猫を起こさないように
よい大人のnWo
全テキスト(1999年1月10日~現在)

全テキスト(1999年1月10日~現在)

ファイナルファンタジー15


ファイナルファンタジー15


ゲーム部分は存外悪くない。昆虫なみの自意識を持つ、造作の整った若人(男娼の条件だ)が乳繰りあうことと、オープニングでおもむろにスタンド・バイ・ミーが流れ、「四人のうち一人が死んで、皆でそれを回想するお話だったりして、ハハハ」などとふざけていたら、何のひねりもなくそのままだったことを許容できるならば、だが。そして日本人は、オープンワールドのゲームを作るのにつくづく向いていないと思った。砂漠と太陽が生んだ一神教は、何も無いがゆえの足し算的思考を養わせた。反対に、豊かな自然と月が生んだ多神教は、恵まれた環境ゆえの引き算的思考を発展させる。ファミコン時代に本邦のゲームが世界を席捲したのは、まさにこの引き算的思考に基づいていたからであろう。オープンワールドの設計思想は足し算的であり、この分野はケトゥ族に任せておくべきなのかも知れぬ。
クリア後の感想。ネット上での罵詈雑言ほど、悪い読後感を小生は持っておらぬ。気のおけない友人たちが後に得た社会的地位に妨げられ、疎遠になってゆく様は身につまされる。そして昆虫的な、すなわち累積的でない知性を持った個人は、課金ガチャのような短期的刺激に向けた快と不快以上の感覚を人生に持ち得ず、それがゆえの虚しさをいつも抱えながら、自裁を決断する精神的強度もついに獲得できない。もし個としての死に世界的な意義を与えられたならば、多くが喜んでそれを選択するだろう意味性の希薄さに、我々は生きている。もし我々が大人になるとしても、この程度の理解、この程度の成熟に留まるだろうというリアルさだけは、意識的ではなかろうが、じつによく表現できていた。FF15は、現代の未成熟とみじめさを描いた佳作である。

この世界の片隅に


この世界の片隅に


映画というのは、言葉にできない感情を表出するための芸術形態なのだという。監督の特質を推察するに、言葉と考証の人なのだと思う。アリーテ姫においては、雄弁すぎる登場人物がすべてのテーマを言葉で語り尽くしており、冒頭の定義で言うならば、映画として成立していなかった。しかし、今回の監督は原作を越える言葉を加えず、ただ考証の緻密さにに徹しており、それが最大の効果を発揮しているのだ。そして主人公役の“ウイ”ではない方の女優が物語終盤で発する「アホのまま死にたかった」みたいな台詞は、奇しくも彼女自身の置かれた境遇を代弁しており、一種ドキュメンタリーのように響くのである。現在、どうやら芸能界から干されてしまっている彼女は、しかしながらこの国の存続する限り視聴され続けるだろう傑作に名を残せたことを喜ぶべきであろう。そう言えば、3月11日に向かう物語と、8月6日に向かう物語という点でも、シンクロしてますね。

正解するカド


正解するカド


8話視聴後「カド・ザ・ライト・アンサーは小鳥猊下将軍が育てたらしい」
9話視聴後「カド・ザ・ライト・アンサー? 小鳥猊下将軍は育てとらん」
最終話視聴後「すごい……どん底の底をついたと思っていたのに、まだその下があっただなんて……!! 視聴者のたどりついたこの場所こそ正に異方、そしてこれが異方の感覚……!!」
虚構にここまで心動かされたのは、久しぶりのことだ。じつにエヴァ破からのエヴァQを視聴したとき以来であり、むしろこれは賞賛に値するのかも知れぬ。その激情に、今年3枚めのモニターが破壊された。久方ぶりの激アングリー・P・P・サークルであった。しかしながら、当初ツッタイーで同作品へしたり顔の言及をしていたジャパニーズ・エス・エフ作家どもが、いまや軒並み沈黙を守っている事実に対しては、大いに溜飲を下げておる。

ドラゴンクエスト10


ドラゴンクエスト10


例によって「トランキライザー、喰え、喰え!」の最新作をプレイ中だが、あのハゲ、こっパゲ、失礼、昨今の諸君は高学歴女子による禿頭への罵倒へ嫌気がさしているのであったな! 言い換えよう、あの毛根ザラキーマおしゃれメガネ野郎、やっぱりすげえぜ! ネタバレを避けるために小説のタイトルで例えると「ベロニカは死ぬことにした」以降は鬱々とした展開が続き、(え、例えになっていないって? いったんテキストサイト運営から遠ざかると、洒脱な隠喩の腕前も鈍ろうというもの。ボクは悪くないもーん、ボクを見捨てた貴様らが悪いんだもーん)さすがの小生も懊悩に満ちた陰のある美男子の表情で「やはりホーリー遊児でさえ、不可逆の喪失を描くことを避けられない時代なのか」などとつぶやいていたのを、軽々と飛び越えていきやがった! ドラクエ以外には不可能な、あらゆる作劇の作法を無視した50時間のプロローグ、起承転結の巨大な起と承には、もはや驚愕と賞賛をもって返すしかない! 凡百のメーカー、凡百の作品なら、ついつい追加DLとしてカネとっちゃいそうなもんですよ、この展開で! おい、FGO、最近のてめーのことを言ってんだよ! ホーリーさんの頭髪でも煎じて飲みやがれってんだ! このカネも名誉も十分に持った頭髪以外完璧超人は、もう現世のあぶく銭なんてビタイチいらねーんだよ、ただ純粋に俺たちファンの驚く顔が、喜ぶ顔が見たいだけでやってらっしゃるんだよ! おい、FGO、テメーも去年まではそうだったじゃねえかよ! 復刻、復刻、クソアガルタの慢心大三元かよ! ブチころがすぞ! おい、クソフェミにからまれてるクソ夏イベ、クソおもしれえじゃねえか! やればできるんだったら、いつもやれよ! おい、何の話だったかすっかり忘れたじゃねーか! なにッ、ドラクエ以外にも起と承だけで10年かけてる劇場アニメがありますよ、だって? (赤を基調としたデザインの寸胴魔法使いの声で)おにいちゃんのバカ! (下まつげの長い旅芸人のイントネーションで)アンノちゃんはハヤオちゃんのマネをして、結末を考えずに作り始めちゃっただけじゃないの! ライブ感だと? 片腹痛いわ、ギコハハ! なに、シンエヴァの新しいティザーサイト見ましたか、だと! もう俺は深読みなどせん、深読みなどせんぞ! 上段と下段が呼応関係であり、「続きに非ず、終わりに反して」という意味が隠されていて、いよいよ破の続きが物語られ、その先にはエヴァの世界観を共有したガンダムばりのマルチバース作品群の展開が準備されているなどとは、毛ほども考えてもおらぬわ! (寸胴魔法使いが指をつきつけながら)なによ、その目は! 本当なんだからね!

ラ・ラ・ランド


ラ・ラ・ランド


ん、んんー? 古き良きミュージカルと恋愛映画の文法で作られているせいか、視聴中はローマの休日やメアリーポピンズが思い出されてならなかった。丁寧には作られていると思うけれど、ん、んんー? 素人から玄人に至るまで、あそこまで手放しの絶賛を巻き起こすほどの内容かと問われれば、まったくそうは思えない。作品としては嫌いじゃないし、仮に単館上映とかでひっそりと消えていくような映画だったならば、声を大にして名作認定したかもしれない。オープニングのハイウェイシーンばかり流し続ける、視聴側の知性を低く見積もった配給会社の売り方を含めて、周辺状況にゲンナリという感じだ。

ブレードランナー2049


ブレードランナー2049


スターウォーズ7とは逆で、ハリソン・フォードが出てくるまでは面白かった。それ以降は、腐っても「ブレラン」の続編をうたうのだから、最高の環境で視聴しようと思い、アイ・マックス・スリー・ディーを選択したことがアダとなる。オリジナルの冒頭で流れる例のみょんみょんしたテーマっぽい音楽が、ゴスペル風テルミンみたいにアレンジされて重低音で響きまくり、人物アップの長回しが多用されるのと相まって、nWoオールタイムワーストであるところのシン・レッド・ラインを視聴したときと同じ気分にさせられたのには参った。他にも、サイレンスの宣教師みたいなウォレス社のラスボスとか、レプリカントたちの蜂起とか、9つのオフワールドとか、ブレランの世界観をマルチバース的に広げたいんだろうなと推測させる続編への色気が、全体的に悪目立ちしていたように思う。主人公のKが一度は手に入れたと錯覚するオリジナリティ・イコール・アイデンティティが尽く借り物であったことと、ブレランの続編を制作する行為そのものとのオーバーラップが自己言及的に読める部分だけを焦点化し、完全に閉じたまま終わることができれば、作品の格はもう少し上がったことだろう。てなわけで、全体として監督が誘導する方向に全然ノレなかった俺様だが、追い討ちをかけるように後半、後ろのオッサンが嗚咽まで漏らして号泣しだしたので、最高にダウナーな気持ちにさせられた。これがあるから、映画館で見るのはイヤなんだ!

モンスターハンター・ワールド


モンスターハンター・ワールド


西日射す四畳半一間のロスの大邸宅に設置された120インチのスクリーンと7.1chサラウンドが火を吹くゲームがようやっと現れやがった! モンスターハンターワールド! じつに気持ちよく5,000円もするコントローラーを破壊させてくれる! ぼくはもう君から目が離せない! エコノミック・ダウンサイジングが本邦へ引き起こしたゲーム機の小型化・携帯化は、このシリーズにとって非常に不幸なことだったと改めて感じざるを得ない。市井の一皇族に過ぎない当アカウントは、世界各地に残る巨人伝説をリアルに裏付けるほどの巨人少女なのだが、アンドレ・ザ・ジャイアントがスリーディーエスなるマイクロマシンを自在に操作できるか想像してごらんなさい。おまけにピーエスフォーのコントローラーはある程度頑丈で5,000円ポッキリだが、スリーディーエスなるマイクロマシンの画面やヒンジは、頭突きパツイチで簡単に破壊される上、20,000円超もするため、到底リーズナブルな遊戯とは言い難い。後半マップの力尽き具合とか、ドドガマルやらヴォルガノスの扱われ方とか、導蟲は目標へ誘導するくせにコンテンツへの誘導は絶無だったりとか、エンシェントドラゴンハンターワールドと化すエンドゲームまわりとか、全体的な作り込みの甘さを言われれば、確かにその通りだ。しかしながら、市井の一皇族はモンスターハンターワールドを全面的に肯定する。こういうのでいいんだよ、こういうので! 本作の前に触っていたブレス・オブ・ザ・ワイルドは、素晴らしいゲームだと理性では賞賛しながらも、ゾーラ編をクリアしたところでなんとなくプレイする気をなくして、一度も破壊されなかったコントローラーを置いてしまった。それがどうだ、モンスターハンターワールドではすでにコントローラーを2つも破壊し、夜中に心からの怒りを絶叫して隣人に通報され、路上のムシロで超多忙なエグゼクティブの日常を送る俺様のプレイ時間は、すでに100時間を越えた。ブレス・オブ・ザ・ワイルドがルーヴル美術館だとするならば、モンスターハンターワールドはタバコ臭い、手アブラとヤニでコンパネのべとべとする場末のゲーセンである。生まれも育ちも下品な元皇族の俺様からすれば、モナリザの美やヴィーナスの造形の完全さを高い知性から後付の教育で理解はすれど、結局この身になじむのはイーゲームだかなんだか知らない、昨今の教養や理性で脱臭されていない昭和のゲーセンなのだ。傷んでいない方のコンパネに身をねじこませ、メンチや奇声や台バンの盤外戦で心理的優位を得て、負けそうになれば出ッ歯の仲間が筐体の電源を引っこ抜く、折り目正しい大人とやらが眉を潜める、そういった無法の鉄火場こそが我が戦場なのである。……などとほとんど両手放しのベタ褒めで毎日プレイしていたのは、先月末のこと。いまや全くピーエスフォーを起動していない。この連続ツイートも数週間前に書かれていたのが、ずっと塩漬けにされていたものである。エンドゲーム周りの不完全さに飽きが早まった? いや、違う。ランスシリーズ最終作が発売されたからである。

デトロイト


デトロイト


ジョン・ボイエガが出演しない方のビカムヒューマン。話は突然変わるけど、思想信条に関係なく、文章に色気のある書き手が大好きで、栗本薫や内田樹、あと最近の東浩紀とか内容がなんであれ、とにかく無条件に読んじゃう。話はまた突然変わるけど、このデトロイト、最近では珍しい人文屋ホイホイのゲームなのね。シェンムーの頃の鈴木裕とか、エネミーゼロの頃の飯野賢治とか、ふだんあまりゲームをしない人文系の書き手が、技術の進歩に目眩しをくって、実状を越えて作り手を褒めそやしちゃうのを、ゲーマーたちが冷ややかに見てる点がそっくり。このデトロイト、ポートピア連続殺人事件の「ばしょ いどう」がものすごく豪華なアクションになり、「なにか しらべろ」が直感的でないレバー操作に置き換えられても、同ゲームのオチのようにエポックメイキングなアイデアはひとつもない。オープンシナリオを標榜しながら、狭い箱庭を製作者の想定通りの幅で動かされるだけで、YU-NOほども分岐しない。つまりは、アドベンチャーゲームというジャンルを何ひとつ更新していない。何やら最新の技術で現実の俳優の演技を表情ごとCGにしているらしいけれど、同じものを何度も見るゲーム性に新鮮さは持続せず、周回のモチベーションを刺激する発明には至っていない。なので、このくらいのストーリーならもう実際の俳優を使って、2時間の映画でサッと見せてよ、映画じゃ勝負できないからゲームというジャンルに逃げてんじゃないのと思ってしまう。話はまたまた突然変わるけど、「父として考える」以降の東浩紀は文章に色気があって、思想信条や内容がどうであれ、とにかく無条件に読んじゃうなあ。

全身小説家


全身小説家


エクストリーム・ベヒーモスに連戦連敗を繰り返し、積んでおいたDVDを息抜きのつもりで再生したのが運の尽き。あまりにもエクストリームな毒にすっかりやられてしまった。乙女のように瞳を潤ませる老女にえづき、生々しい手術のシーンでたまらずトイレにかけこむ。弔問に来た埴谷雄高をバックに「悪霊となって全ての差別者に仇を為せ」みたいな、寂聴ちゃんの怨嗟にも似た弔文(でも、セックスはしてると思う)が流れる頃には、完全なグロッキー状態でぐったりとソファに身を預けていた。映像作品でこんなふうになるのは何年ぶりだろうか。被写体のクレイジーぶりもさることながら、監督が五年もの間、何の意図をもって、どのように撮影し、関係者からのあらゆるクチバシを退け、どれだけの時間をかけて、いかに編集したかを想像するだけで、心底ゾッとさせられる。それにしても、忌々しいのはエクストリーム・ベヒーモスである。俺様がスーパープレイをするときには味方がふがいなく、味方が頼もしいときには俺様がミスを連発するという悪循環の中、配信の最終日には久しぶりに酩酊状態を脱してプレイせねばならぬと決意するほど、追い詰められている。そう言えば最後にシラフでゲームをしたのも、モンスターハンターのフロンティアの、なんか雷を出す鳥だったな、などと愚痴も言い終わりましたので……、じゃあ。