猫を起こさないように
若おかみは小学生
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若おかみは小学生


清く正しい、健全なる青少年育成アニメ。児童文学を原作としており、作者が女性ということもあって、等身大の小学生女子に対する適切な距離感を保った描写が、たいへんに好ましい。近年、男性の作り手による作品に登場する小学生女子は、意識的なのか無意識的なのかはわからない、非常に性的に描かれるようになってしまっており、この一点だけでも大きな評価に値すると思う。さらに、男性の作り手による作品に登場する少年少女は、作者の自己投影が鼻につくほど強いため、本作の主人公に対する距離感ーー「両親の視点から見る娘」という描写は、近年のアニメ群においては非常に新鮮に映る。おい、誠! 同じ神楽をあつかってんのに見事に伏線を回収し、清々しい(きよきよしい)読後感に至っているのがなんでわかったか? 現実に傷ついた子どもの癒やしと成長を心から願い、十数年先の将来を見越して教育することの意味を信じるだれかは、当の小学生に自分の体液を販売することへ言及させたりしねーんだよ! この作品を見れば、いかにおまえの感性が歪んでいて、気持ち悪いか恥じいる気持ちになっただろうがよ! おい、吾朗! まずそうな食事シーンでペラッペラのキャラに必ず「いただきます」を言わせるような教育的しかけがいかに中身のない、浅はかなものかわかったか? おまえは家庭をかえりみない父親と逆の理想像、おまえの願望を描いてみせただけのことで、現実にネグレクトされた子どもの心へは少しも寄りそわなかったんだよ! この作品を見れば、いかにおまえの動機が歪んでいて、何の共感も得られないかわかっただろうがよ! 閑話休題。あえて気になる点を挙げるとするなら、原作ではさらりと描写されるに留まっていた(海外赴任中の両親、と同じくらいの感じだった)交通遺児である主人公という設定がテーマに昇格し、物語全体がそこへ向けてかなりエッジをかけられていることだろう。これがあるために、名作であることを頭で理解しながら、ネット上で無責任にする”拡散”は別として、現実に面識のあるだれかには、非常に薦めにくくなってしまっている。過去、現実に兄を亡くした知人へそれと知らず「息子の部屋」を薦めてしまった経験があり、その方は好意的に受け止めてくれたものの、かなり冷や汗をかいた。なんとなれば、現実での不幸とは個別的でネットのようには声高に喧伝されないものだし、実際に交通事故で身内を失っただれかがこの作品を見て、交通事故は作劇のためのギミックであり、自らの不幸を弄ばれていると受け取ったとして、その感覚は正当であり、否定できないものだ。個人的には、虚構の人物に過ぎない主人公を、それでも現実と同じ切実さで救ってやりたいという制作側の強い気持ちーーたぶん、愛と呼ばれるものーーを感じることができた。そうは言いながら、やはりアウトとセーフの際どいラインにボールが投げられていることは間違いない。しかし、それが本作を夏休みのいち児童アニメであることを越えて、より普遍性を持った作品へと昇華させていることもまた、事実なのだ。くだくだと私的に悩ましい部分を述べたが、この繰り言が本作の送る力強いメッセージの価値を減ずるには至らないことを強調しておきたい。私たちが許したいかどうか、実際に私たちが許せるかどうかに関わらず、私たちはただ許すことをもってしか、現代の問題の多くを解決に導くことはできないのである。最後に蛇足ながら、本作にもし瑕疵というものを指摘するなら、初のアニメ化に高校球児のような全力投球をしてしまったことで、あまりにも原作シリーズから今回の映画へと、メッセージをこめるための要素をきれいに抽出しすぎたことかもしれない。本作で初めてシリーズに触れた視聴者に対して、この一作で満足を与えすぎてしまい、原作を手に取らせるには至らないような気がするのだ。よし、どうやら私は真面目なツイートをし過ぎてしまったようだな! 次までにはなんとか時間を見つけて「天気の子」を視聴し、諸君が期待するところの下品な大罵倒大会をお見せすることを約束するぜ!