあまりに平等で美しい現実の中で自分の意識がもう耐えられない、耐えたくないと感じているのを知ったからではないか。振り返ればきっと、この上田保春という名前の下に統御された一個の人格は崩壊し、終わりを迎えることができるに違いない。
 本当は、自分はどうありたいのだろう。
 太田総司のような肉の塊に墜ちて、人の愛を――なぜか田尻仁美の顔が浮かぶ――再び試したいのだろうか。突き出た腹部の上に両手を組んで、生じた迷いにしばし逡巡するための時間を与える。立ちつくす少女は、相も変わらぬ恍惚の無表情でこちらを見つめるばかりだ。やがて決然と顔を上げた上田保春は、ゆっくりと背後を振り返る。その両目の端に涙が盛り上がる。その表情が安堵とも喜悦とも言えないものにゆるんでゆく――
 確かに目の前に見たと思った少女は、しかしモニターに映しだされた画像が彼の網膜に焼きつけた残滓に過ぎなかった。上田保春が振り返る一瞬の間に、少女は消えてしまっていた。彼の表情は笑顔のまま張りつき、永遠に感情を無くしてしまったかのようだ。少女は最後の最後で、上田保春を迎え入れることを拒絶した。「少女は迎えに来ない」――彼は自分自身の言葉によって復讐されるのだ。
 結局、自死しか救われる道は残されていないのか。罪悪感や虚無感が存在するのは、魂の本来が善を希求するからだ。それはあまりに自動的に行われているため、その動きを自覚することはほとんど不可能である。善の達成が許されぬ世界に住む住人は、その苦痛から逃れるために善を汚し、冒涜するしか方法が無い。そして、本質的に善であれないことを知った個人の生に残るのは、ただ身を焼くような苦しみだけなのか。  <了>

慟哭ゲー

 「しかしわたしを信ずるこの小さな者を一人でも罪にいざなう者は、大きな挽臼を頚にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかにその人の仕合わせである」(マルコ 9:42)
 この物語に登場する人物も、”エロゲー”そのものも、言うまでもなくフィクションである。
 しかしながら、広くおたく文化の成立に影響した諸事情を考慮に入れるなら、この物語の主人公のような人物がわが社会に存在することはひとつも不思議でないし、むしろ当然なくらいである。私はつい最近の時代に特徴的であったタイプのひとつを、ふつうよりは判然とした形で、公衆の面前に引き出してみたかった。つまりこれは、いまなおその余命を保っている一世代の代表者なのである。”慟哭ゲー”と題されたこの断章で、この人物は自己紹介をかねて自身の”泣きゲー”への見解を披瀝するとともに、かかる人物がわれわれの前に現れた、いや、現れざるを得なかった理由を明らかにすることを望んでいるように見える。続く断章では、彼の人生が引き起こした若干の事件について、この人物の本来の意味での物語が語られることになろう。
 物語はわが社会において、ある規模の都市にはお互いの個性を全く判別できないほど似通って立ち並び、わが社会の持つ固有の性質を前世代から切り離して均一化する要因ともなっている雑居ビルの一室から始まる。諸君の眼前にはワープロ完熟紙にプリントアウトされたため、歳月に消えかけた”企画室”の文字が貼り付けられた扉が見えることだろう。その扉を押し開け、中へ入ってみることにしよう。部屋の中はもうもうたる煙草の煙で、机上に置かれた灰皿には吸い殻が山のようになってあふれており、無意識のリドリー・スコット的効果を醸成している。
 次第に眼前の煙がはれてゆくと、長机を取り囲むように座した数人の男がシルエットから目に見える実在へと浮かび上がってきた。彼らの前に広げられているカラフルな資料を見れば、そこには健康な精神を持つものならばぎょっとして後ずさりしてしまうような、一種異様な女性の絵図が確認できるだろう。どんな文化人類学者もその出自を探り出すことは不可能に思われるほとんど蛍光色の頭髪、顔面の三分の二ほどを占有する巨大な眼球、そして遺伝病を真っ先に想起させるほど巨大なゴムマリ状の胸がアイザック・ニュートンを嘲笑するかのように水平ないしは水平より少し上向きの角度でカタパルト然とせり出している。絵図中の女性が着用している衣類は、どうやら高校の制服で同一の所属を表しているようなのだが、三~二十頭身の容姿で立ち並ぶ女性たちは、その同一性への説得力を致命的に欠いており、もはや同じ種の系から発生したことすら極めて疑わしいありさまである。
 ここで健全な、おたくではない諸兄に説明を加えておかねばなるまい。冒頭において私が述べた”エロゲー”とは、極限にまで先鋭化した前衛芸術的デザインの奇形女性とモニター上で架空のセックスを行ったり行わなかったりする、一種のデジタル的フリークス・ショウである。現在のわが社会において二十代~三十代の男性が空想上とはいいながら奇形の女性に欲情し、ときには積極的にまぐわうことさえ妄想するというこの悪魔的嗜好を持つ可能性は、極めて高いと言わねばならない。ときに地上の物理法則に逆らってまで自身の欲情を体現させたいと願うその突出した異常性は、諸兄がいま冒頭で見たような絵図でもって何の論証も必要ないほどに明確に裏打ちされていると言えよう。背筋のうそ寒くなるようなこの現実こそ、私が高天原勃津矢と名乗るエロゲー制作者をこの物語に登場させようと考えた理由のひとつである。
 さて、再び室内へと視線を戻そう。机の向こうにはホワイトボードが置かれており、そこには”ビジュアルノベル”、”泣きゲー”と殴り書きに書かれている。煩雑にするつもりはないのだが、ここでまた若干の説明が必要ではないかと思う。なぜならこの最初の断章は、おたくたちに向かって書かれているというよりはむしろ、健全な精神を持った諸兄におたくたちの精神生活の有り様をまず理解して頂き、結果わが社会が潜在的に抱えることになってしまっている危機への理解を促すことが目的だからである。
 ”エロゲー”とはその名前が示すように、モニター上の絵図という条件つきではあるが、主に男性を対象としたエロスを含むゲーム群のことである。
 では、”ビジュアルノベル”とは何か。それは”エロゲー”からゲームの要素を取り除いたものである。「映画から映像を取り除くような暴挙ではないか!」と声を上げる諸兄の様子が目に浮かぶようだ。しかし、どれだけ本質が歪曲された劣化コピー商品であろうともその外装に別の名前をつけ必要とするものがいるならば、わが社会において全く非難されるところではないのである。諸兄の魂を削るような、自己を社会へと認知させ続けるためだけにしている毎日の作業を振り返れば、私の言うところは少しは理解されるのではないだろうか。この節操の無さが、つまり思想のなさが、わが社会の抱える危機の一端であるとの洞察も可能だろうが、それはここで語られるべき内容ではない。
 さて、ならば”泣きゲー”とは何か。それは”エロゲー”からエロスの要素を取り除いたものである。諸兄がすっかり混乱するさまが目に見えるようだ。まあ、まあ、待って欲しい。この断章を理解するのに必要な前提はこれですべて話し終えた。
 今まさに、行われている議論にたまりかねたといったふうに一人の男が立ち上がり、会議用の長机を手のひらで激しく一撃した。いよいよ、彼にバトンを渡すことにしよう。
 オールバックにサングラス、有名量販店のジャージに痩せ型の長身を包み、木のサンダルをつっかけているこの男こそ、高天原勃津矢である。
 「てめえら、いつまでもふやけたことちんたら言ってんじゃねえ! ビジュアルノベルだと? 映画と小説を足して三以上の数字で割った、安かろう悪かろう、薄利多売の廉価商品じゃねえか! 他のメディアの存在を前提にしないと成立しないような情けないお目こぼしに、説教強盗の図々しさで横文字の名前をつけたあの知的強姦みてえな真似を俺にやれってのか! 泣きゲーだと? 男が泣くのは昔からおぎゃあと生まれたときと、親が死んだときだけって決まってんだよ! それ以外のことで涙を流すという男児最大級の屈辱を、座敷牢に閉じこめられたボウフラ白痴よろしく、『ああン、泣けました』やら、『ううン、感動しました』やら、自己啓発セミナーの告白合戦みてえに、いちいちやつらがネット上で報告し合うあのおかま踊りを、おまえら見てえってのか! エロ広告の『私、複数の男たちにほしいままにされながらも、感じてしまったんです』みてえな、男のご都合に満ちた女性性への蔑視軽視と同じ価値内容の放言を、やつらがネット上の巨大掲示板へゆぅるいゆぅるい軟便のように垂れ流すさまを、おまえら本当に心の底から見たいって言ってんのか、ええ!」
 ちょうど高天原の差し向かいに座っていたスーツ姿の男が、あきれたように肩をすくめてみせる。
 一見すれば諸兄の側の代表者であるようなこの男が諸兄へ共感を与えないのは、”社会性のコスチュームプレイ”としか形容できないほど、内面と外面のギャップが彼の醸成する雰囲気にあらわれてしまっているからである。仮にこの男が諸兄と同じ朝の満員電車に乗り込んでいたとして、諸兄は決してこの男を自分たちの仲間と見間違えることはないだろう。
 これもまた、おたくの一つのバリエーションなのである。おたく産業に深く踏み込んだまま年齢を重ね、おたくと断定されることを忌避しながらもおたくであることをやめられない屈折が、彼の心に刻まれた烙印を外見へと表出しているのだ。以後、彼のことはスーツと呼称することにしたい。特定の名で呼びかけることは彼の役割である消極的な狂言回し、あるいは凡庸な背景としての埋没性に背くからである。
 「高天原さん、”泣きゲー”はもはや時代の潮流ですよ。その流れに乗らなければ作品は売れない。作品が売れなきゃ、我々はおまんまの喰いあげだ。時代の提供する大枠に乗りながら、かつその中でお客様を満足させるオリジナリティを提供することが、プロの仕事なんじゃないですか?」
 スーツをにらみつけながら、高天原は唇の端をめくりあげて歯を剥いた。鼻の頭に皺をよせた彼は、猛獣さながらである。スーツと高天原を分けるものがあるとするなら、屈折を経ないで瞬間的に表出するこの激情だろう。
 しかし、にらみ合いになる直前にスーツの方がおどおどと視線を外してしまう。スーツには他人を論評し、自己を対象化する客観性はあっても、他人を屈服させための有無を言わせぬ傲然たる主観が無い。一方で、高天原はその主観だけを持っている。
 未だ激情を底流させたまま、表面だけは押さえた声音で高天原は反駁する。
 「気取ってんじゃねえよ。エロゲーのシナリオぐらいが提供する”泣き”程度の低い感情的カタルシスで癒されたと感じること自体、あの批評家気取りのおたく様共がいかに無感動な鬱屈した日常を空費してきていらっしゃるかの証明じゃねえのか? 食い逃げ程度の軽犯罪をスパイスにきかせた、文字通りの女子供のする――女で、子供だよ!――ボウフラ踊りにふにゃふにゃ泣いて、それにオナニー以上のカタルシスを感じちまうってのは、こりゃ異常な出来事なんじゃねえのか? 俺たちが腐心を重ねて、やつらの小心なチンポをおびえさせないようなレベルにぎりぎりまで希釈して、”男の中にある理想の女性性の象徴”というエロ広告程度の実在感をしか与えていないキャラクターを見てもなお、射精するよりむしろ泣きたいってのは、おたく様共がいかにそのお大事な精神をボウフラみてえな低いレベルでの問題に拘泥させていらっしゃる、根性なしのふぬけの精薄であるかという証明じゃねえのか? これまで俺たちの作ってきたもんは、言わせりゃ確かにクソだったが、少なくともチンポをたっぷりと射精させるという、エロゲーの至上目的だけは裏切らなかったはずだ。だが、いま世間に出回ってるような”射精しないためのエロゲー”ってのはいったい何なんだ? 自己存在の証明そのものを裏切って、それはまだエロゲーなのか? エロゲーのシナリオは、シナリオなんてそんなごたいそうなもんじゃねえ、チンポを射精へと導くためのくすぐりであって、それ以上でもそれ以下でもなかったはずだろ? わざと射精を外すことで、むしろ射精への欲求をいや増すといった逆説的方法論はあったろうが、でもやっぱり最後には射精させたんだぜ? 濃厚な精子がポンプのように押し出されて激しく尿道を通過し、快楽が脳の底を痺れさせる、それはこれ以上無いほどはっきりとした男の真実じゃねえか。俺たちはいつその射精を裏切ってもいいようなご大層な芸術家になったってんだ? ”射精しないためのエロゲー”、それは、エロゲーの持つドグマそのものの明確な退行じゃねえのか? おたく様共の中での感情の問題のレベルが、射精をする以前へとどんどん退行していってるんじゃねえのか? 思春期の中高生の精子をどれだけ多くしぼりとれるかがエロゲーの誇りだったが、エロゲーで射精せずに泣きたがる現代のおたく様共の抱えている心の何かは、あまりにびっくりするほど幼すぎて、勃起したチンポを右手にグラビア本を左手に射精の対象を探して迷う、あの段階にすらまだ達してないみてえじゃねえか。おたく様共は、バゼドー氏病の眼球を持った平面キャラが情緒たっぷりのボウフラ踊りを踊るのを見てふにゃふにゃ泣くだけで、チンポをおっ立てようとすらしねえ! 俺は誇りをもって自分のことを、思春期の青臭いチンポを射精させる勃起商売と言ってきたものだったが、あの頃そこにはまだ何か人がましいものがあった。だがいまあるのは、男の野生を否応なく自覚させるあの明確な快楽を拒絶して、感情を外科手術よろしく遠隔操作するような、うすら寒い気味悪さだけじゃねえか! いまのエロゲーは、近親間での婚姻を繰り返して、そのムラの住人でなければ誰もついていけないような先鋭化の果てに繁殖力を失い、ついには濃くなりすぎた血に気が違って、内部から崩壊してゆくその途上にあるんじゃねえのか? 多くの異常者と、少しの犯罪者と、ひとつかみの同業者を生み出して、マイナスの螺旋方向に永遠に退行しつつ、お互いの姿をコピーしあうことで無限の相似へ近づいていき、どんどん縮小再生産を繰り返すだけのエロゲーに、いったいどんな未来があるってんだよ! おまんまの喰いあげだっておまえさっき言ったな? おまんま以上の何かをな」
 高天原はいったん言葉を切り、会議室にいる全員をぐるり睥睨した。誰も彼の奔流のような言葉を遮ることができないでいる。さきほどのスーツの発言ですら、会議の方向性を明確な意志で誘導しようとしてのものではない。ただ、個人的な違和感を表出しただけだ。おたくの言動は、すべて違和感の表出に過ぎない。
 立てた親指で自分の胸を激しく指しながら、高天原は叫ぶ。
 「ここに喰わせてやらなきゃ、人間は本当の意味では生きていけねえんだよ! それが”泣き”なんて低いレベルの感情じゃねえことだけは確かだ! 日常生活の鬱屈から来る心のひずみに、ちょっとしたキックバックを与えて正常に戻す程度の、お手軽な癒しとしての機能しか持たない”泣き”どころではなく、何かは知らず、人間存在の深淵に触れたんだっていう、あの魂の底の底を揺さぶる深いおののきがすべての人間には必要なんだよ! これ以上泣きゲーやら何やら、クソくだらねえことを俺の前で繰り返すなら、もうエロゲーなんざやめちまえ! ……なァ、おまえらなんでわざわざエロゲーなんか作ってんの? 相対的なライバルのいなさから、他のモノ作りより低いレベルでも、自分のプライドを傷つけないまま、噴飯ものの猿芝居に教祖よろしく安住してられるってのが、案外本当のところだったりしてな。ハハハ……。俺? 俺か……」
 言いながら、わずかに相好を崩す。会議室内に帯電していた緊張がわずかにゆるんだ。まさにその瞬間の効果をねらったかのように、高天原は倍する激烈さで長机をこぶしで殴りつけた。
 「エロに決まってんだろうが! テレクラのティッシュのアオリがおッ立つって思や、俺は間違いなくそれを書くし、鬱陶しい純文みてえな老女との背徳がおッ立つって思や、俺は迷わずそれを書く! なぜならそれが最高におッ立つからだ! 『おい、見ろよ、俺のエロはやつらのとは違って、こんなに反り返るほどにおッ立つぜ、どうだ、おまえらすげえだろう』、その気概がなくて何のエロゲーなんだよ! 漫画や! 小説や! 音楽や! アニメや! 映画や! 芸術や! そんな自分がたどりつかなかった他の創造物への復讐がやりてえなら、もうエロゲーやめちまえ! エロ以外の感性で、もうこれ以上俺のエロゲーをわずらわすんじゃねえ! さっさとこんな会社辞めて、週三日コンビニでバイトして、残りは泣きゲーで泣いてろ! すっきりした脳味噌を溜まった精子がムラムラさせるだろうが、なァに、薄暗い部屋でキーボードにめそめそ落涙して幼女も誘拐するおたく様共みてえに、下半身と脳味噌を切り離したオナニー以前のボウフラ愛撫で、便器に射精すりゃいいじゃねえか!」
 真っ赤な顔でスーツが立ち上がった。おたくとは、自身の嗜好への侮辱に何よりも敏感な者たちである。彼を立ち上がらせたのは、高天原への対抗意識ではなく、やはりかきたてられた個人的な違和感に過ぎない。
 「射精、射精、射精! あんた異常だよ! ここは企画会議の場なんだぞ! あんたの独演会でもなければ、手前勝手な観念を語る場所でもないんだ! 『作品を批判するには作品を持ってしろ』、かつてのあんたの言葉だよ。いまよりずっと売れてた頃のな。昔の威光でののしり叫ぶ以上の、時代の確実な潮流に対抗し得るアンチを、そうでなきゃ、まったく別の次元の何かを、いまのあんたが提出できるっていうのか?」
 「おうよ。ようやくわかりやすくなってきたじゃねえか」
 高天原はキャスターのついたホワイトボードを片手でぐいと引き寄せた。歯で外したマジックのキャップを床に吐き捨て、教師よろしく後ろ手にホワイトボードへ書き込みながら、高天原は説明を開始する。
 「いま現在エロゲーには、アドベンチャーやらRPGやらのゲームジャンルを越えたところに、三つの大枠が存在すると俺は考える。ひとつ”純愛ゲー”。ひとつ”陵辱ゲー”。ひとつ”泣きゲー”。”泣き”と”純愛”の違いはヤるときに使ってるチンポの質の違いで分類することができる。すなわち、そのチンポが男の本能と直結しているかどうか、だ。この意味で、”泣き”は新興勢力として台頭をみせてきたが、無視できないその影響力を除くならば、”純愛”カテゴリの虚ろな影、単なる劣化コピーに過ぎないと言うことができるだろう」
 スーツが白けを演出するために散漫な拍手をしてみせた。すでに存在する何かに批評を加えることでしか自己を主張できない、おたくの有り様のひとつである。
 「すばらしい。もうエロゲー作りなんてやくざな仕事は辞めて、どこか専門学校の講師にでも転職なさったらどうです?」
 だが、誰も同調しようとはしない。高天原は気にとめたふうもない。
 「”泣き”と”純愛”の区分の曖昧さに比べ、”純愛”と”陵辱”は明確に別の物としてそれぞれ存在を保ってきた。例え、ひとつのゲームの中にそれら二つの軸が盛り込まれているようにみえても、それは、一つの主観が”純愛”と”陵辱”の二つの領域を行き来するというニュアンスでしかなかった。わかりやすく言うなら、ひとりの女を優しくヤるか、苛めながらヤるか、その違いでしかなかった」
 スーツがなげやりに、指先でコツコツと机を叩き始める。
 「で? このエロゲー創作理論講座はどこに落ちるんですか、高天原さん」
 「待てよ。ここからが本題だ。エロゲーがこのやり方を踏襲してきたのは、人の持つ、まさに文字通りの快楽原則に外れないためだった。業界の基盤の脆弱な黎明期の、継続的な固定客を獲得しなければ、エロゲーを作り出す土壌そのものがあり得なくなってしまう当時、それは仕方のない必然だったとも言える。ただでさえ、少しの刺激にもまるでそれがこの世のおしまいみてえに動揺して、ぶぅぶぅ泣き叫ぶ近視眼の子豚ちゃんたちが相手なんだからな。しかし、いまやエロゲー産業は形あるものとして確かにこの世に姿を現した。俺たちがここに座っているいま、なお飽くことなく拡大し続けながらな。いや、肥大し続けていると言い換えたほうがより適切かもしれん。そして、あの輝かしい進取は失われた。それが無くても、放っておけば勝手にカネが流れるシステムが完成したからだ。すべての人の作り出すシステムは、カネを流すための灌漑を形成するまでがひとつのピークだ。それ以後は例外なく、ゆるやかな疲弊と衰弱の途をたどる。俺はいまここに、この閉塞したエロゲー業界に、”純愛”と”陵辱”の結婚、ないし融合が生み出すまったく新しいジャンルの創設を提唱する。題して」
 高天原は会議室の人間たちに背を向けると、ホワイトボードの中央にゆっくりとその言葉を書いた。向き直ると、そこに大きくルビをふる。 「”慟哭(なき)ゲー”……!」
 一瞬、虚をつかれたようにスーツが惚けた表情を浮かべる。だがすぐに立ち直ると、動揺を表してしまったことを恥じるように、大声でまくしたてる。
 「は、そんなのは漢字を変えただけじゃないか! さんざんあれだけののしっておきながら、ビジュアルノベルの例よろしく、ジャンルの名前だけを作って、それに踊らされている。言葉の表面的な革命性に酔いながら、その実そこに安住してるんだよ、あんたは!」
 「では、詳しく説明しよう。この”慟哭ゲー”においては、二つの主観が同じ軸線上で 別々にひとつの対象を”純愛”し、”陵辱”するが、プレイヤーが体験できるのはそのうちのひとつ、”純愛”主観だけとなる」
 「意味がわからん、全く意味がわからんよ! あんたはわざと言葉の抽象度を高めて、みんなを煙に巻こうとしてるんだ」
 「うるせえな、しゃべらせろよ。おい、ちょっと黙らせてくれ」
 高天原をねつい視線で見上げていた他の男たちが立ち上がり、スーツを取り囲むと、その両腕を鶏の羽根ででもあるかのように後ろへとひねり上げて、床へと押し倒した。スーツが奇しくも看破してしまっていたように、この場所は高天原の独演会の他ではなかったのだ。
 「お、おまえたち、自分のやってることがわかって」
 言い終わる前に、スーツの頬に平手がとぶ。スーツは突然の暴力にとたんに青ざめて、口を閉じてしまう。おたくの小心は、暴力を前にするとき沈黙を選ぶ以外にない。
 高天原は、満足そうに組み敷かれたスーツを見下ろしながら、悠然と彼の講義を再開した。
 「さて、肝心のゲーム内容だ。あらかじめ言っておくと、俺が新たに作り出すこのジャンルに追随者は現れない。我々はこの新しいジャンルを作り上げ、そして作り上げたという事実がジャンルそのものの解体を意味することになる。”慟哭ゲー”の物語の前半部分には、”泣きゲー”の文法を踏襲する。”泣きゲー”が現在持っている仕組みを”慟哭ゲー”の仕組みによって反転させるために、高い次元での完璧な擬態を行う。いや、擬態どころではない、”泣きゲー”の最高傑作を見せてやるんだ。似ていることは、ほんのわずかの違いをも否応なくひきたてるからな。では、このジャンルの本質を、物語の筋をざっと追うことで理解していただこう。主人公は何の取り柄もない、嫌悪すべき醜さよりもむしろ無価値な凡庸さに身を沈めることで自分を守ることを選ぶ類の、ごくありふれた青年だ。自分の努力によらず、例えば初期の物語設定に助けられたりして、気がつけば主人公はヒロインの前にすえられている。作為ではなく、運命のように、それが俺たちに必要とされる手腕だ。主人公からの自発的な働きかけは皆無であるにも関わらず、処女にはあり得ない商売女の媚びと馴れ馴れしさでヒロインは急速に接近し、主人公を包み、そして癒す。主人公は――つまりそこにつながるおたく共のことなんだが――ついぞ現実世界では味わったことのない理解される快楽に心を弛緩させ、だらしなく半開きに開いた口で、最初の涙を流す。ここまでは、完全に”泣きゲー”のやり方を追い、この後の”泣きゲー”的展開に、おたく共が何かの疑問を差し挟む余地が無いよう完璧に運ばねばならぬ。お互いの存在を、不可欠だが決して負担にはならぬ甘露な空気のように体験する主人公とヒロイン。入念に、罠へと追い込むように、主人公に生まれる苛立ちや悲しみや怒りさえもが、ヒロインの実在感を増すように、そしてそのそれぞれが過ぎ去ったとき、すべては幸福な陽光の記憶へと昇華するように、あらゆる時間は描写されなければならぬ。俺たちの提供する虚構という名前の蟻地獄に引き返せないほどに踏み込ませ、かつヒロインが確かにそこへ”いる”ことをおたく共に塵ほども疑わせてはならぬ。……運命の夜を語ろう。それは世界そのものの意味が反転する夜だ。嘔吐を耐えながら、奴らの悪臭放つ精神を最上の技巧で愛撫し続けてやってきた、俺たちの復讐の夜だ。深夜の逢い引きのさなか、主人公とヒロインは何者かの襲撃を受ける。棍棒のようなもので後頭部を一撃され、昏倒する主人公。ヒロインの悲鳴。暗転する場面。主人公の意識が戻ると、そこは窓のない、剥きだしのコンクリート壁に四方を囲まれた部屋だ。高い天井からは裸の電球がひとつぶらさがっている。だが、それの投げかけるおぼろな光は、部屋の隅々をまでを照らすには全く充分ではない。床の上にうごめく何か、主人公の認識ははじめそれを巨大な蜘蛛だととらえる。目をこらす主人公。闇に目が慣れるにしたがって、次第に輪郭を明らかにするその巨大な蜘蛛。モニター越しにただそうしてきたように、ここで主人公のできる選択肢は”見る”しかない。主人公は”見る”んだ、こちらを見返す、人間性を切り取られた、暗闇の底ににぶく光る、動物的な両目を。主人公は”見る”んだ、長い石段の向こうの闇にほの白く浮かび上がる神社の全容を”見る”ときのような形容を越えたおののきで、自分以外の男に組み敷かれ、性器を赤黒く二つに割られたヒロインの姿を!」
 「キチガイ、このキチガイめ!」
 鼻血を吹いて、組み敷かれたままのスーツが激しく身をよじって、高天原につかみかかろうとする。だがおたくの運動能力は、後ろから髪をつかんで引き戻され、床へしたたかに打ち付けられる結果をしかもたらさない。スーツの額が裂け、鮮血がリノリウムの床の上に散った。高天原はほとんど陶酔しており、それに気づいた様子もない。
 「突然ヒロインが絶叫する、それははじけるような絶叫だ、主人公の両手足は古びた椅子に縛りつけられている、魂の一番やわらかい部分を引き裂くその悲鳴に、耳をふさぐこともままならぬ。モニター越しに座するおたく共は、ほとんど無意識のうちに自分の常態となっていた”見る”行為の無力と残酷を、そこで初めて意識させられるんだよ! ヒロインを陵辱する男は、肉による明らかな実在感を除けば、ほとんど無人格にさえ見える、荒々しい武者のような大男だ。不定期に、日に幾度も繰り返される陵辱、絶叫、絶叫、絶叫! だが、状況はある日変化を迎える。人間がたくさんいるから、地獄はこの世界では長続きしないんだ。いつもと変わらぬように見える怠惰な陵辱、もう何日続いているのかもわからぬ緩慢な絶叫。だが、待て、そこにはいま幾分の媚びが含まれてはいなかっただろうか? ここに閉じこめられて以来、ヒロインが主人公へ向けていたある明確な意識が薄れてゆく、なぜなら主人公はただ”見る”ためだけにそこにいる物体にすぎないことを、ヒロインはやがて知るからだ。それまで石のように固く見えたヒロインの腰がうねり、わずかに円を描いたかと思うと、主人公の眼前で突如溶けるように肉であることを取り戻す。男は動きを止める。ヒロインの視線が初めて、男の視線をつかまえる。男は意想外の理知的な声で、命令するものの確かさで言う。ヒロインがうなずく。交わされた言葉は主人公には届かない。だが、ヒロインの肉が何よりも雄弁にその契約の内容を物語る。精神の不落を信奉していた主人公、すなわちおたく共はここで二度目の涙を流す。この涙は、いまや最初の涙と全く意味を反転している。それこそが、おたく共の体験してきた”泣き”とは絶望的なまでに性質を異にした、悲嘆の底の底に触れたと思うとき生じる、あの、理知や言語をはるかに超越した魂の根源が発するノイズ、慟哭だよ! 心の襞の襞まですくいとって、あますところなく愛撫するように自分を理解してくれていたはずの無二のヒロインが、その完全な理解をポジからネガへと裏返すように、ののしり、わめき、容赦も呵責もなく、おそろしいばかりの的確さでおたく共の心を引き裂いてゆく。ただ、何の精神性も持たない野獣との性交を哀願するためだけにだ! 肉が精神の高潔を裏切るさまを、その残虐な心変わりをおたく共は主人公を通じてあますところなく体験する。”純愛”と”陵辱”、彼らは全く別の主観だが、また奇妙な相似をも持っていた。射精と愛情を別のところに置きたいがあまりに切り離した下半身の欲情が身体を離れ、別の現実の形へと凝ったようなその”陵辱”が、”純愛”へと命令を下し、誰にも触れられたくないあの小昏い心の部分を、裸電球の照らす現実という名前の明るみの下に引きずり出して、粉々に破砕する。ヒロインを助け出すゲーム的手段はまったく存在しない。なぜなら、おたく共は最初、そのおたくらしい怠惰と無気力と甘えと自己中心的な繊細さをヒロイン、すなわちゲームの提示する虚構に包まれ、涙を流し、癒されるが、同時に自分たちのまったく同じ特質によって今度は現実に復讐されなければならないからだ。これは従来のゲームのバッドエンドどころじゃなくて、ただそういうふうに流れる現実の卑劣と矮小が眼前に実行されているに過ぎない。それを証拠に、物語はここでは終わらない。激しく肉と肉の打つかる不可思議の音曲に満たされていたその部屋は、ある朝終わりを迎える。男が姿を消したのだ。解放される主人公とヒロイン。その解放は唐突だ。なぜならそれは他ならぬ、おたく共の精神的自慰の手伝いをさせられてきた俺たちからの直接の復讐であり、何ら物語的効果をねらったものではないからだ。しかし、その作為的で投げやりな放逐は、かえって現実がする様相とひどく似てしまう――」
 言葉を切った高天原の表情は、サングラスの奥に一瞬悲しみをさえはらんで見えた。しかし、彼はただ言葉を求められる存在であり、それに気づく者はここには誰もいない。
 「”慟哭”後の、主人公とヒロインの生はあますところなく彫刻する。もはや虚ろな目で、自分のことを見なくなったヒロイン。希望という名前の絶望にすがるように、病院からヒロインを連れて街を出る主人公。おたく的引きこもりの果て、社会の豊かさのお目こぼしで無視されていただけのことを積極的な自分からの拒絶と勘違いしていた甘えと傲慢さを自覚し、社会性もそれを覆す才能も無い無価値な自己の等身大を見せつけられ、二人で生きてゆくためには、しかし社会の隙間に潜り込んでカネを得なくてはならぬ。四畳半のアパートで日がな一日股間をまさぐり猥褻な言葉をつぶやき続ける最も低劣な肉としてのヒロイン、必死の労働のすえに買いあたえる食料は部屋の片隅に手をつけられないまま静かに腐ってゆく。発覚するヒロインの受胎、だがそれは自分の子ではありえない。これまでの怠惰からくる日々の労働の相対的な苛烈さと、入浴を拒絶するヒロインの性器から漂う悪臭に、主人公は勃起も射精もできない身体になってしまっていたからだ。主人公は三度目の涙を流す。他人の射精を憎悪し、自身は射精できず、泣く。これは”泣きゲー”への間接的な批判だ。歳月は流れ、やがて主人公は自分が軽蔑していた両親と同じ年齢になり、カードも作れないような社会的地位のまま、働けども働けどもカネは溜まらず、ヒロインは精神を回復せず、その外見はどんどんしわぶかく醜くなってゆき、学齢期を迎えた子どもは外では苛められ、家ではかつて自分が親をののしったのとそっくりの口調で自分をののしり、やはりカネは溜まらず、ある日自らの出生の秘密を知った子どもは狂わんばかりに暴れ回ったあと、出奔する。同じ夜、台所の包丁が一本無くなっているのを主人公は発見した……。カタルシスは存在しない。これはおたく共が裏切り続けてきた現実からの復讐の物語であり、現実は作られた物語どころではなく、そこに”泣き”のカタルシスは存在しえないことをおたく共は知らなければならない。解放されたのちの主人公の、あらゆる状況に対する行動選択肢の中には常に”見捨てる”がある。主人公が”見捨て”た瞬間にゲームは終了し、二度とプレイすることはできなくなる。現実とは、幸福さえをも反芻することの許されない冷徹な不可逆と同義であることを、おたく共は知らなければならない。日常の底に、自分自身に始末をつけて人生を”やめる”という選択肢が常に眼前へつきつけられていることを意識しながら、常に”やめる”ことを選ばないからこそ、人間は尊くあれるのだということを、おたく共は知らなければならない。この物語のテーマは”懊悩する愛情の究極”だ。際限なく社会的価値・人格的意味をそぎ落としてゆき、人はどこまで煉獄のような愛の継続に耐えることができるのか? 宣伝コピーはこうだ、『地獄はあるよ、日常の狭間にあるよ』。しわに埋もれた穏やかな様子の縁側の老婆が、突然頬にとまった蚊を激しく打ち殺す瞬間のような地獄が、日常を鮮やかに変質させる。だが、地獄さえも人間の前では長続きすることができない。そして、地獄が続かないのなら、愛を続ける他はない」
 高天原は窓際へと歩いてゆき、そのうちのひとつを開け放った。澱んだ空気が冷たい外気に置き換えられてゆく。外ではすでに、ビルの作り出す峰へ都会の遅い朝日が昇り始めていた。
 窓の外へ向けて、高天原が絶叫する。
 「そうさ、おれはおたく共のあげる魂の底の底からの悲鳴が聞きてえんだよ! 自分だけは決して傷つかない場所で、エロゲーに仮託された人の尊厳や人格を消費し、不潔な銀蠅のように作られた愛情を繰り返す、人類史上最も低劣な人買いどもめ、恥じ入るがいい! そして、愛情の一回性とその不滅に”慟哭”しろ!」
 室内で行われている騒動に全く興味がないといったふうで長机の端に坐っていた小太りの男が、ノートパソコンから視線を上げないまま初めて口を開いた。
 「高天原さん、”慟哭ゲー”を可能にするための、”二度とプレイできなくさせる”という技術上の問題については、最新の外付け小型ハードディスクをメディアに使い、プラスチック爆弾と着火装置を内側に閉じこめることで解決するでしょう。ロシアルートからの技術の漏洩を利用できます」
 話しながらも、その手は撫でるようにキーを打つことを止めない。
 高天原が、朝日を背に受けてゆっくりと振り返った。その口元にはほとんど優しいと形容できる微笑が浮かんでいる。
 「相変わらず頼れるじゃねえか。よし、おまえらはシナリオ書きを探せ。若手の、女の肉を知らないヤツをだ。そういう男の幻想の中で、女は最も純粋で汚れなく、美しくあれることを俺は知っている。だが、”慟哭”後の世界は俺が書く。これは、”素人童貞”と書いて”ぼくらのピュア”とルビをふるシナリオ書きどもが持つ程度の情念では、荷が勝ちすぎる。後の追随者を許さず、作品がジャンルそのものになるには、ニジンスキーのような荒々しくも精緻な完全さが必要だからな。……うちとの関連は全く消して、新しく会社を作れ。うちの持つブランドのイメージは、この作品の受けるだろう純粋な評価をかえって阻害する。できるだけ事前にバイアスを作りたくない」
 高天原の言葉を受けて、徹夜明けで脂の浮いた顔に目だけは異様に輝かせながら、男たちは会議室を出てゆく。小太りの男がノートパソコンを小脇に禿げ上がった頭頂部へ手をやりながら退場すると、もはや朝の光で満たされた会議室に高天原とスーツだけが残された。
 Yシャツの袖で鼻血を拭いながら、スーツがよろよろと立ち上がる。
 「めちゃくちゃだ……なにもかも……あんた、いったいこれから何を始める気なんだ」
 朝日が逆光になり、スーツの側から高天原の表情はうかがえない。
 「聞いてなかったのか? すべてのおたくたちに、悲鳴をあげさせてやるのさ」

甲虫の牢獄(1)

 「いや、サングラスを申し訳ない。よく目が強すぎると言われるものでして……人前では外さないことにしています。そもそもゲームに対する批評なんてのは、全くのナンセンスですね。だいたい、世の中の大半のものは批評に値しません。もちろん、政治だけは別ですよ。日々の生活と不可分であるという一点において、改善のための政治への意識的な言及は避けられません。より広義に考えるなら、世界に対する我々の取り組みはあらゆる場合において他人との折衝を含むので、政治的と言えますから。つまり、生活と不可分なものだけが、批評に値するんです。そうでないものは、批評なんていう言葉を尽くす前に、ただその場でただちにやめればいい。やめても死にませんからね。やめられます。考えれば、この”やめる”という選択肢を持たないものは、世の中にそれほど多くありませんよ。さっき言った政治と、なんだろうな、愛? いやいや、冗談です。文学も、音楽も、芸術も、すべて疑いなくやめることができます。やめても生活が続くものを批評するのは、意味がない。ゲームなんて、文学や音楽や芸術のうちの末席の、更に後ろのムシロ桟敷でしょう――いや、いや、それに従事している人間が実感でしゃべっているのだから、余計なご批評はごめんこうむりますよ!――つまり、私たちはそこを意識しなければならないのです。私たちの熱情が”やめる”という選択肢を常に含んでいる、ということをです。紙や電子によらず、様々の媒体からの言及や論評の物量が勘違いさせ、見えにくくさせているけれどもゲームというのは、本質的に人間の営為にとって不可分・不可欠足り得ないということです。――ただ」
 「ただ?」
 「その絶望から始めるならば、どこかに届く可能性はあるかもしれない。どこかとは、人のするすべての営為が人を対象にしている以上、その心に他なりません。人間の心には”核”があります。言い換えれば、その個人の生にとっての中心的な命題です。カネとか、名声とか、セックスとか、そういったものです。その至上命題を取り巻くように、すべての後天的、つまり経験による情報が蓄積されてゆきます。先ほど尋ねられましたが、簡単に説明すると私の創作手法とは個々人の持つ”核”に直接干渉することなのです。人間は、その命題を判断基準としてしか、世界を理解できませんから。例えば、電車の中で口論を始める二人の男女がいたとしましょう。それを見て、どういう説明を加えるかは全くあなたの持っている命題次第なのです。同じ車両に乗り合わせた人間の数だけの解釈が存在しうる。状況は常にあなたの外にあるわけですから、人生とは、あるいは物語とは、外的状況を自分自身や他人に対して『どう説明するか?』ということでしかありません。説明の段階であなたの持つ”核”による情報の取捨選択、置換が行われ、あなたの現実が完成するというわけです。私は一般の方よりは多少その操作に意識的で、こう表現することを許していただけるならば、長けているのです。最も感動的な物語を作ることのできる人間は、最も人間を残虐に踏みにじることのできる人間である、ということはあなた方の自衛のためにも覚えておいたほうがよろしいでしょう。……心の”核”の話をしました。個人の”核”を肯定する情報を与えればそれは安心となり、”核”をゆさぶる情報を与えればそれは不安となる。”核”の位置を変えればそれは啓蒙か洗脳となり、”核”を破壊すればそれは憎悪か発狂となる」
 「抽象的ですね。それに人間を、ひどく単純化しているように聞こえます」
 「百人が百人理解できるよう、お話しておりますので。具体的にどう行うかという方法になりますと、これはもう、誤解を恐れずに言うならば才能のお話でして、私と同質の才能を持つ人間にしか、本当の意味で分かち合うことはできないでしょう。ですから、単純化のそしりをあえて受けて、抽象的に続けることにします。具体的なその形については、ぜひ私どもの製品をご購入いただきたい。……私はね、宵待さん、最近全く新しい手法を発見したんですよ」
 「それはいったい、どのような?」
 「個人の中にある”核”を、全く別の”核”とそっくり入れ替えてしまうやり方です。それが個人の精神に及ぼす影響を言葉に表しますと、そう……革命、でしょうか」
 「少し話が飛躍しすぎているようで、私にはちょっと理解しにくいのですが」
 「難しいことは何も言っていませんよ。そして、これまでのお話と全く乖離したものでもありません。あなたは恐れているんですよ、自分の中にある革命を。それは確かにあなたの中にあるんですよ。革命とは、個人の心にしか起こりえないことなのですから。おびえることは何もない。単純なんです。毎朝右足から靴ひもを結ぶことを決めている男が、ある日ふと左足から靴ひもを結んでみようと思う。これさえも、革命と呼ぶことができます。革命とは、個人内に完結する明文化されない通念の再構築のことです。それはあまりにも簡単すぎて、もしかしたら道徳や倫理のようにひびくかもしれません。……実際、言葉にするのは、私は得意ではありませんもので。言葉はときに、状況を単純化しすぎますからね。つまり、私が言いたいのはこういうことです、宵待さん」
 「……」
 「『あなたは変わることができるかもしれない』」
  「……の宵待薫子さん、本名・山本啓子さんが今月二十五日未明、自宅のマンションで死亡しているのを発見された事件で警察は今日、死因を自殺と断定しました……」
 ラジオのニュースが、低いトーンで流れている。
 コンビニエンス・ストアは、とても記号的だ。店内のすべてのものが、極限まで意味を希釈されてそこに存在する。陰鬱なはずのニュースさえも、コンビニエンス・ストアという舞台を伴うと、妙に白々しく、薄っぺらにひびく。
 雑誌から顔を上げて、レジの方をうかがう。正確には、その後ろの壁にすえつけられた時計を。
 午前一時四十分過ぎ。
 カウンターに肘をついて、口を半開きにぼんやりとしている店員の姿が一瞬視界に入る。ぼくはあわてて視線を雑誌へと戻した。接客マニュアルに沿っていないときの店員は、その表情や仕草に記号性を逸脱したものを発散しすぎている。店員の浮かべていた表情の裏にある様々なものへの想像が、せき止めきれないダムの水のようにぼくを圧殺しないうちに、ぼくは再び週刊誌の記事の記号性に没入しようと試みる。
 ゴシップ記事の持つ、毎週固有名詞を取り替えただけのような同一さに、ぼくは記号に守られた安らぎを覚える。一通りその週刊誌に目を通し終えると、ラックからまた別の週刊誌を取り出す。書いてある内容は何も変わらない。だが、同一であることを確認するために、ぼくは別の週刊誌を取り上げる。
 さっき時計を見たのが午前一時四十分だったから、いまは午前二時くらいだろうか。夜明けまであと三時間と少しだ。あと三時間、この作業を続ければいい。
 日付が変わってから寝床を這いだして、両親が食卓に置いた五百円硬貨を手に、歩いて近所のコンビニエンス・ストアへ向かう。そこで夜明けまでの時間をつぶし、朝食用のパンと牛乳を買って帰宅する。そして自室で日付が変わるまで眠り、またコンビニエンス・ストアへ向かう。
 その反復が、ぼくの持つパターンだった。
 もうどのくらい太陽を見ていないのか、もうどのくらいこの生活を続けているのか、自分でも判然としない。なぜ、こうなってしまったのかもわからない。何か巨大な力が、ぼくをここへすえつけているのではないかと思うことがある。だが、そんな言葉はぼく以外の誰への説明にもならないだろう。
 この生活で二番目に苦痛なのは店を出るとき、パンと牛乳を購入するのに店員の前へ立たなくてはならないことだ。
 一番目に苦痛なのは、卓上にいつも置かれている五百円硬貨を取り上げるのに逡巡する瞬間だ。その一瞬間をぼくは永遠に迷い、そしていつも敗北する。
 店のドアが開いた。
 ぼくは習い性のようになった脅えで、雑誌ごしにそちらへちらりと視線をやる。
 いつものあの男だ。有名量販店のジャージに木のサンダルをつっかけて、髪はオールバック、そしておかしなことにサングラスを、老眼ででもあるかのようにいつも鼻眼鏡にしている。
 ぼくは内心、ほっとする。いつもの時間にいつもの人間がやってくるのは、とても記号的で安定したパターンだ。このあと男はぼくときっかり二人分の間を空けて立ち、漫画雑誌をいくつか立ち読みして、いつもと同じ銘柄の缶コーヒーを一本買って、そう、三十分ほどで出ていくだろう。ぼくは、芸能人の不倫のスキャンダル記事に目を落とし、再び没頭しようとした。だが――
 男が、ぼくの横に一人分の間を空けて立った。
 ぼくは身体をこわばらせる。腹の底に重たいような緊張が生まれ、サッと全身に汗が吹く。
 それは、意味のある距離だ。ぼくはなるべく不自然にならないように週刊誌をラックに戻すと、別の雑誌を選んでいるふりで、男との間に二人分の距離を作ろうとする。
 男は雑誌から――それはオートバイ雑誌だった――目を上げないまま、唐突に言った。
 「ここ数ヶ月の観察からの判断でしかないんだが」
 その言葉は、明らかにぼくへ向けられていた。店内に他に人影は無く、男の位置はレジの店員からも離れすぎているからだ。
 ぼくに向けられた、しかしマニュアルではない言葉を聞くのは、いったい何ヶ月ぶりなのだろう。いや、もしかすると何年ぶり、なのかもしれない。
 ぼくは麻痺したように、その場から動けなくなった。
 「君の生活は、記号とパターン反復の脅迫に支配されているようだ。だが、同時に救済を求めてもいる」
 もう半歩、男から離れることができれば、男の声は聞こえなくなったろう。それほどにかすかな、ほとんどつぶやきのような声だったのだ。けれど、ぼくは完全に呪縛されていた。その言葉にぼくのパターンは破壊され、その言葉に抗するのには、ぼくの中は記号で満たされすぎていた。
 「言葉が致命的じゃないことにおびえているんだろう。自分も、他人も、すべての言葉が」
 待ってくれ、ぼくは心で叫ぶ。言葉なんて、全部記号じゃないのか。ぼくの人生に発する言葉は、すべて記号で足りた。実際、友人も、教師も、両親も、誰もぼくに記号以外の言葉をしゃべらなかった。
 『オレタチ、トモダチジャナイカ』『オマエノコト、シンパイシテルンダゾ』『ホントウハ、デキルコナンデス、ホントウハ』
 思い返す陳腐さに、みぞおちが氷のように冷える。だとすれば、記号にも憎悪をかきたてる力はあったのか。
 それらの言葉は――そう、まるで週刊誌のゴシップ記事のようだ。
 「君はつまり、もっともあり得ない場所に補償を求めていたんだ」
 ぼくはぎこちなく振り返って、男の方を見た。
 男が雑誌から顔を上げて、こちらを見る。
 「君は、革命を信じるか」
 革命は、ない。
 問いの唐突さにうろたえるよりも先に、答えが浮かんだ。遠い海を隔てた外国で、巨大なビルが倒壊しようとも、ぼくの生は革命しなかった。世界の中で物事の位置は、もはやどうしようもないほどにそれぞれの場所へ定まりすぎてしまっている。卓上におかれたペン立てのように、ぼくには物事の定められたその固有の位置が見える。たとえ、偶発的なパターンの乱れによって床へ転がり落ちたとしても、ペン立てはすぐにまた卓上の固有の位置へと戻されるのだ。
 ぼく自身の手によって。
 夜の窓の外を軍靴が通り過ぎてゆくような革命は、もはやこの世界にはあり得ない。
 「君はテロルはあり得ても、革命はあり得ないと考えているんだろう」
 その通りだ。ぼくの定まらなささえ、あらかじめ定められてしまっている。卓上のペン立てが固有の位置を失うためには、ペン立てそのものを破壊するしかない。
 ぼくは発する言葉を知らず、凝と黙り込む。
 男は少し困ったようにアゴをさすった。
 「言葉にするのは、得手じゃないな。多くの場合、言葉は状況を単純化しすぎるね。しかし、ただひとつだけ言えるのは……」
 男はサングラスを外して、ぼくの目をのぞきこんだ。
 それは思い返すに、ぞっとするような一瞬だった。
 「『君は変わることができるかもしれない』」
 ぞっとするような、甘美な。
 男はぼくへと一歩を踏み出し、最後の距離を詰めた。
 そして、ぼくの手に何かを握らせながら、重大な秘密を告白するように、耳元へささやく。
 「俺といっしょに、世界を革命しないか」
 ぼくは呆然と立ちつくしていたらしい。店内へ差し込む朝陽のまぶしさに、我に返る。
 時計を見ると、七時を回っていた。
 気がついて、手に握っているものに目をやる。汗でよれよれになっていたが、それは確かに名刺だった。メールアドレスと名前だけが書かれた、簡素な名刺。
 そこには、こう書かれていた。
 高天原勃津矢、と。

甲虫の牢獄(2)

 遠い海の向こうで、旅客機が摩天楼へと激突する。
 ぼくは知らず手をうち、快哉を叫んでいた。
 ブラウン管の中で繰り返し炎上し、繰り返し崩落する巨大なビルを見て、ぼくは死んだ祖父が熱っぽい目をして戦争を語るときに必ず感じた、あの言いようのない劣等感を久しぶりに思い出していた。ぼくは、それに対しての快哉を叫んだのかもしれない。
 あのとき、ぼくは本当に心の底から興奮していた。ぼくが生まれたときすべては終わってしまっていて、世界は情事を済ませた後の娼婦みたいに、ぼくを拒みもしないかわりにぼくを受け入れもしなくなっていた。世界の揺るがなさは、例え百万年生きたところで、一千万年生きたところで決して変わることはないと、ぼくはそれを歴史の教科書に載っているような無数の確定した事実のひとつとして理解していた。
 突然番組が切り替わり、旅客機が摩天楼へと激突する。緊迫した様子のキャスターが告げる。「みなさん、たいへんです。この世の終わりがやってきたのです、あろうことか私たちの生きているこの時代に!」
 終末の幻視。一番最初にぼくに浮かんだ気持ちは、同情でもなく、悲しみでもなく、まして憤りですらなく、そのあと生まれたすべての良識的感情を越えて、そう、快哉だった。世界という名前のゆるやかなあきらめに生じた亀裂を見た者の、変容への期待に満ちた快哉。世界が再生するための死のイベントへ向けた、心からの喝采だった。
 ぼくは、異常者なのだろう。どれだけ強く殴れば人が死ぬか、どれだけ深く刺せば人が死ぬか、最も秘すべき性の知識でさえも湯水以下の価値の情報として氾濫する中で、本来なら生物がすべて持っているはずの、その命への実感がぼくには決定的に欠落している。ぼくの知っている血は、瞳に照り返すゲームのモニターの赤でしかない。ありとあらゆる知識をあびるように与えられ、肉を養うすべての栄養をふんだんに与えられ、そうしてぼくは、命の実感とは最も遠いところで自分さえもわからぬまま立ち往生している。
 空が落ちてくることを恐れて、家に閉じこもった男の話を思い起こす。その男は間違いなく空が落ちてくることを望んでいたに違いないと、ぼくは思う。そんな破格の災厄ででもなければもう世界とはつながることはできないと、彼は思っていたに違いないのだ。
 だが、破格の災厄にさえ、ぼくの日常はゆるがされなかった。
 現にぼくは、ここで未だにどこへも動けずにいる。
 いつも焦燥感だけがあった。みながぼくを非難するのとは正反対に、何かをしなければいけないという思いは強くあった。でもそれは、両親が求めているのだろう、世間とコミットするというレベルのものではなかった。
 ぼくは、たったひとりで世界を救わなくてはいけないと思いこんでいたのだ。
 完全な自由は発狂と同じように機能する、という言葉を聞いたことがある。では、ぼくは完全に狂っているのかもしれない。選択肢は常に無限に用意されていて、その無限という広がりを保つためだけに、ぼくはどれも選ばなかった。無限の未来が約束していたのは永遠の保留で、ぼくの感情はその一片一片を怒りとか悲しみとか名付けることが不可能なまでに細分化されていた。浮揚するすべての電波を同時にひろうラジオが、ラジオという名前の役目を果たさないように、ぼくもぼくという名前の役目を果たしてはいなかった。
 ぼくが求めていたのは、鍬をひく牛のような鈍重なゆらぎの無さだった。
 けれど、誰もぼくにそれを許してはくれなかった。暗がりにうずくまっているぼくの手をとり、ぼくの盲をとき、ぼくに自由と理性の素晴らしさを教え、この世の苦しみのすべてを理解する透徹した視力を与え、そして手を離した。
 ぼくはこの世界のすべての可能性とあらゆる美しさを生まれながらにして与えられていたのだから、残されているのは世界を破壊するか、世界を救済するか、それしかなかったのだ。
 そして世界を壊す手段も救う手段もなかったので、ぼくはどこへも動けなくなった。
 ぼくには思考も言葉も助けにならない。ぼくに好悪はなく、ぼくの意識はぼくが世界を理解することを疎外しない。人生を踏み出すのに不可欠な偏見や思いこみが存在しない。ぼくの心はあまりにも歪んでいなさすぎるので、すべての働きかけはどこへも引っかかることなく心の表面を滑っては落ちてゆく。
 ぼくの前にはほとんど哲学のような圧倒的普遍性が広がっていた。
 大地を耕す牛の視界には、わずかの土しかないだろう。そこから始めなければならなかったのに、ぼくは初めからすべてが等しく大切であり、無価値であるその地獄のような場所に放置されていた。足すことも引くことも必要のない完全な楽園がぼくに与えられた最初の、そして最後の居場所だった。
 例えば、ゴールに立たされたマラソンを知らないマラソンランナー。
 ぼくはずっと、そういう存在だった。
 
 毎晩、夢を見る。決まった夢だ。
 細長い岬を多くの人間たちが一列になって、粛々と歩いてゆく。
 その左右は崖になっていて、底は見えない。
 周囲を白いもやが取り巻いていて、見通しはほとんどない。
 列を乱す者はいない。列を乱せば、墜落するしかないからだ。
 進むにつれて、足下はどんどん狭くなってゆく。
 ときどき、谷底へと落ちてゆくものがいる。
 黙って落ちてゆくものもいれば、泣き叫びながら落ちてゆくものもいる。
 しかしどちらも、ただ落ちてゆくのだ。
 次第に、周囲を取り巻いていた白いもやが晴れてゆく。
 岬は先細りの果てに、ついにその先端へと収束している。
 もうその先に道はない。
 ひとり、またひとり、岬の先端から落ちてゆく。
 黙って落ちてゆくものもいれば、泣き叫びながら落ちてゆくものもいる。
 しかしどちらも、ただ落ちてゆくのだ。
 やがて、ぼくは自分がその緩慢な行進の最突端にいることを知る。
 ぼくは大きく後ろを振り返り――
 いつもそこで目が覚める。
 全身が寝汗で濡れていた。
 正体のない頭で視線をさまよわせると、枕元に置かれた名刺が見えた。意識がクリアになる。
 高天原勃津矢。それは、ここから脱出するためのチケットだった。高天原と名乗る男の申し出は、絶対にあり得ないと思っていた、ここからの出口だったのだ。
 世界を革命する!
 ただ座したまま一切と関わりの無い場所から世界を観察する以外で、世界を救済し、あるいは破壊する以外で、世界を革命することがぼくに唯一可能な行動の選択肢だったのだ。
 ぼくはベッドから起きあがり、階下のトイレへと向かった。
 そこで、家人とはちあわせた。
 いっそののしりあいになれば、どんなにか楽に物事は運ぶことだろう。両親を殺す同年代の事件を見て、ぼくはいつもうまくやりおおせた彼らに嫉妬を感じたものだった。全員が等しく選ばれており重大で、無限の可能性を秘めているこの世界で、ぼくは誰かに明確に自分を断罪させたかったのかもしれない。この生活の繰り返しの中で両親が世界と同義になったとき、ぼくは両親を殺すのだろうと思い続けてきた。ぼくにできるのは、世界を救済するか破壊するかしかなかったのだから。
 ぼくと目を合わせないように、「コンビニに行ったのかとばかり……」と寝間着の上に半纏を着込んだその人影は言った。
 いつもならば身の凍るようなその場面に、もはやまったく何も感じない自分に気づいた。
 夜の淡い空気の下に、にぶく光を放つ五百円硬貨。ぼくは取ることも、取らないこともできる。
 それは、これまでの永遠が嘘のような明快さだった。ぼくの生は、高天原に見いだされたことで革命したのだ。
 五百円硬貨に背を向けて自室に戻ると、ぼくは名刺に記されたアドレスへメールを送信した。

甲虫の牢獄(3)

 高天原が指定した集合場所は、郊外の無人駅前にある空き地だった。
 実際には、人気の少ない真昼の電車に三十分ほど揺られていただけのことだったが、無人駅のホームに足をつけたとき、ぼくは身も心も疲労困憊の極に達していた。パターンから離れた場所で、ぼくはすべての瞬間を決断し続けなければならなかったのだから。
 小休止のつもりでホームの鉄柵に身を預け、それがここをいつ離れるかについての決断をぼくに迫っているのに気づき、ほとんど絶望的な気持ちになった。
 振り返れば、見下ろした先に目的地と思しき空き地が見える。そこにはすでにいくつかの人影がある。
 ぼくは動揺を感じた。高天原が声をかけたのがぼくひとりではないという可能性に、思い至っておくべきだった。
 自分の中に生まれた感情に促されて、鉄柵から身をもぎはなした。よろよろと駅の改札口まで歩いていく。他に選択肢は無かった。ぼくは夢遊病者のように見えたことだろう。家を出て以来、ぼくは感情の乗り物のようだ。感情が衝動を刺激し、身体を遠隔操作している。
 改札出口の階段を下りると、道路を渡る。ほとんど脅えるようにして、ぼくは空き地へと足を踏み入れた。
 そこにいる人々はお互いに無関係であるかのように距離をあけて立っており、外見からは高天原に関係する人物なのかどうか、判断がつかなかった。
 見られていることを意識しながら、彼らの前を横切って空き地の隅へと歩いてゆく。荷物を地面に下ろすと視線を向ける先に難渋し、こういう際の習い性として自分のつま先を見つめることにした。
 やがて値踏みが終わったのか、向けられていた視線が途切れるのを感じる。ぼくは塹壕からのぞくようにわずかに顔を持ち上げると、上目遣いでそこにいる人々を観察する。
 人数は、ぼくを含めてちょうど八人。服装や年齢に統一したものは全く感じられない。向こうもぼくを見て同じように考えていることだろう。ぼくは順に見回しながら、違和感を覚えて視線を戻す。
 果たしてそこには、制服姿の少女が立っていた。
 手入れの行き届いたぴかぴかに光る革靴、ワンポイントの入った白のソックス、ほとんどその白と変わらぬ細いふくらはぎ、襞の入った紺色のスカート、上着の左胸には校章だろうか、何かの植物をあしらったロゴマークが縫いつけられている。肩口に切りそろえられた黒い髪が白い襟にわずかにかかる。ふちの細い眼鏡、意志の強そうな太い眉。
 突然、少女がこちらへ顔を向けた。一瞬、正面からその目をのぞきこんでしまう。
 黒く深い、澄んだ大きな瞳。
 あわてて視線をそらす。
 ぼくのこれまでの人生がすべてが非難されているかのような、いたたまれなさが膝頭からわき上がる。慣れ親しんだその感覚を全身を固くしてやり過ごす。
 しばらくして顔を上げると、彼女はもうこちらに背中を向けており、空き地の入り口をただ見つめていた。
 両手を軽く握り、背筋を伸ばして立つ明確な意志を持った後ろ姿。
 その人生は、ぼくのものとは真逆の要素ばかりでできあがっているのに違いなかった。ぼくが持つことを拒否したものが、すべて少女の中にあるような気がしたのだ。
 どのくらい時間が経ったのか。
 周囲を照らす陽光の色合いに翳りが含まれ始めた頃――
 大型のワゴン車が空き地へと侵入してきたかと思うと、乱暴に砂埃をあげて停車した。
 助手席から、ロングコートにサングラスの男が、サンダル履きで降りてくる。コートの下には、不釣り合いにジャージがのぞいている。見間違いようもなく、高天原勃津矢だった。
 ドアを閉めると、コートのポケットに両手を突っ込んだまま、高天原は空き地の中央へと歩を進めた。そして、何かの合図ででもあるかのように軽く右手を上げる。集まった人々はお互いに牽制をあらわにし、顔を見合わせた。
 何のためらいもなく一歩を踏み出したのは他の誰でもない、あの少女だった。それに促されるようにして男たちは、ぞろぞろと高天原の周りへ蝟集する。
 ぼくは、少女の横に立った。彼女の頭はぼくの肩の下にあり、ずいぶんと小柄なことがわかった。彼女の意志が、彼女を実際より大きく見せるのかもしれない。わずかに流れる風が、甘い匂いをぼくの鼻腔へと運んできた。局部に不意の昂まりを感じぼくが顔を赤くするのと、高天原が話し出すのは同時だった。
 「どうやら一人の欠員もなく、そろっているようだ。改めて自己紹介をさせてもらおう。高天原勃津矢だ。エロゲーを作り始めて、長い。この中には私のことを知っているものも、知らないものもいるだろう。私の作品をプレイしたことがないものも当然いるはずだ」
 軽い笑い声が上がった。高天原を知らないものがここにいるはずがない、といった意味の笑いだったのだと思う。
 少女だけが笑わなかった。
 「だが、私はそんなことには関係なく君たちを選んだ。私が君たちを選んだのは、君たちが私の必要とする才能のうちで、それぞれ最高のものを持っているからだ」
 高天原は全員の目を順番に見ながら、言った。
 ぼくは身震いする。それは遠く忘れかけていた、懐かしい感覚だった。誰かが、他の誰かではない自分の存在を求めてくれている。肯定されることは、こんなにも心の奥底を痺れさせる快感だったのか。ぼくは目頭が熱くなっていくのを安い感傷だと恥じたが、その熱さが止まることはなかった。
 「狭いこの業界のことだ、お互いを見知っている者もいるかもしれない。けれどそれは、胸にしまっておいて欲しい。私はまったく一から、この場所から君たちの関係を始めて欲しいと思っている。それは、今回の作品に必要なことだ。これから一年間、私は君たちを拘束する。同じ家で寝泊まりし、寝食と仕事をともにするのだ。私はそこで、独裁者のように振る舞うだろう。生活に必要となるもの、君たちの個人的な嗜好品などは、すべてこちらで準備しよう。君たちの持つ才能への支払いとは全く別でだ。この条件を呑んでくれそうな人間を集めたつもりだが、もちろん、この場で辞退してもらっても構わない。代わりの準備はしてある」
 そこまで言うと、高天原は沈黙する。
 才能を認めると言いながら、代わりはいると告げる。高天原は的確にぼくの感情をゆさぶって、彼が意図しているのだろう結果へと誘導してゆく。ぼくに求められているものが何なのかはわからなかったが、高天原の言葉を聞いただけで、この場を立ち去る選択肢は無くなっていた。
 ぼくに代わりがいるのは知っている。この世界のほとんどの場所で、ぼくの代わりはいるだろう。しかし、それは観念的な理解に過ぎなかった。目の前でぼくの代わりが高天原に肩を抱かれて歩み去っていくのを見て、ぼくはそれに耐えることができるのか。ここに残るためなら、あそこへ戻らないためなら、ぼくはそいつを殺しさえできるだろう。
 ぎょっとして、もう一度その言葉を心の中で繰り返す。それが嘘ではなく、どうでもいい何かに冷えてもいないのを知って、ぼくは驚いた。抱いた意志が一瞬ののちに拡散してしまうだけではなく、積み上がることもあるのだという事実に驚いたのだ。
 誰も身じろぎひとつしない。場を覆う緊張感が、次第に高まっていくのがわかる。
 少女は何を感じているのだろう。隣に立つ彼女の様子をぼくは横目でうかがった。唇を引き結び、その大きな瞳でまばたきもせずに高天原をにらみつけている。
 たっぷり五分ほども経過しただろうか。ひとりとしてその場から動こうとしないのを見て、高天原はうなずいた。
 「これで私はひとつ、革命へのハードルをクリアしたというわけだ」
 高天原が相好を崩す。その人なつっこい微笑みは、先ほどの緊張感を生み出していたのと同じ人物であるとは思えない。安堵の空気が流れるのがわかった。そして、ぼくたちに向けて頭を下げる。
 「君たちの決断に対して、礼を言わせて欲しい」
 意外な言葉。しかし再び顔を上げたとき、彼の顔から微笑みは消えていた。
 「君たちの過去を見て私は君たちを選んだが、これから向かう場所でさらに君たちの過去が重要になるとは考えていない。いまから、自分の思う好きな名前を名乗ってくれ。ペンネームやハンドルネームのようなものだ。本名以外ならば、どんなものでも構わない。君たちの関係を、いまこの瞬間から新たに始めるためだ」
 高天原に促され、誰もが淀みなく名前を述べていく。外国の人名を名乗る者や、何かのキャラクターと思しき名前を言う者、数字を羅列する者さえいた。
 ぼくの全身から汗が吹き、冷えた。
 いまの自分は真実の自分ではないと思ってきたにも関わらず、ぼくに何か別の明確な自己イメージがあるわけではなかった。自分の名前を自分で決定する。それは自己定義と同じことだ。自己定義を意識的に放棄し続けてきたことが、ぼくのいまにつながっている。ぼくに何か言えるわけがない。
 だが、その逡巡が現実に何らかの影響を持つことはなく、やがて順番は回ってきた。
 何かを言わねばと、口の中でもごもごと舌を動かすが、それが言葉になって外へ出てゆくことは、ついに無かった。
 「決められないんだな」
 高天原には、ぼくの沈黙の意味がわかっているのだろう。きっと、ぼく自身よりも正しく。
 「では、君の名前は――」
 一昔前に人気のあったアニメの主人公の名前が告げられた。皆の口元に失笑が浮かんだような気がして、ぼくは顔を赤らめてうつむいた。他人の中にいるとき、ぼくの位置は否応なく他人の存在によって定められてしまう。ぼくは薄っぺらに相対化され、相対化された自分を見てぼくは無力感に思考を停止するしか無くなる。けれど、しばらく考えることをやめさえすれば、いつもその屈辱は忘却が連れ去ってくれた。
 視界の端に少女のスカートの襞が揺れるのが見えた。彼女はきっと、他人に規定されたりはしないだろう。両手を軽く握り、背筋を伸ばして立つ明確な意志を持ったその姿。少女は、親指の先を軽く噛んで、逡巡するようだった。その白い頬は内からこみあげる感情に紅潮して、暗くなりゆく大気の中で、淡く輝いているように見えた。
 「私の名前は、元山宵子です」
 よく通る、強い声だった。ぼくとはまるで正反対に、他人に何かを伝えようとする意志に満ちていた。自分の言葉が、他人にとって意味をなさないのかもしれないという疑念を一欠片も含まない、それゆえに美しい声だった。
 「そうか、君は元山宵子と名乗るのか」
 高天原が、ひどく真面目な調子で言った。
 「言い忘れていたが、元山君には週五日の通いで働いてもらうことになっている。未成年を監禁するわけにはいかない。現実の常識はエロゲーと多少違うからね」
 笑い声が上がる。やはり、少女だけが笑わなかった。
 「では、行こうか」
 高天原は身をひるがえすと、ワゴン車の助手席へと乗り込んだ。
 ぼくたちも後へと続く。運転席には頭頂部のはげあがった小太りの男が座っており、黙ったままぼくたちをバックミラー越しに一瞥した。
 ぼくの隣に少女が――元山宵子が座った。
 彼女は、ぼくの方を向いて軽く会釈をした。
 小さなおとがいが上下に揺れる。
 深い瞳の底にある、ふしぎなかぎろい。
 耳朶に血液が集まってゆくのを感じて、ぼくは窓の外を眺めるふりで、元山宵子から顔をそむけた。背後に砂埃を巻き上げながら、車が発進する。
 駅前にはかろうじてコンビニエンス・ストアに、カラオケ屋、学生用のアパートなどがあったが、しばらく走ると、同じ県下とは思えないほど田舎びた風景が広がり始めた。
 道路の両脇には田んぼが広がり、その向こうに民家が、その先に山のつらなりが、山の輪郭の上には電線が見えた。
 車内の全員が、なんとなく黙り込んでいる。高天原の言葉を待っていたのかもしれないが、それ以上に不安もあったろう。
 やがて車は大きく左折して幹線道路をそれると、山の中へと進んでいった。ほとんど一車線しか無い細い道路が、螺旋状に山を巻いている。ときどきやってくる対向車に、舗装の無い草むらへと待避しながら、ぼくたちを乗せたワゴン車は次第に高みへと登っていった。
 カーブを曲がるたびに、横に座る元山宵子の柔らかい感触が、ぼくの半身に押しつけられた。ぼくは両足をきつく閉じて、できるだけそれを意識しないように努力する。
 山道を登っていくにつれて白いもやが深まってゆく。白いもやは、通り抜けてきた山の底へ溜まってゆくようだ。
 ぼくは不思議な既視感にとらわれる。
 白いもやを抜けるとそこには――
 山肌の傾斜へ張りつくようにして段々畑が広がっており、いくつかの民家が点在しているのが見えた。
 やがてワゴン車は道路の片隅に停車した。そこから、土を踏み固めただけの細い下り坂が、一軒のわらぶき屋根の家の前庭へと続いている。
 高天原は指さして、言った。
 「諸君、あれがこれから一年を過ごすことになる、我が家だ」

甲虫の牢獄(4)

 「障害者――特に、知的障害者を身内に持った人間は」
 高天原が話し始めたとたん、その場所に漂う気配が、わずかに変化するのを感じた。ぼくは、屋根裏の物置へと続く収納式の階段に置かれたノートから顔を上げる。
 天井の低い和室。
 開け放たれた縁側。
 前庭をかけまわる鶏。
 風景をゆらがせる夏の日差し。
 卓袱台の上のノートパソコンで仕事をする者、昔ながらの低い鏡台の上で窮屈そうにペンを走らせる者、湿った畳に紙を広げて神経そうに何事か書き込んでいく者、そして、何をするでもなくただ縁側に腰掛けて足をぶらぶらさせている者――そこには年齢も、外見も、ぼくたちを知らず分けるあの固有の雰囲気さえも同じくしない人々がいた。
 高天原が話し始めたとたん、ぼくを除けば誰ひとり作業をやめず、誰ひとり顔を上げるものさえいなかったにもかかわらず、皆が高天原の話を聞いていることがわかった。それはときに他愛の無い世間話だったり、いま行われている仕事の進行状況の確認だったりしたが、その内容の如何に関わらず、皆が高天原の言葉を確かに意味のある、更に言ってよければおそらく、重大なものとしてとらえていた。
 ここに集まった雑多な人間たちにもし共通点があるとすれば、まさに高天原へのそういう感情だったのだろうと思う。
 世間話であれ、仕事の話であれ、高天原の言葉の始まりは、いつも唐突だった。
 ぼくはその唐突さに虚を突かれ、そうするとあとは目眩のするような奔流に流されていくしかなくなってしまう。
 「人生に対して、より正確に言うなら知性に対して、真摯にならざるを得なくなる。つまり、ふたり分を負って知性に正対しているんだ。きっと両親が言ったわけではないんだろうが、妹の欠落は明らかに私の責任だった。妹の持ち物を私の強欲が余分に奪ってしまったことが、彼女の欠落の原因だったのだ。それが幼い私の現実理解だった。世界観と呼んでもかまわないほどに、私を支配していた感覚だった。私にとって、知性はいつだって深刻かつ重大で、私が何かを考えることは、私の罪状が告知されているのと同じ意味を持っていた。同時にそれを無価値な塵芥と断じて、踏みつけにしてしまいたい気持ちもあったが、宗教的な禁忌と同様に、私は理性を越えたところで呪縛されていて、それは思う端から常に他ならぬ私自身によって完全に否認された。私は中身の知れない祠を背中に立つ守り人のようなもので、実体が何であるかを少しも知らされていないにも関わらず、それの聖性を頑なに信じこんでいた。誰が強制するわけでもない、放埒と虚無の中間のような名状しがたいその感覚は、私の人生の最初の段階に濃く取り巻いている。そして私は、思考と心の核をそこに呪縛されて、一歩も動くことができなくなった。杭を見つめるつながれた牛にとって、長い時間の間に杭はきっと実在ではなくなってゆくんだろう。つながれた私は、じっと一つの想念に凝っていった。周囲はあまりに深刻すぎて、あるいは当の問題に対してあまりに回避的すぎた。こういう際、子どもにとってはひどく陽気に、というわけにはいかないらしい」
 高天原は自身の側頭部を指さした。
 そこには頭髪の生えていない、部分的な断裂のようなものがうっすらと長くあった。
 「私の場合は例外なく、自分の脳髄を取りだして、妹に喰わせることを考えた。哀れなほどに子どもだったんだろうね。苦しみはふたり分だったが、心はひとつしかない。知性の欠落した恐ろしい肉が日常の底にいて、いつも無邪気に私へ微笑みかけている。その圧倒的な実在感は当時の私にとって、何か崇高な象徴ですらあったと思う。私はそれを見るとき、いつも思った。牛のような、あるいは虫のような、悲鳴を上げることのできない存在こそが、世界で最も苦しんでいるのだろうと。私が想像したのは、莫大な空間につり下げられた細くて長い紐の結び目だった。心を持たないがゆえに、発狂という安息を取り上げられ、時空間に偶然発生した自我という名前の結び目を、永遠の客観性の中で凝視し続けるという苦しみ。そう、私が妹を観察して得た最大の恐怖は、心を持たないはずの彼女にも、自我は存在するのだという恐怖だった。悲鳴を上げることができなかったのは、私でもあり、妹でもあった。妹に私の脳髄を喰わせることがついにかなわなかったように、私が理解したのは、どんなに絶望的に願ったとしても、心を持たない者に、知性を伝えることはできない、ということだった」
 高天原は人差し指で、滑り落ちてきたサングラスの位置を直した。
 「とても特殊な例外をのぞいては、知性は常に絶海の牢獄のように、切り離されている。例えばインターネットというメディアは、心をそこに置かないままに知性だけを伝播させようとする点で非常に象徴的だ。そこにいる人々は知性を階層的にではなく、並列的に判断しようとしている。リンクをたどるようにだ。階層的とは、人類の歴史の時系列と考えてもらってかまわない。つまり、ネットワーク上に自我を顕在化させたかれらは、心をそこに置かないがゆえに、何かの巨大な連続としては自身の存在を定義できないんだろうと思う。彼らは人類の歴史という流れから完全に切り離された、文字通り単独の個体なんだ。いのちの蓄積からではなく、たったひとりから始め、たったひとりで人類の数千年の知性を一から積み上げようともがいている。長い時間をかけてではなく、一瞬間に手に入れようといつも焦れている。それは苦しみどころではないだろう。彼らは自身の負う苦しみに気づかないがための、魂の芯を麻痺させる麻薬を欲している。我々の仕事は、つまり、それさ」
 高天原は窓の外へ顔を向けた。
 サングラスを外し、目を細める。
 「私は、この世界のすべてが砕け散り、終わりを迎えたとしても、きっと自分があそこへ戻ってゆくことを知っているんだ」
 ほとんど放心しているように、そう言った。
 高天原の話した内容を理解したとは、到底思えない。
 しかし、高天原の話した内容というよりも、彼の声の調子や彼がただそこに座っていることが、ぼくの現実認識を揺さぶった。
 人は知性そのものにではなく、知性を持った心がそこにあることに屈服するのだ。この感覚は理不尽だが、理不尽であるがゆえにあらがうことができない。ぼくはここに来るまで、それを知らなかった。ぼくの世界への関わりが、間接的なものだということに気づいてすらいなかったのだ。
 高天原が縁側の向こうに広がる空を見た。太陽は空の半ばをとうに過ぎている。
 「そろそろ、食事にしようか」
 皆が作業をやめ、身の回りを片づけ始める。元山宵子が無言のまま縁側から立ち上がり、土間へ降りていったかと思うと、大きな飯櫃を抱えて戻ってくる。呆然と座っているうちに、次々と食事の用意が運ばれて来、やがて卓の上は皿で埋め尽くされた。
 汁、焼き魚、お浸し、漬け物。
 卓の真ん中にあるいくつかの大きな鉢には、芋などの煮つけが盛り上げてある。
 筮竹のようにぎっしりと箸の詰まった箸立てから、皆が箸を抜いてゆく。
 横から、湯気の立つ白い飯の茶碗が手渡された。
 見ると、頭頂部のはげ上がった小太りの男が座っている。
 「いきわたったかな。それでは――」
 高天原の言葉に、場のざわめきが消えた。
 みな、これまでの来し方を振り返るかのように、思い思いの方向へ視線を向けている。じっと目を閉じる者もいる。
 すでに日は大きく傾き、外は薄暮の様相を呈していた。
 自身の羽根に首を埋めて眠る鶏。
 草葉の陰にチリチリと鳴る虫の声。
 そして、過ごした今日と同じ長さをした、長い静寂。
 「いただこうか」
 しかし、それは時間にしてみれば、ほんの数秒のことに過ぎなかった。
 場がざわめきを取り戻し、食事が始められる。
 ぼくは、不思議な感覚にとらわれたまま、白い飯の上に立つ湯気を眺めていた。
 横に座った小太りの男が、ちらりとこちらを見た。
 そして、低い声でこうつぶやいた。
 「君はきっと、長い間こういう食事をして来なかったんだな」
 何か他人の言葉の孫引きなんだろう、とぼくは考えた。
 ぼくは長い間こんな食事をしてこなかったんじゃない。これまでに一度もこんな食事をしたことは無かっただけだ。この男は、ぼくのことを何一つ理解しているわけではない。
 けれど、その言葉はひどく胸に落ちた。 それは、暗くなってゆく外の景色に比べて、この部屋の灯りがあまりに煌々と明るいせいかもしれなかった。
 懐かしさを感じるわけはなかった。なぜならぼくの人生のうちに、こんなことは一度だって、無かったのだから。
 ひとりで冷たいテーブルに座る子どもの映像と、冷えた飯の無機質なこわばった舌触りが一瞬脳裏をかすめた。
 男はもはや興味を失ったかのように、ひとり背中を丸めて、器用に焼き魚の身を骨からはがしている。
 ぼくは湯気の立つ茶碗を取り上げて、白い飯を口に運んだ。
 それは、不思議な感覚だった。
 知らず、頬を涙が伝い落ちた。

甲虫の牢獄(5)

 日々はここに来る前にぼくが想像していたような劇的さではなく、淡々と過ぎていった。生活のスケジュールは高天原によって管理されており、徹夜で作業をしたことなどはほとんど無かった。
 朝は六時に起床して、鶏の駆け回る前庭でラジオ体操を行う。ラジオ体操が終わる頃には、元山宵子が小太りの男の運転するワゴン車に乗せられて、自宅で作ってきたのだろうか、大量のおにぎりとみそ汁の大鍋を朝食として運んでくる。ぼくは全神経を集中して元山宵子のにぎったおにぎりを味わい、彼女の風味を探し出そうとするが、いつも失敗する。朝食が終わるか終わらないかのうちに、元山宵子はまたワゴン車で下界へと送られてゆく。
 七時半過ぎごろから仕事が始まり、正午まで続く。
 昼食には朝のおにぎりの残りに加え、塩漬けや煮付けが用意されることが多かった。この塩漬けや煮付けは大量に作られた大皿から何日もかけて全員で消化してゆくのだが、最初に感じた抵抗感は一週間ほどで消えた。
 午後には昼寝の時間が一時間あり、みな思い思いの場所で横になって、高天原のセットした目覚ましが大音量で鳴り響くまで眠る。
 夕方に、元山宵子が再び姿を見せる。制服の上にエプロンをつけて、小太りの男を助手に夕飯の支度をする。だいたい七時頃から夕飯が始まり、食事を終えた者から高天原が薪で焚いた風呂へ順番に入る。
 風呂の後には簡単なミーティングがあり、仕事の進行状況と問題点を高天原にそれぞれが報告する。全員の報告が終わる頃には片づけを済ませた元山宵子が土間から座敷に顔を見せ、「お疲れさまでした」というお決まりの言葉を残して帰宅する。
 ミーティング後は基本的に何をしていても構わないが、仕事を継続する者もいた。足を制限された山奥の一軒家に、受信される放送局の少ないテレビ一台では、他にすることは無かったからとも言える。直接チャンネルを回す古いタイプのテレビで、ここに来た当日にはゲーム機を接続するジャックが無いと悲鳴が上がったものだった。
 十時を過ぎた頃には誰からともなく立ち上がって布団を引き始め、高天原が布団に入っている皆を見まわし、「それではまた明日」と言って電灯のひもを引く。十一時を迎えないうちに部屋の灯りは消える。
 おおむね、毎日はこんなふうに過ぎていった。ぼくたちの集まっている目的を考えなければ、ほとんど健全と言ってよかっただろう。
 ぼくに与えられた仕事は、一人の少年が一人の少女と恋に落ちる場面をシナリオとして書くことだった。
 「君自身がその少年だと思って、その少年に自分自身のこれまでの人生を投影するつもりで、正直に書くんだ。もしまずいところがあれば、あとで私が修正しよう。上手にやるのではなくて、正直に書くんだ。少女の容姿や設定は君のシナリオが完成してから、すべて逆算でデザインする。私が求めているのは君が自分自身に正直であること、そして君の理想の少女を理想そのままに美しく書くこと、それだけだ」
 高天原は最初にそう言ったきり、ぼくを完全に放っておいた。
 ここにやってきた最初の数週間、ぼくは一切何もしていなかったといっていい。ミーティングのときも、高天原はぼくにだけは仕事の進行状況を聞かなかった。モニターの上に日々完成していく精緻な絵を横目にして、ぼくは真っ白なノートの前にただ呆然と座っていた。周囲にはさぞかし馬鹿のように映っていたに違いない。
 八月に入ると、元山宵子は朝やってきてから、夜まで帰らないことが多くなった。
 しかし食事を作る以外は何をするわけでもなく、ときどき本を読んでいることもあったようだが、縁側で前庭を眺めながら足をぶらぶらさせていることがほとんどだった。細いうなじに陽光が照り返して白く輝いているのを見るのが、ぼくは好きだった。
 一度だけ、どんな仕事をしてるんですか、と元山宵子がノートをのぞきこんできたことがあった。そのときのぼくは大慌てでノートを閉じると、何も言えずただぎこちない微笑みを返すことしかできなかった。元山宵子は一瞬、目の奥にふしぎなかぎろいを見せたが、一言謝ると元のように縁側に腰を下ろした。
 集まった人間たちは、あまり私的なことは話さなかった。高天原がそれとなく、これまでのことについて話すのを禁じていたせいもある。暑いとか寒いとかうまいとかまずいとか、その場限りに終わる感情以外の話題は、必然的に仕事に関することばかりになった。プログラムやそれに類する専門的な話は全く理解できなかったので、ぼくはいつもなんとなく蚊帳の外に置かれているような気になったものだった。高天原を除くならば、ぼくが思い出せる言葉でのやりとりというのはとても少ない。だから、その場面はとてもよく覚えている。
 それは、元山宵子のいる午後だった。
 プログラム担当の男が突然、奇声を上げながら後ろに向けてひっくり返った。
 仕事に煮詰まってのことだったのかもしれない。男は大の字に寝ころんだまま、誰へともなく言った。
 「俺、文明の進化って言うのは、容量を減らしてゆくようなものだと思ってるんだ」
 仕事上のトラブルにひっかけていたのだろうか、唐突な内容だった。縁側に座って足をぶらぶさせながら、庭を眺めていた元山宵子が振り返る。
 「逆じゃないんですか。世の中の複雑さはどんどん増えてゆくように思えますけど」
 「ところが俺によるとそうじゃないんだな」男は仰向けからぐるりと身をかえすと、元山宵子に向き直った。
 「俺が言っているのは、人間のことさ。こうやって話している言葉だって、省略できるものはどんどん省略して容量を減らしてるだろう。人間の言葉なんてのは、本当はたいそうなものじゃなくて、圧縮と解凍の連続でできているマシン語のバリエーションみたいなものに過ぎない。ただ、最も正確にしゃべったとして周囲に正しく命令が伝わるとは限らない、ヘボ言語だがね」
 元山宵子は黙って聞いていたが、ただ眉を少し寄せるだけの表情でいったい何を言っているのかわからないと伝えていた。彼女の感情はときどきほとんど言葉にされないにも関わらず、驚くほど周囲に伝わることがあった。元山宵子はきっと、それを意識して使い分けていたと思う。
 男はいらいらとした調子で続ける。
 「圧縮するためには、余分な情報は真っ先に削る必要があるだろう。俺が言うのは、そういう意味さ。科学技術の発展によって、車とか飛行機とか、まず世界の広がりが圧縮されたんだ。いまは人間そのものが圧縮されてきてる最中なんだよ。例えばエロゲーの世界なら、俺なんてまず真っ先に削られてしまうだろう。俺が主人公だったことは一度も無いし、ゲーム内のカメラが向けられる瞬間も無いだろうからな。スポーツゲームの観客席のようにのっぺりとした、背景を持たない一枚の書き割りなのさ。他人なんてすべて自分にとっては書き割りみたいなもんだし、このやり方が全く正しいことを認めざるを得ないね」
 自嘲気味に男は乾いた笑いをあげた。
 「俺たちをいつも白けさせて正気に戻らせちまう現実の雑音は、エロゲーでは全部無いのと同じように圧縮されて、ただ感動や欲情や俺たちが必要としているものだけが残る。俺がこの仕事に止まり続けているのも、たぶんそれが理由なんだ。エロゲーは俺たちが過ごしやすいように、現実の旨みだけを取りだして誇張して、必要の無い部分はすべて圧縮してくれる。エロゲーで体験できる生の密度に比べれば、現実なんてオンラインゲームみたくクソ薄っぺらだよ。ひとつの解答を見つけるのに数メガバイトくらいのシナリオじゃなくて、何年もヒントすら無いままにさまよわなくちゃいけないなんて、神様っていうのはきっと相当のヘボクリエイターなんだと思うよ。俺はエロゲーを作ることで、この世界が実はクソゲーだということに気づいてしまっている連中に、やつらが体験したいと思っている正しいプロポーションに成形された世界を見せてやってるんだ。神様のしわ寄せ分を俺たちがせっせとアイロンがけしてるってわけさ。それとも裁断かな。だとすれば、科学技術が次に求めるべきなのは時間を圧縮する手段だよ。SFみたいに旅行する必要は無いんだ、ただ圧縮できさえすればいい。クライマックスからクライマックスへ、現実においてエロゲーのイベントのように意味のある濃度を持った瞬間だけを体験して、残りをすべてスキップできる装置さ」
 そこまで聞いて、元山宵子がわずかに息を吐いた。
 「そんなふうに圧縮や省略を繰り返せば、残るのは生まれることと死ぬことだけなんじゃないですか。私は少なくともゲームのプレイヤーとしては現実を生きていません。無数の取捨選択の中で私だけの意志を提示するために、この世はこんなにも膨大に作られているんだと思います」
 男は口元に嘲りを浮かべ、ひらひらと宙空に手を泳がせながら言った。
 「楽な小遣いかせぎをしている高校生ぐらいには、わからんよ」
 その言葉に、元山宵子が跳ねるように立ち上がった。夏の陽光が大きく影を作ったせいだろうか、小柄な彼女が室内からは一瞬倍ほどにも大きく見えた。
 逆光に輝く両目だけが強調され、燃える火のような瞋恚が瞳の底に渦巻いているのがわかる。
 思わず、といった感じで男が起きあがり、居住まいを正す。ばつの悪そうに頭を掻きながら、「悪かったよ、煮詰まってたんだ」とつぶやいた。
 「死に直面すれば、生を再生できるかもしれない」
 ふすまを隔てた隣の部屋に、籐椅子の上でじっと眠っているようだった高天原が口を開く。
 「省略の果てに人生のすべてを体験すれば、そしてそのとき君がまだ生きていれば、もう一度同じ人生を体験しなおすしかない。その人生はきっと以前と同じだろうが、それを体験する君自身は元の君とは違っているだろう。生の反対は死じゃないんだ。生の反対は、再生なんだよ」
 この言葉を高天原の言う本当の意味で理解したのは、ずいぶんと後になってからのことだった。
 振り返ると、元山宵子はいつも通りの小柄な制服の少女だった。
 彼女は縁側に日干ししてあったエプロンを身につけると、夕飯の準備をするために土間へと降りていった。