猫を起こさないように
よい大人のnWo
全テキスト(1999年1月10日~現在)

全テキスト(1999年1月10日~現在)

GOAL!


GOAL!


世間の雰囲気に便乗してアクセス数を稼ぐことを悪と断罪できるほど、この小鳥万太郎、若くない。いいか、2と3は見るなよ! ぜったいに、見るなよ!

キャピタリズム


キャピタリズム


ドキュメンタリーの悲しいところですが、現実の方がすでに先へ動いてしまいました。ただ、民衆が歩んだオバマ政権誕生への足跡として視聴すれば、充分に感動的です。少なくとも私は目頭が熱くなりました。資本主義の否定にキリスト教を持ち出すあたりも、ずるくてうまい。あと、他国の産業を戦争で破壊した結果、その空隙へ滑りこむ形で米国の好況があったという下りには、目から鱗が落ちた。

パラノーマル・アクティビティ


パラノーマル・アクティビティ


スピルバーグ大絶賛のふれこみにワクワクしながら視聴を開始したが、なにこのブレアウィッチ・プロジェクト。あと、ひとつのネタを延々と引っ張りに引っ張って、最後に肩すかしのオチを持ってくる構成になんか既視感あるなあと思ってたら、浦沢直樹だった。それと、女優の顔になんか既視感あるなあと思ってたら、トゥーリオだった。

リベリオン


リベリオン


インターネットではB級がもてはやされる傾向にある。なぜならA級を褒めたところで自分の手柄にはならないし、何よりnWo自身がその生きた証明であるように、インターネットにしか居場所のない誰かはA級をうらやむB級そのものであるから。あと、とりあえず、1984年→ゼン-ガン→マトリックス→ガン-カタ→ザ・ウォーカーという自由連想を記載しておく。

借りぐらしのアリエッティ


借りぐらしのアリエッティ


久しぶりに「思想性無し」「政治性無し」のジブリが描くボーイ・ミーツ・ガール。観客は、豊かな美術と多彩なアニメーションに支えられたシンプル極まるストーリーを追いかけて、爽やかな余韻と読後感だけを手に入れることのできる佳作――ぼくも、みんなと同じくそう思っていたのです、あの恐怖の瞬間が訪れるまでは。「地球の人口67億」「君たちは滅びゆく種族」――突如、その場面までほとんどキャラ造形がのっぺらぼうだった少年が、ストーリーラインから完全に外れた意味不明の供述を繰り返しはじめたのです。そう、それはまるで、御大が少年に憑依したかの如くでした。お化け屋敷の吊るしコンニャクが首筋に入ったような不意打ちを食ったぼくは、思いがけぬ真夏の納涼にぞっとして、最後までひとり、劇場の隅でぶるぶる震えていた。こわい、メッセージ性、こわいよう。

かいじゅうたちのいるところ


かいじゅうたちのいるところ


大人の頭で考えた、子どもが楽しいと思うこと。大人の頭で考えた、子どもに聞いて欲しいこと。そして、その説教を子どもには見えない物語の裏へ隠しおおせたと信じる傲慢。これらすべてが作者の意図を踏みにじり、原作の持つ普遍性を制作サイドの自尊心という矮小なサイズへ貶めている。

プロミス


プロミス


「B.Z.が帰れば、友だちになれたこともきっと忘れてしまうんだ」。約束が反故にされることが悲しいのではない。悲しいのは、二度と癒えないと信じたあの痛みさえ、時がもたらす忘却を前にして、水のように消えてしまうこと。二年後の映像が、ひどく胸に迫った。大人になることは、世界という命題に関与しなくなることだと、否応に教えてくれるから。

ゼロの焦点


ゼロの焦点


主に洋画と海外SFで青春を空費したところの小生は、日本人の記述する原作など当然未読である。「松本清張=赤いシリーズの胸やけ+社会情勢に根ざす動機」、げぃか、おぼえた。しかしながら、現代に松本清張の存在できない理由がわかったことは収穫である。ミステリーはトリックよりも犯人の動機がいかに多くの共感を呼ぶかが最も重要だと考えるが、万人にとって有効な「社会的動機」はもはや本邦には存在しないことがそれだ。戦後という時代背景が不幸を大文字化していたがゆえの松本清張であり、例えば君とぼくが抱くところの、魂の深奥を二次元につかまれながら同時にその事実を深く恥じる感覚など下の世代には理解できないだろうし、さも大文字の不幸であるかのようにマスコミが喧伝するところの、安い賃金と不安定な雇用で飼い殺されている君とぼくなども、実のところ上の世代にとっては対岸の火事を眺めて、せいぜい火元の無用心を囁きあうくらいの内容に過ぎず、それらを動機とした犯罪には多くの非難か失笑が返ってくるだけである。現代の不幸の正体とは、各人の抱く不幸が世代で切り分けられているがゆえに、総体としてとらえた場合、少数の共感をしか得られたように思えないという、体感の欠如なのだ。おそらく次の松本清張が生まれるのは、多数決で勝利できる不幸が本邦に現出したときであり、もしそれが戦争でないとするならば、宇宙人の襲来くらい思いつかないなあと、主に洋画と海外SFで青春を空費したところの小生は夢想するのであった。あと、ヒロスエ、だいこん、げぃか、おぼえた。

Dr.パルナサスの鏡


Dr.パルナサスの鏡


故ヒース・レジャーを取り巻く友情とか、テリー・ギリアムの不幸体質とか、周辺状況を楽しむ作品だと思った。原題でもある博士の想像力の世界に、視聴前期待していた精神病すれすれの妄想とか気狂いの夢みたいなブッ飛び方は見られず、どれも妙に理に落ちる感じだった。韜晦が深みを生む監督の作風からすれば、こういう題材選びは逆に底が割れてしまう感じがして良くないのになあ、と無責任に考えた。