安野モヨコの還暦不行届を読む。Qアンノとその周辺に関して、無駄に解像度が上がってしまったので、ここへ忘備録的にしるしておく。女史のことはハッピーマニアの当初から、あからさまな岡崎京子フォロワーであると感じていた(調べてみると、アシスタント経験等の親交がある)。以前、「近年、クリエイターがクリエイターに向けて作品を作るようになった」と指摘したが、その走りのような存在のひとりだと言えるかもしれない。演劇にせよ、漫画にせよ、アニメにせよ、それぞれの黎明期は参照すべき既存作品にとぼしく、かつてはムラの外部にいるクリエイターではない一般大衆に向けて、娯楽から啓蒙までの振り幅はあれど、「何かを伝える」ために物語は物語られていたように思う。そこから長い年月が過ぎて、各ジャンル内に作品の点数が積みあがり、多くの傑作や駄作のうちから古典が生まれ、単純な物量の裾野が業界の基盤を形成するようになると、あとから来たクリエイターは全創作物の中での己のポジション、すなわち「どの系譜に連なる者か?」を一種のアイデンティティとして、否応に示さなければならなくなる。これは同時に、オマージュやサンプリングが創作の手法として機能しはじめる段階でもある。前述したように、安野モヨコの漫画には岡崎京子とそのファンへの目くばせがあるし、最近はやりのぢぢちゅ回銭(原文ママ)も冨樫義博とそのファンをどこか意識しているのがわかるだろう。この段階においては、ムラの外にいる非クリエイターへとメッセージを送ろうとする力学は弱まり、懐から取りだした骨董品を好事家にチラ見せしながら、「アナタ、わかるでしょ、これ?」とささやいて、2人きりで忍び笑う楽しみ方が創作の小さくない部分を占めるようになる。我々のたどりついたこの現在の様相こそが、「いまは、クリエイターがクリエイターに向けて作品を作っている」という発言の真意である。
本作の内容に話を戻すと、昔からのファンにとっては周知のことなのだろうが、女史が親から虐待を受けていたことをサラリと述べているのには、おどろきと同時に腑に落ちる感じがあった。理由は後述する。また、女史がクリエイターという職業を「人類史のうちで最も高い位置にあるもの」とみなしていることが、文章の端々から伝わってくるのである。いくらか年齢を重ねてゆくと、日々の生活をただ平穏に過ごしていく裏に、一言も発さないまま世界の基(もとい)たるインフラを黙々と維持する人々の気配を近くに感じ、己が連綿と続く「生命の鎖」の一部である事実へ自然とこうべを垂れる気分が勝ちそうなものだが、その鎖から外れた一個のビカビカの金の輪であることこそ、「正しく、ありうべき姿だ」という考えがどこかにじむのは、興味深いところだ(これ以上はゲスの勘ぐりになるので、書かない)。このエッセイは、20年にわたるQアンノとの関係性の変化によってたどりついた先であるが、交際をはじめるようになったきっかけは間違いなく「旧エヴァンゲリオンを見たこと」だろう。岡崎京子フォロワーを自認し、サンプリングの手法でモノを作ることに悪びれず、「創作って、そういうもの」とうそぶいて、売れっ子漫画家としての人生を軽やかに駆けていたところ、同時代に存在する圧倒的なオリジナルと、ほとんど出会い頭の事故にも似た邂逅をはたす。そうして、過ごそうとしていたトレンディドラマのような日常から、かつての欠損家庭という出自に襟元をつかまれて、彼女はグイと元いた場所へと引きもどされてしまったのだろう。それは、ほとんど改宗に近い人生のパラダイムシフトだったのではないかと想像する。
結婚生活に限らず、人間関係などというものは”必ず”どちらかが多く支払っており、多く支払ってる側に納得感のあることが関係の長続きする理由だろう。本作を読んでつくづく思ったのは、安野モヨコの方がはるかに多くを支払い続けているにも関わらず、2人が破局へと至らないのは、「クリエイターの才能へと向けた畏敬」と「人間になれなかった者の育てなおし」という2つの業病が、創作者を最高の職業と信ずる、虐待を生育史に持つ者の歪みにピッタリとハマったからなのかもしれない。唯一無二のオリジナリティをしてコピーだと自虐する才能を前にして、「自分の漫画が書けなくなる」のは表れて当然の反応だとさえ思う。Qアンノと旧エヴァに出会い、「岡崎京子のいる世界で、そのサンプラーが表現をする意味とは?」に再びブチあたった結果、ただひとつ最後に残ったのがオチビサンだったとするならば、なんだか息苦しいような気持ちにもさせられる(以前、「スヌーピーのポテンシャルはない」などと放言したことを少し後悔している)。キューティハニー実写版の怪人デザインをQアンノから依頼された女史が、何を提案しても徹底的にダメ出しをされて、最終的には激昂して相手にモノを投げつけるところまでいく話が、これまたサラッと書いてあるのだが、見方を変えればこのやりとりは、「真作からオマエは贋作だと言われ続ける」という残酷な図式になっており、「そら、こんなことを無自覚にくりかえされたら、書けなくもなるわ……」と深く同情した次第である(さらに言えば、女史がQアンノの世話に人生を捧げようとまで惚れこんだ、旧エヴァから受けた衝撃のほとんどが、彼以外のクリエイターの手による要素だったとシンエヴァで判明してしまったことは、限りなく喜劇に近い悲劇だろう)。
あと、ずっと謎の存在だった「庵野の母ちゃん」が、偏食で口うるさい神経質な義母として登場しており、「父親との対立で始まったはずの物語が、退行して無形の母なるものにからめとられる」という旧エヴァの構図の答えあわせをした気になりました。例えば、アル中で暴れまわる父親は子どもにとって明確な敵ですが、その状況のベースを作りだしているのは、せっせと酒類を買い足し続ける母親だったりするわけです。実家を離れてはじめて理解できた、「荒ぶる犠牲者」としての父親とは和解できても、「尊大なる甘やかし」で間接的に家庭内のトーンを決めていた母親とは、元より対立のステージに立つことさえできないのですから! それと不謹慎ながら、本作を読むと「宮村優子と結ばれた庵野秀明」という世界線のことは、どうしても考えちゃいますねー。本人が後書きで言っているように「奥さんに生活の世話をしてもらっていなかったら、もっと早くに糖尿病とかで死んでいた」でしょうから、MIYAMOOとの結婚生活を早々に破綻させた彼が、シンエヴァみたく健康な還暦オヤジのヌルい泣き言を垂れ流すのではなく、キャラデザの人と地球外少年少女の監督に土下座でゆるしを乞い、余命宣告を受けてから彼らのサポートの下に、病に失われゆく視力の中でこれでもかと絶望をたたきつけた「真のエヴァンゲリオン」を完成させていたかもしれないーーそんな、せんのない妄想です。
数年ぶりにスカイリムをインストールした話、しましたっけ? 年末年始の休みにドバッとまとめてメインストーリー部分をプレイするため、10月くらいから毎日コツコツとMODを入れては、競合の解消やロード順の調整に努めてきました。以前のパソコンでは重すぎてゲームにならなかった4KテクスチャMODが、fpsを下げずに動いたのには感動しましたし、近年のくだらない風潮によって、エロMODのあふれかえるNexusからさえ姿を消した、現実生活では個室での音読すらはばかられるMODをダークサイドウェブ(笑)よりサルベージしてドキドキしながら導入したり、ストーリーを進めるための装備を作る目的で鍛治・符呪・錬金などの生産系スキルを上げているとき、ふいにウルティマ・オンラインを始めたばかりの記憶がよみがえったりして、本当に楽しい2ヶ月間でした。
それが先日のこと、突然ゲームが起動しなくなったのです。首をかしげながらSKSEの更新状況を確認し、MODをあれこれと差しつ戻しつ試行錯誤をくり返しても、ウンともスンとも言わない。よくよく調べてみると、野良MODを一掃するべくゲームファイルの根幹に抜本的な変更を加えるアップデートが、それこそ10年ぶりに行われたというではありませんか。この所業はまさに、長きにおよぶファンたちの熱意や愛情へ向けて枯れ葉剤を散布するかのごとき暴挙であり、ベセスダの親会社のゲーム畑以外から就任した役員が「素人どものMODを取りしまって、同じ機能の公式MODで置きかえて課金させれば、ずいぶんもうかるじゃないか。なぜ、こんな簡単なことを思いつかなかったんだ?」などと経営戦略会議で放言する様がまざまざと脳裏に浮かび、怒りで視野が狭窄しました。かように、人や文化を育てるのには穏やかな場所と多くの善意と変化にとぼしい長い時間が必要とされるのに対して、それを終わらせるのには一人の部外者の思いつきと引き金をひく一瞬で完全につりあってしまう絶望的な不均衡が、現在進行形にくり広げられるこの世の不幸の実相である気がしてなりません。まあ、制作に6年をかけた超大作であるところのスターフィールドが、ゲーム・オブ・ザ・イヤーでジャンル部門のみの温情ノミネートにとどまり、受賞は絶望的という盛大なポシャり方をしたせいで、”ちいやわ”社がベセスダに対して収益構造の見直しを迫ったというのが、本当のところに近いのでしょう。
こうして、スカイリムが過去の美しい思い出ごと完全に視界から消滅したあと、一日の終わりのア・フュー・アワーズにすべりこんできたのは、原神において各地の探索率を100%にする作業でした。鋳造したコンパスなどを使いながら、宝箱や神の瞳をチマチマ探す行為は、マリオ64での「スター120個と全ステージの全コイン取得」のそれをどこか思いださせ、かけた時間が必ず積みあがるという点で、たいへんに心やすまるひとときとなっています。バージョンの変遷にともなうマップの進化もクリアに見えてきて、茫洋として特徴に欠ける丘陵のモンドから、パキッとした高低差で地形を表現する璃月、ギミックの量とシビアさにイライラがつのるーーあらゆる崖にCHINPOのカリみたいなネズミ返しがついている地味な嫌がらせも!ーー稲妻、気合いの入ったマップが広大すぎて探索の喜びを移動のダルさが上回るスメール、そしてここに至るすべての反省を生かしたちょうどいいサイズ感で探索の楽しいフォンテーヌと、着実な改善がうかがえるのはじつにすばらしい点だと言えましょう。この推移を分析したさいに浮かびあがってくるのは、「謙虚で内省的な、頭のいい中華人民」という人物像であり、エンタメ業界の皆様にはあらためて、アホのインフルエンサーが暴れまわる煙幕の向こうにキチンと敵の実体を見きわめておかねば、今後の勝ちをひろうのは難しいだろうとお伝えしておきます。
その探索率100%の旅のオトモに、アマプラで「アイの歌声を聴かせて」をながら見していました(ここからが本題です)。ぶっちゃけ、「君の名は。」の下に2匹目のドジョウをねらった数匹目のヤツメウナギではあるのですが、冒頭のSF的なビルドアップが秀逸で「日常のガワはそのままに、中身と部分へ革新が忍びこむ」というのは、ブレードランナー的な描き方になっていて、説得力あるなーと感心しました。人工知能がする言動の不自然さを、発達の特性によるエキセントリシティへとまぎれこませるのも、「木を隠すなら森」で大いにうなづけるところです。しかしながら、このふるまいを許容されるのは女性だけであり、男性ならば即座に場から排除されるのを理解した上での描写だとすれば、シンカイ・サンが先鞭をつけてしまったゆえに、「雨後のタケノコ」いう言い方が類型的すぎるなら、日陰の石の裏の湿った場所から地虫のごとくゾロゾロと這いだしてきた「地方在住の女子高生ヒロイン」というバニラへ、どんなフレーバーをトッピングするかというだけの違いを持つ作品群へ向けた、批評的な視点をはらんでいるのかもしれないと一瞬だけ思いましたが、すぐに気のせいだとわかりました。そもそも、「学校にまぎれこませて、見破られないAIを作れるか?」という命題以前に、「動作から表情から、じっさいに触れられてさえ、完璧に人間を擬態できるガワ」の実在が、まったく言及なくスルーされている時点で相当なファンタジーであり、多少の強引な筋書きは美麗な絵と歌唱でねじふせてゆくミュージカルとして視聴するのが正解かもなー、などと考えつつ、ヘラヘラとながら見していたのですが、物語の後半へと進むにつれて眉間のシワはどんどん深まってゆきました。
決定的だったのは、シングルでバリキャリの母親がひとり娘をヤングケアラーとして家事を丸投げし、連日の午前様で家庭を省みずに人生を捧げてきたプロジェクトである人工知能なのに、小学校へ上がる前のハッカー少年が手なぐさみで作成したものに、いつのまにかすりかわっていたと判明したときで、「大人をコケにすんのもたいがいにせえよ、ジャリどもが!」と思わず絶叫していました。この「40代経産婦を対象とした、サイファイ風味のキャリア・ネトラレ」は、あまりに特殊な性癖すぎて、私のINKEI(ナイキのアナグラム)は恐怖に縮みあがり、ふかふかのTAMAKIN(金玉のアナグラム)内部へと後退してしまったほどです。そして、このテの青春グラフィティでいつも気になるのは、「勉学と進路に多くの時間を費やさなくてはいけない時期に、女子たちが色恋沙汰へと時間を全振りする」有り様です。本作に登場する男子たちについて言えば、ハッカー少年は旧帝大か海外大の理系学部にノー勉でスルッと現役合格するに違いないし、自らを80%となげくイケメンも東京の有名私大に推薦入学するだろうし、柔道ボーイも高卒で農業か土方ーーいやだなあ、”ひじかた”ですよ!ーーをするか、地元の三流大から声のバカでかい営業になるかだろうし、彼らの進路は容易に想像ができるんですよ。
一方で、ヒロインを含む女子たちのキャリアはまったくと言っていいほど思いうかばない。この時期の女子は、よっぽど強い意志をもって勉強と進路へ時間を全振りしないと、フワッとしながらも根強く消えない社会通念にからめとられてしまうことが、まったく意識されていない。この映画のエンディングの先に、残された2人の行く末を想定するなら、ヤンキー女子は地元でスナックのママ、主人公は実家住みの家事手伝いでしょうね。なぜなら、女子高生を題材にする作り手の感覚が、女性を「永久不老の処女」か「幸福なお嫁さん」に留めおく無意識の力学として働いているからです。オトコに逃げられたり、トシとったらのうなってまう「しあわせ」なんかに、青春を全振りしとったらアカンで! 恋愛に発情して頬を染めるヒマがあるんやったら、おどれの進路を見さだめて1日キッチリ12時間は勉強せんかい、このダボが! ついつい激昂してしまいましたが、本作の女子たちに向けた「良い大人」からのアドバイスは、以上になります。
あと、日々の仕事に疲れはてたハイキャリア女性が、「娘にはしあわせになってほしい」みたいなボンヤリとした感じで、子どものスペックに見あわない人生の選択をほとんどネグレクト的に看過する生々しい雰囲気は本作の全編にわたってただよっていて、背筋がうすら寒くなりました。それと、仮にAIのシオンが受肉して不死性を失ったら、地下アイドルかキャバクラ嬢になって、ファンや客の怨恨かウッカリ事故で早死にすると思いました。
薬屋のひとりごとをすすめられたので、5話ほど見てみる。ひどくなつかしい昭和の物語類型で、特に女性がこれにハマるのはよくわかる気がします。もし本作が同人小説で栗本薫が存命なら、たちまち小説道場でベタ褒めされて段位がついて、角川ルビー文庫で書籍化されそうな内容です(道場主がカセットブックの声優をワチャワチャ妄想する様が、テキストで目に浮かぶよう)。出自的には、「現代人の自我と衛生観念を持った主人公が、作者の薬学知識を使って前近代で無双する」ことから、擬似中華っぽい舞台設定ーーナーロッパならぬ、なんのこっチャイナ?ーーもふくめて、異世界転生モノの亜種に分類できると思います。この作品がうまいのは、「美と生殖が至上の価値にある場所で起きる事件を、知識と推理と行動力によって解決する」仕組みになっている点で、かつて美容ではなく勉学に青春を全振りした高学歴女性たちが、本作のプロットを通じて大きく溜飲を下げており、それがヒットにつながった理由だと推測します(余談ながら、女子の人生において「いつ色気づくか?」というのは、生涯年収にも影響をおよぼす、きわめて重要なのにアンコントローラブルでもある命題ですが、長くなるのでここでは省きます)。
「美に価値を見出さず、知識に全幅の信頼を置く奇人のたぐいだが、ある種の人々を魅了する美しさを備えていないわけではない」というのは、高偏差値女子にとって人生の遅くになって満開に咲く花、さらに下品な言い方をすれば、キャリアという名の豚骨ラーメンに美男子のチャーハンがついてくる「オンナの欲望まんぷくセット」となっていて、総体としてハーレクインロマンスを複雑骨折させた後の自然治癒みたいな作品だなーと感心しました(ほめてます)。あと、最近のテレビアニメは「このシーンの動き、すげえ!」みたくSNSでバズらせるために、両肩でゼイゼイ息をしながら、使用者も求めていない36協定を無視した労働を自発的にやってる感じが見ていてつらいのですが、本作は適度に手を抜いて枚数をセーブした9時5時のサラリーマン労働からできており、管理職が見ていてしんどくならないのはいいなーと思いました。
スパイを夢見る少女が、二国間の争いに翻弄される例の映画を見てきた。なんとかファミリー、楽しみですね、早くもコナンに次ぐ国民的作品になりそうじゃないですか、だと? バカモノ! スパイを夢見る少女の映画と言えば、国民的エッセイをアニメ化した「窓ぎわのトットちゃん」に決まっておろうが! この週末を越えれば、そのホニャララ家族によって上映回数を大幅に駆逐されてしまうだろうから、「徹子の部屋」という重大なネタバレ(ひどくない?)を回避しつつ、元祖・和製アーニャを劇場へおがみにいくがよいわ!
視聴する前は、著者本人が「大した中身がないので、映像化は難しいだろう」と言っていたように、下手をすると「となりの山田くん」みたいな小品の集積になっているのではないかと危惧していましたが、本作はトモエ学園での教育を物語の中心にすえて、戦前の社会と暮らしをていねいに描いていきます。「確かな考証と観察と演出があれば、脚本は補助線にすぎない」を地で行く、高畑・片渕両監督の系譜に連なる作品になっていて、前半は古き良き時代の邦画が持つ心地よさに身をゆだねられ、予告にもあった「きみは本当は、いい子なんだよ」の台詞を皮切りにして、そこからほぼ全編を泣きどおしでした。「すぐに特性の診断名がついて、その一般名詞に向けた対応を最適化する」近年の風潮のようではなく、「いっさいの判断を留保した状態で、ひとりの子どもと視線を水平に合わせる」ふるまいは、有限の時間をしか持たない大人にとって、きわめて難しいことでしょう。しかし、その理想に近似しようとする努力までを放棄すべきではないと、小林校長先生は教えてくれるのです。
さて、ここまでを絶賛しておきながら、ところどころでスッと涙のひっこむ場面があって、原作は数十年前にいちど読んだきりのウロおぼえなのですが、おそらくアニオリで挿入されたパートが雑味と言いましょうか、ノイズになっているような気がしてなりません。具体的にいくつか例を挙げますと、憲兵に父親がつっかかるのをトットちゃんの機転で切り抜ける場面、他校の児童が竹槍で示威しながらトモエ学園を揶揄するのを歌唱で追い返せてしまう(なぜかマクロス7を想起)場面、アンクル・トムの小屋を娘に読み聞かせした父親がひとしきり敵性音楽を演奏したあとで「ぼくのバイオリンに軍歌を弾かせたくない」とつぶやく場面、ヤスアキちゃんが雨の中で水たまりに片足でリズム(死因がこじらせた風邪に思えてしまう弊害も)を取りはじめて以降の場面、友人の葬儀から抜けだしたトットちゃんが「商店街に掲げられた戦時国債のバナー」「出征する兵士たちに歓呼する民衆」「片足や両目を失った傷痍軍人」「遺骨の箱を抱きしめたまま動かない老女」のかたわらを駆けていく場面が、それに該当します。特に最後のシーンに対しては、怒りにも似た感情がふつふつと浮かび、「小児麻痺で夭逝した子どもとその親の無念と、親友の死に胸のつぶれる子どもの悲しみは、太平洋戦争となんの関係もないやろが!」と心の中で絶叫してしまいました。
物語の後半、明らかに「トモエ学園での教育」から「戦争と国家に向けた批判」へとテーマの軸足が移ってしまい、「マンガ映画ばかり作ってきたけんども、オラたちもいいトシになってきたし、そろそろ戦争をキビシク描いてブンゲイの仲間入りすっぺか!」「んだんだ、イサオやスナオみてえになるだよ!」のような大人の思惑が見えかくれし、「それでも、生きていく」子どもたちの懸命さを汚している。教育とはまさに「きょうを行く」ことであり、会社名や役職名という過去の蓄積によりかかって、楽に定型のコミュニケーションをとる態度からはもっとも遠いやり方で、それらの社会的な外殻いっさいを脱ぎすてて、現在のあらゆる瞬間を裸で子ども・イコール・未来と対峙することであり、本作における前半から後半にかけてのこの変節は、トットちゃんの受けた教育をふみにじっているとさえ感じられるのです……そうそう、裸で思いだしました!
児童たちが男女とも水着なしでプールに入る場面は本作の白眉ですが、百歩ゆずって女児は角度の関係から具材が見えないのだと仮定しても、大マタをオッぴろげた男児の股間がツルツルというリアリティの無さには、強いいきどおりをおぼえます! 幼いBLACK-WILLOWのCHIKUBIはあざやかなPINKで活写したくせに、いいですか、おちんちんはエッチじゃありません! あと、青森に疎開するために乗った列車で、トットちゃんが果樹の中を踊り狂うチンドン屋を幻視して幕となったのには、「オマエらは、物語の最初と最後に現れる少女・綾波レイかよ!」と思わずツッコんでしまいました(このエンディング、どうなの?)。それと、同じ上映回にストレッチャーで運ばれてきて、最前列で視聴していた高齢の女性がおられたのですが、もしかするとトモエ学園の関係者だったのでしょうか。
殺狼奈禍(禍威獣と同レベルのセンス)を経て、noteにフィクションなどの感想を書くことが、個人的な習慣として定着してしまったようです。いま今年のぶんを数えたら、81個ありました。各記事を読み返しての雑感を述べることで、2023年をダラダラとふりかえっていきます。同時に、各記事の個人的なお気に入り度も、星マークで示していくことにしましょう。
凡例:★★★★★(5点・最高)
★☆☆☆☆(1点・最低)
No.01:雑文「プレステ5雑感と革新的ゲームについて(近況報告2023.1.3)」 ★★☆☆☆
一般人にも、プレステ5を苦労なく買えるようになった1年でしたね。VRアストロボットの革新性に気づかない業界人は、端的に言って感度が低いと思います。
No.02:映画「ウエスト・サイド・ストーリー」感想 ★★★★☆
上半期にマーベルとディズニーがポリコレ疲れで減速し、下半期に報道のされすぎでショーヘイ疲れが加速するのを予言したかのごとき名文だと言えましょう。
No.03:映画「大怪獣のあとしまつ」感想 ★★★☆☆
「高学歴・非生産業」(パッポン堂!)への怒りを煮詰めたような、みなさんの反応でしたね。いまは「低学歴・インフラ業」への敬意が、衰退期ゆえに高まるフェーズでしょうか。
No.04:ゲーム「ゴースト・オブ・ツシマ」感想 ★★★☆☆
「ゲームは日本のお家芸!」と威勢よく薙刀を振り回していた女武者が、その裏では金髪碧眼の美男子にエヌ・ティー・アールされていたような気持ちになりました。ちなみに、クリアしてません。
No.05:アニメ「神々の山嶺」感想 ★★★★★
最高におもしろいものが書けたとゲラゲラ笑ってたんですが、みなさんの反応はイマイチでした。フランス野郎のゲイジュツ臭さって、鼻につくよな! パリなんて、天王寺みたいなもんだろ?
No.06:寄稿「七夕の国 友の会」 ★★★★☆
主催者の「小鳥猊下は非常に魅力的なテキストを書かれる方なので、オファーをぜひ。」との推薦文にも関わらず、今年は「ソー・ファー、ノー・オファー(ラップ)」にてフィニッシュです。
No.07:アニメ「おにまい」感想(第1話) ★★★★☆
「泣いた(この批評を踏まえた上で全話視聴した上での感想です。これ以外の言葉は無粋では無いかとすら思う次第)」との感想をはてなに書いたキミ、届いてるよ!
No.08:アニメ「サマータイムレンダ」感想 ★★★★★
「週刊少年ジャンプで、悪いほうの壊れ方をする作品の典型例」と思っていたら、ウェブ連載だったと判明。脳裏をクエスチョンマークが乱れとんでおります。ちなみに「俯瞰」、使わなくなりました。
No.09:雑文「海賊王には、なりたくない」 ★☆☆☆☆
失言芸がウリの芸人さえ、生放送でいっさい作品名にふれなかったのには、背筋のうすら寒くなる感じがありましたねー。
No.10:映画「NOPE/ノープ」感想 ★★★★★
「お約束を破壊する」系の映画がもてはやされる風潮は好きではありません。シンエヴァじゃないですけど、「絵作りへのこだわり」って、「ストーリーテリングの自信のなさ」から来ているんだと思いました。
休憩。再開時刻はギシアン鬼(問題発言)の機嫌と、ダイスロール次第。
このギスアン鬼、ホンマ場をギスギスさせよんなー。再開します。星マークはとりあげた作品ではなく、「小鳥猊下のテキスト」に対する評価です。
No.11:ゲーム「2023年のFGO」雑文集 ★★★☆☆
原神スタッフの中にFGOを偏愛する人物がいるのは確定なので、「ホヨバと業務提携して、新アプリで第1部から作り直してもらう」ことは、実現可能性があると思います。本気で言っています。
No.12:ゲーム「FGO第2部7章後半」感想 ★★★★★
とてもよく書けた「ファンガスへのラブレター」だと自負しております。それゆえに、例の間者家族みたく「人気作品の引き伸ばしフェーズ」に入った現状は悲しいです。クリスマスはよかったです。
No.13:小説「虐殺器官』感想 ★★☆☆☆
本作が好きな方から間接的なお叱りを受けたので、少し反省しています(死者を茶化してはいけません)。でも、本文をもじった「少女との性交不可能性」というフレーズは、見るたびに笑ってしまいます。
No.14:雑文「アニメ版チェンソーマン・第1期終了に寄せて」 ★★★★☆
アニメ版がコアなファンから校舎裏でボコボコにされるのを目撃した少女が、口元を押さえて涙を流しながら、「アタシ、タツキのことが好きなんだ……」と恋を自覚するテキスト。
No.15:ゲーム「ヘブバン・Angel Beats!コラボ」感想 ★★★★★
「大阪名物パチパチパンチや!」と言いながら平手で両胸を交互にたたく芸人の、たたかれすぎた皮膚が黒ずんで変色しているのを見たときの気分を、上質なテキストに仕上げました。
No.16:雑文「PEOPLE‘S GENSHIN IMPACT(近況報告2023.2.21)」 ★★★☆☆
雷電将軍への深い愛をカネで証明したときのテキスト。最近では戦力がそろいすぎて課金する余地があまりないのを、ビニル財布をビチビチゆわせながら嘆いています。
No.17:映画「ブルージャイアント」感想 ★★★★★
本物の「熱」を描いた作品。冷めてガチゴチになったピザである16bitセンセーションが「作品には熱が必要」などと言い出したのにはテレビの前で怒り狂いましたが、その話はまた後ほど……。
No.18:映画「ザ・メニュー」感想 ★★☆☆☆
アニャ・テイラー・ジョイを出すだけで画面がもっちゃうっていうか、映画の見かけになっちゃうのは、大問題だと思いました。フュリオサ、楽しみにしてます!
No.19:雑文「原神の文学性について(近況報告2023.3.6)」 ★★★★★
「関白宣言」に対する「関白失脚」みたいな、セルフアンサーテキスト。エロゲーが腐り落ちて土壌となった場所から萌芽した文化を担う異国の若者たちを、心から称揚している。
No.20:雑文「新世紀エヴァンゲリオン二周忌に寄せて」 ★★★★☆
シン・エヴァンゲリオン劇場版が殺したキャラクターたちと、まばゆいばかりの才能による貢献を体制側から無いもののように扱われている者たちへの供養。七回忌までは、やりますよ!
あけましておめでとうございます。
今年も、よろしくおねがいします。
小鳥猊下・慈愛のようすは継続中。
No.21:雑文「テキストサイト・サーガ実績解除報告」 ★★★☆☆
「『嫌われたら、どうしよう』と遠巻きに見ていたのが、思い切って声をかけたら両想いだとわかった」ケース。キミもそろそろ動いたほうがええよ?
No.22:雑文「SHOWHEYとCHOMSKY、そしてDAISAKU(近況報告2023.3.16)」 ★★★★☆
池田大作の死が公表されたのは、驚きでした。プランツ・ドール状態からセルフ・メイド・マミー状態へと移行する「奥之院の空海」パターンだと思っていたので。
No.23:映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」感想 ★★★★★
このアホマトリックスが「政治的な正しさ」への忖度から作品賞を含めた7冠を達成したことは、10年後くらいに「発狂したハリウッド」として回顧されるでしょう。
No.24:映画「シン・仮面ライダー」感想 ★★★★★
江川達也のナメきったライダー漫画に本気でブチぎれていた島本和彦が、本作に向けて公にはただの一言さえ発していないことの重さを、ひしひしと噛みしめています。
No.25:雑文「神里綾華日記(近況報告2023.3.24)」 ★★★★☆
バイク便を生業とするオッサン高校生が引き起こすドタバタ劇「ハイスクールはダンステリア」をだれも知らない世界に私は生きています。オウ、ノボール! シガレッツはノーヘルシーよ!
No.26:映画「RRR」感想 ★★★★★
大学で英語を教えるハイキャリア女性が、ときどき私の映画感想に「スキ」してくれるんですけど、「賞賛、さもなくば無視」という時代において、ある種の人々のガス抜きになっているのかもしれないと思いました。
No.27:映画「グリッドマン・ユニバース」感想 ★★★★★
「長袖のソデぐちから機械の手首が出る」みたいな作画の所謂「勇者シリーズ」って、もう完全にすたれてしまったんでしょうか。ガッガッガッガ、ガオガイガーみたいな歌詞だけ記憶にあります。
No.28:雑文「GENSHINとEVANGELION、そしてKANCOLLE(近況報告2023.4.14)」 ★★★☆☆
「同じ作業の繰り返し」に異常な耐性を持つ人間として、いくつかのソシャゲを年単位で続けていますが、艦これのサービス停止には心からの喝采をあげるでしょう。
No.29:アニメ「推しの子」感想(第1話) ★★★★★
レッド・アンド・ホワイト・シンギング・バトルにおいて、二次元の存在である星野アイが三次元のリアルアイドルどもを自身の歌唱へと隷属させる様を、二十年前の自分に見せてやりたいです。
No.30:映画「ダンジョンズ&ドラゴンズ」感想(少しFGO) ★★★★★
レッド・ネック・ホワイトは、ほんまD&Dが好きやねえ。バルダーズゲート3もおもろいけど、ぜんぶの賞を総ナメにするほどかゆうたら、ちょっと疑問やし。もっとT&Tをやってこや!
No.31:雑文「K2とFRAGILE(近況報告2023.4.25)」 ★★★★☆
スーパードクターKとか鉄鍋のジャンとか、ネットの普及していなかった時代の作品が「電子書籍」の「無料公開」で再発見されるのって、文化の成熟と同時にクオリティの停滞を感じます。
No.32:漫画「フラジャイル(24巻まで)」感想 ★★★★★
巻を追って作画担当の成長を感じられるとてもいい漫画なんですけど、「死や性の描写が生々しすぎると、ある地点で大衆への伝播が減衰する」をどこか体現してしまっている作品でもあります。
No.33:ゲーム「崩壊スターレイル」感想 ★★★☆☆
列島のゲーム業界が大陸のそれに凌駕されてしまっている現実を、まざまざと眼前に突きつけられる気分でした。JRPGの葬儀に現れた「美しい泣き女」と形容できるでしょう。
No.34:映画「ラストナイト・イン・ソーホー」感想 ★★★★☆
好きになった俳優や作家の全作品を横に網羅していく種類のオタクなので、「見てしまった」というのが正しい表現でしょう。「クリティカル・アンコレクトネス」なる造語がお気に入りです。
No.35:雑文「GENSHINとSTARRAIL(近況報告2023.5.3)」 ★★★☆☆
敗北感から過剰に言及してますが、衝撃的だったのは半島や大陸に劣るはずがないと信じていた資質である「消費者への誠実さ」が、ゲーム分野においてはすでに負けていたことですね。
No.36:ゲーム「FGOリリムハーロット」感想 ★★☆☆☆
外野から難クセをつけられてムカついた記憶(記述あり)。FGOには圧倒的に劣ったライター(たぶん女性)が一人まぎれこんでいるので、その他の方々が相対的によく見える効果はあると思います。
No.37:映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」感想 ★★★★★
ファミコン時代からのゲーマーにとって、「ゲーム遍歴から構築された文脈を抜いての視聴ができない」という稀有な体験をしました。任天堂コンプレックスは、どこかあります。
No.38:小説「三体(第3部)」感想 ★★★★☆
中華のフィクションに膝を折る、じつに3度目の経験。筋肉質の巨漢がする「年に3度負けるヤツがあるかッ!!」とのツッコミが脳内に響くようです(幻聴です)。ネトフリのドラマ版、どうなりますかねえ。
No.39:ゲーム「ティアーズ・オブ・ザ・キングダム」感想 ★★★★☆
「ブレワイがダメなのに、原神は大好きだって? そりゃ、ただの美少女好きだろ!」という自称・真のゲーマーからの嘲笑がつらいです。ゲーム人生すべてを否定された気分です。
No.40:雑文「宵宮賛歌(近況報告2023.5.28)」 ★★★★★
原神という物語が持つ良心の、ひとつの到達点。他の記事からもわかる通り、「子どもという属性」を粗末にしないことは、個人的に大きな加点要素となります。
No.41:映画「ザ・ファーザー」感想 ★★★★☆
認知症の当事者はもちろん、その介護をする家族も見たくないだろうし、いまは健常な方々にも「やがて行く道」の不安をしか与えない。「映画で撮る意味」を真剣に考えさせられる。
No.42:ゲーム「ディアブロ4」感想 ★★★☆☆
繰り返しますけど、この規模のゲームを半年でラダーリセットするのって、いったいどんなプレイヤー層を対象にしているんですか? 小学生のなりたい職業に「ゲーム配信者」を入れることが目的なの?
No.43:雑文「STARRAIL, DIABLO4, OTAKU-ELF and KYLIELIGHT(近況報告2023.6.9)」 ★★★★☆
古のオタクとして「江戸前エルフ」をメチャクチャ楽しみましたが、タイムラインでの言及はほぼ見られず、若い世代の審美眼を疑う気持ちになりました。
No.44:映画「怪物」感想 ★★★★★
「淡い演出なのに、異常に強い思想」は、本作でもまったくブレていません。「何の人脈もない親御さんでも、我が子を芸能界デビューさせられる」ティップスが、惜しげもなく披露されております。
No.45:ゲーム「ファイナルファンタジー16(デモ版)」感想 ★★★☆☆
ひさしぶりのオフラインFFに眼鏡をくもらされ、判断を血迷うさまが赤裸々に書かれています。この高揚感に続く体験が、あんな悲惨なものになるとは想像だにしていませんでした。
No.46:アニメ「僕の心のヤバイやつ」感想(12話まで) ★★★★★
「子どもという属性に向ける視線」がいかに変化してきたかを分析しつつ、「核家族における子どもの生きづらさ」へと迫ります。どんな親の善意も、ここでは毒になってしまうのです。
No.47:ゲーム「ファイナルファンタジー16(製品版)」感想 ★★★★★
大作JRPGへの不満をぶちまけるうちに、本邦のフィクションがいかに「戦後のある世代によって、思想的な汚染を受けているか」の輪郭が明らかになってゆく名テキスト。
No.48:雑文「PAPER MOONとFINAL FANTAZY(近況報告2023.6.26)」 ★★★☆☆
奏章単体の印象は悪くないにせよ、「不必要なコピペ・ダンジョンによる水増し」を連想してしまいます。この「生き汚さ」は、ファンガスの資質と水油じゃないですかねえ。
No.49:映画「フレンチ・ディスパッチ」感想 ★★★☆☆
絵作りへのこだわりが強い監督は、西洋人ならウェス・アンダーソンになり、東洋人なら庵野秀明になる。しかしながら、前者にはだれもが出演したがり、後者はあらゆる俳優が敬遠しはじめている。
No.50:映画「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」感想 ★★★★★
「長い断絶から、老齢の俳優が再登板する有名シリーズ続編の是非」はおくとして、フィービー・ウォーラーという女優を知れたのは、最大の収穫でした。冒頭の小芝居がお気に入り。
No.51:雑文「GENSHIN EVENT and EVANGLION EFFECT(近況報告2023.7.14)」 ★☆☆☆☆
よくない説教ですねー。小難しい言い方でモノ申したくなるときって、だいたい気持ちが落ちてるときですからねー。私の性自認はテキストサイトです(適当)。
No.52:映画「君たちはどう生きるか」感想 ★★★★★
例のドキュメンタリーを見てしまうと、本編がかすむ感じさえあるのは、やはり「白髭のおんじ」と「酷薄クソインテリ」との濃厚なビー・エルを、我々がどこかで幻視していたからかもしれません。
No.53:書籍「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」感想 ★★★★★
いまさら関係者を集めて打ち上げをやったりするのは、Qアンノの中にどこか後悔やうしろめたさがあるからでしょうね。文末の小芝居がお気に入り。
No.54:映画「ミッション・インポッシブル:デッド・レコニング」感想 ★★★★★
「トム・クルーズのダメさ」がギュッ(ギュッ!)と極限にまで濃縮された怪作。クリエイターが制作の主導権をにぎることの是非を、あらためて考えさせられます。
No.55:映画「夢と狂気の王国」感想 ★★★★☆
ジブリへ職場体験に来た中学生に1週間ほどカメラをあずけても、同じ内容のドキュメンタリーが撮れるだろう女性監督の自我の無さ。サービス精神絶無の「酷薄クソインテリ」に、もっと迫らなきゃダメ。
No.56:雑文「DIABLO4, FLEABAG and SANCTUARY(近況報告2023.8.3)」 ★★★☆☆
フィービー・ウォーラーがどういう政治力でハリソン・フォードの相棒へと抜擢されたのか、心の底から不思議に思います。角界はサンクチュアリをガン無視しましたねー。
No.57:ゲーム「FGOサバフェス2023」感想 ★★★☆☆
ブンガクやヒヒョーやセージニンやクリップルドのノイジーさに嫌気がさしはじめた、元より何の分けへだてもなく無言で社会インフラを支えて人々を救うマジョリティ側に立つテキスト(説教)です。
No.58:映画「ター」感想 ★★★★☆
「西洋文明の基底部分に横たわる」と表現しても過言ではない(言い過ぎ)アジア人差別について喝破するテキスト。人種差別から遠い人物さえ、「加担しない自分はスゴイ」という自意識で構造にからめとられている。
No.59:映画「ザ・フェイブルマンズ」感想 ★★★★★
本来、アカデミー賞7冠を獲得すべきだった作品はこちら。キャメロンが青い肌とのイマジナリー・セックスにふけり、異世界から帰ってこない現在、スピルバーグだけが地上に残された最後の巨匠。
No.60:雑文「IUT続報に寄せて(近況報告2023.8.31)」 ★★★★★
微積分さえあやしい、数学コンプレックスのかたまりである人物による、他業種への余計な「いっちょかみ」。どんなに高い知性であっても、感情だけが人生を駆動させるのだと思います。
No.61:アニメ「範馬刃牙」感想 ★★★★★
以下の文言で過不足なく語りきれるのが、現代の虚構でしょうね。「(バーガーとコークを手に、あきれ顔で)このアニメは世界でいちばん視聴されている。だから世界でいちばん面白いものに決まってるだろ。」
No.62:ドラマ「ワンピース(実写版)」感想 ★★☆☆☆
完全監修の実写化に飽き足らず、仁義を無視して制作会社を変えてまで、原作1話から再アニメ化するとの報を聞き、鬼舞辻無惨の精神的モデルって、この作者のことじゃないかなーと思いました。
No.63:ゲーム「スターフィールド(開始20時間)」感想 ★★★★☆
最新のグラフィックボードを積んだPCの新調にまでおよんで残ったのが、過去最高にカネのかかった当おもしろテキストだけという笑えない状況です。ぜんぶ、マイクロソフトのせい。
No.64:漫画「ケンガンアシュラ」感想 ★★★☆☆
なんだかすごく、「2巡目、3巡目以降のオタク文化から生まれた作品」という感じがしました。古いオタクにとっては、「現実をコピーした虚構の、さらなるカーボンコピー」のように思えてなりません。
No.65:ゲーム「スターフィールド(1週目クリア)」感想 ★★★☆☆
あれだけ期待させておきながら、フタを開けてみれば古くさいゲームエンジンのまま、とっちらかった要素を調味できずに放りこんだ闇鍋状態。MODDERにも邪険だし、何がしたいの?
No.66:漫画「ベルセルク42巻」感想 ★★★★★
漫画文化の成熟に伴って失われてしまった、本来あるべきだった「少年漫画」の在り方について論じています。それにつけても、男児に向けた「コロコロコミック」と女児に向けた「ちゃお」の偉大さよ。
No.67:アニメ「葬送のフリーレン」感想(4話まで) ★★★★★
国民的スパイ漫画もそうですが、1巻から追いかけている作品がアニメ化を経て、旧ファンのそれとまったく異なる受容のされ方(アウラ納豆)をするようになるのは、とても興味深いです。
No.68:雑文「政治的ヌヴィレット礼賛(近況報告2023.10.13)」 ★★★★☆
制約の薄い本邦のスピーチ環境が、虚構全般に対して全共闘的なるもののコンタミを受認している現実と対極の位置にあるストーリーテリングに、「自由の不自由さ」を痛感する。
No.69:アニメ「16bitセンセーション」感想(2話まで) ★★★☆☆
エロゲー全盛の時代は、オタク文化のもっとも輝かしい表出だったと信じていますが、本作がその復権を目指した乾坤一擲かつ起死回生を「企図しなかった」ことは、きわめて遺憾です。
No.70:雑文「STARRAIL SENSATION(近況報告2023.10.26)」 ★★★★☆
崩スタにせよ、原神にせよ、世界の現状をリアルタイムでメインストーリーへと反映しながら、あらゆる当事者の利害を否定しない語り口に、制作者の強い意志と覚悟を感じます。
No.71:ゲーム「FGO『白天の城、黒夜の城』」感想 ★☆☆☆☆
「興味深い内容だが、つながっていない」との短い評をいただき、「ゲイカちゃん大ショック」の恐慌状態に陥ったテキストです。やっぱり、マウントの意識は独特の臭気を放ちますね。
No.72:映画「バービー」感想 ★★★★☆
女優の卵っぽい人物から「スキ」をつけられたんですけど、なんど読み返しても何が琴線にふれたのかサッパリわかりません。もしかして、全裸の範馬勇次郎?
No.73:ゲーム「原神4章5幕・罪人の円舞曲」感想 ★★★★☆
中華ゲームに言及するたび、人が離れていくんですけど、キミたちの大好きな「作者と作品は別」になぞらえて言えば、「国家と作品は別」です。
No.74:映画「ゴジラ-1.0」感想 ★★★★★
書いてある内容をまとめれば、「CGは極上、プロットは普通、演技は最低」となります。海外での激賞についての感想は、「ケトゥ族の審美眼はその程度だろうな」です。
No.75:映画「ゲゲゲの謎」感想 ★★★★★
もしかして、「リーダーをクソミソに批判して、人格まで攻撃する風潮が行き過ぎた結果、管理側の権限を奪いすぎてしまい、被使用者天国になっている」現状を戯画的ーーアニメだけにな!ーーに描いている?
No.76:漫画「チェンソーマン16巻」感想 ★★★☆☆
タツキへのよく書けたラブレター。「ウェブ連載フォーマット」なるものがあるとすれば、それは漫画本来の在り方を破壊する、致死的な枠組みだと断言しておきます。
No.77:書籍「還暦不行届」感想 ★★★★☆
正直なところ、心の熱量はかぎりなくゼロに近いんですけど、「ヱヴァ破からの正しい分岐」を他の監督に撮影していただく可能性がわずかでも生じればいいなと思い、イヤイヤ言及し続けています。
No.78:映画「アイの歌声を聴かせて」感想 ★★★★☆
男性監督が「自分がセックスしたい理想の少女を丹念に造形する」以外の理由で、女子高生を主役に置く物語的な必然性って、あるんですかね? 作られすぎて、たがいに埋没してる感じがします。
No.79:アニメ「薬屋のひとりごと」感想(5話まで) ★★★★☆
正月休みに、それこそ30年ぶりに「雲のように風のように」を見たんですけど、同じ後宮を舞台にしながら、エンパワメントの方向性がちがうのを感じられて、おもしろかったです。
No.80:映画「窓ぎわのトットちゃん」感想 ★★★★★
他国の戦争状態に触発されてんのか、なんでもかんでも反戦を盛りこみすぎでウンザリ。最近のクリエイターには、「ただの創作物に現実を動かす力はない」ことへの絶望が足りないんじゃないですか?
2023年の全note講評、おしまい。あれ、81記事あったはずなのに、1個足りないな? 見落としに気づいた人は教えてください。ちなみに、マシュマロを設置してから今日までの質問は0個でした。
No.63.5:雑文「『鵼の碑』刊行に寄せて(少しストリングス)」 ★★★☆☆
抜けてました。発売日に購入したのに、まだ読み終わっていません。海外のSFはスルスルと頭に入ってくるのに、日本の小説は読みにくいなーと感じています。このシリーズだけ?
16bitセンセーションを最終話まで見る。なんにでも「いっちょかみ」する酷薄(こくすい)オタク歌手がナガブチばりに「この国のタカラぁ!」と歌いあげるわりに印象の薄いオープニング曲も、無理やり歌詞の字数をあわせるための「なれど」語尾がヘンだなあと思いながら、最後には慣れてしまいました。ストーリー展開は悪い意味での「予定調和はずし」になっていて、例えるならチュンソフトのノベルゲーで分岐を水増しするためにむりくり入れられた、奇抜なバッドエンド・ルートみたいな中身をトゥルー・エンドに持ってきてる感じなのです。面識のある知人が脚本を担当している回もあるんですけど、「どうひっくり返したって面白くなりようのないプロット」をわたされての敗戦処理のようで、気の毒に感じました。あのさあ、外野でふんぞりかえってないで、キミとかキミとかがちゃんと出張ってシナリオを担当しなきゃダメじゃん! 同人誌の表紙サギみたいなもんじゃん、これ!
あらためて全体をふりかえっても、「突然、切断的に会話を切りあげて、あらぬ方向へと走りだす」のを延々と映す場面が非常に多くて、思わず画面の前で「おまえはトム・クルーズか!」とツッコまされたくらいです。もしかするとこれは、「奇矯な性格をしたオッサン高校生が、上から目線で女子を値踏みしてから、他のロケーションへと移動する」という、いにしえの恋愛ADVに対する批判かオマージュではないのかと疑ったくらいですが、結局のところ、脚本で処理できないほどプロットがまずいだけのことでした。黎明期からネットに棲息する人物たちが、自らを自虐的に称して表現する言葉になぞらえていうなら、この作品自体が「エロゲー老人会」としか形容できない中身になっており、結果として「エロゲー業界は、なぜ衰退したのか?」という問いに対する、意図せぬ痛烈な回答になってしまっています。
もちろん、何人かの優秀なストーリーテラーを一般文芸へとハネあげるスプリングボードの役目をはたしていた時期を、否定はしません。ですが、半島や大陸をふくめた東アジアにおけるフィクションレベルの急激な上昇を目のあたりにする現在、かつてのエロゲー隆盛の正味が「16bitセンセーションぐらいのクオリティ」にすぎなかったことをあらためて突きつけられたようで、どこかくやしい気持ちでいっぱいです。「テキストサイトが地方大会なら、商業エロゲーは甲子園」ぐらいの感覚があった時代の生き残りとしては、まことに残念でなりません。
年末年始の休みを使って、バルダーズゲート3をチマチマ進めている。ながらプレイを決してゆるさないゲーム性なので、かなりの覚悟を持って起動する必要があり、まだ20時間ほどしかプレイできていないが、のちに来る者たちのためにここまでーーおそらく、1章の終盤あたりーーの所感を残そうと思う。本作は最大のウリとして「高い自由度」をうたっているが、確かにサブシナリオの解決方法に関してNPCの生死へまでおよぶ選択肢が多岐にわたって用意されているものの、メインストーリー部分については基本的に決められた一本道を進んでいく。キャラクリの幅は近年に発売された他のゲームと比べてずっと狭く、冒険の仲間は容姿や性格から出自や背景にいたるまでガチガチに決まっていて、変更の余地はまったくない。またレベル上限は12と低く、獲得できる経験値総量はあらかじめ決まっており、手に入る装備品にもランダム要素はいっさいない。つまり、レベリングやトレハンは必要ないどころか、そもそもできない仕組みになっているのである。もし数々の宣伝文句から、ウィザードリィのような「自由度の高さ」を想像しているなら、バルダーズゲート3は完全にそれとは異なった中身だと言わざるをえない。私も当初は、D&Dのルールが敷かれた「オープンワールド・ウィザードリィ」的なものを期待していたため、かなりの肩すかしをくらうこととなった。本作では、すべての行動の成否を20面ダイスを振るーー戦闘は自動、イベントは手動ーーことで決定するのだが、あらゆる瞬間にクイックセーブができるため、プレイヤーの意志で「判定が成功するまでリセット」するファミコン版ウィザードリィ的なプレイも禁じられておらず、エリクサー症候群を患ったJRPGの徒にとっては、かなり神経を削られる作りになっていると言える。さらに、ゲーム全体がⅮ&Ⅾのルールをある程度まで把握していることと、世界観や用語の理解を前提として進行していくため、20時間を経過した現在でさえ、チュートリアル部分を抜けられたような気がしない(じっさい、戦闘以外の場面でリングコマンドを使って周囲の環境に干渉できるとわかるのにも、かなりの時間がかかった)。
余談として、トンネルズ&トロールズ勢からダンジョンズ&ドラゴンズ勢への印象を述べておくならば、インターネットの存在しない時代にアルコールの飲めない田舎ぐらしの陰キャどもが、週末に酒場へ集まってジョッキ片手に下ネタで笑いあう陽キャ連中を尻目に、寂しさから共通の話題もないまま自宅の地下へ集まるためのコミュニケーション・ツールとして発展したような印象を持っている(とても失礼)。ご多分にもれず、私も様々なゲームアワードを総ナメにしたことで本作を知った「みいちゃんはあちゃん」のひとりであるが、バルダーズゲート3がエルデンリングやティアキンをはるかに凌駕するゲームかと問われれば、まったくそんなことはないと断言しておく(補足として、ファイナルファンタジー16は圧倒的に、絶対的に、完膚なきまでに凌駕されている)。海外でのほぼ手放しに近い絶賛と受賞の数々は、エブエブがアカデミー賞で7冠を得たのと真逆の理由からであり、それは言葉にするならば、「バーに入れない臆病な下戸の陰キャによるコミュ補助ツールであるⅮ&Ⅾは、こんなにもすばらしいんだぜ! 黒人も女性も陽キャもアル中も、オレたち弱者白人男性の療養を目的とした箱庭で、せいぜい楽しんでくれよな!」といった具合の、出ッ歯メガネが小鼻をふくらませた満面の誇らしさなのである。
いくつか難点を挙げておくと、ユー・アイ(友愛)は直感的な使いやすさになっておらず、理系ギークが理詰めで「論理的な正しさ」を優先して作っているーー「カバンを触る人間を確定した後、対象の触るカバンを選ぶ」に見られるプログラミング様の手順ーー感じで少々、いや、かなりイライラさせられる。油断すると装備品はすぐ行方不明になるし、野営地で所持品の整理をする作業が、プレイ時間の何パーセントかを確実に占めているのは間違いない。G.O.T.Y.受賞を理由として本作に興味を持った、ホヨバ愛好の美少女好きユーザーへ向けたアドバイスとしては、「場をつねにギスギスさせるギスアン鬼」a.k.a”レイゼル”で画像検索し、まずそのご尊顔をおがむとよろしい。このスキニー鼻フックこそが、本作のメインヒロインのひとりなのだ(!)。彼女の容姿を豪放に受けとめて、チクチク言葉を磊落に笑いとばす真の漢(おとこ)だけが、このゲームを楽しむ資格を持つと言えるだろう。なぜなら、このギスアン鬼とは遠からぬ将来、必ずギシアンーーいにしえのネットスラングで、セックスの意ーーをいたすハメになるからだ(!)。ことほど左様に、登場キャラクターからストーリー展開の隅々にいたるまで、例えばベジマイトのような各地域の内側でのみ重宝される、決して世界には広がらない理由を持つ調味料で整えられた個性きわまる味つけで、それを乗り越えられた者だけが、「この臭みがクセになって」楽しめる作品なのである。
なに、原神や崩スタ好きの萌えコションである小鳥猊下とも思えない発言ですね、だと? バカモノ! 初代バルダーズゲートを序盤で断念し、ドラゴンエイジ:オリジンズの生々しいホモセクシャル・インターコースにえづいた経験のある古強者にとって、苦手な食材など存在せぬわ! そうは言いながら、男主人公とアスタリオンとのロマンスにはまったく背筋をゾミゾミさせられましたが、さすがエル・ジー・ビー・ティー・キューの当事者たちに「私たちの性愛を自然に、真正面から描いている」とまで言わせるだけはあるなーと、異文化交流にも似た感慨を得たことはお伝えしておきます。
タイムラインがよくない意味で沸騰しているため、興味を引かれてスナック・バス江の1話を見る。ここからは、「昭和の悪い倫理観と道徳感」の雰囲気をまとった居心地のよさが大好きなので、原作マンガは1巻から紙でぜんぶ持っている程度のファンによる感想になります。視聴中は、「原作の持つ時速200キロなハイテンポにリミッターをかけて、時速60キロまでスピード制限したようなアニメだなー」ぐらいの感想でしたが、インタビューに出てきた監督のご尊顔を拝見すると、思わずふきだしてしまうくらい、「まるで絵に描いたような、場末の飲み屋にいる遊び人のオジ」だったので、nWo史上ほとんど最速に近い答えあわせができました。
時流に乗ってその、言わば共通テストの自己採点結果をお披露目しますならば、「陽キャのスナック愛と底抜けの行動力がなければアニメ化には至らなかったが、年齢層の異なる奇人変人を集結させるための舞台装置にすぎなかったスナックの解像度を高めすぎて、陰キャの作者と読者にとって太陽光をじかに浴びたアルビノのような反応を引き起こしてしまった」とでもなりましょうか。陰キャ諸君の側に立つ、アルコール耽溺なのにスナック嫌いの初老オタクとしては、1分動画エス・エヌ・エスに生体のテンポを調教されてしまっている令和キッズへ届かせるためには、ポプテピピックのアニメ化チームに作ってもらうのが最適解だったと考えていますが、2話以降にガラリとテンポや雰囲気を変えてくるしかけも充分にありえると思っているので、最終話までは口を閉じたほうが賢明な気がしております。
あと、水割りを作る頻度の高さはエッキス(Qツッタイー)での指摘を見るまで気づきもしませんでしたが、人物の移動について下半身を映さず、上半身をピョコピョコ上下させることで表現する様子は、紙ずもうの力士みたいだなーと思いました。
ぽんの道を3話まで見る。ここからは本作にかこつけて、麻雀なる遊戯に関して世代間にわたる意識の違いを、独断的かつ一方的に記述する内容となる予定である。当時の市場規模なりに一世を風靡して、アニメ化にまでいたったスーパーヅガンで麻雀のルールを知り、阿佐田哲也のギャンブル小説群はすべて履修を終え、哭きの竜とショーイチをすりきれるほど読みかえし、スーパーリアル麻雀P3で人には言えぬ欲望を解放したリトル・ライフa.k.a.オールド・ファッションド・ラブソングにとって、麻雀なるもののイメージは「ヤクザ」「違法賭博」「裏社会」「脱衣」とわかちがたく結びついてしまっている。もう数年は前になるのだろうか、とある収録のバラエティ番組で、十代とおぼしき女性アスリートが「わたし、よく麻雀やるんですよー」とほがらかに語るのを聞いてギョッとして、すべてのながら作業を止めてテレビ画面をマジマジと見つめてしまったのを思いだす。生放送でないということは、テレビ局や番組スタッフや所属事務所や、もしかすると親御さんまでをも含めた複数の大人が、「編集で消さなくてもよし」との判断を下したということなのである。界隈の客層の悪さについては、主にフィクションから身にしみており、それこそ責任のある大人になってからは、「麻雀牌の存在する場所へは、決して近づかない」を意識していた身にとって、これはかなりの衝撃的な事件であった。この少女はスマホで麻雀をしているとのことで、おそらく使用アプリは大陸産の雀魂であろう。「ネット麻雀といえば東風荘」な世代にとって本来は、はぐれ者(出目徳!)の人生破滅遊戯であるのに、愛らしい萌えキャラの力によってここまでカジュアルな言及が可能なレベルにまで麻雀が脱色され、脱臭され、無害化されている事実に、大きな時代の変化を感じてしまったのである。
ぽんの道についても、本作が竹書房どころではない講談社の、しかも「なかよし」連載であることに、サルトル的な実存のめまいをともなう強い異世界転生感をおぼえている。この気持ちを例え話で表現するなら、「天皇の崩御で恩赦を得た誘拐殺人犯が、近所の小学校で児童に人気の先生になっている」くらいの感じで、その先生の素性を知っている市井の一市民として、どこの教育委員会に密告しようかと小一時間ほど部屋の中をウロウロ歩きまわってから、例え話だったと思いだしてハッと我にかえるぐらいの狼狽ぶりなのである。読者アンケートによって、「雀魂を通じて、小中学生の女子に麻雀は静かなブームとなっている」みたいな分析から連載を決めたのだと推察するが、賭博愛好のうれしげなネット民のみなさんは、うかうかと口を開いて不用意なことを言う前に、大人として冷静になってくださいね。いったいぜんたい、どこの中高にマージャン部が実在し、甲子園に相当する大会めざして日々の練習を重ねているというのでしょうか。「酒、タバコ、麻雀」はヤンキー3種の神器であり、むしろ生徒指導により校内から排除される対象ですらあるのです。仮にですよ、御社を志望する就活生が、趣味やガクチカに「麻雀」と書いてきたらと想像してみてください。私が人事の採用担当なら、相殺できるよほどの加点要素がなければ、まちがいなく書類選考で落とします。会社のカネを、万が一にでもバクチに使われたら、たまりませんからね! すこし話はそれますが、最近では「親ガチャ」や「毒親」という単語がエス・エヌ・エスでカジュアルに使われすぎて、なんと採用面接で産みの親の悪口を言いだすヤツまで出てきたなんて話を耳にします。生まれたときからインターネットが存在する世代は、「現実において口にすべきでないことは、あるレイヤーから上において確実に存在する」ことに気づく機会をあらかじめ奪われているんでしょうねえ。いいですか、老婆心から忠告しておきますけど、雀魂やぽんの道で麻雀にハマッた学生さんは、ワンチャン若手のリクルーターには通用したとしても、ジェイ・ティー・シーの役員面接で、「大学時代に力を入れたことは、麻雀です! 雀荘は暴力をふるう義父からの、格好のシェルターになってくれました!」なんてぜったいに言ったらダメですからね!
脱線だらけでぜんぜん作品の話にならないため、最後にもう一度、ぽんの道へと話を戻してみましょう。本作の印象をざっくり一言でまとめてしまうと、「オッサンのニッチな趣味を、中高生女子に男子不在で取り組ませる作品群のひとつ」であり、舞台を地方都市としているところが、シンカイ某「ユア・ネーム」後の作品だと教えてくれます。「なかよし」連載であることからもわかるように、本作は小中学生の女子へ麻雀の楽しさを伝えることを目的としているはずなのですが、アニメ版はその初期動機とも言うべきものを完全に裏切った客層へ向けてボールを投げているのは、非常に気になるところです。そもそものキャラデザからして、原作の「小さくて、かわいい」から「大きくて、セクシー」へと、なぜか大幅に改変されており、特にお嬢さま属性を担当するキャラなどは、あまりの大きさに手元の牌を確認するさい、自前のパイしか見えないのではないかと心配になるほどです。また、1話の後半に「ざわざわ」のアレを皮切りとして、ネットバズをねらった過去の麻雀漫画パロディがなんの脈絡もないまま、これでもかと連発されるのですが、「原作ファン層には意味不明で、元ネタを知っているオッサンたちにもしつこすぎてサムい」という、だれも得しない仕上がりになっています。全体的に、女子小中学生を対象とした原作を「四十代以降の古い麻雀ファン」に向けて再チューニングしたようなサジ加減で、毎話のエンドカードにギョーカイのジューチン(「盈月の儀」からの悪い影響)がイラストを寄せているのも、「昭和を令和で断罪する」現代社会において、リスクにしかなっていないように思います。冒頭で言及したスーパーヅガンにせよ、面白い麻雀漫画である以上に「昭和のイキり風俗」の集積ーーパッと思いだしたのは、実在する麻雀プロの分厚いクチビルを「カポジ肉腫」と揶揄する場面ーーでもあり、いまとなってはとても若いオタクたちに、履修をすすめることなんてできませんもの! 個人的に、「干支がひと回り以上はなれた相手との、プライベートな接触はひかえるべき」という感覚があり、それに照らして言うならば、「和気あいあいと楽しんでいる学生のグループに、昔のギャグでしつこくちょっかいをかけにいく中年のオッサン」みたいなアニメになっちゃってませんか、これ?(自分の言葉に、南4局での大トップから役満の三家和をくらってダンラスに落ちたのと同じ衝撃を受け、そのエネルギーを推進力として飛翔し、恋人が乗るアメリカ行きの飛行機へと追いつく)