――あの衝撃的な、「萌え萌え学園ファンタジー」更新を宣言してから、はや一ヶ月半が過ぎましたが、現在の状況を教えていただけますか。
更新を待ちわびるファンのことを思うと、次から次へと気力が湧き上がる感じだ。お気に入りの鉛筆がちびて使えなくなり、家人が新聞を取るのを止めたせいで広告チラシの裏も尽きてしまい、何より暑いので、一ヶ月半ほど中断してはいるが、おおむね良好だよ。
――さぞかし、反響は大きかったのでしょうね。
そりゃ、凄まじいものさ! 父親は毎夜狂ったように俺へ暴力をふるうし、母親は深夜エプロンの前かけに顔をうずめて部屋の前で泣くし、スーツ姿の兄は毎朝虫ケラに向ける視線でひとり食卓に飯を食う俺の背後を素通りするし、薄い壁越しには昼間からアンアンと隣人の艶めいた嬌声が聞こえてくる。外に出れば、犬は電柱と間違えて俺の足にマーキングするし、妹は潤んだ瞳で電柱の影から俺を見つめてくるし、近所の婦女が蝟集して囁きあうそばを通れば静まり返るし、黄色い空からは太陽と同じ大きさの顔面が無表情に俺を見下ろしているし、突然の騒音に驚いて耳をふさげば俺自身の絶叫だったりね。そりゃもうあれ以来、俺の周囲は上を下への大騒ぎなのさ! まあ、妹だけはいないんだがね!
――身内や近所だけでもその有様なのですから、nWoファンからの反応はさらに大変なものだったのでしょうね。
ないよ。全然ない。ネットはいつも通り、ビックリするくらい静かだよ。あまりの静寂に、父親が契約するプロバイダーへ確認の電話を入れたぐらいだ。二千回ほど確認をしたら、営業担当が菓子折りを持って謝りに来た。その後、父親から狂ったように殴られたが、やはり回線の不調のせいなんだろうね。けどそれは、ファンのみんなに期待していないってことではないんだ。全くのその反対の気持ちなのさ。だって考えてもみてくれよ、俺の周囲ではこれだけの騒ぎが巻き起こってるんだぜ! 反応が無いのは、ただ回線が不調だっただけなんだから!
――「萌え萌え学園ファンタジー」は、今後どのように展開していくのでしょうか。
もちろん、俺の人脈を最大限に生かした、グローバルな展開を考えているよ。まず、今まで言ってなかったんだけど、俺はフランスのモード界の重鎮の一粒種ではないんだ。そして、アメリカの大手CATVの敏腕プロデューサーに知り合いもいない。だが、台湾の芸能界事情に明るい制作会社の社長と個人的に懇意にしているという事実関係は未だ確認されていないので、「萌え萌え学園ファンタジー」へのオファーに自宅の黒電話は鳴りっぱなしさ! もっとも、俺以外の家族全員が携帯電話を持つようになってから、家の電話回線はとうに解約したはずなんだがね。ただ、勘違いして欲しくないんだが、俺には確かに黒電話の、次第に高まってゆくあの音が聞こえるんだ! ジリリーン、ジリリーン、ジリリーンってね! これは表現を志すものにとって重要な教訓を、偉大なる親神様が俺に伝えようとしているんじゃないかと思えてならないんだ。『おい、小鳥。重要なのは他人がどう感じるかじゃない、お前がどう感じるかなんだぞ』ってね。
――最後に、更新を待ちわびるファンの方々へ、一言お願いします。
視界の右半分を覆う羽虫のようなノイズがいっこうに晴れないし、左足の痙攣も止まらない。先月亡くなったはずの祖母が本棚と天井の隙間からずっと俺を監視しているのも気になるが、次回の更新を読めば、衝撃のあまり正気も理性も消え去rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
――今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
(9月11日、脳内某所にて)
ジュリー&ジュリア
「有名になりたい女子が、過去の有名人をブログで利用した」という印象を最後まで消せなかったアルファブロガーの俺様である。結局、現実に両者の交流が皆無だったので、二つのストーリーラインのザッピングが一つの落しどころを持てないままの中途半端なエンディングで、物語的には非常に座りが悪い。実話だから仕方ないと言えばそうだが、故人に対する配慮が”based on two true stories”という奇怪な冒頭辞に現れており、制作側の苦労が忍ばれる。あと、よく見たらメリル・ストリープってジグソウの俳優にそっくりだな、と思った。
ロフト.
「来世でなら、あるかもしれないけど」。君とぼくの生息する文化圏とは二重の意味で正反対の世界を描いているなあと思って見ていたら、気がつけば犯人は君とぼくだった。あれ、松井選手? 試合、どうしはったんですか?
――慣れし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり。(シューマン「流浪の民」)
思えば、世界に倦んでいたのではなく、未知に倦んでいたのだろう。
過去を語る老人は、未だ成さざる者にとって、白紙の課題と同義だった。
達成される前には重荷で、達成されれば無と同じになる、人生という名の課題。
はたして、この世界を美しいと思い、愛せる瞬間など本当に訪れるのだろうか。
その人は、ぼくの諦念へやってきたのだ。
端正な横顔は少年のようでもあり、少女のようでもある。
黄金色のくせ毛は、陽光に輝く秋の麦畑のように豊かで、
ほそく通った鼻筋は、冬に冠雪した尾根のように冷厳で、
春の若芽のように柔らかな唇は、触れるものを溶かすほどに甘い。
夏の陽射しを思わせて燃える瞳がうつす表情は、
ときに賢者の白髪のように老獪で、
赤子のうぶ毛のようにあどけなく、
そして、あらゆる光を絶望させるほどに、その深淵には底が無い。
憧憬を得た者だけが、我が苦しみを知る。
ぼくの苦しみを、他のだれが理解しよう。
未だ憧れの熱狂も醒めぬこの身で、かつて魂すら捧げた崇拝を砕かねばならぬ、我が苦しみを。耳朶に残る熱さは、あの人が触れたせいか、憧れが燃え残るせいか。
鈴のような忍び笑い。虚ろな心に反響して、虜にする。
では、こうしようか――
時が経巡り、経巡った時が循環の果てにお前の掌へと還ったその日、
もし世界が醜いままで、可愛いお前の憎悪にしか値しないとすれば、
そのときは、乱暴な子どもへ与える玩具のように、この身をお前の恣にさせよう。
時が経巡り、経巡った時が循環の果てにお前の掌へと還ったその日、
もし世界が美しく優しさに満ち、お前の愛を捧げるに足るとすれば、
そのときは、最良の主人を持つ奴隷の幸福の如く、お前の生命を私に捧げるのだ。
では、手始めに――
この世界すべての栄華と叡智を順に、お前の卓へ饗することにしよう。
(巨大な空間を風が吹き抜けるような音。黒い画面へテロップ)MMGF!!
(巨大な空間を風が吹き抜けるような音。黒い画面へテロップ)Coming (not) soon.
ハングオーバー
アメリカのコメディはちゃんと社会装置として機能してていいなあ。権威の可視化とそれの抑制が自分たちの役目だってわかってて、すごく意識的にやってんの。アメリカのコメディアンは政治家にならないもんなあ。それにひきかえ日本の芸人って、すごく世間の常識の枠組みを意識してるじゃん? なんでも米国に倣ってるくせに、コメディの作法だけは怖くて真似できないんだからさあ、腰抜けだよなあ。貴種や障害や不可触や大陸や半島、どれもこれも前人未到のネタ宝庫じゃん。例えば半島の言語に当てつけて、平仮名だけで論文書く大学教授とか登場させてさあ、言葉のせいで抽象思考ができないのを虚仮にしまくんの。でも、アジア人の英語を馬鹿にするネタだけはもうやめて下さい!! 泣いてる子もいるんですよ!
零の軌跡
おれ、最後にこのシリーズをプレイしたのって、ドラゴンスレイヤーって副題がついてた頃だから、熱心なファンとは言えないんだけど、すごい楽しんだなあ。プレイ時間の8割くらいはテキスト読んでる感じで、面白さの構成要素は大部分がゲームってより小説なんだけど、すごい楽しんだ。グラフィックはスーパーファミコンなんだよ、そのまま移植できんじゃねえかってくらいスーパーファミコン。でもさあ、場面場面の演出がドット絵独特の方法論でさあ、すごいグッとくるわけ。ドット絵の立ち姿が涙を流してるように見えるとかって、すごい日本人の心性に根ざしてるって感じがするなあ。エヴァ以降に能面キャラが流行ったけど、感情を見せないのに悲しかったり切なかったりするのは、日本庭園なんかがそうだけど、観測者の主観において無限の宇宙を形成できるっていう見立て文化の心性に依るところが大きいんじゃないかなあ。その意味で、欧米ではウケないってのはすごいわかる。受容器官がないんだもん、アイツら。話もどすけど、最近の本邦のゲームってさあ、その心性からどんどん離れていってるって感じるわけ。マシンの性能がすごい上がったおかげで、映画とかの映像技術が流入してきて、ドット絵の演出作法とかを根こそぎ駆逐してるの。いや、別に欧米の方はそれでいいんだよ。ゲームの機能は映画芸術が欠いていたインタラクティブ性の補完だって喝破されて、映画大なりの不等号が明確になって、そのうち完全に吸収されたってさ、別に構やしないの。でも、日本人にとってはさ、ゲームの、ドット絵の演出って、技術的障壁がもたらした単なる制限以上の意味合いがあったんじゃないかなあって思うわけ。CGの技術とか、まあもともとコンピューターが欧米発信だから、向こうに学ぶしかないってのはわかるけど、日本人の心性が省みられなくなるんじゃないかって、すごい気になる。技術だけ学べばっていってもさあ、あっちの技術だって表現への欲求が要請して出てきたものじゃん? 欧米の表現形式、さらに言えば心性に、使っていくうちに取り込まれちゃうんじゃないかなあ。市場規模がよく引き合いに出されるけど、いちユーザーにとっては全くもって知ったことじゃないし、世界の映画賞なんか見ててもやっぱ地域性みたいのが受賞の理由だったりするじゃん。ノーベル文学賞もそうだよね。欧米技術の取り込みがそういう部分とトレードオフになってんじゃねえのって、すごい疑問感じちゃうわけ。あと、映像表現の本質って、いかに現実の見え方をデフォルメするかってとこに尽きると思うけど、日本の場合、どれだけ情報を削ぎ落とせるか、どこまで削ぎ落として伝わるかって視点が入ってくると思うのね。おれ、エヴァ破がすごい好きなんだけど、この問いかけにちゃんと定観を持ってて、アニメって分野が本質的に解答を含んでたって側面もあると思うけど、ある程度までは答えを出してるってのが、好きな理由として大きいような気がする。おれ、ノンポリだけど文化的右翼だからさあ、こんなことばっか考えてんの。ダラダラ書いてきてさ、何が言いたいかってえと、零の軌跡、すごい楽しんだなあってことと、社名に日本がついていて海外展開しないうちは、おれ右翼なんで、この方向性を全力で応援するってことだよ、言わせんな恥ずかしい。
nWoにmixiチェックなる新機能が追加された。外部ページをmixi内で紹介しやすくするためのものらしい。
更新をほのめかしながら一向に行わない、するする詐欺状態の当ホームページであるのに、過分な対応を欠かさぬ事務次官相当の裏方には全く頭が上がらない。感謝の気持ちがこうべを垂れさせているのはもちろんなのだが、twitterボタンと同様、ほとんど誰からも使用されぬまま棚晒しとなってゆく未来が、私にはほぼ確実な運命としてにすでに見えているということもある。事実、先日行った単発の更新についても、twitter方面を含めて反応はほぼ無かった。
現在の心象風景を記述するなら、私は大邸宅で多くの執事やメイドにかしづかれる裸の乞食だ。朝の食事が饗される大広間の長テーブルへ次から次へと高価な贈り物が運び込まれ、執事は身に覚えのない祝電をいくつも読み上げる。胸元を強調したお仕着せの、若い肉感的なメイドが傍らにひざまずき、金のさじでキャビアを口元へ運んでくるが、ほとんど味はしない。なぜならその乞食は、勃起が収まらないことへの恥ずかしさでいっぱいだからだ。
分不相応であることを知る惨めさと、あらかじめ失われることが決まっている幸福に対する萎縮を描写してみた。なに、陰茎は萎縮とは反対の状態じゃないですか、だって? ドヤ顔すんな!
アイアンマン
ロバート・ダウニーJr.が見たくなったので視聴しました。シャーロック・ホームズで、メイドの性倫理についてジョークを飛ばしているところに「私の妻はメイドです」と返されたときの彼の表情と演技の間が忘れられなかったからです。文章では表現できねえなあ、と感じたのをいま思い出しました。nWoは皆の脳内にある映像プールを共有財産とし、より短い表現でのイメージ伝達を企図しておりますので、その敗北感はなおさらでしょう。映画の内容は例によってアメリカの贖罪がテーマですが、それを指摘したくないほど歯切れよく、スカッとしました。俳優の力ってすごいですね。でも、副社長は世界各地を瞬間移動しすぎだと思った。
アイアンマン2
前作のキャラと伏線があって、どうしてここまでつまらなくできるのか、襟元つかんで大声で問いただしたくなる仕上がり。6months laterってさあ、正味、前作ではアイアンマンまったく世間的には活躍してないんだから、この6monthsをこそ、湯水の如くカネを使ってのお大尽悪党退治行として描写しなきゃダメじゃん。それを新聞記事のヘッドラインだけでサラッと流して、主人公が悩むダウナー話――ダウニーだけにな!――を延々とやられたって、少しも感情移入できないわけ。あと、前作は誕生秘話に時間が割かれてて尺そのものが短かったので気にならなかったけど、パワードスーツによる戦闘シーンの引き出しが異様に少ないと感じた。続編作る気マンマンの引きで終わったけど、誰か制作サイドに宇宙刑事シリーズとか送ってあげてください。あと、みんなミッキー・ロークにビビってない? 役としてじゃなく、共演者として。