猫を起こさないように
ボヘミアン・ラプソディ
ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ


ボヘミアン・ラプソディ


フレディ・マーキュリーの神格化による、クイーンのしたたかな再ブランド化戦略。もちろん黒幕は御大ブライアン・メイであり、その事実は当初クレジットされていたサシャ・バロン・コーエンを「災難」とまで表現して降板させたことからも明らかだ。諸君もご存知の通り、ボラットでの怪演に魅了されてからこちら、小生はサシャ・バロン・コーエンの大ファンであるからして、フレディを「セックス・ドラッグ・アンド・ロックンロール」、つまり奇矯なヤク漬け同性愛者としての側面に焦点を当てたいとする彼の演技プランを見てみたい気持ちは強かった。しかしながら結果として、おそらく実像に近い「マジでセックス好きの精力旺盛なホモ」ではなく、「自傷にも似た代償行為としての愛を繰り返す、繊細な芸術家」としてフレディを再構築したことは、現在の世代を超えた大ヒットの状況を見るにつけ、やはり慧眼であったと言わざるを得ない。他の誰かがやったら大ヒンシュクだろうが、仕掛け人は御大ブライアン・メイ本人である。御大があの優しい目で「ぼくの知っているフレディは、こういう人だったよ」と言うなら、それをそのまま受け入れるしかない。個人的な洋楽の体験を言えば、クイーンはビートルズとマイケル・ジャクソンの狭間ですっぽりと抜け落ちてしまっていたバンドだった。もちろんベスト盤の曲くらいは聞いたことがあるし、ライブ・エイドの映像もかすかに記憶にある。しかし当時は、少女漫画界隈での黄色い悲鳴か、フレディの容姿をコメディ的に扱う芸能かに二極化しており、どうしてもイロモノ感がつきまとっていた。ちょうどクロマティ高校の同名キャラを思い浮かべていただくと、近い印象を抱いていただけるだろう。今回、「きれいなフレディ」を見たことでその呪いが解かれ、純粋に楽曲を再評価する気持ちになれたことは、最大の収穫であった。曲や映像もまた売れているようだし、これすなわち、御大ブライアン・メイの粘り勝ちと言えよう。ロジャー・テイラー? グリースを塗った車のマフラーとでもファックしてろ!