タイムラインで評を見かけて気になっていた、サマータイムレンダを見る。作画がメチャクチャきれいなので劇場版かと思っていたら、テレビアニメだったのには驚きました。ざっくりまとめると「地方都市を舞台にした伝奇ミステリーの死にループもの」で、この令和の御代において平成初期のエロゲーないしノベルゲー感がすさまじく、往時にタイムスリップしてしまったような感覚を味わいました。雫とか、痕とか、久遠の絆とか、あのあたりと同じ想像力で作られた舞台設定やキャラ造形やストーリー展開になっているのです。6話くらいまではグングン面白くなっていくので、「もしかすると、これは名作かも?」と期待していたら、そこをピークにドンドン失速していきます。何を血迷ったのか2クール目へと突入する頃には、金髪碧眼・方言美少女のスクール水着を愛でる以外に、見るべきものは何も無くなってしまいました。
まるで、週間少年ジャンプの打ち切り漫画の打ち切り過程をアニメで追体験するような作品に仕上がっていて、「もっと原作を刈り込んで、1クールにまとめられなかったのかなー」と非常に残念な気持ちになりました。肝心の謎解きにしても野球だと思って見ていたのに、「木製バットを膝でへし折る行為をサクリファイスと呼称し、一度だけ4アウト目を許容できる」みたいなルールがどんどん追加されていくので考える気を無くすし、「最初の10週は全力全霊、そこを越えたらあとは余勢で行けるところまで」という語り方は、じつにジャンプらしいと言えるのかもしれませんが、本作のようなジャンルを語るのにはまったく不向きでしょう。もしかすると、YU-NOあたりのシステムでゲームとして再構築すれば、面白くなるんじゃないでしょうか。本作を見てしまった後遺症として、今後は「俯瞰」という単語を入力しようとするたびに恥ずかしくなり、「鳥瞰」などへパラフレーズを行うような気がします。
もうサマータイムレンダについて話すことは何も無くなったので、無印カイジの話をさせていただきます。利根川のファッキューから始まる、怠惰なフリーターたちへ向けた有名な説教がありますよね。「数千万円はエリートたちが人生を十年単位でかけて手に入れるカネだから、決して安くはない」みたいな内容で、ここまではまあいいとして、「己の人生と向きあわずに時間を空費した者は死を迎えるときに初めて、惨めな人生が本当に己のものだったと気づく」と続くことへ、ずっと違和感がありました。生活者として一目を置いていたアカウントがあり、「いま過ごしているのが自分の人生であるという実感は、ずっとない。だからこそ、何事にも動じずに生きていられるのだと思う」みたいなつぶやきを最後に更新が途絶えてしまっているのですが、私の感覚はこの方に近いように思います。
これが離人症の症状から来ているのか、氷河期世代の諦念から来ているのかはよくわかりませんが、利根川の言う「ボーッと生きちゃあいない」側にいるはずなのに、人生の最後には「あ、これホンマに自分の人生やったんや」と思いながら死んでいくような気がしています。まるで夏のアスファルトにゆらめく蜃気楼や、主人公にレンダリングされたモブたちの儚い影のようにね……あ、そういえばサマータイムレンダを見てひとつだけ大きな発見がありました! それは奈良の地の言葉と和歌山弁がかなり似ているということです。家人たちが「さわる」を「いらう」、「来ない」を「こやん」、「しない」を「しやん」と表現するのを聞くたびに、「なんだ、この可愛らしい生物たちは……本能的にあざとい線をねらっているのか?」などと懐疑的なまなざしを向けていましたが、本作を通じて方言だったことが判明しました!