媾合陛下

  こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 私の名前は媾合陛下。マスコミに作られたイメージ通り、毒にも薬にもならない頭の弱い知的にチャレンジされている人の笑顔を臣民に向ける毎日。それにしても、今日の私はどうしたのかしら。遅れたメンスのせいか、とっても気分がアンニュイ。
 「どうなされました媾合陛下」
 「疲れたわ。こんなのは本当の私じゃないもの」
 「しかし、それが陛下のお仕事でございます」
 「ねえ、あなた何故私が媾合陛下と呼ばれているか知ってる?」
 「いえ、お恥ずかしいことですが、存じ上げておりません」
 「それはね……しゃッ」
 「ああっ、たいへんだ。媾合陛下がバルコニーから二十メートルも跳び上がり、堀をひとまたぎに樹齢千年の樫から削りだした厚さ50センチの大門にディズニーのような人型の穴をあけ、外に立つ屈強なガードマンをものともせずなぎ倒して出ていかれたぞ」
 「いかん! 追え、追うのだ」

 「うふふ、久しぶりの娑婆の空気。あら、いい男。こんにちは」
 「あっ。媾合陛下だ」
 「私を知っているのね。ならなぜ私が媾合陛下って呼ばれてるかは、知ってるかしら」
 「ぞぞぞ、存じ上げておりません」
 「緊張しちゃって。 可愛いわね。いいわ、教えてあげる。それはね……しゃッ」

 「はぁ、はぁ。いました! いや、おら れました!」
 「ああっ、たいへんだ。すでに媾合陛下のおみ足が下郎の下半身をがっちりとホールドされているぞ」
 「しまった、遅かったか。(振り返り)諸君、残念だが、ああなってはもう手遅れだ」
 「おお、おお、この匂い、この感じ。久しく忘れていた女性自身の高ぶり。いいわぁ」
 「媾合陛下の御姿を御簾でお隠し申し上げるのだ。急げ急げ」
 「おお、おお、私のわがままなボディが若い精気で満たされていく」
 「ええい、散れ、下衆ども。近寄るでない。そのつまらぬ凡々たる日々の生活へと戻ってゆけ。あっ。こら、御簾を乗り越えるな」
 「そうよ、この瞬間の私が本当の私。見て、私が媾合陛下よ!」
 「ああっ、たいへん だ。媾合陛下が男を下半身にプラグインしたまま御簾を突き破って蜘蛛のように道路に飛び出し、向かい来る車をあたかもそれらが豆腐ででもあるかのように次々と破砕しながら、幹線道路を御殿場方面へ逃走なされたぞ」
 「見られたか。今ここにいる全員を射殺しろ。無条件発砲を許可する。そう、全員だ。一人たりとも生きて帰すな」
 「ぱんぱんぱん」
 「きゃああ、今生では私自身の血を分けた息子としての実存に押し込められているけれど、来世では光の王女としての私の夫なることが親神様によって定められ確定している偏差値72のみのるちゃんが、額の中央の漫画的な拳銃に撃たれた記号から血と脳漿を吹き出して重力方向へあおむけにブッ倒れたわ」
 「みんな見でえぇぇぇわだじよぉぉぉわたじが媾合陛下なのよぉぉぉぉ」

媾合陛下

  こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 私の名前は媾合陛下。マスコミに作られたイメージ通りの私を演じるために、今日は来たくもない清水寺へ観光に来ているの。それにしても、今日の私はどうしたのかしら。遅れたメンスのせいかとっても気分がアンニュイ。
 「お疲れのようですね」
 「私の中には寺社仏閣めぐりなんて枯淡の心境は、少しもないのだもの。こんなのは本当の私じゃない」
 「しかしそれが貴方のお仕事です、媾合陛下」
 「ねえ、あなた何故私が媾合陛下と呼ばれているか知ってる?」
 「いえ、先月こちらに配属された新人なものですから、存じ上げておりません」
 「ふふ、それはね……しゃッ」
 「ああっ、たいへんだ。媾合陛下がまるで清水の舞台からとび降りるように思い切って清水の舞台からとび降り、五メートルも落下したところで全身のたるんだ皺に風をはらませて、まるでムササビのように奈良方面へと飛び去ったぞ」
 「追え、追うんだ」

 「ああ、久しぶりの娑婆の空気。いいわぁ。あら、修学旅行の学生ね。こんにちは」
 「あっ。媾合陛下だ」
 「私のことを知っているのね」
 「そんな。や、やめて下さい」
 「ふふ、女に触られただけで赤くなるなんて、本当にうぶね。私がどうして媾合陛下と呼ばれているのか、教えてあげるわ。大丈夫、怖がらないで……しゃッ」

 「みなさま、カリフォルニアより遠路はるばるお疲れさまです。さて、みなさまの右手に見えますのが聖徳太子ゆかりの法隆……あっ」
 「オゥ、何デスカアレハ」
 「マグワッテイルネマグワッテイルネ激シクマグワッテイルネ」
 「みみみみなさま、左手をごらん下さい。ええと、その、鹿。そうです、愛らしい鹿の親子が」
 「ガイドサン、コレドノヨウナニポンノ文化」
 「おお、おお、久しく忘れていたこの匂い、この感じ。いいわぁ」
 「お母さん、お母さん」
 「私知ッテマス、アレニポン語デ”青姦”言イマス。古キ良キニポンノ文化」
 「私モ聞イタコトアリマス、青空ノ下デ姦通スルカラ”青姦”言イマス」
 「サスガカリフォルニア大学デニポン文化ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、スティーブ」
 「もういや、もういやぁ」
 「中学生ニキビダラケノ顔ヲ思想的ナ真ッ赤ニ染メテイルネ」
 「お母さん、お母さん」
 「サスガカリフォルニア大学デ政治思想史ヲ専攻シテイルダケノコトハアルネ、ステファニー」
 「衆人姦視ノ中デノマグワイガ快楽ヲイヤ増シテイルノダネ」
 「サスガカリフォルニア大学デ心理学ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、ジェイン」
 「はぁ、はぁ。いました! いや、おられました!」
 「ああ、たいへんだ。媾合陛下のおみ足がいたいけな中学生の腰を折れそうなほどにがっちりとホールドしているぞ」
 「もういやです、私帰ります。帰るんだからぁっ」
 「しまった遅かったか。(振り返り)諸君、ああなってはもう手遅れだ。お隠し申し上げろ。媾合陛下の御姿を御簾でお隠し申し上げるんだ」
 「おお、おお、若い身体の精気はなんて強いのかしら。私のわがままなボディが悦びにうちふるえているわ」
 「オゥ、何デスカコノ人タチ」
 「コウイウノニポンゴ語デナンテ言ウカ私知ッテマス。”無粋”言イマス」
 「サスガカリフォルニア大学デニポン文化ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、スティーブ」
 「国家権力ノオーボーダゾ」
 「ええい、散れ、寄るなこの毛唐どもめ。貴様らの目に触れるだけで穢れだ。とっとと自分の国に帰って、前向きと無思考を取り違えることのできる単純さで、今日受けたトラウマのカウンセリングでも受けてろ。あっ。こら、御簾を乗り越えるな」
 「オーボーデスオーボーデス。国家権力ノオーボーデス」
 「ソウダソウダ。我々ニハ法ニ約束サレタ”知ル権利”ガアルゾ」
 「サスガカリフォルニア大学デ政治学ヲ専攻シテイルダケノコトハアルネ、ステファニー」
 「そうよ、この瞬間こそが飾らない本当の私。私が媾合陛下なのよ」
 「ぼきり」
 「ああっ、たいへんだ。媾合陛下が人間の本来にはあり得ない方向に上半身を曲げた、紙より白い顔色の男子中学生を腰にプラグインしたまま、毛唐の数人を戦車のように踏みつぶし、鹿の親子を人間の側の勝手な投影を排除したやりかたでまるでそれらが単なる畜生に過ぎないとでもいうかのように引き裂き、その先にそびえる五重塔をまるでそれが運動会の棒倒し競技用の棒に過ぎないとでもいうかのように彼女がいつもチンポにするごとくに倒壊させ、蜘蛛のように走り去って行くぞ」
 「見られたか。今ここにいる毛唐どもを全員を射殺しろ。無条件発砲を許可する。そう、みんなだ。一人も生きて国外に出すな」
 「ぱんぱんぱん」
 「オゥノゥ、グランパガ”トムトジェリー”ノヨウニ厚サ2ミリノ紙状ニ潰サレテ遙カ上空カラヒラヒラト舞イ降リテキタ私トイウ実存ハダニエル・キイスニ原作ヲ提供デキルホドノ心ノ傷ヲ負イマシタ」
 「サスガカリフォルニア大学デ心理学ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、ジェイン」
 「みんな見でえぇぇぇわだじよぉぉぉわだじが媾合陛下なのよぉぉぉ」

媾合陛下

  こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 私の名前は媾合陛下。今日は国を代表する大使としてA国大統領との夕食会に招かれているの。たくさんのVIPに囲まれて今日ばかりはさすがの私も少し緊張気味。
 「ああ、不安だわ。通訳はまだ到着しないの」
 「たった今お着きになりました」
 「押忍。遅参をお詫び致す。今日の通訳の御役、腹を切る覚悟で務めさせて頂く」
 「こちらがチョンガチョンガ連邦からいらっしゃった通訳のミハイロウィチ・ゲリチンスキー氏です」
 「ええと、あの。(小声で)ちょっと、大丈夫なの?」
 「ゲリチンスキー氏は日本語、英語、そしてチョンガチョンガ連邦の公用語であるハッチョレ語の三カ国語をよくするトリリンガルの英才でございます、媾合陛下」
 「ただいまご紹介に預かりましたゲリンチンスキーでございます。本日はお日柄もよく。以後お見知りおきをおひけえなすってござ候」
 「不安だわ」
 「ああ、大統領がいらっしゃったようです」
 「”Oh, Ms.INTERCOURSE! Nice to meet you!”」
 「ええと、あの、通訳」
 「御身の後ろに控えて候。大統領殿はただいまこのように申された。『おお、あなたとお目にかかることはナイスだ、媾合陛下』」
 「お招き頂いたのですからこちらからもご挨拶を」
 「え、あああああのあの。ここ、こんちこれまた大統領。よっ、にくいねこりゃ」
 「もう少し国家の代表としての威厳をお持ちになって下さい」
 「だって。外人なのよ。それも大統領っていったらすげえ外人じゃないの」
 「貴国の大統領殿に我ら媾合陛下の御意見をかしこみかしこみ奏上し申し上げる。”Hey, Mr. FUCKIN' President. I absolutely hate you!”」
 「”...Huh? What is she saying now!? No, Shit!”」
 「ねえ、なんか怒ってるわよ」
 「媾合陛下、大統領殿はただいまこのように申された。『あぁん? 今そこのアマは何て言いやがった。うんこ嫌い』」
 「どうも何か気に障られたようですな。文化的差異というやつでしょうか。なんとか場を取りなして下さい、陛下」
 「わ、私が?」
 「あなたがいま我が国の代表です」
 「ええっと、ええっと。あの。了見の狭いことは無しにして今日は楽しくやりましょうね。って、いいかしら。よろしく頼むわよ、ゲリチンスキーさん」
 「かしこまった。貴国の大統領殿に我ら媾合陛下の御意見をかしこみかしこみ奏上し申し上げる。”I guess your ASSHOLE is too tight, Mr. President. Deeper, harder, I'm just CUMing!”」
 「ああっ、たいへんだ。何か我々には理解不能な理由に顔を真っ赤にした大統領が核発射と大きなフォントで書かれたリモコンを片手に大股に部屋を出て行かれるぞ。御国の危機だ。どうしようどうしよう」
 「ガタガタ騒ぐんじゃないよ。ピンチに肝がすわるのは性分ね。私も媾合陛下と呼ばれた女。見てなさい……しゃッ」
 「嗚呼なんたるちやサンタルチヤ南無八幡大菩薩、媾合陛下のおみ足がカニばさみの要領で今まさに部屋を出んとする大統領殿を二十センチも沈み込むような思想的な匂いのする赤の絨毯の上に押し倒し、その下半身をがっちりとホールドしたまま近代格闘における不落のマウントポジションに持ち込んだで御座るよ」
 「しまった。早ぅ広間の扉を閉めるのだ。一人も中に入れるな。一人も外に出してはいかん。残った人間は全員射殺しろ。そうだ、メイドも秘書官も、とにかく全員だ。一人たりとも生かしてこの部屋から出すな」
 「ぱんぱんぱん」
 「きゃああ。日本のメイドフェチに高く売ろうと思っていた、やっぱり全くの新品よりも多少は様々の体液が付着していたほうが喜ばれるのでここ二三日洗わずに着ているお仕着せが、私自身のみなに乳牛と形容される巨大な胸に突然うまれた漫画的な記号からの『おいおい、もう死んでるぜフツー』というくらいの大量の出血で汚れてしまい、もう売り物にならなくなってしまったわ。という内容のことを英語で実はしゃべっている英語圏の人間という私の実存だわ」
 「”!? Holyshit! It's so good!! One thousand worms are living in her PUSSY!!!”」
 「媾合陛下、大統領は今このように申された。『聖なるうんこ。すげえ気持ちいい。彼女の子猫ちゃんはカズノコ天井だミミズ千匹だ』」
 「ああ、さすが外人、それも一国のトップともなるとモノの大きさが違うわね。これよ、この感じ。これが本当の私なのよ」
 「”God damned! This is too good to stand any more!!”」
 「ああ、わがままな私のボディが毛唐の精気で満たされていくわぁ」
 「媾合陛下、大統領殿は今このように申された。『神のうんこたれ。これはこれ以上耐えるにはあまりによすぎます』」
 「みんな見でえぇぇぇわだじよぉぉぉわだじが媾合陛下なのよぉぉぉ」
 「大丈夫か、聞こえているか、大統領殿。我ら媾合陛下の御意見を奏上し申し上げる。”Look at me! I'm Ms.INTERCOURSE!”。聞こえているか、大丈夫か、大統領殿」

媾合陛下

  こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 私の名前は媾合陛下。ホワイトハウスでの惨劇から一ヶ月、A国の威信をかけた大追跡をすんでのところでかわす死と隣り合わせの毎日。今日も今日とて名前も知らない土地で放置された丸太小屋の干し草に身を横たえるの。何か危険なものを一枚下に孕んだおそろしく静かな大気が、今夜が無事には過ぎ去らないだろうことを私に告げているわ。
 「媾合陛下、たいへんです。小屋の周囲を完全に取り囲まれています」
 「窓よりの眺望を媾合陛下に慎んで奏上し申し上げる。完全装備のヤンキーどもが数百人、ここからうかがえるだけで戦車が四台、上空には両脇にミサイルを二本づつ抱え込んだヘリが旋回しているで御座るよ」
 「大げさすぎますな」
 「やつらはいずれ私個人の暴力が一国家の軍事力に匹敵するまでに成長するだろうことを見越しているのよ」
 「がしゃん」
 「四方からのライトがこの小屋を攻撃目標として照らし出したで御座る。夜闇に浮かび上がるこの小屋の様子はまるで嵐の海に乗り出すボートのように頼りなくあの鬼畜米英どもの目にうつり、やつらの男根的な優越感を大いに満たしているのだろうと想像するだにはらわたが煮えくり返るで御座るよ」
 「”Surrender within thirty-second. Or we'll begin to attack you.”」
 「媾合陛下にきゃつら鬼畜米英の意味するところをかしこみかしこみ奏上申し上げる。『三十秒以内に投降せよ、さもなくば我々は攻撃を開始する』」
 「媾合陛下、どうしようどうしよう」
 「あわてるんじゃないよ。どのみちやつらにゃハナから私たちを生かして帰す腹づもりなんざないのよ。何事も高度な次元にまでつきつめると単純なところに結論が戻ってくるものよ。動物のナワバリ争いと同じで、二度と歯向かう気を起こさないように叩きのめしてやればいいだけのこと。私のやり方を見てなさい・・・しゃっ」
 「ああっ。たいへんだ。媾合陛下が丸太小屋の壁面を暗喩的に破砕しながら象徴的なきりもみでA国軍の手ぐすねひいて待ちかまえるまっただなかへ飛び出していかれたぞ」
 「彼我兵力差は1対数千。分が悪いぞこりゃ」
 「媾合陛下、媾合陛下ァ!」

 「きゃおらッ」
 「ああっ。媾合陛下の下半身を露出した御足の一閃と同時に数十人のヤンキーどもの首と胴体が永遠に泣き別れたぞ」
 「媾合陛下にかしこみかしこみ奏上し申し上げる。七時の方向よりヘリから放たれたミサイルが地上数センチの位置を砂埃を巻き上げながら急速接近中で御座る。注意されたし。注意されたし」
 「ぐぼ」
 「嗚呼なんたるちやサンタルチヤ南無八幡大菩薩、媾合陛下の下唇が(この表現で賢明な読者諸賢には何のことだかもうわかりますよね?)ぱっくりと開くと飛来するミサイルを根本まで呑み込んだで御座るよ。棒状の物体の挿入を我々健康な成人男性に否が応にも連想させる傍目からもそれとわかるほどに膨れ上がった媾合陛下の下腹部の年齢制限漫画的蠢きは、我々に日本という国に生まれて本当に良かったとあらためてしみじみと実感させる高度に文化的風情で御座るよ」
 「君は日本人じゃないけどね。ああっ。その無上にエロティカな様相にA国軍兵のほとんどが股間に両手を突っ込んだ内股状態で戦闘不能に陥ったぞ。媾合陛下、戦後日本の歩んできた道は間違っていなかったのですね。加えて媾合陛下が局部の筋肉の律動だけで放送禁止的液体でぬめるミサイルを打ち返したぞ」
 「直撃を喰らったヘリが黒煙をあげながら深夜の森に墜落していくで御座る」
 「”My God! She is one of the worst VAGINA-MONSTERs in the history of human!!”」
 「媾合陛下にきゃつら鬼畜米英の意味するところをかしこみかしこみ奏上し申し上げる。『ああっ!女神さまっ。彼女は人類史上最悪のヴァギナモンスターの一人だ。俺はエイリアン2で彼女がシガニー・ウィーバーと戦っているのを見たことがあるよ』」
 「きゅらきゅらきゅらきゅら」
 「ついに戦車部隊が動き出したで御座るよ」
 「地上戦最強兵器の登場に我々の媾合陛下になす術はいったいあるのか」
 「しゃっ」
 「嗚呼なんたるちやサンタルチヤ南無八幡大菩薩、媾合陛下が乙女の恥じらいを具象する部分で(この表現で賢明な読者諸賢には何のことだかもうわかりますよね?)戦車の砲塔を根本までずっぽりと呑み込んだで御座るよ。そして媾合陛下自身からしたたる液体があたかもそれが濃硫酸であるかの如く、いかなる苛烈な銃撃をもはねかえすブ厚装甲をみるみる溶解させていくで御座るよ」
 「”Fire, Fire!!”」
 「媾合陛下にきゃつら鬼畜米英の意味するところをかしこみかしこみ奏上し申し上げる。『クビだ、クビだ』」
 「ああっ。媾合陛下の皮膚一枚と女性の有する特殊臓器一つ隔てた下で現在発生しているだろう無数の爆発を知らない部外者の目から見たならばそれは年齢制限ゲームにおける地球外生物の触手に今まさになぶられているようでもあり、これまた戦後の日本文化を世界に向けて高く止揚する光景であります。媾合陛下、A国軍は壊走を始めましたぞ」
 「あの光は何で御座るか」

 「N州上空にキノコ雲の発生を確認」
 「これで君の国もようやくやっかいばらいができたというわけだ」
 「そしてあなたは次期大統領の座を手に入れる。すべてシナリオ通りというわけですな」
 「ふふふ。それでは我々の新しい関係に乾杯しよう」
 「両国の輝かしい未来に」
 「乾杯」

島本和彦的クライマックス予告・媾合陛下 THE MOVIE

      小鳥プロダクション制作

 路上に寝転がる黒人の酔っぱらいがまぶしさに目を開く。
 「”Wazzat?”(字幕:なんだ?)」
 空から無数の光がニューヨーク市街に舞い降りてくる。

      媾合陛下 THE MOVIE 予告編【映倫】

    ”西暦1999年 突如天空より飛来する無数の天使たち”

 エンパイヤステートビルの後ろから背中に羽根を生やした光に包まれた巨人が姿をあらわす。
 「”Is he an ANGEL?”(字幕:天使さま?)」
 両手を組んで見上げる少女。次の瞬間、巨人の羽ばたきが巻き起こす旋風が林立する無数のビルディングを紙細工のようになぎたおす。少女のマフラーが空を舞う。

    ”媾合陛下衝撃の最終回から八年 小鳥プロダクションが満を持してお送りする今世紀最後の一大官能ロマン”

  不気味に夜空を照らすサーチライト群。首相官邸を取り囲む数台の戦車と無数の武装した兵士たち。

       監督・脚本 小鳥満太郎

       テロップ「首相官邸内」

 「君に私のこの十年の恐怖がわかるか? 歴史からすればそれはほんの取るに足らないわずかな時間に過ぎないのかも知れないが…私は怖かった。私はただ、怖かったんだ」

       音楽 猪上源五郎

 「あなたは政治家として少々ロマンチストに過ぎるようだ。おい」
 「はっ」
 「な、何をする。君、わかっているのか、これは日本国に対する明らかな反逆だぞ」
 「もちろんですよ、総理。ですが反逆する対象である国家そのものが消滅してしまうとしたら、どうします?」
 「き、君たちは、まさか。この、この非国民らめ!」
 「これはまた時代がかった恫喝ですな」

       特技監督 円谷英二郎

 「我々は国家に殉ずるのではないッ! 我々は我々の思想に殉ずるのみであるッ!」
 「狂っている…あれは人間の言うことをききとげるような、生やさしい存在じゃないんだ」
 「知っています。我々が正しいかどうかはすべて後世の人間たちが決めることですよ。おしゃべりな総理大臣殿にはそろそろ歴史の舞台から退場していただくとしましょうか」
 鳴り響く銃声。どさりという鈍い音とともに床に広がる赤いシミ。

     ”彼らがもたらすのは人類への福音か、それとも”

       テロップ「米国ホワイトハウス前」

 演壇を、しわぶきの音ひとつたてず取り巻く数万の人々。演壇にあがり愛しげに人々を見渡す大統領。
 「国民のみなさん、すべては崩壊しました。我々の信じてきた国家という概念も、建国以来我々の誇り高き精神を支えてきた信念も、最後のよりどころである宗教でさえも、あり得る最悪の形で我々を裏切りました。すべては壊れてしまった。もう何の意味も無いかも知れないが、私に言わせて下さい。これは国民のみなさんに選ばれた国をあずかる大統領としてではなく、一人の個人として言わせて下さい。我々はずっと泣き続けてきました。我々の祖先がこの大地を初めて訪れた昔から、我々の幼い乳飲み子に惨めでない居場所を与えてやるためにインディアンたちの頭蓋をふりあげた岩でもって砕き、恐怖をはりつかせた瞳で生暖かにぬめる彼らの脳漿を浴びたその時から、我々はずっと泣き続けてきました。その涙の意味をここに集まったみなさんには知っておいて欲しい。我々は愚かだったが、罪のない人間たちを殺すほど愚かだったが、それでも我々は生きたかった」
 みじろぎひとつしない人々。

     ”滅びゆく営々と築きあげられてきた人類の歴史たち”

 「本日ただいまをもって、アメリカ合衆国の解体を宣言します」
 まろびでた老婆が演壇にすがるように泣き出す。

     ”我らの媾合陛下は襲いくる最強の敵に果たして勝利できるのか”

 左腕を光線に吹き飛ばされながら、自由の女神を破砕しつつヴァギナで大天使ののどぶえを噛みちぎる媾合陛下。
 「おまえの寄越した使徒たちはすべて殺した! さぁ、姿を見せろ、突然降臨し戯れに人類の歴史を幾度も無に帰してきた機械の神デウス・マキーナ、嘲笑する道化の神よ!」

     ”人類の原罪とは、我々の生命の真の意味とは”

 全身から鮮血をしたたらせ、天空に向かって咆哮するその悪魔的な姿。
 「私は人間だ! 私は生命だ! 私は…媾合陛下だ!」

     ”構想五年 総制作費200億 空前のスケールで展開する媾合陛下最後の戦い”

 「クオ・ワディス、ドミネ?(主よ、どこへ行かれるのですか?)」

     ”あなたは最後に何を見るのか”


        媾合陛下 THE MOVIE   

        COMING SOON...


 「(激しいノイズの向こうから聞こえるかすかな囁き)…ラ…ラ…ラヴ…」

もう頬づえはつかない

 「れ。ちょっと狭くてカメラ入らないッスからベランダに。あ。もう流れてるんスか。(裏返った声で)にょ、にょにょにょ~んス。これ流行らせようと思ってるんスよ。かなりユニークじゃないスか。うん。あ、名前は勘弁して欲しいッス。ハンドル名ってことでいいスか。ケチ野ケチ兵衛。うん。…え、由来ッスか。よく言われるんスよ、おまえはケチだなぁって。だから。節約家だっていつも言い返すんスけど。うん。例えばッスか。出かけるときとか電気器具類のコンセント抜いて行くッス。あんま出かけないッスけど。いや、変わるッスよ。ほら、これ明細。一ヶ月で120円ほども違うッス。一年で、ええと、千円くらいッスか。千円くらい得するんス。大きいッスよ。うん。大きいッス。あ、それとぼく劇団やってるんスよ。うん。と言っても二人だけなんスけど。座長のぼくと、高校のときの同級生の西野くん。うん。代表作ッスか。まだ一度も公演したこと無いんスよ。ネタはあるんスけど。うん。見てくれますか。この男性器を模した巨大なハリカタ。魚河岸から拾ってきた発砲スチロールを削りだして作ったんスよ。ちょっと生臭いッスけど。ちょっと臭うほうがリアリティがあるッスよね。あ。臭覚にまでうったえる演劇って今まで無かったんじゃないッスか。無いッスよね。うん。そしてこれをね、劇の主役の亀清水くんが、こう、股間に装着するんス。あ、この名前はぼくの好きな漫画へのおおおまおまおまん。オマージュ。オマージュなんスよ。うん。見て下さいよ。真ん中にプラスチックの管が通してあるんス。劇のクライマックスでここから小麦粉をゆるく溶いた白い液体をまき散らしながら客席に飛び込んで劇場から逃走するんス。これはまさにああおまおまおまん。アンチ・テアトル。アンチ・テアトルでしょう。うん。あ、ここでしゃべっちゃマズいッスね。パクられちゃうから。今の部分放送のときカットしてもらえますか。あ、生放送。今このまま流れてるんスか。あ、でもこの放送がそのままぼくのオリジナルの証明になるッスよね。うん。お金さえあればすぐにもやりたいんスけど。西野くん、最近仕事が忙しいみたいで連絡つかないんスよ。二年くらい。うん。あ、これ見てたら連絡下さい。古い電話番号しか知らないんス。うん。…え、パソコン。拾ったんスよ。粗大ゴミで。動くッスよ。ぼくホームページ持ってるんス。うん。言い忘れるとこッス。すごいッスよ。一年で50人も来てくれたんス。50人っていったら高校のときのクラスの人数より多いじゃないスか。うん。ぼくの言葉をこんな大勢の人間が聞いてくれるなんて、緊張するッスよ。…え、コンテンツ。コンテンツ。あ、内容スか。メインは時事問題をからめた日記ッス。オナニーじゃ意味無いッスから。社会性が重要ッスから。…え、最近ではッスか。あ。え。ふ。フランスの核実験とか。うん。あと小説なんかも。近未来を舞台にした。豆清水くんっていう主人公が大活躍するんス。あ、この名前はぼくの好きな漫画へのおおおまおまおまん。オマージュ。オマージュなんスよ。うん。あと絵とか。目次のこの絵、ぼくが描いたんス。可愛いって女の子に評判なんスよ。鮫清水くんっていう。あ、この名前はぼくの好きな漫画へのおおおまおまおまん。オマージュ。オマージュなんスよ。…え、仕事ッスか。今はアルバイトしてるッスよ。ボールペン組み立てたりとか。うん。繊細ぶるつもりは無いんスけど、人と話したりするの苦手なんス。生々しくて。うん。…え、大学ッスか。大学。大学。(宙を目で追いながら何かを思い出すように棒読みで)あんな閉鎖された場所で現実と関わりのない学問をいくら勉強したところで夢には近づけないと思うんですよ。行こうと思えば行けたんスけど。やっぱ夢だし。うん。…え、ぼくの夢ッスか。あ。ふ。え。演劇。ああ、そう演劇ッス。さっき話したッスよね。ああいう創造的な。うん。創造的なことならなんでもいいんスけど。小説とか。絵とか。音楽とか。うん。お金あれば一番いいんスけど。お金」

 「(テレビの前でぼんやりと頬づえをついて)戦前に存在したような、それに従わないことが即座に社会的な死を意味するシステムは、戦後日本において自由や権利の名の下に消滅してしまったと誰もが教えられ、そう思ってきているけれど、本当は違うの。それまでに在ったシステムの上に行われたのは、それ自体の解体ではなく、不可視化と曖昧化であったと言えるわ。現在我々は我々を拘束するシステムの存在を意識することは非常にまれだけれど、それは目に見えなくなり、それに逆らうことがかつてのように直截に実際的な生き死にに直結しないから気がつかないだけで、システムは厳然として存在するの。ケチ兵衛、貴方はこのシステムが貴方を常に取り巻いていることに気がつかないほど何も見えていなかったというその事実だけで、致命的な反逆者としてすでに殺されてしまっているのよ。資本主義社会というシステムの与えてくれる恩恵に授かれないまま、夢だなんていまどきの小学生の作文にも出てこないような繰り言にすがって、貴方は自分がすでにこの世とは何のつながりも無くなってしまった亡霊だということに気づいていないのかしら。そう、そうよね、社会的敗北者、社会的弱者の発言の場であるところの――実際自分の声が何か現実を動かし得るという実感を持つ人間はこんなところで自分と同じ亡霊に向かって何かをしゃべったりはしないわ――ネットワークが、あなたの何の役にも立たないむしろ悪徳とも言うべき繊細さを脅かす苛烈さを持たないこの現実の脆弱な写しが、貴方はまだ社会的に殺されていないと、貴方はまだ生きているのだと錯覚させてしまっているのね――まるで急な交通事故で死んだ者の霊が、自分が死んだという事実に気がつけないまま永遠にその場に地縛してしまうように。貴方はもうこの資本主義社会において完全に抹殺されてしまっているのよ、ケチ兵衛。偏差値60前後の私大に入学するといったような、自身の性格の根幹を揺るがさずにすむ程度の努力を怠ったという怠惰の罪に、現代社会という目に見えないシステムは聞こえない裁きの槌を鳴らしたのよ――汝、ケチ兵衛よ、お前の無知と背きの罪は重い、よって死刑である。だが簡単には殺さぬ。我々は馬鹿者にする慈悲を持ち合わせてはいない。我々は豊かだが、お前には少しの分け前もやらぬ。砂漠で乾いた者が見るオアシスの幻影のように、お前を取り巻く実際に触れることのできぬ富に永遠と囲まれながら、生物学的な死がお前の上に落ちるその瞬間まで、後悔と絶望と悲嘆のうちに悶え、発狂し、ゆっくりと衰弱していくがいい――。脇の下が黒く変色したTシャツ、何ヶ月も切っていないぼさぼさの髪、こけた頬、栄養不足に浮かぶ黄疸、泣き出す寸前の子供のように大きく見開かれた濡れた瞳。…自分の言葉すべてに自分で”うん”と肯定的にうなずきかけてやらねばならないほど貴方の無意識はすりへり、自信を喪失し、疲れ果ててしまっているわ。なのに貴方の意識はそれに気がつかないふりで――気がつくことは自分の死と敗北を認めることと同義ですものね――今日もホームページを更新するのね。西日の射す四畳一間のアパートで、システムに迎合したものたちが気にもとめないような千円というはしたの富を息を切らせて追いかけながら、才能という宝くじほどにも当てにならない幸運を口を開けてただぼんやりと待ちながら、誰も見ないホームページを。
 (瑠璃色の涙を左目から一滴こぼして)愚かなケチ兵衛。かわいそうな、ケチ兵衛……」

なぜなにnWo電話相談室(1)

 身長ほどもあるようなカラーをつけた学ランを着た、身長ほどもあるようなリーゼントの学生が後ろに手を組んで扇形に並んでいる。中央には右目を前髪で隠し生革ムチを片手に足首まで隠れるスカートをはいた婦女子と、顔面が全く左右対称でないせむしの男が立っている。
 「(ムチを打ち鳴らし)さァ、今週もこの時間がやってきたよ。『なぜなにnWo電話相談室』、司会はあたい、血を巻く越前台風・ハリケーン逆巻と」
 「(割れた下唇から終始よだれを垂らしながら)ガルルル。俺様、但馬の狂犬・ガウル伊藤だ。ガルルル」
 「りりんりりん」
 「早速イッパツ目の電話のようだよ。おや、イッパツだなんてあたいとしたことがはしたないね。育ちが悪いんでそこんところは勘弁しておくれよ」
 「ガルルル。勘弁しねえヤツは承知しねえぞ。ガルルル」
 「(ムチでせむし男の背中を打ちつけながら)すごむんじゃないよ! …おや、つながったようだね」
 「(小声で)あ、あの。nWo電話相談室さんでしょうか」
 「ああ、そうだよ。ちょいとオしてるんでね。手短に頼むよ」
 「ガルルル。手短にしねえと取って喰っちまうぞ。ガルルル」
 「(ムチでせむし男の背中を打ちつけながら)すごむんじゃないよ! …さて、話を聞こうじゃないか」
 「あ、あの。ぼく小鳥って言います、あ、小さな鳥って書いて小鳥。子供の鳥じゃないんです。あ、え、なんだっけな。あ、そうです。ぼく最近ホームページっていうの始めたんですけど、なんていうのかな、変なメールをたくさんもらうようになったんです。あ、メールっていうのは電子的な、あの。手紙みたいなものなんですけど、文面が、その」
 「あんたを脅迫してるってわけだ」
 「あ、はい。ぼくこんなのはじめてで、こんなふうにあからさまな悪意っていうのが信じられなくて。会ったこともない人間をここまで憎めるものかなって。すごく、あの、なんていうか、怖くなって、悲しくて」
 「ネットの匿名性を利用したケチな犯罪だね」
 「ガルルル。そんなド畜生は喰い殺しちまうに限るぜ。肉にくいこむ歯の感触、ほとばしる脂と血。ガルルル」
 「(ムチでせむし男の背中を打ちつけながら)こんなところでおっぱじめるんじゃないよ! カタギのみなさんが怯えるだろうが!」
 「ヒィィィッ! もうしません、もうしませんからッ! 姉御に見捨てられたら、俺ァ、俺ァ」
 「(スタジオの床に唾を吐いて)わかりゃいいんだよ、わかりゃ。…さて、小鳥くんだったか、その脅迫メールがどんな内容だったか私たちに教えてくれるかい」
 「あ、はい。今手元にありますから、あの、読み上げます。(涙声で)あ、お『おまえのサイトなんか全然おもしろくねーんだよ!! 調子のってんじゃねえよ!!! この選民思想者め!!! おまえみたいなのがいるから日本がだめになるんだよ!! 死ねチンカス野郎!!!!』…うっ、ふっ、なんで、ぼく、みんなに、楽しんで欲し、それだけ、う、うわ、うわぁぁぁぁぁぁ(泣き崩れる)」
 「さて、小鳥くんよ。君はどうしたい。ずたずたに引き裂いて殺してやりたいか?」
 「ガルルル。殺す殺す、ひひひ。ガルルル」
 「(血の涙を流しながら)殺すなんて生ぬるいです。両目をほじり、耳を引き裂き、喉を潰し、両手両足を切り落とし、チンポも切り落として、江戸川乱歩の芋虫みたいにして、永遠に生き地獄をさまよわせてやりたい。永遠にぼくという唯一無二の存在の心に与えた傷を後悔させ続けてやりたい…!!」
 「…わかった。nWoが総力を挙げて捜索した結果、君にそのメールを送った犯人を探り出すことができた。それは…こいつだ!(合図とともに学ランの集団が左右に分かれ、奥の暗闇にスポットライトが当たる)」
 「(口に噛まされた猿ぐつわを解かれながら)…ッざけんな、ふざけんなよ、こんなことしてただで済むと思ってんのかよ!」
 「(棘を生やしたムチで男の顔面を打ちつける)おだまり!」
 「びしり」
 「(顔面の肉が裂け左目がグシャグシャに潰れる)ぎゃああああっ」
 「ガルルル。血だ、血だよ、いひひひ。ガルルル」
 「さぁ、小鳥くん、始めるよ。テレビの用意はいいかい」
 「(嬉々として)あ、待って。ビデオ撮らなくちゃ、ビデオ。ハイグレード標準で。何度も見返せるように。いひひひ」
 「さァ、思う存分やりな、伊藤! ただし殺すんじゃないよ!」
 「ガルルル。血、肉、血、肉、血ィィィ!」
 「ぞぶり」
 「(噛みちぎられた右腕のつけ根をおさえながら泣きそうな顔面で)マジ、マジかよ、嘘だろ、法治国家だろ、いいのかよ、こんな、嘘だろ」
 「(恐ろしく長い舌で返り血をなめとりながら)ガルルル。たまらねえよ、この感触、たまらねえ…!!」
 「(スタッフから受け取った紙片に目を通し)おや。名前は知らないし、知りたくもないが、あんたのおかげで視聴率が急激に延びているそうだよ。今60パーセントを越えたらしい…(酷薄な笑みを浮かべながら)あんたのようなのでも誰かの役に立てることはあったんだねぇ」
 「ぞぶり」
 「ガルルル。右足、右足ィィィィ!」
 「あの、ガウル伊藤さん、もっと痛めつけてやって下さい。その顔はまだ反省していない顔ですから。(口の端から涎を垂らしガンガン両手で机を殴りつけながら)足りねえよォ! もっと、もっとだよォ! もっと苦しめてやってくれよォォォォォ!!」
 「マジ、マジかよ、嘘だろ、洒落に、洒落になってねえよ、法治国家だろ、マジかよ、マジ……(血がほとばしり肉の裂ける阿鼻叫喚の様相に音声がかき消える)」

世界の中心で愛を叫んだけもの

  「え、何。募金。ああ、募金ね。(歩道の柵に腰掛けると煙草を取り出し悠然と火をつける)ええと、何だっけか。ああ、そう、募金。名目は何なの。いろいろあるでしょう。え、地球環境の保全。へぇぇ、そんなのまであるんだ、最近は。俺ァ年くってるから募金っていうと赤十字しか思い浮かばなくてよ…(いきなり募金集めの婦女子の頭をひっつかむと近くの電信柱に激しく叩きつける)白痴が! そんなことで本当に地球が救えると思ってやってんのか、アァ? ほら、立てよ。立て。その自己満足で歪んだ顔に血の化粧をしてやるぜ。そうでもしねえとよっぽど見られたもんじゃねえからなァ? おまえらがやってんのは地球のためとか世界のためとかじゃなく、自分の薄汚いプライドのためなんだよ! こんなところでせこせこはした金集めてるより、例えばどこかの省庁に入るとか、年に何百億とか稼ぐ富豪になって匿名で億単位の寄付するとか、そっちのほうがよっぽど効率いいし正解でしょう? 君のやってるボランティアなんていうのは、そういう実利的な成功のできない、社会的弱者の存在理由を求めてのいいわけに過ぎないんですよォ? それにね、本当に地球のことを考えるなら死んだほうがいいじゃないですか。死んで、これから君の何十年あるかわからない人生において無駄に使うだろう資源や、動植物の命を救済したほうがいいじゃないですか。そのほうがよっぽど実際的に効果がありますよ。それをしないのは、おまえはおまえのほうが地球よりも大事だって思ってるからだよ! その認識無しによく今までのうのうと人生やってこられたな、アァ? (急に優しく)これからはこんな街頭に立つ時間を惜しんで勉強なさい、いいね? (いきなり振り向くと取り囲む野次馬連中の中から作業服に安全ヘルメットにマスクにサングラスに鉄パイプにプラカードの男を引きずり出し、ガンガン地面に叩きつける)ヘラヘラ笑ってんじゃねえよ! おまえもこいつの同類だろうが! 大学当局が悪いとか、社会が悪いとか、そんなの外側からいくらやっても同じことだろうが! 例えば教授になって学内での政治力をつけて経営にまで口を出せるようになるとか、東大出て日本の裏社会をのぼりつめて総理を自分の傀儡にするとか、そっちのほうがよっぽど効率いいし正解でしょう? 君のやってる学生運動なんていうのは、そういう実利的な成功のできそうにない、憎しみと怒りの対象を両親から体制にすりかえる操作の上手なモラトリアム青年の存在理由を求めてのいいわけに過ぎないんですよォ? (いきなり振り向くと取り囲む野次馬連中の中から眉をしかめながらも目はワイドショー的な興味にぎらぎらと輝いている老婆を引きずり出す)自分だけは関係ないツラで社会派気取りか、アァ? …落ちてんだよ。俺の給料から勝手に年金ぶんの金が落ちてんだよ! おまえらみたいな何の社会的・文化的生産力も無いしぼりカスみてえな連中のためになんで俺みたいな前途有望な人間が足ひっぱられなくちゃならねえんだよ! うぅっぷ、皺と皺の間にまで化粧塗り込みやがって、テメエは臭すぎる。長く生きすぎて魂まで腐敗が及んじまってるんだ。手遅れだな! (暴れる老婆を軽々と頭上にかつぎあげると、かなりの速度で行き来する車の流れめがけて放り投げる)けけけけ。見ろよ、スッ飛んでったぜ、ホームラン級の当たりじゃねえか! (ゲラゲラ笑いながら取り囲む野次馬連中に近づき、たるんだ靴下を装着した女学生の髪をひっつかみ路上に引きずり出す)何いまさら悲鳴あげてみせてんだよ! おまえは、いや、おまえらは本当はこういうのが見たくて見たくて仕方無かったんだろうが! これから何十年生きても何も生み出さないだろう君にはちょうどいいクライマックスのイベントじゃないか、えぇ? (女学生、男の腕に噛みつく)いてぇ! (激しく頬に平手を喰らわす)おまえらがそんなふうに扇情的でも劣情をそそるふうでもなく、繊細な男たちの自我を浸食するほど高圧的で無神経だから、出生率が低下するんだろうが! どんなまっとうな精神を持った人間がおまえらみたいのとまぐわりたいと思うよ、アァ? (女学生の髪をひっつかんだまま取り囲む野次馬連中に近づき、髪型は203高地、三角メガネの主婦を引きずり出す。激しくその頭を揺さぶりながら)自分だけは関係ありませんかァ、奥さァァァァァん? おまえが息子に自己不全を起こさせるような、自分自身の存在をこの世界でもっともつまらぬものとして憎んでしまうような、そんな脅迫的なやり方で塾やら私学やらにたたきこむから、彼らは母親からこんなに憎まれる、勉強という付加的価値がなければ誰からも愛情を持たれない醜い自分を再生産したくないと思いつめるんでしょォ? それで出産率が低下するんでしょォ? あんたが元凶なんだよォ? 自覚あんのォ? おまえたち二人とも情状酌量の余地無しだァ! (暴れる二人の髪をつかむとぐるぐると空中で鎖がまのようにブン回し、近くを走る線路に向かって放り投げる。ちょうど特急電車がものすごいスピードで通り過ぎる)きゃきゃっきゃっきゃっ。見ろ、見ろよ、雨だ、赤い雨だ! 胸がすくぜぇ! さてと…(取り囲む野次馬連中に向きなおるも、蜘蛛の子を散らすように逃げていく)おい、待てよ。なんで逃げんだよ。逃げることないじゃねえか! ひで、ひでえよ(泣きそうな顔になる)。待ってくれよ! 俺はこんなにもおまえたちのことを愛しているのに…俺はこんなにもおまえたちのことを愛しているのに! いひ、いひィィィィ!(駆け出す。遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる)」

追憶の夕べ

 「(ベランダで海に沈む夕陽を眺めている。目尻を指でぬぐいながら振り返り)いや、失敬。みっともないところをお見せしてしまったようだ。今日はね、いつものような大騒ぎの感じではなく、一度静かに君と話してみたいと思っていたんだ。センチと笑ってくれてもいい。そういう気分なんだ。
 「年に何度か、気力のみなぎる瞬間がある。普段のぼくときたら縦のものを横にもしたがらない無精者で、自分の楽しみであるはずの読書やらゲームやら映像鑑賞やらも、いざやる段になると、急にそれらが何か与えられた愉快でないタスクのように思えてしまい、気がのらないなんてつぶやいて不機嫌に眠ってしまうほどなのさ。そんな僕がね、年に何度か気力のみなぎる瞬間があるんだ。といっても、全然長続きしないんだけどね。一日も続かない、せいぜいが二三時間くらいのものさ。そういうときには何をやるにも、恐ろしいくらいの集中力と根気でもって当たることができる。これがずっと続いたならぼくはどこまで登れるのか、自分で自分が怖くなるくらいさ。世の中のまっとうに社会で活躍している人間というのは、こんな生命そのものの状態がずっと継続しているんだろうね。ぼくはそれを考えると、ちょっと不公平だなって思うんだよ。まァ、そんな考えもすぐに無気力と倦怠の中に埋もれていくんだけどね。
 「自殺、か。それは微妙な問題だね。ぼくはぼくの意見を語ることをするが、それが君にとっても同時に真実であるとは限らない。ただ、同じ時代を生きている仲間どうし、何かしら胸に響くところはあるんじゃないかと、少しうぬぼれさせてくれ。エヴァンゲリオン、という作品があった。これには人間の初源においての精神活動についてあまりに多くの隠喩や直喩が含まれているし、例えばぼくがここで何か臨床的な療法にたずさわっている療法家の名前を唐突に出すよりも、君にとって受け入れやすいと思うからあえて言及するんだ。それの映画の中に、まったく同じ形態をした量産機たちが致命的な傷を受けてなお立ち上がるシーンがあるけれど、あれは人間の初源においてのモデルそのままではないかと思う。我々は我々の心に受けた、その一つ一つがほとんど致死的であるような傷によってはじめて個性化される。はじめてオリジナルな個体として他者と分けられるんだ。人間にとっての個性とは、幼少期に受けた傷の種類・深さ・様相であると言っていい。つるりとした自然の生産物に過ぎなかった我々は、生育の過程でその上に様々の傷を受けることによって、はじめて我々自身になるんだ。知恵は人間に与えられた祝福ではなく呪いであると言ったものがいたが、それは文学的感傷をのぞくならばまったく正しい。より以上の正確さを期すならば、人間の知恵とは壊れてしまった本能の下位互換品・代換物である、と言うべきだろうね。だから我々人間はその存在の初めから、動物たちのように世界に対してゆらぎのない全性というものを手に入れる可能性とほとんど切り離されてしまっている。宿命的な知恵の呪いによってね。だから、その意味において、我々全員はちょうど弾を装填したセーフティーの外れた拳銃を手渡されているようなもので、知恵による個性化の過程で自殺を潜在的に手に入れさせられてしまっているんだ。
 「自殺という行為の本質は世界という位相において自分の位置をその時点で確定させるということだ。この確定させるという作業は、自殺そのものよりは縮小された規模で、誰もが日常的に、無意識的にやっていることなんだけれど。約束に遅れた友人を時間にルーズな頼みにならない人間と思う。これは相手を自分の意識において、ある位置に確定させている。自己は流動的だし、それと全く同レベルにおいて、他者の自己も流動的だ。互いの存在への認識は一秒ごとに改めるのが正解だし、そうしなければならない。だけれども、そうやって確定しない情報を永遠に追いかけ思考し続けるというのは、正直言ってしんどい。それなら、一度でも嘘をついた相手を信用ならない愚か者として、その存在を完結させてしまったほうが、つまり、自分の中で確定させてしまったほうが簡単だ。なぜって、それ以上かれの存在について思考することを放棄できるからね。世界の中において何千億分の一かの、かれという情報は永遠に確定し、君は少しだけ安心する。少しだけ楽になる。自殺というのはそれの拡大だと思う。自殺とは自己存在と、他者との関係性のすべてをその時点において確定させることだ。そうやって、完全に楽になるんだ。終わる先の見えない延々と続く平均台の上で、自己と世界のバランスをとり続けることをやめてしまうんだ。生きていくというのは果てしなく続くバランスゲームに似ている。だから君の思っているような意味では、いくら知ったところで、いくら生きたところで、楽になるということはないと思うね。君が真摯に人間であり続けたいと思うならば、君は苦しまなければならない。ずっとだよ。死ぬまでずっとだ。それはとても難しいことだと思う。事実、生きているのにその平均台から降りてしまっている人間だってたくさんいる。硬直した視点でもって、状況に合わない同じ言葉を繰り返すような連中だ。でも、彼らを非難できたものじゃない。ぼくたちにしたって、知らないうちに生活のかなりの部分を揺るがせないほど確定させてしまっているからね。例えばぼくにとってはプロ野球好きは全体主義者と同義だし、ゴルフ好きの男は男根至上主義者だと考えている。けどね、今みたいな、我々を過食症的にする情報の渦の中で、何にも保留を与えず、何にも確定を与えず生きていくっていうのはほとんど不可能に近い。イエス・キリストの昔とは勝手が違うんだよ。こうやって座っている間にも、時代が我々に次々と情報の確定を要求してくる。時代が自殺を強要してくるんだからしょうがないね。まァ、いろいろこむつかしいふうに言ったが、君が自殺したいと思うときにはどうぞぼくには相談を持ちかけないで欲しい。おざなりに扱って本当に自殺されたら寝覚めが悪いし、懇切に話を聞いてやって自殺をやめさせたとして、あとになってあのとき殺しておけばと思うことはきっとあるだろうからね。
 「(沈む夕陽に目を細めて)なんて光景だろう…長い煉獄のような一日の始まりを実感させる不愉快な朝や、何をやってもさまにならない間の抜けた昼や、寂しさと不安に膝を抱えてただ過ぎ去るのを待つしかない夜のようではなく、一日がずっとこんな豊かな時間ばかりであったなら、ぼくはもっと人生を愛せたろうに。ああ、日が沈む…時よ、お前は美しい、そこにとどまれ…(ゆっくりと閉じられる瞼の間に涙が盛り上がり頬を伝い落ちる)」

或阿保の一生

 私とかれは特に親しい間柄というわけではありませんでした。その交際の頻度やかれ自身がどう思っていたかにかかわらず、かれは私にとって腹蔵なく話せる種類の人間ではなかったのです。かれはその、つまり、ある種のマニアでした。様々のものを収集し、それがつもっていくことに精神的な満足を抱いているようでした。私はかれの持つとある品物に興味を持っており、それがかれとの交際を続けさせる唯一の要因でもあったわけなのですが、それらのすばらしさにかかわらずかれという人間は私に少しの魅力も感じさせ無かったのです。むしろ私はかれといるときにしばしば不快さを感じていたことを認めなくてはならないでしょう。かれの収集癖は自分自身の人間的魅力の無さへの意識的か無意識的かの認識から生まれた、かろうじての防衛策であったと言えるかも知れません。自分の存在を成熟したものとして確立できなかった人間はしばしばこういった馬鹿げた性癖を手に入れているものです。それはむろん代替物に過ぎないのですが、かれらにありがちな周囲との折衝の無さからでしょうが、今まで失敗せずに機能してきたのでまったく正しいものだと思いこんでしまっているのです。
 その日、じつに一ヶ月ぶりに――私には仕事があり、かれには無いからです。生活基盤の違いは人間関係に如実に影響を与えるものです――かれの私が密かに呼ぶところの”ねぐら”へ訪ねました。築何十年経とうかという、薄汚れた湿っぽいアパートメントの二階の一番奥の部屋がかれの住処です。郵便受けには大量のチラシがつっこまれており、外にまではみだしています。私はいつものように粘つくドアノブにハンカチをあてると、深呼吸をひとつしてからゆっくりと扉を押し開き、中へと入りました。かれが外出することは年に何度もなく、私以外の訪問者は宗教勧誘員くらいで――セールスマンはこの界隈にはよりつかないのです――私のこのような不躾な訪問はほとんど暗黙の了解となっていました。
 「おい、いるかい」
 私は答えの明らかな質問をわざと口にしました。私とかれの複雑な関係は、それ以下のよそよそしさもそれ以上の親しさも私に許さなかったからです。床にはその、つまり、ある種のマニアックな雑誌や私には意味を持たない様々の物体が積み上げられていました。それらの中で日本経済新聞だけが私にとって認識可能なものでしたが、かれがこの新聞を購読しているのはゲーム業界の今後の動向を知るためなんだそうです。日々親からの仕送りで生活する、大学は9年目に放校され、現在いかなる職にもついていないかれが、どうしてゲーム業界の動向を知らねばならないのかは私にはわかりません。一度かれに尋ねたことがありますが、「まぁ、君、ディレッタントの宿命というやつだよ」などとはぐらかされました(かれはこの手の自分は何でも知っていると見せかけようとするやり方がたいへん好きなのです。そんなときのかれはいつもニワトリのような顔になります)。奥に進むにつれ視界は奇妙な白い薄もやにさえぎられ、バックミュージックは階調を下げておどろおどろしさを増します。この白いもやの正体について私は一度かれに尋ねたことがありますが、「まぁ、君、ブレードランナーみたいだろ」などとニワトリのような顔ではぐらかされました。私はおそらく何かの動物の死体が発酵して吹き出すガスではないかと推測していますが、真相を確かめる気はもちろんありません。
 「おい、いないのかい」
 玄関奥の四畳半がかれの部屋です。ビデオデッキが縦向きに十台以上積み上げられ、壁には地肌が見えないほどポスターが貼られています。ポスターにはほとんど奇形といってもいいほどにデフォルメされた女性の姿が描かれています。記号として人間をとらえる芸術としてのそれらの完成度の高さを否定するつもりはありませんが、かれはその、つまり、恐ろしいことに、これらの簡略化された人間のパーツの組み合わせに、あろうことか、欲情を感じるらしいのです! 私はそれを信仰者がする重大な告白のようにかれがうち明けたときのことを思いだし、軽いめまいを感じて目をそらしました。窓は分厚いカーテンに遮られ、昼間だというのに少しの光も入ってきません。暗闇のただ中に数台のモニターがぼうっと光を発しています。そこに写っているのは……私はモニターを見ないようにし、なお呼ばわりました。
 「おい、僕だよ。いないのかい」
 うめき声が足下から聞こえました。私はかれの醜怪な顔面を踏みつけにしていたのです。帰りにコンビニで換えの靴下を購入せねばと苦々しく思いながら私はかれを助け起こしました。かれは驚くことに、泣いていました。感情を、真に自分が感じている感情を他人に知られることを恐怖して、いついかなる瞬間にも、まばたきの一つでさえも軽躁的な演技でやり、現実から身をかわして生きているかれがその醜い顔をさらにゆがめて、誰からも同情を与えられることのない奇怪な様子でさめざめと泣いているのです。私は何かが壊れようとしているのかもしれないと感じました。かれは突然手に持っていたゲームのコントローラーをビデオラックに投げつけました。危うい均衡で本来の収容量以上を納めていたラックから大量のビデオが床に雪崩落ちました。
 「もうこんなのはたくさんだ。こんな地獄のような個人主義はたくさんだ。誰か俺を巻き込んでくれ。俺はつながりたいんだ。俺は世界との関係を回復したい。誰でもいい、誰か偏見に満ちた思想で、全体主義的な有無を言わせない圧倒的なやり方で俺の存在が社会の一部を構成する部品に過ぎないことを教えてくれ。俺をあのマスゲームに埋没させてくれ。俺の脆弱な現実をこっぱみじんにうち砕いてくれ。自我が際限なく肥大していくんだ、俺が世界の中で唯一無二の実在であるという妄想的な確信にまったく疑問を感じない瞬間が日々増えていくんだ。もう、いやなんだよ、こんな嘘に囲まれて、ネット上で虚構の美少女たちを論評している自分が、やつらが、たまらなくいやなんだ! 誰か助けておくれよ…誰か…やめる、こんなことはもうやめるから…お願いだ…」
 これは革命でしょうか。もしかれの発した今の言葉がかれの現実とまったく一つになることがあるとしたら、それは革命の達成でしょう。ですが私は知っています。こんな演劇のような、一時的な感情の高ぶりによる革命は決して続かないことを。瞬間的な演劇空間の成立による革命の意識は日常を裏切っています。けれど私はあえてそれをかれに告げようとはしませんでした。私はかれの友人ではないからです。私は代わりに崩れたビデオの山を指さし、言いました。
 「それでは君にはあれはもう必要なくなってしまったわけだ。決心がにぶるとよくない、私があれらをもらっていってもかまわないだろうか」
 かれは泣きながら言いました。ああ、持っていってくれ、今すぐ持っていってくれ。私はかれの言葉が終わるのを待たずに手持ちの鞄にビデオをつめるとそそくさとその場を後にしました。二度と訪れることのないだろうかれの部屋を出ていったのです。久しく経験しなかった激しい感情の動きに疲れたかれはぐっすりと夢を見ない眠りを眠り、やがて目を覚まして自分の行動を身悶えするほどに後悔するでしょう。ですがその過失を埋め合わせる機会は永遠に来ないのです。なぜならかれは私の住所も、電話番号も、名前さえも知らないのですから!
 それからの私はと言えば、かれと私をつなぐ唯一の絆であった、今や私の所有物となったあのビデオ群を毎日存分に楽しんでいるんですよ。童女たちのあられもない乱痴気騒ぎをね。ひっひっひ。

大阪オフ始末書

 私はつねづね思ってきた。ホームページ所持者たちが現実に会合を行いその様子を報告としてアップするような場合、なぜあのような過剰に躁的な、過剰に荒唐無稽な、過剰に虚偽に満ちた――たとえば自宅からもってきたマシンガンで列席者を虐殺とか(銃刀法により厳しく民間への武器の流出を制限しているこの国においてホームページを作る程度の積極性をしか持たない彼ないし彼女がそのようなものを入手できる可能性は限りなくゼロに近いし、よしんばそれが本当のことであるにしても、大量殺人を行った彼ないし彼女が世界に名だたる我が国の警察の包囲の目を逃れ無事自宅にたどり着きパソコンを使ってのうのうとホームページを更新できるなど、まったく絵空事でしかない)、身長5メートルもあるような巨体の大男に(生物学的見地からもこのような骨格の直立歩行生物がこの惑星の重力下において発生できる確率を私は信じない)トイレで肛門を陵辱されたとか(ネット上において散見するホモセクシャリティについてはコンピュータ人口における男女比率の問題を想起させるが、実際のところこれは心理学的にみて肛門期に問題を有しておる青年が彼らの母親に本来の対象を持つ憎悪が女性一般に転移した結果の事象ではないかと推測する。これについては近々誌上に論文を発表するつもりだ)の記述がそれだ――ものになるのだろうか。その理由はどんな種類の真実にもためらわず目を向ける真摯さをわずかにでも持つ者には明白である。なぜならば、ホームページとは現実に存在する様々な負の要因の反作用として生まれてくるものだからである。つまりそれらは、彼ないし彼女の中で本来的に相容れないものとして処理されている自身の現実と自身の虚構がせめぎあう結果として生まれてくるひずみであると推定することができる。
 私は私の中にある妄想や、本当の自分はこうあって欲しいといった願望が、現実にこのようにある私という実存と切り離して考えることのできるものでは決してないことをすでに知っている。私のホームページがここにこうしてあるのも、私という惨めで不完全な人間がこの無慈悲な荒々しい現実の中で、個人の側からの何の入力も受けつけないように見える現実の中で、真に肉体的な意味で生きているからこそであることを私は実感しているのだ。だから私は現実を、起こったことをありのままに彫刻することを恐れない。それは私の連綿と続く意味のないように思える人生の先端において、その連続の結果として発生した事件であるからだ。私は一切の虚飾を廃し、事実のみを記そうと思う。 さて、では諸君にこのレポートのフォーマットについての理解を最初に与えたい。テレビに代表される様々のメディアが一秒の隙間もなく映像や音声を流し続ける現代に顕著な精神症に沈黙状態への脅迫的な忌避があげられるだろう。現代の対人関係において確かに存在するが、具体的な言及の難しいそれについて私は今回のレポートにおいて大胆に迫ろうと思う。以下私が”…”と表記した場合、それは現実的に5秒以内の沈黙が存在したことを意味する。以下私が”……”と表記した場合、それは現実的に6秒以上10秒以内の沈黙が存在したことを意味する。さて、では次の場合はどうだろうか。A「あ………」B「私は」。これは発話者Aの”あ”という母音の発声直後から発話者Bの発話まで10秒以上15秒以内の沈黙の時間が経過したことを意味している。これを理解されたい。
 用意はよろしいか? それでは始めよう。

  大阪駅中央口噴水前。
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「あ……………」
 B「………………」
 A「あの…………」
 B「…はい?」
 A「あ、いや…」
 B「……×××さん、ですか?」
 A「はい! ぼくが、が(咳きこむ)、×××です」
 B「ぼく、××」
 A「…えっと……」
 B「………」
 A「…こちらの方は?」
 B「ぼく、のサイトのファンの女性です」
 C「どうも」
 A「あっ…………どうも」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ。ど、どこか移動しましょうか」
 B「そうですね」
 A「…あ…どこにしましょう」
 B「ぼく、あんまり大阪知らないんですよ」
 A「あ、そうか、あ、そうか……えっと…」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「じゃ、あの、適当な喫茶店でも、あの、行きましょう」

  大阪駅付近の喫茶店。
 A「………………」
 B「(鞄の口を開いて)これ、ぼくが持っ」
 店員「ご注文はおきまりですかぁ?」
 A「ええっと……(二人を見る)」
 C「(煙草を取り出しながら)ブレンド」
 A「あ……ぼくもそれで」
 B「……あの……ぼく、お金無い…」
 A「え…………」
 店員「…(しきりと靴底をコツコツいわせる)」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ……ぼくが……あの…払います…」
 B「え…………ありがとうございます」
 A「……いや」
 C「ふぁ(あくび)」
 店員「…(無言で立ち去る)」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「あ、おみやげ(鞄から取り出す)」
 A「あ、(中身を見て困ったような顔で)…ありがとう」
 B「いや、そんな」
 A「………………」
 B「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 店員「…(無言でコーヒーを置く)」
 A「…(救われた表情でコーヒーに手をのばす)」
 B「……熱ッ………」
 C「…(煙草に火をつける)」
 A「………………」
 B「………………」
 A「…(椅子から尻を持ち上げて聞こえないように放屁する)」
 B「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「(音を立ててカップをおいて)あの!」
 B「(びくりと身体をふるわせて)…なんでしょう?」
 A「あの、(異常な早口で)あなたのサイトはとても面白いと思う」
 B「……ごめん、ちょっと聞こえなかった」
 A「(真っ赤になって)あ、なんでも……」
 B「………………」
 A「………………」
 B「…(空になったカップにスプーンで砂糖を移す作業に没頭)」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あの!」
 B「(びくりと身体をふるわせて)…なんでしょう?」
 A「…出ませんか?」
 C「…(荷物を取り上げるとさっさと店をでる)」
 B「(泣きそうな顔で)あ……そうですね」
 A「(あわてて)出ましょう、出ましょう」
 店員「お客さん!」
 A「(びくりと身体をふるわせて)…なんですか?」
 店員「(不機嫌な様子で)お金」
 A「あれ、あ、(独り言のように)そうか……そうだよね」
 B「………………」
 C「…(店の外で煙草をふかしている)」

  観覧車下広場。
 A「……えっと。どうしましょう」
 B「……ぼく、大阪のこと知らないから……」
 A「あれ、あ、(独り言のように)そうか……そうだよね」
 B「………………」
 A「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ、あ! 歩きましょう!」
 B「……歩く……んですか?」
 A「(泣きそうな顔で)はい、歩くんです」
 B「………………」
 C「はぁ(ため息)」
 A「じゃ…………」
 B「………………」

  大阪駅周辺。
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 C「…(煙草に火をつける)」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 C「ふぁ(あくび)」
 A「あ、あの!」
 B「(びくりと身体をふるわせて)…なんでしょう?」
 A「(早口で)××さんはどうしてサイトを作ろうと思ったんですか」
 B「……え……と……寂しかったから…」
 A「(困った顔で)あ、あ、奇遇だなぁ! ぼくも、も(咳きこむ)、そうなんです」
 C「…(煙草を取り出しながら顔を露骨にしかめる)」
 B「……へえ……」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………あ……(独り言のように)大阪駅」
 C「…(舌打ちする)」

  大阪駅東口。
 A「……今日は……あの……会えて嬉しかったです」
 B「(びっくりした顔で)え、あ、もう…ですか?」
 A「(半笑いで)え、あ、まだ…ですか?」
 B「(うつむいて目をそらして)…ぼくも、嬉しかったです…」
 C「…最低(低くつぶやいて肩を怒らせながら雑踏の中に消える)」
 B「(泣きそうな顔で)あ、ああっ……」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「………………」
 B「………………」
 A「……あの、じゃ」
 B「(気の抜けた声で)…じゃ」
 A「(遠ざかる背中に)あの! ネットで!」
 B「…(振り返らず無言で立ち去る)」
 A「………………」


 4月25日の全できごと終了。

風雲! 変態ペニスマン

 スモッグが雲を形成する都会の曇天にのぼる広告用アドバルーン。それの見下ろす休日の電気街を足早に行きかう人々。かれらのうちの長身猫背に周辺部に汚れのこびりついたブ厚い眼鏡の青年が振り返り、長年コミュニケーションをまともに行わなかった者の持つ特有の生理的嫌悪感を誘う聞き取りにくいくぐもった声で、
 「ははは、HP? ヒューレットパッカードの略ですか?」
 突然まきおこる一陣の風。と、ともに現れた一人の大男の回転胴回し蹴りが青年の頸部を的確にとらえる。その威力に引きちぎられた首は唇の上にもはや顔の造作の一部となってしまっている皮肉なひきつれを残したまま焼けたアスファルトと平行に飛んで近くに停車していたゴミ収集車の後部に濡れた音をたてて着地する。残された身体は切断面から突き出た管やら神経やら肉そのものからとめどなく血を噴出しながら二三歩首を探すようによろよろと歩き、ちょうど向かいから来ていた思い詰めた表情の小太りの女性に衝突してひっくり返る。女性、数秒ののちに事態を把握し怪鳥のごとき悲鳴をあげながら腰をぬかし小便をもらして路上へとあとずさる。そこに大型ダンプが走り込んでくる。金属と肉のぶつかるにぶい音。大男、くりぬいた海水パンツから露出したいちもつを風にあわせてぶぅらぶら、少女漫画的な星の輝く瞳から涙をとめどなく流しながら無表情で、
 「HPちゅうたらおまえ、”へんたいペニスマン(Hentai Penisman)”のりゃくやないか! よぉおぼえとけ!」
 大男、振り返りもせずに走り去る。収集車のゴミを裁断する刃物が回転しはじめる。透明のゴミ袋の上に乗っていた眼鏡の青年の首は一寸刻み五分刻み、やぶれたゴミ袋から出る腐った汁とまみれて野菜炒め状のものへと形をかえていく。刃が眼鏡のフレームを噛んだのだろう高い音がまったく静かになってしまった休日の電気街に響きわたる。

 アパートの一室。壁一面にもはや地肌が見えないほどポスターが貼られており天井もその例外ではない。ベッドの上には大きな子どもほどもある枕が置かれており、枕カバーには素養のないものが見たらぎょっとなり後ずさるような身体的特徴を備えた幼児とも成人ともつかない女性の絵柄がプリントされていて、唇・胸元・足のつけ根のそれぞれに明らかに性質のよくないものとわかる染みがべっとりと広がっている。灯りのない部屋に唯一ぼんやりとまたたくモニター。それをのぞきこむ青年の顔は光源の具合かどこかのっぺりとして魚類じみて見える。ひっきりなしに続くクリック音。
 「ああッ! ジョセフィーヌちゃん(キャラクター名。生まれつき色素の少ない白子の美少女という設定。肉体的に虚弱であった生い立ちからか知性に優れ感情をめったに表に出さず世の中をはすにかまえて見ている。だが実は寂しがり屋で主人公にだけ心を開いた微笑みをみせる。男の精を定期的に経口摂取しなければ死に至る奇病の持ち主というエロゲー的御都合裏設定あり)が大ピンチだよ! …うへへ、ラヴ度(各女性キャラクターの持つパラメータの一つ。戦闘中に敵の攻撃からかばうなどのオプションで上昇し、MAX状態で愛の交歓シーンへと突入することが可能となる。余談だが、このゲームの宣伝コピーは『マックスでセックス!』だった)をあげるチャンスだぜ! よぉし、ヒットポイント回復の呪文ゼツリーンをジョセフィーヌへ…ん、なんだ…?」
 突然モニター中央にひずみが生じる。ジョセフィーヌのステータス画面に表示された顔グラフィックが次第に歪みはじめその歪みが頂点に達したときモニターの映像が暗転、まったく消滅する。次の瞬間、爆発音とともにモニターの画面が破裂し無数のガラス片をはじけさせる。壊れたモニターの中から一人の大男が身を乗り出して出現する。ことさらに顔を接近させていた青年の顔面はガラス片でずたずたに切り裂かれる。中でも特別大きく先のとがった破片が青年のとっさに閉じた瞼を貫通し網膜を破り水晶体にまで達する。両手で顔面を押さえながらごろごろと転げ回り二度とその恩恵にあずかることのない視覚に偏重して発展したおたく文化の粋である様々のアイテムをなぎ倒しながら獣のような悲鳴をあげる。大男、くりぬいた海水パンツから露出したいちもつを風にあわせてぶぅらぶら、少女漫画的な星の輝く瞳から涙をとめどなく流しながら無表情で、
 「HPちゅうたらおまえ、”へんたいペニスマン(Hentai Penisman)”のりゃくやないか! よぉおぼえとけ!」」
 大男、ポスターの貼りめぐらされた薄い壁にディズニー的な人型の穴を開けて隣の部屋へと移動する。隣の部屋に一人留守番していた小さな男の子、突然の闖入者に驚きその進路上に硬直して動けないでいる。大男、気にとめたふうもなく進み小さな男の子の頭の上からゆっくりと足をふりおろす。数分後、室内には少量の血にまみれた肉塊から四本の手足が垂直に突出した奇怪なオブジェがただ残される。

 照りつける真夏の陽光。興奮極まり手にしたビールを高々と頭上に振り上げ観客席に足を打ちならす人々。怒号がうねりとなってスタジアムの中央に底流する。グランドには、精神の尋常さを疑わせる絶えることのない笑顔で、異様に等身の高い選手たちが立っている。試合中であるというのに頻繁に体力を消費する目的であるとしか思えない大声で『…バサくん!』『ミ…キくん!』などと呼ばわりあっている。その日本的ホモセクシャリティの表出を見ながらぎりぎりと歯がみをして短く刈り込んだ金髪頭の青年が仲間に向かって大声を張り上げる。
 「いいか! 名門ハンブルグ・ファランクスが日本などというサッカー後進国の一チームに敗北するわけにはいかないんだ! わかって…アアッ!?」
 突然まきおこる一陣の風。太陽を背景にあらわれた現れた人影がまたたくまにボールをうばうと信じられないような速度で日本のゴールへ突進する。『12人目だ! 反則だ!』『かまいはしないさ! 誰であろうとグランドに立つ者は俺たちのライバルだ!』『よく言った、…バサ!』『おおっと、審判もこの反則を流しています! 試合の流れを重視するためのまさに名ジャッジでと言えましょう!』などという勢いにまかせた不合理なやりとりが現実時間を無視した劇中時間で瞬間的になされる。『顔面ブロックだ!』ラグビーでもないのに下半身に上半身で当たるマゾヒスティックなブロックをいがぐり頭の少年が試みるも、かれは永遠にブロックするための顔面を喪失することになる。赤く染まる芝生。眼前にくりひろげられる非日常に熱狂をましてゆく観客。打ちならされる足の音はもはや地鳴りである。口角泡とばし連呼される言葉は、『殺せ! 殺せ!』。『ワシが相手タイ!』キャラクター書き分けのために与えられたもはやどこの方言なのかわからない言葉を発話しながら巨漢がたちふさがる。大男のボールを保持してないほうの足がゆっくりとあがり前向きに突き出される。巨漢の腹に漫画的な五本の指がすべて数えられる向こうまで見通せる足形がぽっかりと空く。しばしの空白の後、その穴に臓物と血液が殺到し勢いよく噴出をはじめる。はじめて根拠のない自信に満ちた笑顔を失い泣きじゃくりながら流れ出る自らの臓物をかきあつめて元へ戻そうとする巨漢の背中をさらにふみつけにし、ゴールへの行進を再開する大男。もはやボールをうばう気概もなく泣きながら観客席へと逃げ込もうとする主人公格のふたり。熱狂した観客はしかしそれをゆるさない。ビール瓶で殴打され、小便をかけられ、二人はグランドへと押し戻される。キーパーが気丈にもゴールのまえから離れずにいるのはただ腰を抜かしているだけだ。キーパーの前に生まれる黒い影。見上げるその先には果たして例の大男が立っている。鼻水とよだれを垂らした白痴的な恩情哀願の笑顔はもはやそれまでの笑顔とは性質を異にしている。大男の振り上げた足がキーパーの顔面をとらえ、振りぬく。眼球や上顎の骨などキーパーの顔面だった破片がゴールネットにこびりつく。主人公格の二人、泣きに泣きながら互いに互いを大男のほうへと押しやり少しでも長く自分が助かろうとする。大男、悠然と近づき暴れまわる二人の後頭部にてのひらをあてがうと観客席直下の壁面へと押しつける。短い、風船のはぜるような音。
 そして壁面に残された無意識のアート。大男、くりぬいた海水パンツから露出したいちもつを風にあわせてぶぅらぶら、少女漫画的な星の輝く瞳から涙をとめどなく流しながら無表情で、
 「HPちゅうたらおまえ、”へんたいペニスマン(Hentai Penisman)”のりゃくやないか! よぉおぼえとけ!」
 大男、観客席によじのぼると熱狂しとびかかってくる観客たちを片ッ端から撲殺しながら歩み去る。グランドに残されたハンブルグ・ファランクスの面々。死屍累々たるスタジアムにチームの中の一人が発作的に笑いはじめる。伝播する狂気の波動。夕闇に浮かび上がるいくつかのシルエットと耳を聾せんばかりにふくれあがっていく奇声。

デ・ジ・ギャランドゥちゃん(1)

 デ・ジ・ギャランドゥちゃんは23歳辰年生まれ、巨大企業のエゴに日夜翻弄される関西在住のしがないサラリーマン。インターネットでうっかり自己実現してしまうようなそこつ者。でもね、愛の本当の意味はまだ知らないの。
 「どうして私のみぞおちから腹部を経過して下着の中へと消えていくどこの何とも指摘できぬ名状しがたい一連の体毛は、そこに軟着陸したハエの脚をからめとり二度と再び離陸させないほど絶望的に密集しているのでしょう。永遠のロリータキャラクターを売りにしている私は毎月数十回の剃毛を試みますが、そのたびにますますこの体毛群は繁茂し、複雑に密集していくような気がします。そろそろ永久脱毛を考えてみるべきなのでしょうか」
 「ねえ、デ・ジ・ギャランドゥちゃん」
 「誰かと思えば猫科の小動物を思わせるその可愛らしい名前とは裏腹の青黒い血管が縦横に走ったその表皮が婦女子を本能的な恐怖から致命的に遠ざける私の実存内の下位人格、最も下劣な部分の忠実な投影であるところの、タマではないですか」
 「名字はキンです。ところで、辞令を持ってきましたよ。本日付けで日本橋支店への異動が決まりました。一両日中にすべての身辺処理を完了し、現地での業務につくようにとのことです」
 「ええっ。こまったにゃぁ。猫語尾です。日本橋と言えば関西おたく族のメッカではないですか。そんな業界の思惑が無尽に交錯する激戦区に私のような愛らしいクリーチャーが突如出現するなんて、毎朝の出勤だけで数十回はいいように視姦されそうです」
 「まぁまぁ、そう言わないで。第一あなたはそういったおたく族向けのホームページを運営し、かれらの心の機微はまるであなたがかれら自身ででもあるかのように理解しているはずではないですか。上層部もきっとあなたのそういう資質を高く評価したのだと思いますよ」
 「待ってください。しかしそれは大きな誤解というものです。なぜなら私は自分の中の、世間に言わせると”おたく的な”としか形容できない心の動きの部分を言語によって正当化するためにあのホームページを制作したのです。それが偶然ネット上を夜な夜な徘徊する現実に居場所のないおたく諸君に一方通行的なほとんど誤解とすれすれの共感を得ただけであって、私の本来意図したものとはまったく違うと言わねばなりません。あれはまったく個人的なお遊びに過ぎないんです」
 「本質は問題ではないのですよ。深いところにある本質がどうであれ、表層に現象として浮かびあがってきたものがこの世の真実となるのです。デ・ジ・ギャランドゥちゃん、あなたはまだそういった現世のカラクリを良くは理解していないようだ。たとえあなたがどんな最悪の妄想を抱いた潜在的犯罪者であろうと、あなたが現実において大きく成功しないまでも日々正しく労働し、組織にとってニュートラルからプラスの位置に居、抱く妄想を顕在化させようと思わぬ限り、あなたはいつまでも新たな企業的負荷を与えられ続けるのですよ」
 「わかりました、わかりました。波打った部位によって幅の違う毛を表面に無作為にトッピングした脈打つ青筋をそれ以上わたしに近づけないで下さい。目に入るだけで妊娠しそうです」
 「すいません、興奮するとつい無意識的に様々の部位が隆起してしまうのです」
 「要するに、自身の異常さに自覚的な人間が社会人であり、自身の異常さに無自覚な人間がおたく族ということなのでしょうか」
 「うぅん、微妙にぼくの意味するところとは異なっているような気もしますが、ある点においてはそれは真であると言えるかも知れません」
 「わかりました。しかし加えてかれらおたく族はわたしのような可愛らしい婦女子から、その黙示録的な容貌が主な原因なのでしょうが、決定的に隔離されています。そこに根を持つ鬱積した異性への劣情をアニメやコンピュータゲームを代表とする平面に記述された婦女子の記号へと転移しているわけなのですが、空気穴の空いたプラスチック製のボックスをかぶせた極上の料理の眼前へ両手を縛られて座らされるようなそのもどかしさの中で、青竹が積雪の重圧をついにはねかえして元へと復元するように、まっとうな人間へと立ち返るかえるために自分の持つ欲望を犯罪的な方法で一気に放出してしまおうと試みたりしないのでしょうか。だとすれば、わたしはとても恐ろしくておたく族の中を歩くことなどできないです」
 「デ・ジ・ギャランドゥちゃん、あなたの間違いはおたく族の大きなお友だちのことを青竹というメタファーで捉えたところにあると思います。おたく族とは、人間の持つ生来の復元力を徹底的に封印ないし破砕されてしまった人間の群れのことを指すのです。あなたはそこで逆に安心できる。それは保障していい」
 「けれど、なぜおたく族は人間の持つ素晴らしい魂の復元力を喪失してしまっているのでしょうか。かれらの容貌のあまりの醜さがかれらを絶望させるのでしょうか。そうして、自らの絶望に気がつかないようにいっそう絶望を深めてしまうのでしょうか」
 「その考えは案外本質をついているのかも知れません。今までぼくたちがおたく族のことを語るとき、たとえば個人の生育史であるだとか、あまりに精神的な面にばかり目を向けすぎてしまっていた。しかし近年アトピーなどを代表とする心身症の問題が議論を提出したように、ぼくたちの心と体は簡単に分離して考えてしまえるものではないのかも知れない。おたく族になる要因として社会的に忌避される醜い容貌を条件として考えてみるのも面白い発想の転換ではないかと思う。もっとも、卵が先か鶏が先か、どちらかに偏向して断定してしまうのは慎重に避けなければならないけれど」
 「わかりました。わたし、日本橋支店に行きます」
 「わかってくれたようだね、デ・ジ・ギャランドゥちゃん」
 「ええ。日本橋支店ではみぞおちから腹部を経過して下着の中へと消えていくどこの何とも指摘できぬ名状しがたい一連の体毛を完璧に処理し、おたく族を狂喜させるような夏向けのへそ出しルックで出勤することにします。それが、この世にありながらこの世のどこにもいない、生まれてくることのできなかった亡霊たちへの唯一の供養だと思うから」
 「うん、それはとてもいい考えだと思うよ。親御さんもきっと今回のことを喜ばれる。おたく族の住処はある意味妙齢の娘さんにとってどこよりも安全な場所だからね」

媾合陛下

 こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 「媾合陛下ご懐妊の報を受けてセッティングされた今日の記者会見、いったいどうなるんだろう」
 「あの媾合陛下のことだ、何事もなく会見が終わるとは思えないな」
 「みなさま、たいへん長らくお待たせしました。媾合陛下がお着きになりました」
 「申し訳ありません。行きつけの産婦人科で膣内と子宮口の触診を行っていたのですが、薄紫色に靄のかかった陰部の穴を医者が探り当ててじょうごを差し込むのにずいぶんと時間がかかりまして」
 「さすがは媾合陛下、やんごとなき理由ですな」
 「それでは順に質問をお受けしたいと思います。なにぶんこのようなお身体ですし、万一のことがないとも限りません。みなさまがいつも相手にされるような、母親のへその緒で自慰を覚えてよちよち歩きをする前におしゃぶりを下の口でくわえこんで処女膜を裂いたようなあばずれ女優たちへするのと同じようにはなさらず、各人が理性を持った一個の責任ある人格として品位あるご質問をどうか願います。なお、途中で媾合陛下のご気分がすぐれなくなったりした場合、質問の途中であっても会見を中断することがありますのでご了承下さい。では、逢坂スポーツさんから」
 「まずはご懐妊、おめでとうございます」
 「どうもありがとう」
 「さて、今回の媾合陛下の妊娠は自然妊娠であったと報道されましたが、自然妊娠とはいったいどういう意味でしょうか」
 「いかがいたしますか、媾合陛下」
 「お答えします。つまり体外受精などの人工的な手段を取らず、卵子が排出される週に男性器を女性器内部へ招聘し膣内深部に精子を放出させる作業を数ヶ月にわたって定期的に執り行った結果妊娠に至ったということです。蛇足ながら付け加えるなら、ゴム製の精子受けなどは一切使用しませんでした」
 「媾合陛下は現在の夫と29歳で結婚なさってから数年の間、周囲の無言の期待にもかかわらず、ずっと妊娠なさらないままでした。このことについては様々の口さがない噂や怪情報が飛び交いましたが、真相のほどはいかがなのでしょう」
 「いかがいたしますか、媾合陛下」
 「お答えします。数年の間私が妊娠しなかったのは、私の側というよりもむしろ夫の側に責任の所在があったということをこの会見の席で公にしておきたいと思います。最初に断っておきますが、それは主婦の方々の井戸端会議で邪推するような夫の精が薄かった、つまり彼が精薄だったということでは残念ながらありません。私には現在の夫と結婚する以前、様々の週刊誌に書き立てられたように、定期的に性交を行う程度に親密なつきあいのある男性がいました。その男性とは大学在学中からになりますから、そうですね、十年ほど交際が続いておりましたでしょうか」
 「では現在の夫の妻となるはるか以前に媾合陛下は清い乙女ではなくなっていたということですか」
 「いかがいたしますか、媾合陛下」
 「お答えします。私の子宮口と外界を隔てる文化的な意味を付加されることの頻繁な不可逆の薄膜を屹立した男性器でもって内部方向へ引き裂いたのは確かにその男性です。男性と女性の交錯するときに生まれる快楽を教えてくれたのもまたその男性です。私はこのような過去の経歴から性に対する少なからぬ経験を持っていたのですが、夫は私と出会うまで女性と経験をまったく持っていませんでした。訂正しましょう。少なくとも現実の女性とは交渉を持っていませんでした」
 「それはいったいどういう意味でしょう、媾合陛下」
 「いかがしますか、媾合陛下」
 「お答えします。話が前後するとみなさまの混乱を招くと思います。順を追って話しましょう。私の意味するところもその過程で自然と理解されるかと思います。現在の夫と結婚してからの数年は、絶望的な苦闘の年月だったと表現することができるでしょう。はじめ夫はことに際して男性器をまともに屹立させることすらできなかったのです。それは屈辱的な事実でした。私の戦いは、まずその事実を受け止めることからはじまったのです。他の誰でもない自らの夫が、妻たる私の肉体を見ても欲情できないという冷酷な事実を受け止めることから」
 「しかしこのたびご懐妊に至ったのは、最終的に成功に性交したということの証左ではないかと思うのですが、どうでしょう」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。その通りです。私はまず手や口で夫の男性器に刺激を与えることから始めました」
 「待って下さい。それは尺八と解釈してよろしいのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。そのように考えられてよろしいと思います。以前の男性との関係から女性器以外の部位を使って男性に男性性を達成させる技術を文字通り身をもって修得しておりましたので、屹立しない男性器にその技術を流用するのは当然の流れでした。しかし以前の男性を大いに悦ばせたこれらのやり方も、現在の夫の男性器にはほとんど効果を持たず、挿入が可能なほど硬化させるには及びませんでした」
 「その段階で夫が不能者であるとは考えなかったのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。当然その可能性は真っ先に考慮しました。ですが夫は私との性交に失敗すると決まって漫画かアニメーションでもって手淫を行っていました。妻たる私の目の前でそれはもう本当に気持ち良さそうに口の端からよだれを垂らして手淫を行っていました。妻にとってこれほどの屈辱があるでしょうか。嫉妬の対象が現実に存在すらしないのです。ただの現実の肉である私がどうしてそれに対抗できましょうか。夫が手淫によって放出したものを指の腹にすくいとって膣壁に塗りつけたりもしてみましたが、結局私の身体には何の変化も起こらないままでした」
 「要約すると、あなたの現在の夫は平面的な媒体に描かれた女性にしか興奮できない特異な体質の持ち主であるというわけですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。現実にも性の対象はあったようですが、それはごくごく限られていました。現実のものとは思えないほど整った造作をした少女の裸体などがその例外に当たります。女性の女性性を切り売りする女性の助成で成立する商業ビデオを使っているのを見たこともあります。モニターを通じて二次元に変換するという行程が必要だったのかも知れません。そんなわけで私は妻として、女性としての満足を与えられないまま最初の二年間を過ごしました。水でもどる干し椎茸のような夫の代物を口に含んで湿しては吐き出し、吐き出しては含む虚しい作業を毎夜繰り返しながらです」
 「媾合陛下、もうその辺で」
 「続けます。決定的な転機が訪れたのはそう、一年ほど前のある晩のことでした。いつものように性交に成功しないまま夫が手淫を始めるのを私は麻痺した心でぼんやりと眺めていました。瞬間、私の中に天啓のような閃きが訪れました。考えるよりも先に私は動いていました。成人向けの漫画に鼻を埋めるようにして手淫に没頭する夫の生殖器を夫自身の手から奪うように口に含んだのです。するとみるみるうちに夫の生殖器は膨れ上がり硬度を増してゆきました。もっとも、その大きさについては私とおつきあいのあった以前の男性のものと比べるとエノキと松茸くらいの差があったのですが、それは関係ありませんのでおくとしましょう。夫は私へは一瞥もくれず、ただただ成人向けのしかし成人が一人も描かれていない漫画だけを食い入るように見つめながら、私の口腔内で果てました。これが夫が私との交わりにおいてした初めての射精でした」
 「媾合陛下、もうその辺で」
 「続けます。口腔内での射精を膣内での射精に置き換えるのはあっけないほど簡単でした。言ってみれば夫は私の生殖器を使って自慰をしているようなものです。最近は目にかけるバイザー状のモニターで成人向けのアニメーションを見ながら私の生殖器を使って自慰するのがお気に入りのようです。こうして、私たちの間の夫婦の問題は穏便な解決をみたのです。もっとも夫が雨に濡れた子犬のようにわずかに痙攣しただけで毎回果ててしまうので、夫が眠った後に私は自分で自分を慰めなければならなくなってしまったのですけれど」
 「媾合陛下、もうその辺で」
 「続けます。聞けば夫の家系にはこんなふうに現実の人間に興味を持てない人物が実際たくさんいたそうです。牛馬としか交わりたがらずに座敷牢に閉じこめられた女の話だってあるくらいです。現に夫の妹は商業ベースでない冊子に二次元の男性の肛門性愛を主なテーマとした作品を描き続けています。現実と隔離されたところで珍獣のように生かされている彼らにはそれも無理もないかも知れません。その性質が現代に固有の病巣と結びついたというだけの話だと私は思っています」
 「ときに媾合陛下はどのような母親になりたいと思われますか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。現代は母性の喪失した時代であると言うことができるでしょう。私は赤ン坊が腹を下したその始末を毛先ほどの躊躇もなく口と舌でするような、人間が集団を維持するために作り上げた方便であるところの矮小な知恵による社会規範に浸食されない獣の母性を持ちたいと思っています。同時に、カマキリの雌が交尾の最中に雄を頭から喰ってしまうような、親猫が生まれたばかりの目も開かない子猫たちのうちの特別に生きていくに不向きな虚弱なものを歯牙に捕らえて喰ってしまうような、そういった野生と人間の感覚を超越した不合理さを私の中に共存させなければならないと考えています。これが私の母親としての在り方です」
 「ときに媾合陛下は妊娠何ヶ月であられるのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。六ヶ月になります。もう少し早くお知らせするつもりだったのですけれど、母子にとって大切な時期を不特定の大衆という雑音にわずらわされたくなかったのです」
 「その割には媾合陛下の腹部に膨らみを感じないな。どういうことだろう」
 「媾合陛下、その口の端から垂れ下がっている血の付着したヒモ状のものはいったい何なのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。これは昼間食べたうどんです。ただのうどんの切れ端に過ぎません。それ以外の何物でも、げぇぇッぷ」
 「媾合陛下のおみ足つたいに流れて床に水たまりを作っているその液体はいったい何なのですか」
 「いかがしましょうか、媾合陛下」
 「ああ、気分がすぐれません。どうやらお昼を食べ過ぎたみたいです。ちょっと横になりたい気分がします」
 「みなさま、ご気分がよろしくないようなのではじめに断りましたように、媾合陛下がご退場なされます。今日の会見についての記事は掲載の前段階に一度こちらの委員会を通して頂きます。どうか各社ご理解のほどを願います」
 「ああ、気分がすぐれません。どうやら調子にのってお昼を食べ過ぎたみたいです。なぜって思いもかけず三つ子、げぇぇッぷ」

デ・ジ・ギャランドゥちゃん(2)

 デ・ジ・ギャランドゥちゃんは24歳辰年生まれ、巨大企業のエゴに日夜翻弄される関西在住のしがないサラリーマン。インターネットでうっかり自己実現してしまうようなそこつ者。でもね、愛の本当の意味はまだ知らないの。
 「日本橋支店に移ってきて、はや半年。おたくたちの生態には慣れたつもりだったんだけどにゃあ。心なしか力弱い猫語尾です」
 「どうしたの、デ・ジ・ギャランドゥちゃん。あなたはとても疲れているように見えます」
 「ウガンダ先輩。何でもないんです」
 「部下の心のメンテナンスも私の仕事のうちです。遠慮せずに、何があったか話してみてください」
 「はい、ありがとうございます。さっきのことなんですけど、お客様の一人が私のところにやってきて、何かを棒読みするような感情の無い調子で、『アンタのホームページ見たけど、全然おもしろくないよ』と異常な早口で吐き捨てるように言って、そのまま立ち去られたんです。本当に唐突で、それにあっという間のことで、私、もうなんだか怒るというよりもびっくりしてしまったんです」
 「うん。それは災難でしたね。でも、ここではよくあることです」
 「それに、すごく近づいてきたんです。思わずこっちが上半身をのけぞらせるくらいにです。吐いた息のにおいでお客様が今日何を食べたかわかるくらいにまで近づいてきました。早口でと言いましたけれど、本当はそんな生やさしい感じではありませんでした。同じ人間の発する言葉のはずなのに恐ろしく機械的な、人間が発話するときに必ず含まれる感情的な意味を欠如したまま出される音の連なりで、私はほとんど圧倒されてしまいました。それはもう、なんと言えばいいのでしょうか、言葉ではなくてただのノイズでした。何かの外国語を習いたての人がしゃべる言葉を、その言葉を母国語とする人が聞いたときの明らかな違和感とでもいうのでしょうか。おたく様、いえ、お客様の奇行にはもう慣れているつもりだったんですが、正直参りました。魂が疲弊した感じです。もっと表層的なことで言わせてもらうなら、初対面の人間にあそこまで不躾なことが普通言えるものでしょうか」
 「私たちがかれらを拒絶できるのは、かれらが法律に抵触する行為を行ったときと、かれらが金を払わなかったときだけです。それ以外の瞬間は、何があろうとかれらを受け入れなければなりません。それが私たちの鉄則ですよ、デ・ジ・ギャランドゥちゃん」
 「はい。今日の件は私が個人的に受けた衝撃として今後の参考とするにしても、かれらのその驚くような人と人との距離感を読みとる能力の欠如に加えて、私に深甚な疑問と懊悩を投げかける問題が実はまだあるのです。聞いてくださいますか」
 「もちろんです。それはいったい何なのですか」
 「それは、この店舗に配属されてからというもの、自分の取り扱っている商品に対する責任と市場の傾向の確認から、俗に表現されるところの『美少女ゲーム』をプレイする機会が頻繁になったのですが、どうしてかれらのするこれらのゲームは、女性の持つ処女性にあそこまで重大な意味を与え、固執するのかということなんです」
 「この業界に入ってすでに幾年も過ごしてきてしまった人間にとって、たいへん新鮮に感じられる素朴な質問ですね。閉じてしまった小さな集団の中に生まれた戒律というものは、それがどんなにより大きな集団の規範に照らしておかしなものであったとしても、皆がそこに慣らされてしまっているので、批判の対象にはならないものなのです。あなたの疑問はもっともですが、それは価値観の相違という理解で許容することはできないでしょうか。例えばイワシの頭を神様として毎日拝む老婆がいたとして、誰が彼女をそれだけの理由で自分たちの社会集団から排除しようとするでしょうか」
 「それは詭弁ではないかという気がします。文化の比較と、人間の生来の比較は同じ次元において行われてよいものなのでしょうか。あの、生意気を言ってすいません」
 「どうか気にしないでください。私はあなたとは対等の話し合いをしたいと思っているのですから。それで、あなたはどう考えるというのですか」
 「私の素人判断に過ぎませんが、もってまわった表現になって申し訳ありませんけれど、かれらはかれら自身の有するところの不滅のヴァージニティを、女性の持つそれに逆照射しているのではないでしょうか」
 「つまり、美少女ゲームに登場する女性の処女性は、各キャラが持つそれを、単調になりがちな性交の描写に起伏を与えるための小道具として単純に直截に表現しているのではなくて、美少女ゲームをプレイしているかれらの永久不滅の童貞を暗喩しているのだと、こう思うわけなんですね。なるほど、案外本質を突いているかもしれません」
 「しかし、これが真実であるとすれば、かれらはかれら自身のヴァージニティを旧時代的な女性の持つ受動性のうちに、一刻も早く陵辱されたいと願い続ける一方で、ほとんど現代のものとは思えないような男根主義的側面をも同時に持っているということになります」
 「話が見えなくなりました。なぜ、そう思うのですか」
 「これも私がここ数ヶ月に美少女ゲームを集中的にプレイしていて感じたことなのですが、美少女ゲームに通底するテーマといいますか、思想といいますか、願望といいますか、うぅん、そう、ある意識を発見したのです。それは、その、何と言いいますか」
 「歯切れが悪いですね。言いにくいことなんですか」
 「ええ、とても言いにくいことです。私の羞恥心で先輩のお時間をわずらわせてもいけませんから、端的に表現しますと、『一回チンポ入ればオレのもの』という意識なんです。ああ、言ってしまった。ここに至って、私はもはやこれらのゲーム群が何らかの現代的な意識でもって真摯に作られているとは思えなくなってしまいました。あまりにもなんというか、前時代的であり、もっと言うなら、蛮族的ではないですか」
 「しかしそれは現代の様々の倫理が薄めてきた男性性の本質であるとも言えますよ。現実の女性には目もくれず美少女ゲームに耽溺する青年たちの態度は、フェミニズムを代表とする現代の倫理観によって去勢されてしまったかれらの、女性存在に対する反乱であるとも読みとれるかもしれません」
 「反乱、ですか。しかし、反乱とはもっと劇的な変革のエネルギーを伴うものなのではないでしょうか。過去、ここまで消極的で、怠惰で、思想を持たず、社会の豊かさへ甘えに甘えきった反乱がいったいあったでしょうか」
 「あなたの憤りはもっともです。しかし私の意見は時代全体の風潮を少々乱暴に、包括的に言い表したに過ぎないものです。かれらのそれぞれが別個に持つ個人史の問題などをからめると、事態はもう少し個別性を持ってくると思います。何かを個別ではなく、俯瞰的に神の視点で理解しようとしたとき、憎悪は発生します。気をつけてください」
 「すいません、私が安易でした。怒りを表出することで、これを自分には直接関係の無い事象であると、一時的な問題として片づけてしまおうとしていました」
 「うん。ある事象を自分の問題にできないとき、人は怒るのでしょうね」
 「しかし、かれらの持つ男性性の圧殺と満たされない被愛欲求との混郁とが、今日の美少女ゲーム市場の隆盛を作り上げているのだとしたら、これを仕掛けた人物、あるいは企業は何という冷酷な残忍さを持っているのでしょうか」
 「デ・ジ・ギャランドゥちゃん、気をつけて下さい。あなたはまた無意識のうちに安易な場所へと結論を落とし込もうとしています。仕掛け人なんて、どこにもいないのです」
 「いないとはいったいどういうことですか、先輩。すべての結果には原因が存在するはずです」
 「わかりますか。ゲームの制作者は確かにいます。ですが、仕掛け人というのはいないのですよ。ゲームを制作する人々も、かれらの持つ病を同じく持っていたという意味で、元はかれらの一人に過ぎなかったのです。だからこそかれらの病、あるいは傷に感応することができ、それにぴったりと当てはまる作品を作り出すことができたのです。ですが、それは決してかれらを利用し、仕掛けようと思ってしたことではありません。かれらの病は『時代』という名前が上書きされた不治の病ですから、最初は小さなものだった市場を延々と底なしに拡大させる要因となり得たのです」
 「それでは、いったい誰が責任を負うというのですか」
 「現代という時代は――これは現実、抽象、形のあるなしにかかわらずあまねくすべての存在を含めての意味で言うのですが――『世界』に対して人間が最も影響力を持っている時代だと言うことができます。現実――例えば、原子力――と架空――例えばインターネット――の双方にわたって世界を丸ごと変革、あるいは崩壊させてしまう影響力をいまや人は持っている。そして、そのそれぞれに破滅的なパワーを内包している現象が単独で、あるいは相互に反応したときにいったい何が発生するかを言い当てることのできる人間はもはや誰一人としていないのです。それぞれの分野に専門家はいるにしても、肥大しすぎた人類のパワーを統括的に理解し、制御することのできる個人なり集団は、もうとっくの昔に存在できなくなってしまっているのです。だから、あなたの疑問にはこう答えるしかありません。”誰も責任を負うことはできない”」
 「私が思うに、美少女ゲームという現象とインターネットという現象の婚姻は極めて破滅的ではないでしょうか。それは潜伏期の致死的な病のように、私たちを内側から突き殺そうと牙を研いでいるのではないかと思えてなりません。先輩、私たちはいったいどうしたらいいのでしょう。何ができるのでしょう」
 「デ・ジ・ギャランドゥちゃん、私たちはどこで働いていますか。私たちの仕事は何ですか」
 「私は、(有)プルガサリ日本橋支店2F美少女ゲーム売場の一販売店員です。それ以上でも、それ以下でもありません」
 「私たちの誰もが世界を崩壊させる現象と関わりながら、私たちの誰もそれを御することができない。だったら、私たちは自分のことをやるべきです。デ・ジ・ギャランドゥちゃん、あなたは美少女ゲームを売りなさい。他の店舗よりも多くの美少女ゲームを売り、日本橋支店の業績を伸ばすことにだけに腐心なさい。そこに何の意味づけをするかは、あなた次第ですけれど」
 「わかりました、先輩。明日から私は美少女ゲームを、日本の出生率が全世界でダントツのワースト1になるくらいに、売って売って売りまくってやります。そうして手に入れた莫大な年棒制のサラリーで結婚資金を貯めて、きっとおたくじゃない年下の男を捕まえようと思います」
 「うん。少子化の極端に進んだ近い将来において、あなたの子どもは社会に厚遇されると思います。ご両親もきっと喜ばれることでしょう」

なぜなにnWo電話相談室(2)

 薄暗い室内。パイプ椅子に腰掛ける2つの人影。1人はぎょっとするほど低い身長で猪首、見えるのはほとんどシルエットだけであるのにひどく奇形な印象を与える。2人の前には折り畳み式の長机があり、花の生けられていない花瓶と黒電話が置かれている。部屋の反対側の隅に置かれたハンディカメラ。
 壁際のブラインドが開き、室内が明るくなる。
 「(やくざなやり方で高く結い上げた髪から櫛を引き抜き、ざんばらに振り回して)さァ、今週もこの時間がやってきたよ。ちょいとセットが簡素になっちまったが、まァ、それもこれもnWoがいよいよ本格化して、余計なコケ脅かしや客寄せの必要もなくなってきたってことさ(かけていた三角メガネをはずすと、将棋の駒でするような要領でパチリと机の上へ置く)」
 「(せむし、ねじ曲がった背骨を更に前倒しに曲げながら両手で腹を押さえて)うゥ、ひもじいよゥ。姉御、今夜もまたソーメンですかい」
 「馬鹿野郎ッ(せむしを平手で激しく打ちすえる)、カメラ回ってんだよ! 地上波から追ンだされたくらいで、ナニ情けない声出してんだい!」
 「(今度は両手で頭を押さえながら)うゥ、すまねえ、姉御。おれァ、腹が減って腹が減って」
 「(乱れた髪を手櫛でかきあげながら)この番組が売れりゃあ、肉でも何でも喰わしてやるよ。ちったぁプロ意識を持ちな。(と、机上の黒電話がけたたましく鳴り響き、受話器が漫画的に飛び跳ねる)電話だ。もしもし」
 「(小声で)あ、あの。nWo電話相談室さんでしょうか」
 「オヤ、聞いたことのある声だね」
 「あの、ぼく以前に一度そちらにお電話したことがあって、あの小鳥です、小さな鳥って書いて小鳥。あの、それで早速相談なんですけど、最近ぼく、なんかこう、すごく不安定なんです。部屋にひとりでいるときに、考えがまとまらなくて、あの、ぼんやりしてて、ほんとなんとなく側にあった電話料金の督促の封筒の裏に、先の丸まった鉛筆で、『この世の中にはおおぜいの人間がいる』って書きつけたら、急に大粒の涙がぽろぽろ出てきて止まらなくなって、でも他人に対して共感できるっていうか、そういうのじゃないんです。外に出て電車とか乗ったら、たくさんの人がいるのにほんといらいらして、心の中で『みんな死んじゃえ』とか思ったりするから」
 「(耐えかねたように机の上へ飛び乗って)ここはキチガイ病院じゃねえんだぞ、テメエ!」
 「(疲れた様子で腕組みしたまま動かず)私たちよりカウンセラーの方が君のお役に立てるんじゃないかい」
 「あ、ごめんなさい、最近あんまり人と話してなかったから、つい冗長になって、あの、いつもはこんな感じじゃないんですけど。あの、何を話すんだったかな。えと、前も言ったと思うんですけど、ぼく、ホームページ持ってるんです。最近は以前ほどは人も来なくなって、閑散とした感じなんですけど、あの、掲示板とかあって、メールとかあれから来ないんですけど、掲示板にはときどき誰かが、お世辞なんでしょうけど、はじめましてとか、面白かったですよ、とか書き込んでくれて、それがちょっとした心の助けだったりするんですけど」
 「(急に遮って)もういい、もういい。アタシもこいつも機械にうといから編集とかできないんだよ。ズバリ、君の掲示板を荒らしたのはこいつだ(合図とともにせむしが隣の部屋とのしきりを外す)」
 「(口に噛まされた猿ぐつわを解かれながら)…ッざけんな、ふざけんなよ、こんなことしてただで済むと思ってんのかよ! (せむし、無言で男の胸に取り出したナイフを突き立てる)ぎゃあッ!」
 「(気のない表情で)30分のコンテンツって決められててね。まァ、前戯の無いポルノビデオみたいなもんさね」
 「(嬉々として)あ、待って。ビデオ撮らなくちゃ、ビデオ。この日のためにDVDレコーダー買ったんだよ。アナクロでネット依存症の劣った生命が終わる瞬間を永久に劣らないデジタルの映像で保存できるように……あれ、逆巻さん、どのチャンネルでやってるんですか、あれ」
 「イヒヒ、肋骨と肋骨の間を擦過音を立てながら鉄の刃が滑り込んでいく感触。おっと、動くなよ。(男に口づけするかのように顔を近づけて)わかるかァ、いまどの臓器も傷つけないままナイフの刃がおまえの身体に収まってんだ。心臓の太い動脈の横に鉄の冷たさを感じるだろう。(せむし、ナイフを引き抜き、今度は男の腹部に突き立てる)ヒヒ、ビビッたろ? 今度は膵臓と肝臓の隙間にナイフ通してやったぜ? (涎を垂らしながら)イヒヒ、たまらねえ、命を冒涜するこの感覚、たまらねえぜ……いくら流行にしたって、連中の痩せた精神にゃこの贅沢はわからねえだろうぜ。価値を知ってるからこそ、それを傷つけることでたまらなくオッ立つんじゃねえか!」
 「ああ、もう、どうなってるの。逆巻さん、逆巻さんたら。(急に激しくテーブルを両拳で殴りつけて)無視するなよ、ぼくを無視するなよォ!」
 「(腹のナイフを気遣って細く呼吸しながら、弱く)やめろ、やめろよ、こんなことして、いったい、タダですむと思って、(せむし、身体の比率から考えても異様な大きさの分厚い手のひらで男の頬をしたたかに打ち付ける。男の口から血の飛沫とともに吹き出した奥歯の破片が、窓ガラスに高い音を立ててはねかえる)」
 「(異様なかぎろいを含んだ目で)虚構につかりすぎて、おまえら人が人を現実に壊せるって実感を失っちまってるんだ。仮の言葉、似非の暴力、馬鹿め、人間が発するもので架空のものなんざひとつもねェ! おれァ、学はねえがどのくらいの強さで殴ればオマエの頬骨と顎がグシャグシャに砕けてメシが食えなくなるかは身体で知ってんだよォ! メシ喰って自分が生きてるなんて意識したこともねえんだろが、なんか言ってみろよ、オラァ! 腹減って気が立ってんだよ!(せむし、男の襟首をつかんでゆさぶるが、男の口からは顎の骨が砕けたらしい証明の大量の鮮血が吹き出すだけである)」
 「(先ほどまでとはうってかわった明るい調子で)さて、ここで視聴者の皆様にクイズです。みなさまがご覧になっている、腹にナイフをつきたてられ、顔が変形するまで殴られているこの男、果たして今から24時間後に生きているでしょうか? うぅん、難しい問題ですね。このせむし、ガウル伊藤とはもう十年来のつきあいになるんですが、かれの気性の激しさといったら、スゴイんです! 先日も北海道で気がつかずにクマの死体を丸三日殴り続けていたほどですから! あら、ヒントを出しすぎちゃったかナ? 24時間後に男が生きていると思ったアナタは今画面に出ている電話番号の末尾にある×の部分で”1”を、死んでいると思ったアナタは”2”をダイアルしてください。(惨劇を背後に、目の前の宙空を右から左へと指でなぞりながら)電話番号は画面に出ているこちらですよ~、画面に、出て、い、る? (ビデオカメラのモニターを横目で確認する。間。熱狂の冷めた突然の異様な静かさで)なんで、テロップが出てないんだい」
 「(他に誰もいない部屋で気狂いの目でテレビを揺さぶりながら)どうなってんだよ、このボロテレビがァ! 見せろよォ、俺にあのペニスを上の口から出す残虐生け花を見せろよォォォォ!(口の端から気狂いの記号の泡を吹き出す)」
 「(気狂いの目でビデオカメラを揺さぶりながら)どうなってんだよ、このクソビデオカメラめ! あたしゃ、天下のハリケーン逆巻だよ! そのアタシに、恥、恥をかかせる気かい! 馬鹿に、機械までアタシを馬鹿にしやがって! あたしゃ、逆巻だよ、天下のハリケーン逆巻なんだよォォォォ!(口の端から気狂いの記号の泡を吹き出す)」
 「(血糊で汚れた全身に気づいたふうもなく)一寸刻み、五分刻み。キヒヒ。そォれ、いよいよ、おまえをおまえの大好きなデジタルとははるかに遠い単位に分断してやるぜ!(腹からナイフを引き抜き、大きく振り上げる)」
 「(バラバラに分解されたテレビの傍らに座り込んで)裏切られた思い出、反故にされた約束、この世は無だ。ハ・ハ・ハ、こんな瞬間にさえ虚構から言葉を借りないとしゃべれない自分を知っている。ハハ、アハハ、おかしいね。(無表情で滂沱と涙を流しながら)みんな、死んでしまえ」

背番号の無いエース

 少年野球団の子どもたちがトンボひとつ残して家路につき、人気の無くなった河川敷のグラウンドというものは、いつだってもの悲しい。だが、夕暮れの中、手折ったチューリップの茎をはみ、重なった花弁の重みでそれが真下へ垂れ下がるままに土手へ座り込んでいるそのシルエットは、間違いなく、ネロだった。
 11月の秋風が、ネロの焼きすぎた秋刀魚のような腋の臭いをわたしの鼻腔へ運ぶ。ネロの背中に、夕日が射す。
 「ネロ」
 わたしはそれへ、そっと声をかけた。言葉の意味というよりも、不意に鼓膜を振るわせた音に反応したという感じで、ネロは振り返った。黒とも茶ともつかぬ色のちぢれた髪の毛、薄くなった頭頂、突き出た頬骨、割れた顎、長い睫毛の下には地中海の青をした瞳がわずかに潤んでいた。それはまぎれもなくネロだった。秋も深まり、もう夕方の風は冬の気配を運んでいるというのに、薄手のくたびれた開襟シャツを着たネロの胸の谷間には、黒とも茶ともつかぬ色の胸毛が、どこか昆虫を思わせる様子で、さわさわと妖しくうごめいていた。
 わたしはネロのそばの地面を手で軽く払うと、腰を下ろした。抱えた膝越しに眺めるネロの姿は、その容姿にもかかわらずはかなげで、ひどく寄る辺無く見えた。
 「ネロは、さみしくないの?」
 一日に起こった出来事をネロに話して聞かせるのが、ここ一ヶ月のわたしの常だったが、ネロの悲しげな様子にわたしは初めてネロのことを尋ねてみたくなった。
 たとえネロがわたしの言葉を理解していないにしても。
 ネロがゆっくりとわたしのほうへ顔を向けた。地中海の青をした瞳が、夕焼けの赤にも侵されない青をしたまま、わたしをまっすぐに見つめた。
 「ネロはさみしくないの? オランダ人であることが」
 ネロが口を開いた。驚いたことに、わたしがネロの声を聞く、これが最初だった。
 「どうして君がぼくのことをオランダ人だと考えるのか、ずっと不思議に思ってきたものだった。そして、君はぼくにたくさんの自己投影を繰り返してきたものだった。それはちょうど友だちのいない小さな女の子がぬいぐるみに話しかけるようなものだった。それは君が自分のことを愛するために、ぼくという異邦人を媒介として利用していたにすぎない性質のものだった」
 「まさか…ネロ、あなたまさか」
 わたしはわずかに身をのけぞらせた。
 「個人の意識と自我とを形成する言語において自分とは一切の共通項を持たないだろうという推測によってだけ、君はぼくという本来なら相容れるはずのない異邦人を、限定つきの王様の秘密を打ち明ける穴として、許容することができたというわけだった。けれどそれは、友情や愛情とはほど遠いものだった」
 「ネロ、おお、ネロ」
 意味だけを追い、言語を記号として発話する初歩の外国語学習者のように、しかしそれには到底あわぬ流暢さと確かさを伴った口調でネロは続けた。
 「君の独白――それはいつも独白だったものだった。意味の双方向性が生まれなかった以上、それは独白というべきものだった――は、とても興味深いものだった。いや、君だけではなかったものだった。この夕闇の土手を訪れるたくさんの人間がぼくの横に座り、しばらくの沈黙のあと、決まって重大な告白を始めたものだった。それから、突然笑い出したり、突然怒ったり、突然泣き出したり、突然何度も繰り返し”ありがとう”を言ったりしたものだった。その感情たちはしかし、ぼくとは本当に完全に無縁なものであったものだった。ぼくは君たちがぼくの異形を見てまずちょっとうろたえ、次に君たち自身で作り上げた世界の解釈を決まって押しつけてくるのに、いつもひどく傷ついたものだった」
 ネロは沈んでいく夕陽に正対し、何にも侵されない地中海の青をした目を細めながら、じっとそれを見つめていた。
 「けれど、こんなふうにぼくの意味を世界へ伝えはじめたぼくを、ちょうどいまの君のように、誰もがぎょっとして、初めて出会った他人を眺めるみたいに遠巻きに眺めたものだった」
 ネロは悲しげに目を伏せた。
 「以前、とても好きなポルトガル人の作家がいたものだった。そして、ぼくはかれに会う機会を偶然得たものだった。けれど、会ってからこちらというもの、かれの書いたすべての作品は、ぼくにとって全く意味を変えてしまったものだった。意味の多様性を失い、あの不思議な魔力を失い、ひどく色あせて感じられたものだった。言葉という広義の解釈を可能にする記号が、生きた存在の与える情報によって解釈を極端に狭められてしまったからだと、ぼくは思ったものだった」
 わたしは両手をもみしぼった。わたしの中に今この瞬間に使うべき言葉が何も見つからなかったからだ。
 「その失望はわかりやすく言えば、ネットでそこそこのカウンターをかせぐホームページ制作者がオフ会の告知を掲示板でしたところ、一通の参加希望メールも届かなかったみたいなものなのかもしれなかった。その失望はわかりやすく言えば、ネットでそこそこのカウンターをかせぐホームページ制作者がオフ会の告知を掲示板でしたところ、一通の参加希望メールも届かなかったみたいなものなのかもしれなかった」
 ネロはなぜか、その部分を少し強く二回繰り返した。
 「彫刻が生き生きと動いてはいけない、なぜならそこに封じ込められた無限の動きの可能性を奪ってしまうから、と言った美術評論家がいたものだった。ぼくはここに来てから幾度となく、この言葉を噛みしめる機会を持ったものだった」
 「ダッチ、ダッチ、そこにダッチ!」
 険しい叫び声に振り向くと、土手の向こうから数人の警官が腰から警棒を引き抜きつつやってくるのが見えた。
 「ネロ、あなたはいったい…」
 「キリストの死を侮辱したために不死を得て、永遠の罪業をさまよいつづけることになったオランダ人がいたものだった」
 ネロはのろのろと立ち上がった。
 「だが、どうして君たちがぼくのことをオランダ人だと信じることができるのか、ぼくはずっと不思議に思ってきたものだった」
 そう言うとネロは、これまでの様子からは想像もつかなかったような凶暴な機敏さで、夕陽に背を向けて駆けだしていった。ネロと、それを追いかけていく警官たちを見送りながら、わたしはただ呆然と立ちつくすしかなかった。


 どのくらいそうしていたろう、かれらの後ろ姿が遠くに見えなくなって、ふと気がつくと足下にネロの開襟シャツが落ちていた。走り出す拍子に脱げ落ちたのだろうか。それは汗にまみれ、あちこち破れかけて、手に取ると涙が出た。顔を近づけると、ネロの焼きすぎた秋刀魚のような腋の臭いが、かすかに鼻腔に香った。
 そうしてネロは、わたしの前からいなくなった。
 永遠に。

バーチャルネットアイドル・きじゅ77歳

 「とうの昔にふさがったはずの乳腺にゃ、まだかすかにあの激しい愛撫と欲望の、ひりひりするようなうずきが燃え残ってる。会陰開かぬ5人の出産、ペットボトルはぱくりとひと呑み、もはや熊でも相手にならぬ。ひしゃく片手に二の腕まで肥壺に突っ込みゃ、えいよえいよと底の底までかきまわし、ほいさほいさと底の底までしゃくりあげ、日本人が忘れた篤い包容力を奇声とともにあたりかまわずまきちらす。ウェットティッシュとあぶら取り紙の清潔が奪い去った日本の高潔に、時給700円のバイトと8800円のエロゲーが奪い去った日本の誇りに、ネットワークの狭間に堕胎した雨に打たれる路地裏の未熟児・電子妖怪きじゅ77歳が、いま復讐を果たすべく立ち上がる。『(数珠を握った両手を突き出して)キエエーッ、怨敵退散ッ』


 今朝ね、トイレ行ったら、なんかね、赤黒いものが出てきたの。ウンコじゃないかって? アタシもそれは最初考えたんだけど、出てきたね、穴が違うのよ。そのまま流しちゃうのもなんだかって思って、いままでもいっぱい自宅のトイレで流してきたし、若い頃は全然お金も無かったし、でも今回のはそのどれとも違うのね。台所からさいばしとってきて、つまみあげてみたら、なんか小さな袋状のモノなのよね。顔を近づけて眺めてたら、その中から血のゼリーみたいのが便器に滑り落ちたの。ズルッ、って感じで。そして、水音といっしょに跳ね上がった血の飛沫が、アタシの服にスローモーションみたいにかかるのを見たらね、ああ、アタシもとうとうアガりなんだなって、なぜか思ったの。そしたら、涙が出てきちゃった。おじいさんの葬式以来の涙だったわ。おかしいわよね、だってそうじゃない? もうずいぶんと前から本当の役目なんて果たしてないものなのに、いつも痛くってダルくって、ほんと切り取っちゃいたいッて思ってたぐらいだったのに、いざ無くなると胸にぽっかり大きな穴が空いたみたいになっちゃって、そこになんていうんだろう、日常生活の中では麻痺させておかなくちゃ生きていけない、人生みたいなものがいっぺんに流れこんできて、無性に泣けたの。大切なものって、いつも手遅れになってからじゃないと気がつかないものなのよね。(鼻をかみ、目尻の涙をぬぐって)でもね、変だと思わない、最後のがオリたのにアガったなんて。日本語って可笑しい! ウフフッ。きじゅ、77歳の朝でした。さて、いつものような心ふさぐ暗黒トークはこのくらいにして、ネット上で起こった事件をまとめて紹介するね。一番記憶に新しい大事件と言えば、あれよね、張作霖爆殺事件! ちょうどあの頃私は満州にいたんだけど、まだ4歳か5歳くらいだったんじゃないかな。そりゃもう見事な、爆殺と呼ぶにふさわしい爆殺ぶりだったわ! 小さかったから断片的にしか覚えてないけれど、突然の轟音、つんざく悲鳴、赤に染まる握り飯、クチャと濡れた音を立てて窓ガラスに叩きつけられて潰れる眼球、首の無い赤ン坊を身体の下にかばおうとする母親、泣きながら自分の内蔵を両手でかきあつめる青年……ああ、生命! あの頃は世界のすべてに手触りがあって、生命そのもののようだったわ。いまのアタシの手元にあるのは、キーボードを覆うゴム製カバーの手触りだけ。羅刹の表情をした母に頭を丸められて、首から下げた毒薬の瓶をかちゃかちゃ鳴らしながら、サーチライトが不気味に空を照らす深夜の倉庫街を駆け抜けたあの頃が懐かしい(遠い目をする)。そうそう爆殺と言えば、こないだね、孫といっしょにテレビ見てたのよ。しわぶかい、この世の煩悩のすべてから解き放たれた、世間の期待する”老人”というお仕着せのポーズで、神妙に背中を丸めて、目を細めてね。わかりやすく言うなら、ハタチになったらゾクは引退ってところかな。でね、そしたら孫の大好きな黄色い禽獣の暴れ回る映画のCMで、無数の見分けのつかないクリーチャーが右へ左へ乱舞したあと唐突に、ナントカ”爆誕”ってナレーションが入ったの! もう驚いたのなんのって、わかりやすく言うなら、処女だとだまくらかして玉の輿に乗った名家の庭先で洗濯物を干してたら、昔の男のひとりがすごい形相で風に揺れるシーツの隙間から顔をのぞかせたって感じかしら。アタシ、正座したままの膝で床を打つだけの動作で優に5メートルは空中に飛び上がって、『パパパパ、パクりでおじゃる!』って家中の窓ガラスがはだしのゲンみたくみんな外向きにはじけとぶ大声で思わず絶叫しちゃってた。雅語で。孫は腰抜かして座り小便、嫁は裸エプロンで立ちうんこ、もうそのあとを取り繕うのがたいへんだったわよ。でもやっぱり似てるわよねえ、爆殺と爆誕。雅語っていうのは、”まろは”を主語、”おじゃる”を述語とする平安期の文法体系のことです。あとは、そうね、いまネットでみんなの関心を独占していることといったら、やっぱりカンフーキッドの話題は避けて通れないわよね! 舌ッ足らずな日本語で猿回しの猿みたく歌う、(親指を内に折った四本指を示して)これの息子たちが最高にあわれを誘ったものだったわ。 (立ち上がってだらしなく開いた口の端から涎を流しながら、宙にさまよわせた両手をちゅうぶのように震わせて)あんふーきーわぉにはぉないでーわんふきーわぉにはぉのののーむてきーのーあんふーあんふーうんちゃーくーいーおーいーおー。(何事もなかったように座り直して)アタシね、じつはあれ、孫といっしょに劇場で見てんのよ。もうほとんど内容おぼえてないけど、劇中で(親指を内に折った四本指を示して)これの息子たちのプライベートを撮影した場面がなんでか幕間に入ってて、一番のデブが他の(親指を内に折った四本指を示して)これの息子たちに執拗に苛められてんの。デブも、最初はデブなりの防衛でへらへら笑ってんだけど、ついにはマジギレして、両手をぐるぐる回しながら泣きわめきだすの。デブが。そのときアタシ思った。ああ、人間の心に国境は無いな、(親指を内に折った四本指を示して)これの世界でもやっぱりデブは呼吸音とかすごくムカつくし、みんなが一番深いところに持ってる本能的・動物的な欲求から、人類の営々たる歴史が築いてきた人工的な倫理とか理性とかブッ飛んじゃって、人徳とか人格とか越えたところで、ほとんど反射で迫害してんだろなって。あとはねえ、あまりのつまらなさにミリミリと音を立ててスチール缶にめりこんでいくアタシのしわぶかい指先を見て、孫が小刻みに震えながらひとつも表情を変えないまま、静かに座り小便をもらしたことくらい。あの孫もいまでは…(取りだした煙草に火をつけて窓の外へ視線をそらす)。(煙草を仏壇の線香立てにもみ消しながら)さて、と。とりとめもなくしゃべっちゃったけど、もし気を悪くしたならごめんなさいね。きじゅはなんたってアベと言えばアベべ・ビキラどころか阿部定、サダと言えばリングどころか阿部定の世代なんですもの! ウフフッ。(付近の大学の所属だろう6人の青年たちが土手をランニングしてゆくのを、窓越しに遠目に見つけて)あっ、あれは! そ、そっくりじゃ、死んだじいさんの若い頃にそっくりじゃあ! 待っとくれ、悪いようにはせん、ただの年寄りじゃ、ああッ(窓の桟から転げ落ちる)! た、頼むから哀れな年寄りをおいていかんでおくれ。その、激しく伸張することを前提にたわめられたバネのように、パンツの中へ押し込められた汗に蒸れる六亀頭エンジンを、わしにわしが悲鳴をあげるほど荒々しく見せつけておくれ! おおおッ(寄りかかっていた杖を放り出し、背筋をまっすぐに張ると、五輪選手もかくやというストライドで青年たちの後ろ姿めがけて猛烈に駆けてゆく)」


 (白々しいナレーションの声で)ネットアイドルきじゅは、自らの老人にかこつけて青いペニスを眼前に豹変します。