一月は正月で酒が飲めるぞ。酒が酒が飲めるぞ、酒が飲めるぞ。

降臨

 小鳥さんは言いました。「今日という日付をもって世界は私という存在の持つ妄想とエロティシズムによって虚構化されます」
 どんな夢見る少年もどんな理想を抱いた革命家もみんな最後には現実にたどりつきます。ここから先はありません。ここが世界の最果てです。ピーターパンはラッシュアワーの電車に揺られながら眉をしかめ、『このオッサン口臭たまらんな。うしろの高校生はアホみたく騒ぐし、ガキは泣くし。どいつもこいつもクズばっかりや。少なくともこの車両の中では俺が一番上等な、価値のある人間やな』と、口の端をゆがめながらくたびれたスーツ姿で根拠の無い優越に満たされ、ウェンディは自分の三歳になる息子が泣きわめき、必死で彼女の袖をひっぱるのに気づこうともしないまま手の中のワンカップをすすり、「このままでいいのかしら。わたしはもっとちがう何者かであるべきよ。少なくともこんなのはちがう」と苦悩を眉間に浮かばせて幾度も幾度もつぶやいて、陽が落ちて息子がぐったりと動かなくなり、夜風が身を切る冷たさで周囲を切り裂いても、公園のベンチから一歩も動こうとしません。そうして敗北感に満ちたホモセクシャルで無職の私はと言えば、徹夜明けの便器に腰掛け大便をひりだす朝の作業の中で、ヨイトマケを連呼しつつ襲いくる熊のような大男に背後より青痣の浮くくらい抱きすくめられ、その発酵した体臭をすぐそばに感じるという甘い夢想をふくらませつつ、中学時代の卒業アルバムの集合写真の右上の中空に一人いるような人間に特有の不気味な半眼と半笑いで、墜ちていく退廃に羞恥と快楽のうめきをあげ、官能に身を震わせながら失禁するところをついうっかり家人に発見されてしまい、
 「お、おかん。これは違うんや」
 「何を違うことがあるんや。あんたのせいで私は田舎にも帰られへん。友だちにも会えへん。『おたくの息子さんどうしてはります、今年大学卒業でしたやろ』って聞かれたときの私の消え入りそうな恥ずかしさとくちおしさがおまえにわかるんか。『はぁ、無職です、昼間ずっと寝てます、夜中はパソコンいじりながらときどき便所で失禁してますわ』言えいうんか。おまえのようなんはおらんほうがマシや。死んでもうた言うほうがまだかっこがつくわ。死ね、死ね、おまえなんぞ死んでしまえ。今すぐ死んでしまえ。ああ、ああ」
 「おかん、泣かんとってえや。まじめになるから。就職もするから。おかん、ほんま泣かんとってえや」
 「もうええんや。死ね。今すぐ死んでください。それが私の望みです、それが孝行いうものです。なんで死んでくれへんのや。なんで朝起きたらいつもおまえがおるんや。おまえがやるこというたら、うちらが必死で働いた金を便所でうんこにしとるだけやないか。うあぁぁぁぁ死んでくれぇぇぇぇ」
 と、現代の家族ではまれな心の底からの包み隠しない会話をほがらかにかわすこともまったくしばしばです。
 この割に合わない人生の埋め合わせをするために、私は私を取り巻くくすんだ現実世界を、日記によって虚構化することをここへ高らかに宣言します。誰にも見返られない、誰にとっても重要でない私の実存は虚構によりたちまちのうちに、
 「小鳥くん、君はバーボンが好きだったね」
 「ええ」
 「これがなんだかわかるかい」
 「とうもろこしです」
 「バーボンの原料さ。君のアヌスにぴったりフィットすると思って持ってきたんだ」
 「ああ、何をするんです、部長。ああ、ああ」
 「いつもの凛々しい君はいったいどこへ行ったんだ。快楽をむさぼるだらしなくゆがんだその顔」
 「ああ、部長」
 「ふふ、君の唾液はバーボンの味がするよ」
 「ああ、それ以上は堪忍、堪忍どすえ、姫奴どすえぇぇ」
 と、果てる京都出身のヤングエグゼクティブへと昇華され、革命されます。私は惨めな現実を変えてくれるかもしれない美しい虚構の気高い存在をただ信じるのです。嘘です。人間の脳髄から言語を介して発信された時点で、それはすでにつくりごとだということを忘れてはいけません。現実とは、瞬間瞬間改変不可能になってゆく過去の蓄積に過ぎないのです。
 現実は結局、変わらなかった。

ドラ江さん

 「ドラ江さ~ん、助けてよ~」
 「なんや、どないしたんや」
 「世界との関係性を失って自己の立脚点を相対化できないんだ。どこへも確定しないように思える曖昧な日々の現実が不安なんだ。ぼくを楽にしてよ、ドラ江さん! いつものように決めうって生きることを楽にしてよ!」
 「なんや、またかいな。まァ、しゃあないの。そのためにワシはここにおるんやからな」
 「ドラ江さん! やっぱりドラ江さんはぼくのたったひとりの重要な存在だよ!」
 「昔っからおまえそればっかりやんけ。ホンマにそう思っとるんかいな。ええわ、ええわ。ほな、いくで。一回しか言わへんからよぉ聞けや。まず文章の語尾に(爆)(笑)(逝)(泣)や顔文字をつけるやつは、根本的に日本語力の欠如したアホや。(苦笑)と来るやつ、もうこれは白痴や。無条件で見下してええ。こいつらは、間違いなくおまえ以下や」
 「ああ、ありがとう、ドラ江さん! これでネットでの生活が楽になったよ! 優か劣かの安易な二元論により、現実への対処のやり方がはるかに簡略化されたよ! ぼくの苦悩が和らいでいくよ!」
 「さよか。役に立てて嬉しいわ。なんや、早速パソ通かいな」
 「けけけっ、こいつ(苦笑)って書いてるよ。どうしようもない低脳め。こっちは(微笑)だってさ。女性週刊誌かって~の。ちんこ噛んで死ね」
 「――でもな、のび太。一番どうしようもないのはたぶんおまえ自身なんやで――」
 「『うわぁ、びっくりした(^^;』だってさ。文章書く時点で冷静になるってえの。わざとらしく驚いた演技しやがって、この大根役者め、大学生の素人アングラ演劇め、水呑み百姓め。電線のない田舎にでも引きこもって、しこしこ畑耕してろってんだ。けけ、けけけけけっ」

世界はぼくらの手の外に

  『ああっ。やめてえや。うちそんなんとちゃう…うち、そんな女とちゃう…ああ…やめて…うち、うち…ほんまは、あんたの…欲し…ねん…』という具合に目的語を曖昧にすることで、全国六千万の婦女の中に存在する動物的エロスをいたずらにかきたててみる小鳥さんですよ、わんばんこ。という具合にすでに使い古されたコトバをさりげなく日記に含ませることで、全国六千万の婦女の子宮に至急に郷愁にも似た哀切な恋愛感情をいたずらにかきたててみる小鳥さんでも同時にあるんですよ、みゃぁお。『いやぁん、猫。かわいぃぃ』という具合に動物と子供を出しておけば視聴率はとれるんですよ的に人間存在を軽視してはすにかまえて世の中を見ることで生きることを楽にしている、本当はとても寂しい、本当は現実がその自分の浅薄な人間理解を裏切ってくれることを初心な乙女の純情さでもって期待している、しかしいつだってその浅薄さを裏切らない公式どうりの反応が確実に返ってくるだけ、日常に世界への憎悪と絶望をしんしんとつのらせていくテレビ関係者のように、動物の鳴き声を日記に織り込むことで全国六千万の婦女の中に潜む獣的な自己再生産欲求をかきたてて、『どうです、お嬢さんいっしょに夜明けのコーヒーでも』と小鳥さんですよ。


 結局誰も、本当の意味では、ぼくに気がつかなかったのだろう。

ドラ江さん

 「ドラ江さ~ん、助けてよ~」
 「なんや、騒がしいの。いまワシは、久遠の絆のプレイに大忙しなんや」
 「助けてよ、ドラ江さん! イデオロギーが崩壊してどの価値観も間違いじゃないんだ。いったい何を信じたらいいのかわからないんだ。曖昧な現実が不安なんだ。もしかしたら、みんなぼくより優れているかもしれないんだ。いつものように決めうってよ。言葉で現実を虚構化して、ぼくを安心させてよ!」
 「おまえまたそんなこと言うとるんかいな。繊細さをウリにする時代はもう終わったという話やで。これから求められるのはスーパーマッチョや。新井英樹の漫画みたく生きてみんかい。まァ、ええわ。ほな、いくで。一回しか言わへんから、よぉ聞けや。『ああっ女神さま』『守って!守護月天』 この二つを読んでるヤツは、まさに人間のクズや。間違いなくおまえより立場が低い。こりゃもう、無条件で見下してええ。恋緒みなとの漫画に共感するヤツも同様や。さ、どや。これで少しは楽になったやろ」
 「ありがとう、ドラ江さん! 気持ちが楽になったよ! 他人と自分の位置が明確に把握できるようになったよ! さあ、さっそく本屋に行って確かめようよ!」
 「待て待て、ワシもかいな。ワシは忙しいって言って、ちょぉ待てや」

 「いたよ、いた、ドラ江さん! 守護月天を全巻まとめ買いしてるよ! あっちではアフタヌーンを立ち読みしている……ビンゴォ、女神さまだ! クズだよ、ここはクズどもの見本市だ! 低脳どもめ、白痴どもめ、けけっ、けけけけけっ」
 「よかったの」
 「お客様、たいへん申し訳在りませんが、店内での喫煙は禁じられておりますので」
 「ああ、こりゃすまんこって」
 「ねえ、ドラ江さん」
 「なんや。もう気がすんだか。帰ろや」
 「ラブひな読んでるヤツがいたんだけど」
 「いちいち確認しに来な。クズや」
 「よかった、やっぱりそうなんだ。あっ、見てよ! 恋緒みなとの単行本を購入しているよ! この世はやっぱりどうしようもないクズばっかりなんだね! 低脳どもめ、白痴どもめ。けけっ、けけけけけっ」
 「――でもな、のび太。一番どうしようもないのはたぶんおまえ自身なんやで――」
 「あいつ、あれでうっかりインターネット始めたり、ホームページ作ったりするんだぜ。いったいその薄ら笑顔で何を期待してんだろうね、現実でうまくいかないヤツは、ネットでだって受け入れられるわけないじゃんよ。場所を変えりゃいいと思ってんだ。自分を客体化できないところに原因があるって、少しも理解できてないんだぜ。けけっ、けけけけけっ」

蘭学事始

 「(和綴じの本を片手に、うろうろと読み上げる)『十代前半の少女の身体を見るともうとたんにフルヘッヘンド』、『単三乾電池を直腸に挿入するとフルヘッヘンド』、『用例:二十年来の古女房に毎夜せまられますが、最近ちっともフルヘッヘンドしません』。ううむ、フルヘッヘンドとはいったい何のことなんだろうね、前野くん」
 「(アゴに手を当てて)とんとわかりませんな。こういうときは、例文どおりに実際やってみるのが一番かと思いますが」
 「実証的見地、ってヤツだな」
 「思い出しました。そういえば、私の家の裏手にいつも手鞠で遊んでいる女の子がいます」
 「(一瞬、チカリと両目を光らせて)その娘は、決して他の何者でもない実証的見地から確認するのだが、間違いなく十代前半なんだろうね。ここを間違っては、どうにもならんよ、前野くん」」
 「(前歯を見せつつもみ手して)もちろんでゲスよ、ダンナ。」
 「(小鼻をふくらませつつ、わざとゆっくり立ち上がりながら)よし、よし。それではさっそく参ろうか。我が国の学問の黎明は近いぞ」

 「(竹垣越しにのぞきこんで))ほら、あの娘です、杉田先生」
 「(竹垣越しにのぞきこんで)そうか。確かに十代前半のようであるな。ほれ、ざっとむしろに巻いて拉致してきてくれたまえ」
 「(自分を指さして)わ、私がですか?」
 「(眉を厳しく寄せながら)私は本当のところ、このようなことはまったく望んではいないのだがね。それもこれも、すべて学問の進歩のためだ。仕方の無いことなんだよ(左右に首を振る)」
 「許せよ、娘(こだまする絹を裂くような悲鳴)」

 「(薄暗い土蔵の中、床にくずおれてむせびなく幼女に向かって)……これ、いつまでも泣いておるのでない。そなたは偉大な学問の進歩に貢献したのだぞ。(腰帯をしめなおしながら、向き直って)先生、わかりましたか」
 「(腰掛けて、放心したようにキセルを吸い付けながら)いンや。(大きく伸びをして)なんだかやることやったら、とたんにめんどくさくなっちまったな。(肩をゴキゴキ鳴らして)もう明日にしようや」
 「私もです。(眉根を寄せて)この微妙な罪悪感を含んだ疲労感が、フルヘッヘンドの正体なんでしょうか。フルヘッヘンドとはつまり、背徳感のことを指すのでしょうか」
 「(あくびして)知らねえよ。あとのこと、よろしく」

 「(和綴じの本を寝転がって読みながら)しかし、この”乾電池”ってのは、いったいなんだろうね、前野くん」
 「(眉根を寄せて)”電”という言葉から察するに、エレキテルのことではないでしょうか」
 「(こめかみをひくつかせながら起きあがり)それは、もちろんおれも考えてたところだよ。先日長崎から届いた嗜好品の中にエレキテルを出す箱とかいうのがあったな、確か」
 「ええ。必要かと思いまして、ここに(背後から電極のついた木箱を取り出す)」
 「手際がいいね。(電極を両手に取る)それじゃさっそく尻を出したまえ、前野くん」
 「(自分を指さして)えっ。また私ですか」
 「(眉を厳しく寄せながら)私は本当のところ、このようなことはまったく望んではいないのだがね。それもこれも、すべて学問の進歩のためだ。仕方の無いことなんだよ(左右に首を振る)」
 「わかりました。そこまでおっしゃられるのなら、この不肖前野良沢めが(頬を赤らめながら、着物の前をはだける)」
 「うわ、汚ねえな。(鼻をつまんで)ちゃんと洗ってンのかよ。おい、ふんどし取らねえと挿入できないだろうが」
 「私としたことが、これは失礼つかまつった。(尻を突き出しつつ、赤らんだ頬を両手で押さえて)いや、しかしなんですな。どきどきしますな。言うなれば、そう、初心なたおやめの気持ちですな」
 「気味の悪ィこと言ってんじゃねえよ。そりゃ!(肛門に電極を突っ込む)」
 「あひィ(髪の毛を逆立て、骨を見せながら明滅する)」

 「(腰掛けてキセルを吸いつけながら)どうだい、前野くん」
 「(畳に爪を立てて上半身を起こそうとしながら)こ、腰が砕けて立てません。目もかすんできました。フルヘッヘンドとは、もしや腎虚のことではないでしょうか」
 「(あくびして)いや、今日はもういいや。おやすみ。(行きかけて振り返り)ちゃんと汚れた畳かえてといてくれな、明日までに」

 「どうしました、杉田さん」
 「(あぐらをかき、頬杖をついて)いや、な。最近女房とこう、なんだ、うまくいってねえのよ」
 「(気の抜けた表情で)はぁ。それはまた、なんと申しましょうか」
 「夜の生活のほうが、な。わかるだろ、女房のたるんだ裸を見てもいっこうに、こう、な」
 「(勢いこんで詰め寄り)杉田さん!」
 「(後ろ向きにひっくり返って)うわ、なんだよ。いきなり大声出しやがって」
 「フルヘッヘンドとは、もしや”勃起する”という意味なのではないでしょうか!」
 「(手を打ち)おお! しかし待てよ。(和綴じの本を引っぱり出して)ここに、『顔面の中央部にフルヘッヘンドするのが、鼻である』と書いてあるんだが、その解釈だとおかしくならねえか?」
 「(考え込んで)私は二三度オランダ人を見たことがありますが、その鼻はずいぶんと長くてごつごつしているのです。もしや彼らのあれは鼻ではなく生殖器なのではないでしょうか。だとすれば平仄があいませんか」
 「それだ! 今日は冴えてるじゃんかよ、おい(前野の背中をどやす)」

 と、いうような学問の黎明を経て、”鼻が大きい=生殖器が大きい”の俗説が生まれたということです。

吉原炎上

 「おら~しんのすけだど~」
 「あら、進之介さま。どちらへ?」
 「おら~しんのすけだど~」
 「吉原って、なんですの?」
 「ぞぉうさんぞぉうさん」
 「あの。私は良くは知らないのですが、吉原ってそういうことをなさる場所でしょ?」
 「ぞぉうさんぞぉうさん」
 「よかった。菊乃は進之介さまがそんなことをなさる方ではないと信じていましたわ」
 「おら~しんのすけだど~おら~しんのすけだど~」
 「あの。もしお暇だったらでよろしいんですが、今日は菊乃におつきあい願えませんか?」
 「おら~しんのすけだど~」
 「よかった。断られたらどうしようかと思ってました」
 「おら~しんのすけだど~」

 「おら~しんのすけだど~おら~しんのすけだど~」
 「くすっ。進之介さまったら冗談ばっかり」
 「おら~しんのすけだど~」
 「あら、雨。進之介さま、雨宿りして参りませんこと?」
 「おら~しんのすけだど~」

 「弱りましたわね。止みそうにありませんわ」
 「おおおおら~しんのすけだど~」
 「あっ。進之介さま何を。いけませんわ、こんなところで。いゃん」
 「ぞぉうさんぞぉうさん」
 「あら、ちっちゃくって可愛い」
 「ぞぉうさんぞぉうさん」
 「いけませんわいけませんわ。こんなふしだらな。ああ、ああ」
 「おおおおら~しんのすけだど~」
 「痛ッ。そこじゃございません進之介さま。もう一つ下ですわ」
 「おおおおら~しんのすけだど~」
 「痛ッ。進之介さま行き過ぎですわ。もう一つ上です」
 「おおおおら~しんのすけだど~」
 「ああ、そこですわ。進之介さま進之介さま」
 「おおおおら~しんのすけだど~おおおおら~しんのすけだど~」
 「ああ、進之介さま。菊乃は、菊乃は嬉しゅうございます」
 「おおおおらおらおらおら~しんのすけです、いやもとい、しんのすけだど~しんのすけだど~」
 「進之介さま…菊乃は、もう…」
 「おおお、ごほっごほっ、しししんのすけです、しんのすけ。おおおおら~しんのすけです。すいません、しんのすけで。しんのすけししし」
 「ああッ!…しんの…すけ…さま…」

 「ふふ、しかし存外につまらぬものだな、菊乃」
 と、最後に進之介さまが見事にカットアップされた琥珀色の蛇の肌のようにぬめる筋肉から、白い湯気とそり残しの脇毛をちらちらさせながら、小杉十郎太の声で言ったということです。

媾合陛下

  こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 私の名前は媾合陛下。マスコミに作られたイメージ通り、毒にも薬にもならない頭の弱い知的にチャレンジされている人の笑顔を臣民に向ける毎日。それにしても、今日の私はどうしたのかしら。遅れたメンスのせいか、とっても気分がアンニュイ。
 「どうなされました媾合陛下」
 「疲れたわ。こんなのは本当の私じゃないもの」
 「しかし、それが陛下のお仕事でございます」
 「ねえ、あなた何故私が媾合陛下と呼ばれているか知ってる?」
 「いえ、お恥ずかしいことですが、存じ上げておりません」
 「それはね……しゃッ」
 「ああっ、たいへんだ。媾合陛下がバルコニーから二十メートルも跳び上がり、堀をひとまたぎに樹齢千年の樫から削りだした厚さ50センチの大門にディズニーのような人型の穴をあけ、外に立つ屈強なガードマンをものともせずなぎ倒して出ていかれたぞ」
 「いかん! 追え、追うのだ」

 「うふふ、久しぶりの娑婆の空気。あら、いい男。こんにちは」
 「あっ。媾合陛下だ」
 「私を知っているのね。ならなぜ私が媾合陛下って呼ばれてるかは、知ってるかしら」
 「ぞぞぞ、存じ上げておりません」
 「緊張しちゃって。 可愛いわね。いいわ、教えてあげる。それはね……しゃッ」

 「はぁ、はぁ。いました! いや、おら れました!」
 「ああっ、たいへんだ。すでに媾合陛下のおみ足が下郎の下半身をがっちりとホールドされているぞ」
 「しまった、遅かったか。(振り返り)諸君、残念だが、ああなってはもう手遅れだ」
 「おお、おお、この匂い、この感じ。久しく忘れていた女性自身の高ぶり。いいわぁ」
 「媾合陛下の御姿を御簾でお隠し申し上げるのだ。急げ急げ」
 「おお、おお、私のわがままなボディが若い精気で満たされていく」
 「ええい、散れ、下衆ども。近寄るでない。そのつまらぬ凡々たる日々の生活へと戻ってゆけ。あっ。こら、御簾を乗り越えるな」
 「そうよ、この瞬間の私が本当の私。見て、私が媾合陛下よ!」
 「ああっ、たいへん だ。媾合陛下が男を下半身にプラグインしたまま御簾を突き破って蜘蛛のように道路に飛び出し、向かい来る車をあたかもそれらが豆腐ででもあるかのように次々と破砕しながら、幹線道路を御殿場方面へ逃走なされたぞ」
 「見られたか。今ここにいる全員を射殺しろ。無条件発砲を許可する。そう、全員だ。一人たりとも生きて帰すな」
 「ぱんぱんぱん」
 「きゃああ、今生では私自身の血を分けた息子としての実存に押し込められているけれど、来世では光の王女としての私の夫なることが親神様によって定められ確定している偏差値72のみのるちゃんが、額の中央の漫画的な拳銃に撃たれた記号から血と脳漿を吹き出して重力方向へあおむけにブッ倒れたわ」
 「みんな見でえぇぇぇわだじよぉぉぉわたじが媾合陛下なのよぉぉぉぉ」

新撰組血風録

 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。性格のほどよい味付けになる、社会に容認され得る程度の不道徳でアウトサイダーを気取っているあなたのモラトリアムふうの動きが、前から私は気にくわなかったんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。重度の少女愛好趣味者の私が、この時代ロリータ本などという気の利いたものも出版されておらず、どれほどの苦渋を嘗めてきたかあなたにわかるはずがないんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。十歳の頃は十歳の娘が好きだったのが、二十歳になってもまだ十歳の娘が好きな自分に気づいたときの衝撃が、あなたにわかるはずはないんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。懇意になった、私を見てもおびえず笑いかけてくれるまでになった近所の娘をある日路地裏に連れ込み、うっかり強くなってしまった剣の腕を利用して無邪気に私を信じるその後頭部を一撃して昏倒させ、さすがに新撰組という世間的な地位があるから一線を越えてしまう勇気もなく、おあずけを喰らった皮膚病の赤犬のように娘を裸に剥くにとどめ、この時代カメラなどという気のきいたものはまだ発明されていないから懐紙に筆でその瑞々しい裸体を路地の外の往来を終始気にしながら震える手で必死になって書き写し、逃げるように帰り着いた長屋で見るだにヘッタクソなそれを甘んじて使わなければならなかった私の気持ちが、あなたにわかるはずがないんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「そして、使用後に先端に付着した液体をぬぐいながら惨めな自分の気持ちを盛り上げようと、『ああ、これが正真正銘の自給自足だなぁ』と明るく言ってみたのに何故か涙が止まらなくなり、薄い壁の長屋のこと隣の住人に聞こえないよう一晩中布団の中で嗚咽を堪えなければならなかった私の気持ちが、あなたにわかるはずがないんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「次の日出会ったその娘が私を見るなり泣きながら逃げだしていったときの私の、自分が悪いはずなのに捨てられた犬のように感じたあの気持ちが、あなたにわかるはずがないんだ」
 「沖田、そんなまわりくどいことをしなくても、この時代少女売春はまだ法規制されていないはずだ」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。コンビニに平然と平積みされているエロ本を手に取ることさえ人目をはばかりできないような、ひどく世間体を気にする童貞の私にそんなことできようはずがないじゃないですか」
 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。そうやって日々増えていく少女たちの絵に、最近はずいぶん私の描き様も達者になり、それがまた惨めさをいや増すんですが、順番にナンバーを打ちファイリングし、『ああ、こりゃ一大コレクションだな』とわざとに大きな声で言ってみて、なぜか不覚にこぼれ落ちた涙の意味があなたにわかるはずはないんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。先日の台風で気づかぬうちに少女絵コレクションを隠した押入に浸水しており、すべて墨が流れてだめになってしまったのを発見したときに私の口から知らず漏れた獣のようなうめきの意味が、あなたにわかるはずはないんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。そういった日々の憂悶を剣術にぶつけるうちに、ついうっかりたいへん強くなって名前が売れてしまい、『沖田総司の打ち込みは鬼神のようじゃ』と囁かれるのにむかって、『そんな上等なものではなくてただのロリコンです』とつい真顔で訂正しそうになるときに腋を伝い落ちる冷たい汗の意味が、あなたにわかるはずはないんだ」
 「沖田、おまえ…」
 「葛城さん、あなたにはわからないんですよ。あなたにはわからない。この女顔のせいでたくさんの不純なやおい少女たちに描かれるところの実際そうである私が、ある朝かわやで用を足していると尿道にするどい痛みを感じ、何事かと思って手をやるとそこには透明な液が付着しており、その液の表面に無数の梅毒スピロヘータのうごめきを発見してしまったときに感じた、『まだ一度も婦女とまぐわってないのに』という無念とくちおしさが、あなたにわかるはずはないんだ」
 「沖田、おまえ…」

媾合陛下

  こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 私の名前は媾合陛下。マスコミに作られたイメージ通りの私を演じるために、今日は来たくもない清水寺へ観光に来ているの。それにしても、今日の私はどうしたのかしら。遅れたメンスのせいかとっても気分がアンニュイ。
 「お疲れのようですね」
 「私の中には寺社仏閣めぐりなんて枯淡の心境は、少しもないのだもの。こんなのは本当の私じゃない」
 「しかしそれが貴方のお仕事です、媾合陛下」
 「ねえ、あなた何故私が媾合陛下と呼ばれているか知ってる?」
 「いえ、先月こちらに配属された新人なものですから、存じ上げておりません」
 「ふふ、それはね……しゃッ」
 「ああっ、たいへんだ。媾合陛下がまるで清水の舞台からとび降りるように思い切って清水の舞台からとび降り、五メートルも落下したところで全身のたるんだ皺に風をはらませて、まるでムササビのように奈良方面へと飛び去ったぞ」
 「追え、追うんだ」

 「ああ、久しぶりの娑婆の空気。いいわぁ。あら、修学旅行の学生ね。こんにちは」
 「あっ。媾合陛下だ」
 「私のことを知っているのね」
 「そんな。や、やめて下さい」
 「ふふ、女に触られただけで赤くなるなんて、本当にうぶね。私がどうして媾合陛下と呼ばれているのか、教えてあげるわ。大丈夫、怖がらないで……しゃッ」

 「みなさま、カリフォルニアより遠路はるばるお疲れさまです。さて、みなさまの右手に見えますのが聖徳太子ゆかりの法隆……あっ」
 「オゥ、何デスカアレハ」
 「マグワッテイルネマグワッテイルネ激シクマグワッテイルネ」
 「みみみみなさま、左手をごらん下さい。ええと、その、鹿。そうです、愛らしい鹿の親子が」
 「ガイドサン、コレドノヨウナニポンノ文化」
 「おお、おお、久しく忘れていたこの匂い、この感じ。いいわぁ」
 「お母さん、お母さん」
 「私知ッテマス、アレニポン語デ”青姦”言イマス。古キ良キニポンノ文化」
 「私モ聞イタコトアリマス、青空ノ下デ姦通スルカラ”青姦”言イマス」
 「サスガカリフォルニア大学デニポン文化ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、スティーブ」
 「もういや、もういやぁ」
 「中学生ニキビダラケノ顔ヲ思想的ナ真ッ赤ニ染メテイルネ」
 「お母さん、お母さん」
 「サスガカリフォルニア大学デ政治思想史ヲ専攻シテイルダケノコトハアルネ、ステファニー」
 「衆人姦視ノ中デノマグワイガ快楽ヲイヤ増シテイルノダネ」
 「サスガカリフォルニア大学デ心理学ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、ジェイン」
 「はぁ、はぁ。いました! いや、おられました!」
 「ああ、たいへんだ。媾合陛下のおみ足がいたいけな中学生の腰を折れそうなほどにがっちりとホールドしているぞ」
 「もういやです、私帰ります。帰るんだからぁっ」
 「しまった遅かったか。(振り返り)諸君、ああなってはもう手遅れだ。お隠し申し上げろ。媾合陛下の御姿を御簾でお隠し申し上げるんだ」
 「おお、おお、若い身体の精気はなんて強いのかしら。私のわがままなボディが悦びにうちふるえているわ」
 「オゥ、何デスカコノ人タチ」
 「コウイウノニポンゴ語デナンテ言ウカ私知ッテマス。”無粋”言イマス」
 「サスガカリフォルニア大学デニポン文化ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、スティーブ」
 「国家権力ノオーボーダゾ」
 「ええい、散れ、寄るなこの毛唐どもめ。貴様らの目に触れるだけで穢れだ。とっとと自分の国に帰って、前向きと無思考を取り違えることのできる単純さで、今日受けたトラウマのカウンセリングでも受けてろ。あっ。こら、御簾を乗り越えるな」
 「オーボーデスオーボーデス。国家権力ノオーボーデス」
 「ソウダソウダ。我々ニハ法ニ約束サレタ”知ル権利”ガアルゾ」
 「サスガカリフォルニア大学デ政治学ヲ専攻シテイルダケノコトハアルネ、ステファニー」
 「そうよ、この瞬間こそが飾らない本当の私。私が媾合陛下なのよ」
 「ぼきり」
 「ああっ、たいへんだ。媾合陛下が人間の本来にはあり得ない方向に上半身を曲げた、紙より白い顔色の男子中学生を腰にプラグインしたまま、毛唐の数人を戦車のように踏みつぶし、鹿の親子を人間の側の勝手な投影を排除したやりかたでまるでそれらが単なる畜生に過ぎないとでもいうかのように引き裂き、その先にそびえる五重塔をまるでそれが運動会の棒倒し競技用の棒に過ぎないとでもいうかのように彼女がいつもチンポにするごとくに倒壊させ、蜘蛛のように走り去って行くぞ」
 「見られたか。今ここにいる毛唐どもを全員を射殺しろ。無条件発砲を許可する。そう、みんなだ。一人も生きて国外に出すな」
 「ぱんぱんぱん」
 「オゥノゥ、グランパガ”トムトジェリー”ノヨウニ厚サ2ミリノ紙状ニ潰サレテ遙カ上空カラヒラヒラト舞イ降リテキタ私トイウ実存ハダニエル・キイスニ原作ヲ提供デキルホドノ心ノ傷ヲ負イマシタ」
 「サスガカリフォルニア大学デ心理学ヲ専攻シテイルダケノコトハアリマスネ、ジェイン」
 「みんな見でえぇぇぇわだじよぉぉぉわだじが媾合陛下なのよぉぉぉ」

天人五衰

 「あっ。道路の向こうからほとんどつま先まで隠れるほど長いやたらにひだのある(何の暗喩だか言わなくてもわかりますよね)フリルつきのピンク色のスカートをはき、クマのぬいぐるみを自分では他人に可愛いと映ると思っているんだろう仕草で胸元に抱き寄せ、くるぶしまでのばした髪の毛をほとんど一歩ごとに自分で踏みつけながら、顔面は贔屓目に言って十人並みの婦女が思いつめたふうの、しかし焦点の全く合っていない目で歩いてきます。そちらを見ないように口笛をふきながら速やかにすれ違うよう、私の中に息づく原初の動物本能が告げました……ピィピィピィ」
 「あら、貴方」
 「やばいです、私に関心を持ったようです。私の中に息づく原初の動物本能が歩調を倍速に早めろと告げました……ピィピィピィ」
 「やっぱり」
 「ぎゃっ。私の右の上腕が捕まりました。婦女とは思えないほどの凄まじい膂力です」
 「鷹久、鷹久ね。やっと会えたわ」
 「助けて下さい。なんで私ばっかりこんな目に遭いますか……あの、人違いやおまへんやろか。よぉ見てみなはれ」
 「長かったわ。私はこの邂逅を千年も待ち続けたのだもの」
 「聞いてません、この女まったく聞いてませんよ……は・は・は。よぉ間違えられるんですわ、ワシ。ほんまもうしわけないんやけど、お嬢さんの言ってる人とちゃいますよってに。ワシ、武言いまんねん」
 「もしかして前世の記憶が無いのね、鷹久」
 「出ました。前世ワードです。勘弁して下さい。なんで私ばっかりこんな目に遭いますか……ちょぉ、自分もう離せや。ワシちゃう言うてるやんけ」
 「可哀想な鷹久。いいわ、私が少しづつ思い出させてあげる。だから、怖がらないで」
 「あいた、いたたた。右腕の捕まれている箇所から先が青黒く変色してきました。勘弁して下さい。なんで私ばっかりこんな目に遭いますか……すんません、ちょっとワシきつぅ言いすぎましたわ。わかりました、少しづつ誤解を解いていきまひょ。な?」
 「そう、私たちが最初に出会ったのは、平安時代だったわ」
 「きっついわ。少しも聞いてへんやんけ」
 「童貞だった貴方は初めて私と愛をかわすとき、緊張のあまり間違えて床板のうろにブツを挿入し、猫に先端を引っ掻かれたものだった。うふふ」
 「痛い、痛い、腕腐る、離してくれ」
 「そう、その次に私たちが出会ったのは、元禄時代のことだったわ」
 「痛い、痛い、腕腐る、離してくれ」
 「童貞だった貴方は初めて私と愛をかわすとき、緊張のあまり間違えて天井板のうろにブツを挿入し、ネズミに先端を囓られたものだった。うふふ」
 「痛い、痛い、腕腐る、離してくれ」]
 「そう、最後に私たちが出会ったのは、幕末のことだったわ」
 「痛い、痛い、腕腐る、離してくれ」
 「童貞だった貴方は初めて私と愛をかわすとき、緊張のあまり間違えて土竜の穴にブツを挿入し、尿道でミミズを引っ張りだしたものだった。うふふ」
 「痛い、痛い、腕腐る、離してくれ。あっ。あそこを通るのは一つ屋根の下に暮らすロリータ高校生の従姉妹、ではないですか……おぉうい、おぉうい」
 「たけちゃん。わたし、桐子よ」
 「マイガッ。君もですか。右腕の感覚が無くなってきました。あっ。あそこを通るのは私の同級の友人で、組の若頭顔の汰一ではないですか……おぉうい、おぉうい」
 「キサマッ。あれほど彼女を守ると約束しておきながらッ」
 「マイガッ。君もですか」
 「にいさま」
 「あっ。そんなところに顔をすりつけないで下さい。ちんちんが起立してきました」
 「ぼとり」
 「ぎゃあっ。私の右腕がまるで鳥のササミを裂くようにずるりと音を立てて抜け落ちました」
 「鷹久」「にいさま」「この後におよんで、キサマッ」

 「なんだなんだ」
 「左腕を強く電波さんにねじあげられ、両足をロリータに抱きつかれた小太りのアニメプリントシャツが、ニキビ面の体育会系高校生になすすべもないまま殴打の嵐を受けているぞ」
 「やめ。もうやめぇや自分ら。きっついわ」
 「くちゃ」
 「ああ、右目潰れてもたがな。かなわんわ。もう見えへんがな。うわぁぁんうわぁぁん」
 「鷹久、思い出してくれた?」「にいさま」「キサマッ、キサマッ」

ハートカクテル

 夕方のリビングでゆったりとソファに腰掛けながら、FMラジオから流れてくるブルックナーの交響曲に耳を傾けていたぼくにも、その声はなぜかはっきりと聞こえた。

  「 らおう の ちんぽ が 」

 二階の寝室にあがると、半年ほどまえからいっしょに暮らしはじめたカノジョが、ベッドサイドランプのつくりだす銀色のハロウに横顔を照らされながら、寄る辺無いようすで座りこんでいた。カノジョは少し泣いているようだった。
 ぼくはカノジョの口から出た男の名前や、カノジョの言葉に続くのかもしれないカノジョの過去にはふしぎと興味がわかなかった。
 ただぼくは、半年あまりもいっしょに暮らしておきながら、カノジョのことをあまりにも知らないのだという事実に、軽いショックを受けた。
 そのときの、ロシア人の血が少し入っているのと笑って言ったカノジョの、ガラス細工を思わせる繊細な横顔は、階下より静かに流れてくるブルックナーの交響曲とあいまって、よくできた恋愛映画のワンシーンのような、甘い胸の痛みをぼくの中に残したのだった。



 ぼくは沈みがちなカノジョをなぐさめようと、蛍光塗料を塗布したシールと、日曜の午後すべてを使って、寝室にちょっとしたプラネタリウムを作り出した。昼間の光を吸い込んだそれらは、夜の底にすてきに輝くのだ。
 その夜、いつものようにぼくの腕を枕にして大柄なカノジョは、いつもとちがうふうな安らかなため息をもらした。
 ぼくたちだけのために輝く星たち。
 白鳥座、天秤座、オリオン座、北斗七星…

  「 しちょうせい が おちてくる はやく ひこう しんれいだい を 」

 カノジョが身を起こす気配があった。灯りをつけると、全身にびっしょりと汗をかいたカノジョが、まるで雨の中に捨てられた子猫のように、小さく身を震わせていた。
 ぼくには、どうすることもできなかった。



 それは本当に夢だったのかもしれない。そのときにもぼくたちのクライマックスを飾るように、ブルックナーの交響曲が流れていたような気がする。
 窓から射し込む夕日が、部屋のすべてを黄金色に染め上げる中、ぼくは玄関ドアの前に立つカノジョを、確かに見たと思った。
 行ってしまうのかい? ぼくは午睡のまどろみのうちに、カノジョにそうたずねた。

  「 ごめんなさい なんと の しゅくめい が 」

 逆光になりカノジョの顔は見えなかったが、カノジョは最初に出会ったときのように、泣いているようだった。
 謝らなければならないのは、ぼくのほうだ。ぼくには最後まで、君を泣かせることしかできなかった。
 遠くで、とても遠くで、扉の閉まる音が聞こえた。
 目覚めたときぼくにかけられていた毛布には、かすかにカノジョの匂いがした。



 それっきりだった。
 買い物用のサンダルがひとつだけ、無くなっていた。カノジョは最初からぼくのまわりにいなかったかのように、消えてしまった。ぼくの心の、いちばんやわらかく傷つきやすい部分に、恋の甘い棘をのこして。
 今でもときどき思い出すのだ。ブルックナーの交響曲の流れる、こんな黄金射す夕べには。
 カノジョの声がリフレインする。

  「 ねえ らおう の ちんぽ が 」

~ Fin ~

このHPというかたち ~小鳥猊下講演禄~

 「トマホゥゥゥクブゥゥウメラン」
 「あっ。小鳥猊下が肩口にぼんぼりのようなものをつけた、ぴったりと張りつきそのボディラインを陰毛と乳首まであきらかにする真っ白な王子様の服を上半身に装着し、過去に一度真ん中で折れてしまってから誤った角度のまま完治してしまったためL字型をしているブツをいくぶん腰を引き気味にゆらゆらとゆっくり左右にゆらしながら御出座なされたぞ」
 「ああ、なんてエロチックなダンディズムなのかしら。私の局部がしっとりと湿気を帯びはじめたわ」
 「婦女は目を伏せなさい」

 「……宮にまで遡ることができるわけなんですね。え? 何? マイク入ってなかった? じゃあ今までの全部流れてないの。ふぅん。責任者殺しちゃって。うん、そう。殺すの。二度言わせないでよ。温厚なぼくでも怒るよ。あ、待って。楽に殺しちゃ駄目よ。生まれてきたことを千回も万回も後悔するような殺しかたでやってよね。この講演会場に地縛するくらいにさ。ビデオも忘れずまわしといてよね。講演終わったらメシ喰いながら見るから。うん。お願い。
 「……というわけでこのHPなんですけれど、ええっと、何話したっけか。こういうのってライブ感覚が大事なんだよね。スピーチ原稿なんて用意してないしさ。ああ~ぁ、さっきまでいい調子だったのになんだかムカつくなぁ。ねえ、さっきのヤツ家族いるの? あ、そう。じゃ、その写真をぶらさげながら殺しちゃってよ。マイホームの前で家族全員で飼い犬といっしょに写ってるようなのがいいな。うん、そう。とびきりよく写った幸せそうなのをさ、ちゃんと見えるように目の前に吊すの。けけっ。二度言わせないでよ。温厚なぼくでもいい加減怒るよ。ほんとに。
 「……よくみなさんからお受けする質問に『日記じゃない』というのがありますが、それは認識が正しくありませんね。ふつうみなさんがやるような日記というのはほとんど日々の身辺雑記のような、事実の羅列なわけなんですけれども、それはみなさまが気を悪くされることを承知で言うなら、次元が低いと言わざるを得ません。人間という生き物は、岸田透さんもおっしゃるように、その無意識層にさまざまの感情なり性格なりのアイデンティティの根本を負っているわけです。我々自身が自覚することのでき、ある程度まで操作の可能な意識層の情報は極論すると、この無意識層に澱のように蓄積された情報にくらべ、より重要度が低いと言うことができます。
 「私がHPにやる日記は、言わば、これら無意識層からのマグマの噴出を書き留めているわけですね。そういった意味では夢日記に近いということもできるかも知れません。わかりやすいように1月24日の日記を例にあげてみるならば、私が『ラオウのチンポ』というよりインパクトのある書き方を選ばなかったのは、それは私の無意識にある私の気がつかない何かがそうさせたと言うことなんです。そしてそれは『のチンポ』という表現よりもはるかに重要なんですね。交遊関係であるとか、どこへ行ったとかのくだらない日々の雑記よりも、このようなかたちのほうが私という個人のことを、ある種の人々にとっては更に深いレヴェルで認識できる結果になる、とこう思うわけなんです。
 「ようするに、私の生殖器が実際どのようであるかということを克明に描写することが重要なのではなく、そこに表記されている記号が”ちんぽ”なのか”チンポ”なのか”ペニス”なのか”ちんちん”なのか”チンポコ”なのか”ぽこちん”なのか”ブツ”なのか”男性自身”なのか、あるはそれらのどれでもないのか、それを選択した私自身の無意識下の動きがもっとも重要なんですね。まァ、私のほんとうの形状を知りたいというご婦人がこの会場におられるなら、今お見せすることにやぶさかではないですがね(会場爆笑)
 「ああ~ぁ、疲れたよ、ほんと。ねえ、死んだ? ちゃんと死んだの? どう、つらそうだった? あっ、だめ。言わないで。推理小説とおんなじでこういうのって先に聞いちゃうとおもしろくなくなるからさぁ。ちゃんとビデオ撮れてるだろうね。いいとこで切れてたりしたら温厚なぼくでも怒るよ。ほんとに。ああ~ぁ、焼き肉喰いてえなぁ、焼き肉。店予約してきてよ。ちゃんとビデオも見れるようにセッティングしといてよね。シャワー浴びたらすぐ行くから。
 「……え、何? まだ車来てないの。湯冷めしちゃうじゃない。あと十分待つの。ふぅん。責任者殺しちゃって。うん、そう。殺すの。二度言わせないでよ。温厚なぼくでも怒るよ、いい加減。両手両足を四台のハイヤーに結びつけて別方向へ同時に引っ張らせてよ。けけっ。

媾合陛下

  こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)

 私の名前は媾合陛下。今日は国を代表する大使としてA国大統領との夕食会に招かれているの。たくさんのVIPに囲まれて今日ばかりはさすがの私も少し緊張気味。
 「ああ、不安だわ。通訳はまだ到着しないの」
 「たった今お着きになりました」
 「押忍。遅参をお詫び致す。今日の通訳の御役、腹を切る覚悟で務めさせて頂く」
 「こちらがチョンガチョンガ連邦からいらっしゃった通訳のミハイロウィチ・ゲリチンスキー氏です」
 「ええと、あの。(小声で)ちょっと、大丈夫なの?」
 「ゲリチンスキー氏は日本語、英語、そしてチョンガチョンガ連邦の公用語であるハッチョレ語の三カ国語をよくするトリリンガルの英才でございます、媾合陛下」
 「ただいまご紹介に預かりましたゲリンチンスキーでございます。本日はお日柄もよく。以後お見知りおきをおひけえなすってござ候」
 「不安だわ」
 「ああ、大統領がいらっしゃったようです」
 「”Oh, Ms.INTERCOURSE! Nice to meet you!”」
 「ええと、あの、通訳」
 「御身の後ろに控えて候。大統領殿はただいまこのように申された。『おお、あなたとお目にかかることはナイスだ、媾合陛下』」
 「お招き頂いたのですからこちらからもご挨拶を」
 「え、あああああのあの。ここ、こんちこれまた大統領。よっ、にくいねこりゃ」
 「もう少し国家の代表としての威厳をお持ちになって下さい」
 「だって。外人なのよ。それも大統領っていったらすげえ外人じゃないの」
 「貴国の大統領殿に我ら媾合陛下の御意見をかしこみかしこみ奏上し申し上げる。”Hey, Mr. FUCKIN' President. I absolutely hate you!”」
 「”...Huh? What is she saying now!? No, Shit!”」
 「ねえ、なんか怒ってるわよ」
 「媾合陛下、大統領殿はただいまこのように申された。『あぁん? 今そこのアマは何て言いやがった。うんこ嫌い』」
 「どうも何か気に障られたようですな。文化的差異というやつでしょうか。なんとか場を取りなして下さい、陛下」
 「わ、私が?」
 「あなたがいま我が国の代表です」
 「ええっと、ええっと。あの。了見の狭いことは無しにして今日は楽しくやりましょうね。って、いいかしら。よろしく頼むわよ、ゲリチンスキーさん」
 「かしこまった。貴国の大統領殿に我ら媾合陛下の御意見をかしこみかしこみ奏上し申し上げる。”I guess your ASSHOLE is too tight, Mr. President. Deeper, harder, I'm just CUMing!”」
 「ああっ、たいへんだ。何か我々には理解不能な理由に顔を真っ赤にした大統領が核発射と大きなフォントで書かれたリモコンを片手に大股に部屋を出て行かれるぞ。御国の危機だ。どうしようどうしよう」
 「ガタガタ騒ぐんじゃないよ。ピンチに肝がすわるのは性分ね。私も媾合陛下と呼ばれた女。見てなさい……しゃッ」
 「嗚呼なんたるちやサンタルチヤ南無八幡大菩薩、媾合陛下のおみ足がカニばさみの要領で今まさに部屋を出んとする大統領殿を二十センチも沈み込むような思想的な匂いのする赤の絨毯の上に押し倒し、その下半身をがっちりとホールドしたまま近代格闘における不落のマウントポジションに持ち込んだで御座るよ」
 「しまった。早ぅ広間の扉を閉めるのだ。一人も中に入れるな。一人も外に出してはいかん。残った人間は全員射殺しろ。そうだ、メイドも秘書官も、とにかく全員だ。一人たりとも生かしてこの部屋から出すな」
 「ぱんぱんぱん」
 「きゃああ。日本のメイドフェチに高く売ろうと思っていた、やっぱり全くの新品よりも多少は様々の体液が付着していたほうが喜ばれるのでここ二三日洗わずに着ているお仕着せが、私自身のみなに乳牛と形容される巨大な胸に突然うまれた漫画的な記号からの『おいおい、もう死んでるぜフツー』というくらいの大量の出血で汚れてしまい、もう売り物にならなくなってしまったわ。という内容のことを英語で実はしゃべっている英語圏の人間という私の実存だわ」
 「”!? Holyshit! It's so good!! One thousand worms are living in her PUSSY!!!”」
 「媾合陛下、大統領は今このように申された。『聖なるうんこ。すげえ気持ちいい。彼女の子猫ちゃんはカズノコ天井だミミズ千匹だ』」
 「ああ、さすが外人、それも一国のトップともなるとモノの大きさが違うわね。これよ、この感じ。これが本当の私なのよ」
 「”God damned! This is too good to stand any more!!”」
 「ああ、わがままな私のボディが毛唐の精気で満たされていくわぁ」
 「媾合陛下、大統領殿は今このように申された。『神のうんこたれ。これはこれ以上耐えるにはあまりによすぎます』」
 「みんな見でえぇぇぇわだじよぉぉぉわだじが媾合陛下なのよぉぉぉ」
 「大丈夫か、聞こえているか、大統領殿。我ら媾合陛下の御意見を奏上し申し上げる。”Look at me! I'm Ms.INTERCOURSE!”。聞こえているか、大丈夫か、大統領殿」

過ぎし日々の思い出

 電車がターミナル駅に到着するときにやる「この電車はこれまでです」というアナウンスに、「しまった、ワナかッ!」と叫び、すばらしい大腿筋のバネとクロスした丸太のような両腕でもって窓をぶち破って(このぶち破られる窓が婦女子のいったいどの部分を暗喩しているのか読者諸賢にはすでにおわかりですよね?)ホームに飛び降り、二三回転して速やかに立ち上がりファイティングポーズをとるも、周囲を取り巻く人垣からの不審げな視線に気づいて逆ギレし、「見てんじゃねえよ」とあごを突き出してすごみながらのしのし退場なさることもしばしばな、日々主線の異様に太い劇画タッチの私なんですが、ふゥム、どうなんだろうね、若槻くん(ト、あごをなでる)。

 さて、高身長・高学歴・高収入に加えて婦女子のあらゆる膜に訴えかけるともっぱらの評判な涼やかな顔面を有している資本主義社会の完全な勝利者であるところの、知性の真に高いものがよくそうであるように気むずかしげに眉根を寄せはすにかまえて、日常の些末事にはめったに心を動揺させることのない私の実存なんですが、今日は心から嬉しかったんです。誰かが言いました。「認められているのは、認められようと演じている自分で、本当の自分じゃありません」 要するにそういうことなんですね。私という実存は多分に流動的で、次の瞬間には全く違う場所に位相を移しているんだろうけれども、明日には下品な言葉を書くんだろうけれども、少なくとも今日は言いたい。

  こんな私に、ありがとう。

D.J. FOOD(1)

  「 Jam, Jam! MX7! 今週もまたD.J. FOODの”KAWL 4 U”の時間がやってきたぜ! それではいつものように始めよう、Uhhhhhhhhhhhh, Check it out!

  まァ、俺もさまざまの現代人が当たり前にやるような選別の儀式をくぐりぬけてきてここにいるんだが、受験戦争? ハ、そんな遊びのような、たとえ敗れてものうのうと誰も見ないHPを作りネットワークに負荷を付加するだけの情報を送信して自己満足できるような、腐った水の生ぬるさとははるかに遠かったね! 勝つことがすべて、敗北はすぐに死そのものを意味した…そう、あの血のベトナムではね…。今ではこんな一地方局のD.J.にこじんまりとおさまっている枯れた俺の実存だけど、血気盛んだったあの頃には米軍司令部などに乗り込み、しばしば単独でやつらを壊滅させたものだったさ! っていうか今現在チャンピオン誌上で壊滅させている真っ最中なんだけどね! おっと、いけない! これ以上しゃべったら俺の正体がいったい誰だかみんなにバレちゃうよ! さぁて、いつもの犬のようなおしゃべりはこれくらいにして、まず最初のお便りは東京都にお住まいの東鳩マルチさんからだ! 『ボクはじつは全然あなたのことなんか好きじゃないんですけどね。おぉい、みんな聞こえてるかぁ! オレはこんなにビッグになったぞぉ(爆笑)! あ、もちろん全部冗談だから気を悪くしないで下さいね(^^;。今まではしおりと言えば藤崎詩織でしたけど、これからはやっぱ斎栞(はぁと)だと思うんですよね、ボク的に。とりあえずこないだのコミケで買った同人誌の一覧つけときますんで(爆)、ボクがどんなやつなのかこれで判断してみて下さい(微笑)』YoYoYoYoYoYoYoYo, Yo Men! 死んでしまえ! 次のお便りは千葉にお住まいの子猫の吐息ちゃんから! 『最近なだらかにふくらみはじめた胸が、恋にも似た切ない痛みをうったえるようになった12歳の私という実存なんですが』 YoYoYoYoYoYoYoYo, Yo Men! 生きろ! 最後の一枚は大阪府在住の小鳥くんからのお便りだ! 『こんばんは、D.J.FOODさん。何度も迷ったんですけど、重大な告白をするためにペンを取りました。僕はオナニーをするさいにしばしば乾電池を使うんですけど』YoYoYoYoYoYoYoYo, Yo Men! くたばってしまえ!

  おっと、もうこんな時間だ! みんなからのお便り待ってるぜ! それじゃ、来週のこの時間まで、C U Next Week!」

ドラ江さん

 「ドラ江さ~ん、助けてよ~」
 「…」
 「ネットワークがぼくの上にもたらした様々の情報と、他人がそこにあることの手触りが現実を多様化・細分化するんだ。刀鍛冶が炎と灼けた鉄を見つめながら、『俺にはこれしかない。生まれてからずっとそうだったし、死ぬまできっとこのままだろう』というときのような、それをいうとき他者に対する優劣がまったく存在しなくなるような、そんな確かな生活に根ざした生きている感覚が持てないんだ。現実が不安なんだ。ドラ江さん、言葉で現実を虚構化してよ! 生きることを楽にしてよ! いつものように決めうっ…あ」
 「なんや、どないしたんや」
 「いや…なんていうか…いま窓からの日射しで一瞬ドラ江さんが透き通って見えたような気がしたんだ」
 「(微笑んで)そうか。のび太はほんまにしゃあないな」
 「ドラ江さん…」
 「さてと、一回しか言わへんからよぉ聞けや。村上龍はおたくや。村上春樹はインポや。栗本薫は最近評論でも顔文字を使うようになった。ワシはあれはいかんと思う。それと、今日一日かけて横溝正史を読み返しとったんやが、やっぱりこの謎解きは無理があるのやないやろか。しかしこの無理のある謎解きと江戸川乱歩の結婚が今日の京極夏彦を作り出したと言えるんちゃうかな」
 「ドラ江さん…」
 「どや。楽になったか。さて、本屋にでも行くか?」
 「いや、今日はいいよ」
 「さよか」
 「ドラ江さん」
 「なんや、のび太」
 「ありがとう」
 「うん」

オール・イズ・ロンリネス

 ボリスとパラジャーノフが新進女優マリヤ・フィリーポヴナの地下演劇時代に撮られたと言われているポルノビデオの真贋を薄目でためすがめつしているのを後ろに、私とセルゲイは隣室に用意された床についた。夜の深さの底で聞こえてくるのは犬の遠吠えと、ただマリヤ・フィリーポヴナのあえぎ声だけとなった。
 「なんやこれ、モザイクかかっとるやないか。喰うてまうぞコラ」
 パラジャーノフのひどいモスクワ訛りの野卑な批評が聞こえた。幾度目かの寝返り。眠れない頭に昼間の光景がフラッシュバックする。都会の雑踏に互いに視線を交わすこともなく足早に歩み行く人々。なぜ彼らはあのように生き急ぐのだろう。 私がそれは急がないとファンファンファーマシィの本放送を見逃してしまうからであるという結論に達したとき、隣で寝ていたはずのセルゲイが手をのばし私の股間をぐいとひとつかみした。熱くたぎった私のパラヴォイ・オルガニィはもう先ほどからずっとビンビンであった。いや、むしろチンチンであった。
 「…女がいるって、嘘じゃねえか…」
 セルゲイが、池上遼一の漫画に登場する二重アゴの下段に妊娠したような悪役デブの顔で天井を見上げたまま低く言った。私はそれには答えずセルゲイの布団に手を忍ばせるとヤツの股間をぐいとひとつかみした。熱くたぎったセルゲイのパラヴォイ・オルガニィはもう先ほどからずっとピンコ立ちであった。いや、むしろチンコ立ちであった。
 「…曜日ごとに女を交換するって話はどうなってんだ…」
 私たちは顔を見合わせると、お互い自身を握りしめあったまま声を潜めてくつくつと笑った。
 笑いがとぎれると再びただマリヤ・ フィリーポヴナのあえぎ声が夜の静寂の中に残された。
 「…セルゲイ?」
 セルゲイはもう眠ったようだった。池上遼一の漫画に登場する二重アゴの下段に妊娠したようなヤツの安らかな寝顔。
 私は再び天井に目を戻した。「オール・イズ・ ロンリネス」私はそっと声にしてみた。それはひどく悲しく響いたように思えた。なぜ人はこんなにも孤独で、ふれあうことができないのだろう。
 私がそれは、婦女が男性にとってたいそう都合のよい様子のらんちき騒ぎを巻き起こす種類のゲームなどでしばしばプレゼントとして提供されるロリータキャラの実寸大人形や、女子学生が体育などの際に特別にはく男子学生のそれとは名称の異なるズボンの切れ端などのレアアイテムを独占するためであるという結論に達するのと、すべての人間に救いの忘我を与える柔らかな眠りが私の上に訪れるのはほぼ同時だった。
 「なんやこれ、ピー入っとるやないか。ちゃんと四文字言わんかい。喰うてまうぞワレ」

ドラ江さん

 「元気だして、のび太さん」
 「うん」
 「ドラ江さんもちょっとナーバスになってるだけよ」
 「うん」
 「誰も自分以外の人間のことなんてわからないわ。でもそれでもいつのまにか現実は修復してもとのようにうまくいくものよ」
 「うん。ごめん、いろいろ。それじゃ」

 「帰ったか?」
 「ええ」
 「ほんまにあいつはしゃあないやつやな」
 「私も、最近のドラ江さんはちょっとおかしいと思う」
 「なんや、しづか、おまえまでそんなこと言いよるんか」
 「だって! 以前のドラ江さんは誰かといるときに、そんな遠くを見るようなかなしい目はしなかったわ」
 「しづか、それ以上考えるんやない。ブルース・リーもこう言うてる。『考えるんじゃない、感じるんだ』。おまえはおまえの男を誘ういやらしいこの部分でただ今は感じたらええんや」
 「ああ、ドラ江さんの野口英世という単語をなぜか想起させる青白い手が、わたしの身体を這いまわっているわ。という事実を冷静に判断することもできないほど実はかれのする愛撫に悶えているわたしという小学生の実存なのね。あ、やめないで」
 「さて、しづか。ちゃんと勉強をせなご褒美はあげられん。今日は国語の時間や。さぁ、これを声に出して読んでみい。『満腔の期待』」
 「やだ、そんなの! ぜったいいや!」
 「そうか。ならワシももうこれ以上おまえのここをいろってやらへんだけのことや」
 「ひどい」
 「不出来な生徒にやるにはあたりまえの罰やと思うがな、ワシは」
 「…ま…うのきたい」
 「は? なんやて? 全然聞こえへんで。いつものようにかみ殺される寸前のメス犬のような淫乱な声をあげてみい」
 「まんこうのきたい、まんこうのきたい、まんこうのきたいぃぃぃ」
 「そうや。それや。それがおまえなんや。広辞苑にはこう書いてある、『期待に大きく胸を膨らますようす』」
 「ねえ、言ったわよぉ」
 「(苦痛に満ちた表情で)ほんまにおまえはどうしようもないみだらな小学生やで」

 「ねえ」
 「なんや」
 「煙草って、おいしいの?」
 「煙を吸い込むときな」
 「うん」
 「最初のほんの数百万分の一秒くらいの瞬間なんやけどな、眠りこむ寸前のような、救いそのもののような安楽さを感じるんや。そのあとはまずいだけや。刹那的な快楽と長い長い慢性的な自殺、それが本質やな」
 「…」
 「…」
 「ねえ」
 「うん」
 「ドラ江さんはそうやっていろいろな現実を言葉にできるから、いろいろなことがわかってしまったように錯覚するのよ。言葉は発した瞬間にほんとうの現実とはどこか致命的にずれてしまっているわ。言葉は現実を入れ子細工のように永遠に細かく階層化していくだけよ。それを発した当人にとってさえ、どんな救いにもつながらないと思うの。ただ拡大していく感受性が現実をつらくするだけだわ」
 「子どもにはわからへん」
 「わたし、子どもじゃないわ」
 「ああ、そうやな」