HUNTER×HUNTER 32
個人的に近年の本作は、すごく作者のライブ感覚が反映されているように感じており、特に蟻編では人体欠損や心理の過剰な描写から、積極的に作品と主人公を壊しにかかってるようで、自傷めいたその雰囲気に息を詰める思いでいた。どこかで作者がシナリオ作法を語っているのを読んだことがある。登場人物たちとの対話を通じてプロットを組んでいくらしい。ある状況に置かれたときに、登場人物が何を感じどうふるまうかがわかれば、その化学反応で物語が組み上がるというわけだ。裏を返せば、どうすれば最も残酷に各キャラクターを壊せるかを知っているということでもある。蟻編では創作者イコール神の力を存分に発揮して、主人公の肉体と精神を完全に破壊し尽くした。いかなる方法でも彼に刻まれた傷を完全にはとりのぞけず、以後の物語の進行に深刻な影響を及ぼすと思われた。その状況を受けての今回の選挙編だが、私は震災の影響下に描かれた作品であると強く感じた。蟻編での悪意――言い換えれば、作者の気分――に晒されていないキャラクターが作中で行う演説は、主人公と被災者をオーバーラップさせた作者からの懺悔と謝罪のようにも読める。そして、世の埒外にある癒しと死者の復活というふたつの奇跡をもって、不可逆に壊されたはずの主人公の肉体と精神は蟻編以前の状態へと巻き戻された。もし震災が無かったなら、この顛末は全く違ったようになっていたのではないかと想像する。蟻編とは、少年漫画的作劇からすべての要素においてひとつずつ位相をズラした批判であり、主人公の持つ純粋さと信念に対してさえ、それが適応されていた。己の持ち物では避けえぬ世界の残酷さと自身の無力を知ったとき、少年が壊れることは必定だった。けれど、そんな当たり前の敗北を、我々の誰もが体験してきた敗北を、だれが少年漫画というジャンルで目にしたいだろう? もしかしたら現実に負けない信念や純粋さがあるのではないかという祈りが、いまを生きる少年と、かつて少年だった大人たちにとって、理不尽な喪失を乗り越えていくために必要なのだと思う。ハンターハンターはこの選挙編の後、たぶん普通の少年漫画になるだろう。震災が、ハンターハンターを普通の少年漫画に戻すのだ。しかしその内容がどのようなものであれ、蟻編と選挙編を経たからこそ、我々が縁側の老人の背中に無為を感じないような、経てきたがゆえの重さを加えるに違いない。その行方を見届けるために、私は信念とも純粋さとも遠い場所で、なんとか死なずにやっていこうと思う。