猫を起こさないように
<span class="vcard">小鳥猊下</span>
小鳥猊下

ゲーム「FGO第2部終章」感想(レイド戦後)

 ゲーム「FGO第2部終章」感想(レイド戦まで)

 遅ればせに、FGO第2部終章クリア後の感想を述べます。敷いたバンズの上にレタスやパティやトマトをのせていき、どこまで具材を追加するかはシェフ次第で、いつフタのバンズをかぶせても完成できるハンバーガーのような物語構造であったことが、ついにあきらかとなりました。あらかじめ、このエンディングを用意ーー7年前くらい?ーーしていたからこそ、ほとんど野放図かつトンチキに「型月時空」の風呂敷を広げていくことができていたのだと、ようやく舞台裏のカラクリを目撃した気分です。いまは、バッターボックスで配球をゴチャゴチャ考えていたら、「球速180キロをほうれるピッチャーに、なんで変化球が必要なんだ?」とばかりに、ミットのど真ん中へ続けざまに豪速球が3つ投げこまれるのを、ただ見送った打者の心境になっています。最終回だからこそ語れる内容や、”その後”をかえりみなくていい展開など、有利な加点要素はかなりありましたが、私の中ではやはり奏章IIIに軍配があがります。ファンガスは、執拗に同じテーマとモチーフだけを語り続けている作家で、FGO第2部終章の結部には、これまでになかったほど率直に、それが表れているように感じました。すなわち、「本質的に、人は善行を為そうとする生き物である(結果として、その行為が悪に転じることはある)」「天才は時代に固有の孤島であり、世界のもといとなるのは、いつだって凡人たちである」「世界を救える立ち場に置かれたら、だれだって世界を救おうとする」という考え方がそれで、個人の主義主張にとどまらず、「人間社会の持つ、当然の枠組み」として真正面から語られるのです。「でも、受け入れられない人もいるのでは?」というおずおずとした問いかけに、「いまはわからなくとも、いつか受け入れなければならない」とまっすぐに目を見つめながら返答してくる感じで、これを”説教”ととらえる人がいるのは、よく理解できます。

 世界を救おうとしている人物へ、「毎朝のコーヒー1杯」や「悪夢から目覚める1秒」を与えるために、おのれの生命や人生を投げうてることを”至高の献身”と描くのは、充分に感動的ながら、どこか日曜日の特撮ヒーロー的であり、「だれを悪とし、なにから世界を救うのか」という今日的な問いからは、くり返されすぎたあまり、少しズレが生じているような気はしました。「人の歴史は、善と悪をくりかえしながら高い塔を築いており、いつかその先端でだれかが真理にたどりつく」という胸をうつ述懐も、文系由来の劣等感をこじらせた小鳥猊下には、「(ただし、理系に限る)」との注記がまざまざと見えます。宮崎翁が「ひとつの作品の寿命は30年」と看破したように、「積みあがらず摩耗して、時の流砂のうちへ埋没して消えゆく」のが、あらゆる文系的想像力のたどる末路ではないでしょうか(すいません、自分語りです)。そして、ファンガス本人はけっして認めないだろう、FGOを通じてたどりついた”テキスト界の大御所”へ、面とむかってはだれも言えなくなった批判に、「どれだけガワをたがえても、ヒロインの中身はみんな同じ」があります。いつだって、作中でもっとも残酷かつ悲惨な目にあわされるのが、「オレの至高で最愛なナオン」というわけです。もちろん、稀代のストーリーテラーであるファンガスに、他のキャラ造形や他の展開を書けないはずがありません。型月のヒロインたちは、くりかえされる作品テーマと同じく、彼/彼女の心に巣くうアニマを”逆”ファム・ファタールーー必ずひどい目にあうのでーーとして、「全人類は残らずこの凌遅刑を、魅力的と感じるべきアルよ!」とばかりに渾身の筆で出力した存在であり、性癖に駆動された激しい衝動によって、そう書かずにはおれないのです。

 なんだか全体的にディスってるみたいになってきましたが、小鳥猊下にとってのディスりはファンガスのヒロインいじめと同質のものであり、レイド後の終章をプレイ中はずっと泣き続けていましたし、いまも大きな喪失感にFGOアプリをなんとなく起動しては、すぐに終了させることをくりかえしております。すでにお伝えしているように、率直な読後感としては「エロゲーのノーマルエンド」であり、「ストーム・ボーダーによる脱出直前の、ダビンチちゃんの呆け顔」みたいな、回収されていない伏線とおぼしきものも散見されますので、いつになるかはまったくの不明ながら、もういちど「ドンデンがえしのトゥルーエンド」が語られるような気がしてなりません。ともあれ、10年間をほぼ毎日ログインして、ログボ入手とAP消費をすませて5分ほどでログアウトするコトリ・ゼム・ゲイカa.k.a.コトリゲイカ・ブルーフィルムは、ファンガスのこれまでの旅路をことほぐとともに、ホヨバにバトンをわたしてのFGOリメイク発表を心待ちにするものであります。

雑文「2025年のnWoテキストまとめ」

 なぜか一昨年より続いてしまっている、非虚業従事者による虚構への理不尽な難癖であるところの「週刊・小鳥猊下」ですが、いまカウントしたら今年は53本ありました。フィクションへの感想と見せかけながら、かなり精密な情動のライフログになっており、やめどきを逸してしまったなと感じております。それでは、ゆるゆると2025年をふりかえってまいりましょう。各記事の紹介に付記する星マークの5段階評価は、作品ではなく自分のテキストに向けたものです。

凡例:★★★★★(5点・最高)
   ★☆☆☆☆(1点・最低)

No.01:ゲーム「原神第5章5幕・灼烈の反魂の詩」感想 ★★★★☆
 大陸産の原神と出会い頭の事故を起こしてから3年半が経ちますが、毎日ログインは継続しております。FGOは昨年の正月にうっかりログインを忘れ、3,483日で記録は途絶えました。

No.02:劇映画「孤独のグルメ」感想 ★★☆☆☆
 食しか興味のない中年男性たちに、クールでユーモラスな自認をあたえてしまった罪深い作品。家人が作業中のBGVとして、くるったようにテレビ版をリピートしており、心配になります。

No.03:雑文「学園アイドルマスター、あるいは篠澤広について」 ★★★★★
 格闘技で少女が男性を圧倒するなど、現実世界に危険な影響をおよぼしかねないフィクションが横行する中、数学や物理の分野でならあるいはと思わせてくれるバランスがうまいです。

No.04:映画「機動戦士ガンダム・ジークアックス」感想 ★★★★★
 オタク文化が歴史と化しつつあることの証左となる作品だったと思います。彼らを虐げていた70代以上が現世から退場することで、Qアンノ世代の神格化は完成するでしょう。

No.05:漫画「メダリスト(12巻まで)」感想 ★★★★☆
 作家の類型には「憑依型」「溺愛型」「俯瞰型」の3種類があると思ってるんですけど、完全なる「溺愛型」と判明しました。ヨネヅのアホはどういう了見であちこちに尿をかけてんの?

No.06:雑文「少女漫画について」 ★★★★☆
 マシュマロを経由した匿名ファンからの問いかけに応える形で書かれたテキスト。おのれの来歴を確認する良い機会となりました。キミも物怖じせず、どんどん小鳥猊下に話しかけよう!

No.07:漫画「ダイヤモンドの功罪(7巻まで)」感想 ★★★★★
 完全なる「俯瞰型」の作家だと言えるでしょう。この作品に出会ったことで、野球なる遊戯がいかに昭和時代を占有していたかを思いだしました。休載が多いのだけは、心配です。

No.08:漫画「二階堂地獄ゴルフ(6巻まで)」感想 ★★★★★
 引き伸ばしの悪癖は、ストーリーが思いつかないからか、少ない労力で原稿料を得たいからか、いったい何に起因するんでしょうねえ。福本版アオイホノオ、本気で期待しています。

No.09:アニメ「機動戦士Zガンダム」感想 ★★★★☆
 ゼータのほうが上等だと思っていたので、びっくりするほどつまらなくて、ビックリしました。アッシマー?が強すぎるのと、終盤で北斗の拳みたいなオーラが出るのに、笑いました。

No.10:ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(下位クリアまで)」感想 ★★★★☆
 ルックスは最高なのに、プレイするほどガッカリ感のつのる、不思議なゲーム体験でした。なぜか東大修士卒で総代をつとめたという女性にスキをつけられ、ビックリしました。

No.11:ゲーム「モンスターハンター・ワイルズ(HR100まで)」感想 ★★★☆☆
 なぜか今年、もっとも読まれた記事がこちらです(いま確認したら、5,000viewほどありました)。おそらく検索エンジンの上位にいたせいですが、中身はたいしたことないです。

No.12:雑文「M. Wilds and J. AYASEGAWA」(近況報告2025.3.19 ★★★★☆
 平井大橋の特異性をヘンリー・ダーガーになぞらえたのは、本当に慧眼だったなと自画自賛しております。一般読者との交流も付記されており、もっと小鳥猊下に声をかけましょう。

No.13:アニメ「全修。」感想 ★★★☆☆
 1話はおもしろかったのですが、全体を通して見れば、「なんでこんなん作ったん?」としか言えない仕上がりでした。きっと、小鳥猊下の同人誌もそう思われて……るわけないやろがーい!

No.14:雑文「虚構ガッカリ日記」(近況報告2025.4.3 ★★★☆☆
 アニメの出来が悪いせいで原作がとばっちりの罵詈雑言をあびた、かわいそうなケース。でも、正直なところ、もう群像劇と化した「終わらない物語」をたしなむ時間も気力もありません。

No.15:アニメ「アン・シャーリー(1話)」感想 ★★★★★
 赤毛のアンという作品が、本邦においてどう受容されてきたかをひもときながら、モンゴメリの人生にやさしくよりそう名テキスト。押入れの草稿であるnWoは、いつ日の目をみますか?

No.16:ゲーム「崩壊スターレイル第4章・安眠の地の花海を歩いて」感想 ★★★☆☆
 最後の最後でFGOの野郎がぜんぶカッさらっていった感がありますが、今年は個人的に崩壊スターレイル・イヤーでした。オンパロス編は、SF好きなら読んでおくべきでしょう。

No.17:アニメ「チ。」感想 ★★★★★
 この作品に対する各人の評価は、そのまま「フィクションの誠実さ」に対する踏み絵となってる気がします(C教だけに)。大学教員とおぼしき人物から激賞されたのが、印象に残っています。

No.18:ゲーム「オブリビオン・リマスタード」感想 ★★★★☆
 ここに記述したオブリビオンに対する感覚って、どのぐらい同意を得られるものなのでしょうか。生真面目な本邦からは絶対に輩出されない、西洋文明の精髄みたいなゲームだと思います。

No.19:雑文「J. METATRON and D. SHINKANSEN」(近況報告2025.5.8 ★★★★☆
 先日、FGOの各章にランキングをつける毒舌noteを楽しんでいたのですが、奏章IVに高い順位をつけるのを見た瞬間、「ケッ、その程度の審美眼か」と読むのをやめてしまいました。

No.20:漫画「住みにごり(7巻まで)」感想 ★★★☆☆
 6巻まではまちがいなく面白かったので、本質的に「終わった物語」にいつまでも未練を残さず、稲中卓球部の人みたいに、どんどん異なる設定で新作を発表していくべきでしょう。

 あけましておめでとうございます。
 ことしもよろしくおねがいします。
 じあいはつづいており、なにとぞ。

No.21:アニメ「アポカリプスホテル(6話まで)」感想 ★★★★☆
 個人的に2025年のベストアニメ。でも、1クール12話って、ストーリーものを語りきるには短すぎると思います。ちょうどいいと感じたのは、オッドタクシーぐらい(あれは、ミステリーか)。

No.22:映画「ミッション・インポッシブル:ファイナル・レコニング」感想 ★★★★☆
 CGがアクションを置換したあと、AIが役者を置換しつつある現在、映画制作の根本的かつ不可逆な変化にむけた、生身の人間による最後のリベリオンという印象を持ちました。

No.23:ゲーム「Clair Obscur: Expedition 33」感想 ★★★★★
 気むずかし屋のファンガスもニッコリの、フランス産JRPGという矛盾を実現する存在。はてなダイアリーで「暮らし」カテゴリのブックマークがついたのは、おもしろかったです。よく読めてる。

No.24:映画「トラペジウム」感想 ★★★★★
 アイマスやラブライブに代表される「アイドル至上時空」の外側を2次元でやったらどうなるかという思考実験。それはつまり、我々の現実なのですが、東ゆうの言動にすっかり感情をやられてしまいました。

No.25:アニメ「機動戦士ガンダム・ジークアクス(11話まで)」感想 ★★★☆☆
 Qアンノの介入により曲がった部分は確実にあると思っていますが、それなしではここまでの瞬間最大風速的なネットバズをえられなかったことも、また事実だと言えるでしょう。

No.26:アニメ「機動戦士ガンダム・ジークアクス(最終話)」感想 ★★★☆☆
 結果として、なぜ自立しているのかもわからないほど少ない骨格をパズル的に組みあわせ、奇跡的に自立してまった作品という印象です。ガンダムへの苦手意識は、深まりました。

No.27:映画「28年後」感想 ★★★★★
 やはりヨーロッパからユーラシアまでを舞台にすべきだったし、シンジ君はエヴァ初号機でウナゲリオンを相手に大立ち回りをすべきだったし、オルガマリー所長は生還すべきだったと思います。カタルシスを外すな!

No.28:ゲーム「エルデンリング:ナイトレイン」感想 ★★★☆☆
 いま読み返すと、メチャクチャ塩味がきつくてビックリする。まんま過去資源を再利用したナイトレインがゆるされるなら、ワイルズも本来の構想を実現したMMOバージョンをリリースしましょう。

No.29:雑文「Apocalyptic STARRAIL and Continuous GQX」(近況報告2025.7.10 ★★★☆☆
 直近に接種した複数のフィクションへの印象がミックスアップされたテキストを出力しがちなのは、小鳥猊下の悪癖であると同時に持ち味でもあると思っています。

No.30:映画「スーパーマン」感想 ★★☆☆☆
 レックス・ルーサーへとむけられた同情のまなざしは、とてもよく書けていると思いながら、中盤以降に「が」を連続で使用しすぎており、読み返すと、おのれの不才に恥ずかしい気持ちでいっぱいになります。

No.31:映画「鬼滅の刃・無限城編第一章」感想 ★★★★★
 キメツの超ヒットを通じた社会時評としては、かなりいいセンをいっていると自負しております。「善は言語化不能であり、行動によってしか可視化しない」のは、真理の一端でしょう。

No.32:ゲーム「メタファー:リファンタジオ」感想(開始35時間) ★★★★☆
 いつのまにかJRPGとJFANTAZYが陥ってしまった、完全なる袋小路を象徴するような作品。半島と大陸で次々と超新星爆発が起きている状況に、目をつむり耳をふさいだ結果が、これ。

No.33:映画「教皇選挙」感想 ★★★★★
 こういう作品に寄せられる激賞を見るたび、「キリスト教の色眼鏡」が西洋人の精神にとって、いかに自明なものかを再発見します。なぜか、体調不良の頻繁な作家さんに反応されました。

No.34:ゲーム「メタファー:リファンタジオ」感想(クリア後) ★★★★☆
 まったくの部外者による余計な憂慮が、ついには制作者の係累にまでおよぶという、近年の小鳥猊下節を煮詰めたようなテキストになっています。完全版商法、またやるんですかねえ。

No.35:雑文「STARRAIL Odyssey and METAPHORIC Student Activism」(近況報告2025.8.24 ★★★☆☆
 物語として最高潮をむかえつつあるオンパロス編へのうらやみ、そして、全共闘から受けとった思想バトンを殴り棒として無邪気にふりまわす者へのうらみ。

No.36:ゲーム「都市伝説解体センター」感想 ★★★★☆
 恨み節はダラダラと長くなりがちなので、このくらいのサイズでカラッと洒脱に感想をまとめるのが、今年の目標です。トリックの性質上、マルチメディア展開はむずかしそうですが、がんばってほしいです。

No.37:アニメ「瑠璃の宝石」感想 ★★★★★
 ちょっと説教臭いのがタマにキズですが、よく書けているんじゃないでしょうか。男性オタクの諸君は、特に女性たちへ作品を薦めるとき、ここに書かれている視点をつねに意識すべきだろうと思います。

No.38:雑文「FGO第2部終章・ファンガス最新インタビューに寄せて」(近況報告2025.9.13 ★★★☆☆
 日々の執拗なエゴサによって、数少ないファンからの間接的な言及に応える形で書かれたテキスト。何かを褒めるのに、何かを下げるのはやめるべきですね。

No.39:ゲーム「マシンチャイルド」感想 ★★★★★
 たかだか駄作をディスるだけの目的に、至高の生活感情を美麗なテキストで投入してしまうのが、小鳥猊下の悪癖ですね。リトルリーグ相手に全力投球するショーヘイみたいなものです。

No.40:アニメ「劇場版チェンソーマン・レゼ篇」感想 ★★★★☆
 「映画になってない」とまで、ボロクソにこきおろしたのに、興行収入100億円を突破ですって。一瞬、おのれの審美眼を疑いかけましたが、シンエヴァを思いだして安堵しました。

No.41:ゲーム「ボーダーランズ4」感想(少しFGO ★★★☆☆
 ストーリーをクリアして、さあやりこむぞとなったところに、ドラクエ2が入ってきて、興味を失ってしまいました。起動しても、なんぼもさわらずログアウトしてしまいます。

No.42:雑文「V. Saga, M. Lion and H. Diver」(近況報告2025.10.13 ★★★★☆
 「本邦における棋士のあつかわれ方の特別さ」にはあこがれと同時に、IQテストのようなパターン認識能力がAI時代において賢さの指標となるのかという疑念もあります。

No.43:映画「国宝」感想 ★★★★★
 少年と少女への愛は、「時間とともに失われる」という意味で可換性があります。自分の好きなものについて、まったく瑕疵のないよう取りあつかうべきだという近年の風潮には、まったくついていけません。

No.44:ゲーム「サイレントヒルf」感想 ★★★★★
 かつては、商業ベースの作品と同人的なるもののあいだに明確な隔壁がありましたが、ここ十年ほどで急速に両者の境界が壊れはじめた感覚を持っています。その象徴みたいな作品と言えるでしょう。

No.45:ゲーム「原神・Luna2」感想 ★★★☆☆
 はじめて原神にふれた当初にくらべると、大幅にテンションは下がってきております。その理由は小鳥猊下というより、ホヨバ側の変容にあると思っていたのを、言語化してみました。

No.46:ゲーム「ドラクエ2リメイク」感想(開始25時間) ★★★★☆
 あらためて読み返すと、好印象の8割ぐらいをサマルトリアの妹が形成していますね、これ。1回目のプレイで満足してしまったので、3のときのようにPC版MODには手をだしていません。

No.47:ゲーム「ドラクエ2リメイク」感想(クリア後) ★★★★★
 おのれの来歴にからめた、ホーリー遊児へ送る心からのエール。2のシナリオ大改変とエンディングのしかけを喜びながら、3の出来がもっとマシなものだったらと思わずにはいられません。

No.48:ゲーム「崩壊スターレイル第4章・明日は昨日に」感想 ★★★★★
 きじのとちゅうにある「ふわふわあま~いパンケーキのおみせ」のくだりをテキストサイトのりぜんかいでかいてゲラゲラわらってたのに、ネットみんのはんのうはぜつむでぜつぼうした。

No.49:ゲーム「ドラクエ1リメイク」感想 ★★★★☆
 ここまで評価がまっぷたつに割れるのは、めずらしいのではないでしょうか。個人的には「ドラクエはだれでも楽しめる王道RPG」を逆手にとった数々のイヤがらせに、心底ゲンナリさせられました。

No.50:映画「陪審員2番」感想 ★★★★☆
 ふだんはイイネをくれないような人たちからの反応があり、うれしかったです。今年の目標として「かたよりのない虚構摂取」をかかげておきますが、実現する可能性は低いと言わざるをえません。

No.51:雑文「Mario, Pokémon and Switch2」(近況報告2025.12.14 ★★★★☆
 「買う必要のないものを衝動的に買っても、生活に困らない程度の経済力」が引き起こした悲劇。任天堂の顧客でありたいと願いながら、それは郷愁に過ぎないことを痛感しました。

No.52:ゲーム「原神・Luna3」感想 ★★☆☆☆
 年末の繁忙期に、「週刊・小鳥猊下」をキープするために無理やり書いた埋め草であり、全体的にテキストは荒れていて、アイデアも既視感が強いです。”運命の確定”問題は、FGO第2部終章にも強く感じました。

No.53:ゲーム「FGO第2部終章」感想(レイド戦まで) ★★★☆☆
 感動して成仏するファンがあまりに大勢を占めたから、ファンガスも満足しちゃったんじゃないの? 目の肥えていない”ご見物”の反応を見て、トゥルーエンドは必要ないと判断したのでしょう。

 はい、これで53記事ピッタリ。さすが小鳥猊下、アルコールの量をセーブしたことが、功を奏しましたね。慈愛はもうしばらく継続しますので、お気軽にお声かけください。

ゲーム「FGO第2部終章」感想(レイド戦まで)

 FGO第2部終章、レイド戦の手前までを読了。殺された側がいだいていた気持ちをたっぷりと理解させた上で、プレイヤー自身の手によってFGO世界の”運命の確定”を強制する冷徹さは、なまくらどころの話ではなく、突きつけられた匕首がふれるだけで喉元の薄皮を裂くその斬れ味に、ゾッとさせられました。作家としてのファンガスが一貫して保持し続けるテーマは、「網膜を焼くまばゆい生命の輝きと、喪失の痛み(いちど失われたものは、二度と元へはもどらない)」であり、FGOの築いた巨大な経済圏の終焉を宣言する本章においても、その姿勢はまったくブレることがありません。冷静に考えてみてほしいのですが、50代も半ばを過ぎて、昔ながらのファンはもちろん、テキストや物語のクオリティなんて薬にもしたくない大人たちからも、「大先生、大先生」とあがめたてまつられるいまの立ち場を作家人生の余録として、それこそ死ぬまで引きのばすことだってできたはずなのです。キャバクラで若いネーチャンたちにかこまれて、高い酒を毎晩カッくらい、帰りには編集者から高級娼婦のお持ち帰りをあてがわれて、仕事はアシスタントがほぼすべて完成させた原稿に瞳を描きこむだけの、「御大も劣化したな」に類する陰口を黄色い白目で聞き流す、大御所漫画家みたいな”アガリ”の余生を過ごしたとして、もうだれもおもてだって文句は言わないと思うんですよ(社長は言いそう)。ヤマトエヴァのように、その社会的な誘惑をふりきれず、グッズ販売は好調なれど、物語としてはグズグズの「集金装置IP」へとFGOが堕してしまうことを、しかしファンガスは敢然と拒否したのです。同じ立ち場に置かれときに、現代を生きる他の創作者のうち、いったい何人が彼/彼女と同じふるまいをすることができるでしょうか。

 第2部終章の内容について、思いつくままに感想を述べてゆきますと、「地球上に無数の銀河を生成することで、世界そのものによって認識されている法則が自己改訂し、結果として宇宙全体が順に白紙化していく」という理屈は、フェルマーの最終定理の証明における「無限の数学的ドミノだおし」を想起させ、「数式に依らない文系概念による、世界法則の統御」こそが、ファンガスにとっての”魔法”なのだろうなと思いました。それがときに、「横断歩道のアスファルト部分は溶岩になっていて、触れると死亡する。1秒以上を白線上で立ち止まっても、やはり死亡する。ただし、素数行のアスファルトは3秒毎に0.1秒だけ実体化する」のような、小学生の遊びの脳内ルールを厳密に言語化するがごとき滑稽さへと傾いてしまうことがあるのは、玉に瑕と言えましょう(筆力でごまかされますが、今回は魔術回路と万能繊維?のくだりが、特にそう)。第2部終章を読んでいて感じたのは、シンエヴァや宮﨑駿のレイトワークのような「結末を決めずにライブ感覚で作りはじめ、着地点は劇場公開日から逆算して決まる」作品群とは異なり、結末をしっかり定めてから語りはじめられた物語の、すべての伏線が一点に向けて収束していく、得も言われぬ快楽です。トラオムで粗雑に処理されたホームズが再登場するシーンでは、大の大人が夜中に心からの歓声をあげ、笑いながら泣いてしまいましたもの!

 全体としての評価は、レイド戦の終わりを待つことになりますが、ここまでの印象でもっともまさっているのは「さいとう・たかをの机の引き出しにしまってあるとウワサされる、ゴルゴ13の最終回原稿を見せられた気分」でしょうか。第2部終章は、ミステリの解決編としては極上ながら、第1部終了から7年を経て、第2部5章後半6章7章、そして奏章IIIを描くことで到達した「作家としての円熟」の延長線上にいないような気がするのです(ずいぶん前に、もう「書いてあった」のかもしれません)。ともあれ、「人生でもっともカネをかけた趣味」であるところのFGOの終わり、そしてファンガスの描く「喪失の果てに残る、美しいもの」を、いちファンとして、みなさまとともに見届けたいと思います。あと、フォーリナーたちを介して、さんざんクトゥルフやらアウター・ゴッズの存在をほのめかしてきたのは、「宇宙白紙化」という究極の大ネタから目をそらせるための、ミスリードだったわけですか? それって、あまりに不誠実なやり方だと思いません?

ゲーム「原神・Luna3」感想

 原神の最新バージョン6.2、伝説任務と魔神任務をともにクリア。始まったばかりと思っていたナド・クライ編もすでに序盤を越えて中盤へとさしかかっており、「博士」が「少女」の拉致を試みる事件で、物語は劇的にいったんの幕となりました。つくづく感じるのは、本邦の大手ゲーム会社が中高年のファンにむけて、ポキモンやらエフエフやらメガテンの続編だか派生作品だかの制作へしこしこと数年をかけた上に、シリーズのお約束と前例踏襲に満ちた自己模倣きわまるシステムと、スタークリエイターの主観世界を回遊ーー教祖の気がくるっても、信者は指摘どころか気づくことさえできないーーするようなストーリーによる低品質の仕上がりにもかかわらず、間遠すぎる供給ゆえに冷えた界隈がわずかばかり熱を帯びる状況を見るときの、島国的な息ぐるしさです。他方で大陸産の原神は、日本ファルコムなら30年、福本伸行なら300話ぐらいに薄く薄く引きのばすだろう話を、リリースからわずか5年で語りきろうとしていて、特に今回のドゥリンを描いた伝説任務には、現在のホヨバ幹部たちの思考が色濃く反映されているように感じました。

 「物語が語り終えられると、登場人物たちの運命が定まる」という考え方がそれで、いま世界でもっとも多くの読み手を持つ創作者によるストレートかつ赤裸々な心情の吐露に、目からウロコが落ちた次第です。運命の確定を回避する手段について、「物語の登場人物に語り手を移せば、作り手がいなくなったあとも、永久に物語を続けることができる」と結論づけるのですが、これは前バージョンへの感想でも指摘した、本質的に不要の大蛇足である原神ツクール「星々の幻境」を導入するにいたった初期動機を言い当てているようにも思えます。もしかすると、「物語を語り終えないことで、登場人物の運命を定めない」という無意識の希求は、長編型の創作者にとって普遍的な指向性なのやもしれず、ガラスの仮面や王家の紋章やグイン・サーガやバスタード!の顛末は、終わりたがる物語の自走性と終わらせたくない作者の欲望が綱引きをした結果、ある時点でたがいの力が均衡して、完全な静止をむかえた状態だったのかもしれません。だとすれば、未完となったはずのベルセルクを残された作画スタジオと作者の友人が終わらせようとしている例の取り組みは、登場人物たちに「造物主ではない存在による、運命の確定」を強いる行為であり、本来的にゆるされない性質のものであるような気がしてきました。

 だいぶにそれた話を原神へともどしますと、メインストーリーであるところの魔神任務は、達成率のともなう本マップの追加は無いまま、フルボイスによる台詞のかけあいとムービーだけで進むスターレイル形式を、またしても踏襲しております。しかしながら、生粋の萌えコションである小鳥猊下の本バージョンに対する満足度は、きわめて高いとお伝えせねばなりません。なんとなれば、全体として「少女」の去就へとフォーカスした展開になっており、鈴をころがすような愛らしいお声を聞きながら、そのおみ足とご尊顔をバグッた距離感でながめる栄誉にあずかれるばかりか、デートイベントと見まがう夏祭りの屋台めぐりに同伴させていただくサービスまであるのだから、チンケなマップの追加なんてメじゃない、夢の旅人として真実の愛をさまよい続けるための、広大な心のMAZEをあたえられたと言っても、過言ではないからです(どこの天空戦記やねん)。また、「世界に拒絶され、生への実感を失っていた者が、仲間たちに名前を呼ばれることで、世界との接続を回復する」という組み立ては、ちょうど初めての恋愛を運命だとカンちがいするように、家庭に問題をかかえただれかが町の愚連隊に居場所を見いだすように、鬱屈をかかえた思春期の若者たちの心に、強くひびく内容ではないかと思いました。

 いよいよ年始には、プレイアブル「少女」(エロい表現)がガチャに投入されそうなので、今年のクリスマス・ディナーはキャンセルせねばならないし、正月には遺伝的類似をともなった存在たちから、泣く泣くお年玉を取りあげる覚悟を決めるべきでしょう。まったく、ホヨバの世界戦略にふりまわされる家族が、不憫でしょうがありません。あと、空の軌跡がいったい何度目だかわからないリメイクをされる(た?)との記事を目にしましたが、本邦のニッチきわまる大長編シリーズ群は、そろそろホヨバの狡猾な手口を見習って、単一タイトルのもとにオンラインで続編を順次リリースする形へと、再構成するべきではないでしょうか。英雄伝説は2まで、テイルズは初代ファンタジアまでなロートルにとって、いまさらどの順番でプレイするかを調べるのも億劫ですし、サーバー管理などのリスクもあるのでしょうけど、少額ながら継続的な課金をお約束しますので、スターレイル方式で既存の物語が時系列に提示されていくことを希望します。

雑文「Mario, Pokémon and Switch2」(近況報告2025.12.14)

 フラッと立ち寄った家電量販店にスイッチ2が入荷されていたため、まったくその気はなかったにもかかわらず、衝動的に購入してしまった。そのまま自室の床に放置して1週間、スイッチ1からデータ移行してさらに3日間、バーチャルコンソールを通じてマリオ64と時のオカリナで郷愁を接種して1日、このままではいけないと、身内によどむ強力な億劫病を休日の力を借りておさえこみ、ようやくマリオカート・ワールドとポケモン・レジェンズZAをダウンロードするにいたる。以前からたびたびお伝えしているように、ニンテンドーのゲームが持つ唯一の弱点は、「ただひたぶるにゲームのみへ没頭する」ことを、プレイヤーに強要しすぎるところである。1日の終わりに2時間も余暇を持てれば御の字であるところの、昭和の働き方をなぜか令和に敢行しているーー謎の定額サービス「働かせホーダイ!」下においては、すべての労働法規がキャンセルされるためーー社畜系美少女マネジャーにとって、これをゲームだけに消費するのは、あまりに現実的ではないと言わざるをえない。よって、これから述べるのは1日20分程度をそれぞれ数日あそんだぐらいの、酷薄(こくすい)印象レビューにすぎないことを、あらかじめお断りしておく。

 マリオカート・ワールドは、多彩なキャラクターと変化に富んだコース、ポップな色調による秀逸なデザインに加えて、もはや懐メロと化した過去作群からの膨大な楽曲が、ハイレベルに融合した傑作であることを頭では理解しながら、三島由紀夫転生体であるにも関わらず、ディズニーランド的なるものにまったく興味を持てない身にとって、すべての表面的な虚飾を削ぎ落としていった先に残る本質は、ファミコン版F1レースから変わらぬ、アクセルボタンを押しっぱなしにしながらレバーの左右で障害物をかわすだけのゲーム性であり、バックミラーと攻撃アイテムが搭載されていることをかろうじて勘案すれば、マッハライダーのそれとなんら変わるところはないのである。美麗な画面をドット絵ほどにしか感得できなければ、「やることが少なすぎて、ゲームをしているのにヒマ」という哲学めいた状況を離人症的に俯瞰ーーもうええですやろ!ーーするハメになるのだった。そうなると、過去に養育者からかけられた呪いが、ヒナの飛び去った空の巣へ不機嫌に座るクック・ロビンの耳元で、「オマエはもう、任天堂の顧客ではないのだ……いい加減にピコピコは卒業して、まっとうな大人の趣味を見つける人生の季節がやってきたのだ……」などとささやきはじめる始末であり、壮麗なマリオカート世界をこれ以上、走り続けられるような気はしていない。

 ここからは、ポケモン・レジェンズZAの感想を雑に述べていくが、最後にプレイしたのはソード、その前にプレイしたのはゲームボーイ版の金銀という程度の、相性も個体値もわからないファン未満の泡沫による妄言と、どうか聞き流していただきたい。原神スターレイルを毎日プレイしている身にとって、「プレステ2なみのルックス」「自キャラのぎこちない操作性」「令和の御代にフルボイス”レス”」という、ソウルハッカーズ2級の凡作に対して、なぜかネットには革新的だと褒めるちぎる評があふれかえっているのが不思議でならず、新興宗教の総会にまぎれこんでしまった無神論者のような気分にさせられている(ダイマックスやらメガシンカやらの用語も新興宗教の祝詞、あるいは低偏差値ヤンキーが好む珍走団語録に聞こえる)。ドラクエ11ばりの無意味なフリーランが特徴のリアルタイムバトルもどきも、技ゲージが満タンになった瞬間の最速入力が最適解なので、ただ操作がいそがしくなったことをのぞけば、これまでのコマンド式ターン制とまったくゲーム性の変化がないように思える。シリーズのお約束である、タイプ別の弱点相関をボンヤリとしか認識していない”一見さん”にとって、ググるスキマもないあわただしさは非常に敷居が高く、かたくなにドラクエ1ばりのワン・オン・ワン・バトルを変えようとしない依怙地さをふくめて、強い息苦しさをおぼえてしまった。

 また、エッフェル塔を中心としたパリを彷彿とさせる街並みを用意しながら、パルクール要素が絶無ーージャンプなし、滑空(ほぼ)なし、ボルダリングなしーーなのも、率直に言って現代のゲームらしからぬ、両手両足をしばられたような窮屈さを感じる。街中はチュートリアルにすぎず、壁の外に広大な世界が用意されているのかと思いきや、どうも舞台はこのパリ中心街だけであり、半島や大陸産のゲームを経験してしまったあとでは、対戦のバトルゾーンや捕獲のワイルドエリアを、せまいワンマップにぎゅうぎゅうと詰めこんだ、「極小クローズワールド」としか表現できない、閉塞感に満ちた場所になっているのである。ポケモン界隈とシリーズ最新作へいだく印象を、批判にひびかぬよう婉曲的にたとえ話でお伝えすると、ちょうど「顔面の造作が不出来な女児の七五三写真を、上司から満面の笑みで見せられたときに、表情筋がこわばるのをなんとか隠そうとするさいの心の機微」そのものだと言えるだろう。ゲームボーイ時代の効果音や鳴き声が、いまだにそのまま使われていることをふくめて、ひさしぶりのポケットモンスター(幼児語でペニスの意)体験を通じて、「初代からのポケモンマスター」という言葉が称賛どころではなく、もはやなんらかの特性か疾患を揶揄しているようにすら聞こえはじめていて、昔からのファンの前では、ぜったいにレジェンズZAをプレイしていることを告げるまいと決心した次第である。なぜならば、深刻な汚言癖をわずらった者のように、リアルで上司の娘への罵詈雑言が口中よりほとばしるのを、止められないだろうからだ。

 以上、本邦の最新ゲームたちに向けた不快かつ不要の”お気持ち表明”であったが、すでにしてスイッチ2はバーチャルコンソールでレトロゲーを遊ぶだけの、実体エミュレーターになりそうな予感がしている。あと、スイッチ2が引き起こしたスモール・イシュー・ビッグ・プロブレムは、とうに解決していたはずの「A決定B決定問題」が、平穏な日常にふたたび姿を見せはじめたことであり、PCゲームをプレイするさいの誤操作が頻回となる現象に、イラだつ今日このごろである。終わる。

映画「陪審員2番」感想

 御年95歳(!)のクリント・イーストウッド監督にとって、遺作になる可能性もある「陪審員2番」について、本邦では劇場公開がなかった事実に”大衆の知性の液状化”を嘆きながら、ようやくブルーレイにて視聴。どんな話かと問われれば、「刑事コロンボ、もしくは古畑任三郎の陪審員バージョン」と説明するのが、もっとも伝わりやすいかもしれません。「陪審員の中に真犯人がいたら、評決はどうなるか?」というワンアイデアを元にシナリオを書きすすめていったら、最後の最後でまとめきれなかった印象で、先の読めない初回視聴は100点満点なのに、感想戦や2回目以降では、60点ぐらいに落ちつく作品だと言えるでしょう。陪審員モノとして、まっさきに思いうかぶのは「十二人の怒れる男」ですが、あまりに強いその物語類型の刷りこみから、半密室における会話劇によって登場人物たちの素性や性格があきらかにされてゆき、その最高潮と重なる形で事件の真相へといたる展開を期待しすぎていたことも、本作の評価へ影響をあたえている可能性は否定できません。ここからは、いつものごとくネタバレ全開となりますので、初見の感動を大切にしたい方は、来た道をそのままおもどりください。

 まずもって、物語の大前提である”無意識の轢き逃げ”に関して、落下による脳挫傷が直接の死因だとしても、はたしてプロの検屍官が車にはねられた事実を見落とすかという疑問ーー「その日は、5人の検屍を行った」という、過失をにおわせる台詞はあるーーは最後までぬぐえませんでしたし、議論のまとめ役をかってでた女性は、「これで3度目の評決不能になる」などと意味深な発言をしながら、ついにその素性を明かされることなく終わりますし、最終盤で挿入される「主人公は、バーで酒を飲まなかった」ことを確定させる回想演出も、結局、ストーリーの大筋になんら影響をあたえていません。全体をふりかえれば、彼が満場一致の”ギルティ”をくつがえそうとしたのは、「罪を告白する気はさらさらないが、無実の人間が有罪になるのも寝ざめが悪いので、せめて無罪の評決だけは勝ちとりたい」ぐらいの弱い動機にすぎないのです。テーマっぽく語られる「正義は、つねに真実の下にある」という法曹たちの信念も、本作のプロットにピースとしてカチッとはまっている感じは、まったくしません。”予想外の結末”みたいなアオリを見かけたものの、それを言葉であらわしてしまえば、「保身のため、”ギルティ”へと立ち場をもどしたーーこの場面がオミットされているのも不満ーーくせに、軽薄な功名心から検事の前で自分が真犯人だとほのめかす告白をしたことで、彼女の胸にくすぶっていた正義の心に火をつけてしまい、『手続きの瑕疵による再審理』をうながす結果となる」ぐらいの中身にすぎません。これを、「戸口に立つ検事長」という台詞なしのラストカットのみで表現したのは、非常にクリント・イーストウッドらしいなとは思いながら、たとえ裁判をやりなおしたところで、この男を有罪にできる材料はまったくなく、「映画芸術を利用した、エンディング詐称」みたいな欺瞞すら感じてしまいました。

 もしかすると、プロット由来の文句ばかり書いているように見える(じっさい、そう)かもしれませんが、視聴中にいちども物語への興趣がとぎれなかったのは、ひとえに役者の力によるものでしょう。主人公のレックス・ルーサー(ちがう)は、平均的な市井の白人男性として描かれ、気弱な善人でありながら、小悪党的なずるがしこさを瞳の奥にたたえており、かねてより顔フェチを自認する小鳥猊下は120分のあいだ、ずっと彼から目が離せませんでした。スッピンのオバハンである女性検事も、非常に魅力的な容貌をしていて、2人が対峙する最後の場面には強い緊張感をともなう、息をのむような美しさが発散されていました。「映像芸術としては最高峰に位置するが、ミステリー要素の理屈づけが強引で、成立していない部分があるように見える」というのが、本作への中立かつ公平な評かもしれません。あと、セッションのパワハラ教授がシカゴの刑事を引退して、孫の住む町で花屋を営んでいました(支離滅裂な表現)。それと、医学生を自称する日本人の英語がものすごく日本人の英語で、共感性羞恥に似た感情から身もだえさせられました。おい、とつぜん机をたたくんじゃあない! 劇中に起こるすべてのできごとをさしおいて、いちばんビックリしただろ!

ゲーム「ドラクエ1リメイク」感想

 ドラクエ1リメイクを13時間でクリア。原作の物語の「竜王の島にわたる方法を探す」「竜王をたおす(姫の救出は任意)」という2行しかないキュウリサンドみたいな行間に、でっぷりとソースを塗りつけたブ厚いトンカツをはさみこみ、パン生地のなかばまで茶色が浸潤したカツサンドみたいな作品であり、カンダタやローラ姫の親衛隊など、オリジナルにはなかった要素をこれでもかと盛りこみ、ずっと曖昧にされていた「3の勇者は、ついに元の世界へは帰れなかった」ことを、史実として確定させてしまった。つまり、リメイク3部作を通してふりかえれば、がSFC版のレシーブで「伝説のための土木工事」を行い、1が「母との再会かなわぬ勇者」というトスをあげ、が「はるかなる故郷への帰還」をスパイクするセットアップになっていて、ホーリー遊児による「アリアハンの生家へ、オルテガのかぶとを返す」というビッグアイデアa.k.a.思いつきのために、偉大なる3を踏み台にしたのはまったくもってゆるせないが、「母なる者を救済する、美しい構造」を形にする欲望にあらがえなかったのだろうと想像する。ゆえに、令和のリメイクは312の順でクリアするのが”正規ルート”なのだが、これにしたがった場合、1が2の到達への阻害要因になる可能性は、低くないように思う。なんとなれば、リメイク三部作の中で1だけが3とも2ともちがう、これまでのどのシリーズ作品とも似ていない、「異形のドラゴンクエスト」になっているからだ。

 2がストーリーに対して行ったように、1でグシャグシャに換骨奪胎されたのは戦闘システムで、イライラばかりがつのる多対一の雑魚戦や、初見で撃破することはまず不可能な死に覚えのボス戦は、過去のドラクエをよく知る者ほど深くハマりこむ、北斗逆死葬ーーnWo3度目の登場ーーのような泥沼である。ボス戦の攻略の手順をお伝えすると、ターン毎に決まっている敵の行動を、チビた鉛筆でチラシの裏に記述することからはじまる。それから、もっとも攻撃の苛烈なターンを「だいぼうぎょ」でしのぎ、比較的ゆるやかなターンを「リホイミ」「超ちからため」「弱点技」でダメージ累積するという、従来のドラクエとは完全に異なったゲーム性になっているのである。ここで注意したいのは、「弱点技」を「超絶技」に変じてはならない点で、後者はダメージあたりのMP効率が非常に悪く、長期戦にはまったく向いていない(ウーッ、ワナッ!)。さらに、ボスの体力が半分を割りこむと、シャドウ・オブ・ザ・エルドツリーばりに行動パターンが変化し、チラ裏メモ作戦は再びふりだしにもどる。ボス戦の攻略法をまとめると、「パターン1の行動観察」「死亡」「パターン1の撃破およびパターン2の行動観察」「死亡」「パターン1とパターン2の撃破」と最低でも”必ず”2回死ななければ、たおせない仕様となっているのである。これはもっとも乱数がうまくいったケースであり、ここに「つうこん」「かいしん」「ミス」「かいひ」が運要素として大きくからんでくる。

 特にボス戦は、「つうこん」イコール即死ないし瀕死みたいな調整がなされているため、余剰ターンにスカラをかけることで安定性を高めるのだが、主人公はスカラをおぼえない。未プレイの諸君の頭は、ときすでにメダパニ状態と推察するが、本作では武器防具をアイテム使用したときの効果に補助魔法が付与されていて、「ようせいのけん」のスカラに気づけるかが攻略の大きなカギとなる。特定の防具とアクセサリに付与された氷と炎への耐性も重要で、複数装備によってブレスを無効化し、余剰ターンを作りだす必要性から、最終装備がロトシリーズにならないという、ロトの伝説をかきみだす弊害ーーやまびこのぼうしとガイアのよろいで竜王を討伐ーーまで生みだす始末である。また、ゲーム終盤に必須の「ベホイム」と「めいそう」はレベルアップで修得せず、それぞれ本棚とメダル景品に巻物として配置してあり、探索をしっかりしておかないと、明確な”詰み”さえ生じるのだった。大問題なのは、ここまで述べてきたような、従来のドラクエとは大きく異なる、「コマンド式ソウルライクRPG」的なプレイを強いられるにも関わらず、その抜本的な変更がゲーム内でいっさい触れられない点であろう。

 諸君がいだくだろう、「ドラクエなのだから、レベルを上げることで解決できるのではないか」との疑問には、「多対一の雑魚戦」が別の問題として立ちあがってくるのである。モンスター側が複数回攻撃にくわえて、「眠り」「麻痺」「すくみ」などの行動阻害を頻繁におこなうため、ひとつひとつの戦闘が長期化する上に、勝敗の結果はあまりに大きく運の要素に左右されてしまう。「イラつきすぎて、レベリングなんてやってられない」ため、制作側の想定する適正レベルかそれ以下で、中ボスたちと対峙しなければならない状況が、ずっと存在し続けるのである。エイリアンフライあたりで、マジメにメモをとるのがもうバカらしくなって、攻略サイトに書いてある”正解の手順”をそのまんまトレースしだすと、あとは「”瀕死の奴隷”の足下にはべるサル」みたいに、クリアまでのすべてを他者の模倣に終始するハメとなるのであった。そのくせ、最終盤でやまびこギガデインが解放ーーこれまでの苦労はどこへやら、開幕の2連発であらゆる雑魚を完全封殺ーーされると取得経験値は過剰ぎみとなり、ラスボスである竜王はレベル差で虫ケラのように轢き潰せるため、全ボス中でもっとも弱く感じるという本末転倒なバランスにしあがっている。

 全体的に、専門学校へ通うゲーム作りの初学者がRPGツクールでしあげた、「ぼくのかんがえるさいきょうのどらくえ」みたいな中身になっていて、楽しいはずのドライブに出かけたら、助手席の不機嫌なモラハラ・パートナーが大きなため息とともに、道順から速度からブレーキのタイミングまで、ギチギチに指図ーー「ハーッ、いまのは『だいぼうぎょ』のターンだろ? オマエは本当にドンくさいな!」ーーしてくるような窮屈さと不快さだとたとえれば、未プレイの女史にも伝わるかもしれない。このゲームをほめる評を書いている人物を見かけるにつけ、世界の広大さと人間の多様さへ感心する気持ちにはさせられるが、ぜったいに彼らを同僚や上司には持ちたくない。まずもって、社内にある「ハンコを捺印するさいの傾斜」に類するアンリトン・ルールをいっさい教えず、新人が失敗するのをニヤニヤ見過ごすことに優越感をおぼえるような、ゆがんだ性根の持ちぬしであるにちがいないから!

 あと、ローラ姫まわりも意味不明で、FC版では裏技的あつかいだった「エンディングまで冒険に連れまわせる」バグ?を、本リメイクにおいては仕様にまで昇華させ、すべてのイベントで無口の主人公をさしおいて、ボイスつきでしゃべりーー竜王への口ごたえまで!ーーまくり、終盤では”ローラの祈り”で戦闘補助までこなすくせに、うっかりラダトームの城の門をくぐったが最後、選択の余地なく強制離脱させられてしまうのである。ごていねいに別れの夜のイベントがさしこまれて、オートセーブを上書きされたーーこまめに冒険の書へ記録しようねーーのは本当にムカついたし、「ローラと最後まで冒険したかったら、2周目からがんばってね!」とでも言わんばかりの、ゲームの盤外で行われる他メディアとの苛烈な可処分時間戦争にきわめて無頓着なふるまいには、怒りをとおりこしてあきれるしかない。徹頭徹尾オールドファンを挑発し、ニューカマーに不親切なゲーム性であるところのドラクエ1リメイク、こんなものを認めてはnWoの沽券にかかわるため、すべての人類にオススメすることはできない。

ゲーム「崩壊スターレイル第4章・明日は昨日に」感想

 崩壊スターレイルのバージョン3.7をクリア。1年近くにおよんだオンパロス編は、ここに堂々の完結をむかえました。この英雄譚は、はじめて彼の地へと足を踏みいれたときには想像だにしなかった、はるか遠い場所にまで我々を連れてきてくれたのです。生粋のストーリーテラーの脳内にあふれる物語を、湯水のようにこれでもかと間断なく浴びせかけられる体験は、長らく忘れていた書痴的な快楽でもありました。「最後の創世と火追いの旅」と「銀河の各勢力が結集する”壊滅”との対峙」を同時進行で見せながら、生命がかくある理由の深奥へと大きくせまり、クトゥルフ神話を彷彿とさせる狂気の神々までをも開示する、少年を主人公としたかつての物語類型がさまざまな理由から、絶頂の手前で頓挫させてきた、「世界という究極の謎」の解決ーー本邦でこれを達成したのはランス10のみで、FGO終章がより一般的な場所で同様の期待を背負っている状況ーーへ果敢に挑戦していく姿勢と、まばゆいばかりの才気のきらめきには、めまいのような感動をおぼえました。マダム・ヘルタと天才クラブの面々による丁々発止のやりとりは手に汗をにぎりましたし、にッくき仇敵ザンダーの弁にも理があると思わせる描き方は、本邦に主流の「IQ90の主人公をIQ50が平均の世界に置いて無双(笑)させる」作品群とは、視座の高さが天地ほども異なります。三千万回もの「読み聞かせ」が、ただの機械に過ぎなかったものの内側に”愛”を生じさせる過程や、巨大アヤナミを思わせる美少女とオクヘイマの12柱による”壊滅”との最終決戦は、ここにいたる膨大な積みあげがあるからこその、「激しい情動のドラマツルギー」へと昇華していました。このように、基本的な評価のベースは「観客席で滂沱の涙を流しながらブラヴォの拍手を送るスタンディング・オベーション」でありながら、上品に口を閉じておけず、苦言も同時に呈して読後感を汚すまでが、nWo節と言えるでしょう。

 ようやく重い腰を上げて参戦したサンデーが事態の解決になんら貢献しなかったのは残念ですし、”壊滅”への対処に向けた各勢力の内幕がROUGHでのシンクン・ソード将軍一派のものしか詳細に語られなかったのは不満ですし、オンパロスに結集した各勢力による銀英伝みたいな絵ヅラの艦隊戦が、ほんの短いムービーで終わってしまったのは、じつに拍子ぬけでした。なにより気になったのは、本章のライターから一身に恩寵を受けるキュレネの存在で、最初のうちは絶望の輪廻のうちにあって底抜けに前向きな言動や、冷厳なる論理による計画を”愛”のぬくもりで溶かそうとする在り方に涙が止まらなかったのですが、まさかこのピンク髪ポジティブ美少女モンスターのポエム語りだけで、最後まで走りきるとは思わないじゃないですか! たとえるなら、「ふわふわあま〜いパンケーキのおみせ」にはいったら、イクラかけほうだいならぬ、クリームとシロップかけほうだいのサービスをやっていて、マッチョ2めいが「おきゃくさまのタイミングで、ストップをもうしつけてください」といいながら、バケツからひしゃくですくったクリームとシロップをかけはじめるのですが、ディッシュをこえてテーブルにはみだして、ついにフロアにまでボドボドこぼれはじめて、おおごえで「ストップ、ストーップ!」とさけんでいるのに、おしかつんぼみたいにつうじなくて、「キミがッ、なくまでッ、かけるのをやめないッ!」とばかりに、クリームとシロップをかけるのをやめてくれないようなものです(バージョン3.7結部におけるロマンチックな”知恵”の融解現象を表現するため、ひらがな表記にしてみました)。特定のキャラクターに対する作り手の思い入れが、全体のバランスまで傾けた見本となってしまっており、なにか別のやり方があったのではないかと感じてしまいます。

 そして、「宇宙を救う活躍をした綺羅星のごとき英雄たちーー初期キャラのカフカや銀狼がかすむレベルーーは、どこまでもデータ上の存在にすぎず、出版された物語として現実に弱い影響を与えるのみである」という結末が、「どれだけ稼いで企業体として拡大したところで、つむがれたフィクションに現実の紛争や虐殺を止める力はなく、社是である”TECH OTAKUS SAVE THE WORLD”が達成される日は来ない」との内省だか諦念から来ているのだとしたら、あまりに生真面目でナイーブすぎると言っておきます。他のゲームでたとえるなら、「ボーダーランズの中にタイタンクエストがあって、タイタンクエストで育てたキャラはボーダーランズでは使えない」みたいな状況は、あまりにもったいなさすぎるでしょう。Gガンダムの最終回みたく、リアリティ・ラインを著しく下げ、オンパロスの英雄たちを受肉させて、スターレイル宇宙をみんなで冒険するほうが、ずっと楽しくてワクワクするにきまってるじゃないですか! まだ本章のバージョン更新が残っているみたいなので、ホヨバさん、ひとつたのみますよ!

ゲーム「ドラクエ2リメイク」感想(クリア後)

 ドラクエ2リメイク、1周目をクリアしてから続けざまに真エンドに到達。いやー、ホーリー遊児はこれをやりたかったんですねえ! ここにいたり、ピザがトマトソースとチーズを、お好み焼きがソースとマヨネーズを食べるための”台”であるーーデブが書いた表現ーーように、3リメイク2リメイクという素材をのせるために作られた”台”にすぎなかったことが確定しました。FC版では、ロム容量の関係でデフォルメ・サイズに縮小され、とばっちりでリムルダールまで滅んでいたアレフガルドが、3リメイクのそれをなんら変更せずにドカンと流用しているため、ゲーム全体の規模感は大幅にアップしています。後述する真エンドでも同じことをしていて、3に強い思い入れのある身には、制作側が2の露はらいぐらいにしか考えていなかった事実をあらためて突きつけられ、悲しくはなりました。クリア後の視点からバランス面にふれておくと、ゲーム中盤から終盤にかけては、敵の攻撃回数の多さに比して回復魔法がわずかに弱いため、持久戦にもちこむと次第にジリ貧になってゆきます。そのため、本来のドラクエからはすこし外れた、高火力で殲滅する「殺られるまえに殺る」戦術が前面に出てくるわけです。中盤以降の調整がメチャクチャだった3とは異なり、その危ういバランスが最後まで崩壊しないのは、6以降の転職システムがいかにダメだったかを、逆説的に証明してしまっていると言えます。最終的にすべての呪文と特技をおぼえて、パラメータのふりきったキャラを4人ならべる状態がゴールに見えている育成をどんなふうに楽しみ、エンドゲームにおけるバランスをどうやってとるというのでしょうか。つまり、2リメイクの絶妙な調整は、転職システムがないから成立しているとも指摘できるのです。

 あらかじめ断っておくと、「ムーンブルクが物理最強」「サマルトリアが最高ダメージ」みたいな、クリア後にレベルをカンストさせて経験値が無意味となってから、ドロップ率の低い種を数百個あつめる時間貴族の遊びーー「もし寿命が千年あったら、どうやって過ごす?」にひとしい思考実験ーーには、ハナからつきあうつもりはございません。本作では、多くのボスに100〜300の自動回復が付与されており、「すべてのターンでそれを上回らないと、永久にたおせない」という簡易DPSチェックになっているのですが、ローレシアの王子a.k.a.破壊神を破壊した男は、そんなすべての小細工を正面から物理のみで破壊します。道中の雑魚どもは、ムーンブルクのやまびこイオナズンとサマルトリア兄のやまびこギガデインで瞬時に蒸発するので、ローレシアには剣をサヤから抜く機会さえありません。しかしながら、ボス戦においては「先生、お願いします」「うゥむ」とばかりに、用心棒のごとくのっそりと重い腰をあげ、パーティのお飾りであるサマルトリア妹の黄色い声援を受けつつ、「3ターン耐えたならば、ぬしの勝ちでよい」と宣言しながら、やおら上段へとふりかぶり、”おうえんバイキルトはやぶさ渾身斬り”をえいと打ちおろせば、3000から4000ほどの、もはやファイナルファンタジー級な大ダメージをたたきだします。オリジナルの2に思い入れのある層ーー就職氷河期で絶滅の憂き目にあい、ほぼ生き残っていないーーには、たいそう不評であるストーリーのキャラづけだけでなく、たとえばアリーナやクリフトのように、ゲームデータとプレイフィールで”勇者たち”の個性が浮かびあがるのは、すばらしいと思いました。

 俎上にのぼりがちなサマルトリア兄の優遇も、じっさいにさわってみれば「調子にのって皿に盛りすぎたバイキング」や「工学と物理学の博士号を持つ日本文学研究者」みたいなものだと了解できるでしょう。2リメイクにおけるサマルトリアの王子は、「人間はひとつの実存をしか持てないので、いちどに複数の対象へ意識を向けることは困難である」という哲学的命題さえはらんだ、矛盾に満ち満ちた存在となっているのです。また、ハーゴンの部下である”悪霊の神々”にも強い個性があたえられていて、「統率されておらず、横の連携もないが、個々の戦闘力がズバぬけている」という描き方は、鬼滅の刃における上弦の鬼たちをどこか連想させます。そして、おのれの妄執にだけとらわれ、部下たちを道具としか見ていないハーゴンの態度は、まさしく鬼舞辻無惨そのもので、「鬼滅のドラゴンクエスト」は、無限城たるハーゴンの神殿での最終決戦において、その絶頂をむかえるのでした。アトラスから身長を揶揄されたことに対するアオリ返しとか、バズズーー40年近く、ずっと”パ”ズズだと思ってたーーの最期に手向けられた優しさとか、シドーを”やっつけた”とたんに安堵で泣きだす様子とか、育ちの良さからくるサマルトリア妹の、いちども抑圧されたことのない自然な感情の発露ーー批判されてるキンキン声も好き(とても好き)ーーがとにかく最高なのですが、演出全般から目線にノリを貼られたクロコダイル先生の影がずっとチラチラただよってくる感じは、すこし笑えました。

 さて、ここからは真エンドの内容へとネタバレ全開でふれていきますので、年末年始に2リメイクをプレイする予定のある方々は、ひきかえすことをオススメします。頭では、ドラクエ初期3部作の世界構造を理解したつもりでおりましたが、ラーミアの背に乗って”偽りの天穹”を突破して上部世界へと飛びでたとき、「なんだか、原神みたいな設定だな」と感じてしまったのには、長さだけは人後に落ちない、おのれのゲーム遍歴を鳥瞰する気持ちになりました(ラーミアで鳥だけにって、やかましいわ!)。そして、始まりの地であるアリアハンにおいて、3の勇者の生家をおとずれ、ロトのかぶと・イコール・オルテガのかぶとを身につけたローレシアの王子を、母なる存在の残留思念が象徴的に抱きしめ、3の冒頭のセリフをささやくことで、「ロトの伝説」を冠する物語は数十年の時を超えて、ついにひとつの円環として幕を閉じたのです。国に命じられて戦場へと送りだした、生死もわからぬ夫と息子の帰りをずっと待ち続けるという意味で、彼女はまさに「岸壁の母」であったことに、いまさら気づかされました。若い人たちのために補足しておくと、ソ連抑留からの引き揚げ船を、舞鶴の港で待ち続ける母親を描いた昭和の歌謡曲で、老境をむかえたホーリー遊児のドラクエシリーズに対する心残りが、どうにかしてあの母親を救済することだったのには、胸をつかれるような思いになります。おそらく、本人が書いているだろうスタッフロール後の結部は、多くの言葉をついやさないまま、「ドラクエとは、なんだったのか?」を正しく総括しているように感じました。

 余談ながら、ときどき話題にのぼせる「丸刈りで首に毒薬の瓶をさげて、満州から逃げのびた祖母」は、命からがら舞鶴に帰港ーー訪れたところ、じつにうらさびしい場所でしたーーしましたが、生涯でそのときのことをいちども口にしないまま、亡くなりました。このエンディングについての評価は、個人的な感情とかなり混線しているので、そこをおふくみおきいただければと思います。「はかぶさの剣」「たたかいのドラム」「はぐメタ防具」など、まだまだやりこめる余地は残っていますが、NPCの発言から追加のエンドコンテンツがDLC配信されるほのめかしを読みとりましたので、いったんここで2の冒険を終えることとします。次は、ドラクエ1リメイクをやっていきましょう。

ゲーム「ドラクエ2リメイク」感想(開始25時間)

 ドラクエ2リメイクをプレイ中。せっかちなみなさまのために結論から申せば、制作会社にとって、ドラクエ3リメイクはHD-2Dのための習作で、こちらのほうが本命だったと思わせる出来になっております。3の印象が最悪だったので、ゲーム開始時点ではかなり批判的な視点で見ており、3段階の難易度とかリレミトとルーラの仕様とか、さんざん批判されたシステムをまったく変更しておらず、クリエイターのあまりの依怙地さには、あきれる気持ちが先に来ました。オリジナルにはない範囲物理のブッこわれ方もあいかわらずで、序盤は「チェーンクロス」「やいばのブーメラン」「いばらのムチ」をそれぞれ装備させ、決定ボタンを連打するだけで魔法いらずに戦闘が終了するため、「ほんとに、日本人はゲームを作るのが下手になったな……」とひとりごちながら、さっさとクリアしてしまおうと進行を早めたのです。ところが竜王の城あたりから、サマルトリアとムーンブルクの物理が通らなくなりはじめ、魔法でローレシアを援護しながら戦うという、ファミコン版のバトルへと質が変化してゆきます。中盤以降のボス戦は、スクルト、ルカニ、フバーハ、バイキルトなどの補助魔法を駆使した、じつにドラクエらしい持久戦に変じていて、「これができるなら、3リメイクからやっとけよ!」と思いました。広大なダンジョンにMPが枯渇し、買いこんだやくそうまでを使いつつ、ボス打倒に残すリソースを計算しながら、おそるおそる歩みを進めていくのは、まさにかつてのドラクエで経験した手ざわりになっています。よくよくふりかえれば、マップのサイズに比してエンカウント率が高すぎた問題は解消しているし、わざわざ「レベルアップ時にHPMP回復なし」のオプションを新設しながら、オフにするとかなり厳しいバランスに調整してきている。また、新規イベントが盛りだくさんなため、ガイドマーカーもオンにしておかないと、ストーリーを進めるのに支障が出るぐらいで、3リメイクをボロクソに言われたクリエイターが本来の発売日を延期してまで、中盤以降のゲームバランスをカリカリにチューニングし、批判をあびた要素をいっさい変更しないまま、新たにそこへ意味をあたえているのは、傲岸に腕組みして非虚業のプレイヤーたちを見下してくる感じで、「なんちゅう、なんちゅうプライドの高さや……」といい意味であきれました。

 そして、なにより特筆すべきなのは、ドラクエ2リメイクの正体は、”あってなきがごとし”なオリジナルのストーリーをグシャグシャに換骨奪胎して大幅な加筆をくわえた、40年(!)越しの公式による同人誌だという点でしょう。昭和の時代におけるムーンブルクの王女のあつかいは、犬の習性が抜けずに四つんばいで放尿するなど、かなり性的なまなざしに満ちたネタっぽいものばかりでしたが、本作では「亡国の王女による、悲しみと憎しみの復讐劇」にフォーカスを置いていて、「言われてみれば、ドラクエ2ってムーンブルクの王女が主人公の物語だよな」とあらためて気づかされ、オールド・ファンは得心するあまり、数十年来つまっていたウロコが目からボロボロと落ちまくった次第です。彼女の旅を助けるスケさんカクさん(古ッ!)ですが、プレイヤー代理の終始無言なローレシアの王子に対して、ことあるごとに針小棒大にさわぎたてるサマルトリアの王子のキャラ造形はまんま我妻善逸だし、ムーンブルクの王女のそれもほぼほぼ胡蝶しのぶなので、「鬼滅のドラゴンクエスト」みたいな同人感は、ストーリーが進むほどに加速してゆきます。しかしながら、「すべての魔物は、殺します」とひとりで部屋をとびだしたあと、「この魔物を見逃したら、ムーンブルクの人たちにうらまれないかしら……?」と地面に落涙する彼女の感情の落差は、なに不自由なく育てられた者がその平穏な人生をうばわれた事実を痛いほどに表していて、ひさしぶりの「ドラクエ浪花節」が強く胸にせまりました。また、「朗読を前提に書かれていないセリフを読みあげられるのは、とても聞いていられない」とボイスをオフにしてプレイする宣言をした脚本家?のツイートにカチンときたのでしょう、本作ではサマルトリアの王女の正式加入(バレ)後ぐらいから、声優がしゃべることを前提とした口語調がどんどん入ってきて、逆にテキストで読んださいに違和感を生じるレベルになっています。

 余談ながら、この妹、ハチャメチャに性格がカッとんでいて、たとえばメルキドを守護する一族の長男との応答で「いいえ」を選択すると、とたんにスッとんできたかと思えば、「なにやってんだよ! オマエだって勇者の末裔のくせに、呪文を使えねーじゃねーかよ! それを言ってはげましてやるのが、フツウだろーがよ!」みたいな罵倒をあびせてきたのは、ひかえめに言って最高でした(本作は「いいえ」を選んだときの展開でかなり遊んでいて、どれも楽しいです)。まだクリアにはいたっていない段階ーーロンダルキアの洞窟あたりーーでの推測を放言しておきますと、ローレシアの王子にセリフがあたえられていないのは、2の後日譚だとのウワサがあるドラクエ12への布石ではないでしょうか。だとすれば、ファンの期待がより高いはずの3と発売の順番を入れかえてきたのには、納得できます。ドラクエ2リメイク、原作をほぼ無視した完全オリジナル作品になっており、まったく意想外でしたが、3のリメイクに文句のあった人ほどオススメです! あと、ドラクエシリーズでいちばん好きな曲は、2で3人の仲間がそろったときのフィールド音楽だなと、あらためて感じました。