楽屋裏の道化師。

デ・ジ・ギャランドゥちゃん(2)

 デ・ジ・ギャランドゥちゃんは24歳辰年生まれ、巨大企業のエゴに日夜翻弄される関西在住のしがないサラリーマン。インターネットでうっかり自己実現してしまうようなそこつ者。でもね、愛の本当の意味はまだ知らないの。
 「日本橋支店に移ってきて、はや半年。おたくたちの生態には慣れたつもりだったんだけどにゃあ。心なしか力弱い猫語尾です」
 「どうしたの、デ・ジ・ギャランドゥちゃん。あなたはとても疲れているように見えます」
 「ウガンダ先輩。何でもないんです」
 「部下の心のメンテナンスも私の仕事のうちです。遠慮せずに、何があったか話してみてください」
 「はい、ありがとうございます。さっきのことなんですけど、お客様の一人が私のところにやってきて、何かを棒読みするような感情の無い調子で、『アンタのホームページ見たけど、全然おもしろくないよ』と異常な早口で吐き捨てるように言って、そのまま立ち去られたんです。本当に唐突で、それにあっという間のことで、私、もうなんだか怒るというよりもびっくりしてしまったんです」
 「うん。それは災難でしたね。でも、ここではよくあることです」
 「それに、すごく近づいてきたんです。思わずこっちが上半身をのけぞらせるくらいにです。吐いた息のにおいでお客様が今日何を食べたかわかるくらいにまで近づいてきました。早口でと言いましたけれど、本当はそんな生やさしい感じではありませんでした。同じ人間の発する言葉のはずなのに恐ろしく機械的な、人間が発話するときに必ず含まれる感情的な意味を欠如したまま出される音の連なりで、私はほとんど圧倒されてしまいました。それはもう、なんと言えばいいのでしょうか、言葉ではなくてただのノイズでした。何かの外国語を習いたての人がしゃべる言葉を、その言葉を母国語とする人が聞いたときの明らかな違和感とでもいうのでしょうか。おたく様、いえ、お客様の奇行にはもう慣れているつもりだったんですが、正直参りました。魂が疲弊した感じです。もっと表層的なことで言わせてもらうなら、初対面の人間にあそこまで不躾なことが普通言えるものでしょうか」
 「私たちがかれらを拒絶できるのは、かれらが法律に抵触する行為を行ったときと、かれらが金を払わなかったときだけです。それ以外の瞬間は、何があろうとかれらを受け入れなければなりません。それが私たちの鉄則ですよ、デ・ジ・ギャランドゥちゃん」
 「はい。今日の件は私が個人的に受けた衝撃として今後の参考とするにしても、かれらのその驚くような人と人との距離感を読みとる能力の欠如に加えて、私に深甚な疑問と懊悩を投げかける問題が実はまだあるのです。聞いてくださいますか」
 「もちろんです。それはいったい何なのですか」
 「それは、この店舗に配属されてからというもの、自分の取り扱っている商品に対する責任と市場の傾向の確認から、俗に表現されるところの『美少女ゲーム』をプレイする機会が頻繁になったのですが、どうしてかれらのするこれらのゲームは、女性の持つ処女性にあそこまで重大な意味を与え、固執するのかということなんです」
 「この業界に入ってすでに幾年も過ごしてきてしまった人間にとって、たいへん新鮮に感じられる素朴な質問ですね。閉じてしまった小さな集団の中に生まれた戒律というものは、それがどんなにより大きな集団の規範に照らしておかしなものであったとしても、皆がそこに慣らされてしまっているので、批判の対象にはならないものなのです。あなたの疑問はもっともですが、それは価値観の相違という理解で許容することはできないでしょうか。例えばイワシの頭を神様として毎日拝む老婆がいたとして、誰が彼女をそれだけの理由で自分たちの社会集団から排除しようとするでしょうか」
 「それは詭弁ではないかという気がします。文化の比較と、人間の生来の比較は同じ次元において行われてよいものなのでしょうか。あの、生意気を言ってすいません」
 「どうか気にしないでください。私はあなたとは対等の話し合いをしたいと思っているのですから。それで、あなたはどう考えるというのですか」
 「私の素人判断に過ぎませんが、もってまわった表現になって申し訳ありませんけれど、かれらはかれら自身の有するところの不滅のヴァージニティを、女性の持つそれに逆照射しているのではないでしょうか」
 「つまり、美少女ゲームに登場する女性の処女性は、各キャラが持つそれを、単調になりがちな性交の描写に起伏を与えるための小道具として単純に直截に表現しているのではなくて、美少女ゲームをプレイしているかれらの永久不滅の童貞を暗喩しているのだと、こう思うわけなんですね。なるほど、案外本質を突いているかもしれません」
 「しかし、これが真実であるとすれば、かれらはかれら自身のヴァージニティを旧時代的な女性の持つ受動性のうちに、一刻も早く陵辱されたいと願い続ける一方で、ほとんど現代のものとは思えないような男根主義的側面をも同時に持っているということになります」
 「話が見えなくなりました。なぜ、そう思うのですか」
 「これも私がここ数ヶ月に美少女ゲームを集中的にプレイしていて感じたことなのですが、美少女ゲームに通底するテーマといいますか、思想といいますか、願望といいますか、うぅん、そう、ある意識を発見したのです。それは、その、何と言いいますか」
 「歯切れが悪いですね。言いにくいことなんですか」
 「ええ、とても言いにくいことです。私の羞恥心で先輩のお時間をわずらわせてもいけませんから、端的に表現しますと、『一回チンポ入ればオレのもの』という意識なんです。ああ、言ってしまった。ここに至って、私はもはやこれらのゲーム群が何らかの現代的な意識でもって真摯に作られているとは思えなくなってしまいました。あまりにもなんというか、前時代的であり、もっと言うなら、蛮族的ではないですか」
 「しかしそれは現代の様々の倫理が薄めてきた男性性の本質であるとも言えますよ。現実の女性には目もくれず美少女ゲームに耽溺する青年たちの態度は、フェミニズムを代表とする現代の倫理観によって去勢されてしまったかれらの、女性存在に対する反乱であるとも読みとれるかもしれません」
 「反乱、ですか。しかし、反乱とはもっと劇的な変革のエネルギーを伴うものなのではないでしょうか。過去、ここまで消極的で、怠惰で、思想を持たず、社会の豊かさへ甘えに甘えきった反乱がいったいあったでしょうか」
 「あなたの憤りはもっともです。しかし私の意見は時代全体の風潮を少々乱暴に、包括的に言い表したに過ぎないものです。かれらのそれぞれが別個に持つ個人史の問題などをからめると、事態はもう少し個別性を持ってくると思います。何かを個別ではなく、俯瞰的に神の視点で理解しようとしたとき、憎悪は発生します。気をつけてください」
 「すいません、私が安易でした。怒りを表出することで、これを自分には直接関係の無い事象であると、一時的な問題として片づけてしまおうとしていました」
 「うん。ある事象を自分の問題にできないとき、人は怒るのでしょうね」
 「しかし、かれらの持つ男性性の圧殺と満たされない被愛欲求との混郁とが、今日の美少女ゲーム市場の隆盛を作り上げているのだとしたら、これを仕掛けた人物、あるいは企業は何という冷酷な残忍さを持っているのでしょうか」
 「デ・ジ・ギャランドゥちゃん、気をつけて下さい。あなたはまた無意識のうちに安易な場所へと結論を落とし込もうとしています。仕掛け人なんて、どこにもいないのです」
 「いないとはいったいどういうことですか、先輩。すべての結果には原因が存在するはずです」
 「わかりますか。ゲームの制作者は確かにいます。ですが、仕掛け人というのはいないのですよ。ゲームを制作する人々も、かれらの持つ病を同じく持っていたという意味で、元はかれらの一人に過ぎなかったのです。だからこそかれらの病、あるいは傷に感応することができ、それにぴったりと当てはまる作品を作り出すことができたのです。ですが、それは決してかれらを利用し、仕掛けようと思ってしたことではありません。かれらの病は『時代』という名前が上書きされた不治の病ですから、最初は小さなものだった市場を延々と底なしに拡大させる要因となり得たのです」
 「それでは、いったい誰が責任を負うというのですか」
 「現代という時代は――これは現実、抽象、形のあるなしにかかわらずあまねくすべての存在を含めての意味で言うのですが――『世界』に対して人間が最も影響力を持っている時代だと言うことができます。現実――例えば、原子力――と架空――例えばインターネット――の双方にわたって世界を丸ごと変革、あるいは崩壊させてしまう影響力をいまや人は持っている。そして、そのそれぞれに破滅的なパワーを内包している現象が単独で、あるいは相互に反応したときにいったい何が発生するかを言い当てることのできる人間はもはや誰一人としていないのです。それぞれの分野に専門家はいるにしても、肥大しすぎた人類のパワーを統括的に理解し、制御することのできる個人なり集団は、もうとっくの昔に存在できなくなってしまっているのです。だから、あなたの疑問にはこう答えるしかありません。”誰も責任を負うことはできない”」
 「私が思うに、美少女ゲームという現象とインターネットという現象の婚姻は極めて破滅的ではないでしょうか。それは潜伏期の致死的な病のように、私たちを内側から突き殺そうと牙を研いでいるのではないかと思えてなりません。先輩、私たちはいったいどうしたらいいのでしょう。何ができるのでしょう」
 「デ・ジ・ギャランドゥちゃん、私たちはどこで働いていますか。私たちの仕事は何ですか」
 「私は、(有)プルガサリ日本橋支店2F美少女ゲーム売場の一販売店員です。それ以上でも、それ以下でもありません」
 「私たちの誰もが世界を崩壊させる現象と関わりながら、私たちの誰もそれを御することができない。だったら、私たちは自分のことをやるべきです。デ・ジ・ギャランドゥちゃん、あなたは美少女ゲームを売りなさい。他の店舗よりも多くの美少女ゲームを売り、日本橋支店の業績を伸ばすことにだけに腐心なさい。そこに何の意味づけをするかは、あなた次第ですけれど」
 「わかりました、先輩。明日から私は美少女ゲームを、日本の出生率が全世界でダントツのワースト1になるくらいに、売って売って売りまくってやります。そうして手に入れた莫大な年棒制のサラリーで結婚資金を貯めて、きっとおたくじゃない年下の男を捕まえようと思います」
 「うん。少子化の極端に進んだ近い将来において、あなたの子どもは社会に厚遇されると思います。ご両親もきっと喜ばれることでしょう」

バーバリアンさん

 「ヒスの女房を抱いた~、股を広げて座らせた~、アゴを反らしもって出した~、WarCry、WarCry、WarCry~」
 「あれ、そのダミ声はもしかして、バーバリアンさんやおまへんか」
 「なんやワレ、何なれなれしく話しかけてきとんねん」
 「相変わらず声、大きいでんなぁ。ホレ、そこの子ども目ェ開いたまま金縛りみたいになっとるがな。ぼくや、この顔見て思い出さへんかな」
 「なんや、自分かいな。えらい久しぶりやな。ここんとこ姿見ぃへんかったけど、どないしとってん。そや、自分なんか宗教やっとってんな」
 「そうなんですわ。ひとり改宗さしたら何万いうて、一時はえらいもうかったんですけど、最近はさっぱりや。こないだも幹部がテレビでつるし上げられましてな。うち、えらいことなってますねん。ぼくの娘、今度6才になんねんけど、小学校入られへん」
 「社会の風潮やな。強いのんの揚げ足とって、コケたら総攻撃や。みんなタマっとんねや。少しでも弱み見せたらはけ口にされる、えらい世の中やで」
 「まったくですわ。バーバリアンさんのほうはどないですのん。最後に会ったときはずいぶん羽振りよさそうやったけど」
 「ワシ、もう最近全然やわ。前は一晩で5、6回はいけたんやけどな。今では1、2回がせいぜいや。ワシ、人がええので売っとるから、誘われたら断れへんやろ。そやから、今では怖うて一人で京橋歩かれへんわ」
 「何の話ですねん」
 「話かわるけど、さっきそこの角であいつに会ったで。名前出てこんがな、ホレ、昔コンパの帰り鴨川で流れた」
 「ああ、あいつでっか。名前出てきまへんけど。あいつ、今どうしてますねんや」
 「ずいぶん調子ええみたいやで。『ぼくに貫通されたらどんな女も欲望の芯に火がつくんや、これもゼロ金利解除のおかげや』ゆうて、ずいぶん息まいとった」
 「うらやましいかぎりですな。ゼロ金利解除でっか。それでうちとこも盛り返しますやろか」
 「知らんわ。ワンカップ安なるんやったらええんやけどな。安なるんか」
 「わかりまへんわ。安なるかも知れませんな。そや、ぼくもさっきそこの角であいつに会ったんでしたわ。名前出てきませんがな、ホレ、昔コンパの帰り神社で石灯籠倒した」
 「ああ、あいつか。名前出てけえへんけど。あいつ、今どうしてんねん。暗いやつやったけど、ちゃんと就職しとんのか」
 「それですわ。就職はしたんですけど、就職したとこがなんと死体を処理する会社なんやて」
 「へえ、そんなんあるんかいな」
 「なんか、孤独死の老人とかの腐った死体を片づけるんや言うてましたわ。『ついこないだまでは競合相手なんかおらんかったから、一体あたりの単価なんてあってないようなもんで、うちのとこで勝手に決めれたんですけどな。タケノコみたいにぽこぽこ同業者が出て来て、今なんかひどいですわ。死体探して営業しますねんやで、おたくで人死にありまへんかァ言うて。こないだなんか腐った卵投げつけられましたんや、出てけェ、この死に神め、ゆわれて。それやなくても実際ブルーなりますって、慣れへんパソコン使うて手作りのチラシに、”死体一体20万、応相談”とか打ち込んでたら。それもこれも孤独死する人間が増えすぎたのが原因なんでしょうなァ』ゆうて、えらいたそがれてましたわ」
 「社会の高齢化と、核家族がさらに細かい個人へと分断された結果やろうな。そら、ええ商売なるわ」
 「あの、バーバリアンさん。ひとつよろしいやろか」
 「なんや自分、急に改まって」
 「うちの、どうしてますやろか。フローリングの床に油まいて火ィつけて、『この離婚届に判押すか、うちといっしょに焼け死ぬか、どっちか選び』ゆうて逃げたうちの女房は、どうしてますやろか」
 「……」
 「なんかゆうて下さいよ。ぼく、ちっともうらんでませんのやで。あっ、待って、待って下さい、バーバリアンさん。アカン、跳んでってもうたがな。昔から都合の悪いことがあるとすぐに逃げるのがあの人の悪いクセや。ああ、マルビル跳びこして行ってもうたがな。あれさえなければ、ホンマええ人なんやけどなぁ」

なぜなにnWo電話相談室(2)

 薄暗い室内。パイプ椅子に腰掛ける2つの人影。1人はぎょっとするほど低い身長で猪首、見えるのはほとんどシルエットだけであるのにひどく奇形な印象を与える。2人の前には折り畳み式の長机があり、花の生けられていない花瓶と黒電話が置かれている。部屋の反対側の隅に置かれたハンディカメラ。
 壁際のブラインドが開き、室内が明るくなる。
 「(やくざなやり方で高く結い上げた髪から櫛を引き抜き、ざんばらに振り回して)さァ、今週もこの時間がやってきたよ。ちょいとセットが簡素になっちまったが、まァ、それもこれもnWoがいよいよ本格化して、余計なコケ脅かしや客寄せの必要もなくなってきたってことさ(かけていた三角メガネをはずすと、将棋の駒でするような要領でパチリと机の上へ置く)」
 「(せむし、ねじ曲がった背骨を更に前倒しに曲げながら両手で腹を押さえて)うゥ、ひもじいよゥ。姉御、今夜もまたソーメンですかい」
 「馬鹿野郎ッ(せむしを平手で激しく打ちすえる)、カメラ回ってんだよ! 地上波から追ンだされたくらいで、ナニ情けない声出してんだい!」
 「(今度は両手で頭を押さえながら)うゥ、すまねえ、姉御。おれァ、腹が減って腹が減って」
 「(乱れた髪を手櫛でかきあげながら)この番組が売れりゃあ、肉でも何でも喰わしてやるよ。ちったぁプロ意識を持ちな。(と、机上の黒電話がけたたましく鳴り響き、受話器が漫画的に飛び跳ねる)電話だ。もしもし」
 「(小声で)あ、あの。nWo電話相談室さんでしょうか」
 「オヤ、聞いたことのある声だね」
 「あの、ぼく以前に一度そちらにお電話したことがあって、あの小鳥です、小さな鳥って書いて小鳥。あの、それで早速相談なんですけど、最近ぼく、なんかこう、すごく不安定なんです。部屋にひとりでいるときに、考えがまとまらなくて、あの、ぼんやりしてて、ほんとなんとなく側にあった電話料金の督促の封筒の裏に、先の丸まった鉛筆で、『この世の中にはおおぜいの人間がいる』って書きつけたら、急に大粒の涙がぽろぽろ出てきて止まらなくなって、でも他人に対して共感できるっていうか、そういうのじゃないんです。外に出て電車とか乗ったら、たくさんの人がいるのにほんといらいらして、心の中で『みんな死んじゃえ』とか思ったりするから」
 「(耐えかねたように机の上へ飛び乗って)ここはキチガイ病院じゃねえんだぞ、テメエ!」
 「(疲れた様子で腕組みしたまま動かず)私たちよりカウンセラーの方が君のお役に立てるんじゃないかい」
 「あ、ごめんなさい、最近あんまり人と話してなかったから、つい冗長になって、あの、いつもはこんな感じじゃないんですけど。あの、何を話すんだったかな。えと、前も言ったと思うんですけど、ぼく、ホームページ持ってるんです。最近は以前ほどは人も来なくなって、閑散とした感じなんですけど、あの、掲示板とかあって、メールとかあれから来ないんですけど、掲示板にはときどき誰かが、お世辞なんでしょうけど、はじめましてとか、面白かったですよ、とか書き込んでくれて、それがちょっとした心の助けだったりするんですけど」
 「(急に遮って)もういい、もういい。アタシもこいつも機械にうといから編集とかできないんだよ。ズバリ、君の掲示板を荒らしたのはこいつだ(合図とともにせむしが隣の部屋とのしきりを外す)」
 「(口に噛まされた猿ぐつわを解かれながら)…ッざけんな、ふざけんなよ、こんなことしてただで済むと思ってんのかよ! (せむし、無言で男の胸に取り出したナイフを突き立てる)ぎゃあッ!」
 「(気のない表情で)30分のコンテンツって決められててね。まァ、前戯の無いポルノビデオみたいなもんさね」
 「(嬉々として)あ、待って。ビデオ撮らなくちゃ、ビデオ。この日のためにDVDレコーダー買ったんだよ。アナクロでネット依存症の劣った生命が終わる瞬間を永久に劣らないデジタルの映像で保存できるように……あれ、逆巻さん、どのチャンネルでやってるんですか、あれ」
 「イヒヒ、肋骨と肋骨の間を擦過音を立てながら鉄の刃が滑り込んでいく感触。おっと、動くなよ。(男に口づけするかのように顔を近づけて)わかるかァ、いまどの臓器も傷つけないままナイフの刃がおまえの身体に収まってんだ。心臓の太い動脈の横に鉄の冷たさを感じるだろう。(せむし、ナイフを引き抜き、今度は男の腹部に突き立てる)ヒヒ、ビビッたろ? 今度は膵臓と肝臓の隙間にナイフ通してやったぜ? (涎を垂らしながら)イヒヒ、たまらねえ、命を冒涜するこの感覚、たまらねえぜ……いくら流行にしたって、連中の痩せた精神にゃこの贅沢はわからねえだろうぜ。価値を知ってるからこそ、それを傷つけることでたまらなくオッ立つんじゃねえか!」
 「ああ、もう、どうなってるの。逆巻さん、逆巻さんたら。(急に激しくテーブルを両拳で殴りつけて)無視するなよ、ぼくを無視するなよォ!」
 「(腹のナイフを気遣って細く呼吸しながら、弱く)やめろ、やめろよ、こんなことして、いったい、タダですむと思って、(せむし、身体の比率から考えても異様な大きさの分厚い手のひらで男の頬をしたたかに打ち付ける。男の口から血の飛沫とともに吹き出した奥歯の破片が、窓ガラスに高い音を立ててはねかえる)」
 「(異様なかぎろいを含んだ目で)虚構につかりすぎて、おまえら人が人を現実に壊せるって実感を失っちまってるんだ。仮の言葉、似非の暴力、馬鹿め、人間が発するもので架空のものなんざひとつもねェ! おれァ、学はねえがどのくらいの強さで殴ればオマエの頬骨と顎がグシャグシャに砕けてメシが食えなくなるかは身体で知ってんだよォ! メシ喰って自分が生きてるなんて意識したこともねえんだろが、なんか言ってみろよ、オラァ! 腹減って気が立ってんだよ!(せむし、男の襟首をつかんでゆさぶるが、男の口からは顎の骨が砕けたらしい証明の大量の鮮血が吹き出すだけである)」
 「(先ほどまでとはうってかわった明るい調子で)さて、ここで視聴者の皆様にクイズです。みなさまがご覧になっている、腹にナイフをつきたてられ、顔が変形するまで殴られているこの男、果たして今から24時間後に生きているでしょうか? うぅん、難しい問題ですね。このせむし、ガウル伊藤とはもう十年来のつきあいになるんですが、かれの気性の激しさといったら、スゴイんです! 先日も北海道で気がつかずにクマの死体を丸三日殴り続けていたほどですから! あら、ヒントを出しすぎちゃったかナ? 24時間後に男が生きていると思ったアナタは今画面に出ている電話番号の末尾にある×の部分で”1”を、死んでいると思ったアナタは”2”をダイアルしてください。(惨劇を背後に、目の前の宙空を右から左へと指でなぞりながら)電話番号は画面に出ているこちらですよ~、画面に、出て、い、る? (ビデオカメラのモニターを横目で確認する。間。熱狂の冷めた突然の異様な静かさで)なんで、テロップが出てないんだい」
 「(他に誰もいない部屋で気狂いの目でテレビを揺さぶりながら)どうなってんだよ、このボロテレビがァ! 見せろよォ、俺にあのペニスを上の口から出す残虐生け花を見せろよォォォォ!(口の端から気狂いの記号の泡を吹き出す)」
 「(気狂いの目でビデオカメラを揺さぶりながら)どうなってんだよ、このクソビデオカメラめ! あたしゃ、天下のハリケーン逆巻だよ! そのアタシに、恥、恥をかかせる気かい! 馬鹿に、機械までアタシを馬鹿にしやがって! あたしゃ、逆巻だよ、天下のハリケーン逆巻なんだよォォォォ!(口の端から気狂いの記号の泡を吹き出す)」
 「(血糊で汚れた全身に気づいたふうもなく)一寸刻み、五分刻み。キヒヒ。そォれ、いよいよ、おまえをおまえの大好きなデジタルとははるかに遠い単位に分断してやるぜ!(腹からナイフを引き抜き、大きく振り上げる)」
 「(バラバラに分解されたテレビの傍らに座り込んで)裏切られた思い出、反故にされた約束、この世は無だ。ハ・ハ・ハ、こんな瞬間にさえ虚構から言葉を借りないとしゃべれない自分を知っている。ハハ、アハハ、おかしいね。(無表情で滂沱と涙を流しながら)みんな、死んでしまえ」

崩れゆく聖域

 「ぼくは自分も見えないほど傲慢だったから、きっと君になにかしてやれると思ってた」


 木々が重なりあい、互いにもたれあうかのように深く深く複雑に生い茂った暗い森。近くにある国道から時折車のライトが照らすが、番人のように密集してそびえる木々に遮られ、その奥はまったく様子がうかがいしれない。枝々の隙間から、かわいた血の色をした月明かりだけが微かにそこを照らすことができる。月明かりの下、小さな子どもなら頭まで埋まってしまいそうな木々の下生えに、もみあうふたつの人影が見える。そのうちのひとりはもうひとりの半分ほどの身長しかない。獣のような低い息づかい。突然の魂消る絶叫。速い風が雲を押し流し、斜めに差し込む月明かりが人影の上を照らす。ひとりの少女が下生えから足を引きずるようにして出てくる。身にまとう高価なものであったのだろう洋服は左胸の部分が無惨に引きちぎられ、その下にあるぎょっとするような生めいた薄い赤色の乳首の周辺には、5本の指をそれぞれ数えることができるほどくっきりと青く、手のひらの形のアザが浮いている。フリルのついたスカートは中ほどから裂かれ、少女の内股を伝って恐ろしいほどの量の血が流れつづけている。ほの赤い月明かりに照らされた横顔は、その年齢の子どもの精神では決して持ちえないような、一種凄惨な憎悪に引き歪んでいる。
 「(手の甲で頬についた血をぬぐい、荒い息の下から)ちくしょう、あんなクソ野郎、前は何人だって簡単に殺せたのに! ちくしょう、ちくしょう……誰ッ!(物音に、洋服の残骸をかき集めるようにして後ずさる)」
 「(木の後ろから、奇妙に人間めいた印象を欠いた幽鬼のごとき様子で男が現れる)江里、香」
 「(警戒した様子を解かず)お父さん。よかった」
 「(少女の無惨な姿に、恐ろしく低い声で)まさか、失敗したんじゃないだろうな」
 「(瞬間ひどくおびえたような表情を見せるが、何かをはねのけるように強く)失敗? ハ、私が失敗するわけないじゃないの! 殺したわ、もちろん殺したわよ。このナイフの先端が頸骨を砕くほどに何度も突き立ててやった。白土三平の漫画みたいに、水平に数メートルも血を吹き出して、下衆な悲鳴を上げながら死んだの、ママ、ママって。そりゃ本当に無様で、みじめな…(言いかけ、急に片手を口に当てると身体を折り曲げるようにして嗚咽する)」
 「(その様子を見下ろすようにしながら)そうか。確かに殺したんだな。ならいい。(感情も抑揚も全く感じられない声で)よくやったな、江里香」
 「(少女、男の声の調子に嗚咽を止める。漏らしてしまった弱みを恥じるように、気丈に胸をそらし)死体の処理はどうなってるの」
 「(事務的な口調で)今回は非常に簡単なケースだ。あの男はおたく的な引きこもりの典型だったからな。月に何度かはバイトに出ていたようだが、30を過ぎて定職にもつかず、両親はじめ親戚縁者からは軒並み勘当されている。ころ合いに社会から断絶され、今までの中でも最も処理しやすい死体のひとつだろうな」
 「(苛立たしげにもつれた髪を手櫛でひっぱりながら、形だけの相づちで)そう、それはよかった。(さりげない話題を切り出すように)ところで、猊下は?」
 「(男、初めてわずかに困惑したような表情を浮かべて)それは、わからない。ただ(口を開こうとして黙り込む)」
 「(眉を寄せて)ただ、何?」
 「(何かを推し量るように宙へ手のひらを指しのべて)猊下の虚構力が弱まってきていることは事実だ」
 「(いらいらした様子で)あなたが何を言ってるのかわからないわ」
 「おまえにもわかってるはずだ、江里香。いや、名前を持たないおれなどが言うまでもなく、おまえたちには何の障壁もなく感じることができるんだろう。それに、(侮蔑の表情を浮かべ)現におまえは取るに足りないあれくらいの獲物に逆襲され、犯され、ほとんど殺されそうになっているじゃないか」
 「(薄明かりにわかるほど、サッと顔を紅潮させて)私が油断しただけよ! (胸に片手を当て)猊下には何の関係も無いわ」
 「(聞こえないかのように)各地の実行部隊からの消息が次々と途絶えている。(ぽつりと)潮時かもしれんな」
 「(首を左右に振って)何、言ってるの。いったい何を言ってるのよ」
 「猊下の虚構力が現実を束縛できなくなりつつある。おれたちの形を規定できなくなりつつある。(唇の端を弱く歪めて)いまなら抜けられるさ」
 「(崩れていく何かを見たくないかのように目をきつくつむり、絶叫する)お父さんッ!」
 「おまえは傷つけられた子どもだった。おれは壊れてしまった家庭の償いをしたいだけの大人だった。夢を見ていたよ、ずっと。長い、長い夏の日だまりのような。おれはおれの家族を恢復することができるかもしれないと思った。だが、それは嘘だった。すべてつたない誰かの手による作りごとだった。洗脳から解けた人のように、ある朝おれは奇怪なギニョール人形を抱きしめて、廃墟でダンスを踊っている自分に気がついたのさ。(後ろめたさを隠すように陽気に両手を広げて)言っておくが、おれは猊下を恨んじゃいないぜ。(うつむいて)ただ、おれが気づいてなかったのは、それが他人の虚構だったってことだ。(間。唐突に顔をあげて)おれといっしょに逃げないか。そうして、誰のものでもない、ふたりだけの、新しい家族っていう虚構を始めないか。(すがるように)このままじゃ、そう遠くないうちにおまえは殺されちまうぞ」
 「(殉教者の静かさで首を振って)ありがとう。でも、もう決まってるの」
 「(力を無くして)そう、か。おまえは猊下に名前をもらった人間だから、そう言うだろうとはわかっていたよ。わかっていたんだけどな(語尾が弱々しく消え、男、顔を伏せる)」
 「(男の感傷を遮る酷薄な冷たさで)さようなら」
 「(男、口を開きかけるが、きびすを返して行こうとする。と、立ち止まって振り返り)なァ」
 「(感情のない微笑みで)なぁに」
 「(ためらうように)小鳥猊下って、いったい何なんだ?」
 「(最も美しい数学の解答をうたうように)ただのホームページ制作者よ」
 「(失う苦悩を声に含ませ、強く)だったら、なぜ!」
 「(ひどく大人びた表情で、憐れむように、小さな子にかみふくめるように)誰かを愛するとき、崇高であったり、美しかったり、尊かったり、かしこかったり、価値があったり、そんな必要は少しもないの。ただ、それが愛であればいいんだわ」
 「(男の顔が泣きそうに歪むが、すぐに無表情を取り戻し)さようなら、江里香」
 「さようなら、(一瞬の逡巡の後)…お父さん」
 男が森を抜け国道へと降りていくと、少女はただひとり暗い森の中へ残される。しばらくの間、何かに浸るように目をつむり立ちつくしていたが、やがて足をひきずりながら、重なりあい、深く深く複雑に生い茂った、すべてを拒絶するかのような暗い森の中へとひとり帰っていく。