あーたーらしーいーあーさがきた、きーぼーおの、あーさーだ。

ザ・ボイシズ・オブ・ア・ディレッタント・オタク

 卓上に置かれたカセットレコーダー。
 突然、自動的にテープが回り始める。最初ただのノイズかとも思えた音は、二人の男のくぐもった話し声へと収束してゆく。
 「(なだめるように)わかった、わかった。15歳の少女がロボットに乗るという設定に蓋然性が薄いように思えるのは、俺が音楽屋で読解力に欠けるせいだからなんだよな。短気は押さえて、詳細を詰めていこうな。な?」
 「(すねた口調で)まったくその通りだよ。”ガ……”(我? 蛾? 何かの暗符と思われるが、詳細は不明)のだって、もっと若いヤツをロボットに乗せてたじゃん。全然おかしなことなんかないよ。(吐き捨てるように)プープカプープカ、ちんどん屋まがいの芸当しかできないくせに、ぼくのカッコいいアイデアに口を出すなよな。全然カッコ悪いよ」
 「(ひどく重い沈黙の数秒。つとめた明るい口調で再び始めようとするが、徐々に尻下がりに暗く)”人類の敵、火星人は主人公の搭乗する巨大ロボットと同じ大きさで……切ると赤い血を噴き出しま、す?” (故意に感情を空っぽにした調子で)なァ、火星人がなんで赤い血を吹くんだ?」
 「(何かを噛みながら)全部説明させて、全部陳腐にしちゃうんだ。君のそういう頭の悪いとこ、ぼくは嫌いだよ」
 「(凄みのある無感情で)俺はおまえの仕事の協力者であって、おまえの作品のいち視聴者ではないことを忘れるな。監督であるおまえが少しもコンセンサスを取ろうとしないから、こうしていま俺がおまえの目の前に座っているのを忘れるな」
 「(甲高く)そんなこと言っても、少しもこわくなんかないよ。(大きな音)ヒィッ! わかったから、机をたたくなよ。汚いよ、そういう脅すみたいなやり方。全然カッコ悪いよ」
 「(淡々と、棒読み調で)なんで、火星人が赤い血を吹くんですか」
 「(すねた口調で)ヒロインの15歳の少女の、初潮と、月経と、破瓜を代理してるんだよ。クラスで一番遅い、始まってない子でも、そろそろ始まっちゃうころだろ? だから、火星人の流血に代理させて、少女の初潮を先送りにさせてるんだ。いいだろ、これで。満足したろ」
 「(間。抑制された感情の底流をうかがわせる声音で)なんで、火星人が初潮を代理する必要があるんですか」
 「(心底意外なことを聞いたという口調で)ばッ、なに言ってんだよ、決まってるだろ! 初潮し、月経し、破瓜するということは、孕むかもしれないってことでしょ! 孕むってことは、男女の攻守が逆転するってことでしょ! ぼくは、精神的には圧倒的・絶対的に依存してくるけど、肉体的にはこのイヤな世界から盾となってぼくを守ってくれる、そんな初潮前の少女だけが欲しいんだよ! (吐き捨てるように)だいいちそんな、孕むなんて全然カッコ悪いよ。ひどく体臭がしそうだしさ(何かで何かをふくような擦れ音が聞こえる)」
 「(感情を爆発させないためのやけくそな大声で)わかった、わかった! 絵コンテと、おまえの説明からこの作品の特徴をまとめると、ひとつ”巨大ロボットに搭乗し、切ると赤い血が噴き出す異星人と戦う女子中学生”、ふたつ”火星で発見された先史文明のロストテクノロジー、この技術は少女の搭乗する巨大ロボットにも流用されている”、みっつ”登場人物のする驚愕の演出には瞳孔の収縮する様子をアップで”、(徐々に不安な調子で口ごもりながら)よっつ”真下から見上げた高圧電線と、その向こうに広がる夏の雲と青空”、いつつ”看板や新聞やモニターなどの文字は手書きではなく、パキッとしたレタリングで”……(長い沈黙)なァ、言っていいか?」
 「(すねた口調で)なんだよ」
 「これって、まんま”ガ……”の作品からのパク…」
 「(大声でさえぎって)大違いだよッ! あんな不潔なのといっしょにするなよッ! (ひどい癇癪で、唾をぶくぶくいわせながら)ぼくの少女はあんな性徴を際だたせるぴっちりスーツを着たりはしないし、あんな月経を中心に世界を回したりは絶対にしないんだよッ!」
 「(半ば投げやりに、なだめるように)わかった、わかった。もしそんなしたり顔の指摘をする分からず屋がいたとしても、オマージュって言っておけばいいよな。オマージュ。だから、短気は押さえて、ひとつひとつ詳細を詰めていこうな。な?」
 「(すねた口調で)ちょっとカッコいいところを借りただけだよ。全然カッコ悪くないよ。これがダメなら、歌舞伎の再演だってダメってことになるよ」
 「(少しも同調してないことを声音だけで表して)まったくその通りだ。ところで、登場人物が少年と少女の二人しかいないようなんだが。宇宙船の乗組員とか、他のロボットの操縦者とか、そういうキャラクターは…」
 「(絶叫して)ぼくの少女にセックスをさせたいのかよ! 宇宙船の中に他に誰かいたら、少女はぼくが閉じこめたロボットから出てきちゃうだろ! 何考えてんだよ! (ひとつ大きな鼻息。冷静に)でも、少年の周辺に誰かを配置するというのは、アリかもしれないな。例えば少女の母親とか」
 「(ほっとしたように)いいじゃないか。話に深みが出そうだ」
 「(得意げに)少女の母親は22歳、身よりのない少年を引き取っていっしょに生活している」
 「(間。しぼりだすように)少女の年齢は何歳だったっけ?」
 「(苛立って)本当に、君は物覚えが悪いなあ。15歳って言ったじゃん。そこに書いてあるし。字、読めないの?」
 「(不自然な陽気さで)よくわかった。俺が悪かった。やっぱり、登場人物は二人だけにしよう。その方が、余計な雑味がなくて、きっといい。(強引に話を変えて)ところで、絵コンテのここの描写、よくわからないんだが」
 「(不満げに)だったら最初から言うなよな……どこだよ。(ひどく馬鹿にした調子で)本当に芸術オンチだなあ、君は! セミに決まってんじゃん、夜空を埋めるセミの群れだよ。”ガ……”の映画でもセミの声使ってたろ。全然カッコいいよ」
 「(数瞬の意味深い沈黙のあと)なァ、おまえ。セミ、見たことあるか?」
 「(得意げに)もちろんさ! ぼくは30年も丸々引きこもっているような連中とは、ワケが違うからね。あれは小学生のときだったろうか、(陶酔した調子で)粉雪の舞う中、四枚の羽をピンと水平に伸ばして、やかましく鳴きながら大気をグライダーのように滑空するセミの群れ……あれは、ぼくの原風景と言っていいだろうね……」
 「(不自然な陽気さで)よくわかった。このセミのカット、やめよう。”ガ……”みたいに、鳴き声だけにしよう。その方がきっとずっと効果的さ。な、そうしよう。な?」
 「(苛立って)音楽屋ふぜいが、さっきからいちいちぼくに指図するなよ。ぼくの完璧な絵コンテにケチつけるなよ。今回試みるフルデジタルという方法論には、意識したアナログ感覚が必要なんだよ。コンビニやケイタイの持つデジタル的なリアリティと、セミの持つアナログ的なリアリティを意図的に混郁させることで生じる違和感が、作品に現実という名前の新たなパースペクティヴを与えるんじゃないか。どうせ何もわからないんだから、黙ってろよ」
 「(一瞬絶句した後、聞こえるか聞こえないかの、ドスのきいた低い声で)つまるところ、世界と交接したことがねえんだ。コンビニやケイタイっておまえ、おまえの提示するリアリティなんざ、同棲してるオンナが使った便器からする大便の残り香の当たり前さを、童貞のしたり顔でリアリティと言っているのと同程度に、クソ薄っぺらなんだよ」
 「(癇癪を起こして)ぼくの前で体臭の話はするなよ! ぼくは人間の身体のニオイが本当に嫌いなんだ! こうして君と、1メートルほどの近距離に座っていても、君の体臭の分子がぼくの身体に付着するんじゃないかって、ほとんど物理的な脅迫を感じるくらいなんだよ!」
 「(げんなりした調子で)わかった、わかった。もういい。つまりこいつは、この企画は、(何か紙の束を叩く音がする)”ガ……”的な演出・視覚要素を取り除けば、ほとんど最近のエロゲーが好んで提出するのと同じ、(嫌みに)体臭の無い恋愛未満の男女のリリカルが主眼なんだよな。(嘲弄するように)ここまで露骨にエロゲー的なんだから、もっとこう、チューくらいさせたらどうですか、先生。ふとももとパンツの間を執拗にアップで写したコマも多いことですし」
 「(絶叫して)馬鹿なこと言うなよッ! 少女に初潮も破瓜もまだ来ていないことを確認するだけの、実にさりげない演出じゃないか! それに、自転車に二人乗りするシーンで、少女が制服の布越しに男の肩を触ってるだろッ! あれ以上に二人を接近させるのはグロテスクだし、何よりあれ以上接近したら体臭がするじゃないか! それに、(絶叫とも言える大声で)肩を触ったら、次はチンポに触ることになるだろ!」
 「(声をひそめて)馬鹿、隣に聞こえたらどうすんだ」
 「(聞こえないふうで)だから、困るから、チンポに触られたら困るから、少女を宇宙船でまず木星へ、それでもやっぱり不安だから、次は太陽系の外へ飛ばすことにしたんだ。それくらい遠くに離せば、チンポにとってはまずまず安全な位置と言えるからね。少年はようやく安堵して、胸のうちを独白する。『届かぬ愛撫を待ち続けることのないように、チンポを固く、冷たく、強くしよう』。オナニー宣言、全然カッコいいよね(へらへらと笑う)」
 「(唖然としたふうで)物語の展開が唐突だとは思っていたが、まさかおまえ、本気でそういう。物語の必然とか、そういうのは…」
 「(あきれたふうに)なに、物語なんてカッコ悪い言葉使ってんだよ。ストーリーなんて、カッコいい絵と、ぼくの願望に従属するためにある方便だろ。なんたって巨大ロボットの活躍はカッコいいし、猫を殺したら責められるけど、火星人を殺したらほめられるだろ。それに、ロボットはカッコよく殺すだけじゃなくって、巨大な鉄の貞操帯になって少女の貞操に誰も触れられないようにしてくれるし――精液を暗示する雨粒ぐらいさえもね――、少女はと言えば貞操帯の中で火星人の流血に初潮を代理させ続け、そうやって肉体的には清らかなまま、精神的には何といっても体臭のしないケイタイでぼくに依存してくれて、一方で悪い敵からは捨て身でぼくの世界を守ってくれるんだ。それに、光速で宇宙を旅することのパラドックスで、30歳のぼくが15歳の少女を好きだと公言しても、誰もぼくを、ロリコンとか、そういう異常な性癖の持ち主として糾弾したりできない必然的社会状況が生まれるだろ。これが、ぼくにとっての一番大切なポイントなんだよ! ストーリーなんて、カッコいい絵と、ぼくの願望から逆算すればいいんだよ! 物語の必然だって? そんなのレトロで、全然カッコ悪いじゃん(へらへら笑う)」
 「(もはや涙声で絶叫して)真面目にやれよ! おまえ、真面目にやれよ! おれ、このために仕事辞めたんだぞ! 本当に、冗談ごとじゃすまないんだよ! どこのおめでたい誰が、こんなオタくさい、文字通りの前世紀のアニメを金払って視聴したいと思うんだよ! お願いだから、真剣にやってくれ!」
 「(癇癪を起こして)ぼくはいつだって真剣だよ! ぼくは自分の作りたい、カッコいいものだけを作るんだ! それと君の音楽だけどさ、ドラムとか、エレキとか、ああいう青臭いのは、ぼくの作品ではやめてくれよな。反体制とか、体臭とか、そういうのが一番嫌いなんだ、ぼくは。(言い終わるか言い終わらないかのうちに、獣のような絶叫とともに、凄まじい騒擾が始まる)何するんだ、離れろ、音楽屋め、体臭が、ぼくに、臭い、臭いィィィッ! (気狂いのような悲鳴で)ぼくに触るなァァァッ!」


 (男性の声のナレーション)残念ながら、このテープはここで終わっている。この後、二人がどうなったのか、果たして輝けるアニメ界の超新星となったのかどうか、それは誰も知らない。

逆愚痴卑露野侮

 ただ聞き手に何の感興も起こさせないことをだけ目的に作られたバックミュージックのためのバックミュージックが軽々しく流れる中、応接間を想定したのだろう、奇妙に生活感の欠如したセットの中央に男女が差し向かいに座っている。セットは以前より明らかに簡素な作り。女性、カメラに対して深々とおじぎをする。
 「ご無沙汰しておりました、ホステスの宵待薫子でござます。長らく放映を自粛しておりましたnWoの部屋ですが、多方面より応援と励ましをいただき、このたび深夜枠という形ではありますが、再びみなさまにお会いすることになりました。スタッフ一同を代表しまして、お礼を述べさせていただきます。本当に、ありがとうございました(立ち上がり、カメラに向かって深々と頭を下げる)。更なる番組のクオリティアップをもって、みなさまからのご恩に応えていきたいと思っております。それでは、新たに生まれ変わったnWoの部屋、記念すべき第一回目のお客様をご紹介させていただきます。人気ロールプレイングゲーム『最終偏執狂的接片愛~ファイナルフェティッシュ!~』シリーズのディレクターであり、総監督でもある、逆愚痴卑露野侮さんです」
 「(長すぎる鼻の下に台形の口ひげを生やした男へカメラが向けられる。深く刻まれた笑い皺の下の、少しも笑っていない目で穏やかに)どうも、今日はお招きありがとうございます」
 「(おじぎして)こちらこそ、お忙しいところお越しいただき、ありがとうございます。ご存じのない方のために付け加えますと、ファイナルフェティッシュ!シリーズは、あのトラ食えシリーズと双璧を為す国民的な人気ゲーム作品です。(資料に目線を落としながら)昨年は映画化もされていますよね」
 「(一瞬顔面神経痛を抑えようとしている人の表情になって)映画? (何かを思い出そうとしていると他人に感じさせるのに充分な間を置いて)ああ、FFM(ファイナルフェティッシュ・マゾヒズムの略)のことですか。いま言われるまで忘れてましたよ。まあ、あれはほんと、片手間でしたね。あの作品は商業主義的に、もっといえば享楽主義的にやりすぎました。欧米中心に公開されたんですけど、(自然つり上がる片頬)むこうの人間の大ざっぱさをぼくは考慮に入れていなかった。つまり、(徐々に早口に)あちらの毛唐の方々の生得的な精神状況の低さの現状を、ぼくが軽く見積もりすぎていたということなんですね。でもそれは、あまりに予想を覆すほどのレベルで低劣だったから、神ならぬ身ではしょうがなかったとも言えるでしょう。誰がやっても同じ結果になったと思います(無意識に、激しく顎が縦方向に上下する)。ぼくは本当にいい人間で、他のスタッフからも、逆愚痴さんはゲームにせよ何にせよ、受け手に期待しすぎじゃないんですかってよく言われるんだけど、(膝の上で、関節が白くなるまで握りしめた両拳をぶるぶると震わせながら)芸術の作り手が受け手、鑑賞者に期待しない態度っていうのは、芸術家にとっての敗北だという気がするんですね、ぼくは。同業者に聞かれたら、甘い考えだと言われるのはわかっているんですけど。(何か身内にわきあがってくるものを押さえようとするかのように、荒い息で肩を上下させながら)ぼくは、本当にお人好しでいい人間なので、観客を想定するあまり、作品の内包するテーマ性を制作初期の段階でより低いものに変えたんです。ただただ、受け手にとってわかりやすいことを追求するためにですよ。ぼくの頭の中にあった元々のものは、実はもっと高級なんです。(うつむいて、親指と親指を触れあわないようにぐるぐるまわしながら)それに、ぼくの持っている深淵かつ壮大なテーマをそのままに彫刻するのに、映画というジャンルはあまりにエンターテイメント寄りすぎますから…(テーブルに頭をつかんばかりの前傾姿勢から、突如上半身をバネようにはねあげて、宵待の左肩をつかむ)ねえ、わかるでしょ!」
 「(自分の何気ない問いかけが、なぜここまで激烈な反応を引き出してしまったのかわからず、大きく目を見開いて硬直したまま半泣きの口元で)あの、わかります。(おびえのあまり、ほとんど素の状態で)私も仕事でいろいろあるけど、友だちに相談してもしょうがないなってこと、いっぱいあるし」
 「(あざけるように口元で笑って、手を放す)フン、凡人の生活感覚ぐらいといっしょにしてもらっちゃ困るね。ぼくの言った受け手って、君みたいな人のことなんだろうな。(脱力してソファにもたれかかって)わかりゃしねえんだよ、おまえらくらいにはな」
 「(なぜかはわからないが、相手の激情が去ったことにほっとして)あ、ええと、そう、ゲームの方のファイナルフェティッシュ!なんですが、先日最新作が発表されたところですよね。(ジロリとにらみ返してくる相手にうろたえて)ええと、11作目。そう、今回はシリーズ11作目ということで、すごいです、長いです(なぜか拍手する)」
 「(口元を歪めて)どこぞの遊児だか豚児だかとは、才能の密度が違うってことだな。(ブツブツと)資金集めも、組織運営もまともにできねえくせに……カネを使わずに、いい物語を書けば、だと? ハッ、樋口一葉の昔から、日本人ってのはそういういじましいのが大好きだからな……(突然激して立ち上がる)このインターネット時代に、原稿用紙と万年筆でゲーム作ってんじゃねえ!(机を蹴り上げる)」
 「(縮み上がり、上半身はほとんどスタジオの外へ向かって逃げているが、下半身で踏みとどまって)あの、インターネットというお言葉が出ましたが、この最新作はネットワーク専用ゲームだと聞きました。あの、(顔色をうかがう。思い切って)これまでのゲーム業界には例を見ないような、すごい進取の精神ですよね!」
 「(うつむいて、間。突如笑み崩れた顔を上げて)でしょう? ぼくはモジュラーケーブルやLANケーブルの暗示的な逆さ凸が、みっしりと電話線の差込口に満たされるのを見るのが、本当に大好きなんですよ(得意の鼻息で口ひげが揺れる)」
 「(ほっとした様子で)逆愚痴さんがインターネット上に創造なさった、全く新しいファンタジー世界である、(視線を原稿に落とす。凍り付く笑顔。きっかり3度またたきした後、真っ赤になって口ごもりながら)ま、ま、ま、ま、ま」
 「(握った親指と人差し指を左ふぐり、握った薬指と小指を右ふぐりに見立て、下方に垂らした中指をぶらぶらと前後させながら)マラ、でぇぇる!」
 「(顔を真っ赤にして、うろうろと視線を机上にさまよわせ)あの、ファンタジー世界である、ま、ま、ま、ま」
 「(握った親指と人差し指を左ふぐり、握った薬指と小指を右ふぐりに見立て、下方に垂らした中指をぶらぶらと前後させながら)マラ、でぇぇぇぇぇぇる!」
 「(背筋を伸ばし、視線の焦点をどこにも作らないようにして)ま、ま、マラ・デエルでの冒険劇は、これまでのロールプレイングゲームの概念を大きくくつがえすものである、とのことですが…(徐々に涙声になる)」
 「(独り言のように、しかし聞こえるのに充分な大きさで)やれやれ、ようやくか。よもや、男性生殖器を露出するの意でとらえたのではあるまいね。まったく、最近の若いのときたら、性倫理や性道徳などという言葉が定義できるような範疇を超えているね。本当に嘆かわしい限りだ(言いつつ、ズボンの後ろポケットに入っていたテレコからカセットを取りだし、極太マッキーで”ヨイマチ、マラ”と書く)」
 「あ、あの(助けを求めるようにスタッフの方へ視線をやる)」
 「(跳ねるようにカメラに正対し、突然調子を変えて)日本のようなIT後進国で、ネットワーク専用ゲームの製作に踏み切るのは、たいへん勇気のいることでした。専用ということはつまり、プレイを続けるためにいくばくかの料金を電話局なり、我々の会社へ継続的に払い続けるということですから。(作者近影のときのお気に入りの苦悩の表情で)樋口一葉の昔から芸術にカネを払わないいじましい国民の方々が、このゲームにカネを払い続けてくれるのだろうか? その心配は、制作中も離れずありましたね。(わずかに長すぎる口ひげをなめながら)ですが、考えてもみて下さい。美術館に入るのには然るべき料金を支払いますね。そしてあなたがあの素晴らしい人類史的な作品群をもう一度見たいと思ったとき、またきっと美術館にカネを払うでしょう。その反復に疑問を感ずる人はいないはずです。まあ、お上に頭のあがらぬいじましい農耕民族の国民のみなさんに関しては、(鼻息で口ひげをゆらして)何らかの権威づけがそこには不可欠なのでしょうけれどね。じっさいのところ、日本では無名であっても世界的に有名な人物はたくさんおります。(とりすました表情で)私にしたって、極力ひかえめにいったところで、"世界の"という冠を名字につけて呼ばれるくらいのレベルの人間ではあるんですけどね。(見えざる何者かの追求を遮るように慌てて)外タレにサインをねだられたことはありませんが、それは私が一度も外タレと遭遇したことがないというだけの話なんですよ、じっさいのところ。ですから、何の話でしたか、今度のFF11(ファイナフフェティッシュ!11の略)は、『継続的に体験するためには継続的にカネを支払い続けねばならぬ』というこの一点において、芸術作品と同義であるということができるのです。今までの作品は、まあ悪くはなかったですが、単品切り売りの、肉屋につり下げられた牛か豚のような類のものでした。それは、私の作品の提出方法としては、私の意図とかなりかけはなれた不本意なものでした。ぼくのファイナルフェティッシュ!という名前の芸術作品は、ネットワークという概念空間を使って、形而下から形而上へと存在のステージを写したんですよ。つまりこれは、人間が神に昇華するという比喩と、まったくの同義の移行なんです。(口ひげを引っ張り、アゴを突き出して得意げに)この移行が人類にとっていつ以来のことだかわかりますか、宵待さん?」
 「(うつむいて親指のささくれを引っ張っていたが、急に話をふられてとびあがって)は、はい! わかりません!」
 「(右の掌を額に打ち当て、左手で口ひげを数本引き抜く)本当に馬鹿だなあ、あんたは! 宗教学を知らぬ人間に、世界というパラダイムが理解できるものか! (嘲るように)あんたみたいのが俺の想定していた観客だったとすると、FFMの興行収入の数字にも納得がいく。(片頬を吊り上げて)その納得を手に入れただけ、今日このくだらない席に、(一息入れて強調して)激務の合間を縫って座っている意味があったってことか。(声をひそめて、蛇を思わせるやり方で下方から宵待ににじりよる)いいか、俺はいまファイナルフェティッシュ!がネットワーク専用ゲームになったことは、人間が神になったこととイコールだと言ったんだ。つまり、それは、(重大な秘密を明かすようにささやいて)キリストだよ。新たな千年紀を生きる人類が迎えたキリストの復活、それが、俺の、(立てた左手の親指を自身に突きつけながら)ファイナルフェティッシュ!11だ!(かわいた鼻水でてかてかになった口ひげが、頭上のライトを照り返す)」
  「(かみ殺したあくびで両目をうるませながら)なるほど、なるほど。すばらしい。(スタッフが示す板を横目で確認する。書かれている内容に激しく首を横に振るが、スタッフの強い調子にやがて押し切られて)し、しかし、マナ・デエルへの接続に必要不可欠であるプレステHHユニット(プリーズ・レット・マイサン・エレクト、ハーマイオニー、ハーマイオニー!ユニットの略)の品薄や、ネットを経由しないと入手できない仕組みの煩雑さや、加えてプレステHHそのものの高額さや、(唾を飲んで)それに先ほどもおっしゃられましたが毎月継続的に、それこそ半年で別のゲームが購入できてしまうほどのプレイ料金を払わなければならないことなどが相まって、FF11は一般のゲームユーザーには非常に敷居が高いものになってしまっているのではないでしょうか?(目をつむり、首をすくめる)」
 「(悠然と煙草を取り出そうとするが、ぶるぶると震える指先がそれを裏切っている。フィルターを外側に向けて煙草をくわえながら)芸術とは常に時代にとって、もっと言うなら、人間が命をつないでゆくことにとって、余剰であったわけです。生きるために必要ではないが、魂が求めるその余剰にこそ、人間を他の畜生と聖別する何かが含まれている。(大仰に両手を広げて)そして、ダ・ヴィンチの例を挙げるまでもなく、芸術という余剰には常にパトロンの存在が不可欠です。なぜなら、この世の大半を占める、ただ増えて死ぬために生きている蒙昧の群れどもは、日々口を糊することと、オメコにしか興味が向かないからです。(わずかに均衡を崩した目で自身の言葉に埋没するように)この連中は、オメコには恐ろしいほどの労力やカネをつぎこんで省みませんが、芸術となるととたんに、これはもう間違いなく彼らの低脳からくる劣等感でしょうが、オメコ汁に濡れた口元を半開きに激しくどもりながら批判めいたことを口にし、あるいはオメコの入り口はもう締めようもなく荒淫に弛緩しているくせに、財布のヒモをことさらに固く締め上げたりするわけです。(何かを振り払おうとするように大声で)彼らの精神はもう本当に低劣極まりますから、これを啓蒙しようなどと少しでも思わないほうがいい。私は本当にいい人なので、彼らに手をさしのべようとして一度ひどい目にあっていますから言うんです。(ほとんど涙ぐみながら)映画というのは本当に間口が広すぎて、やつらの方が選択する側の人間なんだと勘違いさせ、増長させてしまったんだ。(袖口で口ひげに垂れた鼻水をぬぐって)芸術にカネを払うことは知的に、そして何より人間的に高度でなくてはできませんから。つまり、(妄執にとらわれた人の目で、身を乗り出して)FF11のプレイヤーは、FF11をプレイしているというその事実だけで、すでに存在論的優位者として選民されているのです。敷居の高さゆえに売り上げが伸び悩んでいるという指摘は、ですから全くの的はずれなのです。(口の端から泡を吹きながら)私は私の芸術へとたどりつく資格のある人たちを、電子的な方法論で選民したのです。彼に竹ひごでぶたれるためなら進んで急所を差し出してもいいとお考えの、ノブナガ好きの民主主義国家の主権者のみなさんには、危険思想の持ち主と思われてしまうかもしれませんがね(声を上げて笑う)! FFMの時とは違ってな、(自分のしゃべる言葉に後追いで得心した満足な笑みで)わざと間口を狭くすることで、おまえたちが選ぶんじゃなくて、俺が、俺こそがおまえたちを選ぶ芸術的絶対者なんだってことをわからせてやってんだよ、このオメコ愛好者どもが(テーブルを蹴り上げる)!」
 「(無表情で)選民する。なるほど、よくわかりました。あなたはオメコという言葉を連発なさいましたが、それは食料と交換可能であるという意味合いにおいて、生命と限りなく等価値であるカネを、生命を物理的に養わない抽象事象に支払うことができるかどうか、という比喩として受け取ってよろしいですね(無表情のままのぞきこむ)」
 「(鼻白んで、目をそらす)ああ、まあ、そうとも言えるかもな」
 「(無表情で)少なくともFF11という名前のネットワークゲームは、”公共”を作ろうとしている。”公共”の究極とは『どんな対価をも伴わずに、誰のものでもある』ということだと、私は考えます。知性と財による選民、私にはFF11は、貴社からの様々のプロパガンダが表現するような、開かれた無謬の理想郷にはとても思えません。(ゆっくりと)あなたがおっしゃられたキリストの比喩をなぞるなら、マラ・デエルは人造の失楽園なのではないですか(無表情のまま小首をかしげる)」
 「(うろうろと視線を漂わせて)なあ、急にそんな…やめようぜ。(作り笑いで)本気に取るなよ、ほんの冗談じゃねえか!」
 「(口元の両端を機械的に吊り上げて)虚構の現実化によるアンチクライマックスです。いつまでも、好き勝手に暴れられるものではないですよ(立ち上がる)」
 「(周囲を見回す。人形のような無表情のスタッフが見つめ返す。泣きそうに)なあ、やめようぜ、こういうの流行らねえよ。なあ」
 「(さえぎって)今日のゲストは逆愚痴卑野侮さんでした。お帰りはあちらからどうぞ(腰を折り曲げて、深々とおじぎをする)」

痴人への愛(3)

 痛んだ傘を折りたたむのにてまどって、ちょっとぬれてしまう。舗装の悪い道路には、雨が何か所も水たまりを作っていて、いくども足をとられかけた。
 その店は、目ぬき通りからすこし路地裏へ入ったところにあった。どぎつく明滅するネオンサインを水たまりが照りかえし、コーデリアはなんだか異国の地に迷いこんでしまったような気がして、かるいめまいをおぼえた。
 やせぎすのからだをあずけるようにして重いスチールの扉を開けると、手すりのないひどく急な階段が地下へとつづいている。
 せまいおどり場にあるさびた傘たてには、すでに傘が何本か入れられている。そのうちのひとつに、見おぼえがあった。「背の高い人用」と書かれた購入時のラベルがそのまま柄に貼られている。
 コーデリアが、小鳥尻の誕生日に贈ったものだった。
 小鳥尻は傘を持つことをきらっていた。どんな大ぶりでも、コートひとつで出かけていき、海の底を散歩してきたみたいになって帰ってくる。
「なんか雨にうたれてると、すこしだけ気もちが楽になるの」
 なぜ傘を持たないのか、いちどたずねたことがある。さいしょ、小鳥尻はじっと黙ったままだった。その反応はとくだん珍しいことではなかったので、コーデリアもそれきり黙ったまま、つくろいものをはじめた。
 ゆうに五分は経ったろうか、そう小鳥尻が答えたのである。
「どうして楽になるの?」
 小鳥尻の両目が一瞬、遠くを見るようにさまよって、やさしくゆるんだ。
「私ね、子どものころ、悪いことをするとよくお母さんに家の外へ追いだされてね。そんなときはなぜか決まって雨が降ってたわ」
 コーデリアはいちど、小鳥尻の母親に会ったことがある。
 このたびは、うちの娘がたいへんなご迷惑をおかけしまして――
 病室の敷居にきっちりとつま先をそろえ、定規をあてたような深いお辞儀をする姿をおぼえている。示談の話しあいにきたのらしかった。ぜんぶ両親が対応したので、コーデリアは二言三言を交わすきりだった。
 印象は悪くなかった。すこしやせすぎのきらいはあったけれど、品のいい、知的な女性だったと思う。
 いっしょに暮らすようになったさいしょのころ、小鳥尻が母親のことを悪しざまに言うのを何度か聞いたことがある。それはあまりに病室での印象とちがっていて、コーデリアが「冗談でしょう」とか「思いちがいじゃないの」とか相づちをうつうちに、いつしか小鳥尻は母親の話をもちださなくなった。
「雨の音ってやさしいでしょ。知ってる? 雨ってね、あったかいのよ。家のなかはうるさくて冷たくて、雨にうたれてるほうが、ずっとよかったわ」
 コーデリアには、小鳥尻がなにを言っているのかわからなかった。それどころか、すこし意地わるく、「ちょっと悲劇ぶってるわ」と考えたりもした。
「でも、雨にぬれると風邪をひくでしょ。もう子どもじゃないんだから、雨の日は傘をさしてね。こんど、プレゼントしてあげるから」
 コーデリアの言葉に、小鳥尻は悲しそうにほほえむきりだった。
 玄関の傘が二本になり、この話題はそれきりとなった。


 壁に手をつきながら、すべらないように一段一段をふみしめる。階段のつきたすぐ右手が、喫茶店のようになっていた。できるだけめだたないよう、すみのテーブルに腰をおろす。
 すわったことにホッとすると、人心地がもどってくる。
 コーデリアは、前かけにサンダルをつっかけているじぶんに気づいた。大またに前を行く背なかを見うしなわないようにするあまり、気がまわらなかった。はずかしさに顔があつくなる。
 いすの背もたれは毛羽がたっていて、なにかの液体がかわいたようにゴワゴワしていた。手をふれたテーブルの表面はわずかにねばっている。いまさらながら、ひどく場ちがいなところにいる気がした。
 口ひげをはやした小太りの店員が、水をもって近づいてくる。コーデリアは手ぐしに髪をなでつけた。
「ご注文は?」
 あわてて前かけのかくしをさぐると、がまぐちに指がふれる。すっかり紙のくたびれたメニューをひらくと、よくわからないカタカナがならんでいた。アルコールのたぐいらしい。
「あの、ウーロン茶をください」
 一週間分の食費と同じ値段だった。店員が失笑めいた鼻息をもらしたような気がして、コーデリアは思わずうつむいた。
 それでも注文をすませてしまうと、居場所をえたような気もちになった。
 まわりには、すでに何人かの客がすわっている。奥にひとつ高くなったところがあり、左右にカーテンのようなものが下げてあって、どうやらかんたんな舞台になっているらしい。
 ウーロン茶がはこばれてくると照明がさらにしぼられ、カーテンのそでからだれかがあらわれた。かん高い声の、ふたり組の女性だった。
 すぐにかけあいがはじまる。漫才のようだ。言葉が多すぎて、どんな内容なのかコーデリアの頭にはまったくはいってこなかった。あたりを見まわしても、客たちはだれも舞台を見ていない。どういうお店なのだろう。
 すぐ目の前のテーブルに、若い男がひとりですわっている。ゲーム機なのか携帯電話なのかよくわからないもので、アニメを見ていた。画面の中では、馬に乗った制服姿の少女が刀をふりまわしている。場面が変わるたび、ちがった色の光が横がおにうつりこむ。
 なんだかコーデリアは、ひどく正しくない、ふつうではないことが行われているような気がした。
 まばらな拍手に、はっと我へかえる。ふたり組の女性は大きく一礼して、舞台のそでへとひっこんでいった。
 入れかわりに、セーターに巻きスカートの女性が、グラスとビンを片手でひっつかみ、小さなテーブルをひきひきあらわれる。
 とたん、コーデリアの心臓ははねあがり、あたまの芯にはしゃきっとしたものがもどってきた。小鳥尻だ。
 すでにひどく酔っているようで、足もとはふらつき、目は赤く充血している。
「飲めば飲むほどおもしろく、ってわけにはいかないけど、しらふでできる芸でもないのよね」
 卓上にグラスを置き、こはく色の液体をそそぐ。
「とりあえず、きょうの出会いに乾杯」
 客たちへむけてグラスをかかげると、いっきにあおった。とたんせきこんで、ほとんどを床にこぼしてしまう。長身をおりまげてせきこみ続けるようすに、コーデリアはそばへかけよりたい衝動にかられる。
 やがて口もとをぬぐいながら、
「それじゃあ、はじめましょうか」
 小鳥尻が巻きスカートをはぎとり、客席へと投げる。それはだれにも触れられることなく床に落ちた。肌色のタイツには、股間のところに亀の子タワシがはりつけられていた。
 「わたしのタワシ、気持ちいーでー、わたしのタワシ、気持ちいーでー」
 芸をはじめたとたん、酔いに正体をうしなっていた小鳥尻の声がぴんと張った。家でのぼそぼそと聞きとりにくい話し方とはまったく違っていて、コーデリアはファンとして観客席にいた昔を思い出して、胸がつまるような気もちになった。
 「なーなー、わたしのタワシ、気持ちいーでー、わたしのタワシ、気持ちいーでー」
 がにまたで上半身をそらせ、いくどもタワシをこすりあげる。やはりだれも舞台を見ようとはしない。ただひとり、目の前のテーブルの若い男だけが、アニメから目を離し、食い入るように小鳥尻を見つめていた。
「うるせえぞ!」
 さけび声とともに、客席から舞台へグラスがとぶ。酔っぱらい相手の舞台には、よくあることなのだろう。
 けれどこのとき、運の悪いことにそのグラスは小鳥尻のこめかみを直撃した。たまらず長身を折りまげ、卓に手をつく。こめかみを押さえた手のすきまから赤いものがしたたり、小鳥尻の両目はむきだしの、凄惨なものをたたえていた。
 思わず、コーデリアは席を蹴って立ちあがった。椅子の背もたれが床にたたきつけられて、大きな音をたてる。まわりの客から、いぶかしげな視線が向けられた。
「いってーなー、おい! いってーなー、おい!」
 ことさらな大声が、みなの視線を舞台へともどす。小鳥尻は背中で床をそうじするみたいなオーバーアクションでおどけて、のたうちまわっていた。その表情は、すでに芸人のそれにもどっている。
 観客から笑い声があがる。たちの悪い笑い声だった。
 コーデリアはもう見ていられなくなって、狭い階段をかけあがるようにして店を出た。


「傘、忘れてるわよ」
 看板のネオンが消えると、背の高い人かげが細い路地から出てくる。傘をさしだすコーデリアを肩ごしにちらりと見ると、そのまま何も言わず歩きだす。
「ねえ、傷はだいじょうぶなの」
 うしろをついていきながら、声をかける。小鳥尻は、猫背に首をうめるように両肩をもちあげて、話しかけられるのをこばんでいる。コーデリアは一瞬、ひどく悲しくなった。しかしすぐにそれは、むかむかとした怒りにとってかわられた。
「こんなに心配してるのに、その態度はなによ!」
 じぶんでもびっくりするほど大きな声だった。
 その剣幕におどろいたのか、小鳥尻は足をとめてふりかえる。こめかみにはガーゼが雑にはりつけてあった。
「仕事のときはくるなって言ったじゃない。それに、あんなのいつものことだから、心配なんていらないわ」
 先ほどの舞台とは別人のように、ぼそぼそとした言いわけだった。それがますます、コーデリアをいらだたせる。
「わたしをなんだと思ってるのよ! 猫のせわ係じゃないんだから! わたしにだって、心配する権利くらいあるんだから! こわいんだからね! わたし、怒ったらこわいんだから!」
 むちゃくちゃを言っているなと思ったが、もうとまらなかった。
 体はおおきいくせに、小鳥尻にはひどく気のよわいところがある。このときもうろたえたふうにコーデリアから目をそらして、「これはわたしのことだから」とつぶやいた。「ぜんぶ、わたしひとりで証明しなくちゃいけないのよ」
「だれに証明するのよ! なにを証明したいのよ! だれも見てない舞台で、みんなわすれた芸をして、どうやって証明できるのよ!」
 小鳥尻が大またに近よってきて、手をふりあげた。これだけ言われれば、そうするしかないのはわかっていた。山のように大きくてまっ黒なものがおおいかぶさってくる。
 わたしは逃げない。逃げてたまるもんか。
 コーデリアは小鳥尻を受けとめるように、両手をいっぱいに広げた。いつかまえにもこんなことがあった、と考えながら。
 のけぞるあまり、ふんばった足がぬれた地面にすべった。
 ネオンにふちどられた空が見えたかと思うと、すぐにあたりはまっくらになった。


「ごめんなさい、ごめんなさい」
 目をあけるとコーデリアのかたわらに、ぬれるのもかまわずすわりこんで、小鳥尻がすすり泣いていた。
「私、きょうね、本当はね、すごくうれしかったの。はじめて、家族が舞台を見にきてくれたから」
 体には力がはいらず、頭のうしろは割れるように痛んだ。小鳥尻を心配させまいと、コーデリアはなんとかあいづちをうつ。
「昔、なんども行ったじゃないの」
「あれはファンとしてでしょ!」
 口をとがらせるようすがひどく幼く見え、コーデリアの胸はしめつけられるように苦しくなった。視界がじわりとにじむ。
「どっか痛むの?」
 具合のわるい親を心配するときの子どものような、あどけない表情。コーデリアはなぜか、カッコウの托卵のはなしを思いだした。
「ううん、だいじょうぶよ。ねえ、さっきの話、くわしく聞かせてくれる? だれに証明したかったの?」
 恋人どうしのはずなのに、対等ではない気がしていた。ずっと一方通行なかんじがしていた。それはきっと、小鳥尻の想いが、親を求める子の想いと同じものだったからだ。
 のどの奥にうまれた氷のような嗚咽のかたまりを飲みくだすと、コーデリアはやさしくたずねた。
 小鳥尻は視線をさまよわせて、しばらく考えるそぶりをみせた。
「やっぱり、パパ、かな」
「お父さん?」
 意外な答えだった。父親のことを聞くのは、これがはじめてかもしれない。
「うん。わたしのパパ、すごいのよ。……の社長でね」
 だれでも聞いたことのある、少し大きな会社の名前だった。
 小鳥尻はどこか浮世ばなれしていて、芸人なのに、生活によごれた感じがなかった。良くも悪くも、お金に頓着がない。それは裕福な家庭に育ったことが理由なのかもしれないと、コーデリアは思った。
「小さいころからずっと、パパのこと、自慢だったなあ。でもね、わたし、勘当されちゃったの」
 小鳥尻の口もとが、泣くのをがまんする子どもみたいに、への字にまがった。
「お母さんが、わたしがこうなのは、こころの病気のせいだって。育て方とかじゃなくて、病気なのが悪いんだって。プロだから、わかるんだって。わたしのことでパパとケンカするとき、いつもそう言ってた。病気なんかじゃないのに」
 頭は熱いのに、手足が冷えてきて、みぞおちのあたりには吐き気があった。小鳥尻は気づいたふうもない。
「プロって、なんのプロ?」
 かろうじて、そううながす。わたしはいつでも聞き役だわ、とコーデリアは思った。
「私のお母さん、こころのお医者さんだったの。パパと結婚してから、働くのはやめたみたいだけど。じぶんの生まれた家はケッソンカテイだったって、いつも言ってた。ねえ、知ってる? そういう壊れた家庭にそだつと、子どものころの失敗をとりかえそうとして、大きくなってからも同じ環境を作ろうとするんだって。絶対にうまくいかない人間関係を、のぞんで作ろうとするんだって」
 ああ――
 小鳥尻は、いまじぶんが話していることがどういう意味なのか、わかっているのだろうか。
「わたしずっとヘンだなって。子どもだったから、言葉にできなかったけど、病気の人が病気の人の病気をみるってすごいヘンだなあ、って思ってた。お医者さんになるために病気になるみたいで、すごいヘン」
 小鳥尻の母親はきっと、成功しないことに成功したのだ。呪いを、次へと手わたして。
「わかったわ。お母さんの言ってたことがまちがいだったって、お父さんに証明したいのね」
「そうそう!」
 うまく伝えられない話を大人が先回りしてくれたときの子どものような、とびきりの笑顔だった。
「ねえ」
「なあに?」
 コーデリアはあらためて、この一方通行な関係を悲しく思いながら、言った。
「これだけは信じてほしいの。わたしはあなたを本当に助けたいと思っている。しあわせになってほしいと思っている」
 小鳥尻をまっすぐに見つめる。
「わたしは、あなたのことが好き。でもね、すこしだけ、つかれちゃった」
 まぶたを閉じると、とたんに全身が重くなって、背中から地面にすいこまれるような感じがした。小鳥尻の泣き声が遠のいていくのを心地よく思うじぶんにぞっとしながら、コーデリアは意識を手ばなした。