ジークアクス最終話、Qアンノにシンエヴァ由来の悪感情を持つ人間の事前予想よりは、かなり好印象な方向へと急旋回できたように思います。前回、”シャロンの薔薇”の正体をエルメスに改変したことで、話の大元が曲がったと指摘しましたが、手描きと3DCGの新旧ガンダムたちが、空前の一大バトルをくり広げる新作アニメーションという予想は、Qアンノを過大評価ーー「ヤツに関しては、つねに最悪の予想をしておけ。ヤツは必ずそのナナメ下を行く」ーーしすぎていたことが、今回わかりました。平成にリメイクされたヤマトを見て、「自分ならオープニングは1カットも変えない」と豪語した人物がやりたかったのは、光る宇宙?のモビルスーツ戦を現代のアニメ技術で”完コピ”することだけだったのです。彼の視野レンジの狭さによって、マッキーが最終話で自由に差配できるスペースが増え、主人公とそのマヴの描写に長めの尺をとることができたのは、作品にとって僥倖だったと言えるでしょう。
でもね、1000ピースのパズルを12時間で完成させるリアル・タイム・アタックで、11時間ほど経過したのに600ピースぐらいしか埋まっていなかったのが、突如として北斗百裂拳のような動きへと加速して、ラスト1秒で最後のピースがハマッたみたいなもんですよ、これ。Qアンノによる余計なクチバシ・ツッコミを排除して、「虚構内虚構」のギミックをアトヅケで建て増ししていなければ、”TikTokガンダム”とでも名づけたくなるほどの超圧縮エンドロールを回避して、もう少し尺にゆとりをもたせてキャラの内面を掘りさげーーインド人の娼婦ばっか「傷ついた、傷ついた」って連呼しやがって、この作品の中でいっちゃん傷ついてんのは、主人公の母親やでーーながら、より正しく架空戦記として着地できたろうにと思ってしまいます。やはり、視聴後に「アルテイシアって、だれだっけ?」とウィキを調べたぐらいのガンダム下手が、Qアンノに向けた私情のみで、うかつに口をだしていい作品ではなかったと、いまは深く反省をしておる次第です。
雑にまとめておくと、ジークアクスは悪く言えば、作品単体では自立できないーーアルテイシアがシャアの妹なんて説明、作中にいっさいなかったじゃん!ーー悪ふざけのすぎる夢小説で、良く言えば、新しいファンを古いガンダム作品の視聴へと環流する高性能のマシンなのでしょう。最後に識者のみなさんへ聞きたいのですが、結局、イトウ・シュウジって何者だったの? 重度のガンダム下手だから、ノーマルなファンにとっては自明すぎる帰結が追えてないだけ? あと、緑のヒゲ(マン)が全編を通してふりかえっても底割れしない、近年まれに見る「良い大人」であり続けたのには、率直に言って、とても感動しました。