猫を起こさないように
少女保護特区(2)
少女保護特区(2)

少女保護特区(2)

 後の歴史が断じるどのような悪政も、誰かの善意から志向されたことを予は疑わない。かの青少年育成特区でさえ、有効な対策の無い少女への略取行為の抑止となることが、その当初の目的であったのだ。ここに一枚の許可証がある。すでに持ち主は死亡しており、彼女の死は当局によって公的にも追認されているため、もはやそれが与えていた特権は失効している。山中深くで行われた少女殺人に立ち会った際、清掃局の到着前に予が資料として私的に接収したものである。一見して運転免許証と見まがうが、所持者に与えられる権限は全くその外見と乖離している。青少年育成特区のホームページに記載されていた「復讐において生じたあらゆる結果を合法とする」という文言は削除され、現在では閲覧することができない。だがそれは、文言が表現していた実体の消失までを意味しないのである。
 許可証の右肩には、3×4センチの写真が貼付されている。少女の前髪は目許まで垂れ、薄く青白い唇と相まって持ち主の印象を乏しくしている。写真の下には、Avenger Licenceと英文字で朱書きされている。はなはだ正確性に疑問符の付く英語だが、発案者が青春時代に少年漫画を愛好していたのだろうことだけはうかがえる。氏名、誕生日、本籍地、住所、交付年月日の記載が並び、続いて条件等の項目が来る。そこには、「少女である限り有効」と金地に白抜きされている。青少年育成特区はまず女子の保護を優先したのだが、男子へ許可証が発行される機会はついになかった。あの大混乱を経た後、各自治体の首長たちはすでに、例えば痴女に貞操を奪われる際の精神的外傷がいかほど深いかについて議論を尽くす気力を失っていたのである。
 特区の設立からほどなく県下で発見された身元不明の死体が、少女による復讐の結果であることが判明し、県議会は揺れに揺れた。当該特区の首長たちのみに求められていた善処も、少女殺人が県境を越えるに及び、焦点であった許可証の文言を適切に採用したのが誰かは特定されないまま、国会へと舞台は移される。少女の定義を巡って議事堂で繰り広げられた痴態は、年月というよりはその衝撃ゆえに、市民たちの記憶に新しいところだろう。普段は表明が許されず、よって相対化されることも標準化されることもない各人の性癖と異性への偏見をすべての議員が公の最たる場へ生のまま開帳したのだから、無責任に徹することを決めれば、これほど面白い見せ物は無かったはずである。
 ほとんど土俗イニシエーション的とさえ言える答弁を除けば、少女の定義はほぼ二つへと集約された。当人のみによる賛同しか得られなかった少数派の意見だが、その多様さは議会の過半数を占有したほどである。民主主義はビザールを圧殺しえないことの証左として、また当時の空気から遠く離れて読む受け手の理解への一助として、行われた無数の答弁から一つを引用する。「マネキンの頭部を糸鋸で切開し、トマトで煮込んだ獣肉で満たす。その後、切開した頭部を元のように封じる。少しでも汁気が漏れないよう、ビニールテープで成されることが望ましい。その後、マネキンの頭部を粉砕する。漬け物石か庭石が、入手の点では簡便でよいだろう。その際、鶏の羽根を黒く染色したものを外套に張りつけ、鳥に扮装することが望ましい。その後、飛び散った獣肉のうち、地面に落ちたものだけをかき集める。付着した塵埃は洗浄されるべきではない。その後、食した獣肉が排泄されるのを目視できたなら、少女を成熟した社会の構成員として認めるべきである。食餌と排便は、薬品による睡眠や殴打による昏睡など無意識のうちに始められ、意識を取り戻した段階で無理矢理嚥下、排泄せしめられるのが望ましい」。
 先に述べた二大勢力とは、初潮を少女の終わりとする月経派と、処女喪失を少女の終わりとする破瓜派――タカ派のイントネーションで――である。日々の議論のうちに少数派は押しやられ、やがて超党派の両勢力が議事堂を席巻してゆく。世に言う血の七日間の幕開けである。少女の声を持つ年齢詐称の声優がするラジオ電波、いやラジオで電波を延々と答弁に代えた末、係官からの退去を演台を抱きかかえて拒んだり、演台を拳で殴打しながら男女の性差について宗教的な理由ではなく進化論を逸脱した私論を展開したり、義務教育年齢の女子が奔放な姿態を露わにする本邦でのみ公開可能な冊子を実物投影機で開帳したり、実物投影機を馬乗りにして全議員へ具材を強要しながら宗教的な理由ではなく進化論を逸脱した私論を展開したり、猥褻ゲームのポスターを掲げながら現実に少女はいないと宣言したり、馬乗りに具材を押しつけた腺病質の顔面へ拳がめりこむほど殴打を加えながら宗教的な理由ではなく進化論を逸脱した私論を展開したり、国営放送の画面には断続的に、しかし総計すれば一日八時間以上に渡って野山の静止画が映し出された。倫理は小声の謝罪か極小の囲み記事がすべて引き受ければよいとばかり、あらゆる報道は一斉に加熱を極める。すべての良識が自制を失った当時の狂騒ぶりを忍ばせるできごとを紹介したい。理性ではなく感情に訴える、全体主義統制下の政策報道官の如き言辞に得々とするニュースキャスターが、「これだけ国民を騒がせておきながら、直腸性交に関する議論が全く行われないという一種異様な事態があるわけですが、そこのところどうでしょう」と発言する。コメントを求められた、クオリティペーパーを以て任ずる大手新聞社の編集局長は、生放送の最中にもかかわらず完全に絶句した。また、その新聞社と関西圏のみに販売経路を持つ夕刊専門誌の一面が、スーツの下を脱がされて議事堂内を逃げ回る男性議員の写真を同一日に一面で掲載する。フォントの種類や大きさの違いはあれ、どちらも見出しに「お粗末」と書かれた。両紙の持つ品格の違いは、モザイクの濃淡にのみ帰せられたのである。
 破瓜派の優勢は一時ゆるぎないものに思われた。なぜなら当時の与党の国対委員長、老利数寄衛門が強力な破瓜推進派だったからである。しかし、その構図は最終局面を目前に逆転することとなった。運命の夜、老利は料亭を出たところで待ちかまえていた記者団に取り囲まれる。月経か破瓜かと詰め寄る記者たちに対し、道端で手毬遊びをしているおかっぱの少女を指さして、「あのように愛らしさの中にも凛とした清冽さが同居できるのは、両足の間に膜がぴんと張って心棒の役割を果たしているからである。もし膜を喪失してしまえば”しなをつくる”の言葉どおり、身体の中心は張りを失って蛸のようになる。それはそれで別の趣を持つが、あの少女のような清冽な美しさはもはや望めないだろう。世には陰毛論争もあるそうだが、それは論点をはき違えている。生えてしまっては割れ目が見えないではないか。割れ目だけに筋の通らぬ話である」と発言する。軽妙な冗談に爆笑する記者団の傍らで、少女は浮かぬ顔のまま、「どうか許して欲しい。騙すつもりはなかった。私はあなたに言わせれば、少女とは呼べない。なぜなら、この花はすでに望まぬ形で散らされてしまっているからである」と返答する。とたん老利は多くのカメラが取り囲む衆人環視の最中、潮吹きのように両の眼球から涙を噴出させると、少女の足元へ我と我が身を投げ出し、宣言した。「きみは少女である。誰が何と言おうと、この老利がきみを少女にしてみせよう」と。老利数寄衛門が破瓜派から月経派に転じた瞬間である。この映像は不作為の大スクープとなり、政治史上もっとも劇的な思想転向として語り継がれることになった。後の世に言う、老利の変である。
 だが、すでに大勢は破瓜へと傾いている。この大物の転向も趨勢を完全にくつがえすことは適わなかった。依然として発生し続ける少女殺人に決断を促される形で、両勢力は妥協案を採択することとなる。膣内よりの流血を第三者が観測した段階を少女の終わりとするという、玉虫色の折衷案に猛反発が巻き起こった。いわく鉄棒で股間を強打した場合はどうなるのか。いわく一輪車で股間を強打した場合はどうなるのか。いわく挿入式の生理器具が誤動作を起こしたらどうなるのか。しかし時すでに遅く、様々の矛盾を孕みながら少女の定義に関する法案は、野次と怒号の中で可決されたのだった。次いで少女喪失観測者の国家資格が新設され、出血の量に始まってその粘度と間隔に至る細部が文言として整備される。手順の煩雑さもさることながら、青少年を性的略取とその二次被害から守るという特区の理念が優先されたゆえに、少女の終わりは本人からの申し出が無ければ審議の対象とはならなかった。実質上の骨抜きである。ゆえに、少女であることを生きたまま失効した者は、現在に至るまでただ一名を数えるのみである。権利の放棄を手続きする手順とは正反対に、許可証の発行は極めて簡略化されている。戸籍抄本を用意すれば、残る要件は唯一「異性からの略取行為」であり、さらに口頭による申告ですべての手続きを完了できた。一時期、AvengerLiscenceの発行数は爆発的な増加をみる。どれほどの冤罪がこの数を裏で支えたのか、もはや確認するすべはない。炭坑のカナリヤとして常に狩られる側の立場にあった少女たちが、初めて他者に対する真の優越を得たのである。この至上の楽園さえも、しかし長くは続かなかった。結果の価値とは、過程において手に入るものだと予は考える。卓に満載された皿を前に自足しろというのは傲慢であり、パンの固まりを片手に自足しろというのは欺瞞であろう。特区の理念はたちまちに適えられたが、その無窮の位置で周囲を見回した少女たちは、鏡写しの自分自身を発見したのである。少女に与えられた特権を奪えるのは少女だけであり、彼女たちの持つ特権の膨大さは望むと望まざるに関わらず、すべての介入と救済を拒絶した。
 少女の定義が確定したとき、予が人間世界にとって何者であるかという定義は未だ確定していなかった。予は高等遊民として、俗世から離れた生活を自身に強いていたのである。労働が予の純粋さをわずらわすことを好まなかったからだ。睡眠と覚醒へ好きなように時間を配分し、数十年程度の強度をしか保てぬ凡百の常識を超越した場所で、予はときに何時間も飽かず自由な思索をくゆらせたものだ。市民たちの嘆息ぐらいは、歴史的な視点から人間世界の実像を俯瞰する予にとって、何の痛痒でもなかった。日々は素晴らしい気づきと変革に満ちており、予は人間精神の広がりの無限を喜んだ。予の生活においての惰性は、ペットボトルに蓄えたし尿を二階の窓から庭の木々へ撒く日課を除くならば、絶無であった。獲物へ跳びかかる肉食獣の筋肉に漲る一瞬の静止の如く、来る大事に備え、予は極めて創造的な雌伏の日々を過ごしていた。無論、遠大なる高邁はしばしば近視眼の低俗に、容易な非難の口実を与えてしまうものである。だが、何の実利や栄誉を得ることなく果てるとして、それが予の貴族精神による選択の末ならば、恥じるべき理由はどこにもない。予の主人は、予以外にあり得ぬ。この確信を誰かに証明するべきだという強迫は他ならぬ相対化の罠であり、予の無謬はあまりに市民の生来と離れていたので、悲しいかな、予の本質を貶める以外の伝達は不可能だと言えた。
 寒い日だったことは覚えている。自室に長く寝そべって食事を口へ運びながら、天気予報と同程度の頻度でなされる少女殺人についての報道を眺めていた。法の庇護を享受しただけであるのに、ほとんど指名手配犯のように並ぶ少女たちの顔写真の一つに予は目を留める。突如、長らく抱き続けてきた脳髄の外へは決して共有され得ぬはずの予の観念が、現世へと受肉したのである。予は数年ぶりで自室の扉を開くと居間へ駆け下り、炬燵を囲むように蝟集する市民たちへ少女観察員となることを誇らかに宣言する。しばらくぶりの発声に予の言葉はくぐもったが、それは予の言葉を少しも汚しはしなかった。あれほど明白な確信の様を理解できず、うろたえるしか知らなかった市民たちは、今では予を恐れて彼らの城門を予の前に閉ざし続けている。少女観察員の概念は当時、予の内側にのみ存在していた。しかし、巨大掲示板での熱心な匿名討論の末、予の克己はあらゆる政治的な誹謗と中傷を乗り越えるに至る。少女観察員は当たり前の選択肢として、すでに一定の社会的承認を得た職業と考えてよいと思われる。実際、少女同士の対決を撮影した映像は、役場や大学など実地の検証を常に求める公的機関へ提出すれば、いくばくかの謝礼金と交換することができた。また、ネット上にパスワードをかけて配信すると、ダウンロードの権利を求める市民たちは後を絶たない。もちろん、先の清掃局員が予に投げたような不条理を浴す機会も少なくはない。しかし、あらゆる理解と援助をただ克己により拒絶した上で、精神力と実行力の極限を自身に問い続ける少女観察員は、名誉ある職業と予によばれている。

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