猫を起こさないように
映画「ひゃくえむ。」感想
映画「ひゃくえむ。」感想

映画「ひゃくえむ。」感想

 作者由来で気になっていた「ひゃくえむ。」をネトフリで視聴。結論から申せば、「チ。」の悪い部分をそっくりそのまま受け継いだ、「作者の自意識の集積体」のような作品でした(デビュー作らしいので、順序は逆か)。小学生時代のビルドアップはとてもよくて、才能だけで100m走全国1位となった少年と、走る衝動をおさえきれないコミュ障の少年とを対比的に描き、前者が後者に言う「だれよりも速く走れば、キミの悩みはすべて解決する」というシンプルな答えには、たしかに胸をうつ力がありました。それが、この2人の関係性にフォーカスして話を進めればいいものを、中学生編、高校生編、そして大蛇足の社会人編へと進むにつれて、主役”級”の登場人物がどんどん増えてゆきます。それ自体はまったく結構なことながら、この作者の持つ「すべてのキャラの自我レベルが同じで、単一の語彙プールから選択する」という特徴が悪い方向にはたらき、物語の中盤以降は「100m走に仮託した、作者の人生哲学a.k.a.自分語り」を延々と聞かされるハメになるのです(女子部員2名だけは他者の自我を持っており、これが監督の手柄なのか、作者の女性に対する価値観なのかは、正直わかりません)。高校生編において、100m走の第一人者となった卒業生が講演会でおこなったスピーチも、現実世界なら校長がPTAから突きあげをくらうレベルの大事故であり、これを天才性の表現として社会性の側面をいっさい無視できるのは、じつにこの作者らしいとは言えるかもしれません。また、コミュ障のほうの主人公へ「どんどんフォームがおかしくなっているのに、気持ちだけで走り続けていけるなんて、キミはいつか壊れてしまうぞ」みたいなことを、情感たっぷりに陸上部の先輩ーー先生やコーチではなく!ーーが忠告する場面があったのに、これも終わってみれば結局、なんの伏線にもなっていませんでした。

 「チ。」の感想にも書きましたけれど、この作者は読者のカタルシス・イコール・物語の自走性に寄りそうのがほんとうにヘタで、本作もクライマックスである陸上大会の決勝において、安直に小学生時代の2人をビジュアルでオーバーラップさせたかと思えば、なんとどちらが勝ったかはわからないまま、幕を閉じてしまうのです。スポーツを題材にする以上、因縁の相手との決着を描ききるのは確認するまでもない大前提であり、この結末は作者の自意識が尻すぼみの展開で終わる恥を回避しようとした結果の、明確な逃げだと感じます。小学生編の段階では、ダイヤモンドの功罪のようなライバル関係を期待していたので、余計な人物模様が前菜やらアペリティフやらでゴチャゴチャと饗されたあげく、ようやく出てきたメインディッシュにはステーキではなく、イワシの丸干しがちょんと1匹のっているみたいな、最悪の読後感でした。意外と100m走の競技経験者がいちばん酷評しそうな「ひゃくえむ。」について、いつものごとく難クセをつけてきましたが、この方はどんな題材を選んでも、最後は自分語りへと収束することがわかってきましたので、今後は既存の2作品をクリエイターの看板としてかかげて実作からは距離を置き、スピリチュアル系の講演者ないし配信者などへ転身していただいたほうが、作者と読者の双方にとってハッピーな結果になるような気がいたします(アニメ化のさいの優遇ぶりから、一部の界隈では、ほとんど崇拝に近いあつかいをされているように見えるので……)。